日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2019-05-16 16:13:03(木)
「愛の手を差し伸べるキリスト」 2019年5月12日(日) 復活節第4主日(母の日)礼拝説教 要旨
聖書:列王記下5章1~19節、マタイ福音書8章1~4節

 「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。」

 「重い皮膚病」は、以前は「らい病」と訳されていました。今は「らい病」は差別語・不快語であり、使用しないことになっていると思います(一般にはハンセン病と呼びます)。今ではこの聖書の「重い皮膚病」は、ハンセン病だけでなくもう少し広い範囲の皮膚病を指すとも考えられています。聖書の時代のイスラエルで、この病気の人は汚れていると見なされ、一般社会から離れて生きなければならなかったようです。イエス様は愛をもってこの病気の人を癒し、社会復帰させて下さいました。

 この重い皮膚病はハンセン病と言い切れないのですが、現実にはキリスト教会2000年の歴史において、この病気はハンセン病と受け止められてきました。ハンセン病の方々に尽くした多くのクリスチャンがいました。イエス様に倣おうとしたのでしょう。

 私がお世話になったある牧師の方は、戦前、岡山の教会の牧師であられました。近くの島にハンセン病の施設があり、しばしば礼拝説教の奉仕に行かれたそうです。今ではハンセン病は感染力の弱い病気と分かっていますし、有効な薬もあります。でもその頃はそうでなかったのでしょう。その先生は、防護服のようなものを着て説教なさったそうです。それではよい礼拝になりません。ある日、思いきって勇気を出して、その服を脱いだそうです。患者さんたちも喜んで下さり、生き生きした礼拝になったそうです。礼拝後の交流の雰囲気もよくなりました。

 ある牧師の方は、ハンセン病の方々と交流した時に、飲み物(お茶でしょうか)を回し飲みする状況になったそうです。その先生はそれを飲むことができなかった、と語られました。正直なお話をして下さったと、私は思いました。責めることはできません。

 この東久留米教会は東久留米市にありますが、お隣の東村山市にハンセン病の施設・多磨全生園(ぜんしょうえん)があります。昨年、語り部の平沢保治さんのお話を東久留米市役所で伺いました。全生園には多い時で約1300名の方がおられたそうです(今は約160名とのこと)。平沢さんは1927年に誕生され、13才で発病、14才で全生園に入園されたそうです。ハンセン病の方々の悲しみの歩み、苦しみの歩みを語って下さいました。平沢さんはクリスチャンではいらっしゃらないようです。でもファイトあふれる方で、前向きなのです。私が買った平沢さんの著書の題は、『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』です。中に平沢さんの自筆のサインと「苦しみは歓びをつくる」の言葉が書かれています。

 イエス様は重い皮膚病の人を癒されましたが、私はイエス様がその人の重い皮膚病をも十字架で背負われたと思っています。イエス様の十字架を予告するイザヤ書53章3~4節にこうあるからです。今の私は、イザヤ書53章は口語訳がすばらしいと思っています。「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者(重い皮膚病の人を指すと言えます!)のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。」ここを読むと、「傷ついた癒しびと」という深みのある言葉を思い出します。

 日本でもハンセン病の歴史は、悲しみの歴史です。イエス様は、その悲しみを全て背負って下さったと思うのです。平沢さんは講演で語られました。戦前戦中の日本では、障碍を持つ方やハンセン病の方は、富国強兵の役に立たない「穀つぶし」とされ、人間扱いされなかったと。ハンセン病の方々は、断種の屈辱と悲しみをも背負われたのでした。

