
2023-05-01 21:10:25(月)
伝道メッセージ (市内の保育園の「おたより」3月号に掲載した文章)石田真一郎
「隣人を自分のように愛しなさい」(新約聖書・マタイ福音書22章39節)。
田内千鶴子さんというクリスチャン(1912~1968)をご紹介します。高知市生まれで、7才で朝鮮半島南西部の木浦(モッボ)に住みます。父親が朝鮮総督府の役人でした。1910~1945年、日本が朝鮮半島を植民地にしていました。非常に申し訳ないことです。
田内さんが、キリスト教主義の貞明女学校で音楽を教えていたとき、恩師からユン・チホさんという男性を紹介されました。キリスト教の伝道者で、孤児たちを集めて掘っ立て小屋の「木浦共生園」を造っていました。日本人が土地を占領し、行き場を失った人々の子どもが大勢いたのです。若く正義感にあふれていた田内さんは、チホさん(乞食大将と呼ばれていた)の手伝いを始め、その後結婚します。周囲の人々に反対されました。しかし田内さんの母親だけが、「イエス様の国には、日本人も朝鮮人も区別はありません。信じた道を進みなさい」と励ましました。
夫婦は食べ物、着るもの、電気ガスもない生活の中で、あちこち歩いて寄付を集め、何度も役所に足を運び、少しずつ援助が出て、孤児たちの生活もようやく人間らしくなります。子どもが二人生まれ、結婚6年後に日本が敗戦。田内さんに危険な状況です。夫のチホさんは「私は命がけであなたを守ります」と言ってくれます。一時帰国しますが、二人の子どもと共生園に戻ります。「お母さんが戻って来た!」孤児たちが裸足で駆け寄り、田内さんは「もう決してこの子たちと離れまい」と心に繰り返します。日本人を嫌う人たちが押し寄せたこともあります。孤児たちが、「日本人でも、僕たちの大事なお母さんだ」と守ってくれました。
朝鮮戦争中の1951年、チホは孤児たちの食料調達のため、90kmも離れた光州に行きます。危険と止められても「私は神の使命を背負っている」と言って出かけ、帰って来なかったのです。夫の代わりに園長になり、朝鮮戦争で孤児はさらに増え、ないないづくしの中、孤児たちを食べさせるために奔走。3000人の孤児が育ち、「孤児の母(オモニ)」と呼ばれます。1968年56才で天国に帰り、日本人で初の木浦市民葬が行われました。田内さんのことは『愛の黙示録』という映画になり、私は25年前に所沢で観ました。石田えりさんが田内さん役です。田内さんは、日本より韓国で記憶されています。昨年10月に生誕110年記念式が木浦で行われ、韓国の大統領のメッセージが読まれ、日本でも報道されました。日韓の架け橋をなった、こんな先人がおられたことを心に刻みたいと思います。アーメン(真実に)。
田内千鶴子さんというクリスチャン(1912~1968)をご紹介します。高知市生まれで、7才で朝鮮半島南西部の木浦(モッボ)に住みます。父親が朝鮮総督府の役人でした。1910~1945年、日本が朝鮮半島を植民地にしていました。非常に申し訳ないことです。
田内さんが、キリスト教主義の貞明女学校で音楽を教えていたとき、恩師からユン・チホさんという男性を紹介されました。キリスト教の伝道者で、孤児たちを集めて掘っ立て小屋の「木浦共生園」を造っていました。日本人が土地を占領し、行き場を失った人々の子どもが大勢いたのです。若く正義感にあふれていた田内さんは、チホさん(乞食大将と呼ばれていた)の手伝いを始め、その後結婚します。周囲の人々に反対されました。しかし田内さんの母親だけが、「イエス様の国には、日本人も朝鮮人も区別はありません。信じた道を進みなさい」と励ましました。
夫婦は食べ物、着るもの、電気ガスもない生活の中で、あちこち歩いて寄付を集め、何度も役所に足を運び、少しずつ援助が出て、孤児たちの生活もようやく人間らしくなります。子どもが二人生まれ、結婚6年後に日本が敗戦。田内さんに危険な状況です。夫のチホさんは「私は命がけであなたを守ります」と言ってくれます。一時帰国しますが、二人の子どもと共生園に戻ります。「お母さんが戻って来た!」孤児たちが裸足で駆け寄り、田内さんは「もう決してこの子たちと離れまい」と心に繰り返します。日本人を嫌う人たちが押し寄せたこともあります。孤児たちが、「日本人でも、僕たちの大事なお母さんだ」と守ってくれました。
朝鮮戦争中の1951年、チホは孤児たちの食料調達のため、90kmも離れた光州に行きます。危険と止められても「私は神の使命を背負っている」と言って出かけ、帰って来なかったのです。夫の代わりに園長になり、朝鮮戦争で孤児はさらに増え、ないないづくしの中、孤児たちを食べさせるために奔走。3000人の孤児が育ち、「孤児の母(オモニ)」と呼ばれます。1968年56才で天国に帰り、日本人で初の木浦市民葬が行われました。田内さんのことは『愛の黙示録』という映画になり、私は25年前に所沢で観ました。石田えりさんが田内さん役です。田内さんは、日本より韓国で記憶されています。昨年10月に生誕110年記念式が木浦で行われ、韓国の大統領のメッセージが読まれ、日本でも報道されました。日韓の架け橋をなった、こんな先人がおられたことを心に刻みたいと思います。アーメン(真実に)。
2023-04-30 0:58:24()
「本当に見えるとは」2023年4月30日(日)復活節第4主日公同礼拝
順序:招詞 ヨハネ福音書20:27~28,頌栄29、主の祈り,交読詩編92,使徒信条、讃美歌21・322、聖書 イザヤ書35:5~6(旧約p.1116)、ヨハネ福音書9:24~41(新約p.185)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌321、献金、頌栄83(1節)、祝祷。
(イザヤ書35:5~6) そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。
(ヨハネ福音書9:24~41) さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
◆ファリサイ派の人々の罪
イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。
(説教) 本日は、復活節第4主日の礼拝です。説教題は「本当に見えるとは」です。新約聖書はヨハネ福音書9章24~41節です。
9章はやや長い章で、イエス様が生まれつきの盲人の両目を開く愛を行って下さったことが記されています。当時のユダヤ社会では、病気や障がいは、その人か両親が何か罪を行って結果の罰だと考えられていました。このような考えは日本にもあり、因果応報と呼ばれる考え方です。統一協会の悪名高い霊感商法は、この因果応報の考えを利用しています。「あなたの病気は、先祖が悪いことをした結果だ。「この壺を100万円で買えば、その霊障(障り、たたり?)を取り除くことができる」と人の弱みに付け込んで壺を売りつける悪質な商法です。イエス様はもちろんそんな悪質なことはなさいません。因果応報の考えも「違う」と言われます。この人が生まれつき目が見えないのは、「本人が罪を犯したからでもなく、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と断言されました。そしてこの方の目が見えるようにして下さいました。愛の奇跡です。
ところが、この癒しが土曜日・安息日に行われたために、ユダヤ人のファリサイ派と呼ばれる人々が激しく反発しました。確かに旧約聖書のモーセの十戒の第四の戒めで「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と明記されています。モーセの十戒は私どもクリスチャンも基本的に大切にしています。「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」確かに安息日には、休む・中断するの意味があり、人間の業をストップして神様を礼拝する日であることは確かです。そこで安息日の掟を機械的に解釈すると、安息日には礼拝に専念し、礼拝以外の何も行ってはいけない日になります。ファリサイ派の人々はそう考えました。
イエス様はやや違いました。もちろんイエス様も安息日には必ず礼拝なさいました。それは父なる神様を愛されたからです。イエス様は、父なる神様を愛することと、隣人を愛することを最も重視なさいました。安息日は、父なる神様を愛して礼拝し、隣人愛を行う日なのです。ですから安息日に父なる神様を愛して礼拝し、目の見えない方を癒すことは、安息日に最もふさわしい行いなのでした。これはもちろん安息日だけでなく、あるいはクリスチャンの礼拝の日である日曜日だけでなく、毎日行うことがベストです。平日は時間を長くとって礼拝することは難しいので、個人で聖書を読み祈る形で短めに礼拝を行い、隣人愛も大きなことはできなくても、身近な人々に親切にすることで行うことができます。ともあれファリサイ派の人々は、安息日を礼拝以外の何事も行ってはいけない日と解釈し、イエス様は安息日を、父なる神様を愛して礼拝し、隣人を積極的に愛する日と信じたために、両者の生き方が対立してしまったのです。
ファリサイ派の人々は、目が見えるようになった本人を尋問し、その両親まで呼び出しました。その上で見えるようになった本人を再び呼び、(24節)「神の前で正直に答えなさい。私たちはあの者(イエス様)が罪ある人間だと知っているのだ。」ファリサイ派の人々は、イエス様を心から憎んでいます。ですから彼らの心は、悪魔に支配されていると言わざるを得ません。単なる意見の違い・対立を超えて、彼らの心は悪魔の支配下に入ってしまっています。癒された人は答えます。「あの方が罪人(つみびと)かどうか、私には分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」これは事実ですから、事実の前には誰も反論はできません。イエス様はメシア(救い主)として、この人の目を見えるように癒して下さいました。
この癒しが、イエス様がイスラエルが待ち望むメシア(救い主)であることを証明しています。本日の旧約聖書・イザヤ書35章5節に書かれてある通りです。「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。」ファリサイ派の人々もこの御言葉をよく知っているはずなので、素直な目で見れば、イエス様が旧約聖書の指し示すメシア(救い主)であることが分かるはずなのです。ところがファリサイ派の人々の目が過度のプライドや偏見でいっぱいになり、物事か正確に見えなくなっているのですね。これは私たちにとっても、しばしば起こることと思います。彼らは言います。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えます。「もうお話ししたのに、聞いて下さいませんでした。なぜまた聞こうとなさるのですか。あなた方もあの方の弟子になりたいのですか。」
28節「そこで、彼らはののしって言った。『お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。』」ファリサイ派の人々は、モーセの弟子だという自信をもっています。しかし実際にモーセが来れば、「あなた方は神の心と私モーセの心から遠く離れている」と言うでしょう。彼らは実際には悪魔の弟子になってしまっています。神の子イエス様を憎んでいるからです。彼らは「我々はあの者(イエス様)がどこから来たのかは知らない」と言いました。イエス様はどこから来たのかと言うと、父なる神様のもとである天から来られたのです。目を開けていただいた人は、当然ですが、イエス様を擁護します。「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」すると彼はファリサイ派に追放されます。
その彼にイエス様が出会って下さり、「あなたは人の子を信じるか」と問われます。「人の子」とは世の終わりに神から派遣される救い主のことと言ってよいでしょう。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエス様は、ずばり「あなたと話しているのが、その人だ」と言うと、彼は「主よ、信じます」と告白してひざまずきました。「主よ、信じます。あなたを人の子、救い主と信じます。」これは立派な信仰告白です。彼は17節では「あの方(イエス様)は預言者です」と言いました。それがもっと導かれ「主よ、信じます」と告白し、ひざまずいたのです。イエス様を真の救い主と信じ、告白したのです。彼は肉体の目が開いただけでなく、心(魂)の目も開きました。イエス様こそ、イスラエルの民が待ち望む世界の真の救い主であると、心(魂)の目で見えるようになったのです。真の開眼です。
そして主イエスは言われます。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」「裁く」という言葉は、元のギリシア語で「分ける」の意味も持ちます。「裁く」とは「正しいいこと」と「正しくないこと」を分ける、あるいは「真理」と「真理でないこと」を分けることなのですね。「私がこの世に来たのは、分けるためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」目の見えなかった男性は肉眼が開くと共に、心(魂)の目も開いて、イエス様こそ真の救い主であるという真理が見えるようになりました。反対に、肉眼はずっと開いているファリサイ派は、心(魂)の目が非常に曇り、閉じていて、イエス様を神の子と認めることができないばかりか、イエス様を憎み、イエス様に殺意さえ抱くのです。
イエス様の厳しい言葉に、おそらく腹を立てたファリサイ派の人々は、「我々も見えないということか」とつっかかります。イエス様は、「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう(真理が見えないと正直に言えば、罪はなかっただろう)。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」このファリサイ派の罪は、私たちにとっても他人事ではありません。私たちもよく、物事の真相を正しく見ることに失敗し、正しく判断することに失敗するからです。祈るしかありません。「神様、私の心と目から間違った偏見や、間違ったプライドを取り除いて下さい。そしていつも狂いのない眼で物事を見極め、あなたの御言葉と聖霊に導かれて、あなたの御心に適う判断と行動ができますように、いつも導いて下さい」と祈る必要があると、痛感します。
日本で、目の見えない方々を支えるライトハウスという施設を造った岩橋武夫と(1898~1954年)いうクリスチャンがおられたことを知りました(手島悠介著『光はやみより』中央法規、1996年)。日本の視覚障がい者を励ますために、ヘレン・ケラーを日本に招くこともなさいました。岩橋さんは、20歳の時に失明という大きな試練を受けられ、一時は人生に絶望なさいました。無理もないと思います。しかし目の見えない熊谷鉄太郎牧師の講演を聴いて、励まされます。この熊谷鉄太郎牧師は、4歳の時に天然痘で視力を失った方でした。北海道の江差でニシン漁の親方だった祖父に育てられました。目が見えなくても、北海道で野草摘み、魚とりと遊び回る子ども時代を過ごした熊谷牧師は、次のような話をして岩崎青年を励ましたのです。
