日本キリスト教団 東久留米教会

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2023-12-09 22:46:54(土)
「イエス・キリストの誕生までの歴史」 2023年12月3日(日)待降節(アドヴェント)第2主日公同礼拝
順序:招詞 エフェソ1:4~5,頌栄24、主の祈り,交読詩編115、使徒信条、讃美歌21・235、聖書 創世記22:14~19(旧約p.32)、マタイ福音書1:1~17(新約p.1)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌241、献金、頌栄27、祝祷。 

(創世記22:14~19) アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

(マタイ福音書1:1~17) アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。


(説教) 本日は、待降節(アドヴェント)第2主日礼拝です。説教題は「イエス・キリストの誕生の歴史」です。新約聖書は、マタイ福音書1:1~17です。

 新約聖書を初めて読む方がまずここを読むと、なじみのないカタカナの系図がいきなり長々と出て来て、大いに戸惑い、読む気を失いかねない個所です。しかし旧約聖書を一通り読んでおくと、これらのカタカナの名前にも次第に親しむことができ、だんだんと血の通った系図として読むことができるようになると思います。旧約聖書の民ユダヤ人・イスラエル人は系図を重んじる民族、血統を重んじる民族だと聞いています。だからでしょう、旧約聖書にもしばしば系図が出てきます。このマタイによる福音書は、ユダヤ人・イスラエル人を最初の読者として想定し、ナザレの人イエス様こそ、ユダヤ人の偉大な先祖アブラハム、ダビデ王の子孫として生まれたイスラエルも正統なメシア(救い主キリスト)であることを論証するために書かれたと言われます。従ってマタイ福音書冒頭のこの系図にも意図があり、それはイエス様がイスラエルの正統な血統・血筋の中から誕生したメシア(救い主)であることを論証する意図で、まずこの系図を冒頭に書いたに違いありません。但し、厳密に言うと、来週読む18節以下を見ると、イエス様の母マリアは処女妊娠なので、イエス様は父ヨセフと血はつながっていません。それでも父(正確には養父)ヨセフが責任をもって自分の長男として受け入れ、マリアと共に養育したので、イエス様はヨセフの息子。ヨセフがアブラハム、ダビデ王の子孫なので、イエス様もアブラハム、ダビデの子孫と見なしてよいというのがマタイ福音書の主張でしょう。

 最初の第1節。「アブラハムの子(直訳・息子。子孫のこと)、ダビデの子、イエス・キリストの系図。」系図と訳された原語を直訳すると「起源の書、創世の書」です。「起源、創世」の原語はゲネシスというギリシア語です。旧約聖書の最初の書である創世記を英語でジェネシスと言い、その語源がギリシア語のゲネシスと思われます。つまりマタイ福音書1章1節には。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの創世(ゲネシス)の書と書かれています。これは明らかに旧約聖書の創世記を意識しています。旧約聖書最初の書・創世記(ジェネシス)と新約聖書最初の書・マタイ福音書、特に冒頭の系図(ゲネシス)は、その意味でセットです。創世記の最初は世界の起源を明らかにし、マタイ福音書はイエス・キリストの起源を明らかにしているのです。

 1節に「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあることから分かるように、アブラハムとダビデがイエス様の先祖の中で最も重要な二人です。アブラハムとは、「諸国民の父」の意味です。本日の旧約聖書は創世記22章ですが、ご存じの方が多い通り、創世記22章には、神様の指示によりアブラハムが最愛の独り子イサクを神様に献げるために、屠る(殺す)一瞬手前まで行く章です。結局ぎりぎりそれを実行せずに済んだのですが、これは父なる神様が将来本当に、最愛の独り子イエス様を十字架の死に追いやること暗示する重要な出来事です。イサクの代わりに、木の茂みにいた一匹の雄羊を神様に献げたアブラハムは、その場所を「ヤーウェ・イルエ(主は備えて下さる)と名付けました。そして天使がアブラハムに語りかけます。16節の途中から。「あなたがこの事を行い。自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」この子孫こそイエス・キリストであり、イエス様につながることで私たち日本人も、どの国の人もアブラハムの真の子孫となり、真の祝福を受けることができます。クリスチャンこそアブラハム、ダビデの真の子孫であり、その人数は天の星、海辺の砂のように増えることになり、事実今、世界中にクリスチャンがおります。

 この系図に登場するイエス様の先祖たちは、各々、美点もあれば罪もある人々です。一人の人でも、よい行動をすることもあれば、明らかな罪を犯すこともあります。基本的には非常に男性中心の系図です。女性はマリアを含めて5人登場するのみです。非常に男性中心の社会だったことが分かります。2~3節には、「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマル(女性)によってペレツとゼラ(双子)を」と続きます。これはかなりおぞましい出来事です。タマルはユダの息子の妻ですが、不幸にして夫(ユダの息子)が亡くなります。当時の習慣により弟と再婚しますが、弟も亡くなります。舅であるユダは、三男が成人したらタマルと結婚させると言いますが、実際にはその約束を果たしません。このままでは子どもを持つことができないと悟ったタマルが、非常手段を決行します。ベールを被って身なりを変え、ユダと関係を持つのです。こうして双子のペレツとゼラを産むのです。ペレツがイエス様の先祖となります。タマルの立場に立てば、こうする以外に方法がなかったのですが、とんでもなく罪深い方法です。生まれたペレツとゼラには罪はありませんが、聖書にこんな場面があって、私はびっくり仰天しました。この系図は、イスラエルの人々のおぞましい罪を全く隠し立てせずに、赤裸々に記している系図です。タマルもその後は罪を悔い改めて、神様に従う生涯を送ったのだろうと想像します。

 5~6節には、「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」ラハブは、異邦人(外国人)の遊女です。遊女であることは罪と言えますが、ヨシュアの時代にイスラエルの民がエジプトを出て荒れ野を旅し、神の約束の地カナンに入ろうとした重要な局面で、イスラエルの斥候をかくまったので、それが真の神様に従う行動だったと認められたようで、新約聖書でほめられています。ボアズと結婚したルツは、異邦人ですが、イスラエル人の姑ナオミと同じ神様を信じ、ナオミによく尽くした女性として、賞賛されます。

 そしてダビデ王が登場しますが、彼は基本的にはよい王様だったようです。神様が預言者ナタンを通して約束を与えて下さいます。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠る時、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに(永遠に!)堅く据える。私は彼の父となり、彼は私の子となる。」この子孫が直接にはダビデの息子ソロモンを指し、究極的にはダビデの子孫のヨセフの息子イエス・キリストを指します。