 神谷美恵子さんという著名な女性の医者がおられました。岡山のハンセン病施設・長島愛生園でも精神科医として働かれました。神谷さんが1943年に次の詩を書いておられます。「光うしないたる眼うつろに 肢うしないたる体になわれて 診察台の上にどさりとのせられたらい者よ 私はあなたの前に首をたれる。 あなたは黙っている かすかに微笑んでさえいる ああ しかし その沈黙は 微笑は 長い戦の後にかちとられたものだ(~) なぜ私たちでなくてあなたが? あなたは代って下さったのだ 代って人としてあらゆるものを奪われ 地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ」(NHK 若松英輔『100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて』2018年、51~52ページ)。神谷さんは聖書をよく読まれたそうですから、私は神谷さんがイザヤ書53章(救い主が私たちの身代わりに病と悲しみを担ったことを述べる)の感化も受けて、この詩を書かれたのではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。

 全生園では今、「キャンバスに集う 菊池恵楓園・金陽会絵画展」が開催されています。私も見学して参りました。患者の方々の絵画作品の展覧です。クリスチャンの作品もありました。ちらしには「生きるため、描き続けた」とあり、「絶望あるところに希望を 闇あるところに光を」ともあります。後者は、アッシジのフランチェスコの「平和の祈り」の一部ではないかと思いました。フランチェスコは、イエス様に最も人格が近づいた聖人とされ、当時の人々が忌み嫌ったハンセン病の方々のお世話をして抱きしめたと聞きます。

 カトリックには、ハワイのモロカイ島の聖者・ダミアン神父(1840~1889、ベルギー人)もおられます。ダミアン神父は晩年、ハンセン病になります。それは感染ではなく、もともとその素因を持っていたと読んだことがあります。彼はそれを「神からの勲章」と考えたそうです。本当にハンセン病の人々の気持ちが分かるようになったと喜んだそうです。すごい信仰の人だと思います。

 明治の日本(熊本)でハンセン病の人々を救済するために働いたハンナ・リデルというイギリス人の女性宣教師がおられました。彼女は、「日本が駆逐艦一隻の費用を転用すれば、この国のらい問題(ママ)は解決する」と語ったそうです(猪飼隆明『ハンナ・リデルと回春病院』熊本出版文化会館、2005年、197ページ)。

 イエス様は、愛をもって重い皮膚病の人を癒やされました。イエス様は、私たちをも愛して下さっています。私も自分の罪を悔い改め、イエス様に従う者になりたいと祈ります。アーメン(「真実に」)。

2019-05-03 13:41:13(金)
「キリストの復活と私たちの復活」 2019年4月28日(日) 復活節第2主日礼拝説教 要旨
聖書:ダニエル書12章1~3節、コリントの信徒への手紙(一)15章12~34節

 旧約聖書では後半に少しずつ復活信仰が出てくるように思います。エゼキエル書37章の「枯れた骨の復活」、そして本日のダニエル書12章1~3節などです。「その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。」

 イスラエルで復活信仰が明確に出て来たのは、旧約聖書と新約聖書の中間の時代のようです。アンティオコス・エピファネスという邪悪な王(外国人)がイスラエルの信仰を激しく弾圧した時がありました。新共同訳聖書で旧約聖書の続編となっているマカバイ記を読むと分かります。そこにイスラエルの信仰に生きる七人兄弟が次々に殉教する壮絶な場面があります。神に従った自分たちに、神が永遠の命、よみがえり(復活)の命を必ず与えて下さるとの希望を抱いて殉教するのです。新約聖書の時代に入り、若き日のパウロも属したファリサイ派は、死者の復活を信じていました。ヨハネ福音書11章を見ると、マルタという女性が「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言っており、将来に起こることとして復活信仰を持っていたことが分かります。それに対してイエス様が、「わたしが復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と力強くおっしゃるのです。これがイスラエル人の状況です。

 コリントはギリシアの都市で、パウロがそこに伝道して教会ができました。ギリシア人は死者の復活ではなく、霊魂不滅の考えをもっていたようです。死ぬときに肉体は滅びるが心(魂)永遠に生きるという考えです。日本人にも漠然とこう考える人が多いのではないでしょうか。でも肉体にも心(魂)にも罪があるので、肉体も心(魂)も永遠ではありません。聖書の救いは霊魂不滅ではなく、心(魂)も霊も肉体も神様が復活させて下さることです。コリント教会の人々もギリシア人なので、すぐには復活信仰に馴染めなかったようです。そこでパウロが言います。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。~しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」

