
2024-09-15 2:05:45()
説教「洗礼を受けられたイエス様」2024年9月15日(日)聖霊降臨節第18主日礼拝
順序:招詞ルカ15:7,頌栄85、主の祈り,交読詩編139、使徒信条、讃美歌21・17、聖書 イザヤ書42:1~7,ルカ福音書3:21~38、祈祷、説教、祈祷、讃美歌67、聖餐式、献金、頌栄83(2節)、祝祷。
(イザヤ書42:1~7) 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ/地とそこに生ずるものを繰り広げ/その上に住む人々に息を与え/そこを歩く者に霊を与えられる。主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び/あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として/あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために。
(ルカ福音書3:21~38) 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、 マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第18主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書3章21~38節、説教題は「洗礼を受けられたイエス様」です。
洗礼者ヨハネが、ヨルダン川沿いの地方一帯で、罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えていました。多くの人々が心を低くして、ヨハネから洗礼を受けました。しかしガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、洗礼を受けませんでした。彼は自分の兄弟の妻ヘロディアを奪って、自分の妻としました。その悪を含めて、彼が行った様々な悪についてヨハネに責められたので、ヨハネを投獄しました。神様の御言葉を滅ぼそうとしたに等しいです。
それと正反対に、イエス様が身を低くして、父なる神様の御心に服従されたお姿が、本日のルカによる福音書3章21節以下に記されています。「民衆が皆洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。」誰がイエス様に洗礼を授けたかは明記されていませんが、もちろん洗礼者ヨハネからです。ヨハネが投獄される前に洗礼を受けられたに違いありません。洗礼は、私たち罪人(つみびと)が、神様に罪を赦していただくために受けるものです。イエス様は全く罪のない神の子ですから、私たちと違って罪を赦してもらう必要が全然ありません。洗礼を受ける必要が全くない唯一の方ですが、あえてへりくだって洗礼を受けられました。しかも私たちが受けた三位一体の神様の御名による洗礼と違って、ヨハネが授けた洗礼は、イエス様の十字架の死と復活より前の不完全な洗礼です。そしてヨハネは非常に清い人ではありますが、罪人(つみびと)です。本来、全く罪がないイエス様が罪のあるヨハネに洗礼を授けるのが筋なのに、あべこべに、罪あるヨハネから罪なきイエス様が洗礼をお受けになりました。
これは、イエス様の謙遜さのなせる業です。イエス様は、私たち罪人(つみびと)の友となるため、私たち罪人(つみびと)を同じ立場に立つため、身を低くしてヨハネから洗礼を受けられました。私たち罪人(つみびと)と連帯するために、です。このことは、フィリピの信徒への手紙2章6節以下の御言葉と、よく一致します。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」
イエス様は、私たち罪人(つみびと)への愛にゆえに、私たちと同じ立場に身を低くして洗礼を受けられ、私たちの罪を全て身代わりに背負うために、十字架を担われました。これはイエス様は、父なる神様を愛するがゆえに、自由意志によってこのような生き方を選ばれました。これが本当の自由であることが分かります。宗教改革者マルティン・ルターが『キリスト者の自由』という本の冒頭に書いたことと同じです。「キリスト者は、全ての者の自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は、全ての者に奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。」一見矛盾するこの2つの文章が、同時に実現している人がクリスチャンです。それはイエス・キリストご自身がそのような方、本当の意味で完全に自由な方だからです。自由に生きるとは、喜んで進んで神様と他者を愛することです。喜んで、進んで他の方にお仕えすることです。ですから真の自由とは愛のことです。イエス様のように弟子たちの、人々の足を喜んで洗う生き方です。
「イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると」とあります。ルカによる福音書は、「祈るイエス様」のお姿を強調しています。5章16節には、「イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた」とあります。十二弟子を選ぶときもそうです。「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」徹夜の祈りをされたと分かります。こうして聖霊の愛と力に満たされたのです。最も身近な三人の弟子たちと山に登られた時もそうです。「祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」そして十字架前夜のオリーブ山での熱烈な祈りがあります。
今日の場面では、イエス様が洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」とあります。上の天国が開け、聖霊が鳩のように「目に見える」姿で、イエス様の上に降って来ました。通常、聖霊は目に見えませんが、この時は鳩のような姿が、周りの人々にも見えたのではないでしょうか。これはイエス様への聖霊降臨です。イエス様の祈りが聞かれて、聖霊が降って来たのです。ペンテコステの朝も、イエス様の弟子たちや母マリアが祈っている所に、天から聖霊が注がれました。私たちが聖霊を求めて祈るときも、聖霊が上から注がれます。ですがイエス様はこの時初めて、聖霊をお受けになったのではありません。母マリアは聖霊によってみごもりました。イエス様も当然、母マリアの胎内にいる時から既に聖霊に満たされておられます。そして洗礼を受けられた時、改めて天からイエス様に聖霊が降りました。私たちが洗礼を受けたときも、私たちの上に聖霊が降ったのです。今もクリスチャン一人一人の中に、最も尊い神様の霊・イエス様の清き霊である聖霊が、生きて住んでおられます。生きておられる聖霊が私たちの内に住んでおられることを、私たちはいつも自覚して感謝する必要があります。聖霊が住んでおられる以上、私たちは神様に属する者となっています。この体も心も神の所有ですから、この体によって罪を犯さないように気をつけ、健康にも気を配る必要があります。神のものを壊さない心がけが必要です。よく気を配っても病気になることはあるので、その場合はやむをえませんが、できるだけ治すよう心がけます。限界はありますが。
聖霊が降ると、天から父なる神様の御声が肉声で聞こえました。この場面には、神の子イエス・キリスト(子なる神キリスト)、聖霊なる神様、父なる神様、つまり三位一体の神が明らかに登場しています。声はこう言いました。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者。」父なる神様が、イエス様を「神が愛する子」であることを明確に宣言されました。これは旧約聖書の詩編第2編7節と、本日の旧約聖書であるイザヤ書42章1節を、神様が用いて語られたと言えます。詩編2編7節は、こうです。「主は私(イエス様)に告げられた。お前は私の子、今日、私はお前を生んだ。」(因みに、一番新しい訳である聖書協会共同訳では、「お前」ではなく「あなた」になっています。父なる神様がイエス様に「お前」と言われるとは考えにくいので、「あなた」の方が人格を尊重している感じで、よいと思います。)そして、イザヤ書42章1節はこうです。「見よ、私の僕、私が支える者を。私が選び、喜び迎える者を。彼の上に私の霊(聖霊)は置かれ」神様がこの二か所を用いて、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」とおっしゃったようです。「私の心に適う者」を直訳すると、「私はあなたを喜ぶ」となります。そしてイザヤ書42章3~4節には、こうあります。「彼は(神の僕、イエス様)は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。」大声で自分を宣伝しないという意味だと思います。「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁き(正義)を導き出して、確かなものとする。」
「傷ついた葦、暗くなってゆく灯心」は、弱いものの代表です。神の僕イエス様は、弱い者いじめをせず、むしろ守って下さる意味だと思います。クリスチャンのパスカルという人が、「人間は考える葦である」と言ったそうですが、もしかするとパスカルはこの言葉を、今のイザヤ書43章3節の、「傷ついた葦」の御言葉からヒントを得て、「人間が考える葦である」という言葉を思いついたのではないか、という説もあるそうです。この説が正しいかどうかは分かりませんが。
さて、ルカ福音書3章23節以下です。ここにはイエス様の系図が記されています、23節「イエスが宣教を始められたときは、およそ三十歳であった。」民数記4章を見ると、イスラエルの民のレビ族の人々が、祭司の務めを担う場合、30歳から奉仕を始めることができて、50才までで奉仕を終えることになっています。サムエル記・下5章4節によると、ダビデ王は30歳で王となっています。このようにイスラエルでは、神様の重要な職務を担うには、30歳から担うことができるという了解があったと思われます。
この系図には、イエス様を含めて(神様を含めないで)77名の名前が記されています。イエス様の系図はマタイ福音書1章にもあります。マタイ福音書の系図は、アブラハムから始まってダビデ王も登場してヨセフに至り、イエス様に至る系図です。これに対して、ルカによる福音書による系図は、逆にイエス様から始まって遡り、ヨセフ、ダビデ王を通り、アブラハムを通って最初の人間アダムに至り、さらにアダムをお造りになった神にまでさかのぼる系図です。マタイ福音書の系図は、14代ごとに区切られています。14は完全数7×2です。ルカによる福音書の系図には77名が登場しますが、77は完全数7×11です。聖書では7は重要な数ですから、双方の系図が7の数字と深く関わることは、2つの福音書がイエス様の系図を大切に考えていることを示すのでしょう。両方の系図の名前は、もちろん一致するものもあります。ですが一致しない名前もあります。マタイとルカが互いに会ったことがあるかどうかは分かりません。二人が、系図に関しては別々の資料をもっていて各々の福音書を書いたかもしれないので、それで系図の名前に一致しない部分があるのかもしれません。
この不一致の原因を、当時イスラエルで行われていたレビラート婚という結婚制度に求める説が、昔からあるそうです。レビラート婚は、旧約聖書に基づいてイスラエルで行われていた結婚のあり方で、申命記25章5節以下に、こうあります。「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、~亡夫の兄弟が彼女の所に入り、めとって妻として兄弟の義務を果たし」とあります。ルカの系図ではヨセフの父の名はエリ、マタイの系図ではヨセフの父の名はヤコブです。エリが妻との間に息子をもうけずに死んだので、妻がエリの兄弟ヤコブと再婚してヨセフが生まれたと解釈するのです。もしそうなら、ヤコブがヨセフの実父ですが、エリは法律上の父親になるそうです。ヤコブが先に死んで、ヤコブの妻とエリが再婚してヨセフが生まれたとも解釈できます。こう解釈すれば、ヨセフの父親の名が2つの系図で違っている理由を、一応説明できます。ですがこの説が正しいかどうかは、実際には分かりません。
2つの系図に不一致の部分がある原因を探求することは自然なことですが、違いにあまりこだわらないで、マタイの系図、ルカの系図それぞれに意図とメッセージがあると考えることもできます。マタイの場合は、系図がイスラエル人の偉大な先祖アブラハムから始まっていることから分かる通り、イエス様こそユダヤ人が旧約聖書の預言に基づいて待望しているメシア(救い主)であることを強調する意図があると思われます。それに対してルカの系図は、イエス様から始まって歴史をさかのぼるのですが、アブラハムで終わりません。創世記に登場するアブラハムの先祖も出てきます。ノアも出てきます。そして最初の人間アダムに至ります。アダムはイスラエル人の最初の先祖であるばかりでなく、どの異邦人(イスラエル人以外)にとっても最初の先祖です。ルカの意図は、イエス様がイスラエル人だけでなく、異邦人を含む全人類の救い主であることを示すことだと思われます。マタイはイスラエル人、ルカは異邦人と言われます。「アダム。そして神に至る」とあり、聖書の神様がイスラエル人の神であるばかりでなく、全人類の神であることが示されます。
この系図の最初の人間がアダム、最後がイエス様です。イエス様は完全な人であり、同時に完全な神であられます。最初の人間アダムは、妻エバの誘いに負けて、神様の戒めに背いてしまい、罪に落ちました。エデンの園から追放されました。その子孫たちは皆、罪に落ちており、エデンの園から追放されており、罪の結果である死に支配されています。私たちもそうでした。そのアダムの大失敗以来、悪魔と罪と死の支配に負け続けている私たち人類を、その惨めな状態から救い出すために生まれて下さった方がイエス様です。世の中の殺人事件や戦争の多くは、人間の欲望や罪が原因となっています。この異常な暑さなどの異常気象も、人間が資源を乱獲したり、多くの二酸化炭素を排出した活動の結果、発生している可能性も大きいですね。私たち人間の罪が、この世の中の悲惨を招いています。私たちのエネルギーを多く消費する生活スタイルにも、悔い改めるべき部分が色々あります。そのような私たちを、自分の罪とその結果の死から救い出すために、イエス・キリストが人間の赤ん坊として地上に誕生され、自ら十字架にかかって、私たちの全ての罪の責任を身代わりに背負って下さいました。イエス様を救い主と信じて、自分の罪を悔い改める人は皆、全ての罪の赦しと、死を乗り越えた永遠の命、復活の体をいただきます。
ルカとしばしば共に活動した使徒パウロは、コリントの信徒への手紙(一)15章47節以下で、こう述べます。「最初の人(アダム)は土ででき、地に属する者であり、第二の人(イエス・キリスト)は天に属する者です。」こう述べて、ルカの系図の最後のアダムと最初のイエス様を対比します。そしてこう述べます。「私たちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。」イエス様を信じて洗礼を受けた人の中には、聖霊が主人公として生きて住んでおられますから、聖書を読んで祈り、礼拝し続けるその方は、次第にイエス様に似た人格の人へと、造り変えられます。
さて、この系図はイエス様で終わりますが、ある意味では続きがあることも、語っておきたいと思います。イエス様には妻も子どもも孫もいませんでした。従ってこの系図に、イエス様の子どもが書き記されることはありません。しかし、イエス様を信じる人々は皆、イエス様の霊的な妹たち、弟たちです。イエス様が長男です。イエス様には、霊的な妹たち、弟たちが世界中に大勢、何億人もいます。過去のクリスチャン、今のクリスチャン、将来のクリスチャン、皆イエス様の霊的な妹たち、弟たちです。私たちもその中に含まれています。それは教会であり、神の家族ですね。聖書の中の現実に書き込んで印刷されることはありませんが、私たちもこの系図の中に、イエス様の霊的な妹たち、弟たちとして、自分の名前が加えられているに等しいと言えます。この神の霊的な家族がさらに増えるように、ご一緒に救い主イエス・キリストを宣べ伝えて参りましょう。アーメン。
