日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2013-11-06 0:15:38(水)
「起きなさい」 2013年11月3日(日) 聖徒の日・教会創立52周年記念日 礼拝説教要旨
朗読された聖書:使徒言行録9章36節~43節

「ペトロは皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。」(使徒言行録9章40節)

 エルサレムの西北約55キロの地中海沿岸に、ヤッファという町があります。ヤッファにタビタ(ヘブライ語)という名の婦人の弟子(クリスチャン)がいました。この名は「かもしか」の意味で、ギリシア語にするとドルカスです。かもしかのように愛らしく、よく働く婦人だったのでしょう。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていました。ヤッファの教会は誰かの家だったでしょう。そこにやもめたちもいました。貧しい人、体の弱い人がいたのでしょう。ドルカスはその人々のために、多くの愛の奉仕をしていたのです。ドルカスは慰めの人でした。ドルカスは人々にとても愛されていました。ドルカスの信仰に基づく奉仕は、神様に喜ばれていました。いつの時代のどこの国の教会にも、東久留米教会にも多くのドルカスがおられて教会を支えていて下さいます。

 ところがそのドルカスが病で死んだのです。教会は涙と嘆きに満ちました。死が暴虐な力をふるったのです。東久留米教会の今の会堂が献堂されたのでは2年前です。そのために多くの教会やクリスチャンのお祈りとご協力をいただきました。その中にはその後、天に召された方々もおられます。そのお一人のIさんというご婦人は、私が神学生時代に祈祷会に出席していた教会で、(祈祷会で)しばしばご一緒にお祈り致しました。保育園の園長として働いておられました。その方のご葬儀が行われた時、私は出席できませんでしたが、本日の使徒言行録の御言葉が読まれたと聞きました。「確かのあの方はドルカスのような方だった」と私は思ったのです。この会堂のためにも献金して下さり、その後、天に召されました。多くの他の教会に支えられて建てられたこの会堂は神様のものです。ですから神様の聖なるご用のために、十二分にお献げしたいのです。

 人々はドルカスの遺体を清めて、階上の部屋に安置しました。階上は天に近いところです。命の造り主である神様に近いところです。人々は、旧約聖書に登場する預言者エリヤとエリシャが階上の部屋で神様に祈って、男の子を生き返らせた奇跡を思い起こしていたのです。望みを捨てず、その再現を祈ったのです。エリヤが身を寄せていた家の女主人の息子が死んだとき、エリヤはその子を階上の部屋に抱いて行き寝台に寝かせ、主に祈りました。「主よ、わが神よ、この子の命を元に戻して下さい。」すると子供は生き返り、エリヤはその子を母親に渡したのです。エリヤの後継者エリシャは、かつてある裕福な婦人と夫の家の階上に寄宿していましたが、その家の男の子が死にました。カルメル山にいたエリシャは駆けつけ、エリシャの寝台に横たえられていた男の子の横で主に祈りました。すると次第に男の子の体が温かくなり、男の子は7回くしゃみをして目を開いたのです。

 旧約聖書のダニエル書6章11節を見ると、神様の忠実な僕ダニエルが、「家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」とあります。そして新約聖書を見ると、イエス様が弟子たちと最後の晩餐をなさった場所は、エルサレムのある家の二階の広間です。イエス様の十字架の死と復活の後、イエス様の母マリアとイエス様の兄弟たち、弟子たちが集まって熱心に祈っていた部屋も階上の部屋です。聖書では階上は、祈りの場所、神様に近い場所であることが分かるのです。ドルカスの親しい人々も、神様の愛の力がドルカスの上に働くことを切に祈って、遺体を階上の部屋に安置したに違いありません。そして人々は、イエス様の一番弟子ペトロが、ヤッファからほど近い(約18キロ)リダに来ていることを知り、「急ぎ来てほしい」と二人の使いを送ります。ペトロは駆けつけ、階上に行きます。人々は泣きながら、ドルカスが手作りしてくれた数々の下着や上着を見せました。ペトロの心も悲しみで満ちました。

 ペトロは一生懸命祈ることを決心します。ペトロは皆を外に出し、ひざまずいて祈り、「タビタ、起きなさい」命じます。驚くべきことに彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がったのです。人々の涙を見て、神様が憐れんで下さいました。神様が、死を超える命の力、愛の力を持っておられることが証明されたのです。ペトロは私たちと同じ人間です。そのペトロの一生懸命の祈りに、神様は応えて下さいました。私たちにとっても、祈りこそ慰めです。そして祈りに耳を傾けて下さる神様が、真の希望です。