 そしてマタイ1章6節後半に、「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」とあります。これは多くの皆さんがご存じの、ダビデとバトシェバの有名な罪です。ダビデ王は、忠実な部下ウリヤがイスラエルのために戦争に行っていた時、ウリヤの妻バトシェバと関係をもち、バトシェバが妊娠します。姦淫の罪、不倫の罪です。慌てたダビデは、ウリヤをごまかそうと策を弄しますが、成功しません。事が露見することを恐れたダビデは、忠実な部下ウリヤを戦死に追いやります。ダビデ王の生涯最大の汚点と言えます。姦通(不倫)と殺人のおぞましい罪、特に殺人は今の日本でももちろん犯罪です。刑務所行きですね。ですがダビデが意図的にウリヤを死に追いやったことは、家臣たちにはばれなかったのかもしれません。しかし、人の目はごまかせても、神様をごまかすことはできません。神様は預言者ナタンを送って、ダビデを厳しく叱ります。ダビデの真実な悔い改めの祈りとして有名なのが、詩編51編です。バトシェバが産んだ男の子は、生まれて七日目に死にます。その子に罪はないのですが、ダビデとバトシェバの身代わりにように、神の裁きによりその赤ちゃんが死にます。これで神様の裁きは終わったようで、神様はダビデとバトシェバに離縁を求めず、バトシェバは次の男の子を産み、その子はソロモンと命名されます。この一連の出来事、ダビデとバトシェバの罪の行いを、旧約聖書のサムエル記下は、一切包み隠さず、赤裸々に記しています。マタイ福音書のイエス様の系図においても、「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」と書き、ダビデの名だけでなくウリヤの妻(名前のバトシェバこそ記されていませんが)もはっきり出していますから、読む私たちはどうしてもあのスキャンダルを連想します。

 ダビデと次のソロモン王の時代は、イスラエルが最も栄えた時代と言えます。ソロモン王も最初はよかったのです。神様が若きソロモン王に言われます。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」すると若きソロモン王が答えます。「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕(しもべ)をお立てになりました。しかし、私は取るに足りない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与え下さい。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」すばらしい祈りです。

 神様はソロモンのこの祈りを喜ばれ、こう言われます。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。私はまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。~もしあなたが父ダビデの歩んだように、私の掟と戒めを守って、私の道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」そのソロモンも年を取るとおかしくなります。ファラオの娘のほかにモアブ人、アンモン人、エドム人など多くの外国人の女性を愛し、700人の王妃と300人の側室を持ち、彼女たちが拝む外国の神々、偶像礼拝の罪に向かいます。モーセの十戒の第一の戒めを破る人になったので、神様のお叱りの言葉が下ります。「あなたがこのようにふるまい、私があなたに授けた契約と掟とを守らなかったゆえに、私はあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。ただし、王国全部を引き裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、私が選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」こうして、ソロモンの罪のために、イスラエルは南北の王国に分裂し、その後、ヨシャファト、ヨシヤという良い王様も出ますが、よくない王様もおり、国全体として真の神様に従わなくなっていったために、北イスラエル王国ははアッシリア帝国に、南ユダ王国はバビロン帝国に滅ぼされ、南ユダ王国の多くの人々が、遠くバビロン捕囚に連行されます。バビロン捕囚です。マタイ福音書1章11節に、「ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた」とあるのは、このことです。

 系図の最後の方を見ましょう。16節「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシア(救い主)と呼ばれるイエスがお生まれになった。」ヨセフの父ヤコブについては、私は全く分かりません。この系図は、神様がアブラハムとダビデに与えた約束を守って下さった系図です。人間たちの多くの罪にもかかわらず、神様が約束を守り抜いて、アブラハムとダビデの子孫を絶やさず、二人の子孫からメシア・イエス様を誕生させて下さった祝福の系図です。神様は、約束を100%守り抜いて下さる真実な方です。アブラハムからイエス様まで、大体1800年ほどの長さのようです。神様はこの間、アブラハムの子孫たち、そして全ての人間の多くの罪を、忍耐して来られたに違いありません。罪をなかなか裁かない私たちの神様は、まさに忍耐の神様です。

 遂にヨセフとマリアの名前が登場します。イエス様はアブラハムとダビデの子孫とは言え、ヨセフの血を引いていないので、アブラハムの罪、ユダの罪、タマルの罪、ダビデの罪、バトシェバの罪、ソロモンの罪を受け継いでいません。イエス様は、母マリアに聖霊によって宿られたからです。嬉しいことにヨセフとマリアは、罪を可能な限り避けて生きていた若人です。厳密に言うと少しは罪があったでしょうが、タマル、ダビデ、バトシェバ、ソロモンと比べれば、ずっと清く生きようとしていたと思うのです。ダビデの姦通のようなおぞましい罪をヨセフやマリアが犯すことは生涯なかったに違いありません。罪の多い系図を読んで、ここにヨセフ、マリア、そして罪が全くないイエス様が登場し、私たちもほっとするのではないかと思います。神様はやはり、イエス様の両親としては、かなり清い二人(律法主義者でもファリサイ派的でないけれども)、愛と清さと信仰深さにおいて神様が推薦できる二人を選ばれたのだと思います。

 もちろん神様はイエス様の十字架によって私たちの罪を完全に赦して下さいます。私たちが真心から罪を悔い改めるならば、私たちの罪を赦し、神様の伝道のために用いてさえ下さいます。イエス様の誕生までの長い期間、神様が私たち人間の罪を忍耐しながら過ごして下さり、ようやく時が満ちてイエス様が生まれて下さった恵みの深さを思いつつ、今年のクリスマスを感謝して迎えたいと願います。アーメン。

2023-12-03 1:13:06()
「キリストの計り知れない富」 2023年12月3日(日)待降節(アドヴェント)第1主日礼拝
順序:招詞 エフェソ1:4~5,頌栄28、主の祈り,交読詩編114、日本基督教団信仰告白、讃美歌21・175、聖書 エフェソの信徒への手紙3:1~13(新約p.354)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌230、聖餐式、献金、頌栄27、祝祷。 

(エフェソの信徒への手紙3:1~13) 
こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。

(説教) 本日は、待降節(アドヴェント)第1主日礼拝です。教会のカレンダーでは、待降節第1主日から新年度がスタートします。説教題は「キリストの計り知れない富」です。新約聖書は、エフェソの信徒への手紙3:1~13です。

