日本キリスト教団 東久留米教会

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2025-05-18 0:00:22()
「感謝の涙」2025年5月18日(日)「初めて聞く方に分かる聖書の話礼拝」(第80回、復活節第5主日)
(詩編51:19)しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。

(ルカ福音書7:36~50) さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

(説教) 本日は、復活節第5主日の公同礼拝です。説教題は「感謝の涙」、小見出し「罪深い女を赦す」です。

 とても印象深い出来事です。最初の36節「さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。」イエス様は基本的に、誰から招かれても応じて下さいます。37節「この町に一人の罪深い女がいた。」おそらくは売春婦だったと言われます。「イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」当時のイスラエル人の食事風景は、履物を脱ぎ、床に横たわった状態で食事するのが習慣だったそうで、この時もそうだったと言われます。私たちから見るとだらしない感じですが、当時はそれが普通で、特に失礼でもなかったそうです。そこに、香油の入った石膏の壺を持ったk女性が入って来ました。当時、客を招いた家には、誰でも客に会うために自由に入ることができたそうです。それで、この女性は招かれていませんでしたが、自由に入ってイエス様に近づくことができました。香油はよい香りの油で。値段も高価だった可能性があります。石膏の壺は、原語でアラバストロン。今の言葉ではアラバスターと思います。美しい白色の鉱物です。その白さが非常に美しいのですね。古代エジプトでもよく使用されたようです。アラバスターは雪花石膏と訳されます。雪の花のように美しいからでしょう。

 「後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい。イエスの足に接吻して香油を塗った。」イエス様に正面から堂々と近づく勇気はありませんでした。後ろから、最初はそっと近づいたと思います。泣きながら、その足(両足)を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい。」この涙は、この女性の悔い改めとイエス様への感謝と喜びが混ざった涙と思います。私たちも、このような涙を流すことができるのであれば、幸いです。この女性は、以前にイエス様の説教を聴き、それまでの自分の罪(おそらく性的な罪、売春)を悔い改め、罪の生活をやめたのではないかと思います。そしてイエス様が自分の罪を赦して下さることを悟っていたと思います。その両足を涙で濡らしました。イエス様が自分の罪のためにも十字架にかかって両足に釘打たれて下さることを、直感したのかもしれません。さらにイエス様の両足を自分の髪の毛でぬぐいました。女性にとって一番大切な髪の毛を汚してまでぬぐったことに、この女性の精一杯の感謝が込められているのでしょう。とても不器用ながら、精一杯のひたむきな感謝の表現です。イエス様はこの女性の涙を、喜んで受け入れて下さっています。本日の旧約聖書である詩編51編19節が思い出されます。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」

 さらにイエス様の両足に接吻して香油を塗りました。接吻もまた、この女性の精一杯の感謝と愛の表現です。男女の愛より、もっと深いレベルの愛と思います。そして香油を塗った行為から、2つのことを連想します。聖書は、イエス様こそすべての人の真の救い主と語ります。救い主のことを旧約聖書のヘブライ語でメシアと呼びます。メシアとは、「油を注がれた者」の意味です。メシアを、新約聖書のギリシア語でクリストスと言い、英語ではクライスト、日本語でキリストになります。油とは聖なる油で、聖霊のシンボルです。この女性が、イエス様の両足に香油を注いだことが、イエス様が本当に「油を注がれた者」、つまりメシア・キリスト・真の救い主であることを目に見える形で表す行為・象徴的な行為になります。そして香油を注いだことは、イエス様の十字架の死を暗示する可能性もあります。イエス様が、この女性の罪と、私たち罪を赦すために十字架で死んで下さる。香油を注ぐことは、当時葬りの時に遺体に行った処置です。ですからこの女性がイエス様の両足に香油を注いだことは、イエス様が私たちの罪を赦すために十字架で死なれたそのお体に香油を塗ることを暗示し、つまりはイエス様がこの女性のためにも私たちのためにも十字架で死んで、遺体となって下さることを暗示するのだろうと思います。

 39節「イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに』と思った。」心の中でぶつぶつ言ったのです。イエス様を預言者と思っているが、神の子とは思っていないことが分かります。この人は、イエス様につまずいたのです。先週の個所ルカ7章23節で、イエス様は言われたのです。「私につまずかない人は幸いである。」このファリサイ派の男性シモンは、イエス様につまずいています。私たちももしかすると、この女性を見てシモンと同じ気持ちになるかもしれません。私たちも、イエス様につまずきやすいのかもしれません。それでイエス様は「私につまずかない人は幸いである」と言われました。

 40~41節「そこで、イエスがその人に向かって、『シモン、あなたに言いたいことがある』と言われると、シモンは、『先生、おっしゃって下さい』と言った。」イエス様は、分かりやすいたとえを語られます。41節以下「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン(1デナリオンは一日分の賃金なので、仮に5000円とすれば250万円)、もう一人は50デナリオン(25万円)である。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答え、イエス様も「その通りだ」と答えて下さいます。 

 「帳消し」という言葉を聞いて、驚きを覚えます。借金を帳消しにしてもらえることは、普通はありません。聖書では、借金は罪のことと指すと思います。ですからこれは、罪の帳消しの話です。罪を帳消しにしていただけることも、普通はあり得ません。そしてイエス様は女性の方を振り向いて、シモンに言われます。「この人を見ないか。」シモンがこの女性から目を背けていたから、こう言われたのかもしれません。「私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙で私の足を濡らし、神の毛でぬぐってくれた。あなたは私に接吻の挨拶もしなかったが、この人は私が入って来てから、私の足に接吻してやまなかった。あなたはオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」明らかに、この女性はイエス様に多くの感謝の愛を示しました。ファリサイ派シモンは、イエス様を少ししか愛しませんでした。シモンは、礼儀正しかったけれども、イエス様を愛することは少なかったのです。

 「この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」この女性は、自分の罪の大きさに絶望していたのだと思います。こんなに大きな自分の罪が赦されることは、あり得ない。しかしどこかでイエス様の話を聴いて、イエス様が私の罪をも赦して下さると確信したのではないでしょうか。あるいは、イエス様が自分の罪のために十字架で死んで下さることを直感的に悟り、それで深い悔い改めと感謝と愛と喜びに満たされて、シモンの家にいるイエス様のもとに来て、実に激しい形で悔い改めと愛と喜びの涙を流したのだと思います。私たちもこのような涙を流す者でありたいのです。少し昔の有名な牧師で、聖餐式の度に涙が出る方がおられたそうです。でもそれこそ、最も健全なことと思うのです。聖餐式を何となく受けることはできません。イエス様が私の罪のために十字架で死んで下さった! そのことを深く思うならば、私たちは、あからさまに涙を流さなくても、少なくとも心の中で涙を流すことなく、あのパンとぶどう液を受けることはできないと思うのです。