 ここを読んで、イエス様がユダヤの会堂長の12歳の娘を生き返らせて下さった場面を思い出します(マルコによる福音書5章)。この少女は確かに死んだのですが、イエス様は会堂長を励まされます。「恐れることはない。ただ信じなさい。」そして皆を外に出し、少女の両親とペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人のだけを連れて、少女のところに行かれます。そしてその子の手を取って、「タリタ、クム」と言われます。イエス様が話しておられたアラム語で、「少女よ、起きなさい」という意味です。新約聖書はギリシア語で書かれていますが、著者マルコは、あえてイエス様の肉声をそのまま記録しました。この言葉を直接聞いたのは、少女と両親、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの6人だけです。この言葉は6人の心に、生涯忘れられない強い印象を刻んだに違いありません。「タリタ」が「少女よ」で、「クム」が「起きなさい」です。口語訳聖書では、「タリタ、クミ」でした。今年の春にある説教で聞いたのですが、ある方は自分の家庭に女の子が生まれたとき、ここからとって「久美」(「久美子」)と名付けたそうです。この御言葉からインスピレーションを受けて自分の娘に名前をつける方までおられることを初めて知り、心に残りました。

 生き返ったタビタは、きっと前と同じようにイエス様を救い主と信じ、周りの人々に愛の奉仕をする人生を送ったでしょう。そしてもう一度死んで、天国に行きました。しかし、十字架で確かに死なれた後、三日目に復活され復活の体で天に昇られ、今も生きている方、もう死なない方がおられます。イエス・キリストです。この方は天から、神様の清い霊である聖霊、慰めの霊を私たちに注いで下さいます。タビタの生き返りは信じがたいことかもしれません。ですがイエス様は、世の終わりにはすべての人が一旦復活すると教えておられます。「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子(イエス様)の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ」(ヨハネによる福音書5:28~29)。そしてイエス様を救い主と信じる人は、すべての罪を赦されて、永遠の命を受けます。

 タビタの生き返りは、世の終わりに起こるすべての人の復活の先取りです。神様は、死んだ人を生き返らせる力、復活させる力を確かにお持ちです。旧約聖書の詩編139編8節にこう書かれています。「天に登ろうとも、あなた(神様)はそこにいまし、陰府(死者の国)に身を横たえようとも/ 見よ、あなたはそこにいます。」 私たちは皆、神様の御手の中におり、亡くなった方々も皆、神様の御手の中におられます。私たちは、地上の人生を終えた方々が私たちに多くのよきものを与えて下さったことを感謝し、与えられている貴重な一日一日を、神様に少しでも喜んでいただけるようにご一緒に歩みましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。

2013-10-26 23:14:51(土)
「キリストと一体となる」 2013年10月20日(日) 礼拝説教要旨
朗読された聖書:ローマの信徒への手紙6章1節~14節

「わたしたちは洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマの信徒への手紙6章4節)

 この手紙は、イエス・キリストが十字架で死なれ、復活された後に弟子・使徒になったパウロによって書かれました。パウロは前の5章16節で、イエス様の十字架の死による私たちの罪の赦しが、どんなに大きな恵みかを述べました。「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです」と。イエス様は、本当に世界のすべての時代のすべての人の、すべての罪と過ちの責任を身代わりに背負って、十字架で死んで下さいました。そして三日目に復活されました。イエス様を救い主と信じ告白する方は、その信仰によって、その方の生涯のすべての罪の赦しと永遠の命をいただくのです。イエス様を救い主と信じる信仰によってのみ、父なる神様の前に義とされる、「よし」と認められる、救われるのです。これを信仰義認と呼びます。イエス様を救い主と信じた方は、罪の赦しの恵みのもとにいます。

 ではこのようにイエス様の十字架の犠牲の死によって救われた私たちは、今後どのように生きるのか。それが本日の箇所に書かれています。罪の中にとどまるべきなのでしょうか、平気でどんどん罪を犯してよいのでしょうか。パウロは「決してそうではない」と強く言います。口語訳聖書では「断じてそうではない」と訳されています。そして2節でパウロは、「罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう」と述べます。イエス様を信じた者は、すでに「罪に対して死んだ」のです。それは「罪とのつながりが切れた」ということです。私たちにはまだ罪がありますが、父なる神様は、イエス様を通して私たちを見て下さっているので、「罪なき者」と見なして下さっているのです! 何と大きな恵みでしょうか。その恵みはイエス様が十字架で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイによる福音書27:46)と叫ばれたほどの苦難に耐えて下さったお陰で与えられたのです。決してこのことを忘れてはいけないのです。イエス様の苦難の大きさを思えば、私たちは「なおも罪の中にとどまる」生き方を、何としても進んで捨てたくなります。