「野に咲くユリを見れば、目の見える人は『ああ、ユリが咲いているな』と分かります。目の働きは能率的です。しかし能率的な理解は、1つの小さな情報として忘れ去られることも早いのです。忙しく暮らしている晴眼者にとっては、それが当然です。このように、目の見える人がそこにあるユリの本質、存在そのものをしっかりつかまないで、『分かったつもり』になってしまうのに対して、目の見えない人はどうでしょうか。 野に咲くユリの、まず香りを感じて、『ユリの花だな』と思う。『どんなユリだろうか』と考え、手を差し伸べる。その柔らかい手触り、湿り気、重み、形を指で確かめると、それが頭に入る。ユリの存在そのものが、自分とのかかわりの中で、確かめられ、理解できるのです。これは決して単なる知識、情報の1つではない。色の美しさは見えませんが、ユリと盲人の存在が生き生きとつながります。目の見えない人が、一本のユリに触れることは、目の見える人が100本のユリを見るよりも深い理解になるのです。
私が北海道に帰ったとき、少年時代に遊んだ野原で野草に触ってみました。すると、指で触った草の名前を思い出せるのです。草の一本一本を、私の指の感触が思い出したのです。目の見えない人の指には、記憶力があるのです。目の見える人は、先入観で物事を見て、通り一遍にしか物事を考えません。見えた情報を機械的に処理して、物事の真の姿を見ていないのです。見えることに甘えて、感じること、深く考えることを捨てているとも言えます。見える人は、一面では先入観・悪い意味で常識に縛られた人で、物事を本当に見る、考えることから遠いのです。ですからイエス様は、『見えない人が見えるようになり、見える人が見えないようになる』と言われました。」これが岩橋青年の聞いた盲目の熊谷牧師の講演だったそうなのですが、実に物事を鋭く見抜いている方だと感銘を受けずにはおれません。
ヨハネ福音書9章の文脈では、イエス様の御言葉「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」は、「目の見えなかった男性の肉眼が見えるようになると共にイエス様が救い主であることが見えるようになり(心の目が開いた)、真理が見えると言い張っているファリサイ派の人々の方が逆にイエス様が救い主である真理が見えなくなる」ということです。ですが熊谷牧師のような解釈も間違いとは言えないでしょう。
熊谷牧師に励まされた岩橋さんは、キリスト教主義の関西学院に入学し、その後、神様と様々の人々の善意に支えられて、イギリスに留学。帰国後に大阪にライトハウスという視覚障がい者のための施設を作ります。ライトハウスは灯台の意味で、視覚障がい者の灯台であろうとする願いが込められた名前です。ライトハウスで行われることは、点字図書の発行と貸し出し、無料眼科診療、裁縫を教えることと製品の販売、目の不自由な子どもたちのための土曜学校、就職・結婚相談、音楽鑑賞会等でした。そしてアメリカに行き、ヘレン・ケラーを日本に招きました。ヘレン・ケラーの最初の来日は1937年で、東京に始まり39の都市を回って97回の講演会を行って、日本の視覚障がい者を励ましたそうです。岩橋さんとヘレン・ケラーの間には強い友情ができました。その頃、日中戦争が始まり、二人とも心を痛めます。ヘレン・ケラーは太平洋戦争後も二回来日し、広島・長崎をも訪れて、原爆のもたらした惨状に、心を痛めました。岩橋さんは天に召される前にこう語りました。「日本は戦争で、アジアに数知れない視覚障がい者や身体障がい者をつくってしまった。アジアのこのような視覚障がい者が教育を受け、職業をもつことができるように働くことが、せめてもの罪滅ぼしになる。」自分と同じに目が見えない人々への愛にあふれていたのですね。
ところで私は、吉成稔さんという方の『見える』という本を持っています。副題は「あるハンセン病者の告白」です。吉成氏はハンセン病のために失明されたのです。『見える』という題は、「心の目が見える」の意味ではないかと思います。この本に「舌で読む」という章があって、私は驚きました。吉成さんはハンセン病で手の感覚がないのです。「私は点字を舌で読む練習を始めた。第一期生の中に、舌と唇で読むことに成功した二人の者がいたからである。舌先では、容易に六つの点を組み合わせた文字を、脳裏にまで伝達してくれなかった。しかし、何度かなめているうちに次第にその点は文字の形を私の意識に伝えた。私は、薄くなった舌先の痛みも忘れて夢中になった。」舌読(ぜつどく)と呼ぶそうです。舌が血に滲むこともあるようです。凄まじいですが、そうまでして本を読みたい人はいるのですね。吉成さんは聖書もそうして読んだのです。
「掌に知覚の全くない私は、脱肉した両手に聖書をかかえ、一字一字舌の端で読み取ってゆくのである。『愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非礼を行わず、己の利を求めず。』妻が『お茶を入れてあげましょうか』と私に言った。『いいよ。』パウロの説いた愛の深さを感動の中に味わっていた私は、ぽつんと答えた。」「味わう」と言っていますが、文字通り聖書の御言葉を舌で味わうのですね。時には舌に血が滲みながらも。凄まじいと思いますが、目が不自由なために、そこまでして聖書を熱心に読んだ方がおられると知りました。神様も喜ばれたでしょう。そこまでして聖書を愛読した方がおられることに私たちも励まされ、毎日新しい気持ちで聖書を読み、御言葉の意味を素直に分からせていただき、日々、神様に心の目を開いていただくように祈りましょう。アーメン。
(イザヤ書35:5~6) そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。
(ヨハネ福音書9:24~41) さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
◆ファリサイ派の人々の罪
イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。
(説教) 本日は、復活節第4主日の礼拝です。説教題は「本当に見えるとは」です。新約聖書はヨハネ福音書9章24~41節です。
9章はやや長い章で、イエス様が生まれつきの盲人の両目を開く愛を行って下さったことが記されています。当時のユダヤ社会では、病気や障がいは、その人か両親が何か罪を行って結果の罰だと考えられていました。このような考えは日本にもあり、因果応報と呼ばれる考え方です。統一協会の悪名高い霊感商法は、この因果応報の考えを利用しています。「あなたの病気は、先祖が悪いことをした結果だ。「この壺を100万円で買えば、その霊障(障り、たたり?)を取り除くことができる」と人の弱みに付け込んで壺を売りつける悪質な商法です。イエス様はもちろんそんな悪質なことはなさいません。因果応報の考えも「違う」と言われます。この人が生まれつき目が見えないのは、「本人が罪を犯したからでもなく、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と断言されました。そしてこの方の目が見えるようにして下さいました。愛の奇跡です。
ところが、この癒しが土曜日・安息日に行われたために、ユダヤ人のファリサイ派と呼ばれる人々が激しく反発しました。確かに旧約聖書のモーセの十戒の第四の戒めで「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と明記されています。モーセの十戒は私どもクリスチャンも基本的に大切にしています。「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も娘も、男女の奴隷も家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」確かに安息日には、休む・中断するの意味があり、人間の業をストップして神様を礼拝する日であることは確かです。そこで安息日の掟を機械的に解釈すると、安息日には礼拝に専念し、礼拝以外の何も行ってはいけない日になります。ファリサイ派の人々はそう考えました。
イエス様はやや違いました。もちろんイエス様も安息日には必ず礼拝なさいました。それは父なる神様を愛されたからです。イエス様は、父なる神様を愛することと、隣人を愛することを最も重視なさいました。安息日は、父なる神様を愛して礼拝し、隣人愛を行う日なのです。ですから安息日に父なる神様を愛して礼拝し、目の見えない方を癒すことは、安息日に最もふさわしい行いなのでした。これはもちろん安息日だけでなく、あるいはクリスチャンの礼拝の日である日曜日だけでなく、毎日行うことがベストです。平日は時間を長くとって礼拝することは難しいので、個人で聖書を読み祈る形で短めに礼拝を行い、隣人愛も大きなことはできなくても、身近な人々に親切にすることで行うことができます。ともあれファリサイ派の人々は、安息日を礼拝以外の何事も行ってはいけない日と解釈し、イエス様は安息日を、父なる神様を愛して礼拝し、隣人を積極的に愛する日と信じたために、両者の生き方が対立してしまったのです。
ファリサイ派の人々は、目が見えるようになった本人を尋問し、その両親まで呼び出しました。その上で見えるようになった本人を再び呼び、(24節)「神の前で正直に答えなさい。私たちはあの者(イエス様)が罪ある人間だと知っているのだ。」ファリサイ派の人々は、イエス様を心から憎んでいます。ですから彼らの心は、悪魔に支配されていると言わざるを得ません。単なる意見の違い・対立を超えて、彼らの心は悪魔の支配下に入ってしまっています。癒された人は答えます。「あの方が罪人(つみびと)かどうか、私には分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」これは事実ですから、事実の前には誰も反論はできません。イエス様はメシア(救い主)として、この人の目を見えるように癒して下さいました。
この癒しが、イエス様がイスラエルが待ち望むメシア(救い主)であることを証明しています。本日の旧約聖書・イザヤ書35章5節に書かれてある通りです。「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。」ファリサイ派の人々もこの御言葉をよく知っているはずなので、素直な目で見れば、イエス様が旧約聖書の指し示すメシア(救い主)であることが分かるはずなのです。ところがファリサイ派の人々の目が過度のプライドや偏見でいっぱいになり、物事か正確に見えなくなっているのですね。これは私たちにとっても、しばしば起こることと思います。彼らは言います。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えます。「もうお話ししたのに、聞いて下さいませんでした。なぜまた聞こうとなさるのですか。あなた方もあの方の弟子になりたいのですか。」
28節「そこで、彼らはののしって言った。『お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。』」ファリサイ派の人々は、モーセの弟子だという自信をもっています。しかし実際にモーセが来れば、「あなた方は神の心と私モーセの心から遠く離れている」と言うでしょう。彼らは実際には悪魔の弟子になってしまっています。神の子イエス様を憎んでいるからです。彼らは「我々はあの者(イエス様)がどこから来たのかは知らない」と言いました。イエス様はどこから来たのかと言うと、父なる神様のもとである天から来られたのです。目を開けていただいた人は、当然ですが、イエス様を擁護します。「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」すると彼はファリサイ派に追放されます。
その彼にイエス様が出会って下さり、「あなたは人の子を信じるか」と問われます。「人の子」とは世の終わりに神から派遣される救い主のことと言ってよいでしょう。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエス様は、ずばり「あなたと話しているのが、その人だ」と言うと、彼は「主よ、信じます」と告白してひざまずきました。「主よ、信じます。あなたを人の子、救い主と信じます。」これは立派な信仰告白です。彼は17節では「あの方(イエス様)は預言者です」と言いました。それがもっと導かれ「主よ、信じます」と告白し、ひざまずいたのです。イエス様を真の救い主と信じ、告白したのです。彼は肉体の目が開いただけでなく、心(魂)の目も開きました。イエス様こそ、イスラエルの民が待ち望む世界の真の救い主であると、心(魂)の目で見えるようになったのです。真の開眼です。
そして主イエスは言われます。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」「裁く」という言葉は、元のギリシア語で「分ける」の意味も持ちます。「裁く」とは「正しいいこと」と「正しくないこと」を分ける、あるいは「真理」と「真理でないこと」を分けることなのですね。「私がこの世に来たのは、分けるためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」目の見えなかった男性は肉眼が開くと共に、心(魂)の目も開いて、イエス様こそ真の救い主であるという真理が見えるようになりました。反対に、肉眼はずっと開いているファリサイ派は、心(魂)の目が非常に曇り、閉じていて、イエス様を神の子と認めることができないばかりか、イエス様を憎み、イエス様に殺意さえ抱くのです。
イエス様の厳しい言葉に、おそらく腹を立てたファリサイ派の人々は、「我々も見えないということか」とつっかかります。イエス様は、「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう(真理が見えないと正直に言えば、罪はなかっただろう)。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」このファリサイ派の罪は、私たちにとっても他人事ではありません。私たちもよく、物事の真相を正しく見ることに失敗し、正しく判断することに失敗するからです。祈るしかありません。「神様、私の心と目から間違った偏見や、間違ったプライドを取り除いて下さい。そしていつも狂いのない眼で物事を見極め、あなたの御言葉と聖霊に導かれて、あなたの御心に適う判断と行動ができますように、いつも導いて下さい」と祈る必要があると、痛感します。
日本で、目の見えない方々を支えるライトハウスという施設を造った岩橋武夫と(1898~1954年)いうクリスチャンがおられたことを知りました(手島悠介著『光はやみより』中央法規、1996年)。日本の視覚障がい者を励ますために、ヘレン・ケラーを日本に招くこともなさいました。岩橋さんは、20歳の時に失明という大きな試練を受けられ、一時は人生に絶望なさいました。無理もないと思います。しかし目の見えない熊谷鉄太郎牧師の講演を聴いて、励まされます。この熊谷鉄太郎牧師は、4歳の時に天然痘で視力を失った方でした。北海道の江差でニシン漁の親方だった祖父に育てられました。目が見えなくても、北海道で野草摘み、魚とりと遊び回る子ども時代を過ごした熊谷牧師は、次のような話をして岩崎青年を励ましたのです。
