日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2023-08-05 23:16:07(土)
「一粒の麦として生きる」2023年8月6日(日)平和聖日公同礼拝礼拝
順序:招詞 エフェソ2:14~16,頌栄29、主の祈り,交読詩編103、使徒信条、讃美歌21・188、聖書 詩編126:5~6(旧約p.)、ヨハネ福音書12:20~26(新約p.192)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌510、献金、頌栄83(1節)、祝祷。 

(詩編126:5~6)涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

(ヨハネ福音書12:20~26)さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」

(説教) 本日は、平和聖日公同礼拝です。説教題は「一粒の麦として生きる」です。新約聖書は、ヨハネ福音書12章20~26節です。

 この直前の個所を先週の礼拝で読みましたが、それはイエス・キリストが、なつめやしの枝(しゅろの枝)を振る人群衆に歓迎され、ろばの子に乗って、エルサレムの都に入られる場面でした。それは日曜日の出来事、イエス様が十字架に架けられる金曜日の5日前の出来事でした。

 本日はその続きの個所ですが、同じ日の出来事かどうかは、分かりません。最初の20節から。「さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、『お願いです。イエスにお目にかかりたいのです』と頼んだ。」ユダヤ人でない外国人のギリシア人が何人か、エルサレムにいたのです。もしかすると彼らもユダヤ人の信仰に憧れ、礼拝するために外国から来ていたのかもしれません。イエス様が大群衆に歓迎される様子を見て、この方こそ本当にイスラエルの真の王、イスラエルと世界の真の救い主と思ったのかもしれません。自分たちは外国人だから、いきなり直接イエス様の元に行って話をするのは、憚られたのかもしれません。へりくだってイエス様の弟子のフィリポに、取次ぎを頼みました。「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです。」フィリポは行って、同じ弟子のアンデレに話し、アンデレとフィリポが二人で行って、イエス様に話しました。

 23節「イエスはこうお答えになった。『人の子(ご自分)が栄光を受ける時が来た。』」イエス様の場合の栄光は、十字架に架かるという栄光です。十字架こそ、イエス様にとって栄光です。24節は有名な御言葉であり、本日の中心聖句と言えます。
「はっきり言っておく(直訳:アーメン、アーメン、私はあなた方に言う=非常に重要なことを語るときの前置き)。『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。』」一粒の麦は、まずはイエス・キリストご自身です。イエス様ご自身が、一粒の麦として十字架で死なれ、私たちのためにご自分の尊い命を献げて下さいました。イエス様は、一粒の麦として死なれたのですが、父なる神様は三日目に復活の勝利を与えて下さり、イエス様の十字架の死は実を結んだのです。それだけでなく、イエス様を救い主と信じ告白して、自分の罪を悔い改める人に、父なる神様は永遠の命を与えて下さいます。イエス様は、私たち皆の、全部の罪を身代わりに背負って、十字架で死なれたからです。それでイエス様を救い主と信じて、永遠の命を受ける人々が、次々と大勢現れたのです。その意味でも、イエス様の十字架の死は、数えきれないほど多くの実を結びましたし、今も多くの実を結び続けています。

 25節「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」この場合の「自分の命」とは、自己中心的に生きようとする罪深い命のことです。私たちは、神様に愛されている自分を正しく愛することはとても大切で、ぜひ必要なことです。しかし自分勝手に生きたくなる私たちの生まれつきのわがままな心を愛することは罪です。このような問題ある愛を「自己愛」と呼びます。自己愛は罪です。自己中心的に生きたくなる私たちの罪を愛してはいけません。逆に自己中心に生きたくなる自分自身の罪、自己愛を憎むことが必要です。自己愛に突き進めば、死と滅びに至り、永遠の命に至ることができません。