(イザヤ書42:1~7) 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ/地とそこに生ずるものを繰り広げ/その上に住む人々に息を与え/そこを歩く者に霊を与えられる。主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び/あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として/あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために。
(ルカ福音書3:21~38) 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、 マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第18主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書3章21~38節、説教題は「洗礼を受けられたイエス様」です。
洗礼者ヨハネが、ヨルダン川沿いの地方一帯で、罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えていました。多くの人々が心を低くして、ヨハネから洗礼を受けました。しかしガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、洗礼を受けませんでした。彼は自分の兄弟の妻ヘロディアを奪って、自分の妻としました。その悪を含めて、彼が行った様々な悪についてヨハネに責められたので、ヨハネを投獄しました。神様の御言葉を滅ぼそうとしたに等しいです。
それと正反対に、イエス様が身を低くして、父なる神様の御心に服従されたお姿が、本日のルカによる福音書3章21節以下に記されています。「民衆が皆洗礼(バプテスマ)を受け、イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。」誰がイエス様に洗礼を授けたかは明記されていませんが、もちろん洗礼者ヨハネからです。ヨハネが投獄される前に洗礼を受けられたに違いありません。洗礼は、私たち罪人(つみびと)が、神様に罪を赦していただくために受けるものです。イエス様は全く罪のない神の子ですから、私たちと違って罪を赦してもらう必要が全然ありません。洗礼を受ける必要が全くない唯一の方ですが、あえてへりくだって洗礼を受けられました。しかも私たちが受けた三位一体の神様の御名による洗礼と違って、ヨハネが授けた洗礼は、イエス様の十字架の死と復活より前の不完全な洗礼です。そしてヨハネは非常に清い人ではありますが、罪人(つみびと)です。本来、全く罪がないイエス様が罪のあるヨハネに洗礼を授けるのが筋なのに、あべこべに、罪あるヨハネから罪なきイエス様が洗礼をお受けになりました。
これは、イエス様の謙遜さのなせる業です。イエス様は、私たち罪人(つみびと)の友となるため、私たち罪人(つみびと)を同じ立場に立つため、身を低くしてヨハネから洗礼を受けられました。私たち罪人(つみびと)と連帯するために、です。このことは、フィリピの信徒への手紙2章6節以下の御言葉と、よく一致します。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」
イエス様は、私たち罪人(つみびと)への愛にゆえに、私たちと同じ立場に身を低くして洗礼を受けられ、私たちの罪を全て身代わりに背負うために、十字架を担われました。これはイエス様は、父なる神様を愛するがゆえに、自由意志によってこのような生き方を選ばれました。これが本当の自由であることが分かります。宗教改革者マルティン・ルターが『キリスト者の自由』という本の冒頭に書いたことと同じです。「キリスト者は、全ての者の自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は、全ての者に奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。」一見矛盾するこの2つの文章が、同時に実現している人がクリスチャンです。それはイエス・キリストご自身がそのような方、本当の意味で完全に自由な方だからです。自由に生きるとは、喜んで進んで神様と他者を愛することです。喜んで、進んで他の方にお仕えすることです。ですから真の自由とは愛のことです。イエス様のように弟子たちの、人々の足を喜んで洗う生き方です。
「イエスも洗礼(バプテスマ)を受けて祈っておられると」とあります。ルカによる福音書は、「祈るイエス様」のお姿を強調しています。5章16節には、「イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた」とあります。十二弟子を選ぶときもそうです。「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。」徹夜の祈りをされたと分かります。こうして聖霊の愛と力に満たされたのです。最も身近な三人の弟子たちと山に登られた時もそうです。「祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」そして十字架前夜のオリーブ山での熱烈な祈りがあります。
今日の場面では、イエス様が洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」とあります。上の天国が開け、聖霊が鳩のように「目に見える」姿で、イエス様の上に降って来ました。通常、聖霊は目に見えませんが、この時は鳩のような姿が、周りの人々にも見えたのではないでしょうか。これはイエス様への聖霊降臨です。イエス様の祈りが聞かれて、聖霊が降って来たのです。ペンテコステの朝も、イエス様の弟子たちや母マリアが祈っている所に、天から聖霊が注がれました。私たちが聖霊を求めて祈るときも、聖霊が上から注がれます。ですがイエス様はこの時初めて、聖霊をお受けになったのではありません。母マリアは聖霊によってみごもりました。イエス様も当然、母マリアの胎内にいる時から既に聖霊に満たされておられます。そして洗礼を受けられた時、改めて天からイエス様に聖霊が降りました。私たちが洗礼を受けたときも、私たちの上に聖霊が降ったのです。今もクリスチャン一人一人の中に、最も尊い神様の霊・イエス様の清き霊である聖霊が、生きて住んでおられます。生きておられる聖霊が私たちの内に住んでおられることを、私たちはいつも自覚して感謝する必要があります。聖霊が住んでおられる以上、私たちは神様に属する者となっています。この体も心も神の所有ですから、この体によって罪を犯さないように気をつけ、健康にも気を配る必要があります。神のものを壊さない心がけが必要です。よく気を配っても病気になることはあるので、その場合はやむをえませんが、できるだけ治すよう心がけます。限界はありますが。
聖霊が降ると、天から父なる神様の御声が肉声で聞こえました。この場面には、神の子イエス・キリスト(子なる神キリスト)、聖霊なる神様、父なる神様、つまり三位一体の神が明らかに登場しています。声はこう言いました。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者。」父なる神様が、イエス様を「神が愛する子」であることを明確に宣言されました。これは旧約聖書の詩編第2編7節と、本日の旧約聖書であるイザヤ書42章1節を、神様が用いて語られたと言えます。詩編2編7節は、こうです。「主は私(イエス様)に告げられた。お前は私の子、今日、私はお前を生んだ。」(因みに、一番新しい訳である聖書協会共同訳では、「お前」ではなく「あなた」になっています。父なる神様がイエス様に「お前」と言われるとは考えにくいので、「あなた」の方が人格を尊重している感じで、よいと思います。)そして、イザヤ書42章1節はこうです。「見よ、私の僕、私が支える者を。私が選び、喜び迎える者を。彼の上に私の霊(聖霊)は置かれ」神様がこの二か所を用いて、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」とおっしゃったようです。「私の心に適う者」を直訳すると、「私はあなたを喜ぶ」となります。そしてイザヤ書42章3~4節には、こうあります。「彼は(神の僕、イエス様)は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。」大声で自分を宣伝しないという意味だと思います。「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁き(正義)を導き出して、確かなものとする。」
「傷ついた葦、暗くなってゆく灯心」は、弱いものの代表です。神の僕イエス様は、弱い者いじめをせず、むしろ守って下さる意味だと思います。クリスチャンのパスカルという人が、「人間は考える葦である」と言ったそうですが、もしかするとパスカルはこの言葉を、今のイザヤ書43章3節の、「傷ついた葦」の御言葉からヒントを得て、「人間が考える葦である」という言葉を思いついたのではないか、という説もあるそうです。この説が正しいかどうかは分かりませんが。
さて、ルカ福音書3章23節以下です。ここにはイエス様の系図が記されています、23節「イエスが宣教を始められたときは、およそ三十歳であった。」民数記4章を見ると、イスラエルの民のレビ族の人々が、祭司の務めを担う場合、30歳から奉仕を始めることができて、50才までで奉仕を終えることになっています。サムエル記・下5章4節によると、ダビデ王は30歳で王となっています。このようにイスラエルでは、神様の重要な職務を担うには、30歳から担うことができるという了解があったと思われます。
この系図には、イエス様を含めて(神様を含めないで)77名の名前が記されています。イエス様の系図はマタイ福音書1章にもあります。マタイ福音書の系図は、アブラハムから始まってダビデ王も登場してヨセフに至り、イエス様に至る系図です。これに対して、ルカによる福音書による系図は、逆にイエス様から始まって遡り、ヨセフ、ダビデ王を通り、アブラハムを通って最初の人間アダムに至り、さらにアダムをお造りになった神にまでさかのぼる系図です。マタイ福音書の系図は、14代ごとに区切られています。14は完全数7×2です。ルカによる福音書の系図には77名が登場しますが、77は完全数7×11です。聖書では7は重要な数ですから、双方の系図が7の数字と深く関わることは、2つの福音書がイエス様の系図を大切に考えていることを示すのでしょう。両方の系図の名前は、もちろん一致するものもあります。ですが一致しない名前もあります。マタイとルカが互いに会ったことがあるかどうかは分かりません。二人が、系図に関しては別々の資料をもっていて各々の福音書を書いたかもしれないので、それで系図の名前に一致しない部分があるのかもしれません。
この不一致の原因を、当時イスラエルで行われていたレビラート婚という結婚制度に求める説が、昔からあるそうです。レビラート婚は、旧約聖書に基づいてイスラエルで行われていた結婚のあり方で、申命記25章5節以下に、こうあります。「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、~亡夫の兄弟が彼女の所に入り、めとって妻として兄弟の義務を果たし」とあります。ルカの系図ではヨセフの父の名はエリ、マタイの系図ではヨセフの父の名はヤコブです。エリが妻との間に息子をもうけずに死んだので、妻がエリの兄弟ヤコブと再婚してヨセフが生まれたと解釈するのです。もしそうなら、ヤコブがヨセフの実父ですが、エリは法律上の父親になるそうです。ヤコブが先に死んで、ヤコブの妻とエリが再婚してヨセフが生まれたとも解釈できます。こう解釈すれば、ヨセフの父親の名が2つの系図で違っている理由を、一応説明できます。ですがこの説が正しいかどうかは、実際には分かりません。
2つの系図に不一致の部分がある原因を探求することは自然なことですが、違いにあまりこだわらないで、マタイの系図、ルカの系図それぞれに意図とメッセージがあると考えることもできます。マタイの場合は、系図がイスラエル人の偉大な先祖アブラハムから始まっていることから分かる通り、イエス様こそユダヤ人が旧約聖書の預言に基づいて待望しているメシア(救い主)であることを強調する意図があると思われます。それに対してルカの系図は、イエス様から始まって歴史をさかのぼるのですが、アブラハムで終わりません。創世記に登場するアブラハムの先祖も出てきます。ノアも出てきます。そして最初の人間アダムに至ります。アダムはイスラエル人の最初の先祖であるばかりでなく、どの異邦人(イスラエル人以外)にとっても最初の先祖です。ルカの意図は、イエス様がイスラエル人だけでなく、異邦人を含む全人類の救い主であることを示すことだと思われます。マタイはイスラエル人、ルカは異邦人と言われます。「アダム。そして神に至る」とあり、聖書の神様がイスラエル人の神であるばかりでなく、全人類の神であることが示されます。
この系図の最初の人間がアダム、最後がイエス様です。イエス様は完全な人であり、同時に完全な神であられます。最初の人間アダムは、妻エバの誘いに負けて、神様の戒めに背いてしまい、罪に落ちました。エデンの園から追放されました。その子孫たちは皆、罪に落ちており、エデンの園から追放されており、罪の結果である死に支配されています。私たちもそうでした。そのアダムの大失敗以来、悪魔と罪と死の支配に負け続けている私たち人類を、その惨めな状態から救い出すために生まれて下さった方がイエス様です。世の中の殺人事件や戦争の多くは、人間の欲望や罪が原因となっています。この異常な暑さなどの異常気象も、人間が資源を乱獲したり、多くの二酸化炭素を排出した活動の結果、発生している可能性も大きいですね。私たち人間の罪が、この世の中の悲惨を招いています。私たちのエネルギーを多く消費する生活スタイルにも、悔い改めるべき部分が色々あります。そのような私たちを、自分の罪とその結果の死から救い出すために、イエス・キリストが人間の赤ん坊として地上に誕生され、自ら十字架にかかって、私たちの全ての罪の責任を身代わりに背負って下さいました。イエス様を救い主と信じて、自分の罪を悔い改める人は皆、全ての罪の赦しと、死を乗り越えた永遠の命、復活の体をいただきます。
ルカとしばしば共に活動した使徒パウロは、コリントの信徒への手紙(一)15章47節以下で、こう述べます。「最初の人(アダム)は土ででき、地に属する者であり、第二の人(イエス・キリスト)は天に属する者です。」こう述べて、ルカの系図の最後のアダムと最初のイエス様を対比します。そしてこう述べます。「私たちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。」イエス様を信じて洗礼を受けた人の中には、聖霊が主人公として生きて住んでおられますから、聖書を読んで祈り、礼拝し続けるその方は、次第にイエス様に似た人格の人へと、造り変えられます。
さて、この系図はイエス様で終わりますが、ある意味では続きがあることも、語っておきたいと思います。イエス様には妻も子どもも孫もいませんでした。従ってこの系図に、イエス様の子どもが書き記されることはありません。しかし、イエス様を信じる人々は皆、イエス様の霊的な妹たち、弟たちです。イエス様が長男です。イエス様には、霊的な妹たち、弟たちが世界中に大勢、何億人もいます。過去のクリスチャン、今のクリスチャン、将来のクリスチャン、皆イエス様の霊的な妹たち、弟たちです。私たちもその中に含まれています。それは教会であり、神の家族ですね。聖書の中の現実に書き込んで印刷されることはありませんが、私たちもこの系図の中に、イエス様の霊的な妹たち、弟たちとして、自分の名前が加えられているに等しいと言えます。この神の霊的な家族がさらに増えるように、ご一緒に救い主イエス・キリストを宣べ伝えて参りましょう。アーメン。
2024-09-08 1:06:53()
説教「洗礼者ヨハネの登場」2024年9月8日(日)聖霊降臨節第17主日礼拝
