2024-12-08 2:22:41()
「人よ、あなたの罪は赦された」2024年12月8日(日)待降節(アドヴェント)第2主日礼拝
順序:招詞 ヨハネの黙示録22:20,頌栄29、主の祈り,交読詩編147、使徒信条、讃美歌21・236、聖書 ルカ福音書5:17~26(新約110ページ)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌230、献金、頌栄92、祝祷。
(ルカ福音書5:17~26) ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。
(説教) 本日は待降節(アドヴェント)第2主日の礼拝です。本日の聖書は、ルカ福音書6章17~26節。説教題は「人よ、あなたの罪は赦された」、本日の個所の小見出しは、「中風の人を癒す」です。
イエス様が宣教活動を開始されて、暫く経ったときのことです。最初の17節「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」イエス様が評判になっていたので、イエス様の所にやって来たのだと思います。「そこに座っていた」をやや批判的に受け取ると、座ったままで人をサポートするために動かないということかもしれません。「主の力が働いて、イエスは病気を癒しておられた。」神様の聖霊の力が働いて、イエス様は人々の病を癒しておられました。
18節「すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。」マルコ福音書には、四人の男と書いてあります。床とは、担架のようなものでしょうか。四人で運べば安定します。この男たちの愛はすばらしいですね。仲間の男の重い病気を何とかして癒してあげたいと、中風(今でいう脳梗塞等の病かと思われます)の男を、イエス様の所に一生懸命、おそらく人力で運んで来たのです。19節「しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。」これは本当に大胆な行動ですね。強引でさえあります。群衆が多くいたので、非常手段で、屋根に上って瓦をはがしたというのです。当時のイスラエルの家の屋根は、平だったそうですね。比較的簡単に屋根をはがすことができた可能性があります。こんなことをしたら、家の持ち主から犯罪者として告発されないかと心配になりますが、主人は寛容で、病人を救うためならばよいよと言ってくれたのだろうと思います。愛のある主人です。一人の人が癒されるためならば、自分の家の重要部分が、一旦壊されても、受け入れるのですから。
イエス様も、この四人の愛と友情に深く感動されたと思います。20節「イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」「その人たち」に中風の本人が含まれる可能性もありますが、どちらかと言うと友人たちの信仰の比重が大きいのではないかと、私は思います。主に友人たちの信仰をイエス様はご覧になったと思います。そして「人よ、あなたの罪は赦された」と宣言されました。この罪という言葉は複数形ですから、この男性の全ての罪を指すでしょう。この場面は不思議です。中風の男性は中風を癒していただくために運ばれてきました。ですから中風の男性と友人たちが期待したイエス様の御言葉は「中風を癒してあげよう」だったと思うのです。ところがイエス様のお言葉は、「人よ、あなたの罪は赦された」です。中風の男性も友人たちも「え?」と思ったと思うのです。私はこの個所から学びます。私たち人間に最も必要な神様の恵みは、罪の赦しだということをです。罪の赦しこそ、私たち全ての人間にとって最も重要な神様の恵み。私たちに罪があるから、私たち人間は神様から切り離されている。罪があるから、私たち人間は死ぬ。自己中心の罪(的外れ)こそ、癒される必要のある最大の病です。
「あなたの罪は赦された。」「あなたの全ての罪は完全に赦された。」これこそ最高最大の恵みの宣言です。私たちが洗礼を受けたとき、イエス様は私たちにもそう宣言して下さったはずです。私たちの肉体の耳にその声が聞こえなかったかもしれませんが、自分の罪を悔い改めて洗礼を受けたことは、私たちの全ての罪が完全に赦されて、神の子にされたことです。この中風の男性は、洗礼を受けたのと同じ、最も大きな恵みの宣言を受けたのです。この段階でイエス様は十字架に架かっておられませんが、でもイエス様は後に、この中風の男性のためにも、十字架に架かられるのです。罪が赦されるとは、切れていた神様との関係が回復し、神様とつながったことです。
それにしても、この友人たちの愛と友情はすばらしいです。私が友のために、これらだけ尽くしたことがあるだろうかと反省させられます。中風の男性本人の信仰によって、本人の罪が赦されたのではありません。友人たちの信仰によって、中風の男性の罪が全て赦されたのです。そのようなこともあるのかと、改めて驚きます。友人たちは、この男性の中風が癒されるように祈って、イエス様の所に運んだのではないかと思います。私たちが隣人のことを思ってできる第一のことは、とりなしの祈りではないかと思います。とりなしの祈りによって、私たちが祈る相手の方にイエス様をご紹介を、相手の方をイエス様の元にお連れします。祈りについての名著とされる『祈りの精神』という本には、「とりなしの祈りの効果は絶大である』と書かれていて、読むたびに励まされます。「とりなしの祈りの効果は絶大なんだ。もっととりなしの祈りをしよう」という気持ちになります。
イエス様は、その人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と宣言されました。21節「ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。『神を冒瀆するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったい誰が、罪を赦すことができるだろうか。』」確かに、罪を赦す権威は神様が持っておられると旧約聖書に明記されています。出エジプト記34章6節。神様ご自身が宣言されます。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」詩編130編「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐え得ましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり。人はあなたを畏れ敬うのです。」 「神様だけが罪を真に赦す権威を持っておられる。」律法学者たちファリサイ派の人々のこの考えそのものは正しいですね。そしてイエス様の正体は神の子、神様ご自身ですから、イエス様は確かに罪を真に赦す権威をお持ちの方です。律法学者たちファリサイ派の人々は、イエス様を神の子と信じていません。神様にしかできない罪の赦しを宣言する、とんでもない男、神様を冒瀆する男と、非難の眼で見ています。しかしイエス様は神の子なので、イエス様は罪の赦しを宣言なさる権威を確かに持っておられます。
イエス様は彼らが心の中でぶつぶつ言っているのを見抜かれます。22~24節「イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。』」この問いを言い換えると、「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが難しいか、になります。「起きて歩け」と言うことも、私たちには十分以上に難しいことです。しかし「罪の赦し」こを最も根源的で重要なことですから、「あなたの罪は赦された」と言うことが、最も難しいでのはないでしょうか。それはイエス様が、この中風の男性の罪を赦すためにも、身代わりに十字架で死なれる覚悟なしには、言えない言葉だからです。
イエス様はさらに言われます。24節「『人の子(イエス様ご自身)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。』25節「その人はすぐさま、皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」当時のイスラエルでは、その人が何か罪を犯した結果、病気になると考えられていたそうです。これを因果応報と呼びます。この考え方は間違っています。ですが、当時のイスラエルでは、人々がこのように考えていました。イエス様は、中風の人の中風の病を、癒して下さいました。それを見た人々は、「この人の中風が癒されたのは、彼の罪が赦された証拠だ。彼の罪が赦された結果、彼の中風も癒されたのに違いない。本当にイエス様は、罪を赦す権威を持つ偉大な方だ」と思ったはずです。
25~26節「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、『今日、驚くべきことを見た』と言った。」中風で動けなかった人が、皆の前で立ち上がり、神を賛美しながら自分の足で歩いて家に帰って行ったのを見て、人々は大変驚いて神を賛美し始めた。」この驚きは当然ですね。私たちがその場にいても、びっくり仰天して、神様を讃美したに違いありません。ルカによる福音書は、「神を賛美する」ことが、多く出て来る福音書です。クリスマスの場面がそうです。羊飼いたちが神をあがめ、賛美しながら帰って行ったと書かれています。
今日という言葉がよく出て来るのも、ルカによる福音書の特徴です。クリスマスの場面に、「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」「神を賛美する」と「今日」が強調されている福音書と言えます。私たちも今日、神様を讃美するのです。
この中風の人の癒しを考えてみると、やはり人間の心(魂)と体はつながっていますから、この人の罪が赦されて彼に聖霊が注がれたかもしれません、その聖霊の愛の力によって肉体の病も癒されたとも考えられます。この中風の男性が何か大きな罪を犯したことが直接の原因で、彼が中風になったわけではないと思います。決してそうではない。ですが、広い意味においては、私たち人間が神様に罪を犯して、神様から離れた結果、死ぬ者となったことは事実です。そして病気は死へのステップであることも事実です。この広い意味においては、私たち人間は神様に罪を犯した結果、死ぬ者となった、その前の段階として病気があり、病気が非常に進むと死に至るのは、残念ながら事実です。この広い意味においては、罪の結果として病気と死があることになります。この中風の人においてもそうです。イエス様がこの人の罪を赦して下さった結果、彼は永遠の命を受け、聖霊を受け、結果として肉体も癒されたと思うのです。中風の男性は、イエス様の働きによって、古い病の状態から健康な全く新しい状態に転換した。神の救いの出来事の現実化。神との交わりが回復し、癒された。
私たちが洗礼を受けたとき、私たちもこの中風の方と同じ体験をしたと言えます。十字架で死なれ復活されたイエス様と一体化する洗礼を受けたのです。そのとき、イエス様が私たちにも宣言されたに等しいのです。「あなたの罪は全て赦された。」そして私たちはイエス様の復活の命、永遠の命を受けて、新しく立ち上がったのです。この中風の男性は、「すぐさま皆の前で立ち上がり」とあります。復活とは死から立ち上がることです。この中風の男性もイエス様の復活の命に生き始めたことが、この「立ち上がり」の言葉から分かります。私たちの体の病は、実は神様が日々癒して下さっています。薬で癒されることもありますが、少しの病気は自然治癒力で日々癒されています。自然治癒力も、神様が与えて下さっている治癒力ですから、自然の恵みではなく、神様の恵みです。私たちはお互いの病の癒しのために、互いに祈り合います。クリスチャンは、地上の人生が終わっても、イエス様と同じ復活の体を受けます。地上での肉体の癒しもありますが、イエス様と同じ復活の体をいただく時に、私たちの癒しは完成し、私たちの救いも完成し、私たちはその時、神様を讃美します。私たちは本日の箇所から、最も重要な事実を学びます。人間を真に救うことができる方は、イエス・キリストお一人だという事実です。私たちの罪という最大の病を癒し、肉体を健全にし、地上で癒されなかった場合でも復活の体を必ず与えて下さる方は,イエス・キリストだけです。私たちは全ての方が聖書を通してイエス様に出会うようにご紹介し、全ての人がイエス様を信じて真の救いを得るように、とりなしの祈りに励みます。
最後に、関連個所として、ヤコブの手紙5章13節以下を読みます。「あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は。讃美の歌を歌いなさい。あなた方の中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーヴ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦して下さいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦して下さいます。」本日のルカによる福音書の個所と、よく重なり合います。「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。」罪を互いに告白することは苦手ですが、せめて神様には告白して、自分の罪を悔い改めたいと思います。そして互いのために、ますます祈り合う東久留米教会を皆様とご一緒に、イエス様に助けていただいて、造らせていただきたいものです。アーメン。 真珠湾の日。祈りについてのカルヴァンの教え。
(ルカ福音書5:17~26) ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。
(説教) 本日は待降節(アドヴェント)第2主日の礼拝です。本日の聖書は、ルカ福音書6章17~26節。説教題は「人よ、あなたの罪は赦された」、本日の個所の小見出しは、「中風の人を癒す」です。
イエス様が宣教活動を開始されて、暫く経ったときのことです。最初の17節「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」イエス様が評判になっていたので、イエス様の所にやって来たのだと思います。「そこに座っていた」をやや批判的に受け取ると、座ったままで人をサポートするために動かないということかもしれません。「主の力が働いて、イエスは病気を癒しておられた。」神様の聖霊の力が働いて、イエス様は人々の病を癒しておられました。