「野に咲くユリを見れば、目の見える人は『ああ、ユリが咲いているな』と分かります。目の働きは能率的です。しかし能率的な理解は、1つの小さな情報として忘れ去られることも早いのです。忙しく暮らしている晴眼者にとっては、それが当然です。このように、目の見える人がそこにあるユリの本質、存在そのものをしっかりつかまないで、『分かったつもり』になってしまうのに対して、目の見えない人はどうでしょうか。 野に咲くユリの、まず香りを感じて、『ユリの花だな』と思う。『どんなユリだろうか』と考え、手を差し伸べる。その柔らかい手触り、湿り気、重み、形を指で確かめると、それが頭に入る。ユリの存在そのものが、自分とのかかわりの中で、確かめられ、理解できるのです。これは決して単なる知識、情報の1つではない。色の美しさは見えませんが、ユリと盲人の存在が生き生きとつながります。目の見えない人が、一本のユリに触れることは、目の見える人が100本のユリを見るよりも深い理解になるのです。
私が北海道に帰ったとき、少年時代に遊んだ野原で野草に触ってみました。すると、指で触った草の名前を思い出せるのです。草の一本一本を、私の指の感触が思い出したのです。目の見えない人の指には、記憶力があるのです。目の見える人は、先入観で物事を見て、通り一遍にしか物事を考えません。見えた情報を機械的に処理して、物事の真の姿を見ていないのです。見えることに甘えて、感じること、深く考えることを捨てているとも言えます。見える人は、一面では先入観・悪い意味で常識に縛られた人で、物事を本当に見る、考えることから遠いのです。ですからイエス様は、『見えない人が見えるようになり、見える人が見えないようになる』と言われました。」これが岩橋青年の聞いた盲目の熊谷牧師の講演だったそうなのですが、実に物事を鋭く見抜いている方だと感銘を受けずにはおれません。
ヨハネ福音書9章の文脈では、イエス様の御言葉「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」は、「目の見えなかった男性の肉眼が見えるようになると共にイエス様が救い主であることが見えるようになり(心の目が開いた)、真理が見えると言い張っているファリサイ派の人々の方が逆にイエス様が救い主である真理が見えなくなる」ということです。ですが熊谷牧師のような解釈も間違いとは言えないでしょう。
熊谷牧師に励まされた岩橋さんは、キリスト教主義の関西学院に入学し、その後、神様と様々の人々の善意に支えられて、イギリスに留学。帰国後に大阪にライトハウスという視覚障がい者のための施設を作ります。ライトハウスは灯台の意味で、視覚障がい者の灯台であろうとする願いが込められた名前です。ライトハウスで行われることは、点字図書の発行と貸し出し、無料眼科診療、裁縫を教えることと製品の販売、目の不自由な子どもたちのための土曜学校、就職・結婚相談、音楽鑑賞会等でした。そしてアメリカに行き、ヘレン・ケラーを日本に招きました。ヘレン・ケラーの最初の来日は1937年で、東京に始まり39の都市を回って97回の講演会を行って、日本の視覚障がい者を励ましたそうです。岩橋さんとヘレン・ケラーの間には強い友情ができました。その頃、日中戦争が始まり、二人とも心を痛めます。ヘレン・ケラーは太平洋戦争後も二回来日し、広島・長崎をも訪れて、原爆のもたらした惨状に、心を痛めました。岩橋さんは天に召される前にこう語りました。「日本は戦争で、アジアに数知れない視覚障がい者や身体障がい者をつくってしまった。アジアのこのような視覚障がい者が教育を受け、職業をもつことができるように働くことが、せめてもの罪滅ぼしになる。」自分と同じに目が見えない人々への愛にあふれていたのですね。
ところで私は、吉成稔さんという方の『見える』という本を持っています。副題は「あるハンセン病者の告白」です。吉成氏はハンセン病のために失明されたのです。『見える』という題は、「心の目が見える」の意味ではないかと思います。この本に「舌で読む」という章があって、私は驚きました。吉成さんはハンセン病で手の感覚がないのです。「私は点字を舌で読む練習を始めた。第一期生の中に、舌と唇で読むことに成功した二人の者がいたからである。舌先では、容易に六つの点を組み合わせた文字を、脳裏にまで伝達してくれなかった。しかし、何度かなめているうちに次第にその点は文字の形を私の意識に伝えた。私は、薄くなった舌先の痛みも忘れて夢中になった。」舌読(ぜつどく)と呼ぶそうです。舌が血に滲むこともあるようです。凄まじいですが、そうまでして本を読みたい人はいるのですね。吉成さんは聖書もそうして読んだのです。
「掌に知覚の全くない私は、脱肉した両手に聖書をかかえ、一字一字舌の端で読み取ってゆくのである。『愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非礼を行わず、己の利を求めず。』妻が『お茶を入れてあげましょうか』と私に言った。『いいよ。』パウロの説いた愛の深さを感動の中に味わっていた私は、ぽつんと答えた。」「味わう」と言っていますが、文字通り聖書の御言葉を舌で味わうのですね。時には舌に血が滲みながらも。凄まじいと思いますが、目が不自由なために、そこまでして聖書を熱心に読んだ方がおられると知りました。神様も喜ばれたでしょう。そこまでして聖書を愛読した方がおられることに私たちも励まされ、毎日新しい気持ちで聖書を読み、御言葉の意味を素直に分からせていただき、日々、神様に心の目を開いていただくように祈りましょう。アーメン。
2023-04-23 0:23:01()
説教「天地創造の前から神に愛されている私たち」2023年4月23日(日)復活節第3主日公同礼拝
順序:招詞 ヨハネ福音書20:27~28,頌栄24、主の祈り,交読詩編91,使徒信条、讃美歌21・327、聖書 創世記1:1~13(旧約p.1)、エフェソの信徒への手紙1:1~7(新約p.352)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌329、献金、頌栄27、祝祷。
(創世記1:1~13) 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
(エフェソ1:1~7) 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
(説教) 本日は、復活節第3主日の礼拝です。説教題は「天地創造の前から神に愛されている私たち」です。新約聖書はエフェソの信徒への手紙1章1~7節です。エフェソという場所は、新共同訳聖書巻末の地図8と9に出ています。今のトルコです。地中海の北方、エーゲ海の東方にエフェソという海岸沿いの町があります。
エフェソの信徒への手紙は、イエス様の弟子・使徒パウロがおそらくローマの獄中で書いた手紙の1つとされています。獄中書簡と呼ばれています。内容は非常に壮大です。1~2節は挨拶です。第1節「神の御心(直訳・意志)によって、キリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち(クリスチャンたち)、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。」「イエス・キリスト」でなく「キリスト・イエス」と2回出て来ます。どちらでも基本的にな同じですが、「キリスト・イエス」という言い方には「キリスト(メシア)は(ほかの人ではなく)イエス様ですよ」という意味合いが込められているように思います。
2節「私たちの父である神と主イエス・キリストから恵みと平和が、あなた方にあるように。」「父」は原文のギリシア語で「パーテール」です。英語のファーザーの源かもしれません。福音書にも「父・パーテール」の言葉は数多く出てきます。私たちは「父」というと、短い日本語なので簡単に通り過ぎますが、「パーテール」という単語はやや長いので、「そうか、神様は真の父なんだな、パーテールなんだな」と心に長くとどめて、その意味を味わおうとする気持ちが出ると思うのです。私の知人に祈る時いつも「アバ、父よ」と祈り始める方がおります。アバはパパの意味のアラム語(イエス様が語られた)だそうですが、私はその方の祈りを聞くといつも「そうか、イエス様もそう祈られた。アバ父よ、は祈りの始め方として、とてもよいな」と思うのです。「アバ父よ」もお勧めですが、父はギリシア語で「パーテール」、パウロはギリシア語で語るときは「パーテール」と言っていたと思い出すこともよいと思います。「恵みと平和が、あなた方にあるように」とありますが、「恵み」はギリシア語で「カリス」です。これも短いので、覚えて損はない言葉です。カトリックでは聖餐式のぶどう酒を入れる容器を「カリス」と呼ぶそうです。イエス様の血潮であるぶどう酒という、聖なる恵みが充満している容器なので「カリス」と呼ぶのでしょう。
本日の説教は7節までですが、新約聖書のギリシア語原文では、3節から何と14節までが、一つの長い文です。3節から14節まで止まらない一つの文です。あまりに長いので、日本語では区切って訳しているのですね。パウロが聖霊に満たされて感動して、言葉を次から次へと加えながら、一気に語り書いたと思われます。3節「私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。」これは神様への讃美です。パウロは次に、神様が私たちに与えて下さった恵みを語ります。「神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。」「あらゆる霊的な祝福」とありますが、原文には「祝福」という言葉が二回出て来ます。それを踏まえて新改訳聖書2017年版は、「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して下さいました」と訳していて、「祝福」の語がちゃんと二回書いてあるので、よいと思います。自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じて義と認められた私たちを、父なる神様は「天のすべての霊的祝福で祝福して下さった」のです。その霊的な祝福は、この地上の見えるものではないと思います。もちろん神様は私たちに必要な地上の恵みも与えて下さいます。ですがここで言う霊的な祝福は、地上での恵み以外の恵みと思います。霊的な祝福とは、信仰、神様の清き霊である聖霊、永遠の命、福音の体、天国であると言えます。
それがどんな祝福であるかを、次のページ上段の18節の2つ目の文が述べていると思います。「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせて下さるように。」これは天国のことと思います。これこそ真の希望、「どれほど豊かな栄光に輝いているか」と言うほど、想像を超えて計り知れない栄光に輝いているすばらしい所なのですね。この天国という祝福が約束されている。イエス様を信じて亡くなった方々は、もうそこに入ったのですから、その意味では何の心配もない状態に置かれています。今の二代前のカトリックの教皇だったヨハネ・パウロ二世という方は、しばらく前にお話した通り、ご自分をピストルで撃った犯人を赦すと公言した立派な方ですが、亡くなる直前に「神の家に行きたい」と言って息を引き取ったそうですから、ご自分もすぐそこに入ると信じて、天国に召されたのだと思います。それはイエス様を信じるすべての人に約束されている霊的な祝福です。
4節は、東久留米教会の今年度の標語聖句です。「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」これはやはり、驚くべき御言葉です。本日の旧約聖書として創世記の一番最初を朗読していただきました。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。」私たちはこの時、神様が空間(宇宙)と時間をお造りになったと信じています。科学では、地球は約45億年前にでき、宇宙は非常に小さかったが約138億年前のビッグ・バンという爆発によって膨張を開始し、今も膨張しているといいます。私はおそらくそれは正しいと思っています。だとすれば、「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」の御言葉は、私たちは宇宙が始まった約138億年より前から、神様に愛されていたことになります。それはたとえば約140億年から愛されていたというよりも、天地創造の前は時間も存在しないので、永遠の昔から神様に愛されていたことになります。気の遠くなる壮大な話ですが、これが私たちの自己理解です。宇宙が造られる前から、私たちは神様に愛されていて、やがて地上に人間として誕生することが、神様の御心によって決められていたということです。この4節の愛はギリシア語のアガペーです。
『こどもさんびか』80番の歌詞は、皆様よくご存じと思います。「生まれる前から神様に、守られて来た友達の、誕生日です、おめでとう。」この歌詞の通りなのですが、生まれる前からと言っても生まれる数年前からではなく、約138億年以上前から、永遠の昔から、私たち一人一人が神様に愛されていたというのです。つまり私たちは偶然、たまたま生まれて来たのでなく、約138億年以上前から、私たちが地上に生まれて生きて、イエス様によって救われて行くことが、神様によって定められていたことになります。アダムとエバが造られる前からです。
「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」私たちを愛して、ただ生まれさせるだけでなく、神様は人間たちが罪に落ち込むことまで想定され、罪人(つみびと)になってしまう一人一人を、イエス様の十字架によって救い、聖霊を注いで清め、聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになった、とまでこのエフェソ書が教えてくれます。「天地創造の前に」を直訳すると、「世・世界(コスモス)の基礎を据える前に」です。意味は「天地創造の前に」です。私たちは普通、創世記1章を聖書の一番最初ととらえており、それで正しいのですが、本日のエフェソ1章4節は何と、その前のことを語っています。神様はもちろん天地創造の前から生きておられ、永遠から永遠に生きておられます。その神が天地創造の前から私たちを地上に誕生させる意志をもち、私たちを愛しておられるのです。
「私たちはキリストにおいて選ばれている」と書かれています。選ばれていることは事実ですが、だからと言って選民意識に満ちて思い上がることはもちろん間違いです。私ども夫婦に洗礼を授けて下さった牧師は、私が「神の選び」とはどのようなことですかと質問したときに、「私たちは先に選ばれた」と答えて下さいました。「私たちは先に選ばれてクリスチャンになったのだが、後から選ばれて来る方々もおられるので、思い上がってはいけない」の意味だと受け止めました。先に選ばれた人々には特権があるというよりも、むしろ責任があるのですね。神様の愛と恵みを先に知らされた者として、その神様の愛と恵みを、言葉と行いによって証しする責任が与えられているのですね。恵みに応答する喜ばしい責任が与えられています。
旧約聖書では、イスラエルの民が、真の神様の民として選ばれています。そのことが申命記7章6節以下に、こう書かれています。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」神の選びは、大きく強い者よりも、むしろ小さく弱い者をあえて選んで下さる愛なのです。これこそ福音です。私たちも小さく弱い者だからこそ、神様に先に選ばれて教会にいるのです。