 著者パウロは2章で、異邦人(ユダヤ人、イスラエル人でない人々)に与えられた神の恵みを語りました。「しかしあなた方(エフェソの教会の人々、そして私たち日本人も異邦人)は、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者(神様に近い者)となったのです。」そして本日の1節です。「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人になっている私パウロは…。」最後の「…」でパウロが言いたかったことは分かりませんが、パウロが異邦人に伝道しているためにキリスト・イエスの囚人となっていることが分かります。それは異邦人に伝道しているために、囚人となり捕らわれの身となっていることと思われます。晩年のパウロは、エルサレム、カイザリア、ローマなどで囚われていましたから、そのどこかの獄中からこのエフェソの信徒への手紙を書いたと思われます。

 2節「あなた方のために神が私に恵みをお与えになった次第について、あなた方は聞いたに違いありません。」この恵みは、あまりにも大きな、驚くべき恵みです。クリスチャンたちを憎んで迫害していたパウロ(初めの名前はサウロ)が、罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じるクリスチャンとなり、さらには主(おも)に異邦人にイエス・キリストを宣べ伝える伝道者になったことです。パウロがこの驚くべき恵みについて、テモテへの手紙(一)1章13節以下で書いています。「以前、私は神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないときに知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、私たちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほどに与えられました。『キリスト・イエスは、罪人(つみびと)を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。私は、その罪人(つみびと)の中で最たるものです(口語訳では、罪人(つみびと)の頭)。しかし、私が憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずその私に限りない忍耐をお示しになり、私がこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。」

 このように、まず罪びとの頭(かしら)である自分に与えられたキリストの恵みを語るパウロは、さらにこう述べます。エフェソに戻り3章3~4節「初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によって私に知らされました。あなた方は、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、私がどのように理解しているかが分かると思います。」「秘められた計画」は原語のギリシア語でミュステーリオンです。英語のミステリーの語源で、口語訳聖書では奥義、聖書協会共同訳では秘義と訳されています。この秘められた計画とは、パウロがここまで書いてきたことと思います。1章10節にあるように、「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」また2章15節「こうしてキリストは、双方(イスラエル人と異邦人)をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

 5節「この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や、霊(聖霊)によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。」イエス・キリストが誕生されるまでは、この計画は世界に対して秘められていましたが、キリストが誕生された今は、それは世界に対して開き明らかにされた(啓示された)のです。ですから今はもはや秘められてはおらず、新約聖書に書かれて世界に向かった公開されており、公の礼拝説教によって、世界に向かって公に語られているのです。教会での礼拝は、プライベートな礼拝ではなく、原則として全ての人に開かれている公の礼拝です。ですから週報に、「〇〇主日公同礼拝」と記載しています。イエス様は、マタイ福音書13章16節以下で、弟子たちにこうおっしゃっています。「あなた方の目は見ているから幸いだ(イエス・キリストを)。あなた方の耳は聴いているから幸いだ(キリストの言葉を)。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなた方が見ているもの(イエス・キリスト)を見たかったが、見ることができず、あなた方が聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」ですから、イエス様を知っている私たちもまた、旧約聖書の偉大な預言者、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルたちからうらやましがられているに違いないのです。

 エフェソに戻り6節「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものを私たちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」7節「神は、その力を働かせて私に恵みを賜り、この福音に仕える者として下さいました。」1章の説教でも申しましたが、この力は原語でデュナミスで、英語のダイナマイトの語源ですから、ここでの神の力はダイナマイ トのような力というこになります。「働かせる」はエネルゲイアで、これはエネルギーの語源ですから、パウロに対して働いた神の愛の力は、ダイナマイトのようにエネルギッシュな力だったことになります。パウロはクリスチャンを全力で迫害する人だったのに、悔い改めに導かれ、聖霊によって内面が造り替えられて、キリストの十字架の福音にひたすら奉仕する、とことん謙遜な人になったのです。

 8節「この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者である私に与えられました。」これはパウロの本心ですね。彼はかつてクリスチャンたちを全力で迫害していたからです。先ほども「私は罪人(つみびと)の中で、最たる者」と告白していました。コリントの信徒への手紙(一)15章8節以下では、こう述べます。「月足らずで生まれたような私。」「私は神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです。」私たち一人一人も罪人(つみびと)ですから、パウロと同じように、「ただ神の恵みによって今日の私があるのです」と告白致します。

 8節の後半「私は、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を宣べ伝えており。」恵みは原語でカリスです。カトリックでは、聖餐式のぶどう液を入れる容器をカリスと呼ぶそうです。聖餐式のぶどう液こそ(パンも)、キリストの恵みの充満だからです。私たちも本日、キリストの恵みの充満である聖餐式にあずかります。パウロは「キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を宣べ伝えている」と書いています。「キリストの計り知れない富」とは何か、考えます。お金や権力ではありません。口語訳聖書では「キリストの無尽蔵の富」となっています。「極め尽くせない宝」ということです。イエス様という方の人格、イエス様の存在そのものが「計り知れない富」、「無尽蔵の愛」、「極め尽くせない恵み」だと思うのです。イエス様の無尽蔵の富、極め尽くせない愛を十二分に味わおうと思えば、4つの福音書をできればぜ全部読めばよいと思います。4つの福音書の主人公はイエス様ですから、4つ読むには時間もかかりますから、1つでも最初から最後まで読めば、イエス様の計り知れない富、無尽蔵の愛で心が満たされると思います。

 「キリストの計り知れない富。」私は、この御言葉はローマの信徒への手紙11章33節と、深く関わっていると思います。両者に同じ言葉が出て来るからです。ローマの信徒への手紙11章33節は、パウロが神様のイスラエルと異邦人、世界を救わんとなさる深いご計画がかなり分かって、深い感動を述べている御言葉です。非常に深い箇所なので。私も正直に言ってまだ十分には分かったと言い切れない、パウロの最も深い感動が述べられている、ローマの信徒への手紙のここまでのクライマックスです。「ああ、神の富と知恵と知識の何と深いことか。誰が、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」神の定めと道を究め尽くすことは誰にもできない、とパウロが感嘆しているのです。エフェソ3章8節では、同じパウロが「キリストの計り知れない富」と言っています。富については、ローマ書11章33節には。「神の富と知恵と知識の何と深いことか」と書かれています。「計り知れない富」の「計り知れない」は原語を見るとローマ書11章33節の「(誰が神の定めを)究め尽くし(究め尽くせない)」がとてもよく似た言葉、「(神の道を)理解しつくす(理解し尽くせない)」が全く同じ言葉です。エフェソ3章8節の「キリストの計り知れない富」と、ローマ11章33節の「神の何と深い究め尽くせない富」は、実はほぼ同じことを述べているのではないか。だとするとパウロが、「キリストの計り知れない富」と言う時、ローマ書11章33節で「ああ、神の富と知恵と知識の何と深くて究め尽くせないことか」とパウロが言う時と、同じ深い感動を込めて、パウロが語っているのではないか、と思うのです。そうであれば、エフェソ3章8節の「キリストの計り知れない富」という言葉を、パウロは最も深い感動を込めて書いていることになり、私たちも一瞬で読んで、通り過ぎてしまうことなく、「キリストの計り知れない富」という言葉に、どんなに深い意味が込められているか、じっくり祈ってじっくり考え、聖霊に助けられてこの御言葉の深い意味をもっと分からせて下さいと祈りながら読んで深く味わうことが必要と、痛感させられるのです。