順序:招詞ルカ15:7,頌栄85、主の祈り,交読詩編138、日本基督教団信仰告白、讃美歌21・224、聖書 イザヤ書40:3~5,ルカ福音書3:1~20、祈祷、説教、祈祷、讃美歌431、聖餐式、讃美歌79、献金、頌栄92、祝祷。
(イザヤ書40:3~5) 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
(ルカ福音書3:1~20)
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第17主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書3章1~20節、説教題は「洗礼者ヨハネの登場」です。小見出しは、「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」です。この直前には、イエス様が12歳の時の出来事が記されていました。3章は、それから約18年たっています。
1節「皇帝ティべリウスの治世第15年、ポンティオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)がガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」ここに当時のこの地方の6人の権力者の名前が記されていて、時期の特定に役立ちます。ポンティオ・ピラトがユダヤの総督だった時期は、紀元26年から36年であり、これは発掘された石碑に明確に記されていたそうです。イエス様より約半年早く生まれたザカリアとエリサベトの子ヨハネ、洗礼者ヨハネが活動を開始します。ヨハネも約30才です。「アンナスとカイアファが大祭司であったとき」と記されています。カイアファが大祭司職にあったのは紀元18年から36年まで、カイアファのしゅうとであるアンナスが大祭司職にあったのは、それより前の紀元6年から15年まです。ヨハネとイエス様の活動時期に、アンナスは正式な大祭司ではなかったのですが、カイアファのしゅうとである立場により、なお大祭司の称号と権威を保持していました。院政を敷いていたようなものですね。
このような権力者たちに比べて、ヨハネはイエス様の荒れ野(砂漠)にいて、真に質素な生活をしていました。マタイ福音書3章によると、「らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物」とする、貪欲と正反対の真に清い生活を送っていました。荒れ野は、人間の生存さえも厳しい環境だと思います。イスラエルの荒れ野にはクムランという場所があり、そこではクムラン教団と呼ばれる人々が修道院のような祈り深い生活をしていたと分かっています。そこの人々は、非常に質素に暮らしているためか、非常に長寿だったと聞いています。洗礼者ヨハネも、もしかするとこのクムラン教団のメンバーだったのではないかと推測する人もおりますが、はっきりとは分かりません。
3節以下「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」洗礼者ヨハネは新約聖書の登場人物ではありますが、旧約の時代の最後の預言者と呼ぶことができます。神様が彼をイスラエルに送ることは、旧約聖書の最後の書・マラキ書3章の最後に明記されています。「見よ、私(神様)は、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。私が来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。」洗礼者ヨハネは、預言者エリヤの霊をもつ、エリヤの再来です。彼が「父の心を子に、子の心を父に向けさせる」とありますが、この父は父なる神様ではなく、イスラエル社会の一般の父親です。当時のイスラエルでは、父親と息子が対立していることが多かったようです。再来の預言者エリヤの導きによって父親と息子が悔い改め、和解することが、ここで述べられています。こうして多くの父子が和解することで、神様の怒りが和らぎ、神様の裁きが回避されると言っているようです。
洗礼者ヨハネもまた、かたくなになっているイスラエルの人々を悔い改めに導き、人々が神の怒りを受けないで済むようにし、人々の心をへりくだりに導いて、ヨハネの後に働きを開始する真の救い主が働きやすいように、人々を神への悔い改めに導いて、救い主が働く環境を準備することが使命です。ヨハネは、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えました。私たちが受けた洗礼は、イエス・キリストの十字架での贖いの死と復活を土台とした洗礼ですから、いわば完全な洗礼です。ですがヨハネが授けた洗礼は、まだイエス様の十字架の死と復活によるすべての罪の赦しと復活が起こっていないので、その意味ではまだ完全とは言えない、準備段階の洗礼だったと言えます。それでも神の意志に従ってヨハネは洗礼を授けていたのですから、人々がへりくだってヨハネから洗礼を受けることは、神様に喜ばれることでした。
洗礼者ヨハネが登場して宣教することは、旧約聖書のイザヤ書40章で預言されていると、このルカによる福音書は記します。「荒れ野で叫ぶ者(ヨハネ)の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はすべて低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」ここには荒れ野という自然界の曲がった道がまっすぐになり、でこぼこの道が平らによくなることが描かれていますが、同時に私たち人間の心の中の荒れ野が、よい状態に変えられていくことを述べているのでしょう。ヨハネのメッセージによって、神様の愛の働きによって、人の心の荒れ野が正常になり、平和に向かうことが述べられていると思います。そして「人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」救い主イエス・キリストを仰ぎ見るということと思います。
ヨハネは、イスラエルの群衆に厳しいメッセージを語ります。7節「そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。『蝮の子らよ。』」これは相当厳しい呼びかけです。「悪魔の子らよ」という意味と思います。「差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。」神の怒りは確かにあります。私たち人間の罪に対する、神様の聖なる怒り、正当な怒りです。神様は大変忍耐強い方なので、私たちの罪をなかなか裁かず、忍耐して下さっています。そして父なる神様は、そのすべての怒りを、十字架のイエス・キリストに集中砲火的にぶつけられました。イエス様が十字架で、私たちの罪に対する父なる神様の聖なる怒りを、全て引き受けて下さったお陰で、私たちは父なる神様の正当な聖なる怒りを、まともに受けずに済んでいます。イエス様が十字架上で、父なる神様の聖なる怒りを全て、受けとめて下さったお陰です。
8節「悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父(先祖)はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たち(子孫たち、真の救いを受け継ぐ者たち)を造り出すことがおできになる。」悔い改めは、方向転換です。いわゆる反省と少し違うかもしれません。反省は神様なしでもできるかもしれませんが、悔い改めは、自己中心的に生きる生き方から方向転換して、神様を礼拝して、神様の御心に適う生き方に進むことです。もう少し具体的に言うと、聖霊に助けられ、神様を礼拝ながら、神の戒めであるモーセの十戒を行いながら生きることです。神様を愛り、隣人を愛して生きることです。そうすれば必ず悔い改めの良い実を結ぶことができます。
「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。」自分たちは、神様に選ばれた偉大な人アブラハムの血を引く子孫だ。神に選ばれた民イスラエルの一員だ。だから自動的に祝福され、天国を約束されている。神様に従う生き方をしなくても大丈夫だ」などと思い上がってはいけない。アブラハムの真の子孫は、神様に従う人だ。「神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子たち(アブラハムと同じ信仰に生きる人たち)」を作り出すことがおできになる。」全くその通りです。私たち自身がその証拠です。イスラエルからはるか遠く離れた極東の日本に住む私たち、アブラハムとは血縁関係が全然ない完全に異邦人の私たちが、イエス様によって永遠の命を約束された神の民になっているのですから。ヨハネは厳しく迫ります。「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」群衆に、本心から神に立ち帰ることを求めたのです。
群衆は、ヨハネの迫真のメッセージに心を打たれ、「悔い改めよう」との気持ちに導かれたのです。10節「そこで群衆は、『では、私たちはどうすればよいのですか』 と尋ねた。ヨハネの導きを求めたのですね。ヨハネは、具体的なアドヴァイスをします。「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っているものも同じようにせよ。」下着を二枚持っている者は、私たちから見ると随分貧しいかもしれません。それでももっと貧しい人と分け合いなさいと、ヨハネは求めます。「食べ物を持っている者も同じようにせよ。」ある人は言います。「自分のパンを自分のためだけに取っておこうとするときに、初めて飢えが始まる。独り占めする人が全くいなくなれば、飢えはかなり防げる可能性が出て来るのでしょう。米不足の今、特に心に刻みたいと思います。
先週の週報に書いた通り、私ども夫婦は約二週間前8月26日(月)に、長野県の下伊那郡阿智村にある満蒙開拓平和記念館を見学しました。1931年頃から、国策で約27万人の日本人が満州開拓団として中国大陸に渡りました。長野県から行った人々が3万人以上で、最多です。背景には経済的な貧しさがありました。しかし満州は無人の土地ではなく、日本政府が安く買い上げた土地などを開拓すると言っても、現実には追い出された中国人も多く、結局は中国人の土地を奪って開拓しました。現地に行った開拓団にもそれが分かったはずですが、結局は多くの人々はそのことには目をつむったと記念館での文章に書いてありました。罪と言わざるを得ません。ヨハネなら、ことも厳しく叱るでしょう。満蒙開拓団には加害の面と被害の面があるので、開拓を美化することはできないと書かれていました。
その後、日本が敗戦した少し前からソ連軍が攻め込んで来て、悲劇の逃避行が始まります。男の多くは既に徴兵されて不在で、いた男たちもソ連軍によってシベリア等の収容所に送られました。多くの人が命を落とす中で、日本に連れて帰ることは無理だと思われた多くの乳幼児が中国人に預けられたり、売られたりしました。よくご存じの中国残留日本人孤児です。1981年ころから一時帰国しての肉親捜しが本格的に始まりましたが、育てて下さった中国人の養父母の方々は実に偉いと思います。色々な養父母がいたとしても、それでもその方々から日本が受けた恩義は。非常に大きなもので、決して忘れることなく感謝すべき恩義だと、記念館で写真や資料を見て、改めて思いました。ご自分たちも貧しいのに、日本人の子どもたちに食べ物も着る者も分けて下さったからです。きっと洗礼者ヨハネも、その方々のことを称賛するだろうと思うのです。中国の政治的リーダーが怖いからミサイルを配備する等よりも、こんなに中国人に愛を与えられたことを、深い感謝を込めて思い起こすことが必要と思います。
ヨハネのもとに、徴税人も洗礼(バプテスマ)を受けるために来ました。徴税人は、イスラエル人ですが、ローマ帝国の下部役人のような形で、同胞のイスラエル人たちから税金を徴収して、しかも規定より多く徴収して、私腹を肥やしていました。自分がもつ小さな権力を不当に行使して、不正にお金をためていました。ヨハネは「規定以上のものは取り立てるな」と求めました。当たり前のことです。徴税人をやめて、職を失って路頭に迷うことは求めませんでした。その意味では、当人の生活が破綻することまでは求めず、不正と罪は明確に捨て、現実的に可能な範囲で、精一杯の隣人愛の実行を求めたのです。14節「兵士も、『この私たちはどうすればよいのですか』と尋ねた。ヨハネは、『誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ』と言った。」この兵士は、ローマ軍の兵士なのか、あるいはガラテヤの領主ヘロデ・アンティパスの兵士の可能性もあるそうです。兵士も槍などを持っていますから、民衆から見れば怖い存在です。槍などで脅してゆすり取ったり、だまし取ったりしていました。ヨハネは、そのような悪は全面的にやめて、むさぼりの罪を犯さず、自分の給料満足せよ、と求めます。ここでもヨハネは、兵士をやめよとまでは言っていません。兵士をやめて路頭に迷うことは求めず、兵士の力を悪用して金を得ることはやめ、足るを知ることを求めています。兵士は実行したでしょう。こうしてヨハネは、小さな権力者たちが、弱い庶民から不正に金を奪うことを止めさせ、イスラエルの中から罪を減らし、救い主イエス・キリストの伝道が始まる前の、地ならしを実行致しました。
それにしても、改めて思います。神様は一人の人が罪を悔い改めることを、私たちが思う以上に喜んで下さることを。今月の礼拝の招詞は、ルカ福音書15章7節のイエス様の御言葉です。「言っておくが、このように悔い改める一人の罪人(つみびと)については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも、大きな喜びが天にある。」これはやはり驚くべき御言葉だと感じます。私たちはもしかすると、99人の正しい人の方が、一人の悔い改め罪人(つみびと)よりも、大切だという常識に生きているかもしれないのです。99人の正しい人がいることも大事です。その方が社会が安定することは確かだからです。しかし神様は、一人の罪人(つみびと)が悔い改めて神様に立ち帰り、永遠の命を得ることを、私が思う以上に喜んで下さることが分かります。旧約聖書のエゼキエル書18章31節以下で、神様がイスラエルの民にこう言われます。「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。私は誰の死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って生きよ、と主なる神は言われる。」
15~18節「民衆はメシア(救い主)を待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。『私はあなたたちに水で洗礼(バプテスマ)を授けるが、私よりも優れた方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。そして、手に箕をもって、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。』ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」ヨハネは厳しいメッセージを語ったと感じますが、実に謙遜です。「自分は救い主ではない。私はその方(メシア)の履物のひもを解く値打ちもない」と言いました。これは彼の本心だったはずです。彼はヨハネ福音書3章ではこう語っています。「あの方(救い主イエス・キリスト)は栄え、私は衰えねばならない。」それでよい。私はそれで本望だ。この謙遜さは、使徒パウロにも似ています。パウロは言いました。「私は罪人(つみびと)の頭(かしら)」(テモテへの手紙(二)1章15節)。「自分を全く取りに足りない者と思い」(使徒言行録20章19節)。この後、ヨハネは、領主へロデ・アンティパスの罪を指摘したため、彼に憎まれて投獄されます。正しく生きたのに、不当な苦難を受ける。イエス様の十字架にも似た苦難です。苦難を恐れず、どこまでも神様に従った洗礼者ヨハネを神様は喜ばれ、永遠の命、復活の体を与えて報いて下さるに、違いありません。アーメン。イザヤ書58。