 反対に、この世界で「自分の命を憎む人」=「自己愛の罪を憎む人」は、永遠の命に至ることができます。永遠の命とは、永久に物理的に何億年も何百兆年もこの地上で生きるということではありません。そうではなく、むしろ命の質のことと言えます。永遠の命とは、自己中心に生きる命ではなく、「神様をひたすら愛し、隣人をひたすら愛する命」です。完全に純粋な永遠の命に生きている方は、イエス様だけです。私たちは、まだある程度、自己中心的に生きています。しかし、神様に祈り、聖書の御言葉を心の中に蓄え、聖霊なる神様に助けていただくことで、徐々に清められ、徐々に自己中心を抑えることができるようになります。できるだけ自己中心の罪を心の中から追放し、「神様を愛し、隣人を愛し」、遂にはイエス様のように「敵までも愛する」ように進みたいのです。これは一生の目標です。この地上に生きる限り、100点を取ることはできなくても、少しでもイエス様の人格に近づけるように祈り、心がけます。

 26節「私に仕えようとする者は、私に従え。そうすれば、私のいる所に、私に仕える者もいることになる。私に仕える者がいれば、父(父なる神様)はその人を大切にして下さる。」プロテスタント教会は「信仰義認」を強調します。「信仰義認」とは、「ただイエス・キリストを救い主と信じる信仰によってのみ、義とされる」「よい行いによってではなく、イエス様を救い主と信じる信仰によってのみ、父なる神様の前に正しい者と認められる」ということです。もちろん「信仰義認」は正しい。ですが信じた人は、イエス様が私たちを愛して十字架で死なれた十字架の愛に、応答する生き方に進みます。応答が大切になります。そのことを、ローマの信徒への手紙12章1節が、次のように示しています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなた方のなすべき礼拝です。」イエス様ご自身も、弟子たちにこのように語っておられます。マタイ福音書16章24節。「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」そして、イエス様に従い、イエス様に仕える人を、父なる神様は大切にして下さると、イエス様は本日のヨハネ福音書12章26節で、恵みの約束を与えておられます。

 「一粒の麦」として生きた方は、少なくありません。お一人思い出すのは、藤崎るつ記さんという女性です。24歳の若さで天国に行かれたので、私はお会いしたことはありません。お父様は、もう天国に行かれた日本キリスト教団日立教会の藤崎信牧師です。私は茨城県の教会で洗礼を受けましたから、藤崎先生の説教も30年ほど前に一度伺う機会がありました。娘さんのるつ記さんは、もっと前に天国に行っておられました。藤崎先生の説教の言葉はほとんど覚えていません。たった1つ印象に残っているのは、「聖書の精神パッ!」と言って、両手を結んでからパッと開く動作を何回かなさったことです。「聖書の精神パッ!」欲望に執着せずに、手放しなさいというメッセージと受けとめました。日立で行われた茨城地区の集会でもお姿を拝見したことがありますが、娘さんを天に送られてから時間がたっていたとはいえ、素朴な笑顔でニコニコしておられて、私は「すごいなあ」と思ったものです。
 
 るつ記さんというお名前は、旧約聖書の「ルツ記」から取られています。ルツはそこに登場する女性です。藤崎るつ記さんは、三鷹市の日本ルーテル神学大学(今はルーテル学院大学)で福祉を学ばれ、インドのマザーテレサの施設でボランティアをして、「アジアの貧しい方たちと共に歩む」願いを強められました(『るっちゃんの旅立ち』キリスト新聞社、1984年)。フィリピンの大学への留学を志し、ルソン島のボトランという所でボランティアをされました。一時帰国を前に1983年4月に、海岸で送別会が開かれたのですが、その最中に海流が急変し、フィリピン人の少女二人が海で溺れたそうです。泳ぎが上手だったるつ記さんが駆け付けると、二人にしがみつかれて、溺れました。結果的に二人は助かりましたが、るつ記さんは24才の若さで天国に旅立たれました。1983年4月2日です。ちょうど40年前です。

 日本人の若い女性が、フィリピン人を助けて命を落としたことは、フィリピンの人々に驚きを与えたようです。ご遺体は純白の衣装に包まれ、花で飾られ、教会での告別式には6人もの司祭(カトリックの国)が祭壇に立ったそうです。お父様の藤崎信牧師とご夫人でお母様の藤崎一枝さんももちろん参列です。るつ記さんが籍を置いていたフィリピンの神学校の学長は告別式の挨拶で、「日本人に対する我々の感情は決してよいものではない(太平洋戦争でフィリピンは多くの被害を受けた)。しかし、これからは、フィリピン人のために生命を捨ててくれた日本人があることを決して私たちは忘れない。彼女の奉仕は、フィリピンと日本を結ぶ掛け橋になった。私たちは歴史から自由になれないが、新しい世代は、もっと新しい関係を打ち立てるべきだ」と言われたそうです。確かにるつ記さんの死は、「一粒の麦」となりました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」