18節「すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。」マルコ福音書には、四人の男と書いてあります。床とは、担架のようなものでしょうか。四人で運べば安定します。この男たちの愛はすばらしいですね。仲間の男の重い病気を何とかして癒してあげたいと、中風(今でいう脳梗塞等の病かと思われます)の男を、イエス様の所に一生懸命、おそらく人力で運んで来たのです。19節「しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。」これは本当に大胆な行動ですね。強引でさえあります。群衆が多くいたので、非常手段で、屋根に上って瓦をはがしたというのです。当時のイスラエルの家の屋根は、平だったそうですね。比較的簡単に屋根をはがすことができた可能性があります。こんなことをしたら、家の持ち主から犯罪者として告発されないかと心配になりますが、主人は寛容で、病人を救うためならばよいよと言ってくれたのだろうと思います。愛のある主人です。一人の人が癒されるためならば、自分の家の重要部分が、一旦壊されても、受け入れるのですから。
イエス様も、この四人の愛と友情に深く感動されたと思います。20節「イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」「その人たち」に中風の本人が含まれる可能性もありますが、どちらかと言うと友人たちの信仰の比重が大きいのではないかと、私は思います。主に友人たちの信仰をイエス様はご覧になったと思います。そして「人よ、あなたの罪は赦された」と宣言されました。この罪という言葉は複数形ですから、この男性の全ての罪を指すでしょう。この場面は不思議です。中風の男性は中風を癒していただくために運ばれてきました。ですから中風の男性と友人たちが期待したイエス様の御言葉は「中風を癒してあげよう」だったと思うのです。ところがイエス様のお言葉は、「人よ、あなたの罪は赦された」です。中風の男性も友人たちも「え?」と思ったと思うのです。私はこの個所から学びます。私たち人間に最も必要な神様の恵みは、罪の赦しだということをです。罪の赦しこそ、私たち全ての人間にとって最も重要な神様の恵み。私たちに罪があるから、私たち人間は神様から切り離されている。罪があるから、私たち人間は死ぬ。自己中心の罪(的外れ)こそ、癒される必要のある最大の病です。
「あなたの罪は赦された。」「あなたの全ての罪は完全に赦された。」これこそ最高最大の恵みの宣言です。私たちが洗礼を受けたとき、イエス様は私たちにもそう宣言して下さったはずです。私たちの肉体の耳にその声が聞こえなかったかもしれませんが、自分の罪を悔い改めて洗礼を受けたことは、私たちの全ての罪が完全に赦されて、神の子にされたことです。この中風の男性は、洗礼を受けたのと同じ、最も大きな恵みの宣言を受けたのです。この段階でイエス様は十字架に架かっておられませんが、でもイエス様は後に、この中風の男性のためにも、十字架に架かられるのです。罪が赦されるとは、切れていた神様との関係が回復し、神様とつながったことです。
それにしても、この友人たちの愛と友情はすばらしいです。私が友のために、これらだけ尽くしたことがあるだろうかと反省させられます。中風の男性本人の信仰によって、本人の罪が赦されたのではありません。友人たちの信仰によって、中風の男性の罪が全て赦されたのです。そのようなこともあるのかと、改めて驚きます。友人たちは、この男性の中風が癒されるように祈って、イエス様の所に運んだのではないかと思います。私たちが隣人のことを思ってできる第一のことは、とりなしの祈りではないかと思います。とりなしの祈りによって、私たちが祈る相手の方にイエス様をご紹介を、相手の方をイエス様の元にお連れします。祈りについての名著とされる『祈りの精神』という本には、「とりなしの祈りの効果は絶大である』と書かれていて、読むたびに励まされます。「とりなしの祈りの効果は絶大なんだ。もっととりなしの祈りをしよう」という気持ちになります。
イエス様は、その人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と宣言されました。21節「ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。『神を冒瀆するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったい誰が、罪を赦すことができるだろうか。』」確かに、罪を赦す権威は神様が持っておられると旧約聖書に明記されています。出エジプト記34章6節。神様ご自身が宣言されます。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」詩編130編「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐え得ましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり。人はあなたを畏れ敬うのです。」 「神様だけが罪を真に赦す権威を持っておられる。」律法学者たちファリサイ派の人々のこの考えそのものは正しいですね。そしてイエス様の正体は神の子、神様ご自身ですから、イエス様は確かに罪を真に赦す権威をお持ちの方です。律法学者たちファリサイ派の人々は、イエス様を神の子と信じていません。神様にしかできない罪の赦しを宣言する、とんでもない男、神様を冒瀆する男と、非難の眼で見ています。しかしイエス様は神の子なので、イエス様は罪の赦しを宣言なさる権威を確かに持っておられます。
イエス様は彼らが心の中でぶつぶつ言っているのを見抜かれます。22~24節「イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。』」この問いを言い換えると、「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが難しいか、になります。「起きて歩け」と言うことも、私たちには十分以上に難しいことです。しかし「罪の赦し」こを最も根源的で重要なことですから、「あなたの罪は赦された」と言うことが、最も難しいでのはないでしょうか。それはイエス様が、この中風の男性の罪を赦すためにも、身代わりに十字架で死なれる覚悟なしには、言えない言葉だからです。
イエス様はさらに言われます。24節「『人の子(イエス様ご自身)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。』25節「その人はすぐさま、皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」当時のイスラエルでは、その人が何か罪を犯した結果、病気になると考えられていたそうです。これを因果応報と呼びます。この考え方は間違っています。ですが、当時のイスラエルでは、人々がこのように考えていました。イエス様は、中風の人の中風の病を、癒して下さいました。それを見た人々は、「この人の中風が癒されたのは、彼の罪が赦された証拠だ。彼の罪が赦された結果、彼の中風も癒されたのに違いない。本当にイエス様は、罪を赦す権威を持つ偉大な方だ」と思ったはずです。
25~26節「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、『今日、驚くべきことを見た』と言った。」中風で動けなかった人が、皆の前で立ち上がり、神を賛美しながら自分の足で歩いて家に帰って行ったのを見て、人々は大変驚いて神を賛美し始めた。」この驚きは当然ですね。私たちがその場にいても、びっくり仰天して、神様を讃美したに違いありません。ルカによる福音書は、「神を賛美する」ことが、多く出て来る福音書です。クリスマスの場面がそうです。羊飼いたちが神をあがめ、賛美しながら帰って行ったと書かれています。
今日という言葉がよく出て来るのも、ルカによる福音書の特徴です。クリスマスの場面に、「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。」「神を賛美する」と「今日」が強調されている福音書と言えます。私たちも今日、神様を讃美するのです。
この中風の人の癒しを考えてみると、やはり人間の心(魂)と体はつながっていますから、この人の罪が赦されて彼に聖霊が注がれたかもしれません、その聖霊の愛の力によって肉体の病も癒されたとも考えられます。この中風の男性が何か大きな罪を犯したことが直接の原因で、彼が中風になったわけではないと思います。決してそうではない。ですが、広い意味においては、私たち人間が神様に罪を犯して、神様から離れた結果、死ぬ者となったことは事実です。そして病気は死へのステップであることも事実です。この広い意味においては、私たち人間は神様に罪を犯した結果、死ぬ者となった、その前の段階として病気があり、病気が非常に進むと死に至るのは、残念ながら事実です。この広い意味においては、罪の結果として病気と死があることになります。この中風の人においてもそうです。イエス様がこの人の罪を赦して下さった結果、彼は永遠の命を受け、聖霊を受け、結果として肉体も癒されたと思うのです。中風の男性は、イエス様の働きによって、古い病の状態から健康な全く新しい状態に転換した。神の救いの出来事の現実化。神との交わりが回復し、癒された。
私たちが洗礼を受けたとき、私たちもこの中風の方と同じ体験をしたと言えます。十字架で死なれ復活されたイエス様と一体化する洗礼を受けたのです。そのとき、イエス様が私たちにも宣言されたに等しいのです。「あなたの罪は全て赦された。」そして私たちはイエス様の復活の命、永遠の命を受けて、新しく立ち上がったのです。この中風の男性は、「すぐさま皆の前で立ち上がり」とあります。復活とは死から立ち上がることです。この中風の男性もイエス様の復活の命に生き始めたことが、この「立ち上がり」の言葉から分かります。私たちの体の病は、実は神様が日々癒して下さっています。薬で癒されることもありますが、少しの病気は自然治癒力で日々癒されています。自然治癒力も、神様が与えて下さっている治癒力ですから、自然の恵みではなく、神様の恵みです。私たちはお互いの病の癒しのために、互いに祈り合います。クリスチャンは、地上の人生が終わっても、イエス様と同じ復活の体を受けます。地上での肉体の癒しもありますが、イエス様と同じ復活の体をいただく時に、私たちの癒しは完成し、私たちの救いも完成し、私たちはその時、神様を讃美します。私たちは本日の箇所から、最も重要な事実を学びます。人間を真に救うことができる方は、イエス・キリストお一人だという事実です。私たちの罪という最大の病を癒し、肉体を健全にし、地上で癒されなかった場合でも復活の体を必ず与えて下さる方は,イエス・キリストだけです。私たちは全ての方が聖書を通してイエス様に出会うようにご紹介し、全ての人がイエス様を信じて真の救いを得るように、とりなしの祈りに励みます。
最後に、関連個所として、ヤコブの手紙5章13節以下を読みます。「あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は。讃美の歌を歌いなさい。あなた方の中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーヴ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦して下さいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。」「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせて下さいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦して下さいます。」本日のルカによる福音書の個所と、よく重なり合います。「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。」罪を互いに告白することは苦手ですが、せめて神様には告白して、自分の罪を悔い改めたいと思います。そして互いのために、ますます祈り合う東久留米教会を皆様とご一緒に、イエス様に助けていただいて、造らせていただきたいものです。アーメン。 真珠湾の日。祈りについてのカルヴァンの教え。
2024-12-01 2:41:49()
「キリストに仕えるように、喜んで仕える」2024年12月1日(日)待降節(アドヴェント)第1主日礼拝
順序:招詞 ヨハネの黙示録22:20,頌栄85(2回)、主の祈り,交読詩編146、使徒信条、讃美歌21・231、聖書 申命記5:6~21(旧約289ページ)、エフェソの信徒への手紙6:1~9(新約359ページ)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌573、聖餐式 讃美歌21―78、献金、頌栄351(2節)、祝祷。
(申命記5:6~21) 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。なたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。」
(エフェソ書6:1~9)子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。
(説教) 本日は待降節(アドヴェント)第1主日の礼拝です。教会のカレンダーでは、本日から新しい年が始まるのですね。本日の聖書は、エフェソの信徒への手紙6章1~9節、できるだけ月一回、エフェソの信徒への手紙を読む礼拝を献げたいと思っています。説教題は「キリストに仕えるように、喜んで仕える」、本日の個所の小見出しは、「子と親」、「奴隷と主人」です。ここには、イエス・キリストの十字架と復活によって、全ての罪を赦され、永遠の命を与えられて救われた者として、私たちがどのように生きる必要があるかが、書かれています。