 パウロは、復活に順序があると述べます。「最初にキリスト(が復活され)、次いで、キリストが来られるとき(再臨のとき)に、キリストに属している人たち(が復活する)、次いで世の終わりが来ます。」これについては、パウロがテサロニケの信徒への手紙(一)4章でもう少し詳しく述べています。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主(イエス様)御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」私たちイエス様を信じる者が死んでも、必ず復活が与えられます。そこで本日の説教題を「キリストの復活と私たちの復活」としました。

 イエス・キリストは間違いなく復活され、今も復活の体をもって天(神の国)で生きておられます。復活の希望があるので、パウロは命がけで伝道に取り組むことができました。死にそうな目に何度も遭いながらもひるまずに伝道できたのは、復活の希望を抱いていたからだと言えます。パウロは私たちに警告して言います。「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」

 人は皆、死後にイエス・キリストの前で、最後の審判を受けます。自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じ告白した人は、最後の審判で無罪の判決を受け、永遠の命が確定します。その希望があるのですから、イエス様に従って毎日をしっかりと責任をもって生きる必要があります。「どうせ」などという投げやりで自堕落な生き方、刹那的な生き方をしてはいけないのです。罪を犯さないように気をつけて生きるのです。神は罪を憎む方ですから、欲望を満たすことを第一とする自堕落な生き方をすれば、神に裁かれる恐れがあります。「どうせ」は実に投げやりで悪い言葉です。パウロは私たちを真剣に戒めます。「思い違いをしてはいけない。~正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。」神様は聖なる方なので、罪を裁かれます。神様をなめたり、侮ったり、甘く見てはいけないのです。そうすれば必ず痛い目に遭います。復活の希望の信仰は、私たちを投げやりな生き方ではなく、責任をもって一日一日を生きる生き方に導くのです。

 マルティン・ルターの言葉とされる「たとえ明日世界が滅びても、私は今日リンゴの木を植える」という言葉があります。復活の希望があるので、積極的によいことを行うのです。私は昨年の5月に、修学旅行以来35年ぶりに長崎市に行き、「二十六聖人記念館」に行きました。豊臣秀吉の迫害によって殉教した二十六人を記念しています。その一人の12才だった少年は、母親に「信仰を捨てないように」という手紙を書いたようです。そして死刑にされる前に役人に「信仰を捨てれば、命を助ける」と言われると、それを断り、「地上の短い命と永遠の命をとりかえることは愚かなことです」という意味のことを語り、十字架の上で「パライソ(天国)、パライソ」と言いながら息絶えたそうです。永遠の命・復活の希望があるから、殉教できるのでしょう。復活の希望があるからこそ、私たちも「どうせ」の生き方を退け、地上の限られた一日一日を、精一杯愛と善を行いながら、積極的に生きてゆきたいのです。アーメン(「真実に」)。

2019-04-18 0:44:27(木)
「キリストは本当に神の子」 2019年4月14日(日) 受難節第6主日(しゅろの主日)礼拝 説教要旨
聖書:イザヤ書53章1~12節、マルコ福音書15:21~47

 イエス・キリストは十字架上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と大声で叫ばれました。それは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です(但し、イエス様の十字架上での最後の言葉は、この言葉ではなかったようです)。イエス様がなぜこのように叫ばれたのか、イエス様はどのようなお気持ちだったのか、昔から多くの人が祈り考えて来ました。もちろん私たちが、神の子イエス様のお気持ちを完全に分かることはできないでしょう。しかし、少しは分からせていただけるかもしれません。

 どなたの人生にも悲しみや痛みがあります。私が存じ上げる複数の方々は、ご病気による痛み、手術後の痛みの中におられた時、イエス様のこの叫びを思って、懸命に耐えたと言われました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたイエス様の方が、もっと痛く、もっとお辛かったのだ。そう思って、懸命に耐えたと語られました。そのような方々は、イエス様の時代以降、無数におられたと思うのです。イエス様のこの叫びが聖書になかったら、慰めを受けられない方が大勢おられると思うのです。イエス様がこう叫ばれたことを、私は本当に感謝したいのです。