 私は本日の箇所を読んで、改めてイエス様に衝撃を受けました。私がこの場面にいたとしたら、どちらかと言うとシモンの心に近かったかもしれないと思ったのです。この箇所は、イエス・キリストの福音とは何かを学ぶために、これからも繰り返し読む必要がある箇所と思います。イエス様は48節で女性に、「あなたの罪は赦された」と宣言され、確約されました。罪は複数形ですので、この女性の全部の罪を指すでしょう。「赦された」は、「解かれた、解放された」という意味の言葉です。あなたは全ての罪から解放された、もはや父なる神様も、あなたの罪を咎めない。罪の裁きを受ける恐れから、あなたは完全に解放された、という確約です。

 49節「同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、何者だろう』と考え始めた。」当時の人々は、罪を赦すことができる権威者は、神様のみと知っていました。それで、「もしかするとこのイエスという方は、神に近い方、神に等しい方なのではないか」と思ったのだと思います。イエス様は女性に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。彼女はイエス様に感謝の愛を献げたのですから、イエス様は「あなたの愛があなたを救った」とおっしゃってもよかったと思います。「安心して行きなさい。」東京神学大学の近藤勝彦先生を礼拝にお招きすると、最後の祝祷で必ず「安心して行きなさい」と語られますね。 Aさん。

 この女性の罪は、帳消しにされました。この女性の罪も私たちの罪も、イエス・キリストの十字架の犠牲の死との引き換えで、帳消しにされたのです。私たちは、自分の罪はこの女性ほど深くないと思っているかもしれません。でもそれは分かりません。この女性の罪と、シモンの高慢の罪と、どちらがより重い罪か、それを判定できるのはイエス様だけです。もしかするとシモンの高慢の罪の方が、イエス様から見れば重いかもしれないのです。ファリサイ派のファリサイという言葉は、「区別する」という意味だと聞きます。自分と他人を区別し、自分の方が上だと思う高慢の罪です。神様は一切分け隔てなさらない方です。一切分け隔てなさらない神様からご覧になれば、シモンの罪が女性の罪より重いかもしれません。ファリサイ派は区別するので、分け隔てするのです。私たちも心のどこかで人を分け隔てしています。その自分の分け隔ての罪に毎日新たに気づく必要があると思います。

 この女性の罪を完全に赦されたイエス様を思う時、私は先週の礼拝でもお読みしたローマの信徒への手紙5章16節を、改めて連想します。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されます。「悔い改める一人の罪人(つみびと)については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも、大きな喜びが天にある。」この女性こそ教会の象徴とさえ言えます。但し、忘れてならないのは、イエス様がヨハネ福音書8章で、姦通の女性に最後に言われた一言です。「これからはもう、罪を犯してはならない。」もちろんイエス様にこれほど感謝しているあの女性が、二度と同じ罪を犯すことはなかったと確信できます。あの女性の罪も、私たちの罪も、イエス様の十字架のお陰で帳消しにされました。ボンヘッファーというドイツの牧師はこれを「高価な恵み」と呼びました。決して「安価な恵み」ではない。帳消しの恵みと引き換えに、最も尊い神の子が十字架で死なれた事実を、決して忘れてはならないのです。それを忘れるならば、私たちは「高価な恵み」を「安っぽい恵み」に貶めてしまいます。この過ちを犯すことがあってはいけないのです。高価な犠牲、高価な恵みによって罪を帳消しにされたことを、あの女性にように深く感謝して、イエス様にひたすら従って歩む私たちです。アーメン。

2025-05-11 2:04:08()
「偉大な洗礼者ヨハネと神の子キリスト」2025年5月11日(日)復活節第4主日公同礼拝
(マラキ書3:1)「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。」

(ルカ福音書7:18~35) ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

(説教) 本日は、復活節第4主日の公同礼拝です。説教題は「偉大な洗礼者ヨハネと神の子キリスト」、小見出し「洗礼者ヨハネとイエス」です。

 最初の18節「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。」イエス様がガリラヤのカファルナウムで、百人隊長の部下が死にかかっているのを癒したり、ナインという町である母親の一人息子が死んだのを生き返らせなさった。これらのことを洗礼者ヨハネの弟子たちが、ヨハネに知らせました。ヨハネは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、牢に入れられていました。そこでヨハネは、弟子の中から二人を呼んで、主(イエス様)もとに送り、こう言わせました。「来るべき方は、あなたでしょう。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」二人は、イエス様のもとに来て言いました。「私たちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それども、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」

 洗礼者ヨハネは、ヨルダン川沿いの地方一帯で、人々に悔い改めの厳しいメッセージを力強く語り、多くの人々に罪の赦しのバプテスマ(洗礼)を施した人です。ガリラヤの領主・権力者ヘロデ・アンティパスの悪事についても、権力者を恐れることなく、厳しく責めた人です。そのために牢に閉じ込められました。強い人とという印象を受けます。そのヨハネが、本日の場面では、やや自信なげの様子です。イエス様の力強い多くの愛のお働きを耳にして、自分の弟子二人をイエス様の元に遣わして、尋ねさせています。「来るべき方(メシア・救い主)はあなたですか。それとも他の方を待たなければなりませんか。」力強い洗礼者ヨハネにしては、意外に自信なげな尋ね方です。イスラエルの人々は、真の救い主を待ち望んでいたのですが、ヨハネはイエス様のお働きの様子を聴いて、「このイエス様こそメシアに違いないと」と思いながらも、まだ確信を持ちきれずにいたようです。

 その原因としては、ヨハネが抱いていたメシア像と、現実にイエス様がなさっていたことにズレがあったからだと思います。ヨハネはこのルカ福音書3章で述べています。「私はあなたたちに水で洗礼(バプテスマ)を授けるが、私よりも優れた方(メシア)が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」このように悪を厳しく裁く正義の方がメシアだと、ヨハネは思っていました。イエス様は、最終的に世の終わりの時、神の国の完成の時には、それをなさいます。テサロニケの信徒への手紙(二)1章8~9節に、次のように書いてある通りです。「主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、私たちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。」ですが、ヨハネが地上にいる時のイエス様の働きは、悪への裁きよりも、悲しんでいる人々、苦労している人々への愛による助けが中心でした。それでヨハネは、本当にこの方が来るべきメシア(救い主)なのかどうか、戸惑い、確信を持てずにいた可能性があります。