 「キリストの計り知れない富。」それは究極的には、イエス様の十字架の贖い・犠牲の死によって私たちに与えられる全ての罪の赦しと、イエス様の復活によって私たちに与えられる永遠の命・復活の体です。確かにこれは「キリストが与えて下さる計り知れない富」です。ローマの信徒への手紙5章16節に、次のように書かれています。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」イエス様の十字架の贖い・犠牲の死という恵みによって、私たちにいかに多くの罪があっても、最後の審判の時に、無罪の判決が下されるのです(もちろん私たちも、自分の罪を悔い改めなければなりませんが)。これはまさに、「キリストの計り知れない富」にほかなりません。

 パウロには特に、「キリストの計り知れない十字架の赦しの愛」が身に染みたはずです。何しろ、クリスチャン迫害の先頭:立っており、ステファノというクリスチャンを殺害することにも賛成して、それに立ち会っていたからです。そんなパウロの大きな罪さえも赦される。その「計り知れない恵み」をもたらしたイエス様の十字架の贖い・犠牲の死に、パウロは涙したと思うのです。私たちも、イエス様の十字架の死が「私のためであった」と痛感するとき、ただ何となく聖餐を受けられるはずがありません。最大限の感謝と喜びとへりくだりの心で、聖餐を受けるのです。私たちの全ての罪の赦しと永遠の命の恵みを保証するのが、聖餐式のパン(ウェファース)とぶどう液です。ですからあのパンとぶどう液も「キリストの計り知れない富」です。

 9節「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。」分かりやすくないのですが、神様の秘められた計画が、神の国の完成に向けて、どのように実現していくかを、パウロが人々に宣べ伝えているということでしょう。その宣べ伝えの内容は、コリントの信徒への手紙(一)15章23節以下と一致するのでないかと思います。「最初にキリストが復活され、次いでキリストが来られるとき(再臨されるとき)に、キリストに属している人々が復活し、次いで世の終わりが来る。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵をご自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。神は、すべてをその足の下に服従させたからです。~すべてが御子(キリスト)に服従するとき、御子自身も、すべてをご自分に服従させて下さった方に服従されます。神(父なる神様)がすべてにおいてとなられるためです。」

 最後に12節を見ます。「私たちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」自分の罪を悔い改めて洗礼を受けた人は、キリストという衣を着ているとガラテヤの信徒への手紙に書いてあります。私たち今でも罪人(つみびと)ですが、父なる神様が私たちを見て下さる時、父なる神様に見えるのはキリストという衣です。父なる神様は、「そこにイエス・キリストがいる」と深い好意によって見て下さる。ですから私たちは、罪人(つみびと)であっても確信(裁かれない確信)をもって、大胆に父なる神様に近づくことができ、父なる神様にイエス様の御名を通して、大胆に祈ることができます。ですから聖餐式を受ける時に、イエス様の深く畏れ敬いつつも、大胆に感謝と聖なる喜びを抱いて、「キリストの計り知れない富」であるパンとぶどう液をいただきましょう。アーメン。

2023-11-26 1:34:36()
説教「重い皮膚病の方を癒すキリスト」 2023年11月26日(日)「初めて聞く人に分かる聖書の話」礼拝(第65回)
順序:招詞 ペトロの手紙(二)3:9,頌栄29、主の祈り,交読詩編なし、使徒信条、讃美歌21・120、聖書 イザヤ書53:1~6(旧約p.1149)、マルコ福音書1:40~45(新約p.63)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌461、献金、頌栄83(1節)、祝祷。 

(イザヤ書53:1~6) わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。


(マルコ福音書1:40~45) さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

(説教) 本日は、「初めて聞く人に分かる聖書の話」礼拝(第65回)です。説教題は「重い皮膚病の方を癒すキリスト」です。新約聖書は、マルコ福音書1:40~45です。

 本日の聖書から、救い主イエス・キリストの憐れみ深さを学ぶことができると思います。最初の40節から42節「さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。」「深く憐れんで」が印象的ですが、しばしば申し上げますように、この新約聖書の原語はスプラング二ゾマイというギリシア語であり、この単語の中に「内臓」という言葉が入っています。ですからイエス様が深く憐れんで下さったということは、ただ心の中で深く同情して下さった以上のことで、心が痛むと共に内臓もきりきりと痛んだ、はらわたが痛んだことを意味します。日本語にも「断腸の思い」という表現があります。イエス様はこの重い皮膚病の苦しみをわが苦しみとして共に苦しんで下さった。腸や胃や心臓がきりきりと痛むほどに、この重い皮膚病の苦しみをご自分の全身全霊で共に苦しんで下さいました。沖縄に「ちむぐりさ」という言葉があると聞きます。
「ちむぐりさ」これは「肝(きも)が苦しい」という意味だそうです。相手の苦しみに深く同情して、自分の肝臓が痛むということですから、イエス様の深い憐れみに非常に近いと感じます。イエス様がこの重い皮膚病の人に共感した共感は、ご自分の腸や胃や心臓がきりきりと痛むほどであった。親であれば、自分の子の苦しみを、自分が代わってあげたいと思う方が多いと思います。イエス様は独身で子どもはいないのですが、他の全ての人の苦しみを、ご自分の腸や胃や肝臓や肺や心臓が痛むほどに共に苦しんで下さる愛の方です。だからこそ、私たちの全ての罪を背負って身代わりに十字架に着いて下さることもおできになったのだと思います。イエス様の愛の深さ少しでも心と体で分かって、少しずつでもイエス様の真似をしたいと願います。

