
2025-10-01 12:37:17(水)
伝道メッセージ(市内の保育園の「おたより」7月号に掲載した石田真一郎の文章)
「御国(みくに)を来たらせたまえ」(「主(しゅ)の祈り」の第二の祈り)。
毎朝の礼拝で、神の子イエス・キリストが教えられた「主(しゅ)の祈り」を祈っています(主はイエス様)。世界中のキリスト教会のクリスチャンが祈っている、健全な祈りの基本です。
「御国を来たらせたまえ」は「神の国が来ますように」との祈りです。
神の国は、神の愛と平和と正義が完全に行われる国で、天国です。イエス様は神の国をもたらすために天から降って来られ、マリアの子として生まれました。イエス様がおられる所に、神の国が実現します。私たちがイエス様に従うときに、身の周りに神の国が実現します。十字架で死なれ、三日目に復活されたイエス様は天に昇られましたが、必ず地上にもう一度来られて、神の国を完成なさると聖書が約束しています。
今の世界には、良いことも多くありますが、人間の罪である詐欺、闇(悪)バイト、犯罪、戦争、悪い宗教があります。私たち自身も、人の悪口を言う罪、嘘をつく罪等を少しずつ犯しているかもしれません。ですから、どうしても神の国が来ることが必要です。
イエス様の御言葉を記します。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカによる福音書6章20節)。私たちは金持ちが幸せと思うかもしれませんが、欲望にまみれて争うよりも、質素に助け合って暮らす方が幸せです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要なもの)はみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6章33節)。まず神に従うこと・礼拝を第一にしなさいがイエス様の教えです。そうすれば生活に必要なものは神が与えて下さいます。ここに神に従う信仰の決断が必要です。
「『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。…子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして(イエスは)子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」(マルコによる福音書10章14~16節)。大人が幼稚ではいけませんが、世間の欲望にまみれた大人よりも、純粋な子どもの方が神の国に近いのです。
聖書にこんな厳しい言葉もあります。「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝(偽の神<正体は悪魔>を拝むこと)、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴…。このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(ガラテヤの信徒への手紙5章19~21節)。聖書では占いは、悪魔のわざとして固く禁じられています。
保育園選びは、大学選びより大切と言われます。イエス様の愛に満ちたしおんで育った子どもたちが、イエス様に生涯とどまり、この世界を神の国に近づける大人になるように、切に祈ります。「御国(みくに)を来たらせたまえ!」アーメン(「真実に」)。
毎朝の礼拝で、神の子イエス・キリストが教えられた「主(しゅ)の祈り」を祈っています(主はイエス様)。世界中のキリスト教会のクリスチャンが祈っている、健全な祈りの基本です。
「御国を来たらせたまえ」は「神の国が来ますように」との祈りです。
神の国は、神の愛と平和と正義が完全に行われる国で、天国です。イエス様は神の国をもたらすために天から降って来られ、マリアの子として生まれました。イエス様がおられる所に、神の国が実現します。私たちがイエス様に従うときに、身の周りに神の国が実現します。十字架で死なれ、三日目に復活されたイエス様は天に昇られましたが、必ず地上にもう一度来られて、神の国を完成なさると聖書が約束しています。
今の世界には、良いことも多くありますが、人間の罪である詐欺、闇(悪)バイト、犯罪、戦争、悪い宗教があります。私たち自身も、人の悪口を言う罪、嘘をつく罪等を少しずつ犯しているかもしれません。ですから、どうしても神の国が来ることが必要です。