 ただ、そうであってもヨハネは、イエス様に洗礼まで授けているのです。その時、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエス様の上に下り、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という父なる神様の御声が、天から聞こえたのです。ヨハネもそれを聴いているはずなのに、本日の場面では。「あなたでしょうか」と、やや自信なげです。しかしヨハネにとっては必死の問いでした。ですから弟子を二人派遣しています。旧約聖書の申命記に「二人ないし三人の証人の証言によって」、大切なことは立証されねばならないと書かれています。重大なことを確認するために、二名の弟子を送りました。ヨハネは獄中にあります。殺される予感があったでしょうし、そうなりました。救い主の先駆者となる自分の使命は本当に果たされたのか。それをはっきりさせなければ、納得して死ねないとの思いがあったでしょう。

 21節「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。」ヨハネ福音書9章に、イエス様が生まれつき目の見えない方を癒して見えるようにして下さった場面がありますが、「大勢の盲人を見えるようにしておられた」とは、驚くべきすばらしさ、と思います。イエス様は、ヨハネの思いを察して下さったのだと思います。二人に丁寧に答えて下さいます。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまづかない人は幸いである。」こう伝えればヨハネには分かるはずだというのです。イエス様のなさっていることは、イザヤ書35章等の実現です。イザヤ書35章5、6節には、こう書かれています。「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。」イザヤ書61章1節には、こうあります。「主(父なる神様)は私(イエス様)に油(聖霊)を注ぎ、主なる神の霊が私をとらえた。私を遣わして貧しい人に良い知らせ(福音)を伝えさせるために。」「貧しい人は福音を告げ知らされている」は、イエス様がルカ福音書6章で言われた御言葉等を指すのでしょう。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなた方のものである。今飢えている人々は、幸いである。あなた方は満たされる。今泣いている人々は、幸いである。あなた方は笑うようになる。」

 そしてイエス様は、「私につまづかない人は幸いである」と言われました。イエス様がなさったことは、確かに何もかもすばらしいのです。ですが、これらの活動を見て、イスラエルの皆がイエス様をメシアと認めるとも限らないのです。多くのイスラエル人は、メシアはイスラエル人を率いてローマ帝国の支配を打ち破る軍事的・政治的リーダーだと考えていたようです。その人々から見れば、イエス様の実際の働きは華々しい魅力に欠け、地味に映り、失望を招くものだった可能性があります。そのようにイエス様に失望し、イエス様につまづく人々が出て来る可能性は十分ある。それで「私につまづかない人は幸いである」とおっしゃったのでしょう。さらにイエス様は、私たちを罪から救うために、十字架に架かられます。常識的には十字架は敗北のしるしです。誇り高きイスラエル人にとって、十字架で死なれる方が救い主とは、到底受け入れられないことだったでしょう。使徒パウロがコリントの信徒への手紙(一)1章23節以下で述べています。「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かな者ですが、ユダヤ人であろうが、ギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」このように貧しい人、病気や障がいに苦労する一人一人に奉仕して、低きに徹するイエス様こそ救い主との信仰に生きることが、真の祝福です。

 そしてイエス様は、洗礼者ヨハネを高く評価する御言葉を語られます。24節以下「ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。『あなた方は何を見に荒れ野(ヨハネは荒れ野で暮らした)へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる(ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスへの批判)。では何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。』」これは最高の褒め言葉ですね。旧約聖書には偉大な預言者たちが登場します。エリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルたち。洗礼者ヨハネはそれ以上の存在だというのです。「『見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。」これは本日の旧約聖書・マラキ書3章1節の引用のようです。ヨハネが来ることは、旧約聖書で預言されています。28節「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。」イエス様も女性から生まれたのですが、イエス様を除けば、ヨハネより偉大な人物はいないという最高級の評価です。私たちはヨハネを、最大級に尊敬すべきです。「しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」私たちは、イエス様の十字架と復活のお陰で、天国に入れていただきます。どんな罪人(つみびと)でも、本心から罪を悔い改めれば、イエス様の十字架と復活のお陰で天国に入れます。福音の力は偉大です。ヨハネは最大級に立派な人ですが、福音の時代・新約聖書の時代にあっては、どんな罪人(つみびと)でも、真底から悔い改めれば、イエス様の十字架と復活のお陰で天国に入ることができます。旧約の時代より、新約の時代がはるかに優れているのです。

 29節「民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえも洗礼(バプテスマ)を受け、神の正しさを認めた。」ヨハネは確かに、神から遣わされた人であり、ヨハネを受け入れることは、神様に喜ばれることです。30節「しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼(バプテスマ)を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。」それは悔い改めを拒否したこと、神様のご好意と招きを無視したことです。31~32節「では、今の時代(イエス様の時代)の人たちは、何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言い合っている子どもたちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに、泣いてくれなかった。』洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなた方は『あれは悪霊にとりつかれている』と言い。人の子(イエス様)が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人(つみびと)の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

 これは洗礼者ヨハネとイエス様に接した、当時の人々の罪深い反応ですね。洗礼者ヨハネが来て、質素で禁欲的な生活に徹しました。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。信仰と理性ははっきりしていますが、野人・原始人のような生活です。ひたすら祈っていたでしょう。人々はそれを見て馬鹿にして「あれは悪霊にとりつかれている」と言いました。ヨハネは欲望充足とは全く無縁の、非常に厳しい生活を送っていたので、彼の生き方は葬式にたとえられました。「葬式の歌を歌ったのに、泣いてくれなかった。」人々が、神様に従うヨハネを支持しなかったことを指します。次にイエス様が来られて、徴税人や罪人(つみびと)と共に盛大な宴会に参加しました。これにはもしかすると私たちも、抵抗を覚えるのではないでしょうか。イエス様は大酒は飲まれなかったと思います。イエス様は徴税人や罪人が、罪を悔い改めることを喜んで下さるのです。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

 イエス様は、「私につまずかない人は、幸いである」と言われました。イエス様の時代のファリサイ派の人々、律法の専門家は、洗礼者ヨハネにもつまずき、イエス様にもつまずいたと言えます。今の日本の多くの方々も、ヨハネやイエス様につまずいているともいえるかもしれませんが、つまずく以前にヨハネのことも、イエス様のことも(その十字架と復活による救いの恵み)も、よくご存じないのが現状と思います。私たちは、あらゆる機会をとらえて、私たちが敬愛してやまないイエス様を、身の周りの方々に地道にお伝えして参りましょう。教皇レオ14世が。誕生しました。南米のペルーで奉仕され、貧しい人々に寄り添う姿勢を示しておられると報道されています。それはイエス様の心に通じるよいことと思います。私たちも、イエス様の心を自分の心として、生きて参りたいのです。アーメン。
アーメン。


2025-05-04 0:28:00()
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」2025年5月4日(日)復活節第3主日公同礼拝
(コリントの信徒への手紙(一)9:14~27) 同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだ方がましです……。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。