最初の小見出しは「子と親」です。最初に、子どもへの勧めの言葉が語られます。子どもといっても、少年少女から、既に大人になった子どもまでを含むでしょう。第1~3節「子どもたち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。」これはモーセの十戒の第五の戒めです。第五の戒めなのに「最初の」掟と書いてあります。他の牧師の説教では、こう説明されていました。モーセの十戒は、二枚の石の板に刻まれていた。第一の板には、第一の戒めから第四の戒めが刻まれていたとされます。この四つの戒めは、私たちが神様を愛するには、どうすればよいかが記されています。第二の板には、第五の戒めから第十の戒めまでの六つの戒めが刻まれていたと思われます。第二の板には、私たちが隣人を愛するには、どうすればよいかが記されています。「あなたの父母を敬いなさい」は第五の戒めです。これは第二の板の最初に刻まれていたと思われます。それで本日のエフェソ6章2節に「最初の掟」と書かれていると思われます。
パウロは書きます。主イエス・キリストの体である教会のメンバーとされている者として、両親に従いなさい。それは正しいこと、神様に喜ばれることだと。それはモーセの十戒に、「父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です」と書いてある通りですよと、パウロが教えてくれます。十戒は、旧約聖書の民にとっても、新約聖書の民にとっても重要で、行うことが必要な神様の戒めです。モーセの十戒を100%守って自力で天国に入ることは不可能ですが、イエス様の十字架と復活の恵みによって救われた一人一人が、神様への感謝の応答として、聖霊に助けられて十戒を行うように心がけます。十戒を行うことが、神様を愛し、隣人を愛する具体的な生き方になります。
「父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる、という約束です。」モーセの十戒は、旧約聖書の出エジプト記20章と申命記5章に記されています。本日は申命記5章を拝読致しました。16節にこう書かれています。「あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」神様が、父母を用いて私たちに命を与えて下さったので、私たちが父母を敬うことが求められています。そして特にイスラエルや、クリスチャンの家庭では、私たちが父母から、真の神様のことを学びます。ですから、父母を敬うことが、神様から求められています。それを行えば、長寿を得るというのです。
どなたかが書いた解説に書いてありましたが、この戒めを守ると、「長く生き、幸いを得る」との祝福がついている。それはこの戒めを守ることが、容易とは言えないからだ。父母は、非常に身近な存在なので、子どもからすると欠点が目についてしまう。その結果、父母に反発したり、反抗することも起こる。それでも父母を敬うことは、子どもにとって容易でないことがある。神様はその困難さを知っておられるので、この祝福の約束をつけて下さった。という解説を読んだ記憶があります。当たっている可能性があると思います。「あなたの父母を敬え、あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」私は22才で洗礼を受ける前は、あまり父母を敬っていなかった気がしますが、洗礼を受けてからは、父母を敬うことが神様の御心であることを知り、それからは父母を敬うように、心がけてきたつもりです。「つもり」ですから、父母から見れば不十分と思いますが、実の父と義理の母に、できるだけのことをしないといけないと思っています。
16世紀のスイスで宗教改革を行ったジャン・カルヴァンというプロテスタント教会のリーダーがいます。カルヴァンが書いた『ジュネーブ教会信仰問答』に、この戒めについて、こう書いています。「子どもらは、父母に対して謙遜かつ従順であり、父母を尊び敬い、父母を助け、その命令にはそれにふさわしいように従わなければなりません。神はこの戒めに一つの約束を付け加えて、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである、と言われる野であります。」 問「この人生がかうも悲惨に満ちているのに、どうして神は、恵みとして、人に長く生きることを約束されるのですか。」 答「この世の生活は、どんなに悲惨であっても、信ずる者には神の祝福であります。神は彼をこの生活の中で養い支えて、父としての愛を証しなさるからにほかなりません。」 問「では反対に、若くして死ぬ人は、神に呪われたということになりますか。」 答「いいえ、主が最も愛される人々を、一番早くこの世から召し出されることさえも、時には起こるでありましょう。」カルヴァン自身も、自分の子どもが、小さいうちに天に召される悲しみを体験したようです。
エフェソに戻り4節。ここまでは子どもたちへの勧告でしたが、4節は父親への勧告です。親全員への勧告と読めば、母親を含むと読むことは可能と思います。「父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように育てなさい。」父親の言動に矛盾があると、子どもの方が怒る可能性があります。「お父さん、しっかりしてよ」と言うでしょう。そうならないように気をつけよ、という戒めです。「主がしつけ諭されるように育てなさい。」神様がしつけ諭される仕方に倣って、教育しなさいということでしょう。口語訳聖書では、「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」となっています。しつけを薫陶と訳していますが、文語訳聖書も薫陶と訳しています。「ただ主の薫陶と訓戒とをもて育てよ。」薫陶という言葉は、やや古いですが、非常に味わいがあり、深みのある言葉です。薫はかおるとも読みます。薫育という言葉もあります。
薫陶とは何か、調べてみました。「かつて香を焚くことや人に感化を与えることを薫と言い、陶器などの器を作ることや人を教育することを陶と言った。それで、香を焚いて香りを染み込ませた土をよくこねて器を作ること、時間をかけて人の精神と人格を成長させることを、薫陶と呼ぶようになった。」「主の薫陶と訓戒によって、彼ら(子どもたち)を育てなさい。」相手に薫陶を与えるためには、自分が人格的に成熟していないとできません。人間の父親にそれを求めるのは、かなりレベルの高い話ですが、それが父親にはできないといけないのです。私にそれができたのかと言うと、十分できたとは言いきれません。しかしまだ遅くないかもしれないので、さらに祈って努力することはが必要だと思います。
ひと昔前の教会では、「私は〇〇牧師の薫陶を受けた」という言い方があったと思います。東久留米教会に長くおられる方々は、浅野牧師と眞壽美夫人の薫陶をお受けて、信仰に生きる姿勢を鍛えられただと思います。薫陶という言葉には、教えを受けた相手の品格を尊敬する思いが込められています。「〇〇先生の薫陶を受けた」という言い方には、その先生が愛と厳しさをもって自分を鍛錬し、成長させて下さったという感謝と尊敬の気持ちが込められていて、現代において復活させたい、すばらしい言葉であると感じます。「父たる者よ、主の薫陶と訓戒によって、彼ら(子どもたち)を育てなさい。」子に対して、孫に対して、教会に来る若者にそれができるクリスチャンになるようにと、父親はもちろん、すべてのクリスチャンが求められていると思います。
次の小見出しは「奴隷と主人」です。5~7節「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」この手紙が書かれたのは紀元50~60年頃と思います。エフェソは、今のトルコの位置ですね、当時のエフェソには、奴隷がおり、奴隷でクリスチャンになった人々がいたのですね。パウロは奴隷制度をなくすために社会変革しなさいとは言っていません。それはキリストの再臨が近いと考えていたからだと思います。もうすぐイエス様が天からもう一度おいでになって、神の国を完成へと導いて下さる。だから伝道に専念すべきで、奴隷制度をなくす社会変革を行う必要はないと考えていたと思います。ですが再臨まで長い時間があるのであれば、奴隷制度をなくす変革は必要です。19世紀のアメリカの南北戦争は北部が勝ったことでリンカーン大統領による奴隷解放宣言に至りました。南部はそれまで奴隷制度を維持していました。南部にも教会はたくさんありましたが、自分たちから奴隷制度を廃止することはありませんでした。旧約聖書の時代のイスラエルにも奴隷がいたようです。新約聖書の時代のエフェソにも奴隷がいました。当時南部の教会は、「聖書に奴隷が出て来るので、奴隷制度は神様の御心に反しない」と考えていたと、ある本に書いてありました。これは今から見ると、大いに間違った聖書の解釈です。私たちも聖書を読むときに、聖霊に導かれ、よく祈り、よく考えて、正しい解釈で読まないと、過ちを犯すという教訓です。
それはともかく、パウロはエフェソの奴隷でクリスチャンになった人々に、主人に対して、キリストに従うように、真心を込めて、喜んで仕えなさいと、勧めます。今の時代であれば、勤め先で真心を込めて、喜んで上司に仕えなさい、というメッセージになりますね。上司が優しいと限らないので、これは簡単ではないと思います。会社勤めをしたことのない私が、偉そうなことを言えません。洗礼を受けた頃に、大きなスーパーでアルバイトをしたことがあります。朝8時から開店の10時まで2時間。山のように大量のパンを並べる。行き着く暇もない。終わらない。怒られる。涙を流す婦人もいた。エフェソ書やコロナ書を読んで耐えた。無慈悲な主人にも仕えなさいとの聖句もあるので。厳しいマネージャー転勤になった。神様の憐れみか。
「キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主(イエス様)に仕えるように、喜んで仕えなさい。」奴隷という言葉は、通常は僕(しもべ)と訳されます。もちろん奴隷と訳すこともできます。私たちクリスチャンは「キリストの奴隷」、「キリストの僕」です。主人はイエス様です。洗礼を受けてクリスチャンになる前、私は罪の奴隷でした。罪の奴隷、悪魔の奴隷、死の奴隷でした。罪、悪魔、死が私たちの主人だったのです。しかし自分の罪を悔い改めて、イエス様を救い主と信じて洗礼を受けたときから、イエス様の復活の勝利をいただきました。今や私たちの主人は、愛の方イエス様です。ですから私たちは、イエス様の僕・奴隷です。イエス様が主人であられるのは、最も嬉しいことです。そのイエス様は、へりくだって弟子たちの汚い足を洗って下さった方です。ですから私たちもイエス様に倣い、喜んで人々の足を洗わせていただく。これはキリスト者の自由です。マルティン・ルターが『キリスト者の自由』に書いていることです。「キリスト者は、全ての者の上に立つ君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は全ての人に奉仕する僕(奴隷)であって、何人にも従属する。」
8~9節「奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、誰でも主から報いを受けるのです。主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなた方も知っているとおり、彼らにもあなた方にも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。」 この世の身分はこの世だけのもの。主人も奴隷も、お互いに尊敬が必要。神は人を分け隔てなさらない! 日々の生き方が問われる。 思い上がらないように気をつける必要がある。 領民の棺を担いだ高山右近。
(申命記5:6~21) 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。なたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。」
(エフェソ書6:1~9)子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。
(説教) 本日は待降節(アドヴェント)第1主日の礼拝です。教会のカレンダーでは、本日から新しい年が始まるのですね。本日の聖書は、エフェソの信徒への手紙6章1~9節、できるだけ月一回、エフェソの信徒への手紙を読む礼拝を献げたいと思っています。説教題は「キリストに仕えるように、喜んで仕える」、本日の個所の小見出しは、「子と親」、「奴隷と主人」です。ここには、イエス・キリストの十字架と復活によって、全ての罪を赦され、永遠の命を与えられて救われた者として、私たちがどのように生きる必要があるかが、書かれています。
最初の小見出しは「子と親」です。最初に、子どもへの勧めの言葉が語られます。子どもといっても、少年少女から、既に大人になった子どもまでを含むでしょう。第1~3節「子どもたち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。」これはモーセの十戒の第五の戒めです。第五の戒めなのに「最初の」掟と書いてあります。他の牧師の説教では、こう説明されていました。モーセの十戒は、二枚の石の板に刻まれていた。第一の板には、第一の戒めから第四の戒めが刻まれていたとされます。この四つの戒めは、私たちが神様を愛するには、どうすればよいかが記されています。第二の板には、第五の戒めから第十の戒めまでの六つの戒めが刻まれていたと思われます。第二の板には、私たちが隣人を愛するには、どうすればよいかが記されています。「あなたの父母を敬いなさい」は第五の戒めです。これは第二の板の最初に刻まれていたと思われます。それで本日のエフェソ6章2節に「最初の掟」と書かれていると思われます。
パウロは書きます。主イエス・キリストの体である教会のメンバーとされている者として、両親に従いなさい。それは正しいこと、神様に喜ばれることだと。それはモーセの十戒に、「父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です」と書いてある通りですよと、パウロが教えてくれます。十戒は、旧約聖書の民にとっても、新約聖書の民にとっても重要で、行うことが必要な神様の戒めです。モーセの十戒を100%守って自力で天国に入ることは不可能ですが、イエス様の十字架と復活の恵みによって救われた一人一人が、神様への感謝の応答として、聖霊に助けられて十戒を行うように心がけます。十戒を行うことが、神様を愛し、隣人を愛する具体的な生き方になります。