イエス様の御言葉を記します。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカによる福音書6章20節)。私たちは金持ちが幸せと思うかもしれませんが、欲望にまみれて争うよりも、質素に助け合って暮らす方が幸せです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(生活に必要なもの)はみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6章33節)。まず神に従うこと・礼拝を第一にしなさいがイエス様の教えです。そうすれば生活に必要なものは神が与えて下さいます。ここに神に従う信仰の決断が必要です。
「『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。…子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして(イエスは)子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」(マルコによる福音書10章14~16節)。大人が幼稚ではいけませんが、世間の欲望にまみれた大人よりも、純粋な子どもの方が神の国に近いのです。
聖書にこんな厳しい言葉もあります。「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝(偽の神<正体は悪魔>を拝むこと)、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴…。このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(ガラテヤの信徒への手紙5章19~21節)。聖書では占いは、悪魔のわざとして固く禁じられています。
保育園選びは、大学選びより大切と言われます。イエス様の愛に満ちたしおんで育った子どもたちが、イエス様に生涯とどまり、この世界を神の国に近づける大人になるように、切に祈ります。「御国(みくに)を来たらせたまえ!」アーメン(「真実に」)。
2025-10-01 12:34:30(水)
伝道メッセージ(市内の保育園の「おたより」6月号に掲載した石田真一郎の文章)
「天にまします我らの父よ、願はくは、御名(みな)をあがめさせたまえ」(「主(しゅ)の祈り」の第一の祈り)。
毎朝の礼拝で、イエス・キリストが教えられた「主(しゅ)の祈り」を祈っていただいていますが、これから何回かその内容を書きます(主はイエス様)。どのキリスト教会でもこの祈りを祈り、世界中のクリスチャンが祈っている祈りの基本です。祈りは、神様とのよき交流です。
最初は呼びかけです。「天にまします我らの父よ。」天は、宇宙(物理的空間)ではなく、この宇宙とすべての人間、生き物を創造なさった神様のおられる所です。キリストも神の子として天におられましたが、マリアのお腹に宿り、人間の赤ちゃんとして地上で生まれ、イエスと名付けられました。クリスマスの出来事です。イエス様は天地創造なさった神様を、ご自分の父と呼ばれ、「アッバ、父よ」と祈られました。アッバとは、イエス様が話されたアラム語で「お父さん、パパ」の意味で、とても親しい呼びかけです。私たちもそれに倣い「天にまします我らの父よ」と呼びかけます。私の知人の新井さんはイエス様を真似て、祈りの始めに「アッバ、父よ」と呼びかけます。私たちも真似したいのです。
「願はくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。」旧約聖書のモーセの十戒には、「あなたの神、主(YHWH)の名をみだりに唱えてはならない」との戒めがあります。父なる神様には旧約聖書でお名前があり、ヘブライ語のアルファベットでYHWH(これは英文字)です。信仰深いイスラエル人(ユダヤ人)が旧約聖書を朗読する時、この戒めを守ってYHWH(聖四文字)を音読せず、主(主人)の語で読み替えました。それを徹底したのでYHWHの発音が分からなくなりました。今ではヤハヴェと発音するのが正しいとされます。ハレルヤという言葉がありますが、「ヤハヴェをたたえよ」の意味です。ハレルヤに似て、「主の祈り」でも、「(神様の)御名(みな)をあがめさせたまえ」と積極的に讃美することが許されており、喜んで祈ることができます。旧約聖書の神様と新約聖書の神様は、全く同じ神様で、この方がイエス様と私たちの父なる神様です。私たち人間も相手のお名前を「〇〇様、〇〇氏」と書き、お名前を尊重します。まして、私たちを造って下さった神様の御名をあがめて礼拝することは、人間の基本です。
イエス様は、「『幼子や乳飲み子の口に、あなた(父なる神様)は賛美を歌わせた』(旧約聖書・詩編8編2~3節)という言葉をまだ読んだことがないのか」と言われました。神様は、しおんの子どもたちが、礼拝で「ようじさんびか」を歌い、お祈りする姿を、天から大喜びでご覧になっています。アーメン(「真実に」)。