(説教) 本日は、復活節第3主の公同礼拝です。説教題は「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」、小見出し「使徒の権利」の後半です。この個所には、福音伝道者パウロの心意気が記されています。ご存じの通りパウロは、人生の前半ではクリスチャンたちを全力で迫害していましたが、復活されたイエス・キリストに出会って、イエス様こそ真の救い主との確信に至り、洗礼を受けて、後半生をイエス・キリストを宣べ伝える伝道に献げきった人です。

 最初の14節で、こう述べます。「同じように主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと指示されました。」これはイエス様が、マタイ福音書10章で、十二人の弟子たちを派遣する際に言われた御言葉を指します。「帯の中には金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。」それは当然の権利だと。

 しかし、とパウロは言うのです。15節「しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。」この当然の権利を進んで放棄したのです。それは他人を誰一人つまずかせないためです。誰か言うかもしれません。「あのパウロはお金がほしいから伝道しているんだよ。お金のために伝道しているに違いない。そんなパウロが宣べ伝えているイエス・キリストを、私は信じない。」そのように言う人が一人も出ないために、私は教会から謝儀を受ける権利を、進んで放棄したと言っています。使徒言行録18章を見ると、パウロはローマから来たアキラとプリスキラという夫婦の家に住み込んで、彼らと同じ職業テント作りの仕事で生活を立てながら伝道したと書かれています。パウロが、コリントの信徒への手紙(一)を書いた場所はエフェソと思われますが、エフェソでどのように生計を立てていたか分かりませんが、パウロはコリントに手紙を書くに当たり、少なくともコリントでは、テント作りで生計を立てながら、懸命に伝道したことを思いながら書いたと思います。同時にパウロは、フィリピの教会からの贈り物(おそらく献金)を、感謝して受けています。フィリピの信徒への手紙4章10節以下「あなた方が、私への心遣いを、ついにまた表してくれたことを、私は主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。」

 とにかくパウロは、本日の個所で、福音伝道によって謝儀を得る権利を、何一つ利用したことはありませんと断言しています。「こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら死んだ方がましです。だれも私のこの誇りを無意味にしてはならない。」謝儀なしで伝道することが、パウロの真の誇りであり、喜びです。パウロはさらに言います。16節「もっとも、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そうせずにいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです。」不幸という言葉は、元のギリシア語で「ウーアイ」です。もともとは「ウー」とか「アア」などの呻く言葉です。そして不幸、災い、呪いを意味します。「福音を告げ知らせないなら、私は不幸」とは。福音伝道をしなければ、私は神様・イエス様に背くことになり。背けば神様・イエス様から私は厳しく叱られるということと思います。

 「そうせずにはいられないことだからです。」コリントの信徒への手紙(二)5章14節の御言葉が思い出されます。「キリストの愛が私たちを駆り立てているからです。」イエス様の十字架の愛がパウロに迫り、パウロを伝道へと駆り立てているのです。コリント(一)9章に戻り16節後半から「そうせずにはいられないことだからです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは委ねられている務めなのです。」パウロにとって伝道は、イエス・キリストからある意味強いられた、強制されたことなのです。「強いられた恩寵」という言葉があります。パウロの場合も、イエス・キリストの伝道者になるということは、神様から彼に強いられた、強制された恩寵だったのではないでしょうか。

 強いられた恩寵という言葉が説教で語られるのは。しばしばマルコ福音書15章のイエス様がゴルゴタの丘に向かわれる場面においてです。シモンというキレネ人が、たまたま通りかかったので、兵士たちがイエス様の十字架を無理に担がせたのです。シモンにすれば、実に迷惑なことでした。しかし彼は後にクリスチャンになったと思われます。後から思えば、あれは神様の恵みだった。シモンはきっとそう振り返ったことでしょう。あのことのお陰で、自分はクリスチャンになり、永遠の命を受けた。そしておそらく家族もクリスチャンになったのです。あの時、十字架を無理に担がせられたお陰で、自分はイエス様に出会うことができた。あれは神様の恵み、恩寵だった。イエス様の十字架を代わりに背負うことは、無上に最高に光栄なことであった。イエス様は言われたのです。「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(マルコ9章34~35節)。

 教会にも時折、「強いられた恩寵」という言葉が使われます。教会で、思いもかけない奉仕を依頼された時、「それは困る」と思うことがあります。本当にどうしても無理な場合は、お断りすることもありです。しかし、神様の恵みであることが多いのです。大変だったけれども、何とか行ってみたら、神様の恵みだった、ということも少なくないのです。初代牧師の浅野先生の奥様の眞壽美夫人は、教会の皆さんに少し大変そうなご奉仕をお願いするとき、「恵みですよ」とおっしゃったと聞いています。少し大変そうだったが、思いきって引き受けてみたら、皆さん祈って下さるし、神様の助けもあって、恵みだったと確かに言える。この経験の持ち主は少なくないと思います。もちろんあまりにも重荷の場合は、断ることはありです。

 パウロも、イエス・キリストを宣べ伝える伝道者になるとは、ある意味で十字架を担がされたのです。強いられた恩寵です。パウロはこれを無上の光栄と受けとめたはずです。パウロにとって福音伝道は、石を投げられたり、多くの迫害を受ける苦難の道でした。十字架の道でした。しかし同時に、イエス様がいつも共にいて下さる恵みと慰めと祝福の道でした。パウロは伝道者という十字架の道を与えられたことを、無上の光栄と受けとめました。金銭的に無報酬で宣べ伝えることが、彼の報酬、誇りでした。「私の報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせる時にそれを無報酬で伝え、福音を伝える私が当然持っている権利を用いないということです。」イエス様も無報酬で伝道なさったのだから、自分も無報酬で伝道する。これがパウロの心意気だったと思います。ですが生きるに必要な食事等は、日々、神様から与えられたと思います。

 パウロが言うことは、福音のためなら、イエス様を宣べ伝えるためなら、自分が持っている当然の権利も自由も、自ら進んで。喜んで捨てるということです。それが真の自由なのです。パウロは、ひたすらイエス様に似た者となり、ひたすらイエス様に従います。イエス様は言われたのです。「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕(しもべ)になりなさい。人の子(イエス様)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10章43~45節)。これがイエス様の自由、パウロの自由、クリスチャン(キリスト者)の自由です。自分が当然持っている権利と自由を、ほかの方への愛のゆえに、喜んで進んで放棄する自由です。イエス様が神の子として天国におられたのに、その栄光を進んで捨てて、この危険な地上に降り、貧しい家庭に生まれ育ち、進んで弟子たちの足を洗い、進んで十字架に架かって死なれたように。パウロも同じ姿勢で生きるのです。