「父と母を敬いなさい。これは約束を伴う最初の掟です。そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる、という約束です。」モーセの十戒は、旧約聖書の出エジプト記20章と申命記5章に記されています。本日は申命記5章を拝読致しました。16節にこう書かれています。「あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」神様が、父母を用いて私たちに命を与えて下さったので、私たちが父母を敬うことが求められています。そして特にイスラエルや、クリスチャンの家庭では、私たちが父母から、真の神様のことを学びます。ですから、父母を敬うことが、神様から求められています。それを行えば、長寿を得るというのです。
どなたかが書いた解説に書いてありましたが、この戒めを守ると、「長く生き、幸いを得る」との祝福がついている。それはこの戒めを守ることが、容易とは言えないからだ。父母は、非常に身近な存在なので、子どもからすると欠点が目についてしまう。その結果、父母に反発したり、反抗することも起こる。それでも父母を敬うことは、子どもにとって容易でないことがある。神様はその困難さを知っておられるので、この祝福の約束をつけて下さった。という解説を読んだ記憶があります。当たっている可能性があると思います。「あなたの父母を敬え、あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。」私は22才で洗礼を受ける前は、あまり父母を敬っていなかった気がしますが、洗礼を受けてからは、父母を敬うことが神様の御心であることを知り、それからは父母を敬うように、心がけてきたつもりです。「つもり」ですから、父母から見れば不十分と思いますが、実の父と義理の母に、できるだけのことをしないといけないと思っています。
16世紀のスイスで宗教改革を行ったジャン・カルヴァンというプロテスタント教会のリーダーがいます。カルヴァンが書いた『ジュネーブ教会信仰問答』に、この戒めについて、こう書いています。「子どもらは、父母に対して謙遜かつ従順であり、父母を尊び敬い、父母を助け、その命令にはそれにふさわしいように従わなければなりません。神はこの戒めに一つの約束を付け加えて、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである、と言われる野であります。」 問「この人生がかうも悲惨に満ちているのに、どうして神は、恵みとして、人に長く生きることを約束されるのですか。」 答「この世の生活は、どんなに悲惨であっても、信ずる者には神の祝福であります。神は彼をこの生活の中で養い支えて、父としての愛を証しなさるからにほかなりません。」 問「では反対に、若くして死ぬ人は、神に呪われたということになりますか。」 答「いいえ、主が最も愛される人々を、一番早くこの世から召し出されることさえも、時には起こるでありましょう。」カルヴァン自身も、自分の子どもが、小さいうちに天に召される悲しみを体験したようです。
エフェソに戻り4節。ここまでは子どもたちへの勧告でしたが、4節は父親への勧告です。親全員への勧告と読めば、母親を含むと読むことは可能と思います。「父親たち、子どもを怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように育てなさい。」父親の言動に矛盾があると、子どもの方が怒る可能性があります。「お父さん、しっかりしてよ」と言うでしょう。そうならないように気をつけよ、という戒めです。「主がしつけ諭されるように育てなさい。」神様がしつけ諭される仕方に倣って、教育しなさいということでしょう。口語訳聖書では、「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい」となっています。しつけを薫陶と訳していますが、文語訳聖書も薫陶と訳しています。「ただ主の薫陶と訓戒とをもて育てよ。」薫陶という言葉は、やや古いですが、非常に味わいがあり、深みのある言葉です。薫はかおるとも読みます。薫育という言葉もあります。
薫陶とは何か、調べてみました。「かつて香を焚くことや人に感化を与えることを薫と言い、陶器などの器を作ることや人を教育することを陶と言った。それで、香を焚いて香りを染み込ませた土をよくこねて器を作ること、時間をかけて人の精神と人格を成長させることを、薫陶と呼ぶようになった。」「主の薫陶と訓戒によって、彼ら(子どもたち)を育てなさい。」相手に薫陶を与えるためには、自分が人格的に成熟していないとできません。人間の父親にそれを求めるのは、かなりレベルの高い話ですが、それが父親にはできないといけないのです。私にそれができたのかと言うと、十分できたとは言いきれません。しかしまだ遅くないかもしれないので、さらに祈って努力することはが必要だと思います。
ひと昔前の教会では、「私は〇〇牧師の薫陶を受けた」という言い方があったと思います。東久留米教会に長くおられる方々は、浅野牧師と眞壽美夫人の薫陶をお受けて、信仰に生きる姿勢を鍛えられただと思います。薫陶という言葉には、教えを受けた相手の品格を尊敬する思いが込められています。「〇〇先生の薫陶を受けた」という言い方には、その先生が愛と厳しさをもって自分を鍛錬し、成長させて下さったという感謝と尊敬の気持ちが込められていて、現代において復活させたい、すばらしい言葉であると感じます。「父たる者よ、主の薫陶と訓戒によって、彼ら(子どもたち)を育てなさい。」子に対して、孫に対して、教会に来る若者にそれができるクリスチャンになるようにと、父親はもちろん、すべてのクリスチャンが求められていると思います。
次の小見出しは「奴隷と主人」です。5~7節「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」この手紙が書かれたのは紀元50~60年頃と思います。エフェソは、今のトルコの位置ですね、当時のエフェソには、奴隷がおり、奴隷でクリスチャンになった人々がいたのですね。パウロは奴隷制度をなくすために社会変革しなさいとは言っていません。それはキリストの再臨が近いと考えていたからだと思います。もうすぐイエス様が天からもう一度おいでになって、神の国を完成へと導いて下さる。だから伝道に専念すべきで、奴隷制度をなくす社会変革を行う必要はないと考えていたと思います。ですが再臨まで長い時間があるのであれば、奴隷制度をなくす変革は必要です。19世紀のアメリカの南北戦争は北部が勝ったことでリンカーン大統領による奴隷解放宣言に至りました。南部はそれまで奴隷制度を維持していました。南部にも教会はたくさんありましたが、自分たちから奴隷制度を廃止することはありませんでした。旧約聖書の時代のイスラエルにも奴隷がいたようです。新約聖書の時代のエフェソにも奴隷がいました。当時南部の教会は、「聖書に奴隷が出て来るので、奴隷制度は神様の御心に反しない」と考えていたと、ある本に書いてありました。これは今から見ると、大いに間違った聖書の解釈です。私たちも聖書を読むときに、聖霊に導かれ、よく祈り、よく考えて、正しい解釈で読まないと、過ちを犯すという教訓です。
それはともかく、パウロはエフェソの奴隷でクリスチャンになった人々に、主人に対して、キリストに従うように、真心を込めて、喜んで仕えなさいと、勧めます。今の時代であれば、勤め先で真心を込めて、喜んで上司に仕えなさい、というメッセージになりますね。上司が優しいと限らないので、これは簡単ではないと思います。会社勤めをしたことのない私が、偉そうなことを言えません。洗礼を受けた頃に、大きなスーパーでアルバイトをしたことがあります。朝8時から開店の10時まで2時間。山のように大量のパンを並べる。行き着く暇もない。終わらない。怒られる。涙を流す婦人もいた。エフェソ書やコロナ書を読んで耐えた。無慈悲な主人にも仕えなさいとの聖句もあるので。厳しいマネージャー転勤になった。神様の憐れみか。
「キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主(イエス様)に仕えるように、喜んで仕えなさい。」奴隷という言葉は、通常は僕(しもべ)と訳されます。もちろん奴隷と訳すこともできます。私たちクリスチャンは「キリストの奴隷」、「キリストの僕」です。主人はイエス様です。洗礼を受けてクリスチャンになる前、私は罪の奴隷でした。罪の奴隷、悪魔の奴隷、死の奴隷でした。罪、悪魔、死が私たちの主人だったのです。しかし自分の罪を悔い改めて、イエス様を救い主と信じて洗礼を受けたときから、イエス様の復活の勝利をいただきました。今や私たちの主人は、愛の方イエス様です。ですから私たちは、イエス様の僕・奴隷です。イエス様が主人であられるのは、最も嬉しいことです。そのイエス様は、へりくだって弟子たちの汚い足を洗って下さった方です。ですから私たちもイエス様に倣い、喜んで人々の足を洗わせていただく。これはキリスト者の自由です。マルティン・ルターが『キリスト者の自由』に書いていることです。「キリスト者は、全ての者の上に立つ君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は全ての人に奉仕する僕(奴隷)であって、何人にも従属する。」
8~9節「奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、誰でも主から報いを受けるのです。主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなた方も知っているとおり、彼らにもあなた方にも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。」 この世の身分はこの世だけのもの。主人も奴隷も、お互いに尊敬が必要。神は人を分け隔てなさらない! 日々の生き方が問われる。 思い上がらないように気をつける必要がある。 領民の棺を担いだ高山右近。
2024-11-23 20:37:02(土)
説教「重い皮膚病の人を癒すキリスト」2024年11月18日(日)「初めて聞く人に分かる聖書の話」礼拝(第75回)
順序:招詞 ガラテヤ5:22~23,頌栄16(1節)、主の祈り,交読詩編なし、使徒信条、讃美歌21・386、聖書 ルカ福音書5:12~16、祈祷、説教、祈祷、讃美歌404、献金、頌栄83(1節)、祝祷。
(ルカ福音書5:12~16)
イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
(説教) ルカによる福音書の先週の箇所では、イエス様が少なくとも3名を弟子にして、神の子としての働きを次第に活発化させられました。本日の箇所では、重い皮膚病の人を癒す愛を行われました。最初の12節「イエスがある町におられたとき、そこに、全身、重い皮膚病にかかった人がいた。
重い皮膚病は、以前は新共同訳聖書でも「らい病」と表記されていました。らい病は今ではハンセン氏病と呼ばれています。その後の研究により、イエス様に出会ったこの人の病気が、医学的に厳密にハンセン氏病だったかは分からないこと、らい病という名称が今は差別言葉となっていること等を踏まえ、重い皮膚病と訳すことに変わったようです。私が東久留米教会に着任させていただいた1996年には、当時あった礼拝部の方々の尊いお働きで、新共同訳の新約聖書で「らい病」と記載された箇所全ての上に、「重い皮膚病」と書いた小さな紙が貼って下さいました。教会備付の数十冊の聖書全部にこの紙を貼って下さったとすると、かなり大変な仕事量だったと思い、頭が下がります。その後に新共同訳聖書を買われた方の聖書には、はじめから重い皮膚病と印刷されています。但し、19世紀そして20世紀の中盤頃までの長い間、イエス様が出会ったこの人がハンセン氏病だと解釈されて来たことは事実と思います。
当時のイスラエルでは、重い皮膚病の人は汚れていると見なされ、神様に呪われていると見なされていました。もちろん、今はあそのようなことは全くありません。旧約聖書のレビ記13章1~3節に、このように書かれています。「主はモーセとアロンに仰せになった。『もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンの所か、彼の家系の祭司の一人の所に連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に、「あなたは汚れている」と言い渡す。』」祭司が判定する権限を持っていたのですね。
レビ記13章45節以下には、こうあります。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状がある限り、その人は汚れている。その人は独り宿営の外に住まねばならない。」
イエス様に出会った重い皮膚病の方も、汚れた者として社会から隔離されて、孤独に生きていたに違いないのです。旧約聖書ももちろん聖書(神の言葉)として尊重しますが、イエス・キリストが愛によって旧約聖書を完成して下さいます。ルカに戻り12節の後半と13節「この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります。』」実に謙虚な人で「御心ならば」と言っています。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われるとたちまち重い皮膚病は去った。」イエス様は片手で、その人に触れました。触れたことが大きな愛です。おそらく当時は汚れがうつる、重い皮膚病がうつると信じられれていて、誰もこの人に触れる人はいなかったと思います。触れるだけで、大きな勇気だったのです。今はハンセン病の菌は感染力が弱いと分かっていますし、よい薬もあり治るので、恐れる必要がないと学びました。しかし2000前のイエス様の時代の人々は。感染を恐れたでしょうし、日本でも太平洋戦争が終わったころまで、そうでした。しかしイエス様は恐れることなく、愛を込めて手を差し伸べて触れ、重い皮膚病を完全に癒して下さいました。神の手や腕は、神様の力のシンボルです。イエス様の手も、神の子(あるいは神)の力のシンボルとも言えます。
コロナ感染が拡大し出したころ、カトリック国のイタリアで、多くの司祭方が、コロナ重症者を見舞って、終油の秘跡を授けたそうです。臨終が近いと思われる信者の方に油(オリーブ油?)を塗って祈る式です。それで重症の患者さんに接触して、ご自分が感染して命を落とした司祭が多くおられたと聞きました。まだワクチンもなかった頃と思います。感染の危険を冒しても、司祭の務めとしてコロナ重症の信者さんにも終油の秘跡を授け、感染して天に召されたのですから、すばらしい神父魂と思います。ハンセン病の方に手を差し伸べて触れた、イエス様の愛を思いながら、終油の秘跡を授けに行かれたのかもしれません。
