日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2013-05-30 15:36:20(木)
神様は、不当な苦しみの中にある方の味方 ~第五福竜丸を見て~
 真の神様は、不当な苦しみを味わっている方の味方です。旧約聖書の昔、イスラエルという弱小の民がいました。大国エジプトにいて、長年、奴隷として虐げられました。

 神様は、そのうめきと叫び声を聴いておられました。「労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた」(旧約聖書・出エジプト記2章23節)。 

 神様は、モーセという人をリーダーとして立て、苦しむ人々をエジプトから脱出させてくださったのです。紀元前1280年頃のことです。映画『十戒』でご覧になった方もあるでしょう。

 私は5月に、『第五福竜丸展示館』(東京メトロ有楽町線、新木場駅から徒歩10分。西武池袋線・東久留米駅から直通電車あり、約65分)を見学し、第五福竜丸そのものを見ました。

 1954年3月1日、アメリカが太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で水爆実験を行いました。近くにいた日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗組員が、放射能を含む灰、「死の灰」を浴びました。日本で懸命の治療が行われましたが、無線長の久保山愛吉さんが9月に亡くなりました。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」との言葉・叫びを残して。

 久保山さんへのお見舞いのはがきにこうあります。
「神よ、どうか久保山愛吉さんを救いたまえ。~
 私たちは今、また戦争の準備をしている人たちへの大きな挑戦として、叫びとして、
 この人たちを絶対に失いたくはない。 神よ、私たちは久保山氏重態の報に、
 悲しくてならない」(第五福竜丸平和協会『写真でたどる第五福竜丸』より)。
 神様は、今もこの叫びを、心にとめておられると信じます。

 私たちもこの叫びを、心に刻みましょう。広島・長崎の原爆と共に、第五福竜丸の被害も忘れてならないことです。第五福竜丸の被害を忘れかけた結果が、福島の原発事故かもしれません。忘れることは、よい結果を生みません。
 
 神様は、不当に苦しむ方の味方です。私たちは、不当に苦しむ方を生まない、良い世の中を作るように努力し、神様がおつくりになったすばらしい自然界を、よごさないように、壊さないように、一生懸命、心がけたいのです。神様に喜ばれる生き方をすることができますように。
アーメン(「真実に」、「確かに」の意)。

2013-05-01 21:02:33(水)
「母の日」と聖書
 今年の「母の日」は5月12日(日)です。「母の日」はアメリカのキリスト教会で始まりました。南北戦争の頃、ウェストヴァージニア州にアン・ジャーヴィス
(Ann Jarvis)さんという地域のリーダーの女性がおり、この方は負傷兵を敵味方の区別なくケアしたそうです。ジャーヴィスさんはキリスト教会の日曜学校(教会学校)の先生として、子どもたちに聖書を教えたそうです。

 旧約聖書の中に、「モーセの十戒」というとても大切な教えがあります。ジャーヴィスさんは、その中の「父母を敬え」(出エジプト記20章12節)という言葉をも教えました。日本で親孝行を美徳と考えるように、聖書も私たちが父母を尊敬することが、真の神様に喜ばれることであると教えています。それは神様が、父母を通して私たちに命を授けて下さり、父母によって私たちを育てて下さったからです(父母に欠点があるとしても)。そして、聖書を信じる世界では、子どもはまず父母から、一番大切な神様のことを教わるからです。ジャーヴィスさんは教会の子どもたちに「お母さんに感謝の気持ちを表すにはどうすればよいか考えましょう」という宿題を出したそうです。

 ジャーヴィスさんは1905年に亡くなりました。娘のアンナさんは、母への敬愛と感謝をこめて1907年に、母親が子どもたちを教えていた教会で、母親が好きだった白いカーネーションを人々に配ったそうです。アンナさんなりの宿題への答えでした。これが「母の日」の始まりとされています。趣旨に賛同する人が増え、1914年にはウィルソン大統領が、5月の第二日曜を「母の日」とする書類にサインしたそうです。この習慣が日本のキリスト教会にも入り、戦後日本全体に広まったそうです。ただし、娘のアンナさんは、アメリカで早くも1920年代に「母の日」が商業主義化した(デパート等のお金もうけの手段になった)ことを非常に嘆き、批判したそうです。アンナさんは、「母の日」を真心をこめて母親に感謝する日として大切にしたかったのです。