 19節「私は、誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。」それは、22節にあるように、「何とかして何人かでも救うためです。」何とかして何人かでもイエス様による救いを受けて、永遠の命に入っていただくためです。ですからパウロは言います。「福音のためなら、私はどんなことでもします。それは、私が福音に共にあずかる者となるためです。」何とかして、何人かでもイエス様を信じて永遠の命に入ってもらうために、私はどんなことでもする。これがパウロの信仰の心意気です。

 20節「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人(これもユダヤ人か)に対しては、私自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」ユダヤ人に伝道する時は、ユダヤ人にできるだけ合わせるようにしたのです(使徒言行録16章、テモテへの割礼。但しガラテヤの信徒への手紙から分かるように、救いのために割礼も必要との考えには断固絶対反対した)。但し罪を犯すことは絶対にしません。一緒に何かの罪を犯すことは絶対にしません。そこは明確です。21節「また、私は神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。」律法(その代表はモーセの十戒)を持たない人とは、異邦人(ユダヤ人でない人)のことでしょう。

 宣教師が日本に来れば、できるだけ日本語を学んで、まず日本人と友人になろうと努力するでしょう。中国奥地伝道で有名なハドソン・テーラー(19世紀~20世紀初頭)というイギリス人宣教師がいたそうですが、中国人と親しくなるために、中国人と同じ服を着ることを、仲間の宣教師たちに提案したそうです。但し、合わせ過ぎはよくない場合もあります。以前日本に来た宣教師が、日本人と仲良くなるために、祭りのお神輿を一緒に担いだそうですが、偶像崇拝の罪になる恐れもあるので、もしかすると合わせ過ぎだったかもしれません。目的はあくまでも、真の神の神の子イエス・キリストを伝えることであり、聖書の信仰を伝えることです。相手に合わせてよい部分と、決して妥協してはならない部分をよく区別し、わきまえることが大切と思います。
 
 22節「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべての者になりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします。それは、私が福音に共にあずかる者となるためです。」なぜパウロはこんなに熱心になれるのか。パウロの思いは、こうです。「キリストはこの兄弟(姉妹も含む)のために死んで下さったのです。」イエス・キリストが、私たちが日々出会う、この方のためにも、あの方のためにも死んで下さった! このキリストの死を無駄にしてはならない。このイエス様の十字架の愛を、この方にもあの方にも知っていただいて、ぜひ永遠の命を受けてほしい。その一念でパウロは、伝道に励んでいます。パウロの気持ちは、このような気持ちでもあります。ローマの信徒への手紙15章「私たち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。」

 パウロは、自分の伝道で他の人々を救ってあげようという上から目線ではありません。「私が福音に共にあずかる者となるためです。」自分も他の人々と一緒にイエス様の救いを受けたいのだ、と言っています。パウロは謙虚です。24節以下「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」

 「あなた方も賞を受けるように走りなさい。」もちろんイエス・キリストが私たちを救って下さるのですが、私たちも信仰の歩みに一生懸命取り組む必要があると言っています。「私たちは朽ちない冠を得るために節制するのです。」天国を目指して、信仰の生き方に集中して励むということでしょう。「自分の体を打ち叩いて服従させます。」パウロでさえ、悪魔の誘惑にさらされて、それに負ける恐れを感じていたのでしょう。誘惑に負けないように自分の体を打ち叩き、キリストに従う生き方にひたすら集中する。他人に伝道しておきながら、自分が失格者になり天国に入り損ねる結果にならないように、イエス様にひたすら従うと決意を述べています。パウロでさえこんなに真剣なのだから、私たちも目を覚まして信仰の歩み励む必要があると、励まされます。

 一昨日の午後、上野の東京国立博物館に行きました。一室でキリシタン資料展を行っています。浮世絵展もあり、ヨーロパ人が大勢いて驚きました。17世紀や18世紀の江戸時代に長崎などで使われた踏み絵の実物等が20点ほどでしょうか、展示されていました。この踏み絵を多くの人が踏んだのでしょうし、踏むのを拒否したキリシタンもいたと思います。今から約300年前にイタリアから来たシドッチ宣教師(神父)が持っていたイエス様の母マリアの色鮮やな絵もありました。カトリックなのでマリアの絵も持って来たのですね。当時キリスト教禁止の日本に行けば、つかまると分かっていて来たのです。屋久島でつかまり江戸に送られます。新井白石という学者がシドッチに会い、その人格の深さに感銘を受け、シドッチからヨーロッパの最新の知識をたくさん聞いて、西洋紀聞という本にまとめました。しかし宣教師なので今の丸ノ内線の茗荷谷駅の近くにあったキリシタン屋敷に閉じ込められました。キリシタン屋敷で牢番の夫婦に伝道して洗礼を授けました。役人の怒りを受け、シドッチと牢番夫婦はキリシタン屋敷内の別の牢に入れられます。牢番夫婦は、一生屋敷から出られないので、イエス様を信じて天国に行く方がよいと信仰を捨てませんでした。シドッチも別の牢から声をかけて「信仰を捨ててはいけない」と夫婦を励ましました。その後、三人は天に召されました。そのシドッチが持っていた色鮮やかなマリアさんの絵があり、「これがシドッチの持っていた絵か」と感動して見ました。今から数年前にキリシタン屋敷跡から、シドッチと思われるイタリア人男性の遺骨が発掘されました。シドッチは、キリスト禁止の日本に殉教覚悟で来た。「何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします。」シドッチもこの信仰に生きた。彼は牢番夫婦二人だけに洗礼を授け、この二人のみを救った。何十・何百人も救ったのでないが、キリストに従った尊敬すべき生涯。「福音のためなら、私はどんなこともします。」私たちはパウロやシドッチほど立派に生きることは難しい。でも福音のため、イエス様のために、自分のできることは精一杯行おうではありませんか。今年度1年間、これが標語聖句です。大きなことはできなくても、福音のためイエス様のために、自分のできる小さなことでよいから、精一杯行う。その思いで2025年度を賞を得るように、共に精一杯伝道に取り組みたいと願います。アーメン。


2025-04-27 1:00:36()
「わたしたちの心は燃えていたではないか」2025年4月27日(日)復活節第2主日公同礼拝
(ルカ福音書24:13~35) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。


(説教) 本日は、復活節第2主の公同礼拝です。本日の説教題は「わたしたちの心は燃えていたではないか」、小見出しは「エマオで現れる」です。本日の場面は、非常に美しい場面で、多くの人々に愛されている個所だと思います。これはイエス様が復活なさった日曜日の出来事で、この日の早朝。婦人たちがイエス様の墓に行ってみると。輝く衣の二人の人が現れ、「あの方(イエス様)は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と語ったのです。この出来事は、先週の礼拝で読んだマルコ福音書16章にごく短く記されています。「その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿でご自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。」著者のルカは、本日の個所をとても生き生きと書いています。この中にクレオパという弟子が登場しますが、ルカはこの出来事をクレオパから直接聴いて書いたに違いないという人もいます。その可能性は十分にあります。