東久留米教会では先々週のイースター礼拝で洗礼式を行う恵みを与えられましたが、その洗礼をお授けした直後の祈りの言葉(式文の祈りの言葉)にも、選びのことが書かれています。「恵み深い父、聖霊によってこの兄弟(姉妹)を新しく生まれさせ、これを神の子とし、キリストの教会の生きた枝として下さったことを感謝致します。あなたはこの兄弟(姉妹)を、世の造られる前から選び分かち(エフェソ1章4節より)、世の誘惑から救い出し、信仰の道に進ませ、今ここに主イエス・キリストの死にあずかるバプテスマを受けさせて下さいました。どうか、この兄弟(姉妹)が御子(キリスト)の復活にあずかって新しい命に歩み、私たちと共に御国の世嗣となりますように。」私たちも、世の造られる前から神様によって選び分かたれているので、教会に集い、洗礼を受けました。まだ受けておられない方は、ぜひ受けてほしいと、神様が待っておられます。
「天地創造の前に愛され、選ばれた」ということは、エフェソ1章4節にしか書かれていないかと思いましたが、マタイ福音書25章34節にも、似たことが書かれていると分かりました。それは世の終わりにこの地上にもう一度おいでになるイエス・キリスト(再臨のイエス様)が全ての国の民を裁く「最後の審判」の個所です。イエス・キリストは、羊飼いが羊と山羊を分けるように、羊(救われる人々)を右に、山羊(救われない人々)を左に置きます。そしてイエス・キリストは右側にいる人たちに言われます。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
ここでイエス様は救われる祝福された人々に、「天地創造の時から(前からではないですが)あなたたちのために用意されている国・天国があるから、それを受け継ぎなさい」と語っておられます。これは「あなたたちは、天地創造の時から(前から)神様に愛されている選ばれた人々だ」と述べておられるも同然です。イエス様もエフェソの信徒への手紙1章4節でパウロが書いたことと、ほぼ同じことを語っておられることになります。
「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」こう書いてありますから、愛され選ばれた私たちは、少しずつ聖なる者、汚れのない者になってゆく必要があります。それは聖霊の働きです。聖霊の働きに間違いないのですが、同時に私たちんぼ側では礼拝や祈祷会に出席し、聖書を読み、祈る必要があります。日々自分の罪を悔い改める必要があります。イエス様の十字架の愛によって救われたのですから、イエス様の十字架の愛に応答して、少しずづ愛の業(わざ)に励むことも大切です。
神様に選ばれた私たち。父なる神様に一番最初に選ばれた方は、イエス・キリストです。イエス・キリストは神であり、同時に人間です。選ぶ神であり、同時に選ばれる人間でもあります。一番最初に選ばれた人間はイエス・キリストです。この方は全く罪なき人間ですから、それは当然です。そのイエス様が私たち全員の全部の罪を身代わりに背負って、十字架で死んで下さいました。7節に「私たちはこの御子(イエス様)において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるものです」とある通りです。イエス様の十字架の復活のお陰で、私たちも神様の子とされました。神に選ばれたと言うと、「自分は選ばれていないのではないか」と心配になる方もあるかもしれません。しかし神様は、全ての人を選びへと招いておられます。「あなたも救い主イエス様の元に来て、神の選びを受け入れてイエス様を救い主と信じ、神に選ばれた者、神の子になりなさい。」神様がそのように今も全ての人に呼びかけ、手を差し伸べておられます。素直にこの呼びかけに応えるならば神様が喜ばれ、イエス様によって永遠の命をプレゼントして下さいます。
先週の月曜日に、東京神学大学という神学校の後援会に行きました。私が出た神学校の話で恐縮です。三人の現役の神学生もおられて、自己紹介されました。その中で一番若い19歳の女性も話されました。「私は小学生の時に東京神学大学のパンフレットを始めて見て、ここに行くことにしました」と言うのです。とてもとても素直な信仰なのだなと少々驚きました。私は2年ほど悩みましたから。小学生のときにもう決めたという証しには少々驚いて、こんなに素直な人も世の中にいるのだなと感じました。神様が彼女のそのような信仰をプレゼントなさったという感じです。色々な人から「他の大学に行って、もっと青春をエンジョイしてから神学校に行ったらいいんじゃない」と言われたが「私はここにいるのが一番嬉しい」と言っていました。生まれる前から神様に、天地創造の前から神様に愛され選ばれた人の典型のような方かと思いました。逆に、人生経験、仕事経験を十分重ねた末に神学校に入った方も来ておられました。どちらの方が優れているということは、もちろんありません。何歳でイエス様を信じる生き方に入っても、皆尊い信仰です。「天地創造の前から、神様は私たちを愛して下さり、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」この恵みをそのまま信じ。この恵みに感謝して、ひたすらイエス様と共に歩みたいのです。アーメン。
(創世記1:1~13) 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。
(エフェソ1:1~7) 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
(説教) 本日は、復活節第3主日の礼拝です。説教題は「天地創造の前から神に愛されている私たち」です。新約聖書はエフェソの信徒への手紙1章1~7節です。エフェソという場所は、新共同訳聖書巻末の地図8と9に出ています。今のトルコです。地中海の北方、エーゲ海の東方にエフェソという海岸沿いの町があります。
エフェソの信徒への手紙は、イエス様の弟子・使徒パウロがおそらくローマの獄中で書いた手紙の1つとされています。獄中書簡と呼ばれています。内容は非常に壮大です。1~2節は挨拶です。第1節「神の御心(直訳・意志)によって、キリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち(クリスチャンたち)、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。」「イエス・キリスト」でなく「キリスト・イエス」と2回出て来ます。どちらでも基本的にな同じですが、「キリスト・イエス」という言い方には「キリスト(メシア)は(ほかの人ではなく)イエス様ですよ」という意味合いが込められているように思います。
2節「私たちの父である神と主イエス・キリストから恵みと平和が、あなた方にあるように。」「父」は原文のギリシア語で「パーテール」です。英語のファーザーの源かもしれません。福音書にも「父・パーテール」の言葉は数多く出てきます。私たちは「父」というと、短い日本語なので簡単に通り過ぎますが、「パーテール」という単語はやや長いので、「そうか、神様は真の父なんだな、パーテールなんだな」と心に長くとどめて、その意味を味わおうとする気持ちが出ると思うのです。私の知人に祈る時いつも「アバ、父よ」と祈り始める方がおります。アバはパパの意味のアラム語(イエス様が語られた)だそうですが、私はその方の祈りを聞くといつも「そうか、イエス様もそう祈られた。アバ父よ、は祈りの始め方として、とてもよいな」と思うのです。「アバ父よ」もお勧めですが、父はギリシア語で「パーテール」、パウロはギリシア語で語るときは「パーテール」と言っていたと思い出すこともよいと思います。「恵みと平和が、あなた方にあるように」とありますが、「恵み」はギリシア語で「カリス」です。これも短いので、覚えて損はない言葉です。カトリックでは聖餐式のぶどう酒を入れる容器を「カリス」と呼ぶそうです。イエス様の血潮であるぶどう酒という、聖なる恵みが充満している容器なので「カリス」と呼ぶのでしょう。
本日の説教は7節までですが、新約聖書のギリシア語原文では、3節から何と14節までが、一つの長い文です。3節から14節まで止まらない一つの文です。あまりに長いので、日本語では区切って訳しているのですね。パウロが聖霊に満たされて感動して、言葉を次から次へと加えながら、一気に語り書いたと思われます。3節「私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。」これは神様への讃美です。パウロは次に、神様が私たちに与えて下さった恵みを語ります。「神は、私たちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました。」「あらゆる霊的な祝福」とありますが、原文には「祝福」という言葉が二回出て来ます。それを踏まえて新改訳聖書2017年版は、「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して下さいました」と訳していて、「祝福」の語がちゃんと二回書いてあるので、よいと思います。自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じて義と認められた私たちを、父なる神様は「天のすべての霊的祝福で祝福して下さった」のです。その霊的な祝福は、この地上の見えるものではないと思います。もちろん神様は私たちに必要な地上の恵みも与えて下さいます。ですがここで言う霊的な祝福は、地上での恵み以外の恵みと思います。霊的な祝福とは、信仰、神様の清き霊である聖霊、永遠の命、福音の体、天国であると言えます。
それがどんな祝福であるかを、次のページ上段の18節の2つ目の文が述べていると思います。「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせて下さるように。」これは天国のことと思います。これこそ真の希望、「どれほど豊かな栄光に輝いているか」と言うほど、想像を超えて計り知れない栄光に輝いているすばらしい所なのですね。この天国という祝福が約束されている。イエス様を信じて亡くなった方々は、もうそこに入ったのですから、その意味では何の心配もない状態に置かれています。今の二代前のカトリックの教皇だったヨハネ・パウロ二世という方は、しばらく前にお話した通り、ご自分をピストルで撃った犯人を赦すと公言した立派な方ですが、亡くなる直前に「神の家に行きたい」と言って息を引き取ったそうですから、ご自分もすぐそこに入ると信じて、天国に召されたのだと思います。それはイエス様を信じるすべての人に約束されている霊的な祝福です。
4節は、東久留米教会の今年度の標語聖句です。「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」これはやはり、驚くべき御言葉です。本日の旧約聖書として創世記の一番最初を朗読していただきました。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。」私たちはこの時、神様が空間(宇宙)と時間をお造りになったと信じています。科学では、地球は約45億年前にでき、宇宙は非常に小さかったが約138億年前のビッグ・バンという爆発によって膨張を開始し、今も膨張しているといいます。私はおそらくそれは正しいと思っています。だとすれば、「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」の御言葉は、私たちは宇宙が始まった約138億年より前から、神様に愛されていたことになります。それはたとえば約140億年から愛されていたというよりも、天地創造の前は時間も存在しないので、永遠の昔から神様に愛されていたことになります。気の遠くなる壮大な話ですが、これが私たちの自己理解です。宇宙が造られる前から、私たちは神様に愛されていて、やがて地上に人間として誕生することが、神様の御心によって決められていたということです。この4節の愛はギリシア語のアガペーです。
『こどもさんびか』80番の歌詞は、皆様よくご存じと思います。「生まれる前から神様に、守られて来た友達の、誕生日です、おめでとう。」この歌詞の通りなのですが、生まれる前からと言っても生まれる数年前からではなく、約138億年以上前から、永遠の昔から、私たち一人一人が神様に愛されていたというのです。つまり私たちは偶然、たまたま生まれて来たのでなく、約138億年以上前から、私たちが地上に生まれて生きて、イエス様によって救われて行くことが、神様によって定められていたことになります。アダムとエバが造られる前からです。
「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」私たちを愛して、ただ生まれさせるだけでなく、神様は人間たちが罪に落ち込むことまで想定され、罪人(つみびと)になってしまう一人一人を、イエス様の十字架によって救い、聖霊を注いで清め、聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになった、とまでこのエフェソ書が教えてくれます。「天地創造の前に」を直訳すると、「世・世界(コスモス)の基礎を据える前に」です。意味は「天地創造の前に」です。私たちは普通、創世記1章を聖書の一番最初ととらえており、それで正しいのですが、本日のエフェソ1章4節は何と、その前のことを語っています。神様はもちろん天地創造の前から生きておられ、永遠から永遠に生きておられます。その神が天地創造の前から私たちを地上に誕生させる意志をもち、私たちを愛しておられるのです。
「私たちはキリストにおいて選ばれている」と書かれています。選ばれていることは事実ですが、だからと言って選民意識に満ちて思い上がることはもちろん間違いです。私ども夫婦に洗礼を授けて下さった牧師は、私が「神の選び」とはどのようなことですかと質問したときに、「私たちは先に選ばれた」と答えて下さいました。「私たちは先に選ばれてクリスチャンになったのだが、後から選ばれて来る方々もおられるので、思い上がってはいけない」の意味だと受け止めました。先に選ばれた人々には特権があるというよりも、むしろ責任があるのですね。神様の愛と恵みを先に知らされた者として、その神様の愛と恵みを、言葉と行いによって証しする責任が与えられているのですね。恵みに応答する喜ばしい責任が与えられています。
旧約聖書では、イスラエルの民が、真の神様の民として選ばれています。そのことが申命記7章6節以下に、こう書かれています。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」神の選びは、大きく強い者よりも、むしろ小さく弱い者をあえて選んで下さる愛なのです。これこそ福音です。私たちも小さく弱い者だからこそ、神様に先に選ばれて教会にいるのです。
東久留米教会では先々週のイースター礼拝で洗礼式を行う恵みを与えられましたが、その洗礼をお授けした直後の祈りの言葉(式文の祈りの言葉)にも、選びのことが書かれています。「恵み深い父、聖霊によってこの兄弟(姉妹)を新しく生まれさせ、これを神の子とし、キリストの教会の生きた枝として下さったことを感謝致します。あなたはこの兄弟(姉妹)を、世の造られる前から選び分かち(エフェソ1章4節より)、世の誘惑から救い出し、信仰の道に進ませ、今ここに主イエス・キリストの死にあずかるバプテスマを受けさせて下さいました。どうか、この兄弟(姉妹)が御子(キリスト)の復活にあずかって新しい命に歩み、私たちと共に御国の世嗣となりますように。」私たちも、世の造られる前から神様によって選び分かたれているので、教会に集い、洗礼を受けました。まだ受けておられない方は、ぜひ受けてほしいと、神様が待っておられます。
