日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2019-06-11 1:34:06(火)
「神の定めを守る幸い」 2019年5月19日(日) 復活節第5主日礼拝説教 要旨
聖書:詩編119編1~16節、マタイ福音書22章34~40節

 東久留米教会の今年度の標語聖句は、「いかに幸いなことでしょう。主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は」(詩編119:2)。「心を尽くして」とは、「心全体で」の意味です。詩編119編は、最も長い詩編として知られます。「アルファベットによる詩」と書かれています。原文のヘブライ語で読むと、たとえば最初のかたまりである1~8節で、各行の最初の文字はアレフ(英語のAにあたる)で統一されています。二番目のかたまりである9~16節の各行の最初の文字はベト(英語のBにあたる)で統一されています。ヘブライ語で音読すると、美しく響くことでしょう。この詩編を一言でまとめると「律法賛歌」となります。神様の律法をたたえる内容だからです。

 「いかに幸いなことでしょう、まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう、主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。彼らは決して不正を行わず、主の道を歩みます。あなた(神)は仰せになりました、あなたの命令を固く守るように、と。」「まったき道、主の定め、主の道、あなたの命令」はいずれも「主(神)の律法」の言い換えと思います。律法の代表は、モーセの十戒です。

 私たちは福音書を読むと、イエス・キリストがイスラエルの律法学者(律法主義者)やファサイ派の人々と衝突する場面があることに気づきます。そして、「愛が大事で、律法主義はいけない」と思うでしょう。それはその通りです。律法主義とは、自分が律法を完全に守っていると思い込み(実際は完全に守っていないのに)、律法を守り切れていない他人を裁くことです。それは自己義認(自分で自分を正しいと信じ込むこと)です。神様から見れば、私たちは皆、律法を守りきれていない罪人(つみびと)なので、確かに律法主義・自己義認は誤り・罪です。ですが律法そのものは、神の聖なる意志を示す善いものです。詩編119編は、その善いものである律法をたたえているのです。

 私は、十戒(律法)には3つの役割があると教えられました。1つ目は、旧約聖書のイスラエルの民が、神と契約を結んだ時に、神から与えられた戒めとしての役割です。神はイスラエルの民を、エジプトでの奴隷生活から解放して下さいました。イスラエルの民はその神の愛に応えて、十戒(律法)を守って生きることを求められました。2つ目は、私たち新約聖書の民が、十戒を1つ1つよく学ぶことで、自分が十戒のどの1つをも、心の底から完全に守ることができないこと悟り、自分が神の前に罪人(つみびと)であることを悟り、救い主イエス・キリストに導く役割です。イエス様こそ、私たち全員のすべての罪を背負って十字架で死なれ、三日目に復活された唯一の救い主です。自分の罪を悔い改めて、イエス様を救い主と信じ告白する人は、必ず永遠の命を受けます。

 3つ目は、イエス様を信じて永遠の命を受けた人が、その後の人生を生きる指針の役割です。永遠の命を受けた人には、どうしてもその後の生き方の指針が必要です。それが十戒の3つ目の役割です。私たちは自力では十戒を守ることができません。私たちがイエス様を信じて洗礼を受けると、聖霊(神の清い霊)を受けます。そして神に聖霊を求めて祈ると、さらに聖霊を受けます。聖霊に助けられて私たちは一歩ずつ十戒を行う力を与えられます。それでも私たち罪人(つみびと)に十戒を完全に実行することはできませんが、聖霊に助けていただいて一歩ずつ十戒を守る清い生き方に導かれます。以上が、十戒の3つの役割です。
 
 標語聖句は、「いかに幸いなことでしょう。主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は」(詩編119:2)です。まさにこの生き方をなさった方と、私が思うのは渡部良三さんとおっしゃる無教会派のクリスチャンの方です。『小さな抵抗』(岩波現代文庫、2012年)という書物を出しておられます。渡部さんは21、22才の頃、中国の河北省に駐屯する部隊に配属され、上官から同僚の新兵と共に中国人捕虜を銃剣で刺殺することを命じられます。これは捕虜虐待ですから、当時としても国際法違反と思います。渡部さんは動揺しましたが、十戒の「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)という神の言葉に従う決心をし、刺殺命令を独り拒んだのです。そのためひどいリンチを受け続けましたが、ひたすら耐えて、敗戦後に帰国できました。