 最初の13~14節「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから60スタディオン(約11キロ)離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」私たちはこの二人は男性だと思っているかもしれませんが、一人は女性の可能性も捨てきれないという人もいます。本日は、それにはあまりこだわらないで進みます。15節「話し合い、論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」ここから私たちは、イエス様はいつも私たちと共に歩んで下さる方だと知ることができます。詩編23編4節にあるように、「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたが(イエス様が)私と共にいて下さる」と私たちは告白することができますし。死の陰を超えて私たちが天国に達するときまで、イエス・キリストは私たちと共に歩んで下さいます。「永遠の同伴者イエス」という言葉もあります。「永遠の同伴者イエス」です。

 16節「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」二人はイエス様の死の衝撃と悲しみで心が塞いでいて、イエス様に再び出会えると全く期待していなかったので、イエス様だと分からなかった可能性もあります。この心理状態をルカは「目が遮られていた」と表現したとも言えます。大きな衝撃や悲しみで心がいっぱいになると、私たち人間は視野が狭くなってしまいます。それでイエス様が近くにいても、全然見えないということはあり得ると思います。17節「イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。イエス様は私たちのレベルにまで降りて来て下さって、私たちをよき信仰へと導いて下さるのですね。

 「二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパ(男性)という人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』」クレオパには、この正体不明の人は、エルサレムの住民ではなく、別の所から来た旅人に見えたのですね。そしてクレオパともう一人は、イエス様のことを話し始めます。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。」すばらしい預言者だが。神の子とまでは思っていなかったことが分かります。「それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは。死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、あの方こそイスラエルを解放して下さると望みをかけていました。」この二人も他の弟子たちも基本的には同じだったと思います。これほど力あるイエス様だから、自分たちイスラエル人を苦しめているローマ帝国の支配を打ち破って、イスラエル国の独立を取り戻して下さるに違いない。自分たちはイエス様をリーダーに押し立ててローマ軍を打ち破り、栄光のイスラエル王国を再建し、私たちイエス様の弟子たちは、右大臣や左大臣になってこの世の栄光を楽しむのだ。」イエス様をそのような栄光のメシアと思い込んでいた弟子たちは、まさかイエス様が十字架で殺されるとは絶対にあり得ない、完全に想定外だったのです。

 「しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。」カトリックのフランシスコ会の註解書によると、これはこのような意味かもしれないということです。その頃のユダヤ人の考えでは。人が亡くなると、その人の霊(魂)が三日間、遺体の近くにいる。しかし三日たつと去ってしまう。イエス様が亡くなって今日で三日目だが、私は復活したイエス様に出会っていない。だからいよいよ希望が本当に断たれた。これがクレオパの言葉の意味だとフランシスコ会の註解書には書かれています。

 ところが1つ気になることがあるのです。22節「ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」クレオパは、自分の心の中の疑問、誰かに訴えずにはおれない疑問を、この正体不明の旅人にぶつけたのです。ここまで黙ってじっくり聴いて下さったイエス様は、理想的な傾聴者、理想的なカウンセラーです。

 満を持してイエス様が語られます。25節「そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、「メシアは、こういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったではないか。そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」実はイエス様は十字架に架かる前にも、同様のことを弟子たちに語りました。たとえばルカ福音書18章31節以下で、イエス様は12弟子たちに予告しておられます。「今。私たちはエルサレムへ上って行く。人の子(イエス様)について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に退き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして人の子は三日目に復活する。」かなり明確に語っておられます。しかし、12人の弟子たちには全く理解できませんでした。

 この不思議な旅人(イエス様)は、旧約聖書全体に渡り、御自分について書かれていることを、二人の弟子たちに説き明かして下さいました。私たちもぜひ、その内容を聴きたかったですね。それを聴けば、旧約聖書が実はイエス・キリストを指し示していることが。私たちにもより鮮明に分かったに違いないのです。イエス様の解き明かしの内容はここに詳しく書かれていないのですが、しかし私たちも聖書をよく読めば、かなり分かるはずです。ポイントは「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」「はず」は、元のギリシア語で「デイ」という短い言葉です。何度も申して来た通り、この「デイ」は必ずの意味、必然と表す言葉です。神様の必然を表す言葉です。「メシア(救い主)は、必ずこういう苦しみを受けて、栄光入ると定められていた」ということです。弟子たちにとってイエス様の受難(十字架)は、「まさか」の出来事でしたが、神様から見れば必然だったのです。それが分かるように、イエス様は「モーセとすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。」

 当時は、旧約聖書の最初の5冊(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)はモーセが書いたと面われていたので、ここで言うモーセとは、この五書と思います。そして預言者とは、預言者の書です。当然、イザヤ書53章のことを話されたに違いありません。ご存じのように、イザヤ書53章は、イエス様の十字架の受難を予告した最も重要な御言葉です。詩編22編のことも話されたでしょう。詩編22編にはイエス様の十字架上の叫びが記されています。「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。」

 復活については、詩編16編を語られたと思います。使徒言行録2章を見ると、詩編16編がイエス様の復活を預言する詩編と明記されているからです。「体も希望のうちに生きるであろう。」「彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない。」おそらくホセア書6章2節をも語られたと思います。「二日の後、主は我々を生かし、三日目に立ち上がらせて下さる。」これを聞いて二人は、父なる神様の深いご計画、イエス様のご生涯の真の意義、旧約聖書の真のメッセージが、次第に分かり始めたのです。

 28節~「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まり下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。」旧讃美歌39番(讃美歌21の218番)1節「日暮れて、四方は暗く、わがたまはいと寂し、寄る辺なき身の頼る、主よ共に宿りませ」が思い出されます。

 30節「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」やっとこの正体不明の同伴者が、復活なさったイエス様に他ならないことが、二人に分かりました。イエス様の4つの動作によってです。「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、渡す」4つの動作です。それはこのルカによる福音書9章で、ベトサイダの町で五千ほどの男たちを、イエス様が満腹させた時の動作とそっくりでした。「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。」そして22章の「主の晩餐」(最後の晩餐)の場面です。「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて」とあります。神学生時代に東京神学大学と日本ルーテル神学大学(隣接)の一致礼拝に出席した。同じプロテスタントでも先方はルター派。司祭が目の前で一人一人にパンを裂いて渡してくれる。「これはあなた方のために裂かれたイエス・キリストの体。」(ニコライ堂<ギリシア正教>の聖餐式体験)、