「天地創造の前に愛され、選ばれた」ということは、エフェソ1章4節にしか書かれていないかと思いましたが、マタイ福音書25章34節にも、似たことが書かれていると分かりました。それは世の終わりにこの地上にもう一度おいでになるイエス・キリスト(再臨のイエス様)が全ての国の民を裁く「最後の審判」の個所です。イエス・キリストは、羊飼いが羊と山羊を分けるように、羊(救われる人々)を右に、山羊(救われない人々)を左に置きます。そしてイエス・キリストは右側にいる人たちに言われます。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
ここでイエス様は救われる祝福された人々に、「天地創造の時から(前からではないですが)あなたたちのために用意されている国・天国があるから、それを受け継ぎなさい」と語っておられます。これは「あなたたちは、天地創造の時から(前から)神様に愛されている選ばれた人々だ」と述べておられるも同然です。イエス様もエフェソの信徒への手紙1章4節でパウロが書いたことと、ほぼ同じことを語っておられることになります。
「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」こう書いてありますから、愛され選ばれた私たちは、少しずつ聖なる者、汚れのない者になってゆく必要があります。それは聖霊の働きです。聖霊の働きに間違いないのですが、同時に私たちんぼ側では礼拝や祈祷会に出席し、聖書を読み、祈る必要があります。日々自分の罪を悔い改める必要があります。イエス様の十字架の愛によって救われたのですから、イエス様の十字架の愛に応答して、少しずづ愛の業(わざ)に励むことも大切です。
神様に選ばれた私たち。父なる神様に一番最初に選ばれた方は、イエス・キリストです。イエス・キリストは神であり、同時に人間です。選ぶ神であり、同時に選ばれる人間でもあります。一番最初に選ばれた人間はイエス・キリストです。この方は全く罪なき人間ですから、それは当然です。そのイエス様が私たち全員の全部の罪を身代わりに背負って、十字架で死んで下さいました。7節に「私たちはこの御子(イエス様)において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるものです」とある通りです。イエス様の十字架の復活のお陰で、私たちも神様の子とされました。神に選ばれたと言うと、「自分は選ばれていないのではないか」と心配になる方もあるかもしれません。しかし神様は、全ての人を選びへと招いておられます。「あなたも救い主イエス様の元に来て、神の選びを受け入れてイエス様を救い主と信じ、神に選ばれた者、神の子になりなさい。」神様がそのように今も全ての人に呼びかけ、手を差し伸べておられます。素直にこの呼びかけに応えるならば神様が喜ばれ、イエス様によって永遠の命をプレゼントして下さいます。
先週の月曜日に、東京神学大学という神学校の後援会に行きました。私が出た神学校の話で恐縮です。三人の現役の神学生もおられて、自己紹介されました。その中で一番若い19歳の女性も話されました。「私は小学生の時に東京神学大学のパンフレットを始めて見て、ここに行くことにしました」と言うのです。とてもとても素直な信仰なのだなと少々驚きました。私は2年ほど悩みましたから。小学生のときにもう決めたという証しには少々驚いて、こんなに素直な人も世の中にいるのだなと感じました。神様が彼女のそのような信仰をプレゼントなさったという感じです。色々な人から「他の大学に行って、もっと青春をエンジョイしてから神学校に行ったらいいんじゃない」と言われたが「私はここにいるのが一番嬉しい」と言っていました。生まれる前から神様に、天地創造の前から神様に愛され選ばれた人の典型のような方かと思いました。逆に、人生経験、仕事経験を十分重ねた末に神学校に入った方も来ておられました。どちらの方が優れているということは、もちろんありません。何歳でイエス様を信じる生き方に入っても、皆尊い信仰です。「天地創造の前から、神様は私たちを愛して下さり、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」この恵みをそのまま信じ。この恵みに感謝して、ひたすらイエス様と共に歩みたいのです。アーメン。
2023-04-15 20:31:33(土)
説教「私たちの同伴者キリスト」2023年4月16日(日)復活節第2主日公同礼拝
順序:招詞 ヨハネ福音書20:27~28,頌栄28、主の祈り,交読詩編90,使徒信条、讃美歌21・328、聖書 詩編118:22~23(旧約p.958)、ルカ福音書24:13~35(新約p.160)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌287、献金、頌栄27、祝祷。
(詩編118:22~23) 家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。
(ルカ福音書24:13~35) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
(説教) 本日は、復活節第2主日の礼拝です。説教題は「私たちの同伴者キリスト」です。新約聖書はルカによる福音書24章13~35節です。小見出しは、「エマオで現れる」です。
イエス様の十字架の死から三日目の日曜日の早朝、イエス様の墓に駆けつけた婦人たちが見たものは、空の墓でした。復活されたイエス様は、ヨハネ福音書ではトマスという弟子に「見ないのに信じる人は幸いである」と言われましたね。私たちも、見ないでも信じる幸いな者でありたいと願います。でもイエス様は、私たちが信じることができるように聖書を与えておられます。私たちが聖書を読んで、イエス様の復活を信じることができるように、応援して下さいます。
さて、今日登場するのは、イエス様の復活をまだ信じられないでいた二人の男の弟子たちです。イエス様が復活された日曜日のお昼頃でしょうか、その二人の弟子たちがエルサレムから60スタディオン(約11キロ)離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。墓が空だったことが何を意味するのか、非常に引っかかっている。この謎への答えが分からない限り、心が落ち着かない気持ちでいっぱいです。15節「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」復活のイエス様が同伴を始められたのですね。実はイエス様は、目に見えなくても、いつも私たちに同伴して下さっている。カトリック作家の遠藤周作さんが確か、「永遠の同伴者イエス・キリスト」ということをテーマにしておられたように思います。
16節「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」イエス様の方から話しかけて下さいます。17~18節「イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』」やはりイエス様の十字架は、エルサレムで大きな騒動だったのですね。イエス様が踏み込んで尋ねます。「どんなことですか。」もちろんイエス様ご自身は真相を、本当のことを熟知しておられるのですが、この二人の弟子たちを真理に導くために、あえて尋ねておられます。二人は心にひっかかっていることを、堰が切ったように語り出します。語り出さずにはおれない気持ちなのです。
19~24節「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、あの方こそイスラエルを解放して下さると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言った通りで、あの方は見当たりませんでした。」「一体これらのことを、どう考えればよいのでしょう」とこの謎めいた同伴者・旅人に質問せずにはいられないほどに、答えを求めています。
すると旅人が答えてくれるのです。25~27節「そこでイエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシア(救い主)はこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」弟子たちは、イエス様こそ、イスラエル民族を解放して下さる(=ローマ帝国の支配から解放し、ユダヤ民族の独立を勝ち取って下さる)メシア(救い主)だと信じていました。しかしこの旅人(同伴者イエス様)は、「それはメシア(救い主)への誤解だ」と言うのです。その通りです。弟子たちはイエス様が十字架という苦難に遭うとは予想もしていませんでした。ところがこの同伴者イエス様は、イエス様が十字架の苦難に遭うことは、実は意外なことではなく、最初から必然だった、父なる神様のご計画だったと言うのです。
「そして、モーセ(モーセ五書、つまり創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)とすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」まず苦難については、やはりイザヤ書53章に予告されていることが明らかです。長いので一部だけ読みます。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。(~)彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた。私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
苦難の後に栄光に入ることについては、色々な個所が挙げられると思います。たとえばクリスマスによく読まれるミカ書5章3~4節も、世界の真の王としてのイエス様の栄光を語っていると言えます。「彼(救い主)は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である。」そして本日の旧約聖書である詩編118編も、イエス様の十字架と復活を指し示す個所として使徒言行録等に引用されています。詩編118編22~23節はこうです。「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」神学校でこんな説教を聴いたことがあります。私たち人間が「こんなものは要らない」と言って捨てたイエス・キリストを、父なる神様は復活させ、神の家である教会の基となさった。このことを知って私たちは、恐れを覚えなければならない。その通りなのだと思います。そしてイエス様が十字架で死なれただけなら、キリスト教会が誕生することはありませんでした。イエス様が十字架で死なれて、復活されたからこそ、キリスト教会は誕生し、東久留米教会も生きて存在しているのです。「家を建てる者の退けた石が、隅の親石(教会の土台石)となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」イエス様は二人の弟子に、この詩編118編をも語られたと思うのです。
イエス様は、旧約聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました。私もこのイエス様の話を直接じっくり聴きたかったですね。しかし私たちが一生懸命旧約聖書を読めば、だいたいこんな個所を引用されたのだろうということは次第に分かります。つくづく思うのは聖書の言葉の意味の解釈は自分勝手に行わず聖書全体を読みながら行うことが必要だということ。そして神様に教えていただいて、祈りながら聖霊(イエス様の清き霊)に教えていただいて解釈することが必要だということです。イエス様による旧約聖書の解き明かしを聴きながら、二人の弟子たちは聖書の真のメッセージが分かって目を開かれ、心が燃え始めました。あとの32節で二人が語り合った通りです。「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、私たちの心は燃えていたではないか」と。
28節「一行は目指す村(エマオ)に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まり下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。」今日は歌いませんが讃美歌21の218番(夕べの讃美歌)の1節を連想します。「日暮れて、やみは迫り、わが行く手なお遠し、助けなき身の頼る、主よ、共に宿りませ。」主よ、共に泊まって下さいという歌詞で、まさにこの29節からとられています。
30~31節「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」これを読むとどうしても聖餐式を連想します。「讃美の祈りを唱え」は、直訳では「祝福した」です。「パンを裂いた」行為は、イエス様の御体が十字架で裂かれたことを連想させます。私たちの罪のために、イエス様の御体が十字架で釘打たれ、槍で刺されて裂かれ、深い傷を負われました。前にもお話しましたが、私が神学校に通っていたとき、お隣の日本ルーテル神学大学(今はルーテル学院大学)との一致礼拝が毎年一回行われました。ルーテルを会場にするときは、ルター派の礼拝の形で行われます。司祭が聖餐を受ける私たち一人一人の前でパンを裂いて渡して下さいます。「これはあなたのために裂かれた主イエス・キリストの体です」とおっしゃって目の前でパンを裂いて渡して下さいました。裂く行為を目の前で行うことで、イエス様が本当に十字架で肉体を裂かれて下さったことを視覚的に実感するのですね。裂くという行為は重要です。印象に残りました。
二人の弟子たちは、イエス様がパンを祝福し、パンを裂いて渡して下さった動作によって、この方がイエス様だと初めて分かりました。ある人は想像します。パンを裂いて渡された両手に、釘の穴が開いていたのが見えたのではないかと。そうはっきり書いてありませんが、両手に釘の穴が開いていたとしても不思議ではありません。ヨハネ福音書では、復活されたイエス様が疑う弟子トマスに、トマスの指をイエス様の手(釘で穴が開いた手)に当てなさい、トマスの手をイエス様の槍で穴が開いた脇腹に入れなさいとおっしゃっていますから。パンを裂いて下さったとき、二人の目が開け、この不思議な同伴者がイエス様だと分かりました。パンを裂く行為を見て、イエス様の十字架の死が自分たちの罪を身代わりに背負った犠牲の死だったことも、ピン来て直感的に分かったのではないかと思います。そして二人の心がまた燃えたのだと思います。私たちも聖餐式を受ける時、パンとぶどう液を食べ飲みし、私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれたイエス様の愛を深く感じ、心が燃えるのですから。