 「いつくしみ深き」という有名な讃美歌があります(以下は、大塚野百合著『賛美歌・聖歌物語 疲れしこころをなぐさむる愛よ』創元社、1997年、121~127ページによります)。作詞者のジョセフ・スクラィヴィンは1819年にアイルランド生まれたクリスチャンですが、結婚式を前に婚約者が亡くなったのです。心に傷を負った彼は、学校の教師となって移住しました。約15年後に二度目の婚約をしたのですが、この相手が結核で1860年に亡くなったのです。彼は苦しみの中にも、神の慰めを感じていたようです。彼と同じようにつらい思いをしたのが彼の母親でした。息子を思って、深く苦しんだのです。彼は母を慰めるために讃美歌の歌詞を書いて送ったようです。それが「いつくしみ深き」であるそうです。スクラィヴィンが亡くなった1886年ころ、この歌を読んだ有名な讃美歌歌手サンキーが感動し、自分が編集した『福音唱歌』の最初に入れたそうです。日本語訳の歌詞もよいと思われますが、省略されている言葉もあるそうなので、英語で読むとよいようです。私の想像ですが、きっとスクラィヴィンも、イエス様の叫び「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を思って、自分の苦しみに耐えたこともあったのではないでしょうか。イエス様のこの叫びは、聖書の中にどうしても必要な御言葉、なくては非常に困る御言葉だと信じます。アーメン(「真実に」)。

2019-04-11 12:23:47(木)
「教会はキリストの体」 2019年3月31日(日) 受難節(レント)第4主日礼拝 説教要旨
聖書:箴言12章28節、ローマの信徒への手紙12章3~8節

 この手紙を書いたイエス様の使徒パウロは記します。「自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」パウロはこの少し前にも書いています。「思い上がってはなりません。むしろ、恐れなさい。」「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように。」なぜ自分を過大に評価してはいけないのでしょうか? それは各人がキリストの体である教会の一部分にすぎないからです。誰も一人で教会ではありません。信仰には一人で進む面もありますが、しかし教会は共同体です。信仰の隣人がいないと、キリストの体なる教会になりません。5節でパウロは、「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」

 このことは、コリントの信徒への手紙(一)12章に、より詳しく書かれています。「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。~一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」すばらしい御言葉です。

 ローマ書に戻り、6~7節。「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。」私は去る3月21日(木・春分の日)に教会の4名の方とご一緒に日本キリスト教団西東京教区の全体研修会に参加し、棚村惠子先生(東京女子大学特任教授=当時)の講演「悲哀から奉仕へ―人間らしく生きる」を伺いました。レジュメには講演がめざすところについて、「神との信仰的交わりから生まれる生活がどう奉仕を生みだすのか、東京女子大学初代学長の新渡戸稲造の思想から『悲哀の使命』としての奉仕を考察する」とあります。新渡戸稲造は「太平洋の掛け橋になる」志を抱いた人で、国際連盟で事務次長を務め、著作『武士道』でも有名ですが、私生活では様々な悲哀を経験したようです。新渡戸は「キリストは聖書に悲しみの人」と書かれていると書いているそうです(「雑感」58)。確かにイエス・キリストは十字架の前のゲツセマネの祈りで「わたしは死ぬばかりに悲しい」と言っておられます。イザヤ書53章3節には、「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた」とあります。