 またある女性は、「るつ記さんの死を通して、天に宝を積むことの意味が、はっきり分かった」と語ったそうです。これは、マタイ福音書6章19節以下のイエス様の御言葉です。「あなた方は地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富(宝)は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」「富(宝)は、天に積みなさい。」私も久しぶりに、この御言葉に触れました。るつ記さんの生き方は、まさに「富(宝)を天に積む」生き方でした。私たちも、少しでもそのような生き方をしたいのです。
 
 るつ記さんの死を生かすため、日立教会は「るつ記記念基金」を設けて、フィリピンの貧しい青年たちが専門教育を受ける支援を始められ、今日に至っています。その基金の最近の説明書によると、その献金は「日立教会が運営管理し、チャイルドファンド・ジャパン及び日本聖書神学校を通して、貧しさのために専門教育を受けられずにいるフィリピンの青年たちのための奨学金として用いられています」と書かれています。るつ記さんにフィリピンへの留学をアドヴァイスなさったのは、ルーテル神学大学の大谷嘉朗先生という方だったようですが、この方は実は東久留米教会初代牧師の浅野先生の眞壽美夫人の恩師でもあるようです。大谷先生は、フィリピンへの応援に使命感を持って取り組まれ、チャイルドファンドジャパンの前身の国際精神里親運動の責任を担っておられたようです。おそらく大谷先生の感化の下に浅野眞壽美先生のもしかするとご提案もあって、東久留米教会は婦人会を中心に国際精神里親運動(今はチャイルドファンド・ジャパン)に協力して、今日に至っているのではないかと思います。長年地道にこの運動に協力して来たことは、とてもよいことだと思うのです。先週の週報にはジェヴェリン・ガランさんの高校卒業・大学進学の感謝のメッセージを掲載しておりますが、これも地道な働きが「豊かな実を結んだ」一つの実りだと思うのです。

 本日の旧約聖書は、詩編126編5~6節です。「一粒の麦」の御言葉と響き合います。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰って来る。」

 東久留米教会の会員で、20年ほど前に天に召された児玉さんは、日立教会で洗礼を受けた方でした。るつ記さんを知っておられたようです。私がるつ記さんの話をすると涙ぐんでおられました。ある伝道師の方が書いているのですが、「るつ記さんは、現実にはフィリピンで亡くなったけれども、実はフィリピンに行く前から死んでいた。自分自身に死んでいた」と。自己愛に死に、神様と隣人への愛に生きていたいうことです。「るつ記さんはフィリピンで死んだけれども、実は今も生きている。復活の主イエス様と共に、今も生き続けている。」天国で生きておられます。

 イエス様の御言葉をもう一度味わいましょう。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。私に仕えようとする者は、私に従え。そうすれば、私のいる所に、私に仕える者もいることになる。私に仕える者がいれば、父はその人を大切にして下さる。」私たちは藤崎さんほど立派に生きられないかもしれませんが、一人一人にできる形で、イエス様に従って参りましょう。アーメン。
 


2023-08-03 18:52:27(木)
伝道メッセージ 7月分 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「隣人を自分のように愛しなさい」(新約聖書・マタイによる福音書22章39節)。

 人の命が奪われる悲しい事件が続いています。長野県の事件、岐阜県の自衛隊の事件等です。人間の命も、動植物の命も、イエス様の父なる神様がお造りになったので、命を奪うことは神様に背く罪です。私たちは、命を大切にする世界を造りたいと願います。