「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、私たちの心は燃えていたではないか」と語り合った弟子たちは、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十二人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモン(ペトロ)に現れたと言っていました。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」聖餐式も洗礼式も、真の司式者はイエス・キリストご自身であることが分かります。これまで何回か説教題を「私たちの心は燃えていた」としたことがありますが、20年以上前になるでしょうか、その題にしたときに、当時説教題の看板を書いて下さっていた草刈さんという教会員が「この御言葉が好きだ」と言われたことを思い出します。ここで弟子たちが言った「私たちの心は燃えていたではないか」の御言葉がお好きだったのです。
復活されたイエス様と二人の弟子たちは、エマオで食卓に着いたのです。エマオと言うと、日本キリスト教団では仙台にある東北教区の事務所のある建物がエマオという名前ですし、12年前に起こった東日本大震災の際に、その建物内に置かれた被災者支援センターもエマオという名前でした。東久留米教会が属する西東京教区でもボランティアが募集され、3年間くらいに渡って何回もボランティア活動が行われました。時に最初の頃は、日本中の教会からそのエマオにボランティアが来ましたし、台湾からも多く来られました。そのエマオには、目に見えなくても復活のイエス・キリストが共におられたに違いありませんね。その建物の二階には、今日の場面を描いた今風の絵も貼られていました。やや古い画家の素敵で有名な絵もありますが、その絵ではなく、今風の絵です。ややイケメンのイエス様が歩き、二人の弟子たちも一緒に歩いている絵でした。そして実際のイスラエルのエマオと思われる付近の写真も貼られていました。復活のイエス・キリストは私たちの同伴者、特に苦しみの中にある私たちの同伴者です。
今日の場面には食卓が出てきます。次のような言葉が書かれた額を見たことがある方もおられると思います。「キリストは、わが家の主、食卓の見えざる賓客、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者。」復活のイエス様は聖霊として、私たちの食卓、生活のあらゆる場面に同伴しておられ、私たちの会話を静かに聴き、私たちの心の中の思いも全て見ておられるのですね。嬉しいと同時に、襟を正されることでもあります。
弟子たちと共に歩いて下さったイエス・キリスト。遠藤周作は『侍』という小説で、江戸時代の初めにローマに行った支倉常長を描きますが、常長がヨーロッパで洗礼を受けて帰国すると、日本ではキリスト教が禁止されており、死刑にされてしまいます。その時、彼の家来でしょうか、与蔵という男が常長に言うのです。「ここからは、あの方がお供なされます。」「ここからは、あの方がお仕えなされます。」イエス・キリストが死を越えて、いつも共にいて下さる、いつも同伴して下さると。このメッセージは真実です。永遠の同伴者イエス・キリストが、昨日も今日も明日も、ずっと共に歩んで下さる。この事実に心を強められて、信仰の道を天国まで進ませていただきましょう。アーメン。
(詩編118:22~23) 家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。
(ルカ福音書24:13~35) ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
(説教) 本日は、復活節第2主日の礼拝です。説教題は「私たちの同伴者キリスト」です。新約聖書はルカによる福音書24章13~35節です。小見出しは、「エマオで現れる」です。
イエス様の十字架の死から三日目の日曜日の早朝、イエス様の墓に駆けつけた婦人たちが見たものは、空の墓でした。復活されたイエス様は、ヨハネ福音書ではトマスという弟子に「見ないのに信じる人は幸いである」と言われましたね。私たちも、見ないでも信じる幸いな者でありたいと願います。でもイエス様は、私たちが信じることができるように聖書を与えておられます。私たちが聖書を読んで、イエス様の復活を信じることができるように、応援して下さいます。
さて、今日登場するのは、イエス様の復活をまだ信じられないでいた二人の男の弟子たちです。イエス様が復活された日曜日のお昼頃でしょうか、その二人の弟子たちがエルサレムから60スタディオン(約11キロ)離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。墓が空だったことが何を意味するのか、非常に引っかかっている。この謎への答えが分からない限り、心が落ち着かない気持ちでいっぱいです。15節「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」復活のイエス様が同伴を始められたのですね。実はイエス様は、目に見えなくても、いつも私たちに同伴して下さっている。カトリック作家の遠藤周作さんが確か、「永遠の同伴者イエス・キリスト」ということをテーマにしておられたように思います。
16節「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」イエス様の方から話しかけて下さいます。17~18節「イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』」やはりイエス様の十字架は、エルサレムで大きな騒動だったのですね。イエス様が踏み込んで尋ねます。「どんなことですか。」もちろんイエス様ご自身は真相を、本当のことを熟知しておられるのですが、この二人の弟子たちを真理に導くために、あえて尋ねておられます。二人は心にひっかかっていることを、堰が切ったように語り出します。語り出さずにはおれない気持ちなのです。
19~24節「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、あの方こそイスラエルを解放して下さると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言った通りで、あの方は見当たりませんでした。」「一体これらのことを、どう考えればよいのでしょう」とこの謎めいた同伴者・旅人に質問せずにはいられないほどに、答えを求めています。
すると旅人が答えてくれるのです。25~27節「そこでイエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシア(救い主)はこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」弟子たちは、イエス様こそ、イスラエル民族を解放して下さる(=ローマ帝国の支配から解放し、ユダヤ民族の独立を勝ち取って下さる)メシア(救い主)だと信じていました。しかしこの旅人(同伴者イエス様)は、「それはメシア(救い主)への誤解だ」と言うのです。その通りです。弟子たちはイエス様が十字架という苦難に遭うとは予想もしていませんでした。ところがこの同伴者イエス様は、イエス様が十字架の苦難に遭うことは、実は意外なことではなく、最初から必然だった、父なる神様のご計画だったと言うのです。
「そして、モーセ(モーセ五書、つまり創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)とすべての預言者から始めて、聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」まず苦難については、やはりイザヤ書53章に予告されていることが明らかです。長いので一部だけ読みます。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。(~)彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた。私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
苦難の後に栄光に入ることについては、色々な個所が挙げられると思います。たとえばクリスマスによく読まれるミカ書5章3~4節も、世界の真の王としてのイエス様の栄光を語っていると言えます。「彼(救い主)は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である。」そして本日の旧約聖書である詩編118編も、イエス様の十字架と復活を指し示す個所として使徒言行録等に引用されています。詩編118編22~23節はこうです。「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」神学校でこんな説教を聴いたことがあります。私たち人間が「こんなものは要らない」と言って捨てたイエス・キリストを、父なる神様は復活させ、神の家である教会の基となさった。このことを知って私たちは、恐れを覚えなければならない。その通りなのだと思います。そしてイエス様が十字架で死なれただけなら、キリスト教会が誕生することはありませんでした。イエス様が十字架で死なれて、復活されたからこそ、キリスト教会は誕生し、東久留米教会も生きて存在しているのです。「家を建てる者の退けた石が、隅の親石(教会の土台石)となった。これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」イエス様は二人の弟子に、この詩編118編をも語られたと思うのです。
イエス様は、旧約聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました。私もこのイエス様の話を直接じっくり聴きたかったですね。しかし私たちが一生懸命旧約聖書を読めば、だいたいこんな個所を引用されたのだろうということは次第に分かります。つくづく思うのは聖書の言葉の意味の解釈は自分勝手に行わず聖書全体を読みながら行うことが必要だということ。そして神様に教えていただいて、祈りながら聖霊(イエス様の清き霊)に教えていただいて解釈することが必要だということです。イエス様による旧約聖書の解き明かしを聴きながら、二人の弟子たちは聖書の真のメッセージが分かって目を開かれ、心が燃え始めました。あとの32節で二人が語り合った通りです。「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、私たちの心は燃えていたではないか」と。
28節「一行は目指す村(エマオ)に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まり下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるために家に入られた。」今日は歌いませんが讃美歌21の218番(夕べの讃美歌)の1節を連想します。「日暮れて、やみは迫り、わが行く手なお遠し、助けなき身の頼る、主よ、共に宿りませ。」主よ、共に泊まって下さいという歌詞で、まさにこの29節からとられています。
30~31節「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」これを読むとどうしても聖餐式を連想します。「讃美の祈りを唱え」は、直訳では「祝福した」です。「パンを裂いた」行為は、イエス様の御体が十字架で裂かれたことを連想させます。私たちの罪のために、イエス様の御体が十字架で釘打たれ、槍で刺されて裂かれ、深い傷を負われました。前にもお話しましたが、私が神学校に通っていたとき、お隣の日本ルーテル神学大学(今はルーテル学院大学)との一致礼拝が毎年一回行われました。ルーテルを会場にするときは、ルター派の礼拝の形で行われます。司祭が聖餐を受ける私たち一人一人の前でパンを裂いて渡して下さいます。「これはあなたのために裂かれた主イエス・キリストの体です」とおっしゃって目の前でパンを裂いて渡して下さいました。裂く行為を目の前で行うことで、イエス様が本当に十字架で肉体を裂かれて下さったことを視覚的に実感するのですね。裂くという行為は重要です。印象に残りました。
二人の弟子たちは、イエス様がパンを祝福し、パンを裂いて渡して下さった動作によって、この方がイエス様だと初めて分かりました。ある人は想像します。パンを裂いて渡された両手に、釘の穴が開いていたのが見えたのではないかと。そうはっきり書いてありませんが、両手に釘の穴が開いていたとしても不思議ではありません。ヨハネ福音書では、復活されたイエス様が疑う弟子トマスに、トマスの指をイエス様の手(釘で穴が開いた手)に当てなさい、トマスの手をイエス様の槍で穴が開いた脇腹に入れなさいとおっしゃっていますから。パンを裂いて下さったとき、二人の目が開け、この不思議な同伴者がイエス様だと分かりました。パンを裂く行為を見て、イエス様の十字架の死が自分たちの罪を身代わりに背負った犠牲の死だったことも、ピン来て直感的に分かったのではないかと思います。そして二人の心がまた燃えたのだと思います。私たちも聖餐式を受ける時、パンとぶどう液を食べ飲みし、私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれたイエス様の愛を深く感じ、心が燃えるのですから。
「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、私たちの心は燃えていたではないか」と語り合った弟子たちは、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十二人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモン(ペトロ)に現れたと言っていました。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」聖餐式も洗礼式も、真の司式者はイエス・キリストご自身であることが分かります。これまで何回か説教題を「私たちの心は燃えていた」としたことがありますが、20年以上前になるでしょうか、その題にしたときに、当時説教題の看板を書いて下さっていた草刈さんという教会員が「この御言葉が好きだ」と言われたことを思い出します。ここで弟子たちが言った「私たちの心は燃えていたではないか」の御言葉がお好きだったのです。
復活されたイエス様と二人の弟子たちは、エマオで食卓に着いたのです。エマオと言うと、日本キリスト教団では仙台にある東北教区の事務所のある建物がエマオという名前ですし、12年前に起こった東日本大震災の際に、その建物内に置かれた被災者支援センターもエマオという名前でした。東久留米教会が属する西東京教区でもボランティアが募集され、3年間くらいに渡って何回もボランティア活動が行われました。時に最初の頃は、日本中の教会からそのエマオにボランティアが来ましたし、台湾からも多く来られました。そのエマオには、目に見えなくても復活のイエス・キリストが共におられたに違いありませんね。その建物の二階には、今日の場面を描いた今風の絵も貼られていました。やや古い画家の素敵で有名な絵もありますが、その絵ではなく、今風の絵です。ややイケメンのイエス様が歩き、二人の弟子たちも一緒に歩いている絵でした。そして実際のイスラエルのエマオと思われる付近の写真も貼られていました。復活のイエス・キリストは私たちの同伴者、特に苦しみの中にある私たちの同伴者です。