 この重い皮膚病は、原語のギリシア語で「レプロス」です。口語訳聖書では「らい病」と訳されていましたが、今は「らい病」は差別語で使われません。新共同訳でも最初の1987年版では「らい病」と訳していましたが、その後それは差別語で用いるべきでないということになり、「重い皮膚病」と訳し替えられました。らい病は今はハンセン氏病と呼ぶことが普通になっています。ハンセン氏病をもたらす菌をレプラ菌と呼ぶそうです。今ではこの重い皮膚病は、おそらくハンセン氏病をも含む広い皮膚疾患を意味すると考えられているようです。マルコによる福音書をはじめ、マタイによる福音書、ルカによる福音書が同様の場面、つまりイエス様が重い皮膚病の人を癒す場面を描いています。その理由の1つは、イエス様が旧約聖書を完成に導く救い主(メシア)であることを示すためだと思われます。旧約聖書では、重い皮膚病でない人は清いが、重い皮膚病の人は汚れていると見なされています。そして共同体から隔離されてしまうのです。一時的でなくずっと隔離されるとなると、差別になってしまいます。旧約聖書の時代は、この意味で清いか汚れているかで、人々の扱いが大きく違っていたのでした。

 旧約聖書のレビ記13章45節以下には、こう書かれています。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。私は汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」疎外され、孤独になってしまうのです。重い皮膚病が治れば、共同体に復帰できます。治ったかどうかを調べるのは、神様に仕える祭司です。祭司は宿営の外に出てその人の体を調べます。治っていると確認できれば、祭司は清めの儀式を行うため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、緋糸、ヒソプ(植物)の枝を用意させる。次に祭司は新鮮な水を満たした土器の上で鳥の一羽を殺すように命じる。それから、杉の枝、緋糸、ヒソプ及び生きているもう一羽の鳥を取り、先に新鮮な水の上で殺された鳥の血に浸してから、清めの儀式を受ける者に七度振りかけて清める。その後、この生きている鳥は野に放つ。清めの儀式を受けた者は、衣服を水洗いし、体の毛を全部そって身を洗うと、清くなる。この後、彼は宿営に戻ることができる。しかし、七日間は自分の天幕の外にいなければならない。」

 旧約聖書も神様の御言葉ですが、しかし旧約聖書はイエス・キリストによって完成されます。イエス様は、このような規定によって差別されていた重い皮膚病の
病を癒し、同時に彼を差別の苦しみから救い出し、共同体に復帰させて下さる救いを与えて下さいました。その様子がこう書かれています。マルコ福音書に戻り、41節以下「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい、清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」とあります。この病気の人がハンセン氏病かどうかははっきりしませんが、当時多くの人は汚れがうつる、病気がうつることを恐れ、手を触れなかったと思われます。手を触れただけでも、大きな愛といたわりです。43節以下「イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。『誰にも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。』」イエス様は、この奇跡の癒しを誰にも話すなと厳しく言われました。それはなぜでしょう。イエス様は、ご自分の使命が誤解されることを警戒されたのではないでしょうか。

 イエス様の最大の使命は、十字架にかかって私たちの全ての罪が赦されるようにして下さることです。私たち人間は皆、父なる神様からご覧になれば、父なる神様に背いた罪人(つみびと)だからです。イエス様の一番の使命は、十字架に架かって私たち全員の罪を全部身代わりに背負って解決し、三日目に復活なさって、私たちに永遠の命への道を切り開いて下さることだからです。憐れみ深い方なので病気も癒して下さいますが、罪の赦しをもたらす救い主という一番大事なことが理解されないと困るとお考え。になったのではないでしょうか。あるいは人々によって王様にでも祭り上げられると困ると思われた可能性もあります。しかしイエス様の言葉に反して、彼は自分がイエス様によって癒されたことを、大いに人々に告げ、言い広め始めました。そこで、イエス様はもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられました。それでも、人々は四方からイエス様の所にどんどん集まって来たのです。

 本日の旧約聖書は、私たちの罪のために十字架に架けられたイエス・キリストの姿を予告するイザヤ書53章の1~6節です。2節の3行目から読みます。「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちも彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された。私たちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」 2節の最後の文から3節までは、昔からハンセン氏病を患っている様子が描かれているのではないかと推定されて来たそうです。「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。~彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。」但し必ずハンセン氏病の描写と断定はできません。

 ハンセン氏病は、感染力がとても弱い病気で、今ではよい薬があるのですっかり治ると聞いています。しかし昔は非常に恐れられていて、外国でも日本でも差別や隔離政策が行われ、患者さんに大きな苦しみを強いてきました。この東久留米市のお隣の東村山氏にハンセン氏病の施設である全生園があり、隣接の資料館で差別の歴史等を学ぶことができます。日本で「らい予防法」という法律が撤廃されたのは、ようやく1996年のことです。全生園にはキリスト教の礼拝堂が3つあると聞いています。カトリック、プロテスタント、聖公会です。福音書の中でイエス様が癒された重い皮膚病は、今ではハンセン氏病かどうかははっきり分からないとされています。しかしかつてはハンセン氏病だと思われていたので、キリスト教会もハンセン氏病の方々をサポートするために試行錯誤しながら努力してきた歴史があるようです。今から見れば、そのすべてがベストだったとは言えないこともあるようですが、それでもキリスト教会がハンセン氏病の方々を支えるために努力してきたことは事実と思います。

 日本でもそうでした。1つの例は、明治時代に熊本に来たイギリスの聖公会の宣教師ハンナ・リデルという女性です。1891年に35才で船で日本の神戸に着きました。2年後の1893年に、熊本で本妙寺というお寺に行くことがありました。そこで大勢のハンセン氏病の人々を見かけるのです。ハンナさんにとって衝撃的でした。その人々が病が癒されるを一生懸命祈っているのを見たらしいのですが、その人々は真の神様をご存じありません。それで熊本の昔の殿様・加藤清正の霊に祈っていたそうです。加藤清正は熊本の地元のヒーローですが、神ではなく人間ですし、もう死んでいるので、加藤清正の霊に祈っても答えも効果もないに違いありませんし、真の神でない者に祈ることは、偶像礼拝の罪になってしまいます。この人々の姿を見て、ハンナさんは病院を作ろうと思い立つのです。非常に行動力のある人だったらしく、イギリスの友人知人に次々と手紙を出して、病院を作るための献金を依頼したそうです。5年後の1895年に熊本回春病院が開設されました。