 辛い話で恐縮ですが、今年の9月1日(防災の日)で関東大震災からちょうど100年です。その時、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマが広がり、韓国・朝鮮の人々や中国人が自警団や警官、軍隊に多く殺されたと言われます(数百人説、約6000人説あり)。目撃証言が少なくないのです。日本近代史の大きな汚点です。誤って日本人が殺されたケースもありました。事件現場は東京、千葉、埼玉にあり、その一つ墨田区の京成電鉄押上線・八広駅から徒歩3分の荒川土手(旧四ツ木橋付近)手前に小さな慰霊碑が、2009年に有志により、心をこめて建立されました。周りにつつじ、きんかん、あじさいなどが植えられ、緑豊かです。私は一昨年、見て来ました。東京スカイツリーも近くです。

 慰霊碑には「悼」の文字が彫られています。碑と解説板にこうあります。「犠牲者を追悼し、両民族(日本と朝鮮半島)の和解を願って、この碑を建立する。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う。」横に小さな資料館があり、在日韓国人女性の管理者おられました。「100年前のことを今恨むつもりはない。でも忘れないでほしいし、繰り返さないでほしい」と言われました。当時朝鮮の人々は、炭鉱や工事等での労働のため、学業のために来ていました(場合によって連れて来られた)。1910年から1945年まで、朝鮮半島は日本の植民地でした。二度と繰り返してはいけません。慰霊碑近くでは、9月1日頃に毎年慰霊コンサート等が行われ、今はライブ配信もあります。

 この話をある所でしたところ、北海道出身の80歳ほどの方が、子どものころ地元で多くの中国人が炭鉱労働しており、厳しい環境で次々亡くなったと話されました。2021年3月に名古屋の出入国在留管理局の施設内でスリランカ人女性ウィシュマさんが亡くなったことや、技能実習生の外国人の扱いを見ても、日本が外国人に優しい国になっていないと感じます。東久留米市の外国人人口は2492人(今年6月1日の資料)。外国人に優しい東久留米市、日本をご一緒に作りましょう。アーメン(真実に)。

2023-08-03 18:50:27(木)
伝道メッセージ 6月分 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」(新約聖書ローマ書12章9~10節)。

 上智大学教授だったアルフォンス・デーケン神父(ドイツ人、1932~2022年)は、日本で死生学を広めた方です。デーケン先生著『よく生きよく笑い、よき死と出会う』(新潮社、2010年)は、よい本です。私も一度、阿佐ヶ谷教会で講演を聴きましたが、ユーモアあふれるよいお話で、会場は超満員でした。「皆さんも、新約聖書を何度も繰り返して読むことをお薦めします。今や神父として、聖書のほとんどを覚えているような私でさえも、何度読み返しても新たな発見があるからです」(64ページ)。

 デーケン先生の少年時代のドイツは、ナチス(ヒットラー)の支配下にありました。ナチスの主な犯罪は、ユダヤ人大量虐殺、障がい者の安楽死政策です。ナチスに批判的な神父や牧師は、理由なく逮捕され、約2600人がひそかに強制収容所に送られました。デーケン先生のお父さんはキリスト教信仰により、「同じ人間同士が人種差別するのは愚かなこと」と言い、ナチスを批判する神父の礼拝説教の原稿を入手し、タイプしてロシア戦線のドイツ軍兵士に送ろうと考えました。毎日何十通もタイプを打ったのは小学5年のデーケン先生でした。極秘活動です。「私たちの国の政府はこんな悪いことを行っている。ぜひ知ってほしい。」兵士の戦闘意欲をそぐ狙いです。送り主不明の多くの手紙の存在を知ったナチスは、安楽死を一時ストップします。効果があったことは喜びでしたが、自分たち一家が手紙を送っていることが知れれば、即逮捕の危険な行動です。でもナチスより、イエス・キリストに従う道を選んだのです。

 その頃、デーケン少年は何も知らない校長先生に言われました。「君は成績優秀だから、ナチスの指導者養成学校に推薦した。」最高の教育を受けてエリートコースに進む栄誉です。デーケン少年は悩んだ末に、断ります。校長先生は怒り、友達にもいじめられます。でも父の教え「自分の頭で考え、自分の良心と信仰に従って生きなさい」に従ったのです。デーケン神父は、人を慰め励ます方でした。私は最近、夫君をご病気で失った悲しみの中で、デーケン先生の死生学のクラスに通い次第に癒され、牧師を養成する学校に入られ、今は牧師として生き生き働いておられる女性にお会いしました。デーケン先生が日本で長年働かれたことは、神様から日本への大きなプレゼントだったのです。アーメン(真実に)。