(イザヤ書40:3~5) 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
(ルカ福音書3:1~20)
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第17主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書3章1~20節、説教題は「洗礼者ヨハネの登場」です。小見出しは、「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」です。この直前には、イエス様が12歳の時の出来事が記されていました。3章は、それから約18年たっています。
1節「皇帝ティべリウスの治世第15年、ポンティオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)がガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」ここに当時のこの地方の6人の権力者の名前が記されていて、時期の特定に役立ちます。ポンティオ・ピラトがユダヤの総督だった時期は、紀元26年から36年であり、これは発掘された石碑に明確に記されていたそうです。イエス様より約半年早く生まれたザカリアとエリサベトの子ヨハネ、洗礼者ヨハネが活動を開始します。ヨハネも約30才です。「アンナスとカイアファが大祭司であったとき」と記されています。カイアファが大祭司職にあったのは紀元18年から36年まで、カイアファのしゅうとであるアンナスが大祭司職にあったのは、それより前の紀元6年から15年まです。ヨハネとイエス様の活動時期に、アンナスは正式な大祭司ではなかったのですが、カイアファのしゅうとである立場により、なお大祭司の称号と権威を保持していました。院政を敷いていたようなものですね。
このような権力者たちに比べて、ヨハネはイエス様の荒れ野(砂漠)にいて、真に質素な生活をしていました。マタイ福音書3章によると、「らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物」とする、貪欲と正反対の真に清い生活を送っていました。荒れ野は、人間の生存さえも厳しい環境だと思います。イスラエルの荒れ野にはクムランという場所があり、そこではクムラン教団と呼ばれる人々が修道院のような祈り深い生活をしていたと分かっています。そこの人々は、非常に質素に暮らしているためか、非常に長寿だったと聞いています。洗礼者ヨハネも、もしかするとこのクムラン教団のメンバーだったのではないかと推測する人もおりますが、はっきりとは分かりません。
3節以下「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」洗礼者ヨハネは新約聖書の登場人物ではありますが、旧約の時代の最後の預言者と呼ぶことができます。神様が彼をイスラエルに送ることは、旧約聖書の最後の書・マラキ書3章の最後に明記されています。「見よ、私(神様)は、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。私が来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。」洗礼者ヨハネは、預言者エリヤの霊をもつ、エリヤの再来です。彼が「父の心を子に、子の心を父に向けさせる」とありますが、この父は父なる神様ではなく、イスラエル社会の一般の父親です。当時のイスラエルでは、父親と息子が対立していることが多かったようです。再来の預言者エリヤの導きによって父親と息子が悔い改め、和解することが、ここで述べられています。こうして多くの父子が和解することで、神様の怒りが和らぎ、神様の裁きが回避されると言っているようです。
洗礼者ヨハネもまた、かたくなになっているイスラエルの人々を悔い改めに導き、人々が神の怒りを受けないで済むようにし、人々の心をへりくだりに導いて、ヨハネの後に働きを開始する真の救い主が働きやすいように、人々を神への悔い改めに導いて、救い主が働く環境を準備することが使命です。ヨハネは、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えました。私たちが受けた洗礼は、イエス・キリストの十字架での贖いの死と復活を土台とした洗礼ですから、いわば完全な洗礼です。ですがヨハネが授けた洗礼は、まだイエス様の十字架の死と復活によるすべての罪の赦しと復活が起こっていないので、その意味ではまだ完全とは言えない、準備段階の洗礼だったと言えます。それでも神の意志に従ってヨハネは洗礼を授けていたのですから、人々がへりくだってヨハネから洗礼を受けることは、神様に喜ばれることでした。
洗礼者ヨハネが登場して宣教することは、旧約聖書のイザヤ書40章で預言されていると、このルカによる福音書は記します。「荒れ野で叫ぶ者(ヨハネ)の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はすべて低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」ここには荒れ野という自然界の曲がった道がまっすぐになり、でこぼこの道が平らによくなることが描かれていますが、同時に私たち人間の心の中の荒れ野が、よい状態に変えられていくことを述べているのでしょう。ヨハネのメッセージによって、神様の愛の働きによって、人の心の荒れ野が正常になり、平和に向かうことが述べられていると思います。そして「人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」救い主イエス・キリストを仰ぎ見るということと思います。
ヨハネは、イスラエルの群衆に厳しいメッセージを語ります。7節「そこでヨハネは、洗礼(バプテスマ)を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。『蝮の子らよ。』」これは相当厳しい呼びかけです。「悪魔の子らよ」という意味と思います。「差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。」神の怒りは確かにあります。私たち人間の罪に対する、神様の聖なる怒り、正当な怒りです。神様は大変忍耐強い方なので、私たちの罪をなかなか裁かず、忍耐して下さっています。そして父なる神様は、そのすべての怒りを、十字架のイエス・キリストに集中砲火的にぶつけられました。イエス様が十字架で、私たちの罪に対する父なる神様の聖なる怒りを、全て引き受けて下さったお陰で、私たちは父なる神様の正当な聖なる怒りを、まともに受けずに済んでいます。イエス様が十字架上で、父なる神様の聖なる怒りを全て、受けとめて下さったお陰です。
8節「悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父(先祖)はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たち(子孫たち、真の救いを受け継ぐ者たち)を造り出すことがおできになる。」悔い改めは、方向転換です。いわゆる反省と少し違うかもしれません。反省は神様なしでもできるかもしれませんが、悔い改めは、自己中心的に生きる生き方から方向転換して、神様を礼拝して、神様の御心に適う生き方に進むことです。もう少し具体的に言うと、聖霊に助けられ、神様を礼拝ながら、神の戒めであるモーセの十戒を行いながら生きることです。神様を愛り、隣人を愛して生きることです。そうすれば必ず悔い改めの良い実を結ぶことができます。
「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。」自分たちは、神様に選ばれた偉大な人アブラハムの血を引く子孫だ。神に選ばれた民イスラエルの一員だ。だから自動的に祝福され、天国を約束されている。神様に従う生き方をしなくても大丈夫だ」などと思い上がってはいけない。アブラハムの真の子孫は、神様に従う人だ。「神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子たち(アブラハムと同じ信仰に生きる人たち)」を作り出すことがおできになる。」全くその通りです。私たち自身がその証拠です。イスラエルからはるか遠く離れた極東の日本に住む私たち、アブラハムとは血縁関係が全然ない完全に異邦人の私たちが、イエス様によって永遠の命を約束された神の民になっているのですから。ヨハネは厳しく迫ります。「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」群衆に、本心から神に立ち帰ることを求めたのです。
群衆は、ヨハネの迫真のメッセージに心を打たれ、「悔い改めよう」との気持ちに導かれたのです。10節「そこで群衆は、『では、私たちはどうすればよいのですか』 と尋ねた。ヨハネの導きを求めたのですね。ヨハネは、具体的なアドヴァイスをします。「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っているものも同じようにせよ。」下着を二枚持っている者は、私たちから見ると随分貧しいかもしれません。それでももっと貧しい人と分け合いなさいと、ヨハネは求めます。「食べ物を持っている者も同じようにせよ。」ある人は言います。「自分のパンを自分のためだけに取っておこうとするときに、初めて飢えが始まる。独り占めする人が全くいなくなれば、飢えはかなり防げる可能性が出て来るのでしょう。米不足の今、特に心に刻みたいと思います。
先週の週報に書いた通り、私ども夫婦は約二週間前8月26日(月)に、長野県の下伊那郡阿智村にある満蒙開拓平和記念館を見学しました。1931年頃から、国策で約27万人の日本人が満州開拓団として中国大陸に渡りました。長野県から行った人々が3万人以上で、最多です。背景には経済的な貧しさがありました。しかし満州は無人の土地ではなく、日本政府が安く買い上げた土地などを開拓すると言っても、現実には追い出された中国人も多く、結局は中国人の土地を奪って開拓しました。現地に行った開拓団にもそれが分かったはずですが、結局は多くの人々はそのことには目をつむったと記念館での文章に書いてありました。罪と言わざるを得ません。ヨハネなら、ことも厳しく叱るでしょう。満蒙開拓団には加害の面と被害の面があるので、開拓を美化することはできないと書かれていました。
その後、日本が敗戦した少し前からソ連軍が攻め込んで来て、悲劇の逃避行が始まります。男の多くは既に徴兵されて不在で、いた男たちもソ連軍によってシベリア等の収容所に送られました。多くの人が命を落とす中で、日本に連れて帰ることは無理だと思われた多くの乳幼児が中国人に預けられたり、売られたりしました。よくご存じの中国残留日本人孤児です。1981年ころから一時帰国しての肉親捜しが本格的に始まりましたが、育てて下さった中国人の養父母の方々は実に偉いと思います。色々な養父母がいたとしても、それでもその方々から日本が受けた恩義は。非常に大きなもので、決して忘れることなく感謝すべき恩義だと、記念館で写真や資料を見て、改めて思いました。ご自分たちも貧しいのに、日本人の子どもたちに食べ物も着る者も分けて下さったからです。きっと洗礼者ヨハネも、その方々のことを称賛するだろうと思うのです。中国の政治的リーダーが怖いからミサイルを配備する等よりも、こんなに中国人に愛を与えられたことを、深い感謝を込めて思い起こすことが必要と思います。
ヨハネのもとに、徴税人も洗礼(バプテスマ)を受けるために来ました。徴税人は、イスラエル人ですが、ローマ帝国の下部役人のような形で、同胞のイスラエル人たちから税金を徴収して、しかも規定より多く徴収して、私腹を肥やしていました。自分がもつ小さな権力を不当に行使して、不正にお金をためていました。ヨハネは「規定以上のものは取り立てるな」と求めました。当たり前のことです。徴税人をやめて、職を失って路頭に迷うことは求めませんでした。その意味では、当人の生活が破綻することまでは求めず、不正と罪は明確に捨て、現実的に可能な範囲で、精一杯の隣人愛の実行を求めたのです。14節「兵士も、『この私たちはどうすればよいのですか』と尋ねた。ヨハネは、『誰からも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ』と言った。」この兵士は、ローマ軍の兵士なのか、あるいはガラテヤの領主ヘロデ・アンティパスの兵士の可能性もあるそうです。兵士も槍などを持っていますから、民衆から見れば怖い存在です。槍などで脅してゆすり取ったり、だまし取ったりしていました。ヨハネは、そのような悪は全面的にやめて、むさぼりの罪を犯さず、自分の給料満足せよ、と求めます。ここでもヨハネは、兵士をやめよとまでは言っていません。兵士をやめて路頭に迷うことは求めず、兵士の力を悪用して金を得ることはやめ、足るを知ることを求めています。兵士は実行したでしょう。こうしてヨハネは、小さな権力者たちが、弱い庶民から不正に金を奪うことを止めさせ、イスラエルの中から罪を減らし、救い主イエス・キリストの伝道が始まる前の、地ならしを実行致しました。
それにしても、改めて思います。神様は一人の人が罪を悔い改めることを、私たちが思う以上に喜んで下さることを。今月の礼拝の招詞は、ルカ福音書15章7節のイエス様の御言葉です。「言っておくが、このように悔い改める一人の罪人(つみびと)については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも、大きな喜びが天にある。」これはやはり驚くべき御言葉だと感じます。私たちはもしかすると、99人の正しい人の方が、一人の悔い改め罪人(つみびと)よりも、大切だという常識に生きているかもしれないのです。99人の正しい人がいることも大事です。その方が社会が安定することは確かだからです。しかし神様は、一人の罪人(つみびと)が悔い改めて神様に立ち帰り、永遠の命を得ることを、私が思う以上に喜んで下さることが分かります。旧約聖書のエゼキエル書18章31節以下で、神様がイスラエルの民にこう言われます。「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。私は誰の死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って生きよ、と主なる神は言われる。」
15~18節「民衆はメシア(救い主)を待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。『私はあなたたちに水で洗礼(バプテスマ)を授けるが、私よりも優れた方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。そして、手に箕をもって、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。』ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」ヨハネは厳しいメッセージを語ったと感じますが、実に謙遜です。「自分は救い主ではない。私はその方(メシア)の履物のひもを解く値打ちもない」と言いました。これは彼の本心だったはずです。彼はヨハネ福音書3章ではこう語っています。「あの方(救い主イエス・キリスト)は栄え、私は衰えねばならない。」それでよい。私はそれで本望だ。この謙遜さは、使徒パウロにも似ています。パウロは言いました。「私は罪人(つみびと)の頭(かしら)」(テモテへの手紙(二)1章15節)。「自分を全く取りに足りない者と思い」(使徒言行録20章19節)。この後、ヨハネは、領主へロデ・アンティパスの罪を指摘したため、彼に憎まれて投獄されます。正しく生きたのに、不当な苦難を受ける。イエス様の十字架にも似た苦難です。苦難を恐れず、どこまでも神様に従った洗礼者ヨハネを神様は喜ばれ、永遠の命、復活の体を与えて報いて下さるに、違いありません。アーメン。イザヤ書58。
2024-09-04 0:42:00(水)
伝道メッセージ 8月分 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載した文章)