毎朝の礼拝で、イエス・キリストが教えられた「主(しゅ)の祈り」を祈っていただいていますが、これから何回かその内容を書きます(主はイエス様)。どのキリスト教会でもこの祈りを祈り、世界中のクリスチャンが祈っている祈りの基本です。祈りは、神様とのよき交流です。
最初は呼びかけです。「天にまします我らの父よ。」天は、宇宙(物理的空間)ではなく、この宇宙とすべての人間、生き物を創造なさった神様のおられる所です。キリストも神の子として天におられましたが、マリアのお腹に宿り、人間の赤ちゃんとして地上で生まれ、イエスと名付けられました。クリスマスの出来事です。イエス様は天地創造なさった神様を、ご自分の父と呼ばれ、「アッバ、父よ」と祈られました。アッバとは、イエス様が話されたアラム語で「お父さん、パパ」の意味で、とても親しい呼びかけです。私たちもそれに倣い「天にまします我らの父よ」と呼びかけます。私の知人の新井さんはイエス様を真似て、祈りの始めに「アッバ、父よ」と呼びかけます。私たちも真似したいのです。
「願はくは、御名(みな)をあがめさせたまえ。」旧約聖書のモーセの十戒には、「あなたの神、主(YHWH)の名をみだりに唱えてはならない」との戒めがあります。父なる神様には旧約聖書でお名前があり、ヘブライ語のアルファベットでYHWH(これは英文字)です。信仰深いイスラエル人(ユダヤ人)が旧約聖書を朗読する時、この戒めを守ってYHWH(聖四文字)を音読せず、主(主人)の語で読み替えました。それを徹底したのでYHWHの発音が分からなくなりました。今ではヤハヴェと発音するのが正しいとされます。ハレルヤという言葉がありますが、「ヤハヴェをたたえよ」の意味です。ハレルヤに似て、「主の祈り」でも、「(神様の)御名(みな)をあがめさせたまえ」と積極的に讃美することが許されており、喜んで祈ることができます。旧約聖書の神様と新約聖書の神様は、全く同じ神様で、この方がイエス様と私たちの父なる神様です。私たち人間も相手のお名前を「〇〇様、〇〇氏」と書き、お名前を尊重します。まして、私たちを造って下さった神様の御名をあがめて礼拝することは、人間の基本です。
イエス様は、「『幼子や乳飲み子の口に、あなた(父なる神様)は賛美を歌わせた』(旧約聖書・詩編8編2~3節)という言葉をまだ読んだことがないのか」と言われました。神様は、しおんの子どもたちが、礼拝で「ようじさんびか」を歌い、お祈りする姿を、天から大喜びでご覧になっています。アーメン(「真実に」)。
2025-10-01 12:31:39(水)
伝道メッセージ(市内の保育園の「おたより」5月号に掲載した石田真一郎の文章)
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてのものを支配させよう。』」(旧約聖書・創世記1章26節)。
新緑の美しい季節です。私は、若葉のような子どもたちに会える金曜日を楽しみにしています。聖書によれば、真の神様は全ての人間を、「我々(神様)にかたどり、我々(神様)に似せて」造られました。どの生き物の命も大切ですが、人間の命は特別に大切です。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(同1章27節)からです。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」(同2章7節)。ここに人間の尊厳の根拠があります。子どもたちも同じです。神様に似せて造られた子どもたち全員に尊厳があります。国籍がどこでも、どの性の子も、障がいのあるなしにかかわらず、神様に似せて造られた尊厳深い一人一人です。先生方お一人お一人ももちろんです。神様と人間の何が似ているのか? それは姿形ではなく、人格があること、言葉を用いること、愛することを知っていること、責任があることを知っていること、等です。しおんは、このことを大切にする保育園です。
神様はお一人なのになぜ「我々に似せて」と複数形なのかとの疑問も出るでしょう。聖書の神様は「父なる神・子なる神イエス・キリスト・聖霊なる神」が一体の「三位一体の神」です。この神様が、ご自分の内部でよく相談し、熟慮して人間をお造りになったとお答えします。ですから殺人は、神様への大きな罪です。
カトリック教会のフランシスコ教皇が天に召されました。イースター(イエス様の復活日)のミサ(礼拝)でメッセージを語り人々と触れ合い、翌日亡くなりました。貧しい南米出身の初の教皇という意義がありました。清貧に生きた中世の聖人アッシジのフランチェスコにあやかってフランシスコと名乗りました。世界中の貧しい人々、女性、子ども、難民、弱い立場の人々の味方でした。神様に似せて造られた一人一人の尊厳を深く魂に刻んでいました。平和のために尽力し、2019年11月に来日し、広島・長崎で明確に核兵器廃絶をアピールされたので、私は勇気づけられました。東京ドームでのミサに私も出席し、スペイン語の説教を聴きました(日本語字幕あり)。「日本の青年たちと会って、社会的に孤立している人々も少なくないと分かりました。」「教会は、競争社会で傷つき、痛みを負い、孤独になっている人々を受け入れる野戦病院になってほしい」と語られ、私も魂に刻みました。まるで1、2ヶ月後のコロナ発生や、その後の戦争発生を予見するようなメッセージだったのです。アーメン(「真実に」)。
