2014-02-25 15:45:18(火)
「クリスチャン・新島八重」 2月の聖書メッセージ
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
(イエス・キリスト。新約聖書マタイによる福音書7章12節)
これは黄金律(ゴールデンルール)と呼ばれる御言葉です。この通りに生きることができれば、すばらしいですね。私自身は「まだまだだ」と思います。毎日の課題、一生の課題です。ちなみにシルバールールは、(聖書の言葉ではありませんが)「自分にしてほしくないことは、人にしない」です。前者の方が積極的です。
昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公は新島八重さんというクリスチャンでした。八重さんは1845年に、現在の福島県会津若松で生まれました。会津の方々は戊辰戦争で敗れ、辛い人生を生きられました。八重さんも鶴ヶ城にこもって明治政府軍と戦いました。神様は貧しい方、病気の方、敗れた方の味方です。負けた会津から、不思議にも明治のキリスト教会を担う人が多く出ました。私に洗礼を授けて下さった牧師の方も会津ご出身です。
その後、八重さんは京都に行き聖書を学び、新島襄という牧師と出会い、洗礼を受け、結婚します。新島襄は、幕府の禁令を破ってアメリカに渡航し、クリスチャン・牧師となって帰国し、京都にキリスト教主義の同志社英学校(今の同志社大学・同志社女子大学)を開きました。イエス様を伝えることと同志社のために走り回った新島襄は46才で天に召されましたが、八重さんはその後も同志社のために尽くし、86才まで(1932年まで)生きました。はじめ八重さんは、自宅で会を催すとき、会津出身の学生ばかり呼んでいましたが、次第に薩摩・長州(会津を攻めた藩)出身の学生をも招くようになったそうです。ささやかながら、「敵を愛しなさい」とのイエス様の御言葉を実践したのです。
会津の城で負傷兵を看護した八重さんは、日本赤十字社のメンバーになり、看護師の養成に務めました。広島や大阪に出向き、戦争で負傷した兵の看護や、看護師の指導にあたりました。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とのイエス様の御言葉も、心に生きていたでしょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
(イエス・キリスト。新約聖書マタイによる福音書7章12節)
これは黄金律(ゴールデンルール)と呼ばれる御言葉です。この通りに生きることができれば、すばらしいですね。私自身は「まだまだだ」と思います。毎日の課題、一生の課題です。ちなみにシルバールールは、(聖書の言葉ではありませんが)「自分にしてほしくないことは、人にしない」です。前者の方が積極的です。
昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公は新島八重さんというクリスチャンでした。八重さんは1845年に、現在の福島県会津若松で生まれました。会津の方々は戊辰戦争で敗れ、辛い人生を生きられました。八重さんも鶴ヶ城にこもって明治政府軍と戦いました。神様は貧しい方、病気の方、敗れた方の味方です。負けた会津から、不思議にも明治のキリスト教会を担う人が多く出ました。私に洗礼を授けて下さった牧師の方も会津ご出身です。
その後、八重さんは京都に行き聖書を学び、新島襄という牧師と出会い、洗礼を受け、結婚します。新島襄は、幕府の禁令を破ってアメリカに渡航し、クリスチャン・牧師となって帰国し、京都にキリスト教主義の同志社英学校(今の同志社大学・同志社女子大学)を開きました。イエス様を伝えることと同志社のために走り回った新島襄は46才で天に召されましたが、八重さんはその後も同志社のために尽くし、86才まで(1932年まで)生きました。はじめ八重さんは、自宅で会を催すとき、会津出身の学生ばかり呼んでいましたが、次第に薩摩・長州(会津を攻めた藩)出身の学生をも招くようになったそうです。ささやかながら、「敵を愛しなさい」とのイエス様の御言葉を実践したのです。
会津の城で負傷兵を看護した八重さんは、日本赤十字社のメンバーになり、看護師の養成に務めました。広島や大阪に出向き、戦争で負傷した兵の看護や、看護師の指導にあたりました。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とのイエス様の御言葉も、心に生きていたでしょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
2014-02-18 1:49:36(火)
「葦の海を渡る」 2014年2月16日(日) 降誕節第8主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記14章1~31節、コリントの信徒への手紙(二)4章7~11節
「『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。』」
(出エジプト記14章16節)
とうとう救いの時がやって来ました。エジプトに430年間も住み、奴隷として酷使されたイスラエルの民を、神様がエジプトから脱出させて下さるのです。妻子を別にして壮年男子だけでおよそ60万人のイスラエルの民は、意気揚々と前進するのです。主なる神様が彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、イスラエルの民は昼も夜も行進することができたのです。神様が共におられることがはっきり分かりました。この14章の小見出しは「葦の海の奇跡」です。出エジプト記のクライマックス・有名な場面です。
(1~3節)「主はモーセに仰せになった。『イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それに面して、海辺に宿営するのだ。するとファラオは、イスラエルの人々が慌ててあの地方で道に迷い、荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。』」 神様は意外にも「引き返して、海辺に宿営しなさい」と命じられます。その場所が今のどの地点にあたるのかは、明確には分かりません。ですが「袋小路」のような場所だったようです。神様はイスラエルの民をわざわざ困難な場所に導かれたように見えるのです。そこには神様の深いお考えがあり、どのように大きな困難にも打ち勝つ神様の偉大な御力をお示しになるためだったのです。イスラエルの人々が行き詰まって困っていることが分かると、ファラオは「しめた。今こそ彼らを連れ戻すまたとないチャンス!」と思って、最強の軍隊を率いて追跡して来るはずです。神様はその最強の軍隊を破って、神様のご栄光、偉大な力をお示しになるのです。その神様のお考えが4節に記されています。「『わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人はわたしが主であることを知るようになる。』」 イスラエル人にとっても、エジプト人にとっても、日本人にとっても、世界の誰にとっても、この神様こそ主です。私たち全員の命の造り主、宇宙の造り主です。