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(新約聖書・ローマの信徒への手紙12章15節)。
温泉で有名な群馬県の草津で「リーかあさま」と慕われた方がおられました(中村茂著『リーかあさまのはなし』ポプラ社)。メアリ・ヘレナ・コンウォール・リー(1857~1941年)という聖公会(イギリス系のキリスト教会)の女性宣教師です。イギリスの恵まれた家庭に生まれ、12才の頃、牧師に大切なことを聞きました。「宣教師になって外国に行き、人々の悩みと苦しみを共に背負い、寄り添って生きるこことは尊いことです。」父親が早く亡くなり、母親の世話をして家を守る責任があり、夢を実現できませんでしたが、母親が亡くなり、1907年11月に50才で来日。
草津の「湯の沢」に、ハンセン病の方々の集落がありました。今は、ハンセン病は薬で確実に治り、感染力は極めて弱く、隔離の必要もありませんが、以前は感染力が強いとの誤解により、日本でも患者の方々や家族がひどい偏見と差別に苦しみました。薬ができる前は失明したり、体が不自由になることが多かったのです。ある人がリーさんに頼みました。「草津に来て、暗い気持ちの人々が希望を持てるようにして下さい。」
リーさんは、58才で「湯の沢」に移住。まず教会(心のよりどころ)を造り、ホーム、病院(それまでの「湯の沢」は医者不在)、幼稚園、学校も建てました。アメリカやイギリスに行き、献金を募りました。草津は高原で、冬は-10℃。ストーブを買うお金を外国から送られますが、返します。「湯の沢の人々は、ストーブなしです。私だけストーブを持つことはできません。」日々(吹雪の日も)病人を見舞います。人が亡くなると、ご遺体を丁寧に洗い清め、清潔な着物を着せ、お棺に納めてお祈りしました。その前は、ハンセン病の方が谷間に捨てられたこともあり、「自分もそうなるのか」と暗い気持ちだった人々は、リーさんのすることを喜びました。人々は元気になり、人口が800人以上になりました。幼稚園の子どもたちも、リーさんが大好きでした。「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(旧約聖書 詩編84編7節)。神様の愛がリーさん(と協力者たち)を通して注がれ、「涙の地」が「喜びの地」に変えられました。
しかし日本は戦争に入り、「国民が一つとなって戦う時に、ハンセン病の人たちは役に立たない」という間違った考えが強くなり、群馬県には栗生(くりゅう)楽泉園が造られ、ハンセン病の方々を収容しました(出られない)。重監房(人権無視の象徴)もありました。「喜びの地」は消えたのです。リーさんも1941年に84才で天に召されました。私たちも、リーさんの心を学び、病や障がいを持つ方、子どもたちや高齢者を大切にする日本と世界を造りたいものです。アーメン(「真実に」)。
温泉で有名な群馬県の草津で「リーかあさま」と慕われた方がおられました(中村茂著『リーかあさまのはなし』ポプラ社)。メアリ・ヘレナ・コンウォール・リー(1857~1941年)という聖公会(イギリス系のキリスト教会)の女性宣教師です。イギリスの恵まれた家庭に生まれ、12才の頃、牧師に大切なことを聞きました。「宣教師になって外国に行き、人々の悩みと苦しみを共に背負い、寄り添って生きるこことは尊いことです。」父親が早く亡くなり、母親の世話をして家を守る責任があり、夢を実現できませんでしたが、母親が亡くなり、1907年11月に50才で来日。
草津の「湯の沢」に、ハンセン病の方々の集落がありました。今は、ハンセン病は薬で確実に治り、感染力は極めて弱く、隔離の必要もありませんが、以前は感染力が強いとの誤解により、日本でも患者の方々や家族がひどい偏見と差別に苦しみました。薬ができる前は失明したり、体が不自由になることが多かったのです。ある人がリーさんに頼みました。「草津に来て、暗い気持ちの人々が希望を持てるようにして下さい。」
リーさんは、58才で「湯の沢」に移住。まず教会(心のよりどころ)を造り、ホーム、病院(それまでの「湯の沢」は医者不在)、幼稚園、学校も建てました。アメリカやイギリスに行き、献金を募りました。草津は高原で、冬は-10℃。ストーブを買うお金を外国から送られますが、返します。「湯の沢の人々は、ストーブなしです。私だけストーブを持つことはできません。」日々(吹雪の日も)病人を見舞います。人が亡くなると、ご遺体を丁寧に洗い清め、清潔な着物を着せ、お棺に納めてお祈りしました。その前は、ハンセン病の方が谷間に捨てられたこともあり、「自分もそうなるのか」と暗い気持ちだった人々は、リーさんのすることを喜びました。人々は元気になり、人口が800人以上になりました。幼稚園の子どもたちも、リーさんが大好きでした。「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」(旧約聖書 詩編84編7節)。神様の愛がリーさん(と協力者たち)を通して注がれ、「涙の地」が「喜びの地」に変えられました。
しかし日本は戦争に入り、「国民が一つとなって戦う時に、ハンセン病の人たちは役に立たない」という間違った考えが強くなり、群馬県には栗生(くりゅう)楽泉園が造られ、ハンセン病の方々を収容しました(出られない)。重監房(人権無視の象徴)もありました。「喜びの地」は消えたのです。リーさんも1941年に84才で天に召されました。私たちも、リーさんの心を学び、病や障がいを持つ方、子どもたちや高齢者を大切にする日本と世界を造りたいものです。アーメン(「真実に」)。
2024-09-01 0:59:54()
説教「父の家におられるイエス様」2024年9月1日(日)聖霊降臨節第16主日礼拝
順序:招詞ルカ15:7,頌栄29、主の祈り,交読詩編137、使徒信条、讃美歌21・209、創世記22:9~18,ルカ福音書2:41~52、祈祷、説教、祈祷、讃美歌520、献金、頌栄83(1節)、祝祷。
(創世記22:9~18) 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
(ルカ福音書2:41~52) さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第16主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書2章41~52節、説教題は「父の家におられるイエス様」です。
小見出しは、「神殿での少年イエス」です。
イエス様が生まれて12年がたちました。両親によって神殿で献げられて、そして一家でガリラヤのナザレに帰り、12年がたちました。本日の直前の40節が、イエス様の12年間を描写しています。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」そして本日の41節です。「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。」イスラエル人の成人男子は、旧約聖書の掟により、年三回、春の過越祭、初夏の五旬祭(ペンテコステ)、秋の仮庵祭のために、エルサレムに行くことが命じられていました。女性にはこの義務はなかったのですが、信仰熱心な家庭では、同じようにする女性も少なくなかったそうです。しかし次第に、年三回エルサレムに行くことが負担だったのか、一年に一回、過越祭の時期に行けばよいという習慣になったそうです。マリアとヨセフも、この習慣に従っていたようです。
42節「イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」12歳が一つのポイントで、当時のイスラエルでは、男子が12歳になると、「律法の子」(バルミツパ)と呼ばれ、子ども時代を終えて、断食することを教わりはじめ、13才になると青年期に入り、神様との契約に生きる男子(契約のしるしである割礼は、既に生まれて8日目に受けている)として、成人としての信仰的な義務に入ることが求められました。12歳のイエス様、大人の仲間入りをする年齢に達した少年イエス様が、出エジプトの恵みを記念する大事な過越祭に参加するために、首都エルサレムに行ったことに意味があります。
43節「祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。」ナザレの村人たちが、一体となって行動していました。エルサレムに向かって旅する中で、彼らは詩編を歌ったと思われます。たとえば詩編121編です。「都に上る歌」が題ですから。「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守って下さるように。見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守って下さるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守って下さるように。今も、そしてとこしえに。」
このような詩編を歌いながら、励まし合いながらエルサレムに向かったと思われます。そして過越祭を終えて帰るときも、やはり村人一体で行動しました。ある解説によると、先頭は女性たち、そのあとに男性たちが従い、子どもは母親と一緒に、青年男子は父と一緒に行動したそうです。それでマリアは、イエス様がヨセフと一緒にいるだろうと思い、ヨセフは、「イエスはマリアと一緒にいるのだろう」と思い、息子イエスの不在に気づかなかったと書いています。その可能性はあります。
44~45節「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のり(おそらく約15キロ)を行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。」イエス様を見失ったのです。これはただ姿を見失っただけでなく、イエス様がどのような方か、イエス様の本質を見失って理解できないでいた、ことを意味します。46~47節「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人々は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」
三日後に、イエス様を神殿でようやく発見できました。その間両親は、特に母親のマリアは、「誘拐されたのではないか。追剥に襲われ、殺されたのではないか」と心痛に胸がつぶれる思いだったに違いありません。三日という言葉には意味があると思われます。イエス様が十字架の死から三日目に復活されて、神の子の本質を明らかにされたことと同様に、マリアとヨセフは三日後に、イエス様の言葉によって、イエス様の本質を示されたのです。見つかったイエス様は、神殿の境内で学者たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問しておられました。「座る」ということは、基本的に「神様の御言葉を聴く」、「神様の御言葉を教えてもらう」姿勢を意味します。
48節「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。』」これは母親として、実に当然の言葉です。しかし、イエス様は両親から見れば、意外なことを言われます。49節「すると、イエスは言われた。『どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」このイエス様の言葉は、このルカによる福音書において、イエス様は発した最初の言葉です。ここまでイエス様自身が語られた御言葉は、ルカによる福音書においてなかったのですが、これがイエス様の第一声です。「どうして私を捜したのですか」と言われてマリアは、さぞ心外だったでしょう。両親が青くなって子どもを捜すのは当然ですから。
しかしイエス様の御言葉が、大切ですね。「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」「当たり前」という言葉は、原文のギリシア語で「デイ」という小さな言葉で、「当たり前」「当然」「必然」を意味する、聖書で重要な言葉です。「神の必然」「神の御心だ」という強い意味を持っています。「私が自分の父の家にいるのは当たり前(デイ)だということを、知らなかったのですか。」神様を「自分の父」と呼んでいますから、イエス様はここで「私は神の子だ」と宣言していることになります。「私は神の子なのだから、父なる神の家である神殿こそ、私に最もふさわしい場所だ」と言っておられます。考えてみれば12年前に、両親は、イエス様をこの神殿に献げに来て、献げたのです。実際には当時の規定に従って、鳩二羽を神様に献げて、イエス様の身代わりにしたのですが、イエス様を献げに神殿に来たことは事実です。あの12年前の両親がイエス様を父なる神様に献げたことは、意味の深い行為で、あの時からイエス様の全人生は父なる神様に献げられています。0才だったイエス様にその記憶はなかったかもしれませんが、「あなたを献げに神殿に行って、代わりに鳩二羽を献げたのだよ」と、マリアとヨセフがイエス様に語ったこともあったと思います。そう言われたことも幼いイエス様の心に深く残って、あの時自分が献げられた神殿こそ私に最もふさわしい居場所、私の人生は、父なる神様を第一に愛し、父なる神様に自分を献げきる人生」と、イエス様は12歳にして既に、自覚しておられたと思われます。両親がイエス様を12年前に神殿で献げた信仰の行為が、イエス様がご自分で神殿に留まられた行為によって、1つの完成に達しています。そしてイエス様は、約18年後に、本格的に父なる神様に従う生涯に入られるのです。
「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」これが最も自然な訳ですがこの御言葉については、次のようなやや大胆な訳もあります。昔イギリスで訳された欽定訳(King James Version)という英語圏で有名な(権威あるとされる)訳ではこうなっています。「私が私の父の仕事の中にいなければならないことを知らなかったのですか。」仕事はビジネスという言葉ですが、もちろんお金儲けのビジネスではなく、務めの意味です。なぜこのような訳が可能かというと、「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」とイエス様はおっしゃっていますが、実は原文には「家」という言葉はないことを、私は今回発見しました。イエス様の言葉をやや厳密に訳すと、「私は自分の父からのものの中にいなければならない」です。「父からのもの」を大抵は場所・神殿だと考えて「父の家に」と訳していて、それが一番自然です。しかし「家」という言葉がない以上、ほかの訳も可能で、「父からのもの」を「父からの仕事」と訳すことも可能です。そこで欽定訳は、「私が私の父の仕事の中にいなければならないことを知らなかったのですか」と訳しているのですね。この訳にも捨てがたい魅力があると思われます。私は30年以上前に、この読み方による説教を聴いた記憶があり、説教題は「父さんの仕事」でした。2種類の訳の両方正しいので、イエス様が父なる神様を愛して、神の家である神殿におられること、父なる神様の御心に従って神の仕事に生きて最後は十字架に向かわれること、の2点の間に矛盾なしです。
イエス様は肉親のヨセフとマリアを愛しながらも、遂には父なる神様に従う道を優先して行かれます。その自覚の最初の芽生えが、「私が自分の父の家にいるのは当たり前」の御言葉に現れています。これがルカによる福音書におけるイエス様の第一声であることを思う時、最も重要なご自分の意志を、第一声で宣言されたことの重みを、感じ取りたいものです。「私は父なる神様に従うことを最優先します。」
50節「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」イエス様の十字架の死と復活の後、マリアもイエス様のご生涯の深い意味を、ようやく完全に悟ったに違いありません。ヨセフはこの後、全く登場しないので、イエス様の十字架より前に、天国に行ったと思われます。51節「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。」30才で伝道のために立ち上がられるまで、両親に仕え、きっと弟妹たちの世話もして生活されたと思われます。モーセの十戒の第五の戒めの「父母を敬え」を実践して、暮らされたのです。