 刺殺を命じられたとき、渡部さんは神様に懸命に祈りました。すると神の声を聞いたのです(以下、前掲書241~242ページより引用)。「汝、キリストを着よ。すべてキリストに依らざるは罪なり。虐殺を拒め、生命を賭けよ!」 渡部さんは覚悟を決めます。「そうだ、祈ろうと考えようとこの道しかない! 既に四人は殺され、もう一人は確実に殺されるであろう捕虜と共に、この素掘りの穴に朽ちることになろうとも、拒否以外に選択肢はない。殺すのものか!」 渡部さんの意志を知ると教官が大声で言います。「おい渡部、お前は信仰のためにパロ(中国共産党第八路軍の捕虜のこと)を殺さないというのか!」 「はいそうであります。」渡部さんは、ひどい目に遭うことを覚悟で、主の定めを守ったのです。幸いな人です。私たちも渡部さんの勇気ある信仰を模範としたいのです。アーメン(「真実に」)。

2019-05-30 20:35:11(木)
「聖書を読んだ田中正造」 伝道メッセージ 石田真一郎
「隣人を自分のように愛しなさい。」(イエス・キリスト。新約聖書・マタイによる福音書22章39節) 

 日本の最初の公害は、足尾銅山鉱毒事件だと言われます。その時、鉱毒に苦しむ渡良瀬川流域の農民を助けるために奮闘した正義の人が田中正造(1841~1913)です。国会議員になり、農民の救済を全力で訴えました。死を覚悟して、明治天皇への直訴を行いました。私は5月の連休に、田中正造記念館(群馬県館林市)と佐野市郷土博物館(生家近く。栃木県佐野市。遺品や直訴状を展示)に行きました。

 田中正造は洗礼を受けませんでしたが、ある時期から熱心に聖書を読み、最後まで持ち歩きました。最後の私物は、袋とその中の手帳、小さな新約聖書、大日本帝国憲法とマタイによる福音書(新約聖書)の合本、石ころ、鼻紙だけです。その聖書が展示されていたので、しっかり見て来ました。彼は聖書の言葉の感化をも受けて農民救済に命をかけました。財産は、ずべて農民救済に使い果たしました。立派です。「聖書は、行うもの」が田中正造の考えでした。彼は旧約聖書に由来するイエス・キリストの教え「隣人を自分のように愛しなさい」を全力で実行したと思います。

 田中正造の有名な言葉は、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」です。原発事故の今こそ、傾聴すべきです。私は一昨年、足尾銅山(廃坑)を見学しました。鉱毒事件のことを学べると思って説明を読むと。少ししか書かれていないので驚きました。足尾銅山が、富国強兵・近代化に貢献したと強調されていたことにも驚きました。

 田中正造は、日露戦争の前に、「陸海軍を全廃して軍事費を人民の福祉にふりむけるべきである。~いく十万の人民に塗炭の苦しみをさせながら、満州を占領したとてなんになる」と演説しました(大石真『たたかいの人―田中正造』偕成社、2004年、226ページ)。これは、「隣人を自分のように愛しなさい」の心です。ぜひ東久留米教会においで下さり、田中正造も読んだ聖書から、共に学びましょう。アーメン(「真実に」)。

2019-05-16 16:13:03(木)
「愛の手を差し伸べるキリスト」 2019年5月12日(日) 復活節第4主日(母の日)礼拝説教 要旨
聖書:列王記下5章1~19節、マタイ福音書8章1~4節

 「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。」

 「重い皮膚病」は、以前は「らい病」と訳されていました。今は「らい病」は差別語・不快語であり、使用しないことになっていると思います(一般にはハンセン病と呼びます)。今ではこの聖書の「重い皮膚病」は、ハンセン病だけでなくもう少し広い範囲の皮膚病を指すとも考えられています。聖書の時代のイスラエルで、この病気の人は汚れていると見なされ、一般社会から離れて生きなければならなかったようです。イエス様は愛をもってこの病気の人を癒し、社会復帰させて下さいました。