(5~7節)「民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣たちは、民に対する考えを一変して言った。『ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。』ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。」 それより前の真夜中に、神様はエジプトの国ですべての初子を撃たれ、すべての初子の命をお取りになったので、エジプト人は非常な恐れに打たれ、イスラエルの民を解き放ったのです。しかしあっという間に「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状態になってしまいました。「イスラエル人を労役から解放してしまったら、自分たちで嫌な労働をしなければならなくなる。エジプトの経済は崩壊する。エジプトの繁栄は終わってしまう。しまった。彼らを力づくで連れ戻そう。」ファラオは自ら戦車に乗り、先頭に立ってイスラエルの民を追跡します。えり抜きの戦車六百だけではなく、エジプトのすべての戦車が動員されます。最強のエジプト軍、精鋭部隊がイスラエルの民を全速力で追跡したのです。そしてとうとう追いつきます。
イスラエルの民は非常な恐怖・パニックに陥ります。人々は神様に助けを求めて叫び、リーダーであるモーセに抗議します。意気揚々と出てきたのですが、早速の大きな試練に混乱しています。(10~11節)「ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、「ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」と言ったではありませんか。』」 自立して生きることは確かに厳しいことです。様々な困難とも戦わなくてはなりません。「自立して生きるよりも、エジプトで奴隷でいる方がまだ楽だった。労働はきつくて自由がないけれども、食事は十分食べられた。」情けないことですが、イスラエルの民はこう考え始めています。自由だが困難な道を選ぶか、自由がないが比較的楽な道を選ぶか。やはり前者「自由だが困難な道」を選ぶ方がよいのです。それなのに、私たちはついつい「楽な道」をとりたくなってしまう場合があるのです。私は1月下旬に府中刑務所を見学しましたが、中には20回も30回も刑務所に戻って来る人があるとのことでした。ある意味で、社会で生きる方が厳しいのでしょう。刑務所の生活は自由が非常に制限されていますが、三食は出ます。刑務所の方が生き易いと考えてしまう人がいるのです。しかしそれではやはりいけないのです(社会の側も、服役を終えた人々に冷たくしないように気をつける必要がありますが)。
恐怖とパニックに陥っている時にまずなすべきことは、落ち着くことです。(13~14節)「モーセは民に答えた。『恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。』」これは神様とエジプトとの戦いです。ここでのエジプトは悪魔のシンボルとも言えますから、これは神様と悪魔の戦いです。この神様に信頼することが求められています。モーセは恐れてばらばらになりかける民に必死に言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているか、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」 私はイザヤ書30章15節を思い出しました。
「まことに、イスラエルの聖なる方/ わが主なる神は、こう言われた。
『お前たちは、立ち帰って/ 静かにしているならば救われる。/
安らかに信頼していることにこそ力がある』と。」
宇宙を創造なさった神様の力はファラオの力、悪魔の力よりもはるかに強いのです。
もちろん多くの場合、私たちは自分がなすべきことをなす必要があります。神様に信頼して祈りながら、自分がなすべきことを一生懸命なします。同時に祈り、粘り強い祈りが不可欠です。確かに試練はあります。祈れない時もあります。そのときもイエス・キリストが私たちの代わりに祈って支えていて下さいます。教会の友が祈って、私たちを支えていて下さいます。エジプトから出て来たモーセの心も自信満々ではなかったのではないかと思います。モーセにも不安はあったでしょう。モーセは祈っていたはずです。祈り続けてここまで来たのです。
そのモーセに神様が力強くおっしゃいます。(15節)「『なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。』」「怖じけるな。前に進め」と励まされます。(16~18節)「『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。』」 モーセの杖は、神様から与えられた杖でしょう。モーセの杖は神様の力のシンボルです。モーセは杖を高く上げるのですが、それはモーセが祈ったということだと思うのです。モーセが杖を高く上げて神様に祈ったのです。そこに神様の偉大な力が働いたのです。私たちには杖はありませんが、同じ神様に祈ることができます。祈るときに、神様の偉大な力が発揮されるのです。私たち日本人はあまり手を上げて祈ることをしませんが、イスラエル人はしばしば両手を上げて祈ったそうです。モーセに似ています。日本人は手を組んで祈ることが多いのですが、その組んだ両手はモーセが杖と共に高く上げた手と同じように、神様を動かす力になります。
19節と20節で、神様の保護がイスラエルの民に与えられます。「イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。」 天使と雲の柱が後ろに移動して、イスラエルの民とエジプト軍の間に割って入りました。神様がエジプト軍の邪魔をして下さったのです。そして最大の奇跡を起こされます。(21~22節)「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。」アメリカ映画『十戒』をご覧になった方は、映画の中で葦の海が割れた場面を思い出しておられることでしょう。これは宇宙と地球を創造なさった神様にしかおできにならないことです。