 そしてパウロは4節で洗礼の意味を述べます。「わたしたちは洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」洗礼を受けたとき、古い私たちは、イエス様と共に十字架につけられて死んだのです。そして新しい私たちに、イエス様と共に復活したのです。洗礼はイエス様との「共死共生」です。私たちの教会では、頭に水をたらす形で洗礼式を執り行います。教会によっては、礼拝堂に洗礼槽という水槽を置き、本当に水に入る形で洗礼式を執り行います。どちらの形も神様の前に有効です。(洗礼を受ける時は、先立って私たちを導いて下さる聖霊なる神様のお働きを受けて、自分の罪を悔い改めてから受けます。この悔い改めをきちんとなしていれば、どちらの形も有効です。)水に入ることは、古い自分に死ぬことを意味します。水から出ることは、新しい自分に復活すること意味します。洗礼は本当に大きな祝福です。まだの方は、ぜひ教会員、役員、牧師にお申し出(ご相談)下さい。祈りつつ、準備の学びを致しましょう。

 古い自分、罪の自分に死んだことをしっかりと自覚していることが大切です。パウロは5節で、「もし、わたしたちがキリストと一体となってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」と述べます。しっかりとイエス様の「死の姿にあやか」ることが大切です。なぜなら罪の私たちはすでに死んだのですから。 8節は希望の言葉です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」私たちは、罪を悔い改めて洗礼を受けたときに罪の自分に死に、信仰生活を続ける中で罪の自分に更に死んでゆきます。そして地上の人生を終えるときに、私たちの罪は完全に死に絶え、私たちは完全に清くなって天国に新しく誕生します。洗礼で起こった自分の罪の死が、地上の人生を終えるときに完成します(ですが、決してそのときを急がないで下さい)。

 父なる神様は、私たち(イエス様を信じた者)を、イエス様を通して見て下さるので、今すでに「罪なき者」と見なしておられます。本当に感謝です。信仰生活を送るためには、聖霊(神様の清い霊、イエス様の愛の霊)の助けが必要です。私たちは洗礼を受けたときに、この尊い聖霊を受けました。聖霊に私たちの罪を日々滅ぼしていただきましょう。そして聖霊に助けていただいて、13節の御言葉に従いましょう。「あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。」神様を愛し隣人を愛する私たち、イエス様に少しでも似た私たちとなることができるように、今日も祈りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。  

2013-10-23 17:19:13(水)
修養会(2013年10月20日)牧師メッセージ「聖霊による祈り」石田真一郎
聖書:ローマの信徒への手紙8章26節~30節

1.ローマの信徒への手紙8章から

 26節~27節。「同様に、『霊』も弱い私たちを助けて下さいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、『霊』自らが言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。『霊』は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。」クリスチャンの中には、聖霊なる神様が住んでおられます。私たちはしばしば祈れなくなりますが、驚くべきことに聖霊が私たちのために、父なる神様に執り成しの祈りをして支えて下さっています。聖霊はイエス様の霊です。イエス様がシモン・ペトロに語られた次の御言葉が思い出されます。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカによる福音書22:31~32)。イエス様の霊である聖霊が、私たちの信仰が失われないように、今も執り成しの祈りをして支えて下さっています。「この方(イエス様)は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」(ヘブライ人への手紙7:25)。

 28節「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」私たちの人生の目標はイエス様に従うことです。この御言葉は、神様が私たちに起こる様々なことを通して、私たちがより純粋にイエス様に従うように導いておられる、ということではないかと思います。29節「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似た者にしようとあらかじめ定められました。それは御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」神様は、私たちを愛しておられるので、私たちを御子イエス様に似た者にしようと導いておられます。私たちの究極の理想は、イエス様の人格に近づくことです。30節「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」神様は私たちを召し出して信仰を与え、永遠の命を与え、神の子となる栄光を与えて下さいました。

2.執り成しの祈り

 イエス様が私たちのために今も執り成しの祈りをしておられるので、私たちもほかの方々を思って執り成しの祈りを献げます。次に記すように、聖書の大切な登場人物たちは多くの執り成しの祈りを献げています。私たちも執り成しの祈りに励みましょう 
 
・「モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残らなかった」(出エジプト記10:18~19)。

・イスラエルの民がアマレクと戦った時。「モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った」(出エジプト記17:10~13)。「手を上げていた」ことは、神様に祈っていたこと意味します。

・モーセの必死の執り成し。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしあなたが彼らの罪をお赦し下さるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された書の中から消し去って下さい」(出エジプト記32:31~32)。