2023-08-03 18:48:09(木)
伝道メッセージ 5月分 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「光は闇の中に輝いている。そして闇は光に勝たなかった」(新約聖書・ヨハネによる福音書1章5節)。

 岩橋武夫(1898~1954年)という目の不自由なクリスチャンがおられたことを知りました(手島悠介著『光はやみより』中央法規)。20歳のとき、失明の大きな試練を受け、絶望します。しかし大阪の盲学校で出会った橋本先生に励まされます。「イギリスの詩人ミルトンは失明し、人間と神について考えを深め、アダムとエバの堕落をテーマに『失楽園』というすばらしい作品を書いた。ミルトンが失明しなかったら、この名作が生まれなかったかもしれない。」岩橋さんは立ち上がろうと決心します。

 視覚障がい者の熊谷牧師の説教も心を打ちました。「目の見えない方がヤマユリの花に近づくと、まず香りを感じます。触ると、柔らかい手触り、湿り気、重み、形を体感します。ヤマユリと目の見えない方の存在がつながります。決して単なる知識、情報の1つではありません。目の見えない方が1本のヤマユリに触ることは、晴眼者が100本のヤマユリを見るよりも深い理解となります。ですからイエス・キリストは、『見えない人が見えるようになり、見える人が見えないようになる』(ヨハネ福音書9章39節)と言われました。」視覚障がい者の目は指だと聞きます。聖書も点字の聖書を指で読んで、神様の愛の言葉を味わいます。(ハンセン氏病で失明され、指の感覚も失った方は、舌で点字聖書を読むことがあるそうです(舌読(ぜつどく)。そこまでして神様の言葉である聖書を読む熱意に、圧倒されます。今は音声で聴かれるのかもしれません。)

 岩橋さんは22才で洗礼を受け、キリスト教主義の関西学院大学を卒業し、イギリスに留学。帰国後、大阪でライトハウス(灯台の意)を始めます。無料眼科診療、点字図書の製作、就職・結婚相談、裁縫訓練、音楽会等を行ない、視覚障がい者の灯台をめざしました。1937年には、日本の視覚障がい者を励まそうと、アメリカからヘレン・ケラーを招きます。東京など39都市で97回の講演会を行い、二人は深い友情で結ばれます。しかし戦争の時代になり、二人は悲しみます。ヘレン・ケラーは戦後も二回来日し、広嶋・長崎をも訪れ、原爆の惨禍に深く心を痛めました。岩崎さんは言いました。「日本は戦争で、アジアに無数の視覚障がい者や身体障がい者を生んでしまった。アジアの視覚障がい者が教育を受け、職業をもてるために働くことが、せめてもの罪滅ぼしになる。」岩橋さんの、困難に負けない不屈の生涯に、強い感銘を受けます。アーメン(真実に)。

2023-07-30 1:14:19()
「ろばの子に乗る平和の王」2023年7月30日(日)聖霊降臨節第10主日公同礼拝礼拝
順序:招詞 エフェソ1:4,頌栄28、主の祈り,交読詩編なし、使徒信条、讃美歌21・156、聖書 ゼカリヤ書9:9~10(旧約p.1489)、ヨハネ福音書12:12~19(新約p.192)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌476、献金、頌栄27、祝祷。 

(ゼカリヤ書9:9~10)娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。

(ヨハネ福音書12:12~19) その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」

(説教) 本日は、聖霊降臨節第10主日公同礼拝です。説教題は「ろばの子に乗る平和の王」です。新約聖書は、ヨハネ福音書12章12~19節です。

 イエス様が、死んだラザロをよみがえらせるという驚くべき愛の奇跡を行って下さいました。それでイエス様の元にユダヤ人の大群衆がやって来るようになりました。それはイエス様だけが目当てではなく、イエス様が死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもありました。イエス様の人気が最高度に高まったのです。