エジプト軍は、自分たちも同じように海の中の乾いた所を進むことができると安易に考えて、突っ込んで来ました。ファラオも突っ込んだのでしょうか。ファラオがどうなったのか分かりません。神様はエジプト軍の前進を妨害されます。(24~25節)「朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。『イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。』」エジプト人も気づきました。自分たちが真の神様の敵となってしまったことに。自分たちが真の神様に逆らっていることに。そして逃げようとしたのですが、「時すでに遅し」だったのです。
(26~28節)「主はモーセに言われた。『海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。』モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。」 こうして、あまりに劇的にイスラエルの民は救われ、エジプト人は滅びました。これはイスラエルの民にとって決して忘れられない救いの体験、民族の原点となりました。イスラエルの民は今でももちろん忘れていないに違いありません。
本日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙(二)4章7節以下です。この手紙を書いたのは、イエス様の弟子・使徒パウロです。パウロは7節前半でこう書きます。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」この「宝」とは、神様の尊い聖霊でしょう。土の器(土器)とは私たちです。土に帰る肉体を持つ私たちです。私たちは土の器ですが、クリスチャンは自分の中に尊い聖霊を受けています。8節と9節の御言葉は、私たちを非常に励まします。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」パウロはこのような経験を数々して来たのです。パウロの伝道は、多くの迫害と妨害に遭いました。「四方から苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒される」経験を重ねて来たのです。パウロは、イエス・キリストを宣べ伝えたために、困難だらけの後半生を歩みました。
コリントの信徒への手紙(二)11章24節以下でパウロ自身が自分の体験を書いています。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」イエス様の十字架にも似た苦難でいっぱいの伝道人生をパウロは生きました。しかし苦難・困難の連続の中で、いつも神様に祈っていました。そして神様に助けられて、苦難・困難を乗り越えながら伝道の人生を歩んだのです。ですから、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と断言することができたのです。この御言葉は私たちを大いに励まします。
エジプト軍によって袋のねずみのように追い詰められたイスラエルの民は、まさに絶体絶命、死の半歩手前に来ていました。「四方から苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒された」状態でした。しかし神様は彼らを見捨てておられず、彼らの味方だったのです。モーセが神に祈ったはずです。そして神様が助けて下さったのです。私たちはこれほど劇的な救いを体験したことはないでしょう。しかし日々、神様の助けを小さい形で体験しているのです。これまでのいろいろな小さな経験を、「あれは神様の助けだった」と気づき、感謝することが大切と信じます。これからも困難を経験するでしょうが、その度に神様に祈って助けていただきたいのです。
私は先週の2月11日(火)、阿佐谷東教会を会場に行われた西東京教区の「信教の自由を守る日集会」に出席して参りました。この日はいわゆる「建国記念の日」ですが、戦前・戦中のキリスト教会が天皇中心主義の国の体制の中で、信仰が必ずしも自由でなく苦労した経験から、日本キリスト教団ではこの日を「信教の自由を守る日」としています。「建国記念の日」は戦前の紀元節と同じ2月11日となっていますが、『日本書紀』の中の神武天皇が即位した日を太陽暦に直すと、2月11日になるそうです。ですが神武天皇が実在したかどうかも分からず、2月11日の根拠は薄いと言えます。今の「建国記念の日」は1966年に制定されたそうで、信教の自由が十分でなかった戦前・戦中への逆戻りを警戒して、その頃の教会では反対する動きがかなりあったと聞いています。
先週の集会では、笹川紀勝先生とおっしゃる日本キリスト教会の教会員、国際基督教大学名誉教授、憲法学者の方の講演を伺いました。題は「『友のために』生きたひとと偶像を拝んで生きたひと」です。講演の一部をご紹介致しますと、朝鮮半島からの強制連行が1939年7月から実施され、日本国内で67万人が動員されたと言われているそうです。そして炭鉱などで労働させられたとのことでした。日本人の男性の多くが兵士になり、国内の労働力が不足したためにこのことが行われたということでした。笹川先生のふるさとである北海道の赤平という所でも3700人ほどその方々が就労しておられたそうです。秋田県大館市にあった花岡炭鉱という炭鉱では、中国 の方々が働かされていましたが、過酷な労働条件に耐えきれず、1945年6月30日夜に800人が蜂起したけれども、弾圧され419名が死亡したということです。このような話を聴くことは日本人として辛いですが、強制連行により労働させられた方々のことが、エジプトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民の姿と重なります。
私が前に読んだ本には、この強制連行のことを調べた加藤慶二さんというクリスチャンの次の言葉が紹介されていて、心を打たれました。「この海峡」(朝鮮半島と九州の間)を「強制的に渡らされた200万人もの朝鮮人のうなり声が聞こえてきます。よく聴いて下さい。うなり声は言っているでしょ。『私たちを忘れないでおくれ! 私たちを償っておくれ。今からでも遅くない、人間の心をとり戻しておくれ!』」(日本キリスト教団出版局編『新版 死ぬ日まで天を仰ぎ キリスト者詩人・尹東柱』日本キリスト教団出版局、2008年、150~151ページ)。