・「民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした。民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は静まった」(民数記11:1~2)。

・モーセを非難したアロンとミリアムに対して神様が憤られ、神様がミリアムを重い皮膚病になさったとき。「モーセは主に助けを求めて叫んだ。『神よ、どうか彼女をいやして下さい』」(民数記12:13)。

・カナンの地に進むことを嫌がり、エジプトに帰ろうと言うイスラエルの民に、神様が怒られた時、モーセは次のように祈った。「どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦して来られたように、この民の罪を赦して下さい」(民数記14:19)。

・荒れ野でコラ、ダタン、アビラムと250名がモーセに反逆し、神様がお怒りになったとき、モーセとアロンは、「ひれ伏して言った。『神よ、すべて肉なるものに霊を与えられる神よ、あなたは、一人が罪を犯すと、共同体全体に怒りを下されるのですか』」(民数記16:22)。

・民が粗末な食事のことで不平不満を言い、神様が送られた炎の蛇にかまれて多くの人々が死んだとき。「モーセは民のために神に祈った。主はモーセに言われた。『あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。』モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(民数記21:7~9)。 

・(サムエルの言葉)「私もまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない」(サムエル記上12:23)。 

・「主に思い起こしていただく役目の者よ 決して沈黙してはならない。また、主の沈黙を招いてはならない」(イザヤ書62:6~7)。

 古代教会の優れた指導者にアウグスティヌス(紀元354年~430年)がいます。彼は若い頃は放蕩息子のようでした。ですが母モ二カの長年のあきらめない祈り、涙の祈り、熱心な祈りで回心したと言われます。これは多くの人々の祈りを励まして来た有名なエピソードです。
 
3.悔い改めの祈り

 聖書の中の代表的な悔い改めの祈りは、何と言っても詩編51編です。これはイスラエル史上最も有名な王・ダビデの悔い改めの祈りです。若い時のダビデは真摯でしたが、王(権力者)になると知らず知らずのうちに思い上がりました。非常に忠実な部下ヘト人ウリヤの妻バト・シェバと姦淫をし、バト・シェバが妊娠したので、姦淫の罪が発覚するのを隠すために、ウリヤを激しい戦いの最前線に出させ、戦死させたのです。驚くべき罪です。これは旧約聖書の中の最大のスキャンダルではないかとさえ思います。バト・シェバは夫のために嘆き、喪が明けるとダビデに妻として迎えられ、男の子を産みました。ウリヤはイスラエル人(神の民)ではありませんが、ダビデよりはるかに立派です。使徒パウロは「内面がユダヤ人である者こそユダヤ人」であると書いています(ローマの信徒への手紙2:29)から、ウリヤは神様に喜ばれている人だと思います。

 ダビデのしたことは、全く神様の御心に適いませんでした。神様は、預言者ナタンを遣わしてダビデを叱責させます。「なぜ主の言葉を侮り、私の意に背くことをしたのか」(サムエル記下12:9)。ダビデはようやく自分の罪に気づき、告白します。「私は主に罪を犯した」(同12:13)。この告白で神様の怒りがやや和らいだのか、ナタンはこう述べます。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」(同12:13~14)。ダビデがこの重大な罪を犯した時の悔い改めの祈りが詩編51編です。

 ダビデは自分が清められることを強く願います。
「神よ、私を憐れんで下さい/御慈しみをもって。/深い御憐れみをもって/
背きの罪をぬぐってください。/私の咎をことごとく洗い/罪から清めて下さい」(詩編51:3~4)。そしてダビデは告白します。「私は咎のうちに産み落とされ/母が私を身ごもったときも/私は罪のうちにあったのです」(同51:7)。これは原罪の告白と言えます。聖書によれば私たち人間は全員が罪人(つみびと)です(ローマの信徒への手紙3:23「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています~」参照)。

 ダビデは自分の心が清くなるようにと憧れます。
「神よ、私の内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けて下さい。~/御救いの喜びを再び私に味わわせ/自由の霊によって支えて下さい」(詩編51:12~14)。「清い心」という言葉は、イエス様の山上の説教を思い起こさせます。「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る」(マタイによる福音書5:8)。私たちは残念ながら、自分の努力で清い心を創造することができません。神様だけがその力をお持ちです。私たちもダビデと共に憧れつつ祈りましょう。「神よ、私の内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けて下さい」と。

 そしてダビデは非常に重要なことを語ります。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。/打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩編51:19)。神様は、自分の罪を素直に悔い改め、へりくだる人に憐れみを与えて下さいます。これは本当にありがたいことです。もちろん口先だけの「悔い改め」ならば、神様はたちまち見抜かれます。この詩編51編を、教会の悔い改めの祈りとして、毎日曜日の礼拝で、全員で唱える教会があると聞いたことがあります。