新緑の美しい季節です。私は、若葉のような子どもたちに会える金曜日を楽しみにしています。聖書によれば、真の神様は全ての人間を、「我々(神様)にかたどり、我々(神様)に似せて」造られました。どの生き物の命も大切ですが、人間の命は特別に大切です。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(同1章27節)からです。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」(同2章7節)。ここに人間の尊厳の根拠があります。子どもたちも同じです。神様に似せて造られた子どもたち全員に尊厳があります。国籍がどこでも、どの性の子も、障がいのあるなしにかかわらず、神様に似せて造られた尊厳深い一人一人です。先生方お一人お一人ももちろんです。神様と人間の何が似ているのか? それは姿形ではなく、人格があること、言葉を用いること、愛することを知っていること、責任があることを知っていること、等です。しおんは、このことを大切にする保育園です。
神様はお一人なのになぜ「我々に似せて」と複数形なのかとの疑問も出るでしょう。聖書の神様は「父なる神・子なる神イエス・キリスト・聖霊なる神」が一体の「三位一体の神」です。この神様が、ご自分の内部でよく相談し、熟慮して人間をお造りになったとお答えします。ですから殺人は、神様への大きな罪です。
カトリック教会のフランシスコ教皇が天に召されました。イースター(イエス様の復活日)のミサ(礼拝)でメッセージを語り人々と触れ合い、翌日亡くなりました。貧しい南米出身の初の教皇という意義がありました。清貧に生きた中世の聖人アッシジのフランチェスコにあやかってフランシスコと名乗りました。世界中の貧しい人々、女性、子ども、難民、弱い立場の人々の味方でした。神様に似せて造られた一人一人の尊厳を深く魂に刻んでいました。平和のために尽力し、2019年11月に来日し、広島・長崎で明確に核兵器廃絶をアピールされたので、私は勇気づけられました。東京ドームでのミサに私も出席し、スペイン語の説教を聴きました(日本語字幕あり)。「日本の青年たちと会って、社会的に孤立している人々も少なくないと分かりました。」「教会は、競争社会で傷つき、痛みを負い、孤独になっている人々を受け入れる野戦病院になってほしい」と語られ、私も魂に刻みました。まるで1、2ヶ月後のコロナ発生や、その後の戦争発生を予見するようなメッセージだったのです。アーメン(「真実に」)。
2025-10-01 12:29:28(水)
伝道メッセージ(市内の保育園の「おたより」4月号に掲載した石田真一郎の文章)
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(イエス・キリスト。新約聖書・ヨハネによる福音書20章27節)。
新入園のお子さん方と保護者の皆様、真におめでとうございます。下里しおん保育園はキリスト教主義なので、毎朝、真の神様への礼拝があります。私は毎週金曜日に礼拝のお話をするために参ります。しおんという名は、聖書に出て来るイスラエルの首都エルサレムが「シオンの丘」にあることに由来し、神の国、天国のシンボルです。
今年のイースターは4月20日(日)です。イエス・キリストは、私たち皆の自己中心等の罪に対する、父なる神様の裁きを全て身代わりに受けて十字架で死なれ(仮死状態でない完全な死)、三日目に体をもって復活されました。これがイースターです。イエス様の弟子たちは、復活された日にイエス様に出会って喜んだのですが、トマスという弟子だけは、その場にいませんでした。それで彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。イエス様の両手と両足には十字架の釘の穴、わき腹には十字架で槍に刺された穴があります。
八日後に、トマスと他の弟子たちがいる所に、再びイエス様が来られて、「あなた方に平和があるように」と言われ、トマスを諭して言われました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスはイエス様に心服して「わたしの主(しゅ)、わたしの神よ」と告白しました。あえて釘と槍の穴に手を入れはしなかったと思うのです。イエス様はトマスに、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言われます。私も復活されたイエス様を直に見たことはありませんが、今も生きておられると信じます。今は天で生きておられ、私たちに聖霊(神様の清き霊)を送って、私たちを励まし支えて下さっています。しおん保育園は、復活されたイエス様に守られている保育園なのです。