 本日の最初の12節から。「その翌日(ラザロの姉妹マリアが、純粋で非常に高価なナルドの香油をイエス様の足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった日の翌日・日曜日です)、祭り(ユダヤ人の最大の祭り・過越祭)に来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。」イエス様とほぼ同時代人のヨセフスというユダヤ人の歴史家は、紀元70年頃の過越祭の参加者は約270万人にのぼったと言います。この数字には誇張があると思いますが、それでも100万人以上参加したことは事実と思います。東久留米市の人口が約11万人ですから、その10倍近い人数が過越祭の時期にエルサレムに集中したのです。物凄い熱気に包まれたに違いありません。その群衆の多くが、なつめやしの枝を持ってイエス様を迎えに出ました。なつめやしの枝は、口語訳聖書では、しゅろの枝です。この日曜日のことを、教会歴(教会のカレンダー)では、「しゅろの主日」と呼んでいます。英語で「パーム・サンデイ」と呼ぶはずです。

 この時、イエス様がろばの子に乗られたことが印象深いですね。この場面を読むと、1977年に52歳で天国に行かれた榎本保郎牧師が書かれた『ちいろば』という小さな本を思い出します。私も洗礼を受ける前に友人に勧められて読んで、大いに感化を受けました。榎本牧師は「自分はこの小さいろばだ」とおっしゃるのです。「イエス様をお載せして、イエス様をどこへでもお運びするろばが自分だ」という姿勢です。そこには野心のかけらもありません。ただイエス様をどこへでも忠実にお運びするろばが自分だ、という信仰です。この『ちいろば』という小さな本に感銘を受けてクリスチャンになった人は、少なくないと思われます。クリスチャン作家の三浦綾子さんとも親しかったので、榎本牧師の死後、三浦さんが榎本牧師の生涯を描いた『ちいろば先生物語』をお書きになって朝日新聞社から出版されました。これも大変すばらしい本で、少し長いですが、私は今でも多くの方々にお勧めしたい本です。

 さて、群衆は叫び続けます。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福が「あるように。」これは、旧約聖書・詩編118編25、26節に基づいて、こう叫び続けています。詩編118編25節の最初の行を新共同訳で見ると、「どうか主よ、私たちに救いを」です。ヘブライ語の聖書を見ると、「私たちに救いを」の部分は「ホーシヤアーンナー」です。これが詰まって「ホサナ」になったと思われます。ですから元々は「私たちに救いを」の意味ですが、群衆が「ホサナ」と叫んでいる時は、歓迎してほめたたえる言葉、ほとんど「万歳」に近い意味になっていると思います。「主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」大群衆は、イエス様こそイスラエルの真の王だとして、イエス様に大きな期待をかけていることが分かります。

 しゅろの枝をかざすことは、イスラエルの歴史では、神様を讃美するためにしばしば行われて来ました。旧約聖書と新約聖書の中間の時代は、イスラエル人にとって苦難の時代でした。アンティオコス・エピファネスという悪いシリアの王が、ユダヤ教を滅ぼそうとしたのです。真の神様の神殿に偶像ゼウス(ギリシア人の偽物の神)の像を無理矢理導入したのです。それに対して立ち上がって軍事的リーダーとして戦ったのが、ユダ・マカバイです。ユダ・マカバイは神殿を取り戻して、汚されていた神殿を清めました。その時彼らは、実をつけた枝、更にはしゅろの葉をかざし、御座の清めにまで導いて下さったお方(神様)に賛美の歌をささげたと、マカバイ記二の10章7節に記されています。しゅろの葉をかざして神様を讃美したのですが、ユダヤ人の気持ちとしてはしゅろの葉は、次第に民族の軍事的英雄ユダ・マカバイと結びついて記憶されていった可能性があります。つまり、エルサレムに入るイエス様を、しゅろの葉を振って大歓迎した人々の気持ちには、「このイエス様こそユダ・マカバイの再来ではないか。我々は今、ローマ帝国に支配されている。イエス様にユダ・マカバイのように先頭に立って戦ってもらって、ユダヤ民族の誇りの独立を回復しようではないか」という期待があった可能性があります。

 ところがイエス様は、「私はそのような期待に応えるつもりはないよ」ということを、行動で示されました。軍事的リーダーが当然乗る馬に乗らないで、小さなろばにお乗りになったのです。ヨハネ福音書12章14節以下。「イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである(ゼカリヤ書9章9節)。『シオンの娘(エルサレムの人々)よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。』弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。」