 この重い皮膚病はハンセン病と言い切れないのですが、現実にはキリスト教会2000年の歴史において、この病気はハンセン病と受け止められてきました。ハンセン病の方々に尽くした多くのクリスチャンがいました。イエス様に倣おうとしたのでしょう。

 私がお世話になったある牧師の方は、戦前、岡山の教会の牧師であられました。近くの島にハンセン病の施設があり、しばしば礼拝説教の奉仕に行かれたそうです。今ではハンセン病は感染力の弱い病気と分かっていますし、有効な薬もあります。でもその頃はそうでなかったのでしょう。その先生は、防護服のようなものを着て説教なさったそうです。それではよい礼拝になりません。ある日、思いきって勇気を出して、その服を脱いだそうです。患者さんたちも喜んで下さり、生き生きした礼拝になったそうです。礼拝後の交流の雰囲気もよくなりました。

 ある牧師の方は、ハンセン病の方々と交流した時に、飲み物(お茶でしょうか)を回し飲みする状況になったそうです。その先生はそれを飲むことができなかった、と語られました。正直なお話をして下さったと、私は思いました。責めることはできません。

 この東久留米教会は東久留米市にありますが、お隣の東村山市にハンセン病の施設・多磨全生園(ぜんしょうえん)があります。昨年、語り部の平沢保治さんのお話を東久留米市役所で伺いました。全生園には多い時で約1300名の方がおられたそうです(今は約160名とのこと)。平沢さんは1927年に誕生され、13才で発病、14才で全生園に入園されたそうです。ハンセン病の方々の悲しみの歩み、苦しみの歩みを語って下さいました。平沢さんはクリスチャンではいらっしゃらないようです。でもファイトあふれる方で、前向きなのです。私が買った平沢さんの著書の題は、『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』です。中に平沢さんの自筆のサインと「苦しみは歓びをつくる」の言葉が書かれています。

 イエス様は重い皮膚病の人を癒されましたが、私はイエス様がその人の重い皮膚病をも十字架で背負われたと思っています。イエス様の十字架を予告するイザヤ書53章3~4節にこうあるからです。今の私は、イザヤ書53章は口語訳がすばらしいと思っています。「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者(重い皮膚病の人を指すと言えます!)のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」ここを読むと、「傷ついた癒しびと」という深みのある言葉を思い出します。

 日本でもハンセン病の歴史は、悲しみの歴史です。イエス様は、その悲しみを全て背負って下さったと思うのです。平沢さんは講演で語られました。戦前戦中の日本では、障碍を持つ方やハンセン病の方は、富国強兵の役に立たない「穀つぶし」とされ、人間扱いされなかったと。ハンセン病の方々は、断種の屈辱と悲しみをも背負われたのでした。

 神谷美恵子さんという著名な女性の医者がおられました。岡山のハンセン病施設・長島愛生園でも精神科医として働かれました。神谷さんが1943年に次の詩を書いておられます。「光うしないたる眼うつろに 肢うしないたる体になわれて 診察台の上にどさりとのせられたらい者よ 私はあなたの前に首をたれる。 あなたは黙っている かすかに微笑んでさえいる ああ しかし その沈黙は 微笑は 長い戦の後にかちとられたものだ(~) なぜ私たちでなくてあなたが? あなたは代って下さったのだ 代って人としてあらゆるものを奪われ 地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ」(NHK 若松英輔『100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて』2018年、51~52ページ)。神谷さんは聖書をよく読まれたそうですから、私は神谷さんがイザヤ書53章(救い主が私たちの身代わりに病と悲しみを担ったことを述べる)の感化も受けて、この詩を書かれたのではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。

 全生園では今、「キャンバスに集う 菊池恵楓園・金陽会絵画展」が開催されています。私も見学して参りました。患者の方々の絵画作品の展覧です。クリスチャンの作品もありました。ちらしには「生きるため、描き続けた」とあり、「絶望あるところに希望を 闇あるところに光を」ともあります。後者は、アッシジのフランチェスコの「平和の祈り」の一部ではないかと思いました。フランチェスコは、イエス様に最も人格が近づいた聖人とされ、当時の人々が忌み嫌ったハンセン病の方々のお世話をして抱きしめたと聞きます。