イエス様は、「よろしい。清くなれ」と言って下さいました。よろしいを直訳すると「私は意志する」です。イエス様の御心、愛の意志によって、この方は完全に癒されました。汚れていると見なされ、差別を受け、孤独な日々を送っていましたが、イエス様の愛によって癒され、清い状態に戻り、共同体に復帰して、孤独から解放されました。よかったですね。最近新聞を読んでいると、「孤独は毒だ」と書いてあり、確かにそのような面があると感じます。多くの方々に教会の礼拝や集会に出席していただき、少子高齢化の現実の中で、神様の民に加わっていただいて、孤独でない人生を送っていただきたいものです。
14節「イエスは厳しくお命じになった。『誰にも話してはいけない。ただ、行って祭司に見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。』」祭司に見てもらい、治って清くなったとの宣言をもらい、人々に納得してもらい、共同体に復帰しなさい、ということと思います。「誰にも話してはいけない」のはなぜでしょうか。イエス様はおそらく、この地上の王様に祭り上げられることを避けようとなさったのでしょう。地上の政治的な王様になるように、人々から祭り上げらることを避けたのだと思います。イエス様の一番大事な使命は、十字架にかかることですから、十字架に向かうことを避けさせられるような結果を招かないように、
地上の人気者、派手なヒーローにならないようにと、切望しておられたのだと思います。イエス様は、このような方なので、全面的に信頼できます。イエス様の十字架の死と復活後に弟子になったパウロという人が、新約聖書のコリントの信徒への手紙(二)10章18節で、「自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです」と書いていますが、イエス様ご自身がまさにそのような方です。自己推薦は全くなさらず、父なる神様から全幅の信頼をもって推薦される方です。
イエス様は一切自己宣伝なさらないのですが、なさった愛の業がすばらしかったので、評判が広まってゆきます。15~16節「しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。」イエス様は評判と勢いに乗って、浮わついて有名人になろうとは一切、なさいません。人のいない所に退いてひたすら祈って、悪魔の甘い誘惑を退け、ただご自分の使命の道を間違えることなく生ききることができるように、父なる神様にひたすら従うことができるように、ひたむきに祈っておられます。
イエス様が、重い皮膚病の人を癒されたことは、イエス様ご自身が重い皮膚病を身代わりに背負って下さったと、私は思います。イエス様の十字架を預言している旧約聖書のイザヤ書53章を読むと、こう書かれています。あえて新共同訳ではなく、口語訳で読んでみます。2節後半から。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を覆って、忌み嫌われる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」「顔を覆って、忌み嫌われる者のように」とあります。これが重い皮膚病の人を指す表現に思われます。先ほどのレビ記にありました。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。」重い皮膚病の人は、汚れた者として忌み嫌われ、差別されたのです。十字架につけられたイエス様も、まさに汚れて呪われた者として忌み嫌われました。イエス様は十字架で、重い皮膚病の人々の悲しい境遇を、すべて身代わりに背負ったのだと思います。そして重い皮膚病の人々を癒されたのだと思います。「忌み嫌われ」という表現が、新共同訳のイザヤ書53章にないので、重い皮膚病との関連を示すためには、口語訳の方がよいと思い、あえて口語訳で読みました。
口語訳でさらにイザヤ書53章を読むと、こうなっています。4~5節「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみを担った。しかるに、われわれは思った。彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上に置かれた。」
この方の病がハンセン病だったかは分かりませんが、キリスト教会の歴史の中でハンセン病だと解釈された時代は長いと思います。そのため、昔から教会は、ハンセン病の方々に尽くそうとしてきました。ご存じのとおり、東久留米市のお隣の東村山氏には多摩全生園があります。中にはハンセン病資料館もあり、日本におけるハンセン病の歴史を学ぶことができます。私は東久留米教会の婦人会の企画で資料館を見学したこともあり、個人で行ったこともあります。敷地内にキリスト教の礼拝堂が3つあるように思います。プロテスタント、カトリック、聖公会です。日本キリスト教団の隠退された牧師方も、プロテスタントの礼拝堂で説教奉仕されています。清瀬にある聖公会の清瀬聖母教会の大森司祭も、毎週、全生園内の聖公会の礼拝堂でご奉仕されているそうですが、全生園に住む方々も高齢化し、聖公会の礼拝に出席する方も非常に少なくなり、コロナで暫く休会の時期もあり、という現状のようです。
私と妻が洗礼を受けた茨城県の筑波学園教会の初代牧師の稲垣先生という方から伺った話を思い出します。稲垣先生のお若い頃、おそらく1940年代頃と思います。太平洋戦争中か、その前後かもしれません。岡山の教会で牧師をしておられた時、近くの瀬戸内海の島にハンセン病の方々の療養所がありました。今もあると思います。そこに教会があり、定期的に礼拝説教奉仕に通われたそうです。療養所に入ると、まず防護服のようなものを着て、感染しないようにすることが行われていました。ハンセン病の感染力は非常に弱いことが理解されていない時代ですね。今のコロナ以上に恐れられていたのでしょう。防護服を着て、患者のクリスチャンの方々と一緒に讃美歌を歌い、聖書を読んで説教なさるのですが、患者さんのとの間に距離ができて、喜びがない。ある時、思い切って防護服を脱いだそうです。「こんなものを着ていては、だめだ。」防護服を脱いで共に讃美歌を歌い、説教奉仕をすると、患者のクリスチャンの方々も喜んで、大変生き生きとした礼拝になったそうです。礼拝が終わると、握手したり、「ご体調はいかがですか」と声をかけたり、喜ばしい交流の時を過ごすことができた。稲垣先生が隠退後の80才くらいの時に、この思い出を語って下さいました。
若かった稲垣先生も、内心は正直怖かったらしいのですが、「防護服など着ていては、お互いの心も通わないし、礼拝にならない」と感じて、思い切っ脱いでよかった、というお話です。稲垣先生は、イエス様を思われたのでしょう。イエス様は重い皮膚病の人に手を差し伸べて触ったのですから、防護服を着ていてはイエス様を伝える礼拝にならない、と思われたのでしょう。患者さん側からすると、説教者が防護服を着ていると、「自分たちは教会の人々からも遠ざけられ、差別され、孤独の中で礼拝するしかないのだな」と諦めの気持ちだったのが、牧師が防護服を脱いだので、距離が縮まってよかったのだと思います。
カトリックの司祭に晴佐久神父という現役の方がおられますが、この方の説教集には、こんなことが出ていました。今から20~30年くらい前のことでしょうが、エイズ病棟に知人をお見舞いに行ったそうです。エイズ、後天性免疫不全症候群が日本でも表に出始めたのは、1990年頃だったと思います。普通の接触で感染しませんし、今はよい薬もあるようです。ただ、輸血で感染した方々もありますね。1990年頃は、エイズが非常に恐れられました。エイズ病棟を訪問する人も少なく、患者さんは非常に孤独だったようです。家族・友人も近づいてくれない。誰からも愛されない。そのエイズの方を晴佐久神父がお見舞いに行ったところ、涙を流して喜んで下さったそうです。その方がクリスチャンかどうかは分かりません。エイズが死の病と恐れられていたときに患者さんを訪問することは、やはり勇気のある行動だったのだと思います。
本日の御言葉は、イエス様の勇気ある愛を伝えています。イエス様に続いて、勇気をもって人々を愛したクリスチャンも多くおられると思います。無謀になる必要はありませんが、私たちも、少しでも勇気ある愛に生きたいのです。アーメン。
(ルカ福音書5:12~16)
イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
(説教) ルカによる福音書の先週の箇所では、イエス様が少なくとも3名を弟子にして、神の子としての働きを次第に活発化させられました。本日の箇所では、重い皮膚病の人を癒す愛を行われました。最初の12節「イエスがある町におられたとき、そこに、全身、重い皮膚病にかかった人がいた。
重い皮膚病は、以前は新共同訳聖書でも「らい病」と表記されていました。らい病は今ではハンセン氏病と呼ばれています。その後の研究により、イエス様に出会ったこの人の病気が、医学的に厳密にハンセン氏病だったかは分からないこと、らい病という名称が今は差別言葉となっていること等を踏まえ、重い皮膚病と訳すことに変わったようです。私が東久留米教会に着任させていただいた1996年には、当時あった礼拝部の方々の尊いお働きで、新共同訳の新約聖書で「らい病」と記載された箇所全ての上に、「重い皮膚病」と書いた小さな紙が貼って下さいました。教会備付の数十冊の聖書全部にこの紙を貼って下さったとすると、かなり大変な仕事量だったと思い、頭が下がります。その後に新共同訳聖書を買われた方の聖書には、はじめから重い皮膚病と印刷されています。但し、19世紀そして20世紀の中盤頃までの長い間、イエス様が出会ったこの人がハンセン氏病だと解釈されて来たことは事実と思います。
当時のイスラエルでは、重い皮膚病の人は汚れていると見なされ、神様に呪われていると見なされていました。もちろん、今はあそのようなことは全くありません。旧約聖書のレビ記13章1~3節に、このように書かれています。「主はモーセとアロンに仰せになった。『もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンの所か、彼の家系の祭司の一人の所に連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に、「あなたは汚れている」と言い渡す。』」祭司が判定する権限を持っていたのですね。
レビ記13章45節以下には、こうあります。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状がある限り、その人は汚れている。その人は独り宿営の外に住まねばならない。」
イエス様に出会った重い皮膚病の方も、汚れた者として社会から隔離されて、孤独に生きていたに違いないのです。旧約聖書ももちろん聖書(神の言葉)として尊重しますが、イエス・キリストが愛によって旧約聖書を完成して下さいます。ルカに戻り12節の後半と13節「この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります。』」実に謙虚な人で「御心ならば」と言っています。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われるとたちまち重い皮膚病は去った。」イエス様は片手で、その人に触れました。触れたことが大きな愛です。おそらく当時は汚れがうつる、重い皮膚病がうつると信じられれていて、誰もこの人に触れる人はいなかったと思います。触れるだけで、大きな勇気だったのです。今はハンセン病の菌は感染力が弱いと分かっていますし、よい薬もあり治るので、恐れる必要がないと学びました。しかし2000前のイエス様の時代の人々は。感染を恐れたでしょうし、日本でも太平洋戦争が終わったころまで、そうでした。しかしイエス様は恐れることなく、愛を込めて手を差し伸べて触れ、重い皮膚病を完全に癒して下さいました。神の手や腕は、神様の力のシンボルです。イエス様の手も、神の子(あるいは神)の力のシンボルとも言えます。
コロナ感染が拡大し出したころ、カトリック国のイタリアで、多くの司祭方が、コロナ重症者を見舞って、終油の秘跡を授けたそうです。臨終が近いと思われる信者の方に油(オリーブ油?)を塗って祈る式です。それで重症の患者さんに接触して、ご自分が感染して命を落とした司祭が多くおられたと聞きました。まだワクチンもなかった頃と思います。感染の危険を冒しても、司祭の務めとしてコロナ重症の信者さんにも終油の秘跡を授け、感染して天に召されたのですから、すばらしい神父魂と思います。ハンセン病の方に手を差し伸べて触れた、イエス様の愛を思いながら、終油の秘跡を授けに行かれたのかもしれません。
イエス様は、「よろしい。清くなれ」と言って下さいました。よろしいを直訳すると「私は意志する」です。イエス様の御心、愛の意志によって、この方は完全に癒されました。汚れていると見なされ、差別を受け、孤独な日々を送っていましたが、イエス様の愛によって癒され、清い状態に戻り、共同体に復帰して、孤独から解放されました。よかったですね。最近新聞を読んでいると、「孤独は毒だ」と書いてあり、確かにそのような面があると感じます。多くの方々に教会の礼拝や集会に出席していただき、少子高齢化の現実の中で、神様の民に加わっていただいて、孤独でない人生を送っていただきたいものです。
14節「イエスは厳しくお命じになった。『誰にも話してはいけない。ただ、行って祭司に見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。』」祭司に見てもらい、治って清くなったとの宣言をもらい、人々に納得してもらい、共同体に復帰しなさい、ということと思います。「誰にも話してはいけない」のはなぜでしょうか。イエス様はおそらく、この地上の王様に祭り上げられることを避けようとなさったのでしょう。地上の政治的な王様になるように、人々から祭り上げらることを避けたのだと思います。イエス様の一番大事な使命は、十字架にかかることですから、十字架に向かうことを避けさせられるような結果を招かないように、
地上の人気者、派手なヒーローにならないようにと、切望しておられたのだと思います。イエス様は、このような方なので、全面的に信頼できます。イエス様の十字架の死と復活後に弟子になったパウロという人が、新約聖書のコリントの信徒への手紙(二)10章18節で、「自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです」と書いていますが、イエス様ご自身がまさにそのような方です。自己推薦は全くなさらず、父なる神様から全幅の信頼をもって推薦される方です。