イースターのシンボルは卵です。卵から生まれるヒヨコが、復活されたイエス様を連想させます。イエス様は十字架の死からの復活で、死に勝利されました。イエス様を救い主と信じる人は、死んでも永遠の命に入るので、安心です。私は昔、アメリカにいたことがあります。クリスマスプレゼントと同じイースタープレゼントがあって驚きました。心のこもった小さな贈り物ならよいのです。ですがクリスマス同様、イースターも商業化されていると感じ、悲しくなりました。何でもお金もうけの手段にする風潮は、捨てる必要があります。もちろん、しおんにその心配はありません。桜が美しく咲き緑が甦る季節に、神様がイースターを置いて下さったことに、神様の深い愛を感じます。アーメン(「真実に」)。
新入園のお子さん方と保護者の皆様、真におめでとうございます。下里しおん保育園はキリスト教主義なので、毎朝、真の神様への礼拝があります。私は毎週金曜日に礼拝のお話をするために参ります。しおんという名は、聖書に出て来るイスラエルの首都エルサレムが「シオンの丘」にあることに由来し、神の国、天国のシンボルです。
今年のイースターは4月20日(日)です。イエス・キリストは、私たち皆の自己中心等の罪に対する、父なる神様の裁きを全て身代わりに受けて十字架で死なれ(仮死状態でない完全な死)、三日目に体をもって復活されました。これがイースターです。イエス様の弟子たちは、復活された日にイエス様に出会って喜んだのですが、トマスという弟子だけは、その場にいませんでした。それで彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。イエス様の両手と両足には十字架の釘の穴、わき腹には十字架で槍に刺された穴があります。
八日後に、トマスと他の弟子たちがいる所に、再びイエス様が来られて、「あなた方に平和があるように」と言われ、トマスを諭して言われました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスはイエス様に心服して「わたしの主(しゅ)、わたしの神よ」と告白しました。あえて釘と槍の穴に手を入れはしなかったと思うのです。イエス様はトマスに、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言われます。私も復活されたイエス様を直に見たことはありませんが、今も生きておられると信じます。今は天で生きておられ、私たちに聖霊(神様の清き霊)を送って、私たちを励まし支えて下さっています。しおん保育園は、復活されたイエス様に守られている保育園なのです。
イースターのシンボルは卵です。卵から生まれるヒヨコが、復活されたイエス様を連想させます。イエス様は十字架の死からの復活で、死に勝利されました。イエス様を救い主と信じる人は、死んでも永遠の命に入るので、安心です。私は昔、アメリカにいたことがあります。クリスマスプレゼントと同じイースタープレゼントがあって驚きました。心のこもった小さな贈り物ならよいのです。ですがクリスマス同様、イースターも商業化されていると感じ、悲しくなりました。何でもお金もうけの手段にする風潮は、捨てる必要があります。もちろん、しおんにその心配はありません。桜が美しく咲き緑が甦る季節に、神様がイースターを置いて下さったことに、神様の深い愛を感じます。アーメン(「真実に」)。
2025-10-01 12:26:54(水)
伝道メッセージ(市内の保育園の「おたより」3月号に掲載した石田真一郎の文章)
「わたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(イエス・キリスト。新約聖書・ヨハネによる福音書13章14節)。
私は2月に、キリスト教共助会という団体の一員で、栃木県那須塩原市のアジア学院(キリスト教精神で創られたアジア農村指導者養成学校)に、20年ぶりに行きました。
アジア学院は、高見敏弘牧師が1973年に設立されました。アジア、アフリカ、太平洋の国々からの研修生が、有機農法を学び、母国の農村リーダーとなって実践しています。英語が共通語で、「神を愛し、隣人を愛し、土を愛する」がモットーです。神様が創造された自然環境を守ろうというよき信仰があります。子どもたちが食べる野菜を、農家や先生方のお働きで畑で育てる、しおんの理念と共通します。農業は、最も重要です。「何にもまして国にとって益となるのは、王が耕地を大切にすること」(旧約聖書・コヘレトの言葉5章8節)。