マリアとヨセフから見れば、我が子を父なる神様に献げることになりました。親子の情を超えて、神様に従った結果です。ヨセフはイエス様の十字架を自分で見ることはなかったと思われますが、マリアさんはそれを見届けたのですから、その辛さは並大抵ではなかったと思います。三日目の復活で報われて、よかったです。
旧約聖書にもヨセフとマリアと似た経験をした人がいます。信仰の父アブラハムです。創世記22章です。アブラハムは、神様によって信仰を試されました。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物として献げなさい。」アブラハムは、心の中の葛藤があったでしょうが、神様に従います。「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、『アブラハム、アブラハム』と呼びかけた。彼が、『はい』と答えると、御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」こうしてイサクは命を差し出さずに済んだのですが、神様はアブラハムの信仰を、本物と認めて下さいました。
神様は、アブラハムに意地悪をなさったのではないと思います。神様はアブラハムに、「あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしに献げることを惜しまなかった」と言われました。後日、神様はアブラハムと同じ立場に身を置かれます。神様ご自身が「最愛の独り子イエス・キリストを、惜しむことなく十字架におかけになったのですから。私たち罪人(つみびと)の罪が赦されるためには、他の道が全くなかったのですから。その前にアブラハムが信仰を試され、息子イサクとの親子の愛を乗り越えて、神様を第一に愛するかどうかを試されました。アブラハムの場合は、イサクが命を落とさずに済んだのですが、マリアとヨセフの場合は違いました。マリアとヨセフの場合は、愛するイエス様が十字架に架けられました。特にマリアは、それを見届けることになりました。マリアは、アブラハムよりさらに深く、父なる神様に従ったことになります。その意味で、マリアの信仰は、アブラハムの信仰を超えたと言えると思うのです。
ですが、マリアだけが辛い思いをしたのではありません。父なる神様ご自身も、同じ痛みを耐え忍ばれました。父なる神様も愛してやまない神の独り子イエス・キリストを十字架におかけになり、愛する我が子を死に追いやる苦痛を耐え忍んで下さいました。イエス様の十字架をリアルに描いた『パッション』という映画がありましたが、映画の最後に、天から一滴の涙が落ちる場面があります。それは映画の演出ですが、父なる神様の深い痛みと悲しみを表現した涙だったと思います。
イエス様は両親を敬愛しておられましたが、同時に父なる神様に従うことを最優先されました。信仰には、このような面があります。皆様の体験しておられると思います。12~13世紀に生きたイタリア人・アッシジのフランチェスコは、父親がフランチェスコに世間での成功を願って色々な物を与えたようです。フランチェスコ自身も非常に若いころは、戦争に行って手柄を立てようとしたのですが、実際に戦争に行ってみると、残酷なとんでもないことであることを体験して挫折し、信仰の道に自分の希望を見出すようになります。世間での成功を息子に求める父親と対立します。そこでフランチェスコは、お父さんが買ってくれたきらびやかな服を全部脱ぎ捨てて、素っ裸になってイエス・キリストに従う道を歩むようになります。信仰にはこのような面がありますね。父なる神様に、イエス・キリストに第一に従う。
イエス様の場合は、両親に仕えたのですから、両親を敬愛していたことは確かですが、だからと言って当時の普通の長男の生き方をすることはせず、特に30才からは父なる神様にひたすら従うことを第一とする生き方を貫かれました。そして十字架にかかるまでに、父なる神様に従い切られました。イエス様は「父の仕事」を最優先されたのです。私たちにも、同じ父なる神様からの務めが託されています。それはイエス・キリストを宣べ伝え、神の御言葉を宣べ伝えることです。もちろん身の周りの色々な責任も果たす必要がありますが、しかし父なる神様から託されているイエス・キリストを宣べ伝える使命にも、共に全力で取り組んで参りましょう。アーメン。
(創世記22:9~18) 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
(ルカ福音書2:41~52) さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第16主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、ルカによる福音書2章41~52節、説教題は「父の家におられるイエス様」です。
小見出しは、「神殿での少年イエス」です。
イエス様が生まれて12年がたちました。両親によって神殿で献げられて、そして一家でガリラヤのナザレに帰り、12年がたちました。本日の直前の40節が、イエス様の12年間を描写しています。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」そして本日の41節です。「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。」イスラエル人の成人男子は、旧約聖書の掟により、年三回、春の過越祭、初夏の五旬祭(ペンテコステ)、秋の仮庵祭のために、エルサレムに行くことが命じられていました。女性にはこの義務はなかったのですが、信仰熱心な家庭では、同じようにする女性も少なくなかったそうです。しかし次第に、年三回エルサレムに行くことが負担だったのか、一年に一回、過越祭の時期に行けばよいという習慣になったそうです。マリアとヨセフも、この習慣に従っていたようです。
42節「イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」12歳が一つのポイントで、当時のイスラエルでは、男子が12歳になると、「律法の子」(バルミツパ)と呼ばれ、子ども時代を終えて、断食することを教わりはじめ、13才になると青年期に入り、神様との契約に生きる男子(契約のしるしである割礼は、既に生まれて8日目に受けている)として、成人としての信仰的な義務に入ることが求められました。12歳のイエス様、大人の仲間入りをする年齢に達した少年イエス様が、出エジプトの恵みを記念する大事な過越祭に参加するために、首都エルサレムに行ったことに意味があります。
43節「祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。」ナザレの村人たちが、一体となって行動していました。エルサレムに向かって旅する中で、彼らは詩編を歌ったと思われます。たとえば詩編121編です。「都に上る歌」が題ですから。「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守って下さるように。見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守って下さるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守って下さるように。今も、そしてとこしえに。」
このような詩編を歌いながら、励まし合いながらエルサレムに向かったと思われます。そして過越祭を終えて帰るときも、やはり村人一体で行動しました。ある解説によると、先頭は女性たち、そのあとに男性たちが従い、子どもは母親と一緒に、青年男子は父と一緒に行動したそうです。それでマリアは、イエス様がヨセフと一緒にいるだろうと思い、ヨセフは、「イエスはマリアと一緒にいるのだろう」と思い、息子イエスの不在に気づかなかったと書いています。その可能性はあります。
44~45節「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のり(おそらく約15キロ)を行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。」イエス様を見失ったのです。これはただ姿を見失っただけでなく、イエス様がどのような方か、イエス様の本質を見失って理解できないでいた、ことを意味します。46~47節「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人々は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」
三日後に、イエス様を神殿でようやく発見できました。その間両親は、特に母親のマリアは、「誘拐されたのではないか。追剥に襲われ、殺されたのではないか」と心痛に胸がつぶれる思いだったに違いありません。三日という言葉には意味があると思われます。イエス様が十字架の死から三日目に復活されて、神の子の本質を明らかにされたことと同様に、マリアとヨセフは三日後に、イエス様の言葉によって、イエス様の本質を示されたのです。見つかったイエス様は、神殿の境内で学者たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問しておられました。「座る」ということは、基本的に「神様の御言葉を聴く」、「神様の御言葉を教えてもらう」姿勢を意味します。
48節「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。』」これは母親として、実に当然の言葉です。しかし、イエス様は両親から見れば、意外なことを言われます。49節「すると、イエスは言われた。『どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」このイエス様の言葉は、このルカによる福音書において、イエス様は発した最初の言葉です。ここまでイエス様自身が語られた御言葉は、ルカによる福音書においてなかったのですが、これがイエス様の第一声です。「どうして私を捜したのですか」と言われてマリアは、さぞ心外だったでしょう。両親が青くなって子どもを捜すのは当然ですから。
しかしイエス様の御言葉が、大切ですね。「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」「当たり前」という言葉は、原文のギリシア語で「デイ」という小さな言葉で、「当たり前」「当然」「必然」を意味する、聖書で重要な言葉です。「神の必然」「神の御心だ」という強い意味を持っています。「私が自分の父の家にいるのは当たり前(デイ)だということを、知らなかったのですか。」神様を「自分の父」と呼んでいますから、イエス様はここで「私は神の子だ」と宣言していることになります。「私は神の子なのだから、父なる神の家である神殿こそ、私に最もふさわしい場所だ」と言っておられます。考えてみれば12年前に、両親は、イエス様をこの神殿に献げに来て、献げたのです。実際には当時の規定に従って、鳩二羽を神様に献げて、イエス様の身代わりにしたのですが、イエス様を献げに神殿に来たことは事実です。あの12年前の両親がイエス様を父なる神様に献げたことは、意味の深い行為で、あの時からイエス様の全人生は父なる神様に献げられています。0才だったイエス様にその記憶はなかったかもしれませんが、「あなたを献げに神殿に行って、代わりに鳩二羽を献げたのだよ」と、マリアとヨセフがイエス様に語ったこともあったと思います。そう言われたことも幼いイエス様の心に深く残って、あの時自分が献げられた神殿こそ私に最もふさわしい居場所、私の人生は、父なる神様を第一に愛し、父なる神様に自分を献げきる人生」と、イエス様は12歳にして既に、自覚しておられたと思われます。両親がイエス様を12年前に神殿で献げた信仰の行為が、イエス様がご自分で神殿に留まられた行為によって、1つの完成に達しています。そしてイエス様は、約18年後に、本格的に父なる神様に従う生涯に入られるのです。
「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」これが最も自然な訳ですがこの御言葉については、次のようなやや大胆な訳もあります。昔イギリスで訳された欽定訳(King James Version)という英語圏で有名な(権威あるとされる)訳ではこうなっています。「私が私の父の仕事の中にいなければならないことを知らなかったのですか。」仕事はビジネスという言葉ですが、もちろんお金儲けのビジネスではなく、務めの意味です。なぜこのような訳が可能かというと、「私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」とイエス様はおっしゃっていますが、実は原文には「家」という言葉はないことを、私は今回発見しました。イエス様の言葉をやや厳密に訳すと、「私は自分の父からのものの中にいなければならない」です。「父からのもの」を大抵は場所・神殿だと考えて「父の家に」と訳していて、それが一番自然です。しかし「家」という言葉がない以上、ほかの訳も可能で、「父からのもの」を「父からの仕事」と訳すことも可能です。そこで欽定訳は、「私が私の父の仕事の中にいなければならないことを知らなかったのですか」と訳しているのですね。この訳にも捨てがたい魅力があると思われます。私は30年以上前に、この読み方による説教を聴いた記憶があり、説教題は「父さんの仕事」でした。2種類の訳の両方正しいので、イエス様が父なる神様を愛して、神の家である神殿におられること、父なる神様の御心に従って神の仕事に生きて最後は十字架に向かわれること、の2点の間に矛盾なしです。
イエス様は肉親のヨセフとマリアを愛しながらも、遂には父なる神様に従う道を優先して行かれます。その自覚の最初の芽生えが、「私が自分の父の家にいるのは当たり前」の御言葉に現れています。これがルカによる福音書におけるイエス様の第一声であることを思う時、最も重要なご自分の意志を、第一声で宣言されたことの重みを、感じ取りたいものです。「私は父なる神様に従うことを最優先します。」
50節「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」イエス様の十字架の死と復活の後、マリアもイエス様のご生涯の深い意味を、ようやく完全に悟ったに違いありません。ヨセフはこの後、全く登場しないので、イエス様の十字架より前に、天国に行ったと思われます。51節「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。」30才で伝道のために立ち上がられるまで、両親に仕え、きっと弟妹たちの世話もして生活されたと思われます。モーセの十戒の第五の戒めの「父母を敬え」を実践して、暮らされたのです。
マリアとヨセフから見れば、我が子を父なる神様に献げることになりました。親子の情を超えて、神様に従った結果です。ヨセフはイエス様の十字架を自分で見ることはなかったと思われますが、マリアさんはそれを見届けたのですから、その辛さは並大抵ではなかったと思います。三日目の復活で報われて、よかったです。
旧約聖書にもヨセフとマリアと似た経験をした人がいます。信仰の父アブラハムです。創世記22章です。アブラハムは、神様によって信仰を試されました。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物として献げなさい。」アブラハムは、心の中の葛藤があったでしょうが、神様に従います。「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、『アブラハム、アブラハム』と呼びかけた。彼が、『はい』と答えると、御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」こうしてイサクは命を差し出さずに済んだのですが、神様はアブラハムの信仰を、本物と認めて下さいました。