 このように、「母の日」の原点が「あなたの父母を敬え」という聖書のメッセージにあることを、私たちは知ります。聖書には「最も大いなるものは、愛である」(新約聖書・コリントの信徒への手紙(一)13章13節)ともあります。この愛は、神様の愛、報いを全く求めない無償の愛、私たち皆のために十字架にかかって下さったイエス・キリストの愛です。この愛に近いのが父母の愛でしょう。父母には欠点もあるでしょうが、それでも父母や年長の方々を、愛をこめて敬う「母の日」、そして毎日を過ごしたいと思います(失敗したら、またやり直しましょう)。そして敬われるにふさわしい大人になってゆきたいと思います。日本と世界のすべての父母の皆様に、神様の愛を心より祈ります。アーメン(「真実に」、「確かに」の意)。
 
2013-04-02 19:25:30(火)
イースターおめでとうございます。
 
 今年のイースターは、3月31日(日)でした。イエス・キリストは、わたしたちすべての人間のすべての罪と過ちを背負って、十字架で命をなげうって下さいました。そして三日目の日曜日の早朝、復活されたのです。この事実を祝う大切な日がイースターです。キリスト教会ではクリスマスと並ぶ祝日です。わたしたちのために命を献げてくださったイエス様の愛! この十字架の愛に感動するとき、わたしたちはクリスチャンになります。

 誰かのために自分の命を犠牲にした人がおられるとき、わたしたちはとても感激します。前にも書きましたが、2001年1月26日の夜、東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した男性を助けようとして関根史郎さんというカメラマン(47才)と、李秀賢(イ・スヒョン)さんという韓国人留学生(26才)がとっさに線路に飛び降りました。残念ながら結果的に三人とも亡くなりましたが、飛び降りた二人の行動には、わたしも非常に感激しました。多くの方がそうだったと思います。

 この出来事は、小学校の道徳の副読本に載せられているそうです。亡くなった李さんのご両親が今年(2013年)1月28日、この副読本を用いた埼玉県の小学校の道徳の授業を見学して下さったそうです。朝日新聞の記事によると、お父様・李盛大(イ・ソンデ)さんは「息子のことを真剣に考えてくれ、うれしい」と、お母様・辛潤賛(シン・ユンチャン)さんは「こんなに熱心に勉強してくれる子がいるなら、『日韓の懸け橋になりたい』という息子の夢は、これからもかなうと思う」と話して下さったそうです。ありがたいことです。

 関根さんと李さんがクリスチャンであったかどうかは分かりません。ですがお二人の行動は、イエス様の十字架の犠牲の愛を思わせる行動だったと思うのです。決して忘れてはいけないことと信じます。
 
 新約聖書の御言葉(みことば)が心に浮かびます。イエス様の弟子・使徒パウロの言葉です。
「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました」(使徒言行録20章35節)。

 「受けるよりは与える方が幸いである!」 すばらしい言葉です。私たちはつい、「受ける方が幸いである」と思ってしまいますが、それでは大人とは言えません。イエス様の十字架の愛に励まされ、少しずつでも「与える愛」を行って、すがすがしい気持で生きてゆきたいものです。そして日本が韓国、中国、北朝鮮、台湾と平和で友好的な関係を築くことができるように、心より祈ります。アーメン(「真実に」、「確かに」の意)。

2013-02-26 23:12:01(火)
「一粒の麦」 ~イースターに向かって~
 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
  だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(新約聖書・ヨハネによる福音書12章24節)

 「一粒の麦」とはイエス・キリストのことです。イエス様は、私たちのすべての罪と過ちの責任を身代わりにとって、十字架で死なれました。私たちを命がけで愛して下さったのです。そして、三日目に復活されました。このイエス様を自分の救い主と信じる人は皆、永遠の命を受けます。これが「多くの実を実ぶ」ということの意味です。

 キリスト教会は今、イエス様の十字架の犠牲の愛を特に心に刻む季節・受難節を過ごしています。受難節が終わると喜びのイースター(十字架の死の三日目、イエス様の復活の日)を迎えます。今年のイースターは3月31日(日)です。ぜひ東久留米教会、あるいはお近くの教会の礼拝にお出かけ下さい(子どもの礼拝もあります)。子どもたちのために、楽しい「卵探し」のときを用意する教会が多いでしょう。卵はイエス様の復活の愛の命のシンボルです。