 カトリックには、ハワイのモロカイ島の聖者・ダミアン神父(1840~1889、ベルギー人)もおられます。ダミアン神父は晩年、ハンセン病になります。それは感染ではなく、もともとその素因を持っていたと読んだことがあります。彼はそれを「神からの勲章」と考えたそうです。本当にハンセン病の人々の気持ちが分かるようになったと喜んだそうです。すごい信仰の人だと思います。

 明治の日本(熊本)でハンセン病の人々を救済するために働いたハンナ・リデルというイギリス人の女性宣教師がおられました。彼女は、「日本が駆逐艦一隻の費用を転用すれば、この国のらい問題(ママ)は解決する」と語ったそうです(猪飼隆明『ハンナ・リデルと回春病院』熊本出版文化会館、2005年、197ページ)。

 イエス様は、愛をもって重い皮膚病の人を癒やされました。イエス様は、私たちをも愛して下さっています。私も自分の罪を悔い改め、イエス様に従う者になりたいと祈ります。アーメン(「真実に」)。

2019-05-03 13:41:13(金)
「キリストの復活と私たちの復活」 2019年4月28日(日) 復活節第2主日礼拝説教 要旨
聖書:ダニエル書12章1~3節、コリントの信徒への手紙(一)15章12~34節

 旧約聖書では後半に少しずつ復活信仰が出てくるように思います。エゼキエル書37章の「枯れた骨の復活」、そして本日のダニエル書12章1~3節などです。「その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。」

 イスラエルで復活信仰が明確に出て来たのは、旧約聖書と新約聖書の中間の時代のようです。アンティオコス・エピファネスという邪悪な王(外国人)がイスラエルの信仰を激しく弾圧した時がありました。新共同訳聖書で旧約聖書の続編となっているマカバイ記を読むと分かります。そこにイスラエルの信仰に生きる七人兄弟が次々に殉教する壮絶な場面があります。神に従った自分たちに、神が永遠の命、よみがえり(復活)の命を必ず与えて下さるとの希望を抱いて殉教するのです。新約聖書の時代に入り、若き日のパウロも属したファリサイ派は、死者の復活を信じていました。ヨハネ福音書11章を見ると、マルタという女性が「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言っており、将来に起こることとして復活信仰を持っていたことが分かります。それに対してイエス様が、「わたしが復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と力強くおっしゃるのです。これがイスラエル人の状況です。

 コリントはギリシアの都市で、パウロがそこに伝道して教会ができました。ギリシア人は死者の復活ではなく、霊魂不滅の考えをもっていたようです。死ぬときに肉体は滅びるが心(魂)永遠に生きるという考えです。日本人にも漠然とこう考える人が多いのではないでしょうか。でも肉体にも心(魂)にも罪があるので、肉体も心(魂)も永遠ではありません。聖書の救いは霊魂不滅ではなく、心(魂)も霊も肉体も神様が復活させて下さることです。コリント教会の人々もギリシア人なので、すぐには復活信仰に馴染めなかったようです。そこでパウロが言います。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。~しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」

 パウロは、復活に順序があると述べます。「最初にキリスト(が復活され)、次いで、キリストが来られるとき(再臨のとき)に、キリストに属している人たち(が復活する)、次いで世の終わりが来ます。」これについては、パウロがテサロニケの信徒への手紙(一)4章でもう少し詳しく述べています。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主(イエス様)御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」私たちイエス様を信じる者が死んでも、必ず復活が与えられます。そこで本日の説教題を「キリストの復活と私たちの復活」としました。

 イエス・キリストは間違いなく復活され、今も復活の体をもって天(神の国)で生きておられます。復活の希望があるので、パウロは命がけで伝道に取り組むことができました。死にそうな目に何度も遭いながらもひるまずに伝道できたのは、復活の希望を抱いていたからだと言えます。パウロは私たちに警告して言います。「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」