神様は、アブラハムに意地悪をなさったのではないと思います。神様はアブラハムに、「あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしに献げることを惜しまなかった」と言われました。後日、神様はアブラハムと同じ立場に身を置かれます。神様ご自身が「最愛の独り子イエス・キリストを、惜しむことなく十字架におかけになったのですから。私たち罪人(つみびと)の罪が赦されるためには、他の道が全くなかったのですから。その前にアブラハムが信仰を試され、息子イサクとの親子の愛を乗り越えて、神様を第一に愛するかどうかを試されました。アブラハムの場合は、イサクが命を落とさずに済んだのですが、マリアとヨセフの場合は違いました。マリアとヨセフの場合は、愛するイエス様が十字架に架けられました。特にマリアは、それを見届けることになりました。マリアは、アブラハムよりさらに深く、父なる神様に従ったことになります。その意味で、マリアの信仰は、アブラハムの信仰を超えたと言えると思うのです。
ですが、マリアだけが辛い思いをしたのではありません。父なる神様ご自身も、同じ痛みを耐え忍ばれました。父なる神様も愛してやまない神の独り子イエス・キリストを十字架におかけになり、愛する我が子を死に追いやる苦痛を耐え忍んで下さいました。イエス様の十字架をリアルに描いた『パッション』という映画がありましたが、映画の最後に、天から一滴の涙が落ちる場面があります。それは映画の演出ですが、父なる神様の深い痛みと悲しみを表現した涙だったと思います。
イエス様は両親を敬愛しておられましたが、同時に父なる神様に従うことを最優先されました。信仰には、このような面があります。皆様の体験しておられると思います。12~13世紀に生きたイタリア人・アッシジのフランチェスコは、父親がフランチェスコに世間での成功を願って色々な物を与えたようです。フランチェスコ自身も非常に若いころは、戦争に行って手柄を立てようとしたのですが、実際に戦争に行ってみると、残酷なとんでもないことであることを体験して挫折し、信仰の道に自分の希望を見出すようになります。世間での成功を息子に求める父親と対立します。そこでフランチェスコは、お父さんが買ってくれたきらびやかな服を全部脱ぎ捨てて、素っ裸になってイエス・キリストに従う道を歩むようになります。信仰にはこのような面がありますね。父なる神様に、イエス・キリストに第一に従う。
イエス様の場合は、両親に仕えたのですから、両親を敬愛していたことは確かですが、だからと言って当時の普通の長男の生き方をすることはせず、特に30才からは父なる神様にひたすら従うことを第一とする生き方を貫かれました。そして十字架にかかるまでに、父なる神様に従い切られました。イエス様は「父の仕事」を最優先されたのです。私たちにも、同じ父なる神様からの務めが託されています。それはイエス・キリストを宣べ伝え、神の御言葉を宣べ伝えることです。もちろん身の周りの色々な責任も果たす必要がありますが、しかし父なる神様から託されているイエス・キリストを宣べ伝える使命にも、共に全力で取り組んで参りましょう。アーメン。
2024-08-17 21:49:32(土)
説教「愛によって歩みなさい」 2024年8月18日(日)聖霊降臨節第14主日礼拝
順序:招詞 ガラテヤ5:22~23,頌栄28、主の祈り,交読詩編135、使徒信条、讃美歌21・7、イザヤ書53:10~12,エフェソの信徒への手紙5:1~5、祈祷、説教、祈祷、讃美歌567、献金、頌栄27、祝祷。
(イザヤ書53:10~12) 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。
(エフェソの信徒への手紙5:1~5) あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第14主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、エフェソの信徒への手紙5章1~5節、説教題は「愛によって歩みなさい」です。
小見出しで言うと、4章25節から始まった「新しい生き方」の続きです。本日の直前の4章32節には、「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなた方を赦して下さったように、赦し合いなさい」です。
そして本日の5章1節になります。「あなた方は神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。」私たちは「神に愛されている神の子ども」だと分かります。イエス・キリストが真の神の子なので、イエス様を信じる私たちも、イエス様のように完全ではなく、まだ罪があるにも関わらず、神の子どもたちとされています。ですが続く言葉には、「え?」と思うのではないでしょうか。「神に倣う者となりなさい。」私の調べた限りでは、「神に倣う」という言い方は、旧約聖書・新約聖書全体の中で、ここ1か所のみです。創世記によると、確かに私たち人間は皆「神に似せて」造られました。よき者に造られたのです。ところがその後、悪魔の誘惑に負けて、罪に落ち込んでしまい、「神に似た」姿が損なわれました。罪人(つみびと)になりました。その罪人(つみびと)である私たちが、「聖なる愛なる神様に倣う」ことなど、できそうにないと感じます。
しかしパウロが「あなた方は、神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい」と勧めている以上、ある程度は可能なのだと思います。キリスト者一人一人の内には、神様の愛と清さに満ちた聖霊が生きて住んでおられます。ですから聖霊に助けられて、たとえばモーセの十戒の戒め1つ1つを行うならば、不完全ではあっても「神に倣う生き方」を実行することになります。これは神様がイエス様の十字架によって私たちを愛して下さった熱烈な愛への感謝の応答として、行うことです。「神に倣う者なりなさい」と全く同じ言い方は聖書の他の個所にありませんが、似た言葉ならあります。マタイ福音書5章48節です。「だから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい。」これは、イエス様の十字架の愛によってのみ神の子とされ、永遠の命を受けた私たちが、聖霊に助けられて、神の愛を一歩ずつ行いなさい、ということと思います。私たちが地上にある限り完全は無理で、天国に入った時に、全く罪のない完全な者になります。それでも、地上にあって、聖霊に助けられて神の愛を一歩ずつ行いなさい、ということと思います。「神が完全であられるように、あなた方も完全な者になれ。」これは永遠の目標、生涯の目標ですね。カトリックの曽野綾子さんの言葉だったと記憶していますが、「達成不可能と思える高い理想を掲げるのが宗教の役割」だと。そのような見方もあり得ると思います。達成不可能と思える御言葉ですが、身近な小さな愛から実行するとよいと思います。
このマタイ福音書5章では、「完全な者になる」「神に倣う者となる」ことの具体的なこととして、イエス様がこう語られるのですね。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなた方の天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。」神は悪人にも善人にも平等に雨を降らせ、いわば敵を愛する愛の持ち主なので、あなた方キリストの弟子も、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈り、神に倣う者となりなさい、ということです。神に倣う、キリストに倣い、キリストに従う。これは確かにキリスト者の生き方です。まるでエベレスト8868mの頂上まで登れと言われたほどの、目もくらむ高い理想ですが、「千里の道も一歩から」の思いで、身近なところから実行を心がけたいと思います。
エフェソに戻り2節「キリストが、私たちを愛して御自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったように、あなた方も愛によって歩みなさい。」イエス様が私たちの全部の罪を身代わりに背負って十字架で死なれたことを、イエス様が「御自分を香りのよい供え物」として、父なる神様に献げて下さったのだと、述べています。「香りのよい」を原文で見ると「かおり」を意味する2つのギリシア語が並んでおり、「香りのよさ」を強調していると読めます。口語訳聖書は「かんばしい香り」と訳し、新改訳聖書は「こうばしい香り」と訳しています。「かおり」を意味する2つのギリシア語が並んでいる2つ目は「ユーオーディア」という言葉です。クリスチャン音楽家のユーオーディアという団体があり、東久留米教会も毎年お世話になっています。クリスマス前のコンサートを、ほとんど毎年、ユーオーディアの音楽家の方に来ていただいて行っています。ユーオーディアは音楽伝道の団体、その演奏とご自分たちを「神への香りのよい献げ物」として献げたいとの信仰により、ユーオーディアと名乗られたのだと思います。
その原点は、イエス様ご自身が十字架で「香りのよい献げ物」として、ご自分の全存在を父なる神様に献げて下さった事実です。ノアの時代、洪水の後、ノアは祭壇を築いて、全ての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として神様に献げました。神様はこのよき宥めの香りをかいで、御心に言われました。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。」同じように父なる神様は、十字架のイエス様という香りのよい献げ物を喜ばれ、「イエス・キリストを信じる者を呪うことは決してしない」と思っておられると思います。
旧約聖書の時代は、毎日神殿で祭司たちが、動物のいけにえを献げていました。人間たちの罪を、神様に赦していただくためです。いけにえの血が流されました。気持ち悪い光景です。でもそこには理由があります。血は命そのものです。血を流すことなしに、罪の赦しはあり得ないのが神様の掟です。ですから人間を殺して罪の償いをする代わりに、牛や羊という動物に死んでもらって、人間の罪を神様に赦していただいていたのでした。しかし人間の罪の赦しのために、動物では本当は不十分です。全ての人間の全ての罪が赦されるためには、全く罪なき神の子がいけにえになる以外に、道がありません。そこで時が満ちて、神の子イエス・キリストが、いけにえになって下さいました。イエス様が十字架で死んで、罪に対する父なる神様の正しい怒りを全て満たして下さいました。
本日の旧約聖書であるイザヤ書53章は、イエス様の十字架の贖い(私たちの救い)を予告する非常に有名な個所です。10節の2行目から「彼(イエス様)は自らを償いの献げ物とした。彼は子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。」イエス様は、ご自分の十字架のゆえに、救われ永遠の命を受けて行く人々を見て、「十字架で苦しんだ甲斐があった」と喜び、満足しておられるでしょう。そしてこれからも、イエス・キリストを救い主と信じて永遠の命を受ける方々が、さらに増えることを喜ばれるに違いありません。
「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さった。」この部分は、パウロが当時の讃美歌、または信仰告白文の一部を引用して語っているのかもしれない、という説もあります。私にはその説が正しいかどうか分かりませんが、でも今でもこの御言葉を讃美歌の歌詞にして歌っても、確かに美しい歌詞になると思えます。「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さった!」
このユーオーディア(良い香り)という言葉は、コリントの信徒への手紙(二)2章15節にも出て来ます。「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神に献げられた良い香りです。」イエス・キリストに身を献げているパウロとその同労者(共に奉仕する者たち)も、「神に献げられた良い香り(ユーオーディア)」だと書かれています。エフェソ5章2節には、「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったしように、あなた方も愛によって歩みなさい」とあるわけですが、イエス様に従って愛に生きようとする私たち一人一人もまた、「神に献げられた良い香り(ユーオーディア)」になります。日本でキリスト者の家庭に女の子が生まれると、しばしば「かおりさん」と名付けられて来たと思いますが、「キリストの芳ばしい香り」の意味で名付けられるのだと思います。
ユーオーディアという言葉は、フィリピの信徒への手紙4章18節にもあります。これは貧しい伝道者パウロが、フィリピの教会の人々から物質的な支援を受けたときの感謝を記す御言葉です。「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けて下さるいけにえです。」この「香ばしい」がユーオーディアです。私たちが献げる献金、経済的に苦しい伝道者のために送る献金、能登半島地震のために送る献金は、神が喜んで下さるユーオーディア(香ばしい香り)であるに違いありません。
エフェソ5章2節の「香りの良い」には、かおりを意味するギリシア語が2つ並んでいると申しました。その1つがユーオーディアですが、もう1つの言葉があります。そのもう1つの言葉は、ヨハネ福音書12章3節に出てきます。兄弟ラザロを生き返らせていただいたマリア(イエス様の母ではない)が、感謝のあまり「純粋で非常に高価なナルド(インドの産地の地名)の香油を1リトラ(約326g)持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。」イエス様もご自分を香りのよい供え物として十字架にかかって、ご自分の全存在を父なる神様に献げられたのですが、ここでは兄弟ラザロを生き返らせて下さったイエス様への全身全霊の感謝を込めて、マリアがイエス様に献げた非常に高価なナルド産の香油が、目の覚めるような香ばしい香りを家中に放ったのです。これは金額が高いことがよいというよりも、マリアが心の底からの純粋な愛をイエス様にお献げしたことが、イエス様に喜ばれたに違いありません。私たちもイエス様の十字架の愛に感謝して献金を献げますが、さらに大切なことは、私たちが自分自身をイエス様に、父なる神様にお献げすることでしょう。
もう一度5章2節「キリストが私たちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったように。あなた方も愛によって歩みなさい。」この愛は、アガペーというギリシア語です。イエス様の十字架の犠牲の愛に、深い感謝をもって応答し、聖霊なる神様に助けられて、神を愛し、隣人を愛して歩みなさい。これが本日の個所の中心です。この「新しい生き方」の小見出しの部分全体の中心が5章1~2節と言えます。4章25節から次第に盛り上がってゆき、5章1~2節でピークに達します。この先は、愛による生き方を、もう一度具体的に示します。3~4節「あなた方の間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことや色々の汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑猥な言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも感謝を表しなさい。」キリスト者は「聖なる者」。私たちの中にまだ罪が残っていますが、私たちの内に聖霊が住んでおられるので、そのお陰で私たちは「聖なる者」です。
「みだらなこと」は、元の言葉でポルネイアです。ポルノという言葉の語源と思います。性的不品行と言えます。姦淫、不倫とも言えます。「それよりも感謝を表しなさい。」私たちは残念ながらまだ、感謝よりも不平不満の多い者かもしれません。ヒットラーに抵抗したボンヘッファーというドイツの牧師が『共に生きる生活』という大変深い信仰の本を書いていますが、その中でこう言います。「小さなことに感謝する者だけが、大きなものをも受けるのである。~私たちは~日毎の小さな(それは本当は決して小さくはない!)賜物に感謝することを忘れている。しかし、小さなものをも感謝して神の御手から受けようとしない者に、神はどうして大きなものを委託することができるだろうか。」