今日の場面には食卓が出てきます。次のような言葉が書かれた額を見たことがある方もおられると思います。「キリストは、わが家の主、食卓の見えざる賓客、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者。」復活のイエス様は聖霊として、私たちの食卓、生活のあらゆる場面に同伴しておられ、私たちの会話を静かに聴き、私たちの心の中の思いも全て見ておられるのですね。嬉しいと同時に、襟を正されることでもあります。
弟子たちと共に歩いて下さったイエス・キリスト。遠藤周作は『侍』という小説で、江戸時代の初めにローマに行った支倉常長を描きますが、常長がヨーロッパで洗礼を受けて帰国すると、日本ではキリスト教が禁止されており、死刑にされてしまいます。その時、彼の家来でしょうか、与蔵という男が常長に言うのです。「ここからは、あの方がお供なされます。」「ここからは、あの方がお仕えなされます。」イエス・キリストが死を越えて、いつも共にいて下さる、いつも同伴して下さると。このメッセージは真実です。永遠の同伴者イエス・キリストが、昨日も今日も明日も、ずっと共に歩んで下さる。この事実に心を強められて、信仰の道を天国まで進ませていただきましょう。アーメン。
2023-04-09 1:10:35()
説教「イエス・キリストは復活された」2023年4月9日(日)イースター公同礼拝
順序:招詞 ヨハネ福音書20:27~28,頌栄85(2回)、主の祈り,交読詩編89,日本基督教団信仰告白、讃美歌21・326、聖書 ホセア書6:1~6(旧約p.1409)、ルカ福音書24:1~12(新約p.159),洗礼式、讃美歌510、祈祷、説教、祈祷、讃美歌325、献金、頌栄92、祝祷。
(ホセア書6:1~6) 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし/三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる。」エフライムよ/わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたらよいのか。お前たちの愛は朝の霧/すぐに消えうせる露のようだ。それゆえ、わたしは彼らを/預言者たちによって切り倒し/わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる。わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。
(ルカ福音書24:1~12)そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
(説教) イースターおめでとうございます。本日は、イエス・キリストの復活を祝うイースター礼拝です。説教題は「イエス・キリストは復活された」です。新約聖書はルカによる福音書24章1~12節です。
ルカ福音書23章によると、イエス・キリストは「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と言って、息を引き取られたのです。ローマの百人隊長が、「本当に、この人は正しい人だった」と言って神を賛美し、群衆は皆、胸を打ちながら帰って行きました。百人隊長の言葉によって、イエス様正しく生きた方であることが証明されました。常に正しく生きたのに、不当にも十字架につけられて殺されたことがはっきりしました。その日は金曜日で、金曜日の夕方から安息日になります。人々は安息日が始まる前に十字架刑を終わらせるため、イエス様と二人の犯罪人の遺体を取り下ろします。そしてイエス様の遺体を亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない岩に掘った墓の中に納めました。イエス様は仮死状態ではなく、完全に死なれました。ガリラヤから従って来た婦人たちはそれを見届け、家に帰ってイエス様の遺体を処置する香料と香油を準備し、安息日には掟に従って休みました。安息日の礼拝は献げたのだろうと思います。
そして安息日が明けると、週の初めの日(つまり日曜日)の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行きました。安息日が明けて日が昇り始めるとすぐに墓に行った行動に、イエス様への愛情の深さを感じますね。日曜日の「日」は太陽の意味ですね。旧約聖書の創世記によると、神様は天地創造の初日の日曜日に、「光あれ」と命じられ、光を創造されました。これを太陽と考えることは可能です。そして初代教会の人々は、イエス・キリストこそ「義の太陽」と考えました。初代教会の人々は、週の第一の日である日曜日に主なる神様が光を創造し、「義の太陽」主イエス・キリストを復活させた大切な「主の日」として重んじ、神様を礼拝する日としました。私たちも同じ信仰を受け継いでいます。
婦人たちはイエス様への愛のゆえに明け方早く墓にかけつけたのですが、神様の方が先に働いておられました。私たちは神様より先手を取ることはできないのですね。2節「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」大きな石が既に転がしてあったことは、神様の偉大な力が既に働いたことです。早朝、それは神様が働かれる時です。詩編46編6節には、「夜明けとともに、神は助けをお与えになる」と記されています。日本語には、早朝を表す感性豊かな言葉が多くあります。暁、しののめ、曙、未明などです。人が誰も見ていないそのとき、イエス様は墓の中で甦らせられ、墓を破って出て行かれました。完全に死んでおられた約一日半の間、イエス様がどうしておられたのかと言うと、ペトロの手紙(一)3章19節に書いてあります。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところ(死者の国)へ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られたいた間、神が忍耐して待っておられたのに、従わなかった者たちです。」十字架の死から復活までの約一日半の間、イエス様は死者の国で宣教しておられたことになります。そして日曜日の明け方早く、墓を破って復活されました。
さて婦人たちは、イエス様の遺体が見当たらないという予想外の事態に、「え、どういうこと?」と驚き、困惑していました。どうしてよいか分からず、途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がぞばに現れました。天使です。私は天使を直接見た記憶はありませんが、普通の人の姿で現れることもあるようなので、気づかずに会っているのだと思います。ここでは普通の人間と違う天の栄光に輝く姿で現れたので、婦人たちは恐れて地に顔を伏せる反応をしました。天使たちは告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを想い出しなさい。人の子(イエス様ご自身)は必ず、罪人(つみびと)の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで婦人たちは、初めてイエス様の言葉を思い出しました。思い出すことは、必ずしも後ろ向きのことではなく、神様の恵みの1つ1つを思い起こすことは大切です。
イエス様は確かに弟子たちおっしゃっていたのです。ルカ福音書9章22節「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」そして9章44節でイエス様は、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」と言われ、さらに18章32節以下で、「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」このときは弟子たちにこの言葉の意味が隠されていて、理解できませんでした。十字架の死と復活が現実になった後、イエス様の十字架と復活の意味が、徐々に分かるようになったのです。イエス様の十字架の死、それは私たちが陥っている罪と死から私たちが救われるために、どうしても必要なことであったのです。
イエス様の三度の予告が今、実現し、イエス様は十字架で死なれ、三日目に復活され、イエス様の予告を思い出した婦人たちが男の弟子たち(ユダを除く11人)に知らせたのですが、男の弟子たち(使徒たち)にはたわ言・あり得ない馬鹿馬鹿しい話としか思えず、婦人たちの言うことを信じませんでした。しかしペトロだけは、半信半疑ながらも立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、イエス様の遺体がなく、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰りました。この後、復活されたイエス様が弟子たちに姿を現し、復活のイエス様は弟子たちの前で魚を食べて、ご自分が体(霊の体)をもって生きていることを示されます。40日に渡って弟子たちと共に歩まれ、体をもって天に上げられます。今も天で生きておられ、今もそこから聖霊を送って、私たちに信じる心を与えて下さいます。
一昨日は、Oさんのご葬儀をこの礼拝堂で執り行わせていただきました。まさにイエス様が私たちの全ての罪を背負って十字架で死んで下さった金曜日です。私たちの全ての罪も、Oさんの罪も、イエス様の十字架の身代わりの死のお陰ですべてゆるされている。その十字架の恵みの中で、ご葬儀を執り行わせていただきました。そしてイエス様の復活によって、Oさんにも私たちにも既にその復活の命が与えらえている。そのイエス様の守りに包まれてご葬儀を行わせていただいたと思っています。
そしてたった今は、恵みの洗礼式を行わせていただきました。洗礼を受けるということは、イエス様の十字架の死と復活に、自分の身を全て委ねることです。イエス様の十字架の死と復活と、わが身が一体化することです。古い罪深い自分はイエス様と共に十字架に架けられて死に、イエス様と共に新しい命に復活することが、洗礼を受けるときに私たちに起こります。ローマの信徒への手紙6章4節以下の御言葉が、私たちの上に成就・実現したのです。「私たちは洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」そして洗礼を受けた方には、ガラテヤの信徒への手紙2章の次の御言葉が成就・実現しているのです。「私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」
さて、イエス様の空の墓、三日目の復活。これを預言しているのは旧約聖書のホセア書6章2節と言われます。「二日の後、主は我々を生かし、三日目に立ち上がらせて下さる。」もう一ヶ所、マタイ福音書12章のイエス様の御言葉も大事なことを教えて下さいます。「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子(イエス様)も三日三晩、大地の中にいることになる。」イエス様がおっしゃることは、ヨナが三日三晩、魚のお腹にいたことが、イエス様が死んで死者の国に行くことと三日目に復活することを指し示す預言的な出来事だということです。イエス様の三日目の復活は、旧約聖書に暗示されている神様の以前からのご計画だったのです。
聖書の復活信仰を考えてみますと、旧約聖書には復活信仰は直接記されることは少なく、ようやく旧約聖書の後半のエゼキエル書37章に明確に出てきます。エゼキエル書37章は、神様に背いてバビロン捕囚になり、死んだようになった神の民イスラエルが、神様の憐れみによって再生することが「枯れた骨の復活」の描写によって強烈に描かれます。その後、旧約聖書と新約聖書の中間の時代のイスラエルの歴史を書き記した旧約聖書続編・マカバイ記(二)には「七人兄弟の殉教」という強烈な場面があります。アンティオコス・エピファネスという悪い王の時代に、信仰深い人々が迫害され、神の律法を破ることを強制されました。七人兄弟は律法を破ることを拒否し、殺されます。彼らを支えたのが復活信仰です。「世界の王(神様)は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へと甦らせて下さるのだ」と言って死ぬのです。神様に従った人は、たとえ殺されても、神様が必ず復活の命によってよき報いを与えて下さる。この復活信仰が信仰者たちに勇気を与えたのですね。その通りで、イエス様こそ父なる神様に従い通されたので、父なる神様は復活によって報いて下さったのです。
新約聖書のヘブライ人への手紙11章を読むと、困難や迫害の中で神様に従った旧約聖書の多くの信仰者たちのことが語られています。たとえばモーセは「成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝にまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです」と書かれています。「女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。」神様に従っていれば、たとえ迫害や苦難があっても、最後には神様が必ず報いて下さる。復活の命、永遠の命によって報いて下さると信頼して、迫害や苦難に耐えたのです。やはり私たちの真の国籍は、天にあるのですね。
ヘブライ人への手紙は13章7節でこう語ります。「あなた方に神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」私も、以前にお世話になった牧師の方々が、次第に天国に住まいを移しておられます。その牧師の方々の信仰の背中を見つめて見倣おうと思っています。私ども夫婦に洗礼を授けて下さった牧師は、地上の人生の締めくくりの10年間は茨城県で開拓伝道の日々を送られました。
印象に残る牧師方のお一人に著名な先生ですが、日本キリスト教団霊南坂教会の牧師を長く務められた飯清(いい・きよし)先生がおられます。私が洗礼を受けた茨城県の教会に求道して通い始めた1987年秋に飯先生をお招きした伝道礼拝があり、1995年の春にも飯先生が礼拝説教に来られました。実はご病気が相当厳しい状態であられたのです。今から28年前ですから、今ならもっと長く生きることがおできになったのだろうと思います。そのような状態で、よく礼拝説教に来て下さったと思います。周囲が皆賛成したかどうかは分かりません。でもこれが伝道者魂、伝道者スピリットなのだなと感じます。聖書はローマの信徒への手紙12章1節だったと記憶しています。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなた方に勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です。」私たちプロテスタント教会は「信仰義認」を強調するけれども、信仰義認だから神様に従わなくてよいのかというと、もちろんそうではない、という内容だったと記憶しています。
結果的に、それが飯先生の最後の日曜礼拝説教となったと聞きました。遺言とも言える説教だったのですが、先生は一見したところではご病気のようにも見えず、声の調子に悲壮感もなく、ユーモアまである。真に尊い伝道者魂を会衆一同に示して下さいました。ご病気でいらっしゃるのに、神様から伝道のために呼ばれたと信じて、無理して来て下さったのだろうと思いました。どんな情況でも復活の命、永遠の命の命を信じる伝道者のお姿を見せていただいたと思っています。「あなた方に神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」イエス様を見つめてしっかり従って行かれた先輩伝道者の方々、先輩クリスチャンの方々の背中は尊いですし、後に続く私たちに勇気を与えて下さいます。