イエス様は一切自己宣伝なさらないのですが、なさった愛の業がすばらしかったので、評判が広まってゆきます。15~16節「しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。」イエス様は評判と勢いに乗って、浮わついて有名人になろうとは一切、なさいません。人のいない所に退いてひたすら祈って、悪魔の甘い誘惑を退け、ただご自分の使命の道を間違えることなく生ききることができるように、父なる神様にひたすら従うことができるように、ひたむきに祈っておられます。
イエス様が、重い皮膚病の人を癒されたことは、イエス様ご自身が重い皮膚病を身代わりに背負って下さったと、私は思います。イエス様の十字架を預言している旧約聖書のイザヤ書53章を読むと、こう書かれています。あえて新共同訳ではなく、口語訳で読んでみます。2節後半から。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を覆って、忌み嫌われる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」「顔を覆って、忌み嫌われる者のように」とあります。これが重い皮膚病の人を指す表現に思われます。先ほどのレビ記にありました。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。」重い皮膚病の人は、汚れた者として忌み嫌われ、差別されたのです。十字架につけられたイエス様も、まさに汚れて呪われた者として忌み嫌われました。イエス様は十字架で、重い皮膚病の人々の悲しい境遇を、すべて身代わりに背負ったのだと思います。そして重い皮膚病の人々を癒されたのだと思います。「忌み嫌われ」という表現が、新共同訳のイザヤ書53章にないので、重い皮膚病との関連を示すためには、口語訳の方がよいと思い、あえて口語訳で読みました。
口語訳でさらにイザヤ書53章を読むと、こうなっています。4~5節「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみを担った。しかるに、われわれは思った。彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上に置かれた。」
この方の病がハンセン病だったかは分かりませんが、キリスト教会の歴史の中でハンセン病だと解釈された時代は長いと思います。そのため、昔から教会は、ハンセン病の方々に尽くそうとしてきました。ご存じのとおり、東久留米市のお隣の東村山氏には多摩全生園があります。中にはハンセン病資料館もあり、日本におけるハンセン病の歴史を学ぶことができます。私は東久留米教会の婦人会の企画で資料館を見学したこともあり、個人で行ったこともあります。敷地内にキリスト教の礼拝堂が3つあるように思います。プロテスタント、カトリック、聖公会です。日本キリスト教団の隠退された牧師方も、プロテスタントの礼拝堂で説教奉仕されています。清瀬にある聖公会の清瀬聖母教会の大森司祭も、毎週、全生園内の聖公会の礼拝堂でご奉仕されているそうですが、全生園に住む方々も高齢化し、聖公会の礼拝に出席する方も非常に少なくなり、コロナで暫く休会の時期もあり、という現状のようです。
私と妻が洗礼を受けた茨城県の筑波学園教会の初代牧師の稲垣先生という方から伺った話を思い出します。稲垣先生のお若い頃、おそらく1940年代頃と思います。太平洋戦争中か、その前後かもしれません。岡山の教会で牧師をしておられた時、近くの瀬戸内海の島にハンセン病の方々の療養所がありました。今もあると思います。そこに教会があり、定期的に礼拝説教奉仕に通われたそうです。療養所に入ると、まず防護服のようなものを着て、感染しないようにすることが行われていました。ハンセン病の感染力は非常に弱いことが理解されていない時代ですね。今のコロナ以上に恐れられていたのでしょう。防護服を着て、患者のクリスチャンの方々と一緒に讃美歌を歌い、聖書を読んで説教なさるのですが、患者さんのとの間に距離ができて、喜びがない。ある時、思い切って防護服を脱いだそうです。「こんなものを着ていては、だめだ。」防護服を脱いで共に讃美歌を歌い、説教奉仕をすると、患者のクリスチャンの方々も喜んで、大変生き生きとした礼拝になったそうです。礼拝が終わると、握手したり、「ご体調はいかがですか」と声をかけたり、喜ばしい交流の時を過ごすことができた。稲垣先生が隠退後の80才くらいの時に、この思い出を語って下さいました。
若かった稲垣先生も、内心は正直怖かったらしいのですが、「防護服など着ていては、お互いの心も通わないし、礼拝にならない」と感じて、思い切っ脱いでよかった、というお話です。稲垣先生は、イエス様を思われたのでしょう。イエス様は重い皮膚病の人に手を差し伸べて触ったのですから、防護服を着ていてはイエス様を伝える礼拝にならない、と思われたのでしょう。患者さん側からすると、説教者が防護服を着ていると、「自分たちは教会の人々からも遠ざけられ、差別され、孤独の中で礼拝するしかないのだな」と諦めの気持ちだったのが、牧師が防護服を脱いだので、距離が縮まってよかったのだと思います。
カトリックの司祭に晴佐久神父という現役の方がおられますが、この方の説教集には、こんなことが出ていました。今から20~30年くらい前のことでしょうが、エイズ病棟に知人をお見舞いに行ったそうです。エイズ、後天性免疫不全症候群が日本でも表に出始めたのは、1990年頃だったと思います。普通の接触で感染しませんし、今はよい薬もあるようです。ただ、輸血で感染した方々もありますね。1990年頃は、エイズが非常に恐れられました。エイズ病棟を訪問する人も少なく、患者さんは非常に孤独だったようです。家族・友人も近づいてくれない。誰からも愛されない。そのエイズの方を晴佐久神父がお見舞いに行ったところ、涙を流して喜んで下さったそうです。その方がクリスチャンかどうかは分かりません。エイズが死の病と恐れられていたときに患者さんを訪問することは、やはり勇気のある行動だったのだと思います。
本日の御言葉は、イエス様の勇気ある愛を伝えています。イエス様に続いて、勇気をもって人々を愛したクリスチャンも多くおられると思います。無謀になる必要はありませんが、私たちも、少しでも勇気ある愛に生きたいのです。アーメン。
2024-11-17 0:20:30()
説教「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」2024年11月17日(日)降誕前第6主日礼拝
順序:招詞 ガラテヤ5:22~23,頌栄29、主の祈り,交読詩編145、使徒信条、讃美歌21・156、聖書 イザヤ書6:1~5、ルカ福音書5:1~11、祈祷、説教、祈祷、讃美歌402、献金、頌栄351(4節)、祝祷。
(イザヤ書6:1~5) ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
(ルカ福音書5:1~11) イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
(説教) 本日は、降誕前第6主日の礼拝です。新約聖書は、ルカ福音書5章1~11節、説教題は「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」です。小見出しは、「漁師を弟子にする」です。
「イエスがゲネサレト湖畔(ガリラヤ湖畔)に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」イエス様がここで群衆にどんな説教をなさったのか、関心をそそられますが、残念ながらここでの群衆への説教の内容は書かれていませんので、分かりません。人々がイエス様から、神様の御言葉を聞こうとして、大勢集まり、押し合いへし合いになったと思います。2節「イエスは、二そうの舟が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。」漁は夜行うのがよいようで、この直前の夜も一生懸命漁に励んだけれども、魚は全くとれなかったのです。漁師たちは疲れて、徒労感と空しさを覚えながら、網洗いの作業に没頭していたでしょう。イエス様は説教なさりながら、その漁師たちの心の中をも、よく感じ取っていたに違いありません。3節「そこでイエスは、そのうちの一艘であるシモン(ペトロ)の持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。」岸辺から少し離れて、舟の中から話さないと、群衆が押し寄せて、全体に話もできない状態だったのでしょう。
4節「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」これは文語訳聖書では「深みに乗りいだし、網を降ろしてすなどれ」となっています。5節「シモンは、『先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」前半はシモンの実感のこもった言葉です。「先生、私たちは夜通し苦労しました。」夜中は漁に適した時間帯のようで、その夜中に一生懸命漁に励んだけれども、一匹の魚もとれなかったのです。懸命に働いて成果が出ればよいけれども、何の成果もなかった。このような経験を、どなたもお持ちだと思います。能登半島の方々は、どんなお気持ちでしょうか。営々と積み上げて来た人生の日々が、大きな地震によって崩れ去ってしまう。消えてしまう。自分の人生は何だったのか。何の意味があったのか。そのような気持ちになられると思うのです。
「私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」シモンは、半信半疑だったと思いますが、イエス様の御言葉に従います。やはりここにはイエス様への信頼が感じられます。この直前の4章でシモンの姑が高熱に苦しんでおり、イエス様が熱を
(イザヤ書6:1~5) ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
(ルカ福音書5:1~11) イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
(説教) 本日は、降誕前第6主日の礼拝です。新約聖書は、ルカ福音書5章1~11節、説教題は「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」です。小見出しは、「漁師を弟子にする」です。
「イエスがゲネサレト湖畔(ガリラヤ湖畔)に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」イエス様がここで群衆にどんな説教をなさったのか、関心をそそられますが、残念ながらここでの群衆への説教の内容は書かれていませんので、分かりません。人々がイエス様から、神様の御言葉を聞こうとして、大勢集まり、押し合いへし合いになったと思います。2節「イエスは、二そうの舟が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。」漁は夜行うのがよいようで、この直前の夜も一生懸命漁に励んだけれども、魚は全くとれなかったのです。漁師たちは疲れて、徒労感と空しさを覚えながら、網洗いの作業に没頭していたでしょう。イエス様は説教なさりながら、その漁師たちの心の中をも、よく感じ取っていたに違いありません。3節「そこでイエスは、そのうちの一艘であるシモン(ペトロ)の持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。」岸辺から少し離れて、舟の中から話さないと、群衆が押し寄せて、全体に話もできない状態だったのでしょう。
4節「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」これは文語訳聖書では「深みに乗りいだし、網を降ろしてすなどれ」となっています。5節「シモンは、『先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」前半はシモンの実感のこもった言葉です。「先生、私たちは夜通し苦労しました。」夜中は漁に適した時間帯のようで、その夜中に一生懸命漁に励んだけれども、一匹の魚もとれなかったのです。懸命に働いて成果が出ればよいけれども、何の成果もなかった。このような経験を、どなたもお持ちだと思います。能登半島の方々は、どんなお気持ちでしょうか。営々と積み上げて来た人生の日々が、大きな地震によって崩れ去ってしまう。消えてしまう。自分の人生は何だったのか。何の意味があったのか。そのような気持ちになられると思うのです。
「私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」シモンは、半信半疑だったと思いますが、イエス様の御言葉に従います。やはりここにはイエス様への信頼が感じられます。この直前の4章でシモンの姑が高熱に苦しんでおり、イエス様が熱を
2024-11-10 0:48:21()
「わたしたちの国籍は天にあり」2024年11月10日(日)聖徒の日(召天者記念日)礼拝
順序:招詞 ガラテヤ5:22~23,頌栄24、主の祈り,交読詩編23、使徒信条、讃美歌21・493、聖書 フィリピの信徒への手紙3:12~4:1、祈祷、説教、祈祷、讃美歌385、献金、頌栄27、祝祷。
(フィリピ3:12~4:1)
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
(説教) 本日は、聖徒の日(召天者記念日)の礼拝です。新約聖書は、フィリピの信徒への手紙3章12~4章1節、説教題は「わたしたちの国籍は天にあり」です。小見出しは、「目標を目指して」です。
本日の聖書の個所には、天国(神の国)を目指して生きるクリスチャンの生き方が記されています。書いているのは、イエス・キリストの十字架の死と復活の後にイエス様の弟子(クリスチャン)になったパウロという人です。