 先日、アッシジのフランチェスコを主人公にした映画『ブラザーサン・シスタームーン』(1972年の作品)のDVDを見ました。フランチェスコは1182年(1181年説もあり)にイタリアのアッシジで生まれ、1226年に天に召されています。最後の方で、貧しい人々に奉仕しながら生きるフランチェスコの一行がきらびやかなローマに行き、教皇インノケンティウス3世に謁見します。フランチェスコは、高い座から降りて来た教皇インノケンティウス3世に言います。「私はしばしば、家の周りの野のひばりを見ていました。ひばりはとてもつつましく、慎み深い被造物です。彼らは生きるために、ひとすすりの水と少しの実のみを必要とし、天に飛翔するのです。ある日、私はこう考えたのです。私たちも幸せになれる。もし私たちがひばりのように少しで満足できるならば、もし私たちがひばりのように歌いながら、私たちを創造して下さった主に感謝しながら生きることができるならば。」心を洗われる言葉です。イエス様の御言葉を連想させます。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなた方は、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイによる福音書6:26)。

 教皇が語ります。「私も遠い昔、ちょうどあなたと同じように使命に生き始めた。長い間に情熱が過ぎ去ってしまった。教会統治の責任が私を取り込んでしまった。私たちは富と権力に覆われてしまっている。あなたの貧しさは私たちを恥じ入らせる。フランチェスコ、フランチェスコ、我らの主イエス・キリストの名によって行きなさい。全ての人に真理を説教しなさい。あなたの弟子たちが何千倍にも増えて、やし(しゅろ)のよう繁茂するように。主があなたと共に、そしてあなたの両手と両足の中に。」そしてフランチェスコの前にひざまずいて足に接吻します。教皇の悔い改めです。これが映画の後半のクライマックスです。

 因みに、今年就任した新しいローマ教皇はイタリア系アルゼンチン人(白人)で、フランチェスコから名前を取って、フランシスコと名乗っています。ヨーロッパ生まれでない人がローマ教皇位に就いている状態は、8世紀前半以来1272年ぶり2回目とのことです。アメリカ大陸から初であり、南アメリカ大陸という貧しい地域から選ばれたことに神様の御心を見ることができます。神様は貧しい方々の味方です。アッシジのフランチェスコ自身は教皇のような上位を目指したのではなく、その正反対に、イエス様に倣って下を目指し、奉仕の生き方を目指したのですから、教皇がフランシスコを名乗ったことに天国で驚いているかもしれません。トップがフランチェスコの生き方を目指すということは、好ましいことだと感じます。

4.私たちの祈りを励ます御言葉と三浦綾子さんの例

・「ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。『ああ、主よ、私がまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こして下さい。』こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。イザヤが中庭を出ないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。『わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。「~主はこう言われる。私はあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、私はあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。私はあなたの寿命を15年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す」』」(列王記下20:2~6)。

・「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(使徒言行録12:5)。この祈りは劇的に聞かれたのです。東久留米教会もこのように祈る教会に、さらになりましょう。

・「あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなた方の中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実を実らせました」(ヤコブの手紙5:13~18)。
 
 今年の5月、朝日新聞の夕刊にクリスチャン作家の故・三浦(旧姓・堀田)綾子さんのご主人・三浦光世さんの連続インタヴュー記事が掲載されました。三浦綾子さんは17歳になる前に北海道の小学校の教師になられ、7年間勤務なさいました。敗戦後、三浦さんは小学校で児童たちに国定教科書に墨を塗らせました。三浦さんは「自分にはもう教壇に立つ資格はない」と考え、1946年(昭和21年)3月に24歳で教職を去ります。その後、脳貧血で倒れ、そして肺結核で本当に倒れたそうです。さらに脊椎カリエスという病気になり、計13年間の病床生活を送られました。その間、幼馴染みの前川正さんによってキリスト信仰に導かれますが、その前川さんが病死なさるという過酷な試練を味わわれます。体を固定するギプスベッドに寝かされていた療養10年目に、三浦光世さんとの出会いが与えられます。