 病院の名前については、よく考えました。当時は治らないと思われていたこの病気、社会から嫌われ、棄てられてこの病院に入るのではなく、当時の医学の全力を尽くして治療する病院、もし治せなくても、信仰による希望に生きることのできる病院、暗黒の人生に希望の春を回り来させる病院にする祈りを込めて、「回春病院」と名付けることにしました。「回春」という名前には、「希望の復活」の意味が込められています。そして日曜日には患者さんたちと一緒に神様を礼拝することが、ハンナさんの何よりの喜びだったようです。外国に来て病院を作るということは、かなり大変なことです。神様がハンナさんを選んで、この使命に当たらせなさったのですね。彼女を派遣したイギリスの教会とハンナさんの関係は、必ずしもよくなかったそうです。教会は「病院造りでなく伝道をしなさい」と言って来たし、ハンナさんは伝道するが、病院も作る言ってそこは譲らなかったようです。福音書の重い皮膚病は、今では「ハンセン氏病を含む、もう少し広い意味での皮膚疾患」と考えられているようですが、当時はイエス様が癒したのはハンセン氏病だと思われていましたから、ハンナさんだけでなく多くのクリスチャンが、ハンセン氏病の方々をお助けすることに情熱を注いだのです。イエス様が癒された同じ病に、イエス様に従う自分たちもその癒しのために祈り奉仕する気持ちだったと思われます。

 1902年ごろのハンナさんの持論は、「軍艦を一隻維持する費用をハンセン氏病対策に向ければ、50年以内に日本からハンセン氏病をなくすことができる」というものでした。日本もどの国も、軍事費・防衛費に使うお金を福祉に振り向ければ、様々の苦しみを減らすことができるに違いありません。ハンナさんは行動力があり、正直に言うと強引な面もあったそうです。でもすべては患者さんのためです。政治の実力者に近づく才能があり、総理大臣にもなった大隈重信とも交流があったようです。大隈重信も熊本の回春病院を支援したようです。東村山の全生園の資料館で、大熊重信からハンナさんに宛てた達筆の手紙を見た記憶があります。ハンナさんは1932年に77才で天に召されました。回春病院の敷地にある納骨堂に納骨されているそうです。独身で生涯の半分以上を日本でイエス様に従い、回春病院の運営に精魂傾けて、医者ではないが患者さんたちに尽くしたイエス様の弟子の生涯でした。

 昨日の夕刊に、群馬県の草津温泉の町に、明治初期からハンセン氏の方々が湯治に訪れていたことが記されていました。その人々は「投げ捨ての谷」と呼ばれる所で「湯之沢集落」を形造っていたそうです。「投げ捨ての谷」という名前の由来は、昔は亡くなったハンセン氏病の方が、その谷間に捨てられることもあったからついて名のようです。新聞には書かれていませんでしたが、その地にやはり聖公会の女性宣教師の働きがあったのです。ミス・メアリー・ヘレナ・コンウォール・リー宣教師です(中村茂文『リーかあさまのはなし』ポプラ社、2013年)。リーかあさまと呼ばれました。軽井沢にいたのですが、頼まれて1916年に草津に来ました。58才です。ハンセン氏病の人々が希望を持てるようにしてほしいと頼まれたのです。リーかあさまは「湯の沢」で働きはじめ、まず教会を建てました。人々の心のよりどころです。病気の人々が暮らせるホームや、医者がいなかったこの町に病院を建てました。もちろん協力者がいたと思います。幼稚園や学校も建てました。アメリカやイギリスに行って、献金していただくための旅にも行きました。草津の町は標高1200mの高原にあるので、冬は零下10度の厳しい寒さです。それでもリーかあさまは、草津の人々と同じにストーブももたずに質素に暮らしました。吹雪の日にも病人の見舞いに行きました。インフルエンザの人に夜通し付き添うこともありました。

 病気に絶望していた人々の心に希望が出て来ました。夕食後にハーモニカやブラスバンドの練習をする人々も現れ、運動会やバザーも行うようになり、「投げ捨ての谷の土地」は次第に「喜びの地」に変わってゆきました。1930年には800人の集落になりました。私は詩編84編6~7節を連想します。「いかに幸いなことでしょう。あなた(神様)によって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。」「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。」まさにそうなったのです。すばらしいと思います。リーかあさまは約20年間湯の沢で奉仕し、1936年に温かい兵庫県明石に移りました。その5年後に84才で天に召されました。

 リーかあさまが湯の沢を去った後、3キロほど離れた所に国がハンセン氏病の施設を作りました。栗生楽泉園で、多くの患者さんがそこに収容され、出ることは許されませんでした。「喜びの地」は消えてしまい。反抗する人は重監房(一種の刑務所)に入れられ、飢えや寒さで23名亡くなりました。戦争に突き進む世の中の考えは、「国民が団結して戦わねばならないとき、ハンセン氏病の人は役に立たない」というものでした。二度とそのような時代にならないように気をつけたいものです。イエス様が重い皮膚病の方を癒された愛の出来事に倣って、ハンセン氏病の方々への奉仕に生きたクリスチャンたちがいたことを、私たちも心に刻み、私たちも自分にできる形で、愛の奉仕をさせていただきたいと願います。アーメン。

2023-11-19 0:56:30()
「キリストを指し示す私たち」 2023年11月19日(日)降誕節第6主日礼拝
順序:招詞 ペトロの手紙(二)3:9,頌栄24、主の祈り,交読詩編113、使徒信条、讃美歌21・175、聖書 詩編69:5(旧約p.902)、ヨハネ福音書15:18~6:4a(新約p.199)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌530、献金、頌栄27、祝祷。 

(詩編69:5) 理由もなくわたしを憎む者は/この頭の髪よりも数多く/いわれなくわたしに敵意を抱く者/滅ぼそうとする者は力を増して行きます。わたしは自分が奪わなかったものすら/償わねばなりません。

(ヨハネ福音書15:18~6:4a) 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから証しをするのである。
これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

(説教) 本日は、降誕前第6主日(子ども祝福)の礼拝です。説教題は「キリストを指し示す私たち」です。新約聖書は、ヨハネ福音書15:18~6:4aです。小見出しは、「迫害の予告」です。

 この直前でイエス・キリストは弟子たちに、「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である。~私はあなた方を友と呼ぶ。~あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。」こう言って下さるイエス様は、イスラエルの地において人々に憎まれ、迫害され、十字架の死に追いやられるのです。イエス様のような愛の方がなぜ憎まれるのか不思議ですが、人々に憎まれ迫害され、十字架に追いやられるのです。原因は私たち人間の罪深さであると言うしかありません。