 人は皆、死後にイエス・キリストの前で、最後の審判を受けます。自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じ告白した人は、最後の審判で無罪の判決を受け、永遠の命が確定します。その希望があるのですから、イエス様に従って毎日をしっかりと責任をもって生きる必要があります。「どうせ」などという投げやりで自堕落な生き方、刹那的な生き方をしてはいけないのです。罪を犯さないように気をつけて生きるのです。神は罪を憎む方ですから、欲望を満たすことを第一とする自堕落な生き方をすれば、神に裁かれる恐れがあります。「どうせ」は実に投げやりで悪い言葉です。パウロは私たちを真剣に戒めます。「思い違いをしてはいけない。~正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。」神様は聖なる方なので、罪を裁かれます。神様をなめたり、侮ったり、甘く見てはいけないのです。そうすれば必ず痛い目に遭います。復活の希望の信仰は、私たちを投げやりな生き方ではなく、責任をもって一日一日を生きる生き方に導くのです。

 マルティン・ルターの言葉とされる「たとえ明日世界が滅びても、私は今日リンゴの木を植える」という言葉があります。復活の希望があるので、積極的によいことを行うのです。私は昨年の5月に、修学旅行以来35年ぶりに長崎市に行き、「二十六聖人記念館」に行きました。豊臣秀吉の迫害によって殉教した二十六人を記念しています。その一人の12才だった少年は、母親に「信仰を捨てないように」という手紙を書いたようです。そして死刑にされる前に役人に「信仰を捨てれば、命を助ける」と言われると、それを断り、「地上の短い命と永遠の命をとりかえることは愚かなことです」という意味のことを語り、十字架の上で「パライソ(天国)、パライソ」と言いながら息絶えたそうです。永遠の命・復活の希望があるから、殉教できるのでしょう。復活の希望があるからこそ、私たちも「どうせ」の生き方を退け、地上の限られた一日一日を、精一杯愛と善を行いながら、積極的に生きてゆきたいのです。アーメン(「真実に」)。

2019-04-18 0:44:27(木)
「キリストは本当に神の子」 2019年4月14日(日) 受難節第6主日(しゅろの主日)礼拝 説教要旨
聖書:イザヤ書53章1~12節、マルコ福音書15:21~47

 イエス・キリストは十字架上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と大声で叫ばれました。それは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です(但し、イエス様の十字架上での最後の言葉は、この言葉ではなかったようです)。イエス様がなぜこのように叫ばれたのか、イエス様はどのようなお気持ちだったのか、昔から多くの人が祈り考えて来ました。もちろん私たちが、神の子イエス様のお気持ちを完全に分かることはできないでしょう。しかし、少しは分からせていただけるかもしれません。

 どなたの人生にも悲しみや痛みがあります。私が存じ上げる複数の方々は、ご病気による痛み、手術後の痛みの中におられた時、イエス様のこの叫びを思って、懸命に耐えたと言われました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたイエス様の方が、もっと痛く、もっとお辛かったのだ。そう思って、懸命に耐えたと語られました。そのような方々は、イエス様の時代以降、無数におられたと思うのです。イエス様のこの叫びが聖書になかったら、慰めを受けられない方が大勢おられると思うのです。イエス様がこう叫ばれたことを、私は本当に感謝したいのです。

 「いつくしみ深き」という有名な讃美歌があります(以下は、大塚野百合著『賛美歌・聖歌物語 疲れしこころをなぐさむる愛よ』創元社、1997年、121~127ページによります)。作詞者のジョセフ・スクラィヴィンは1819年にアイルランド生まれたクリスチャンですが、結婚式を前に婚約者が亡くなったのです。心に傷を負った彼は、学校の教師となって移住しました。約15年後に二度目の婚約をしたのですが、この相手が結核で1860年に亡くなったのです。彼は苦しみの中にも、神の慰めを感じていたようです。彼と同じようにつらい思いをしたのが彼の母親でした。息子を思って、深く苦しんだのです。彼は母を慰めるために讃美歌の歌詞を書いて送ったようです。それが「いつくしみ深き」であるそうです。スクラィヴィンが亡くなった1886年ころ、この歌を読んだ有名な讃美歌歌手サンキーが感動し、自分が編集した『福音唱歌』の最初に入れたそうです。日本語訳の歌詞もよいと思われますが、省略されている言葉もあるそうなので、英語で読むとよいようです。私の想像ですが、きっとスクラィヴィンも、イエス様の叫び「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を思って、自分の苦しみに耐えたこともあったのではないでしょうか。イエス様のこの叫びは、聖書の中にどうしても必要な御言葉、なくては非常に困る御言葉だと信じます。アーメン(「真実に」)。