 光世さんは3度目に見舞った時に、「私の命をこの堀田さんにあげてもよろしいですから、どうぞお癒やしください」と声に出して祈られたそうです(5月21日の記事)。その少し後、綾子さんが死んだ夢を見て目が覚め、絶望感に襲われたそうです。「ひれ伏したまま1時間、彼女への癒やしを求めて涙ながらに神に祈りました」と新聞に書かれています。「このことを書いた手紙で初めて彼女に愛を伝えました」(同)とも。1年後に綾子さんはギプスベッドを降りることができたそうです。「『立てるようになりました』と、畳の上に立って見せた姿が記憶に焼き付いています」(同)と書かれています。私はこれを読んで、先ほどの御言葉、「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます」の実現だと思いました。

 私は保育園の先生方と聖書の学びをしていていますが、感じることの1つは、今の10代、20代、30代の人々は三浦綾子さんをあまり(ほとんど)知らないことです。15~20年くらい前までは、三浦綾子さんの作品を読んで感動して教会に行くようになった、洗礼を受けたという人がかなりいました。その三浦綾子さんの作品を読んだことのない若い世代が増えています。三浦さんのように感化力のあるクリスチャン作家が、その後出ていないように感じます。そのような方に出て来てほしいと切に祈ります。今は、インターネット・携帯電話全盛で、情報をキャッチすることは上手な人が増えましたが、じっくり聖書を読んで祈り、考える人が減りつつあるのではないか感じます。書店でも読みやすく売れる本ばかり置かれています。先日ある書店の中を見て回りましたが、聖書は見つかりませんでした。そのような一般書店が少なくないのではないでしょうか。このような傾向に逆らって、私たちは神様の御言葉を積極的に宣べ伝えましょう。

5.私の祈りが聞かれた経験

 私の祈りが聞かれた経験を書きます。1988年に22歳で洗礼を受けたしばらく後、1991年の秋頃だったと思います。当時私は茨城県に住んでいました。私はもう少し友人がほしいと思い、神様に祈っていました。するとある男性と知り合いになったのです。その方は藤井さんという私より9才年上の男性です。お顔に血管腫という厳しいご病気のある方でした。そのご病気のために子どもの時から、つらい思いをして来られました。そのため人の痛みがよく分かる、驚くほど優しい男性です。当時、中国人や韓国人の留学生の日本語の勉強によく付き合っておられました。多くの日本人学生が、留学生に日本語を教えるアルバイトをしていましたが、その中でもひときわ一生懸命、親切に教えておられたようです。そのため留学生から「藤井さん、藤井さん」と非常に慕われていました。私は何かのきっかけで一度ゆっくりお話する機会を与えられ、私が誘った教会の礼拝にも一度来て下さいました。お生まれは東京都国立市で、小百合幼稚園というキリスト主義の幼稚園に通われ、そこで献げられていた日曜礼拝にも出席しておられたそうです(私がお会いした時は洗礼を受けたクリスチャンではなかったようです)。神様は私の祈りに応えて、このような知人を与えて下さいました。この方を敢えて選んで与えて下さったとしか思えません。その時の交流は短い間で終わり、その後はお会いしていません。

 それから約12年後、東久留米教会に赴任していた私は、朝日新聞の朝刊を見て、「あっ」と驚きました。「ひと」という欄に見覚えのある方が紹介されているではありませんか。お名前を見ると「藤井輝明さん」と書かれています。あの時の藤井さんに間違いありません。熊本大学医学部の看護学専攻の先生になっておられました。新聞にはこう書かれています。「右ほおに腫瘍がなければ、全く違う人生を生きていた。半生を綴った『運命の顔』(草思社)を咋秋出版し、小学校などでの交流授業は1月末で10校を超えた。~26歳で看護師をめざし、36歳で教壇に。患者としての無念の日々が教育に生きる。いまあるのは『街の中、人の中ヘ』と連れ出した両親や友人、恩師との出会いのおかげ、と感謝する。いまもツバをかけられ、心ない視線は骨に刺さるほど痛い。~『生きていくのに大切なことは何ですか。』13歳の少年に尋ねられた。『難しいこと聞くなあ』と絶句した後、『感謝することかな』とほほえんだ。」

 『運命の顔』(草思社、2003年)という本も買いました。ある学生は笑顔で言ってくれたそうです。「藤井先生の授業に出ると、実際に病気を抱えている患者さんの話を聞けるから、すっごくためになる!」(同書、212ページ)。「私の日常には、矢継ぎ早に鋭い視線が突き刺さってくることに、今も変わりはありません。そういったことをしてくる人たちに対して、かつては目いっぱいの怒りを視線に込めて、にらみ返していました」(同書、222ページ)。ですがある時から別のことを試すようになったそうです。「それは、笑顔でおじぎを返すことです。~私がおじぎをすると、あわてて視線をそらす人や、気まずそうにうつむく人など、反応はさまざまです。けれども、なかには私につられて笑顔になる人や、おじぎを返してくれる人もいるのです」(同書、223ページ)。まさにパウロの言う「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマの信徒への手紙12:21)の実践です。神様は私の祈りに応えて、このような方を知人として与えて下さいました(年上の方を知人とお呼びする失礼をお詫び致します)。その後お会いしたことはありませんが、さらによい働きをなさることを心よりお祈り致します。