5節「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり偶像礼拝者は、キリストと神の国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。」ある説教者は語ります。「キリスト者は、性的不品行の罪と貪欲の罪と決別した。」3~5節に色々な罪が挙げられていますが、「みだら」「貪欲」等が二回挙げられています。この2つの罪に負けるように唆す誘惑が、悪魔からしつこく来ることを警戒しなさいということと思います。コロサイの信徒への手紙3章5節には、「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と、貪欲の悪質さが強調されています。
モーセの十戒で言うと、「みだらを避ける」ことは第七の戒めの「姦淫してはならない」に当てはまります。「貪欲なことを口にしてはなりません」は、第十の戒めの「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲してはならない」に当てはまります。イエス・キリストの十字架の愛の熱烈な愛を知り、この熱烈な愛に触れて感謝に満たされ、この愛に応答して生きようと志すならば、自然にこれらの罪と決別してゆけるはずです。最後にもう一度、5章2節をお読み致します。「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さったように、あなた方も愛によって歩みなさい。アーメン。
(イザヤ書53:10~12) 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。
(エフェソの信徒への手紙5:1~5) あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。
(説教) 本日は、聖霊降臨節第14主日公同礼拝の公同礼拝です。新約聖書は、エフェソの信徒への手紙5章1~5節、説教題は「愛によって歩みなさい」です。
小見出しで言うと、4章25節から始まった「新しい生き方」の続きです。本日の直前の4章32節には、「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなた方を赦して下さったように、赦し合いなさい」です。
そして本日の5章1節になります。「あなた方は神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。」私たちは「神に愛されている神の子ども」だと分かります。イエス・キリストが真の神の子なので、イエス様を信じる私たちも、イエス様のように完全ではなく、まだ罪があるにも関わらず、神の子どもたちとされています。ですが続く言葉には、「え?」と思うのではないでしょうか。「神に倣う者となりなさい。」私の調べた限りでは、「神に倣う」という言い方は、旧約聖書・新約聖書全体の中で、ここ1か所のみです。創世記によると、確かに私たち人間は皆「神に似せて」造られました。よき者に造られたのです。ところがその後、悪魔の誘惑に負けて、罪に落ち込んでしまい、「神に似た」姿が損なわれました。罪人(つみびと)になりました。その罪人(つみびと)である私たちが、「聖なる愛なる神様に倣う」ことなど、できそうにないと感じます。
しかしパウロが「あなた方は、神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい」と勧めている以上、ある程度は可能なのだと思います。キリスト者一人一人の内には、神様の愛と清さに満ちた聖霊が生きて住んでおられます。ですから聖霊に助けられて、たとえばモーセの十戒の戒め1つ1つを行うならば、不完全ではあっても「神に倣う生き方」を実行することになります。これは神様がイエス様の十字架によって私たちを愛して下さった熱烈な愛への感謝の応答として、行うことです。「神に倣う者なりなさい」と全く同じ言い方は聖書の他の個所にありませんが、似た言葉ならあります。マタイ福音書5章48節です。「だから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい。」これは、イエス様の十字架の愛によってのみ神の子とされ、永遠の命を受けた私たちが、聖霊に助けられて、神の愛を一歩ずつ行いなさい、ということと思います。私たちが地上にある限り完全は無理で、天国に入った時に、全く罪のない完全な者になります。それでも、地上にあって、聖霊に助けられて神の愛を一歩ずつ行いなさい、ということと思います。「神が完全であられるように、あなた方も完全な者になれ。」これは永遠の目標、生涯の目標ですね。カトリックの曽野綾子さんの言葉だったと記憶していますが、「達成不可能と思える高い理想を掲げるのが宗教の役割」だと。そのような見方もあり得ると思います。達成不可能と思える御言葉ですが、身近な小さな愛から実行するとよいと思います。
このマタイ福音書5章では、「完全な者になる」「神に倣う者となる」ことの具体的なこととして、イエス様がこう語られるのですね。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなた方の天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。」神は悪人にも善人にも平等に雨を降らせ、いわば敵を愛する愛の持ち主なので、あなた方キリストの弟子も、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈り、神に倣う者となりなさい、ということです。神に倣う、キリストに倣い、キリストに従う。これは確かにキリスト者の生き方です。まるでエベレスト8868mの頂上まで登れと言われたほどの、目もくらむ高い理想ですが、「千里の道も一歩から」の思いで、身近なところから実行を心がけたいと思います。
エフェソに戻り2節「キリストが、私たちを愛して御自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったように、あなた方も愛によって歩みなさい。」イエス様が私たちの全部の罪を身代わりに背負って十字架で死なれたことを、イエス様が「御自分を香りのよい供え物」として、父なる神様に献げて下さったのだと、述べています。「香りのよい」を原文で見ると「かおり」を意味する2つのギリシア語が並んでおり、「香りのよさ」を強調していると読めます。口語訳聖書は「かんばしい香り」と訳し、新改訳聖書は「こうばしい香り」と訳しています。「かおり」を意味する2つのギリシア語が並んでいる2つ目は「ユーオーディア」という言葉です。クリスチャン音楽家のユーオーディアという団体があり、東久留米教会も毎年お世話になっています。クリスマス前のコンサートを、ほとんど毎年、ユーオーディアの音楽家の方に来ていただいて行っています。ユーオーディアは音楽伝道の団体、その演奏とご自分たちを「神への香りのよい献げ物」として献げたいとの信仰により、ユーオーディアと名乗られたのだと思います。
その原点は、イエス様ご自身が十字架で「香りのよい献げ物」として、ご自分の全存在を父なる神様に献げて下さった事実です。ノアの時代、洪水の後、ノアは祭壇を築いて、全ての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として神様に献げました。神様はこのよき宥めの香りをかいで、御心に言われました。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。」同じように父なる神様は、十字架のイエス様という香りのよい献げ物を喜ばれ、「イエス・キリストを信じる者を呪うことは決してしない」と思っておられると思います。
旧約聖書の時代は、毎日神殿で祭司たちが、動物のいけにえを献げていました。人間たちの罪を、神様に赦していただくためです。いけにえの血が流されました。気持ち悪い光景です。でもそこには理由があります。血は命そのものです。血を流すことなしに、罪の赦しはあり得ないのが神様の掟です。ですから人間を殺して罪の償いをする代わりに、牛や羊という動物に死んでもらって、人間の罪を神様に赦していただいていたのでした。しかし人間の罪の赦しのために、動物では本当は不十分です。全ての人間の全ての罪が赦されるためには、全く罪なき神の子がいけにえになる以外に、道がありません。そこで時が満ちて、神の子イエス・キリストが、いけにえになって下さいました。イエス様が十字架で死んで、罪に対する父なる神様の正しい怒りを全て満たして下さいました。
本日の旧約聖書であるイザヤ書53章は、イエス様の十字架の贖い(私たちの救い)を予告する非常に有名な個所です。10節の2行目から「彼(イエス様)は自らを償いの献げ物とした。彼は子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。」イエス様は、ご自分の十字架のゆえに、救われ永遠の命を受けて行く人々を見て、「十字架で苦しんだ甲斐があった」と喜び、満足しておられるでしょう。そしてこれからも、イエス・キリストを救い主と信じて永遠の命を受ける方々が、さらに増えることを喜ばれるに違いありません。
「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さった。」この部分は、パウロが当時の讃美歌、または信仰告白文の一部を引用して語っているのかもしれない、という説もあります。私にはその説が正しいかどうか分かりませんが、でも今でもこの御言葉を讃美歌の歌詞にして歌っても、確かに美しい歌詞になると思えます。「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さった!」
このユーオーディア(良い香り)という言葉は、コリントの信徒への手紙(二)2章15節にも出て来ます。「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神に献げられた良い香りです。」イエス・キリストに身を献げているパウロとその同労者(共に奉仕する者たち)も、「神に献げられた良い香り(ユーオーディア)」だと書かれています。エフェソ5章2節には、「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったしように、あなた方も愛によって歩みなさい」とあるわけですが、イエス様に従って愛に生きようとする私たち一人一人もまた、「神に献げられた良い香り(ユーオーディア)」になります。日本でキリスト者の家庭に女の子が生まれると、しばしば「かおりさん」と名付けられて来たと思いますが、「キリストの芳ばしい香り」の意味で名付けられるのだと思います。
ユーオーディアという言葉は、フィリピの信徒への手紙4章18節にもあります。これは貧しい伝道者パウロが、フィリピの教会の人々から物質的な支援を受けたときの感謝を記す御言葉です。「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けて下さるいけにえです。」この「香ばしい」がユーオーディアです。私たちが献げる献金、経済的に苦しい伝道者のために送る献金、能登半島地震のために送る献金は、神が喜んで下さるユーオーディア(香ばしい香り)であるに違いありません。
エフェソ5章2節の「香りの良い」には、かおりを意味するギリシア語が2つ並んでいると申しました。その1つがユーオーディアですが、もう1つの言葉があります。そのもう1つの言葉は、ヨハネ福音書12章3節に出てきます。兄弟ラザロを生き返らせていただいたマリア(イエス様の母ではない)が、感謝のあまり「純粋で非常に高価なナルド(インドの産地の地名)の香油を1リトラ(約326g)持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。」イエス様もご自分を香りのよい供え物として十字架にかかって、ご自分の全存在を父なる神様に献げられたのですが、ここでは兄弟ラザロを生き返らせて下さったイエス様への全身全霊の感謝を込めて、マリアがイエス様に献げた非常に高価なナルド産の香油が、目の覚めるような香ばしい香りを家中に放ったのです。これは金額が高いことがよいというよりも、マリアが心の底からの純粋な愛をイエス様にお献げしたことが、イエス様に喜ばれたに違いありません。私たちもイエス様の十字架の愛に感謝して献金を献げますが、さらに大切なことは、私たちが自分自身をイエス様に、父なる神様にお献げすることでしょう。
もう一度5章2節「キリストが私たちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまりいけにえとして私たちのために神に献げて下さったように。あなた方も愛によって歩みなさい。」この愛は、アガペーというギリシア語です。イエス様の十字架の犠牲の愛に、深い感謝をもって応答し、聖霊なる神様に助けられて、神を愛し、隣人を愛して歩みなさい。これが本日の個所の中心です。この「新しい生き方」の小見出しの部分全体の中心が5章1~2節と言えます。4章25節から次第に盛り上がってゆき、5章1~2節でピークに達します。この先は、愛による生き方を、もう一度具体的に示します。3~4節「あなた方の間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことや色々の汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑猥な言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも感謝を表しなさい。」キリスト者は「聖なる者」。私たちの中にまだ罪が残っていますが、私たちの内に聖霊が住んでおられるので、そのお陰で私たちは「聖なる者」です。
「みだらなこと」は、元の言葉でポルネイアです。ポルノという言葉の語源と思います。性的不品行と言えます。姦淫、不倫とも言えます。「それよりも感謝を表しなさい。」私たちは残念ながらまだ、感謝よりも不平不満の多い者かもしれません。ヒットラーに抵抗したボンヘッファーというドイツの牧師が『共に生きる生活』という大変深い信仰の本を書いていますが、その中でこう言います。「小さなことに感謝する者だけが、大きなものをも受けるのである。~私たちは~日毎の小さな(それは本当は決して小さくはない!)賜物に感謝することを忘れている。しかし、小さなものをも感謝して神の御手から受けようとしない者に、神はどうして大きなものを委託することができるだろうか。」
5節「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり偶像礼拝者は、キリストと神の国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。」ある説教者は語ります。「キリスト者は、性的不品行の罪と貪欲の罪と決別した。」3~5節に色々な罪が挙げられていますが、「みだら」「貪欲」等が二回挙げられています。この2つの罪に負けるように唆す誘惑が、悪魔からしつこく来ることを警戒しなさいということと思います。コロサイの信徒への手紙3章5節には、「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と、貪欲の悪質さが強調されています。
モーセの十戒で言うと、「みだらを避ける」ことは第七の戒めの「姦淫してはならない」に当てはまります。「貪欲なことを口にしてはなりません」は、第十の戒めの「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲してはならない」に当てはまります。イエス・キリストの十字架の愛の熱烈な愛を知り、この熱烈な愛に触れて感謝に満たされ、この愛に応答して生きようと志すならば、自然にこれらの罪と決別してゆけるはずです。最後にもう一度、5章2節をお読み致します。「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さったように、あなた方も愛によって歩みなさい。アーメン。