 本日の最初の18節「世があなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に私を憎んでいたことを覚えなさい。あなた方が世に属していたなら、世はあなた方を身内として愛したはずである。だが、あなた方は世に属していない。私があなた方を世から選び出した。だから、世はあなた方を憎むのである。」弟子たちも私たちクリスチャンも、イエス・キリストに所属する者、神様に所属する民になっています。その考え方、生き方、行動が、それ以外の人々(世と呼ばれる)と違うので、イエス様もクリスチャンも、世の中の人々に憎まれることが起こるのです。先週も引用しましたが、テモテへの手紙(二)3章12節に、「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます」と記されている通りです。イエス様に従って生きる人は、迫害を受けることが多いのです。

 20節「『僕(しもべ)は主人にまさりはしない』と私が言った言葉を思い出しなさい。」イエス様はこの福音書の13章16節でこう言われました。弟子たちや私たちはイエス様にまさりはしないということです。当然ですね。「人々が私を迫害したのであれば、あなた方をも迫害するだろう。」イエス様が迫害されたのであれば、イエス様に従う私たちも迫害されるのは、当然ということになります。ですからイエス様は弟子たちに言われます。マタイ福音書16章24節以下「私に着いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」従った人には、恵みが待っているのです。「自分の命を救いたいと思う者(イエス様に従わない者)はそれを失うが、私のために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」つまり大富豪になるよりも、イエス様に従って地上の命を落としても、天国に入る方がよいと言われたのです。

 ヨハネに戻り20節の最後の文「私の言葉を守ったのであれば、あなた方の言葉をも守るだろう。」つまり世の中の人々がイエス様の御言葉を守るのであれば、イエス様の弟子たちの言葉(教会のメッセージとも言えます)をも守るに違いありません。21節「しかし人々は、私の名のゆえに、これらのことをあなた方にするようになる(=あなた方弟子たちを迫害するようになる)。私をお遣わしになった方を知らないからである。」世の中の人々(ここではイスラエルの人々)が、イエス様(真の神様)を知らないからです。いえ知っているつもりなのですが。本当には知らないということです。22節「私が来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。」イエス様が来られて、父なる神様に導かれて愛の業を行っておられるのに、それを拒否しているのですから、イエス様を憎む人々の罪は明らかであって、もはや弁解の余地がありません。23節「私を憎む者は、私の父をも憎んでいる。」24節「誰も行ったことのない業を、私が彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は。その業を見た上で、私と私の父を憎んでいる。」

 イスラエルのユダヤ人たち(特にファリサイ派や律法学者と呼ばれる人々)は、イエス様につまづきました、イエス様を神様の御心に適う方と信じることができず、逆に神様の御心に背く者と見てしまったのです。それは彼らの心が自我やプライドや偏見に覆われていたからです。私たちの心にも自我やプライドや偏見はあるので、注意する必要はありますね。聖書の御言葉と聖霊に導かれて、できるだけイエス・キリストの心に近づいて判断、発言、行動を行う者となれるように心がける必要があります。

 ユダヤ人たちはたとえば、ヨハネ福音書5章でイエス様が安息日に病人を癒したことに怒りを覚えました。旧約聖書のモーセの十戒に、「安息日にはいかなる仕事もしてはならない」と書いてあるからです。確かに十戒を表面的に読むと、安息日に病気を癒すことも仕事になり、イエス様が違反したように見えます。しかし「安息日にいかなる仕事もしてはならない」とは、どのような意味なのか、祈ってよく考える必要があります。ここで言う仕事とは「人間の業」と言えます。「人間中心の業、つまり罪」と言えます。「安息日には罪を犯さないように注意せよ」の意味とも言えます。もちろんそれは安息日だけの心がけではなく、安息日に始めて全ての日に罪を犯さないように気をつける必要があります。安息日は「神様に罪を犯すことを避けて神様を愛して礼拝し、隣人にも罪を犯すことを避けて隣人を愛する日、できれば敵までも愛する日」ということになります。これが安息日の本当の意味だとすれば、イエス様が安息日に病を癒したことは、安息日の精神に完全に適っていたことになります。

 ユダヤ人たちはまた、イエス様が神様を「私の父」と呼ばれたことにも怒りました。神を父と呼ぶことは、ご自分が神の子だと宣言したことになり。ご自分を神と等しい者と宣言したことになるからです。ユダヤ人たちには、これが神様への著しい冒瀆、許しがたい罪に聞こえました。それでイエス様に殺意を抱くようになったのです。しかしイエス様は本当に神の子なので、神様をご自分の父と呼ぶことは当たり前のことです。それを受け入れることができず、彼らがイエス様を憎んだのは、彼らが真理の前に謙虚でなかったからと言わざるを得ません。イエス様は、父なる神様の御心に適うことばかり行っておられるので、本当は憎まれる必然性が全くないのです。25節「しかし、それは『人々は理由もなく、私を憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。」この御言葉は、本日の詩編69編5節と思われます。「理由もなく私を憎む者は、この頭の髪よりも数多く、いわれなく私に敵意を抱く者、滅ぼそうとする者は力を増して行きます。」

 26~27節「私が父のもとからあなた方に遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊(聖霊)が来るとき、その方が私について証しをなさるはずである。あなた方も、初めから私と一緒にいるのだから、証しをするのである。」さらに16章1~4節「これらのことを話したのは、あなた方をつまずかせないためである。人々はあなた方を会堂から追放するだろう。しかも、あなた方を殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をも私をも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、私が語ったということをあなた方に思い出させるためである。」イエス様の十字架と復活後にエルサレムにできた最も初期の教会は、ユダヤ人の信仰共同体である会堂から追放されたようです。イスラエル社会で村八分にされたのですね。