 32節「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」説明は、直訳で「開く」。イエス様が教えてくださったことで、旧約聖書が彼らに開かれて、旧約聖書が実は十字架と復活の救い主イエス・キリストを指し示していることが見えて来た。詩編119編130節「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。」これが実現し、二人の心は燃えた。聖書が分かった喜びに燃え、聖霊に満たされて、心が燃えた。18世紀のイギリスの伝道者ジョン・ウェスレー。アルダースゲートの回心。失意の中でローマの信徒への手紙の朗読を聴き、心が不思議に燃えるのを経験、聖霊体験。お隣の日本キリスト教団東京新生教会の初代牧師・横山先生のご葬儀に参列。牧師になってから、ウェスレーのような聖霊体験、それから説教が変わったと、何度も語られたとのこと。私たちも洗礼を受けたとき、聖霊を受けた、「イエスの焼き印」を受けた(ガラテヤ6章17節)。私たちは聖餐式によって、イエス様の十字架の愛を確認できる。復活されたイエス・キリストは、私たちが天国に行くまで、私たちに寄り添って下さる。
 
 ジェイソンという友人に寄り添った青年。 天に召されたフランシスコ教皇。亡くなる前日のイースターのメッセージでは「平和の光が聖なる地と世界中を照らしますように」と祈った。「私はガザの人々、特にキリスト教徒のことを思っています。死と破壊を引き起こし、悲惨な人道状況をもたらしています」「戦争の当事者に訴えます。停戦を呼びかけ、人質を解放し飢えた人々を助けてください!」ホーリーファミリー教会は、ガザで少数派のキリスト教徒の避難所になり、中庭は仮設テントで埋まっている。教会にはイスラム教徒の親子も身を寄せている。教皇は毎日のようにガザに電話し、人々に寄り添った。召される前日も、非常に体調が悪いのに電話すると言い張ったという。私たちもイエス様に寄り添っていただくことで強められ、他の方々に寄り添えるように願います。アーメン。


2025-04-20 2:37:15()
「復活したキリストの宣教命令」2025年4月20日(日)イースター公同礼拝
(マルコ福音書16:1~20) 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
◆マグダラのマリアに現れる
〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
◆二人の弟子に現れる
その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。
◆弟子たちを派遣する
その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
◆天に上げられる
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕
◇結び 二
 〔婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。〕

(説教) イースターおめでとうございます。本日の説教題は「復活したキリストの宣教命令」、最初の小見出しは「復活する」です。昨日は、雨天のため延期した東久留米教会の墓前礼拝を献げ、クリスチャンとして歩まれた方々が今は天におられることを確認して参りました。マルコ福音書15章によると、イエス様が金曜日の午後3時ころに十字架上で息を引き取られた後、アリマタヤ出身のヨセフが、イエス様の遺体を十字架から降ろして亜麻布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には非常に大きな石を転がして、墓を塞ぎました。非常に大きな石なので、ほかにも男性の協力者がいたのではないかと思われます。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエス様の遺体を納めた場所を見つめていました。このヨセの母マリアは、前の40節に出て来る「小ヤコブとヨセの母マリア」と思われます。小ヤコブとはマルコ福音書3章の12弟子のリストに出て来る「アルファイの子ヤコブ」らしいので、「ヨセの母マリア」は、イエス様の母マリアではないようです。

 十字架で死なれたイエス様は、私たちが使徒信条で告白しているように、「死にて葬られ、陰府に降」っておられました。新約聖書のペトロの手紙(一)3章18~19節にこうあります。「キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きるものとされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれた霊たちのところへ行って、宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかったものです。」イエス様は確かに死なれたのですが、陰府(死者の国)に行って宣教なさったと書かれています。その後のことが、本日のマルコ福音書16章に書かれています。

 1~2節「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメはイエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」香料は、原語のギリシア語を見ると、「アロマー」です。良い香りの香料は高価だったとも思いますが、イエス様への愛に燃える婦人たちは香料(アロマ)を買い、イエス様の遺体を真心こめてケアをするために、日が出て光が射し始めると、すぐ墓に急ぎました。午前5時ころでしょうか。この行動は、男性の弟子たちとは全然違います。

 3~4節「彼女たちは、『誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。」石は転がされていたのです。受け身の形の動詞が使われています。石は既に転がされていた。神様が転がして下さったのです。神様が石を転がして、墓を開いて下さいました。神の御業です。

3節「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。予想外のことなので、びっくりしたのです。6~8節「若者は言った。『驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。ご覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と。』婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。恐ろしかったからである。」

 マルコ福音書は、4つの福音書の中で一番最初に書かれたと言われています。それだけに、イエス様の復活の朝の出来事を非常に素朴に率直に正直に書いている印象を受けます。もちろん他の福音書に書いてあることも本当でしょうが。マルコ福音書のイエス様の復活の場面で目立つのは、婦人たちの驚きです。婦人たちは、若者のを見驚き、若者のメッセージを聞いて、喜んだのではなく震え上がり、正気を失います。激しい衝撃・ショックを受け、恐ろしさで胸がいっぱいになり、そして墓を出て走って逃げたようです。大変な体験であり、気楽な体験では全然なかった。

 聖書には、罪ある私たち人間が、罪のない聖なる神様を直接見ると、死ぬという発想があります。出エジプト記3章に、モーセが神様と出会う場面がありますが、「モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った」と書かれています。婦人たちがあ出会った若者は、おそらく天使で、神様に造られた存在で、神様ではりません。それでも、聖なる栄光に輝く神様がおられる天から来たので、天のまばゆい栄光を身にまとっていたはずです。それで婦人たちは非常に恐れたのだと思います。旧約聖書の士師記13章で、サムソンという人の両親が天使に会う場面がありますが。サムソンの父となるマノアという人が妻に。「私たちは神を見てしまったから、死なねばなるまい」と言います。結果的には死なずにすんだのですが、「神を見たら死ぬ」という発想をしていることが分かります。この夫婦が出会ったのは天使ですが、天使に出会うことも、神様に出会うに近い衝撃的な体験だったと分かります。

 有名なのはイザヤ書6章です。これは紀元前736年頃のことと思われますが、預言者イザヤが、天におられる聖なる栄光に満ちた神様を垣間見る体験をしたのです。イザヤは。感謝して喜んだのではなく、圧倒されてしまい、「災いだ。私は滅ぼれる」と言ったのです。ある訳では「もうだめだ」と訳しています。イザヤも神様を見て、自分は死ぬと思ったのです。幸い死にませんでしたが。ダニエルというすばらしい信仰者もいましたが、ダニエルが天使ガブリエルに出会ったとき、恐れてひれ伏し、気を失った地に倒れました。ダニエルが次に天使に出会ったとき、ダニエルは、力を失い、自分は「「息も止まらんばかり」だと述べています。神様や天使に出会う体験は、このように圧倒される体験、息もとまらんばかり、気を失うショッキングな体験だと分かります。超自然的な方に会うのですから、当然とも言えます。この婦人たちの反応は、本当だったと思います。