 棚村先生は「悲哀は己を捨て人を救う本当の勇気を生む」、「悲哀~は事業を企て、事業の動機を清める」と書いておられます。新渡戸は、子どもを失う悲しみを経験し、それが動機の1つとなったのでしょうか、遠友夜学校という経済に困難をもつ若者ための学校を設立しているそうです。東京女子大学初代常務理事の宣教師A.K.ライシャワーという方は、娘の耳が聞こえない悲哀を経験され、日本聾話学校の設立に夫婦で奔走されたそうです。ご自分が悲哀を味わわれたことで、他の人の悲しみが分かるようになり、その方たちへの奉仕へと、ご自分の悲しみを昇華させたと言えるでしょうか。本当に尊敬すべきことと、私は感嘆致します。私が存じ上げる牧師ご夫妻は、お子さんのお一人を心臓病で亡くされた悲しみの中で、心臓病の子どもを守る父母の会の共同保育所「パンダ園」を設立されました。深く尊敬すべきことと思っています。

 棚村先生は、ローマの信徒への手紙12章1節「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」を引用され、新渡戸の文章を紹介されます。「希くは吾等は自己の悲哀の経験を聖なる祭物(そなへもの)として神に献げ、其の聖旨を承り、以て天を怨まず人を尤(とが)めぬ生活を営むことを期したい」(「雑感」65-66)。悲哀をも、聖なる生けるいけにえとして神様に献げるのですね。深い信仰と感じ入ります。私の印象では、自分の悲しみや苦しみを神様に献げる信仰は、カトリックの方々が語られることが多いと感じます。悲しみや苦しみには、信仰と人格を清め、純化する働きがあるのではないでしょうか。この信仰の深みが今の日本のプロテスタントにやや足りないと言っては、お叱りを受けるでしょうか。お赦し下さい。悲しみ、苦しみを神様に献げる。私たちもその深い信仰に生かされたいと願うのです。受難節(レント)にふさわしい信仰と思うのです。アーメン(「真実に」)。

2019-03-29 1:06:05(金)
「神の目にあなたは大切」 2019年3月24日(日) 「はじめて聞く人にわかる聖書の話」礼拝 説教要旨
聖書:イザヤ書43章1~5節

 イザヤ書43章1~5節は、とても慰め深い御言葉です。「ヤコブよ、あなたを創造された主(神)は、イスラエルよ、あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたはわたしのもの、わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしは主、あなたの神、イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代償とする。わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」

 特に4節「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」は、伝道パンフレットなどによく書かれます。私の個人的な思い出もあります。私が20代の頃、あることに不合格になったことがあります。その頃、分からないながらもイザヤ書を毎日1章ずつ読んでいました。落胆したその日が、イザヤ書43章でした。読んで非常に慰められました。状況は変わりませんが、神の愛を身近に感じることができたのです。日々聖書を読み祈ることで、神様と共に歩むことができます。

 2節の、「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」は、私たちが試練を通る時も、神様が私たちと共におられるということでしょう。私どもは皆、1つ1つのピンチを神様に助けられて乗り越えながら、今日この日まで歩ませていただいたものと思います。この東久留米教会には以前、シベリア抑留から生還された男性がお二方おられました。そのお一人のNさんは、「神が『あなたにはまだ使命がある』とお考えだったので、わたしは生きて帰ることができたと思っている」とおっしゃっていました。東京大空襲を生き延びられた方も、東久留米教会におられます。本当に大変な経験であられたことと思います。

 「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。」出エジプト記を読むと、エジプトを脱出した神の民イスラエル(壮年男子だけで約60万人、総勢ではおそらく200万人以上でしょう)は、目の前に葦の海、背後には攻撃してくる最強のファラオ(エジプト王)の軍隊がいるという絶体絶命の大ピンチに追い詰められました。人々はパニックになりかけましたが、神の偉大な力が発揮され、葦の海が割れ、そこを通って正面から進むことができたのです。ファラオの軍隊がそこを進んだときには、水が流れ返り、ファラオ軍は死にました。私たちはこれほどの大奇跡を経験することは滅多にないでしょうが、日々小さな奇跡を経験し、神に助けられて生きています。その1つ1つに気づいて感謝することが大切と思います。私たちの心臓が(自分で動かしているわけではないのに!)今動いていることが、神の奇跡です。