最初の12節でパウロは語ります。「私は、既にそれ(永遠の命)を得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。」偉大な使徒パウロだと私たちは思うかもしれませんが、パウロは謙遜です。「私は、既にそれ(永遠の命)を得たというわけではなく、既に完全な者(イエス様のように完全な愛の方)となっているわけでもありません。」そうではなく、「何とかして捕えようと努めているのです。」永遠の命を受けよう、天国に入れていただこうと努めていると言っています。しかし確かな土台はあります。「自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。」ある人は、「信仰とは、聖霊(神の清き霊)に捕らえられている状態のことだ」と言いました。「自分がキリスト・イエスに捕えられえいる。」私たちは皆、イエス・キリストからラブコールを受けています。イエス・キリストの愛を信じて、イエス・キリストを救い主として受け入れ、信じてほしい、とイエス・キリストから私たち全員が、ラブコールを受けています。このラブコールに喜んで応えることが必要です。
13節「兄弟たち、私自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはだだ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」他の人を無視して、自分だけ天国に入ろうと走っているのではありません。自分が出会う全ての人々と共に、天国に入ることができるように、出会う全ての人々にイエス・キリストを宣べ伝え、出会う全ての人を励ましながら、天国を目指して入っているのだと思います。
パウロはコリントの信徒への手紙(一)という、彼が書いた別の手紙の11章24節以下でも、似たことを述べています。「あなた方は知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなた方も賞を得るように走りなさい。」信仰の道を、一生懸命走ることを勧めています。「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を得るために節制するのです。」オリンピックでメダルを目指す選手たちは、大変な努力をするのですが、金メダルを取ってもそれはこの地上の栄誉で終わり、天国に入ることを保証するものではありません。私たちは、オリンピックのアスリートのような体力はないのですが、一人一人が持てる力の範囲でよいので、天国をめざして一生懸命努力します。それは他人を蹴落とすレースであってはならず、互いに助け合い、励まし合いながら、手を取り合って天国を目指すのです。
「だから、私としては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘(空を打つような空しいボクシング)もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」自分の体で悪を行わないように、自分を制してゆく。自分を甘やかしてばかりいると、自分が罪を犯して、他の人々に伝道しておきながら、自分が万一天国に入り損なうことにならないために、自分に十分注意すると、大伝道者パウロが言っているのですから、私たちはなおさらではないかと思います。
私の神学校の8歳年上の同級生のK牧師が、一昨年8月に天に召されました。まだコロナが流行していた時期で、大勢集まることはできず、ご葬儀はご家族と教会の皆さんのみでなさり、友人知人のためには、葬儀前日の午後に、教会に来て各人が自由に祈って地上でのお別れをする時を用意して下さいました。その時に配られた挨拶文に、本人の愛唱聖句が記されており、フィリピの信徒への手紙3章12~14節でした。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」この御言葉が、K牧師の愛唱聖句だったのか。その時初めて知りました。K牧師は5年ほど前の8月だったと思いますが、この東久留米教会の日曜礼拝に出席して下さいました。
パウロは15~16節で、こう述べます。「だから、私たちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。(~)いずれにせよ、私たちは到達したところに基づいて進むべきです。」パウロは、天国・神の国を目指して前進する構えです。パウロは、ローマで殉教の死を遂げて天国に行ったと言われますが、テモテへの手紙(二)4章で、こう書いています。これは殉教の少し前に書いた言葉と思います。「私自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時は近づきました。私は戦い(信仰の戦い)を立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が(イエス・キリストが)、かの日(イエス様がもう一度地上に来られる再臨の日、あるいは神の国の完成の日)にそれを私に授けて下さるのです。しかし、私だけでなく、主(イエス・キリスト)が来られる(再臨)のをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けて下さいます。」パウロだけでなく、イエス様を救い主と信じ、イエス様に従おうと努めている人々には、必ずイエス・キリストが義の冠を授けて下さると明確に述べています。その義の冠は、この世の中の様々な栄誉がかすんでしまうほどの、すばらしい栄誉です。神様から「良い僕だ、よくやった」と褒めていただく最高の栄誉です。先週はアメリカ大統領選挙があり、この世で大統領や首相になることも栄誉ですが、それはこの世限りのものです。イエス様から授けられる義の冠は、永遠に輝く最高の栄誉です。本日は礼拝後に、イエス・キリストを信じて天国に行かれた方々のお写真をご紹介しますが、この方々も必ず、イエス様から義の冠をお受けになります。
パウロは、自分が失格者にならないように注意すると言っていましたが、同時に彼は自分が天国に入れていただくことを確信していました。このフィリピの信徒への手紙1章21節で、次のような驚くべきことを述べています。「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」生きるとはイエス・キリストのために生きることであり、死ぬこともまた利益だと言うのです。「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなた方のためにもっと必要です。こう確信していますから、あなた方の信仰を深めて喜びをもたらすように。いつもあなた方と共にいることになるでしょう。」「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」驚くべき言葉。天国に行くと、イエス様と永遠に共にいることになる。この方がはるかに望ましいほど、それはすばらしいことだ」と言うのです。
なぜこんなことを言うことができたかというと、彼がコリントの信徒への手紙(二)12章で書いていることが鍵になると思います。「彼(パウロのこと)は楽園にまで引き上げられ」とあり、「あの啓示されたことがあまりにもすばらしいからです」と言っています。パウロは一時的に楽園(天国)に行く体験を与えられたのです。楽園(天国)はあまりにもすばらしい所だった。その体験があるので、「一方ではこの世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」と言えたと思うのです。イエス様を信じて亡くなった方々は、今その楽園(天国)におられるのです。ですから、地上に残された私たちは、もちろん非常に悲しく寂しいのですが、イエス様を信じて亡くなった方々は、イエス様が共にいるあまりにもすばらし楽園(天国)におられることを、確信してよいのです。ですから、私たちは大変悲しく寂しいですが。イエス様を信じて亡くなった方々が楽園におられることを確信して、慰めを受けることができます。そして全ての方々に、イエス・キリストを救い主と信じていただいて、できればぜひ洗礼を受けて、この楽園に必ず行くことができる、真の希望に入っていただきたいのです。
フィリピに戻り17節。パウロは述べます。「兄弟たち、皆一緒に私に倣う者となりなさい。また、あなた方と同じように、私たちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。」18~20節「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。」
「今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。」それは、どのような人々なのか。いくつかの可能性があります。まずパウロを批判するユダヤ人の律法主義者たち。彼らは自力でモーセの十戒等の神様の戒めを全て守って、自分は万全に清く正しく生きているとの誇り・プライドに満ちていた人々。パウロもクリスチャンになる前はそうだったのです。この人々は、高慢の罪に陥っていたのですが、自分では気づいていなかったでしょう。あるいは、この地上の権力や武力やお金の力に満ちていた人々を指すとも考えられます。この人々は、この世の繫栄の中にいたのでこの世のことだけで満足しており、永遠の命のことには関心がなかったと思われます。日産のトップだったゴーンさんなども心に浮かびます。この人々は、十字架にかかられたイエス様のように低い謙遜と奉仕の道を歩んでいません。「彼らは腹を神とし」とあります。腹とは自分の欲望です。自分の欲望の実現だけを目的に生きているのです。そのような偽の宗教家もいます。大金を集めた統一協会の教祖もそうだと思います。イエス様に従って永遠の命に至るか、自分の欲望充足だけに生きて永遠の命をあきらめるか。私も私どももいつも生き方を、イエス様から問われています。
「しかし、私たちの本国は天にあります。」もしかするとクリスチャンや牧師・神父でさえ、この御言葉を忘れ、この世のことに埋没していることもあるのではないかと、私は反省させられます。もちろんこの地上での責任を果たすことも大切であることは間違いありません。でもこの世の中で報われないこともあります。しかし、神様は全てを見ていて下さいます。神様が喜んで下さることが、一番大事です。イエス様に従って生き、父なる神様が喜んで下さる生き方をしたい。これが私たちの願いです。パウロはこの手紙の2章で書いています。「だから、私の愛する人たち、いつも従順であったように、私が共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなた方の内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中(当時も今も、よこしまな曲がった時代と言えます)で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうして私は、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」
私たちの罪が赦されるのはただイエス様の十字架のお陰ですが、やはり信じた後の生き方も大事で(決して自力で天国に入るのではないのですが)、感謝をもってイエス様に従い、父なる神様に喜んでいただける一時間一時間を過ごしたいのです。神様は、「もういいよ。お疲れ様」とおっしゃる時に、天国に呼んで下さいます。ヨハネの黙示録14章13節が思い出されます。「今から後、主(イエス様)に結ばれて死ぬ人は幸いである。霊(聖霊)も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」
フィリピに戻り、20~21節。「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えて下さるのです。」イエス様を信じる人々には、天国に入ることだけでなく、イエス様の復活の体と同じ復活の体をいただくことが約束されています。私たちの今の体は、健康な時もありますが。病気になり、年をとり、次第に弱ります。そしてやがて死を迎えます。日本では火葬になります。しかし、神様が、イエス様と同じ復活の体、栄光の体を与えると約束しておられますから、楽しみです。それはもはや病気にならず、老化もしない栄光の体です。そこでパウロは私たちを励まします。この希望によって、心を強くするようにと。4章1節「だから、私が愛し、慕っている兄弟たち、私の喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい」
人が亡くなると、残された家族の悲しみや苦しみや寂しさが大きく残りますね。そのような悲しみ、寂しさ、喪失感をケアする悲嘆ケア・グリーフケアが、現代では重視されています。悲嘆ケア・グリーフケアは本当に大事と思います。そして私たちは、亡くなった方々から多くの愛をいただいたことを感謝して、自分もその愛を周りの方々に分けさせていただきながら、生きてゆきたいと思います。
クリスチャン作家の三浦綾子さんが亡くなったときのことを、身近で三浦さんご夫妻を取材していた方が、こう書いておられました。綾子さんの夫の光世さんが、「綾子、終わりだね」と言いながら、綾子さんをさすっていたと。その方が書くには。「死も引き裂くことのできない二人の愛の強さを感じた」と。旧約聖書の雅歌8章6~7節を思い出します。「愛は死のように強く。(~)大水も愛を消すことはできない。」三浦綾子さん多くのご病気の中で執筆活動をされたそうですが、晩年には「私には死ぬという大切な仕事がある」とよく語られたそうです。自分の地上の人生の終え方にはコントロールできない部分もあるでしょう。しかし願わくは、周りの人々に感謝し、周りの人々によき愛を渡しつつ、天国に行けるとよいですね。
今年7月に天に召された私の友人の牧師は、臨終が近いときに、家族に片手を上げて挨拶したらしいです。「今から天国に行くよ」というメッセージを込めたのではないかと思います。二人の共通の友人の牧師は、葬儀には行けなかったので、その前日に遺体と対面した時、「また会おう」と言って帰宅したそうです。「天国でまた会おう」の意味ですね。三浦さんの、「私には死ぬという大切な仕事がある。」私たちも心に刻みたいと思います。人生の後半になるほどに、一日一日の生き方がますます重要になる。その気構えでご一緒にイエス様に従って参りたく思います。アーメン。
(フィリピ3:12~4:1)
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
(説教) 本日は、聖徒の日(召天者記念日)の礼拝です。新約聖書は、フィリピの信徒への手紙3章12~4章1節、説教題は「わたしたちの国籍は天にあり」です。小見出しは、「目標を目指して」です。
本日の聖書の個所には、天国(神の国)を目指して生きるクリスチャンの生き方が記されています。書いているのは、イエス・キリストの十字架の死と復活の後にイエス様の弟子(クリスチャン)になったパウロという人です。