 婦人たちの耳に入らなかったと思いますが、天使は大切なメッセージを語っています。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」復活したは。受け身の動詞です。直訳すると「甦らされた、復活させられた」です。イエス様がご自分の力で甦ったのではなく、父なる神様の御力によって甦らされた、復活させられたのです。明記されていませんがが、主語は明らかに父なる神様です。

 天使は大切なメッセージを語っています。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」復活のイエス様が先に立って弟子たちと教会をリードして下さいます。これはありがたいことです。私たちが自分の努力と力だけで教会をリードして発展させると考えると、なかなか重荷ですが。復活されたイエス様が弟子たちと教会をリードして下さるのですから、ほっとして、「私たちもイエス様に導かれて努力しよう」という気持ちになれます。天使は「弟子たちとペトロに告げなさい」と言っています。他の弟子たちの名前は出ないで、ペトロの名前だけ出て来ます。これはやはり天使も神様も、ペトロの失敗をよく知っているからでしょう。

 それは木曜日から金曜日にかけての深夜のことですから、婦人たちが空の墓に行ったわずか二日前、おそらく約50時間前です。ペトロは思わず三度、イエス様を知らないと言ってしまいました。「あなたが何のことを言っているのか。私には分からないし、見当もつかない。」その後再び打ち消し、三度目は呪いの言葉さえ口にしながら、「あなた方の言っているそんな人は知らない」と言ってしまいました。イエス様の予告「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」通りになり、ペトロは、イエス様の予告を思い出して、泣いたのです。自分の情けなさを悔やみ、自分の罪を悔い改めて激しく泣きました。もうイエス様に合わせる顔はないと思っていましたし、もしイエス様が復活なさっても、とても会えない気持ちだったと思います。イエス様も天使も、そのペトロの気持ちを十二分に察していました。ペトロの罪を赦している、ペトロを決して見捨てていないことを示すために、あえてペトロの名前を出して下さいました。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。」神様の温かいご配慮です。

 本日は「結び一」の最後まで読みました。次の小見出しは「マグダラのマリアに現れる」で。この出来事はヨハネ福音書20章11~18節に詳しく描かれています。その次の小見出し「二人の弟子に現れる」は。ルカによる福音書24章13~35節に詳しく描かれている出来事のことと思われます。そこは次週の礼拝で読みます。

 次の小見出しは、「弟子たちを派遣する」です。14~15節「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを信じなかったからである。それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。』」全世界の「世界」は、元のギリシア語でコスモスという言葉です。コスモスという言葉には宇宙の意味もあるようですが、ここでは世界の意味、私たちが住む地球のことと言えます。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」「すべての造られたもの」は「全ての人間」の意味ととる人と、「神様がお造りになった自然界全体」の意味にとる人がいます。私は前者ととるのが無理がないと思いますが、後者の解釈も魅力的です。神様は最終的には全宇宙を救って下さるからです。ローマの信徒への手紙8章21節にこあります。「つまり、被造物(神様に造られたもの)も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」アッシジのフランチェスコという昔のイタリアの聖人は、鳥にも説教したと言われますね。神様がお造りになった自然界、動植物を愛したフランチェスコ、鳥たちをも愛して、鳥たちにも説教をしたと。

 後者の解釈も魅力的ですが、「すべての造られたもの」は、全ての人間を指すと受け止めるのが自然でしょう。16節に「信じて洗礼(バプテスマ)を受けるものは救われるが、信じないものは滅びの宣告を受ける」とあるからです。もちろんこの御言葉は、全ての人に洗礼を受けて救われなさいという、イエス様の愛の招きだと信じます。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」1549年に日本に初めてその福音を宣べ伝えたフランシスコ・ザビエルは、イエス・キリスト2つの御言葉に非常に心を打たれていました。1つが今の御言葉です。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」もう1つが、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マタイ福音書16章26節)。

 先月もお話したように、私は3月にエックハルト・シャルフシュベアトという医療宣教師のお話を伺いました。ドイツ人で、中国の雲南省でイエス・キリストの愛を証しされた方です。中国奥地伝道で著名なハドソン・テーラーという宣教師に憧れ、1999年から2016年までご一家で中国の雲南省に行かれ、ご本人は医者としての大変誠実なご奉仕を通して、イエス・キリストの愛を伝えられました。本当は表立っての伝道をなさりたかったのですが、中国ではそれが許されないため、医師としてご奉仕なさいました。同僚を招いてのクリスマス会は、行うことができたそうです。この先生は私たちに、「あなたの人生(生き方)が、あなたのメッセージ」ということを冒頭に言われました。私たち一人一人の生き方が、私たちからのメッセージとして人々に伝わるの意味だと思います。私たち一人一人の言葉と生き方によってイエス・キリストを伝えなさいという励まし、そして私たちへのチャレンジとして、私はエックハルト先生の言葉を受けとめました。

 17節「信じる者には、次のようなしるしが伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。」神の子イエス様が福音書の中でなさったのと同じことを行うというのです。イエス様ほどにはできなくても、ある程度できる可能性はあります。イエス様は確かに悪霊を追い出して、人々を救って下さいました。

 18節「手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」確かに、神様の愛の力が私たちに完璧に注がれれば、手で蛇をつかんでも、毒を飲んでも害を受けないということが起こるでしょう。イエス様の使徒パウロには、このようなことが起こっています。パウロが最後の旅、ローマへの旅の終わりの方で船が難破してマルタ島に打ち上げられたとき、蝮が出て来てパウロの手にぶら下がりました。そして噛まれたと思います。島の住民が見ていて、体が腫れ上がるか、急に倒れて死ぬだろうと思っていましたが、パウロは蝮を振り落とし、何の害も受けませんでした。この島の長官のプブリウスという人の父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその父の家に行って祈り、手を置いて癒したと書いたあります。イエス様が言われた通りになったのです。神様の愛の力が十分に与えられる時、このような奇跡は起こります。そのように神様を深く信頼することが大切と信じます。しかし必要もないのに、わざわざ蛇をつかんだり、毒を飲んでみて、わざわざ自分が大丈夫であることを証明しようとするべきではありません。それは「神様を試す罪」だと信じます。イエス様は「あなたの神である主を試してはならない」ともはっきり言われます。「手で蛇をつかみ、毒を飲んでも害を受けない」と書いてあるので、わざわざ実行してみて、命を落とした人もいると読んだことがあります。神様は私たちがピンチの時に、必要な助けを与えて下さると信頼して、しかし神様が本当に助けて下さるか試してはならないと信じます。アーメン。