今日の出エジプト記14章の4節と18節で、神様がおっしゃいます。「エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 私たち日本人も、どの国の人も、聖書の神様が世界の造り主、世界の主であることを知ります。戦前・戦中の日本では、天皇が現人神とされました。はっきり言えば天皇を偶像としていました。私どもはその時代に逆戻りしないように十二分に注意し、真の神様のみを礼拝する礼拝を、世の終わりまで続けて参ります。そして地上の人生が終われば、天国での礼拝に参加する光栄が与えられます。大いなる感謝です。アーメン(「真実に、確かに」)。
「『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。』」
(出エジプト記14章16節)
とうとう救いの時がやって来ました。エジプトに430年間も住み、奴隷として酷使されたイスラエルの民を、神様がエジプトから脱出させて下さるのです。妻子を別にして壮年男子だけでおよそ60万人のイスラエルの民は、意気揚々と前進するのです。主なる神様が彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、イスラエルの民は昼も夜も行進することができたのです。神様が共におられることがはっきり分かりました。この14章の小見出しは「葦の海の奇跡」です。出エジプト記のクライマックス・有名な場面です。
(1~3節)「主はモーセに仰せになった。『イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それに面して、海辺に宿営するのだ。するとファラオは、イスラエルの人々が慌ててあの地方で道に迷い、荒れ野が彼らの行く手をふさいだと思うであろう。』」 神様は意外にも「引き返して、海辺に宿営しなさい」と命じられます。その場所が今のどの地点にあたるのかは、明確には分かりません。ですが「袋小路」のような場所だったようです。神様はイスラエルの民をわざわざ困難な場所に導かれたように見えるのです。そこには神様の深いお考えがあり、どのように大きな困難にも打ち勝つ神様の偉大な御力をお示しになるためだったのです。イスラエルの人々が行き詰まって困っていることが分かると、ファラオは「しめた。今こそ彼らを連れ戻すまたとないチャンス!」と思って、最強の軍隊を率いて追跡して来るはずです。神様はその最強の軍隊を破って、神様のご栄光、偉大な力をお示しになるのです。その神様のお考えが4節に記されています。「『わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人はわたしが主であることを知るようになる。』」 イスラエル人にとっても、エジプト人にとっても、日本人にとっても、世界の誰にとっても、この神様こそ主です。私たち全員の命の造り主、宇宙の造り主です。
(5~7節)「民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣たちは、民に対する考えを一変して言った。『ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。』ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。」 それより前の真夜中に、神様はエジプトの国ですべての初子を撃たれ、すべての初子の命をお取りになったので、エジプト人は非常な恐れに打たれ、イスラエルの民を解き放ったのです。しかしあっという間に「喉元過ぎれば熱さ忘れる」状態になってしまいました。「イスラエル人を労役から解放してしまったら、自分たちで嫌な労働をしなければならなくなる。エジプトの経済は崩壊する。エジプトの繁栄は終わってしまう。しまった。彼らを力づくで連れ戻そう。」ファラオは自ら戦車に乗り、先頭に立ってイスラエルの民を追跡します。えり抜きの戦車六百だけではなく、エジプトのすべての戦車が動員されます。最強のエジプト軍、精鋭部隊がイスラエルの民を全速力で追跡したのです。そしてとうとう追いつきます。
イスラエルの民は非常な恐怖・パニックに陥ります。人々は神様に助けを求めて叫び、リーダーであるモーセに抗議します。意気揚々と出てきたのですが、早速の大きな試練に混乱しています。(10~11節)「ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、「ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」と言ったではありませんか。』」 自立して生きることは確かに厳しいことです。様々な困難とも戦わなくてはなりません。「自立して生きるよりも、エジプトで奴隷でいる方がまだ楽だった。労働はきつくて自由がないけれども、食事は十分食べられた。」情けないことですが、イスラエルの民はこう考え始めています。自由だが困難な道を選ぶか、自由がないが比較的楽な道を選ぶか。やはり前者「自由だが困難な道」を選ぶ方がよいのです。それなのに、私たちはついつい「楽な道」をとりたくなってしまう場合があるのです。私は1月下旬に府中刑務所を見学しましたが、中には20回も30回も刑務所に戻って来る人があるとのことでした。ある意味で、社会で生きる方が厳しいのでしょう。刑務所の生活は自由が非常に制限されていますが、三食は出ます。刑務所の方が生き易いと考えてしまう人がいるのです。しかしそれではやはりいけないのです(社会の側も、服役を終えた人々に冷たくしないように気をつける必要がありますが)。
恐怖とパニックに陥っている時にまずなすべきことは、落ち着くことです。(13~14節)「モーセは民に答えた。『恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。』」これは神様とエジプトとの戦いです。ここでのエジプトは悪魔のシンボルとも言えますから、これは神様と悪魔の戦いです。この神様に信頼することが求められています。モーセは恐れてばらばらになりかける民に必死に言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているか、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」 私はイザヤ書30章15節を思い出しました。
「まことに、イスラエルの聖なる方/ わが主なる神は、こう言われた。
『お前たちは、立ち帰って/ 静かにしているならば救われる。/
安らかに信頼していることにこそ力がある』と。」
宇宙を創造なさった神様の力はファラオの力、悪魔の力よりもはるかに強いのです。