最初の12節でパウロは語ります。「私は、既にそれ(永遠の命)を得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。」偉大な使徒パウロだと私たちは思うかもしれませんが、パウロは謙遜です。「私は、既にそれ(永遠の命)を得たというわけではなく、既に完全な者(イエス様のように完全な愛の方)となっているわけでもありません。」そうではなく、「何とかして捕えようと努めているのです。」永遠の命を受けよう、天国に入れていただこうと努めていると言っています。しかし確かな土台はあります。「自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。」ある人は、「信仰とは、聖霊(神の清き霊)に捕らえられている状態のことだ」と言いました。「自分がキリスト・イエスに捕えられえいる。」私たちは皆、イエス・キリストからラブコールを受けています。イエス・キリストの愛を信じて、イエス・キリストを救い主として受け入れ、信じてほしい、とイエス・キリストから私たち全員が、ラブコールを受けています。このラブコールに喜んで応えることが必要です。
13節「兄弟たち、私自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはだだ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」他の人を無視して、自分だけ天国に入ろうと走っているのではありません。自分が出会う全ての人々と共に、天国に入ることができるように、出会う全ての人々にイエス・キリストを宣べ伝え、出会う全ての人を励ましながら、天国を目指して入っているのだと思います。
パウロはコリントの信徒への手紙(一)という、彼が書いた別の手紙の11章24節以下でも、似たことを述べています。「あなた方は知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなた方も賞を得るように走りなさい。」信仰の道を、一生懸命走ることを勧めています。「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を得るために節制するのです。」オリンピックでメダルを目指す選手たちは、大変な努力をするのですが、金メダルを取ってもそれはこの地上の栄誉で終わり、天国に入ることを保証するものではありません。私たちは、オリンピックのアスリートのような体力はないのですが、一人一人が持てる力の範囲でよいので、天国をめざして一生懸命努力します。それは他人を蹴落とすレースであってはならず、互いに助け合い、励まし合いながら、手を取り合って天国を目指すのです。
「だから、私としては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘(空を打つような空しいボクシング)もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」自分の体で悪を行わないように、自分を制してゆく。自分を甘やかしてばかりいると、自分が罪を犯して、他の人々に伝道しておきながら、自分が万一天国に入り損なうことにならないために、自分に十分注意すると、大伝道者パウロが言っているのですから、私たちはなおさらではないかと思います。
私の神学校の8歳年上の同級生のK牧師が、一昨年8月に天に召されました。まだコロナが流行していた時期で、大勢集まることはできず、ご葬儀はご家族と教会の皆さんのみでなさり、友人知人のためには、葬儀前日の午後に、教会に来て各人が自由に祈って地上でのお別れをする時を用意して下さいました。その時に配られた挨拶文に、本人の愛唱聖句が記されており、フィリピの信徒への手紙3章12~14節でした。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」この御言葉が、K牧師の愛唱聖句だったのか。その時初めて知りました。K牧師は5年ほど前の8月だったと思いますが、この東久留米教会の日曜礼拝に出席して下さいました。
パウロは15~16節で、こう述べます。「だから、私たちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。(~)いずれにせよ、私たちは到達したところに基づいて進むべきです。」パウロは、天国・神の国を目指して前進する構えです。パウロは、ローマで殉教の死を遂げて天国に行ったと言われますが、テモテへの手紙(二)4章で、こう書いています。これは殉教の少し前に書いた言葉と思います。「私自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時は近づきました。私は戦い(信仰の戦い)を立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が(イエス・キリストが)、かの日(イエス様がもう一度地上に来られる再臨の日、あるいは神の国の完成の日)にそれを私に授けて下さるのです。しかし、私だけでなく、主(イエス・キリスト)が来られる(再臨)のをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けて下さいます。」パウロだけでなく、イエス様を救い主と信じ、イエス様に従おうと努めている人々には、必ずイエス・キリストが義の冠を授けて下さると明確に述べています。その義の冠は、この世の中の様々な栄誉がかすんでしまうほどの、すばらしい栄誉です。神様から「良い僕だ、よくやった」と褒めていただく最高の栄誉です。先週はアメリカ大統領選挙があり、この世で大統領や首相になることも栄誉ですが、それはこの世限りのものです。イエス様から授けられる義の冠は、永遠に輝く最高の栄誉です。本日は礼拝後に、イエス・キリストを信じて天国に行かれた方々のお写真をご紹介しますが、この方々も必ず、イエス様から義の冠をお受けになります。
パウロは、自分が失格者にならないように注意すると言っていましたが、同時に彼は自分が天国に入れていただくことを確信していました。このフィリピの信徒への手紙1章21節で、次のような驚くべきことを述べています。「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」生きるとはイエス・キリストのために生きることであり、死ぬこともまた利益だと言うのです。「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなた方のためにもっと必要です。こう確信していますから、あなた方の信仰を深めて喜びをもたらすように。いつもあなた方と共にいることになるでしょう。」「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」驚くべき言葉。天国に行くと、イエス様と永遠に共にいることになる。この方がはるかに望ましいほど、それはすばらしいことだ」と言うのです。
なぜこんなことを言うことができたかというと、彼がコリントの信徒への手紙(二)12章で書いていることが鍵になると思います。「彼(パウロのこと)は楽園にまで引き上げられ」とあり、「あの啓示されたことがあまりにもすばらしいからです」と言っています。パウロは一時的に楽園(天国)に行く体験を与えられたのです。楽園(天国)はあまりにもすばらしい所だった。その体験があるので、「一方ではこの世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」と言えたと思うのです。イエス様を信じて亡くなった方々は、今その楽園(天国)におられるのです。ですから、地上に残された私たちは、もちろん非常に悲しく寂しいのですが、イエス様を信じて亡くなった方々は、イエス様が共にいるあまりにもすばらし楽園(天国)におられることを、確信してよいのです。ですから、私たちは大変悲しく寂しいですが。イエス様を信じて亡くなった方々が楽園におられることを確信して、慰めを受けることができます。そして全ての方々に、イエス・キリストを救い主と信じていただいて、できればぜひ洗礼を受けて、この楽園に必ず行くことができる、真の希望に入っていただきたいのです。
フィリピに戻り17節。パウロは述べます。「兄弟たち、皆一緒に私に倣う者となりなさい。また、あなた方と同じように、私たちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。」18~20節「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。」
「今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。」それは、どのような人々なのか。いくつかの可能性があります。まずパウロを批判するユダヤ人の律法主義者たち。彼らは自力でモーセの十戒等の神様の戒めを全て守って、自分は万全に清く正しく生きているとの誇り・プライドに満ちていた人々。パウロもクリスチャンになる前はそうだったのです。この人々は、高慢の罪に陥っていたのですが、自分では気づいていなかったでしょう。あるいは、この地上の権力や武力やお金の力に満ちていた人々を指すとも考えられます。この人々は、この世の繫栄の中にいたのでこの世のことだけで満足しており、永遠の命のことには関心がなかったと思われます。日産のトップだったゴーンさんなども心に浮かびます。この人々は、十字架にかかられたイエス様のように低い謙遜と奉仕の道を歩んでいません。「彼らは腹を神とし」とあります。腹とは自分の欲望です。自分の欲望の実現だけを目的に生きているのです。そのような偽の宗教家もいます。大金を集めた統一協会の教祖もそうだと思います。イエス様に従って永遠の命に至るか、自分の欲望充足だけに生きて永遠の命をあきらめるか。私も私どももいつも生き方を、イエス様から問われています。
「しかし、私たちの本国は天にあります。」もしかするとクリスチャンや牧師・神父でさえ、この御言葉を忘れ、この世のことに埋没していることもあるのではないかと、私は反省させられます。もちろんこの地上での責任を果たすことも大切であることは間違いありません。でもこの世の中で報われないこともあります。しかし、神様は全てを見ていて下さいます。神様が喜んで下さることが、一番大事です。イエス様に従って生き、父なる神様が喜んで下さる生き方をしたい。これが私たちの願いです。パウロはこの手紙の2章で書いています。「だから、私の愛する人たち、いつも従順であったように、私が共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなた方の内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中(当時も今も、よこしまな曲がった時代と言えます)で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうして私は、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」
私たちの罪が赦されるのはただイエス様の十字架のお陰ですが、やはり信じた後の生き方も大事で(決して自力で天国に入るのではないのですが)、感謝をもってイエス様に従い、父なる神様に喜んでいただける一時間一時間を過ごしたいのです。神様は、「もういいよ。お疲れ様」とおっしゃる時に、天国に呼んで下さいます。ヨハネの黙示録14章13節が思い出されます。「今から後、主(イエス様)に結ばれて死ぬ人は幸いである。霊(聖霊)も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」
フィリピに戻り、20~21節。「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えて下さるのです。」イエス様を信じる人々には、天国に入ることだけでなく、イエス様の復活の体と同じ復活の体をいただくことが約束されています。私たちの今の体は、健康な時もありますが。病気になり、年をとり、次第に弱ります。そしてやがて死を迎えます。日本では火葬になります。しかし、神様が、イエス様と同じ復活の体、栄光の体を与えると約束しておられますから、楽しみです。それはもはや病気にならず、老化もしない栄光の体です。そこでパウロは私たちを励まします。この希望によって、心を強くするようにと。4章1節「だから、私が愛し、慕っている兄弟たち、私の喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい」
人が亡くなると、残された家族の悲しみや苦しみや寂しさが大きく残りますね。そのような悲しみ、寂しさ、喪失感をケアする悲嘆ケア・グリーフケアが、現代では重視されています。悲嘆ケア・グリーフケアは本当に大事と思います。そして私たちは、亡くなった方々から多くの愛をいただいたことを感謝して、自分もその愛を周りの方々に分けさせていただきながら、生きてゆきたいと思います。
クリスチャン作家の三浦綾子さんが亡くなったときのことを、身近で三浦さんご夫妻を取材していた方が、こう書いておられました。綾子さんの夫の光世さんが、「綾子、終わりだね」と言いながら、綾子さんをさすっていたと。その方が書くには。「死も引き裂くことのできない二人の愛の強さを感じた」と。旧約聖書の雅歌8章6~7節を思い出します。「愛は死のように強く。(~)大水も愛を消すことはできない。」三浦綾子さん多くのご病気の中で執筆活動をされたそうですが、晩年には「私には死ぬという大切な仕事がある」とよく語られたそうです。自分の地上の人生の終え方にはコントロールできない部分もあるでしょう。しかし願わくは、周りの人々に感謝し、周りの人々によき愛を渡しつつ、天国に行けるとよいですね。
今年7月に天に召された私の友人の牧師は、臨終が近いときに、家族に片手を上げて挨拶したらしいです。「今から天国に行くよ」というメッセージを込めたのではないかと思います。二人の共通の友人の牧師は、葬儀には行けなかったので、その前日に遺体と対面した時、「また会おう」と言って帰宅したそうです。「天国でまた会おう」の意味ですね。三浦さんの、「私には死ぬという大切な仕事がある。」私たちも心に刻みたいと思います。人生の後半になるほどに、一日一日の生き方がますます重要になる。その気構えでご一緒にイエス様に従って参りたく思います。アーメン。