 真理に従う人が必ずいつも少数派と決まっているのではありませんが、そうなることもあります。日本でイエス様に従って、非国民扱いされた人々は少なくないと思いますが、その一人のクリスチャンは内村鑑三でしょう。内村鑑三を有名にしたのは1891年の不敬事件です。内村鑑三30歳でした。1889年に大日本国憲法ができ、第三条には「天皇は神聖にして侵すべからず」と決められ、翌年には教育勅語ができました。内村の務めていた第一高等学校(今の東大教育学部)で教育勅語の奉読式が行われ、会場教室の正面に明治天皇の写真が飾られ、教頭が教育勅語を奉読しました。その後、先生たちが順番に教育勅語に最敬礼します。内村鑑三は日本を愛し、明治天皇も愛していましたが、天皇を神として拝むことはできませんでした。モーセの十戒の第一に戒めに「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」と明記されているからです。これに違反することは偶像崇拝の大きな罪を犯すことになります。内村は軽く目礼をして、自分の席に戻りました。その場は終わりましたが、教頭先生は怒り、世間の風当たりも強くなり、第一高等学校の教師の職を失います。若い妻は心労等のために、天に召されてしまう悲劇となります。内村は決して愛国心のない人ではなく、それどころか「2つのJ」を愛するのが彼の生き方でした。「2つのJ」とは Japan と Jesus(イエス・キリスト)です。しかし世間は理解せず、内村は非国民として非難され、村八分の目に遭いました。その中で彼は必死に祈り、祈りの中でイエス・キリストからの慰め、聖霊の慰めを経験したようです。

 次に彼が同じような経験をしたのは、1905年~1906年の日露戦争の時です。彼は非戦論を唱え、またも非国民として非難されました。彼の非戦論の根拠は、もちろん聖書です。モーセの十戒の第六の戒めに「殺してはならない」とあり、イエス様もマタイ福音書5章9節で、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは、神の子と呼ばれる」と語っておられます。彼は『非戦論の原理』という本で、次のように書いたそうです。「弱い人類が、世界の支配者になったのは、戦いにおいて強い者が勝つという法則によったのではなく、愛と助け合いによったのです。イエス・キリストは『剣を取る者は皆、剣で滅びる』と言っておられます。その意味で、非戦論は、必ず神に祝福されるのです。」

 これには彼の深い悔い改めがありました。その10年前の日清戦争の時は、戦争の賛成したのです。大国清国から日本と朝鮮の独立を守るために、日本は正義によって清国と戦わなければならないと考えたのです。しかし清国と日本の戦争は朝鮮半島の人々を悲惨な目に遭わせました。彼は武士の子だったので、日清戦争は日本の正義の戦争だと思ったのです。ところが戦争の実体は悲惨でした。戦争に勝利して舞い上がる人々を目にして、内村鑑三は自分の間違いに気づきます。「義戦というのは、私の間違いでした。日本のやり方は海賊的な戦いになり、義戦などと書いた私は、神の前で偽預言者となるでしょうか。まさに頭を掻きむしり、髪の毛を引き抜いて地獄の底にまで落ちる恥ずかしい気持ちです。」二度と同じ過ちを繰り返すまいと決心した内村は、日露戦争の時は非戦論を主張したのです。戦争の最も深い原因は、私たち人間の罪です。この罪は非常に深いので、政治や哲学で解決できません。神の子イエス・キリストの十字架による以外に、罪を根本的に解決する道はありません。彼が働いていた新聞社・万朝報社は、最初は非戦論でしたが、途中で日露戦争賛成に変わったので、内村鑑三は万朝報社を退社しました。日露戦争に反対したので、またも彼は非国民と非難されました。しかし真の愛国者だったのです。

 明治維新までは武士がいたので、当時の日本は戦争を肯定する意見も強かったのでしょうね。私は今回、台湾に行かせていただいた驚いたのは、明治政府は1874年(明治7年)に早くも台湾に出兵しているのです。日本国内の内戦である西南戦争より3年前に、既に初めての海外出兵である台湾出兵を行っていたのです。武士の時代が終わったばかりの日本では、戦争を悪と考えなかったのだと思います。

 私たちは、世を愛するか、キリストを愛するか。2つに1つです。願わくは、ご一緒にイエス・キリストを愛し、イエス・キリストに従う生き方を選んで参りたいのです。アーメン。

2023-11-17 13:25:17(金)
伝道メッセージ(11月分) 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(イエス・キリストの言葉。新約聖書・ヨハネによる福音書15章13節)。

 イスラエルとハマスの戦争が一刻も早く終わるように、切に祈ります。ベルギー生まれのダミアンという神父がおられました(1840~1889年。やなぎや けいこ著『二つの勲章 ダミアン神父の生涯』ドン・ボスコ社)。海外宣教師になる希望を持ち、1864年にハワイに派遣されます。当時、ハワイ諸島にはハンセン病の方々が多かったそうです。ハンセン病は今は、よい薬で確実に治り、感染力は極めて弱く隔離の必要もないのですが、以前は感染力が強いという誤解により、患者の方々や家族がひどい偏見と差別に苦しみました(日本でも)。

 ハワイでも同じで、ハンセン病と診断された人は、絶海の孤島モロカイ島に送られました。景色はすばらしいが日照時間が短く、湿気も多い土地。家族と別れてモロカイ島に送られる人々は泣きました。そこに教会はあるが神父がいない。ある女性は「私はもう神を信じない。祈ろうとも思わない。」ダミアン神父は、「神様、何とかして下さい」と必死に祈り、思いつきます。「僕がモロカイ島に行けばよいのだ。」行くと、人々は見捨てられた絶望感に満ち、朝から酒を飲み、風紀も乱れていました。ダミアンは、患者さんたちと家や施設を建てます。大工仕事が得意です。病院は粗末で医師も看護師もほとんどいませんでしたが、彼が来てから徐々に改善され、子どもたちの学校もできて、多くの孤児たちが入学します。教会も使われていませんでしたが、大掃除をしてミサ(礼拝)を再開。ハワイの人々が陽気なのを見て、音楽を導入します。本島から中古楽器や楽譜を送ってもらいます。病気で指が欠けた人、唇が変形した人もいますが、熱意がハンディを乗り越え、よき楽団となり、人々に慰めと希望を与えます。

 1884年、ダミアン神父はハンセン病になりました。ハンセン病の感染力は極めて弱いのに、不思議です。彼が元々ハンセン病にかかりやすい体質だったと専門家は言います。彼はミサ(礼拝)で説教します。「私は皆さんと同じ病気になりました。この恵みを感謝します。皆さんの気持ちが本当に分かるようになり、皆さんと私の絆は、もっと強くなります。これは神からの大きな勲章です。」何とすごい人かと感嘆します。日本人の後藤医師が親友です。「私は世から忘れられて、この苦しむ人々の中で暮らしたい」と言ったダミアンは、世間の名誉を求めませんでした。「モロカイ島の聖者」と呼ばれることも迷惑でしょう。イエス様に従った見事な生涯です。アーメン(「真実に」)。