もちろん多くの場合、私たちは自分がなすべきことをなす必要があります。神様に信頼して祈りながら、自分がなすべきことを一生懸命なします。同時に祈り、粘り強い祈りが不可欠です。確かに試練はあります。祈れない時もあります。そのときもイエス・キリストが私たちの代わりに祈って支えていて下さいます。教会の友が祈って、私たちを支えていて下さいます。エジプトから出て来たモーセの心も自信満々ではなかったのではないかと思います。モーセにも不安はあったでしょう。モーセは祈っていたはずです。祈り続けてここまで来たのです。
そのモーセに神様が力強くおっしゃいます。(15節)「『なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。』」「怖じけるな。前に進め」と励まされます。(16~18節)「『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。』」 モーセの杖は、神様から与えられた杖でしょう。モーセの杖は神様の力のシンボルです。モーセは杖を高く上げるのですが、それはモーセが祈ったということだと思うのです。モーセが杖を高く上げて神様に祈ったのです。そこに神様の偉大な力が働いたのです。私たちには杖はありませんが、同じ神様に祈ることができます。祈るときに、神様の偉大な力が発揮されるのです。私たち日本人はあまり手を上げて祈ることをしませんが、イスラエル人はしばしば両手を上げて祈ったそうです。モーセに似ています。日本人は手を組んで祈ることが多いのですが、その組んだ両手はモーセが杖と共に高く上げた手と同じように、神様を動かす力になります。
19節と20節で、神様の保護がイスラエルの民に与えられます。「イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。」 天使と雲の柱が後ろに移動して、イスラエルの民とエジプト軍の間に割って入りました。神様がエジプト軍の邪魔をして下さったのです。そして最大の奇跡を起こされます。(21~22節)「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。」アメリカ映画『十戒』をご覧になった方は、映画の中で葦の海が割れた場面を思い出しておられることでしょう。これは宇宙と地球を創造なさった神様にしかおできにならないことです。
エジプト軍は、自分たちも同じように海の中の乾いた所を進むことができると安易に考えて、突っ込んで来ました。ファラオも突っ込んだのでしょうか。ファラオがどうなったのか分かりません。神様はエジプト軍の前進を妨害されます。(24~25節)「朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。『イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。』」エジプト人も気づきました。自分たちが真の神様の敵となってしまったことに。自分たちが真の神様に逆らっていることに。そして逃げようとしたのですが、「時すでに遅し」だったのです。
(26~28節)「主はモーセに言われた。『海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。』モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。」 こうして、あまりに劇的にイスラエルの民は救われ、エジプト人は滅びました。これはイスラエルの民にとって決して忘れられない救いの体験、民族の原点となりました。イスラエルの民は今でももちろん忘れていないに違いありません。
本日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙(二)4章7節以下です。この手紙を書いたのは、イエス様の弟子・使徒パウロです。パウロは7節前半でこう書きます。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」この「宝」とは、神様の尊い聖霊でしょう。土の器(土器)とは私たちです。土に帰る肉体を持つ私たちです。私たちは土の器ですが、クリスチャンは自分の中に尊い聖霊を受けています。8節と9節の御言葉は、私たちを非常に励まします。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」パウロはこのような経験を数々して来たのです。パウロの伝道は、多くの迫害と妨害に遭いました。「四方から苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒される」経験を重ねて来たのです。パウロは、イエス・キリストを宣べ伝えたために、困難だらけの後半生を歩みました。
コリントの信徒への手紙(二)11章24節以下でパウロ自身が自分の体験を書いています。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」イエス様の十字架にも似た苦難でいっぱいの伝道人生をパウロは生きました。しかし苦難・困難の連続の中で、いつも神様に祈っていました。そして神様に助けられて、苦難・困難を乗り越えながら伝道の人生を歩んだのです。ですから、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と断言することができたのです。この御言葉は私たちを大いに励まします。
エジプト軍によって袋のねずみのように追い詰められたイスラエルの民は、まさに絶体絶命、死の半歩手前に来ていました。「四方から苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒された」状態でした。しかし神様は彼らを見捨てておられず、彼らの味方だったのです。モーセが神に祈ったはずです。そして神様が助けて下さったのです。私たちはこれほど劇的な救いを体験したことはないでしょう。しかし日々、神様の助けを小さい形で体験しているのです。これまでのいろいろな小さな経験を、「あれは神様の助けだった」と気づき、感謝することが大切と信じます。これからも困難を経験するでしょうが、その度に神様に祈って助けていただきたいのです。
私は先週の2月11日(火)、阿佐谷東教会を会場に行われた西東京教区の「信教の自由を守る日集会」に出席して参りました。この日はいわゆる「建国記念の日」ですが、戦前・戦中のキリスト教会が天皇中心主義の国の体制の中で、信仰が必ずしも自由でなく苦労した経験から、日本キリスト教団ではこの日を「信教の自由を守る日」としています。「建国記念の日」は戦前の紀元節と同じ2月11日となっていますが、『日本書紀』の中の神武天皇が即位した日を太陽暦に直すと、2月11日になるそうです。ですが神武天皇が実在したかどうかも分からず、2月11日の根拠は薄いと言えます。今の「建国記念の日」は1966年に制定されたそうで、信教の自由が十分でなかった戦前・戦中への逆戻りを警戒して、その頃の教会では反対する動きがかなりあったと聞いています。
