日本キリスト教団 東久留米教会

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教会員Aさんの証し

 「あなたは揺れ動かない価値基準をおもちですか?」

 若い私は、新聞、雑誌、話題の本、哲学書、テレビ、ラジオ等のメディアから得たその時々の情報によって、ころころと価値観が変わっていました。それは全く自分がどこにいるのかわからない、自分でも自分がわからない、闇の中であがいているような体験でした。また、当時は子育てや、ママ友のことでもすっかり疲れていました。
 そんな時に、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖書の みことばに出会ったのです。毎朝、子供を園に送る道すがら、ある教会の前で目にする みことばでした。
 さりとて、教会に行くには勇気がいることでした。ちょうどその頃、クリスチャンの友人に教会に誘われたことが、教会に行くきっかけとなりました。メッセージを聞く中で、このイエスという方が神なのだと、心の深みに確信が来ました。半年後に洗礼を受けました。聖書は人間が作り上げたものとは違い、万物を創造された神の みことばであり、聖にして力があり、慈愛に満ち、永遠に変わることのない神が、すべての人に与えられた価値基準です。
 いまや私は、かつての揺れ動いた頃の私と違い、揺れ動かない神の みことばによって、しっかりと立って、どんな時にも神から平安をいただいています。クリスチャンになっても苦難はありますが、解決策が聖書の中にあり、また神への祈りにあることが分かっていますので、もう大丈夫です。
 あの日、洗礼を受けたあの日から早30年半が経ちました。あなたも聖書を読んでみませんか? 一人で読んでもわからない書物です。ご一緒にいかがですか? 神の みことばに聞こうではありませんか。
教会員Bさんの証し

 「教会学校に生かされる日々」(教会学校は乳幼児・小中高生と保護者の礼拝)

 私が教会に足を踏み入れたのは、小学校2年生の春でした。以前住んでいた都内の家が環状7号線道路予定地の上にあり、東京都からの立ち退き指示に従い現在の東久留米に引っ越してきました。
 ある日曜日の朝、隣家の友達に誘われて初めて教会学校に行きました。その日にゆで卵を貰ったことが印象深く記憶に残っています。今思えばその日はイースターだったのですね。その日から私の教会生活が始まりました。当時の日曜日の朝は、家族も皆ゆっくりと寝ているのが常でしたが、私は小学校卒業まで毎週殆ど休まずに通っていました。
 しかし、中学入学から高校卒業までは部活動に夢中になり、教会学校から遠のくことも度々ありました。そんな私でしたが、教会学校の先生はたまに行く私を喜んで迎え入れてくれました。高校卒業後から教会(神様)と自分の繋がりを模索している内に1年が経ち、しっかりとした確信を持たずにイースターに洗礼を受けました。今考えると全てが神様に捉えられていたのだと思います。
 その後、教会学校の先生としての奉仕が始まりました。私の信仰生活は、教会学校抜きには考えられません。特に子供たちへの説教準備では、聖書の解説書や教会学校説教集を読んで、自分なりの解釈を加えて説教案を作りました。自分なりに納得出来た説教案は、子供たちに自信を持って話せました。子供たちも真剣に聞いてくれていたように思います。不安が残る時は、子供たちの気もそぞろになり、集中して話を聞いてくれません。子供たちの態度が私の信仰を鍛えてくれたのかもしれません。おかげで聖書に向き合う時間が増えました。
 そうこうしている内に、教会学校教師歴40年になろうとしています。その間、多くの子供たちと出会えたことが一番の宝です。神様は様々な人を介して私たちに呼びかけています。その呼びかけを聞き逃さないように、日々の生活を送って行きたいと思います。あなたも教会学校に来てみませんか。いつでも待っています。  栄光在主