6.伝道のために

 伝道について(カトリックの話です)、最近感銘を受けた文章を下に記します。江戸時代に禁止されていたキリスト教が、信仰できるようになったのは1873(明治6年)のことです。長崎で潜伏していたキリシタンの人たちは、「これで大声で祈りができるぞ」と心の底から神様に感謝したそうです。長崎には宣教師が来て、すぐに神学校を建てました。信徒の中からも信仰を教える人々を養成するため、多くの伝道学校が作られたそうです。「信者たちは大切な信仰を伝えるためなら、どんな苦労をしてもいいと思っていたからです。こうして、どこの教会でも、信仰を伝えるために教会学校が再開されたのです。 信者の子どもたちも、神様と教会の教えを学ぶことを学校の勉強や習いごとよりも大切にしました。また家庭でも、朝・ばんのいのり、食前・食後のいのりをみんなで唱え、親は子どもたちにキリスト信者としての生活習慣を身に着けさせました。長い迫害時代を生きてきた信者たちは、イエス様の教えを知ること、いのること、教会に行きミサやゆるしの秘跡にあずかって神様と親しくなることが、信者にとっていちばん大切なことだと信じていたからです」(カトリック長崎大司教区 長崎地区カテキスタ養成委員会『子どものための教会史・長崎 まるちれす』2007年、64ページ)。

 「まるちれす」とはポルトガル語で「証人」、「殉教者」の意味だそうです。イエス様の証人として命がけで生きた人々が殉教したので、同じ言葉が「証人」と「殉教者」の2つの意味を持つようになりました。「イエス様の教えを伝えなければ、信仰はだんだんと消えていきます」(同書、64ページ)。 伝道はテクニックではできません。人様に伝道するためには、まず私たちがしっかりとクリスチャンとして信仰に生きる必要があります。その思いを強く持って、イエス様に従って参りましょう。 (終)

2013-10-21 18:07:21(月)
「貧しい人々に分けなさい」 2013年10月13日(日) 礼拝説教要旨
朗読された聖書:ルカによる福音書18章18節~30節 

「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富みを積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(新約聖書・ルカによる福音書18章22節)

 ルカによる福音書には、お金持ちに厳しいメッセージが多いのです。イエス様は6章20節で「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」とおっしゃり、16章13節で、「あなた方は、神と富に仕えることはできない」とおっしゃいました。私たちが今の日本で、お金を全く持たずに生きることはできません。しかしできればぜいたくにならず、質素に生活したいものです。持ちものをすべて売り払うことはできなくても、困っている方々のためにもお金を用いさせていただく。イエス様が私たちをそのように招いておられます。大変な金持ちであったユダヤの最高法院の議員は、イエス様の招きに従うことができず、非常に悲しみました。お金があり過ぎると、信仰のためにはよくないのです。多くのものがお金で手に入るので、神様に祈ることが少なくなるからです。昔から教会が大金持ちになると信仰が堕落したのです。

 イエス様の御言葉どおりに生きようとした人で有名な人は、アッシジのフランチェスコ(1182年もしくは1181年~1226年)です。彼はイタリアのアッシジで生まれました。父親が金持ちだったので、若い頃は享楽的な生きた方をしていたようです。20才の時、隣り町ペルージャとの間で戦争が起こり、フランチェスコも戦いに出ました。人と人が殺し合う戦争の恐ろしさを知り、怪我をして敵の捕虜になりましたが、幸い家に帰ることができました。この頃から非常に瞑想的な人に変わったようです。そしてハンセン氏病の方々の世話をするようになりました。以前はその方々を恐れていましたが、仕えていくうちに喜びが湧いてきたのです。彼はその方々の中にイエス様を見ました。「わたし(イエス様)の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25章40節)の御言葉を、喜んで実践するようになりました。

 このような生き方は、商人(豪商)であった父ベルナルドとの確執を生みました。フランチェスコを主人公にした映画『ブラザーサン シスタームーン』を御覧になった方もおられるでしょう。あの映画にあるように、彼は父の前で裸になり、「すべてをお返しします」と言って父に服を差し出したそうです。そして「肉親の父ベルナルドはもはや自分の父ではなく、天の御父こそわたしの父…」と言って家庭を出たそうです。イエス様の次の御言葉のとおりに生きたのです。「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける」(ルカによる福音書18章29~30節)。これはただ無責任に家族を捨てよというのではなく、家族を愛して、しかしイエス様をもっと愛しなさいということでしょう。「この世で何倍もの報いを受け」るとは、大金持ちになるということではなく、聖霊による慰めと喜びが与えられるということではないでしょうか。