先週の集会では、笹川紀勝先生とおっしゃる日本キリスト教会の教会員、国際基督教大学名誉教授、憲法学者の方の講演を伺いました。題は「『友のために』生きたひとと偶像を拝んで生きたひと」です。講演の一部をご紹介致しますと、朝鮮半島からの強制連行が1939年7月から実施され、日本国内で67万人が動員されたと言われているそうです。そして炭鉱などで労働させられたとのことでした。日本人の男性の多くが兵士になり、国内の労働力が不足したためにこのことが行われたということでした。笹川先生のふるさとである北海道の赤平という所でも3700人ほどその方々が就労しておられたそうです。秋田県大館市にあった花岡炭鉱という炭鉱では、中国 の方々が働かされていましたが、過酷な労働条件に耐えきれず、1945年6月30日夜に800人が蜂起したけれども、弾圧され419名が死亡したということです。このような話を聴くことは日本人として辛いですが、強制連行により労働させられた方々のことが、エジプトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民の姿と重なります。
私が前に読んだ本には、この強制連行のことを調べた加藤慶二さんというクリスチャンの次の言葉が紹介されていて、心を打たれました。「この海峡」(朝鮮半島と九州の間)を「強制的に渡らされた200万人もの朝鮮人のうなり声が聞こえてきます。よく聴いて下さい。うなり声は言っているでしょ。『私たちを忘れないでおくれ! 私たちを償っておくれ。今からでも遅くない、人間の心をとり戻しておくれ!』」(日本キリスト教団出版局編『新版 死ぬ日まで天を仰ぎ キリスト者詩人・尹東柱』日本キリスト教団出版局、2008年、150~151ページ)。
今日の出エジプト記14章の4節と18節で、神様がおっしゃいます。「エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 私たち日本人も、どの国の人も、聖書の神様が世界の造り主、世界の主であることを知ります。戦前・戦中の日本では、天皇が現人神とされました。はっきり言えば天皇を偶像としていました。私どもはその時代に逆戻りしないように十二分に注意し、真の神様のみを礼拝する礼拝を、世の終わりまで続けて参ります。そして地上の人生が終われば、天国での礼拝に参加する光栄が与えられます。大いなる感謝です。アーメン(「真実に、確かに」)。
2014-02-10 23:59:01(月)
「神様のぶどう園」 2014年2月9日(日) 降誕節第7主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書5章1~7節、ルカによる福音書20章9~19節
「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」(ルカによる福音書20章13節)
イエス様は日曜日に、ろばに乗ってエルサレムの都に入られました。そしておそらく月曜日に神殿を激しく清められました。イエス様はこの週の金曜日に十字架につけられます。その十字架の三日前の火曜日にエルサレムの信仰の指導者たちと論争を重ねられました。先週の礼拝で読んだ「権威についての問答」が第一の論争です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶことがあります。今日の「ぶどう園と農夫のたとえ」は民衆に語られたものであり、「たとえ」ですから問答とは言えないかもしれませんが、しかしエルサレムの信仰の指導者である律法学者たちや祭司長たちを強く意識して語られた話です。
(9~10節)「イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。『ある人がぶどう園を作り、これ農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕(しもべ)を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。』」 「ある人」とは父なる神様です。ぶどう園は、神様の民が住んでいたイスラエルとも言えますし、私たちが住むこの世界全体とも言えます。この宇宙も地球もみな神様のものです。私たちはこの地球を、そして私たち一人一人の命を、神様に貸していただいています。神様がこの地球を、そして私たち一人一人の命を、私たちを全面的に信頼して貸して下さっています。貸して下さっているのですから、いずれ必ずお返しする時も来ます。神様にお借りした地球をどのように愛して大事にしたか、神様にお借りしたこの命を神様の御心に従ってどのように用いたか、それを神様にご報告するときが来ます。
「ある人」は直接には父なる神様ですが、イエス様だと考えても大きな間違いはないでしょう。「ある人」は「長い旅に出た」と書かれています。イエス様は長い旅に出られ、今は天にいらっしゃるのですが、いずれ必ず帰って来られます。ですから私たちは、だらけることなく、今日一日を、そして目の前の一時間、一分を、神様に精一杯お仕えして生きるのです。その積み重ねが人生となり、一生となるのですから、時間を無駄にすることなく神様にお仕えしてゆきたいものです。イエス様はもしかすると、今から一分後に帰って来られるかもしれませんので、そうなっても恥ずかしくないように、いつもイエス様を思っていたいのです。イエス・キリストがもう一度おいでになるとき、世界の歴史は終わり、神の国が完成されます。そして私たち一人一人への最後の審判もあります。その時、神様が信頼を込めて私たちに与えて下さったこの命、貸して下さったこの命をどのように用いたのか、ご報告するのです。神様に喜ばれるように神様を愛し、隣人を愛するように用いたか、あるいは反対に神様に逆らい、隣人を傷つけるような生き方をしてしまったか、ごまかしなく報告することになります。私は残念ながら立派な報告をする自信がありませんので、今からでも少しでもよい報告ができるように心がけたいのです。