 1954年9月26日、非常に強い台風が日本を襲う中、もう大丈夫と判断した青函連絡船・洞爺丸(とうやまる)が、函館を出ました(私も1985年に青函連絡船に乗りました)。しかし浸水し転覆し、多くの方々が亡くなる大惨事になってしまいました。岸からそれほど遠くない場所だったそうです。洞爺丸にキリスト教の宣教師が三人乗っていました。そのうちのディーン・リーバー宣教師(アメリカ人)とアルフレッド・ストーン宣教師(カナダ人)は、乗客に自分の救命具を渡して亡くなったそうです。救われた人たちの家族の証言によってこのことが明らかになったそうです。この宣教師の方々は、日頃からイエス様のハート、与える愛に生きていたのでしょう。ふだんの生き方がその時も出たのです。日本人のために自分の命を献げて下さった勇気ある外国の方々がいらしたことを、私たちは決して忘れてはいけないと信じます。私たちは、自分が受けた愛や恵みを忘れることが多いですが、それは罪深いことですね。反省させられます。このお二人はまさに「一粒の麦」となって、隣人に命を与えて下さいました。

 私たちは、このお二人ほど勇敢に生きることは難しいかもしれません。ですが、隣人に小さな愛を贈りながら、イエス様の十字架の愛に感謝するこの受難節を過ごしたいのです。アーメン。(「真実に、確かに」の意)。

2013-01-27 17:14:53()
「これからは、もう罪を犯してはならない。」 ~映画『レ・ミゼラブル』を見て~
 話題のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』(「悲惨な人々」の意、原作はフランス人ビクトル・ユゴー)を見ました。日本では『ああ無情』のタイトルで有名です。

 ジャン・ヴァルジャンという男が主人公です。一本のパンを盗んだために19年間監獄に入れられます。姉(夫は死亡)の7人の子どもたちを養うために懸命に働きますが、貧しくてパンがなくなります。パンを盗もうとして捕まります。盗みはやはり行ってはならない罪です。5年の刑でしたが、脱走を4回も試みたために19年になります。やっと解放されますが、前科者を泊めてくれる所がありません。しかしカトリック教会が泊めてくれます。ですがジャン・ヴァルジャンは恩を仇で返します。銀の食器を盗みます。ところが、ミニエル老司教(カトリック教会の聖職者)は憲兵に、銀の食器は自分がジャンにあげたものだと告げます。そして銀の燭台までもあげてしまうのです。ジャンは驚いて、体を震わせます。憲兵もジャンを釈放するほかなくなります。

 ミニエル老司教が最も重要な言葉を語ります。「決して忘れないでください。あなたが正直な人間になるために、この銀器を使うとわたしに約束したことを。~あなたはもう悪の味方ではなく、善の味方です」(『レ・ミゼラブル(一)』新潮文庫、168ページ)。ミニエル司教は、ジャン・ヴァルジャンを刑務所に逆戻りさせたくなかったのだと思います。立ち直らせたかったのです。「決して忘れないでください。あなたが正直な人間になるために、この銀器を使うとわたしに約束したことを。」これはジャン・ヴァルジャンへの決定的に重要なメッセージです。愛をこめて「もう罪を犯してはなりませんよ」と言い含めたのです。イエス・キリストは姦通の罪を犯した婦人に、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(新約聖書・ヨハネによる福音書8章11節)と言われました。ミニエル司教のメッセージとイエス様の御言葉の中身は同じです。ミニエル司教は、イエス様のハートで生きていたのです。わたしたちもそうでありたいですね。

 ジャン・ヴァルジャンは感激し、ミニエル司教を裏切らないという一念で生き始めます。市長になり、悪戦苦闘しながら、人を愛して正直に生きてゆきます。立ち直って、一生懸命生きる姿に感銘を受けます。ジャン・ヴァルジャンの生き方を見て、イエス様の次の御言葉を思い出しました。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(新約聖書・ルカによる福音書15章7節)。アーメン(「真実に、確かに」の意)。