 本日の旧約聖書ゼカリヤ書9章9~10節は、次の通りです。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」

 イエス様は柔和で高ぶらない王なので、ろばの子に乗られたのです。しゅろの葉をかざして熱狂的に歓迎した人々も、「あれ?」と思ったのではないでしょうか。それにしても、ゼカリヤ書の続く9節はすばらしいと思います。「私(神様)はエフライム(イスラエル)から戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼(メシア、救い主)の支配は海から海へ、大河か地の果てにまで及ぶ。」神様による平和宣言です。早く世界中、このようになってほしいものです。特にウクライナでの戦争が早く終わってほしいものです。

 旧約聖書にはしばしば戦争が出て来て、私もそれがなぜか分からず、悩みました。しかし聖書の神様は、大勢の軍隊で小さい者をいじめることを良しとする神ではありません。確かに旧約聖書には戦争が出て来ます。その代表は、出エジプトしたイスラエルの民が約40年後に、先住民を追い払ってカナンの土地を征服する戦争です。しかしこれは先住民が偶像礼拝などの様々な罪を犯していたことへの、神様の正しい裁きなのでした。イスラエルが圧倒的な武力で勝ったのではないのです。神様はイスラエルのリーダー・ヨシュアに言われました。「見よ、私はエリコ(町の名)をあなたたちの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれの場所から突入しなさい。」イスラエルの民は、自分たちの軍事力ではなく、神様の力によって勝ったのです。

 士師記7章でギデオンが敵と戦うとき、神様はギデオンに言われました。「あなたの率いる民は多過ぎるので、ミディアン人(敵)をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ。」こうして民の中から2万2千人が帰り、1万人が残った。神はギデオンに、「民はまだ多すぎる。あなたのために彼らをえり分ける。犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。」水を手にすくってすすって飲んだ300人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。」300人が角笛を吹くと、神様は敵の陣営の至る所で同士討ちを起こされました。つまりは武器で大きな戦争をして勝ったのではなく、少人数で、神の力で勝ったのです。イスラエルの民が神様に背いているときは、勝たせてもらえないのです。旧約聖書における戦争には、このような傾向があります。

 詩編33編16節以下には、こうあります。「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。見よ、主は御目を注がれる。主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。彼らの魂を死から救い、飢えから救い、命を得させて下さる。」 詩編147編10節以下には、こうあります。「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人。」ゼカリヤ書4章6節には、こう書かれています。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。『武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。』」

 そうです、神の国は武力は権力で築くものではないのです。教会も、武力や権力で造るものではないのです。ただ神の言葉と、神の聖霊によって、祈りによってのみ、神の国と教会は建て上げられます。そのことを十二分にわきまえておられるイエス様が、武力のシンボルである馬に乗って将軍のようにエルサレムに入城することはありません。イエス様にぴったりなのは、弱く小さいろばです。イエス様はベツレヘムの貧しい家畜小屋に生まれ、ろばに乗り、弟子たちの汚い足を洗い、遂には私たちの全部の罪を身代わりに背負って、十字架で死んで下さり、その徹底的なへりくだりの結果、父なる神様から三日目に復活の勝利を与えられる真のメシア(救い主)なのです。

 ヨハネ福音書に戻り、12章17節以下、「イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。『見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。』」

 ヨハネの黙示録7章にも、神様とその小羊(イエス・キリスト)が賛美される場面があります。「この後、わたし(ヨハネ)が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。』また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。『アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。』すると、長老の一人がわたしに問いかけた。『この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。』そこで、わたしが、『わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです』と答えると、長老はまた、わたしに言った。『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。』」この白い衣を着た人々は、殉教者なのですね。地上で迫害を受けながらも信仰を守り通し、今は天国で晴れ晴れと神様とイエス・キリストを讃美している人々です。私たちも地上で、父なる神様とイエス・キリストと聖霊なる神様(三位一体の神様)を賛美致します。なつめやしの枝を持っていませんが、なつめやしの枝を持っている気持ちになって、父なる神様、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神様をご一緒に賛美致しましょう。アーメン。