「たとえ」に戻りますが、ぶどう園の収穫の時になりました。ぶどう園の主人である父なる神様は、農夫たちに収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところに送りました。神様は旧約聖書の時代から、何人もの僕・預言者たちを人々の元に送られました。たとえば神様は預言者エレミヤを通して、ご自分の民イスラエルの人々に次のように語られました。(エレミヤ書35章14節以下)「お前たちは、わたしが繰り返し語り続けて来たのに聞き従おうとしなかった。わたしは、お前たちにわたしの僕である預言者を、繰り返し遣わして命じた。『おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな。そうすれば、わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる』、と。しかし、お前たちは耳を傾けず、わたしに聞こうとしなかった。」 このようにイスラエルの人々は、神様が送られた僕・預言者の悔い改めを求めるメッセージに耳をふさぎました。耳をふさぐことで、神様からの愛のメッセージを拒否してしまいました。
このことが今日のたとえでは、「農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した」と表現されています。神様の僕を袋だたきにするとは、実にひどい話です。(11節)「そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。」僕は怪我をさせられて追い返されました。私たち人間の恐るべき罪、暴力的な姿です。目を覆いたくなるような罪です。(12節)「更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。」ふつうこれほどひどい目に遭えば、どんな穏やかな主人でも怒ります。直ちに警察に訴えるか、非道な農夫たちのところに怒鳴り込んでも不思議ではありません。ところがこの主人は実に忍耐強いのです。神様は非常に忍耐強い方で、なかなかお裁きになりません。非道な農夫たちへの信頼をまだお捨てにならないのです。神様は、今も忍耐をもって私たちを見守っていて下さいますし、私たちが罪を犯している場合には、早く悔い改めるようにと、忍耐強く待ち続けていて下さいます。神様はこの世界の全ての罪と悪をもっと早くお裁きになることもおできになったのです。私たちの罪をもっと早くお裁きになってもよかったのです。ですが神様は忍耐強い愛の方ですので、なかなか裁かないで私たちの悔い改めを待っていて下さいます。そして裁きの日を延期して来られました。
この忍耐強さこそ、神様の愛です。神様が忍耐して裁きを延期して下さっている今のうちに、神様を信じることが必要です。新約聖書・ローマの信徒への手紙2章3~4節の御言葉を思い出しました。「あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」もちろん神様の豊かな慈愛と寛容と忍耐を軽んじてはならず、私たちは早く自分の罪を神様の前で悔い改めることが必要です。
忍耐強い神様は、最後の手段を実行に移されます。(13節)「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」神様のこの決断を知って私たちは驚き、こう言いたくなります。「神様、そこまでなさることはありませんよ。あの農夫たちをこれ以上信用なさることはありません。あの農夫たちは、あなたの深いお気持ちが分かるような人たちではありません。愛する息子さんを送るなんて無謀過ぎます。危険過ぎます。ぜひおやめになって下さい。」それでも神様は愛する息子をお送りになったのです。驚くべきことであって、私たちにはできないことではないでしょうか。結果が見えてしまうからです。しかし神様は愛する独り子を、人間の罪と悪が渦巻いているこの危険な世界に、あえてお送り下さいました。もちろんそれがイエス・キリストです。主イエス・キリストは、ベツレヘムの馬小屋で、完全に無防備な赤ん坊としてお生まれになりました。そしてひたすら無防備に神様と隣人を愛して生き、ついにはあのゴルゴタの丘で十字架につけらなさいました。イエス様は、私たちのために十字架で痛く深く傷ついて下さいました。
14~15節には、神様の深い愛を全く無視する農夫たちの罪深い会話と行動が記されています。「農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。」 おぞましい話です。農夫たちは主人を完全に侮っていました。主人の信頼に応えようという気持ちを微塵も持っていませんでした。そして何の畏れ気もなく、主人の息子をぶどう園の外にほうり出して命を奪ってしまいました。甚だしい恩知らずです。しかし私・私たちも神様に対して、また人に対して恩知らずかもしれないのです。この農夫たちほどひどくはないと思いたいですが、しかし私も神様の恵みに十分に感謝せず、人からいただいた親切にも十分に感謝せず、生きて来たと思えるのです。
イエス様はこのたとえ話しながら、ご自分がこの主人の「愛する息子」であること、三日後に十字架で殺されることを十分に知っていらっしゃいます。そしてその後の父なる神様の反応をこう語られます。(15節後半~16節)「『さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるに違いない。』」神様は長い間忍耐して下さいますが、永遠に忍耐して下さるのではありません。ですから私たち罪人は皆、どこかで自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じる決断をすることが必要です。主人がこの農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるということは、この約40年後にエルサレムがローマ軍によって破壊されたことを指すのかもしれません。「ぶどう園をほかの人たちに与える。」「ほかの人たち」は私たちとも言えます。神様のことははじめ、イスラエルの民に知らされました。しかしイスラエルの民は、しばしば神様を拒み、神の子イエス様を十字架につけて殺してしまいました。その結果、神様の尊い御言葉は、私たち異邦人、イスラエルの民ではない外国人である私たちに、知らされました。これは恵みであり、また私たちに責任が与えられたとも言えます。それは周りの方々に真の神様をお知らせし、神の子イエス・キリストを言葉と行いをもってお知らせするという責任です。