 フランチェスコは、少々理想化され、伝説化された人かもしれません。フランチェスコは、人格がイエス様に最も近づいた聖人とさえ言われます(罪が少しはあったでしょうが)。キリスト教史の中で敬愛されている人です。私たちは、残念ながらイエス様ほど徹底的に愛に生きることはできないでしょうし、フランチェスコほど清貧に生きることも難しいでしょう。ですができる範囲で、持てるものをほかの方々と分かち合い、天に富を積む生き方を目指しましょう。イエス様は、貪欲な金持ちに言われたのです。「神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(ルカによる福音書12章20~21節)。アーメン(「真実に、確かに」)。

2013-09-30 23:31:12(月)
神様のことばに従った兵士
 「殺してはならない」(旧約聖書・出エジプト記20章13節)。神様は、間違いなく存在しておられ、殺人を禁じておられます。
 
 太平洋戦争とその前の時期に、日本の軍隊が中国大陸で多くの人の命を奪ったことは、残念ながら事実と思います。日本軍が中国人の捕虜の方々を虐殺したことも事実のようです。このことについて、日本人としてこれからも中国にお詫びしてゆくことが大切と思います。今後の中国との平和のためにもです。

 戦争の中で、真の神様に従おうとした一人の兵士がおられたことを知りました。渡部良三(わたべ・りょうぞう)さんという無教会派のクリスチャンです。1944年春、渡部さんは学徒兵として中国河北省の小さな村におられました。ある日、上官がこの部隊の兵士たちに、中国人捕虜を銃剣で刺殺することを命令したのです。驚きながらもほとんどの兵士が従ったそうです。
 
 ところが21、2才だった渡部さんは、断ったのです。渡部さんは軍隊に行く時、クリスチャンのお父様に言われたのです。「常に胸を開き神様に祈る事を忘れないでくれ。~判断に苦しむ事になったなら、自分の心を粉飾するな。一切の虚飾を排して唯只管(ただひたすら)に祈れ。神は必ず天からみ声を聞かせてくれる」(渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』岩波書店、2012年、228ページ。この本は、多くの方に読んでいただきたい実に貴重な記録です)。上官の命令を聞いた渡部さんは、「神様、道をお示し下さい」(同書241ページ)と必死に祈ったそうです。すると神様の声を聞いたのです。「すべてキリストに依(よ)らざるは罪なり。虐殺を拒め、生命を賭けよ!」(241ページ)。

 渡部さんは、聖書の大切な教え「モーセの十戒」をよく知っておられました。その第6の戒めに「殺してはならない」と明確に書かれており、神様が殺人を禁じておられます。人に命を与えるのは神様ですから、殺人は神様への反逆です。渡部さんは、命を賭けて神様のことばに従いました。その結果、軍隊の中で厳しいリンチを受けたそうです。ですが幸い、生きて日本に帰ることができました。

 渡部さんは、軍隊でひそかに多くの短歌を作られました。
「祈れども 踏むべき道は唯ひとつ 殺さぬことと心決めたり」(17ページ)。
「兵等みな 階級順に列をなす 浅ましきかな 慰安婦を求め」(71ページ)。
捕虜を殺す命令を拒んだ渡部さんですが、それを誇る気持ちはないということです。命令する上官を止めることも、命令に従う同僚を止めることもできなかったからです。それでも私は、渡部さんは勇気のあるクリスチャンだと尊敬します。

 東久留米教会には、シベリア抑留から帰還した男性がお二人おられました。今はお二人とも天国におられます。そのお一人は、軍隊で上官に「天皇陛下とイエス・キリストのどちらが上か」と尋ねられ、「イエス・キリスト」と答えたところ、上官が真っ赤になって怒ったと語られました。そして敵ではなく、味方から撃たれるのではないかと感じたと語られました。戦争は真に罪深い行為です。今の日本は中国や韓国とぎくしゃくしていますが、このような時こそ、絶対に戦争をしない決心を改めてはっきりさせることが大切と信じます。

 渡部さんの短歌をもう一首ご紹介します。
「『殺す勿(なか)れ』 そのみおしえを しかと踏み 御旨(みむね)に寄らむ 惑うことなく」(19ページ)。 アーメン(「真実に、確かに」の意)。