私も以前、教会の中高生とアジア学院に行き、数日ですが畑仕事を行いました。鶏、豚、牛も飼育しています。中高生の数名は、初めて鶏をつぶす場面を見ました。しばらく、鶏肉を食べられなかったそうです。しかし私たちが肉、魚を食べる時に、生き物の命を奪っているのは現実です。私たちは、食べ物を与えて下さる神様に感謝し、死んでくれた動物や魚にも「ありがとう」の気持ちで食べる必要がありますね。
職員が外国からの研修生と、国内を巡る研修ツアーもあります。広島(原爆被害の学び)や水俣(熊本県)にも行ったそうです。水俣病(公害病)の被害を学ばれたのでしょう。アジア学院は、1400名以上の卒業生を送り出し、世界の平和作りに貢献しています。アジア学院の前身は、日本キリスト教団の農村伝道神学校(町田市)の東南アジア科です。この科を始めたのは太平洋戦争で、日本が他のアジア諸国にもたらした大きな被害への償い、戦争責任告白の意味があります。初期には台湾、韓国、タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマー、インドネシアから牧師方が研修に来られました。まだ戦後15年で、肉親を日本軍に殺された方、背中に銃剣の刺し傷が残る方が多くおられました。アジア学院の働きは、日本と他のアジア諸国との草の根の和解の働きです。今、ミャンマーの卒業生から、国軍の圧政に苦しむ市民の現実を伝える貴重な情報が届くのです。
2011年の東日本大震災は大きな試練でした。原発爆発により放射能が降ったのです。存続を危ぶまれましたが、募金等により多くの建物を建て直し、除染も行って復活できました。アジア学院のもう一つのモットーは「サーヴァントリーダーシップ」(仕えるリーダーシップ)。模範はイエス様です。イエス様が弟子たちの足を洗う絵が、チャペルにあります。礼拝でお話する人の席が、掘りごたつのような一番低い所にあることがシンボルです。アーメン(「真実に」)
私は2月に、キリスト教共助会という団体の一員で、栃木県那須塩原市のアジア学院(キリスト教精神で創られたアジア農村指導者養成学校)に、20年ぶりに行きました。
アジア学院は、高見敏弘牧師が1973年に設立されました。アジア、アフリカ、太平洋の国々からの研修生が、有機農法を学び、母国の農村リーダーとなって実践しています。英語が共通語で、「神を愛し、隣人を愛し、土を愛する」がモットーです。神様が創造された自然環境を守ろうというよき信仰があります。子どもたちが食べる野菜を、農家や先生方のお働きで畑で育てる、しおんの理念と共通します。農業は、最も重要です。「何にもまして国にとって益となるのは、王が耕地を大切にすること」(旧約聖書・コヘレトの言葉5章8節)。
私も以前、教会の中高生とアジア学院に行き、数日ですが畑仕事を行いました。鶏、豚、牛も飼育しています。中高生の数名は、初めて鶏をつぶす場面を見ました。しばらく、鶏肉を食べられなかったそうです。しかし私たちが肉、魚を食べる時に、生き物の命を奪っているのは現実です。私たちは、食べ物を与えて下さる神様に感謝し、死んでくれた動物や魚にも「ありがとう」の気持ちで食べる必要がありますね。
職員が外国からの研修生と、国内を巡る研修ツアーもあります。広島(原爆被害の学び)や水俣(熊本県)にも行ったそうです。水俣病(公害病)の被害を学ばれたのでしょう。アジア学院は、1400名以上の卒業生を送り出し、世界の平和作りに貢献しています。アジア学院の前身は、日本キリスト教団の農村伝道神学校(町田市)の東南アジア科です。この科を始めたのは太平洋戦争で、日本が他のアジア諸国にもたらした大きな被害への償い、戦争責任告白の意味があります。初期には台湾、韓国、タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマー、インドネシアから牧師方が研修に来られました。まだ戦後15年で、肉親を日本軍に殺された方、背中に銃剣の刺し傷が残る方が多くおられました。アジア学院の働きは、日本と他のアジア諸国との草の根の和解の働きです。今、ミャンマーの卒業生から、国軍の圧政に苦しむ市民の現実を伝える貴重な情報が届くのです。
2011年の東日本大震災は大きな試練でした。原発爆発により放射能が降ったのです。存続を危ぶまれましたが、募金等により多くの建物を建て直し、除染も行って復活できました。アジア学院のもう一つのモットーは「サーヴァントリーダーシップ」(仕えるリーダーシップ)。模範はイエス様です。イエス様が弟子たちの足を洗う絵が、チャペルにあります。礼拝でお話する人の席が、掘りごたつのような一番低い所にあることがシンボルです。アーメン(「真実に」)