 韓国の大統領だった金大中(キム・デジュン)さんを覚えておられる方は多いと思います。クリスチャンです。2000年にノーベル平和賞を受け、2009年に天国に行かれました。金さんは、韓国の民主化のために努力されたので、当時の韓国政府ににらまれました。金さんが来日していた1973年8月8日、金さんが東京のホテルから拉致(らち)される事件が起きました。車で海岸に運ばれ、モーターボートに乗せられ、大きな船に移され、両手首に非常に重いかたまりをつけられ、もうすぐ海に投げ込まれて殺される状況でした。

 金さんは自伝に書いています(金大中自伝Ⅰ『死刑囚から大統領へ』岩波書店、2011年、239~243ページ)。「まさにその時に、イエスが出現された。~  あぁ、イエス様! 聖堂で見た姿そのものであり、表情もそのままだった。服装も同じだった。私はイエスの長い服のすそをつかんだ。『お助け下さい。私にはまだ~国民のためにしなければならないことがあります。お救い下さい。』 ~船室にいた男たちが『飛行機だ』と叫び、甲板に飛び出して行った。爆音のようなものが聞こえ、船は全速力で走った。」

 結果的に拉致(らち)から5日後に、韓国で解放されました。金さんは家族と秘書に、「神が生きておられるのを体験した。主(しゅ。神)の恵みで助かった。みんないっしょにお祈りをしよう」と言ったのです。私は約30年前、来日した金大中さんが日本のテレビに出演して、この通りのことを堂々と話したのを見て、驚いたことをはっきり覚えています。神様、そして神の子イエス・キリストは、本当に今も生きて働いておられます。金さんは、苦難の多い人生でしたが、韓国の大統領になり、韓国と北朝鮮の和解のためにも努力し、今は天国におられます。「大河の中を通っても、あなたは押し流されない。」金さんは大海に投げ込まれる絶体絶命の危機を、この神様によって救われました。本当によかったと思います。

 今から8年前の3月11日に、東日本大震災が起きました。東北各地で大きな被害が出ました。しかし岩手県の釜石小学校では、ほとんどの児童が助かったそうです。その第一の理由は、日ごろから津波を想定した真剣な避難訓練を行っていたことだと思います。岩手県出身の作家・井上ひさしさん(カトリック信者)作詞の釜石小学校校歌も力を発揮したのではないかと言われます。井上さんの祈りが込められた歌詞だと思うのです。以下は引用です。

(第一節)「いきいき生きる いきいき生きる/ ひとりで立って まっすぐ生きる/ 困ったときは 目をあげて/ 星をめあてに まっすぐ生きる/ 息あるうちは いきいき生きる」
(第二節)略
(第三節)「しっかりつかむ しっかりつかむ/ まことの知恵を しっかりつかむ/ 困ったときは 手を出して/ ともだちの手を しっかりつかむ/ 手と手をつないでしっかり生きる」 児童たちは、日ごろから教えられていたことを「ひとりで立って」実行し、高齢の家族や小さな子と手をしっかりつないで、避難したようです。クリスチャンである井上ひさしさんの信仰が込められた歌詞を通しても神様が働かれ、子どもたちを励まし、「大河の中を通っても、あなたは押し流されない」結果になったのではないかと思うのです。もちろん、亡くなった多くの方々がおられます。そのご家族の方々に、神様の深い御慰めを、切にお祈り申し上げます。

 神様は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え」と言って下さいます。イエス・キリストが私たち皆のすべての罪を身代わりに背負って、十字架で死んで下さいました。最も尊い神の子イエス様を十字架につけてまで私たち一人一人を救いたいと、父なる神様が思って下さる。私たち一人一人は、そのように価値ある一人一人なのです。だからこそ、決して思い上がらず、神の子イエス様を救い主と信じて、へりくだって父なる神様のもとに帰ってひれ伏そうではありませんか! ご一緒に今、ぜひそう致しましょう。アーメン(「真実に」)。