イエス様は神の子ですが、十字架の苦難を通って、三日目に復活して立ち上がらっれました。私たちの先頭を切って、復活して下さいました。神様に従い、イエス様に従った先には必ず復活の命、永遠の命、天国が用意されていることを証明して下さいました。ですから私たちはイースターを喜びます。私たちも勇気をもって、それぞれにできる形でイエス様に従って参りましょう。アーメン。
(ホセア書6:1~6) 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし/三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる。」エフライムよ/わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたらよいのか。お前たちの愛は朝の霧/すぐに消えうせる露のようだ。それゆえ、わたしは彼らを/預言者たちによって切り倒し/わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる。わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。
(ルカ福音書24:1~12)そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
(説教) イースターおめでとうございます。本日は、イエス・キリストの復活を祝うイースター礼拝です。説教題は「イエス・キリストは復活された」です。新約聖書はルカによる福音書24章1~12節です。
ルカ福音書23章によると、イエス・キリストは「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と言って、息を引き取られたのです。ローマの百人隊長が、「本当に、この人は正しい人だった」と言って神を賛美し、群衆は皆、胸を打ちながら帰って行きました。百人隊長の言葉によって、イエス様正しく生きた方であることが証明されました。常に正しく生きたのに、不当にも十字架につけられて殺されたことがはっきりしました。その日は金曜日で、金曜日の夕方から安息日になります。人々は安息日が始まる前に十字架刑を終わらせるため、イエス様と二人の犯罪人の遺体を取り下ろします。そしてイエス様の遺体を亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない岩に掘った墓の中に納めました。イエス様は仮死状態ではなく、完全に死なれました。ガリラヤから従って来た婦人たちはそれを見届け、家に帰ってイエス様の遺体を処置する香料と香油を準備し、安息日には掟に従って休みました。安息日の礼拝は献げたのだろうと思います。
そして安息日が明けると、週の初めの日(つまり日曜日)の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行きました。安息日が明けて日が昇り始めるとすぐに墓に行った行動に、イエス様への愛情の深さを感じますね。日曜日の「日」は太陽の意味ですね。旧約聖書の創世記によると、神様は天地創造の初日の日曜日に、「光あれ」と命じられ、光を創造されました。これを太陽と考えることは可能です。そして初代教会の人々は、イエス・キリストこそ「義の太陽」と考えました。初代教会の人々は、週の第一の日である日曜日に主なる神様が光を創造し、「義の太陽」主イエス・キリストを復活させた大切な「主の日」として重んじ、神様を礼拝する日としました。私たちも同じ信仰を受け継いでいます。
婦人たちはイエス様への愛のゆえに明け方早く墓にかけつけたのですが、神様の方が先に働いておられました。私たちは神様より先手を取ることはできないのですね。2節「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」大きな石が既に転がしてあったことは、神様の偉大な力が既に働いたことです。早朝、それは神様が働かれる時です。詩編46編6節には、「夜明けとともに、神は助けをお与えになる」と記されています。日本語には、早朝を表す感性豊かな言葉が多くあります。暁、しののめ、曙、未明などです。人が誰も見ていないそのとき、イエス様は墓の中で甦らせられ、墓を破って出て行かれました。完全に死んでおられた約一日半の間、イエス様がどうしておられたのかと言うと、ペトロの手紙(一)3章19節に書いてあります。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところ(死者の国)へ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られたいた間、神が忍耐して待っておられたのに、従わなかった者たちです。」十字架の死から復活までの約一日半の間、イエス様は死者の国で宣教しておられたことになります。そして日曜日の明け方早く、墓を破って復活されました。
さて婦人たちは、イエス様の遺体が見当たらないという予想外の事態に、「え、どういうこと?」と驚き、困惑していました。どうしてよいか分からず、途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がぞばに現れました。天使です。私は天使を直接見た記憶はありませんが、普通の人の姿で現れることもあるようなので、気づかずに会っているのだと思います。ここでは普通の人間と違う天の栄光に輝く姿で現れたので、婦人たちは恐れて地に顔を伏せる反応をしました。天使たちは告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを想い出しなさい。人の子(イエス様ご自身)は必ず、罪人(つみびと)の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで婦人たちは、初めてイエス様の言葉を思い出しました。思い出すことは、必ずしも後ろ向きのことではなく、神様の恵みの1つ1つを思い起こすことは大切です。
イエス様は確かに弟子たちおっしゃっていたのです。ルカ福音書9章22節「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」そして9章44節でイエス様は、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」と言われ、さらに18章32節以下で、「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」このときは弟子たちにこの言葉の意味が隠されていて、理解できませんでした。十字架の死と復活が現実になった後、イエス様の十字架と復活の意味が、徐々に分かるようになったのです。イエス様の十字架の死、それは私たちが陥っている罪と死から私たちが救われるために、どうしても必要なことであったのです。
イエス様の三度の予告が今、実現し、イエス様は十字架で死なれ、三日目に復活され、イエス様の予告を思い出した婦人たちが男の弟子たち(ユダを除く11人)に知らせたのですが、男の弟子たち(使徒たち)にはたわ言・あり得ない馬鹿馬鹿しい話としか思えず、婦人たちの言うことを信じませんでした。しかしペトロだけは、半信半疑ながらも立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、イエス様の遺体がなく、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰りました。この後、復活されたイエス様が弟子たちに姿を現し、復活のイエス様は弟子たちの前で魚を食べて、ご自分が体(霊の体)をもって生きていることを示されます。40日に渡って弟子たちと共に歩まれ、体をもって天に上げられます。今も天で生きておられ、今もそこから聖霊を送って、私たちに信じる心を与えて下さいます。
一昨日は、Oさんのご葬儀をこの礼拝堂で執り行わせていただきました。まさにイエス様が私たちの全ての罪を背負って十字架で死んで下さった金曜日です。私たちの全ての罪も、Oさんの罪も、イエス様の十字架の身代わりの死のお陰ですべてゆるされている。その十字架の恵みの中で、ご葬儀を執り行わせていただきました。そしてイエス様の復活によって、Oさんにも私たちにも既にその復活の命が与えらえている。そのイエス様の守りに包まれてご葬儀を行わせていただいたと思っています。
そしてたった今は、恵みの洗礼式を行わせていただきました。洗礼を受けるということは、イエス様の十字架の死と復活に、自分の身を全て委ねることです。イエス様の十字架の死と復活と、わが身が一体化することです。古い罪深い自分はイエス様と共に十字架に架けられて死に、イエス様と共に新しい命に復活することが、洗礼を受けるときに私たちに起こります。ローマの信徒への手紙6章4節以下の御言葉が、私たちの上に成就・実現したのです。「私たちは洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。もし、私たちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」そして洗礼を受けた方には、ガラテヤの信徒への手紙2章の次の御言葉が成就・実現しているのです。「私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」
さて、イエス様の空の墓、三日目の復活。これを預言しているのは旧約聖書のホセア書6章2節と言われます。「二日の後、主は我々を生かし、三日目に立ち上がらせて下さる。」もう一ヶ所、マタイ福音書12章のイエス様の御言葉も大事なことを教えて下さいます。「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子(イエス様)も三日三晩、大地の中にいることになる。」イエス様がおっしゃることは、ヨナが三日三晩、魚のお腹にいたことが、イエス様が死んで死者の国に行くことと三日目に復活することを指し示す預言的な出来事だということです。イエス様の三日目の復活は、旧約聖書に暗示されている神様の以前からのご計画だったのです。
聖書の復活信仰を考えてみますと、旧約聖書には復活信仰は直接記されることは少なく、ようやく旧約聖書の後半のエゼキエル書37章に明確に出てきます。エゼキエル書37章は、神様に背いてバビロン捕囚になり、死んだようになった神の民イスラエルが、神様の憐れみによって再生することが「枯れた骨の復活」の描写によって強烈に描かれます。その後、旧約聖書と新約聖書の中間の時代のイスラエルの歴史を書き記した旧約聖書続編・マカバイ記(二)には「七人兄弟の殉教」という強烈な場面があります。アンティオコス・エピファネスという悪い王の時代に、信仰深い人々が迫害され、神の律法を破ることを強制されました。七人兄弟は律法を破ることを拒否し、殺されます。彼らを支えたのが復活信仰です。「世界の王(神様)は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へと甦らせて下さるのだ」と言って死ぬのです。神様に従った人は、たとえ殺されても、神様が必ず復活の命によってよき報いを与えて下さる。この復活信仰が信仰者たちに勇気を与えたのですね。その通りで、イエス様こそ父なる神様に従い通されたので、父なる神様は復活によって報いて下さったのです。
新約聖書のヘブライ人への手紙11章を読むと、困難や迫害の中で神様に従った旧約聖書の多くの信仰者たちのことが語られています。たとえばモーセは「成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝にまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです」と書かれています。「女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。」神様に従っていれば、たとえ迫害や苦難があっても、最後には神様が必ず報いて下さる。復活の命、永遠の命によって報いて下さると信頼して、迫害や苦難に耐えたのです。やはり私たちの真の国籍は、天にあるのですね。
ヘブライ人への手紙は13章7節でこう語ります。「あなた方に神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」私も、以前にお世話になった牧師の方々が、次第に天国に住まいを移しておられます。その牧師の方々の信仰の背中を見つめて見倣おうと思っています。私ども夫婦に洗礼を授けて下さった牧師は、地上の人生の締めくくりの10年間は茨城県で開拓伝道の日々を送られました。
印象に残る牧師方のお一人に著名な先生ですが、日本キリスト教団霊南坂教会の牧師を長く務められた飯清(いい・きよし)先生がおられます。私が洗礼を受けた茨城県の教会に求道して通い始めた1987年秋に飯先生をお招きした伝道礼拝があり、1995年の春にも飯先生が礼拝説教に来られました。実はご病気が相当厳しい状態であられたのです。今から28年前ですから、今ならもっと長く生きることがおできになったのだろうと思います。そのような状態で、よく礼拝説教に来て下さったと思います。周囲が皆賛成したかどうかは分かりません。でもこれが伝道者魂、伝道者スピリットなのだなと感じます。聖書はローマの信徒への手紙12章1節だったと記憶しています。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなた方に勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です。」私たちプロテスタント教会は「信仰義認」を強調するけれども、信仰義認だから神様に従わなくてよいのかというと、もちろんそうではない、という内容だったと記憶しています。
結果的に、それが飯先生の最後の日曜礼拝説教となったと聞きました。遺言とも言える説教だったのですが、先生は一見したところではご病気のようにも見えず、声の調子に悲壮感もなく、ユーモアまである。真に尊い伝道者魂を会衆一同に示して下さいました。ご病気でいらっしゃるのに、神様から伝道のために呼ばれたと信じて、無理して来て下さったのだろうと思いました。どんな情況でも復活の命、永遠の命の命を信じる伝道者のお姿を見せていただいたと思っています。「あなた方に神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」イエス様を見つめてしっかり従って行かれた先輩伝道者の方々、先輩クリスチャンの方々の背中は尊いですし、後に続く私たちに勇気を与えて下さいます。
イエス様は神の子ですが、十字架の苦難を通って、三日目に復活して立ち上がらっれました。私たちの先頭を切って、復活して下さいました。神様に従い、イエス様に従った先には必ず復活の命、永遠の命、天国が用意されていることを証明して下さいました。ですから私たちはイースターを喜びます。私たちも勇気をもって、それぞれにできる形でイエス様に従って参りましょう。アーメン。