このたとえ話を聞いた民衆は心を痛めて、「そんなことがあってはなりません」と言いました。主人の愛する息子が殺されるなんてそのような非道があってはいけないと言ったのです。私たちもそう思います。しかしイエス様はこの民衆をじっと見つめて、こうおっしゃいました。(17節の途中から)「『それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石が誰かの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」イエス様は詩編118編22節を引用してこう言われました。ご自分こそ「家を建てる者の捨てた石」だと言われるのです。「わたしはイスラエルの人々に軽んじられ、憎まれ、嘲られて、もうすぐ捨てられて殺される。」これは人間の深い罪です。
しかし果たしてイスラエルの人々だけの罪なのかとも思わされます。私たちの罪でもあると思います。私たちも、命を与えて下さった神様、そしてその独り子イエス様を無視していたことも、軽んじていたこともあります。神様もイエス様も目に見えないことを幸いに、神様を重んじることをせず、イエス様を軽んじていたこともあるのではないかと思わされます。ローマの信徒への手紙1章21節に、「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」とありますが、私たちにも神様を神様としてあがめず感謝もしないという日々があったかもしれません。神様ほど、イエス様ほど、人々から踏みつけにされた方もおられないかもしれません。十字架の死はそのことを示しています。
しかし、神様による大逆転が起こりました。人々が「こんなものは要らない」と言って捨てたイエス様を、父なる神様は復活させなさいました。父なる神様は、イエス様の十字架の死を、私たちすべての人間の罪を背負わせる犠牲の死としてお用いになったのです。そして十字架で死んで復活されたイエス様を、私たちの永遠の命の基、教会の親石・教会の要石としてお立てになりました。私たちが「こんなものは要らない」と言って嘲って捨てたイエス様を、父なる神様は唯一の救い主としてお立てになったのです。私たちは父なる神様のこのなさりようを知って、自分の罪を深く悔い改め、畏れを覚えねばなりません。そして私たちは、どなたをも軽んじてはならないということをも学ばされます。イエス様を軽んじて捨てた過ちを繰り返すことになるからです。マタイによる福音書18章10節でイエス・キリストは言われました。「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちはいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」その一人の中にイエス様が住んでおられるかもしれないのです。ですから私たちはどなたをも軽んじてはいけないのです。イエス様を捨てた罪の繰り返しになるからです。
先ほどの詩編118編22節は、新約聖書・使徒言行録4章11節にも引用されています。(使徒言行録4章11~12節)「『この方(イエス様)こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」 イエス・キリストお一人が、私たちの真の救い主です。ですから私たちは愛する日本の人たちすべてにイエス様を信じていただきたいし、愛する世界のすべての人たちにイエス様を信じいただきたいのです。そのために私たちは日々祈り、自分にできる伝道と奉仕をさせていただきます。
ルカによる福音書20章に戻ります。(18節)「『その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」この石はイエス・キリストです。復活されたイエス様は誰よりも強い方であることを、こう表現しているのでしょう。復活されたイエス様は、永遠に滅びない強い方です。(19節)「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。」彼らは、自分たちこそあの農夫であると気づきました。気づいて素直に反省すればよいのですが、しかし気づいても悔い改めることなく、むしろイエス様への敵意を増しました。実に悲しいことです。
本日の旧約聖書であるイザヤ書5章をも見ます。今日のイエス様のたとえとよく通じる御言葉です。1節の「わたし」は預言者イザヤです。そして「わたしの愛する者」とはイザヤの友である農夫です。その農夫は実は神様ご自身です。
(1~2節)
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/ そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ ぶどう畑を持っていた。
よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/ 良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
イザヤの友である農夫は、土を一生懸命耕し、見張りの塔をも建て、この土地の世話をして良いぶどうが実るのを待ちました。このぶどうは、神様の民イスラエルです。この御言葉は、神様の嘆きの御言葉となってゆきます。
(3~4節)
「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。」
神様はイスラエルの民を愛して、エジプトから脱出させて下さいました。そのイスラエルの民が、自分たちを愛して下さる神様を忘れ、無視するようになり、あろうことか偶像の神・偽物の神(その正体は実は悪魔ですが)を拝むように堕落してしまったのです。真の神様を愛して礼拝するより、自分の欲望を満たすことを優先するように堕落しました。神様の悲しみは深くて大きいのです。5~6節に、神様の嘆きと怒りが記されています。
「さあ、お前たちに告げよう/ わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ/ 石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず/ 耕されることもなく/ 茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」
7節では、愛するイスラエルの民にかけた期待を大きく裏切られた神様の深い悲しみが、語呂合わせによって印象的に語られます。
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/ 見よ、流血(ミスパハ)
正義(ツェダカ)を待っておられたのに/ 見よ、叫喚(ツェアカ)」
この「裁き」という言葉は、「正義」とほとんど同じ意味です。神様はイスラエルにおいて正義(ミシュパト)が行われることを待っておられたのに、「見よ流血(ミスパハ)」、無実の人が殺されるなどひどいことが行われている。正義(ツェダカ)を待っておられたのに、「見よ、叫喚(ツェアカ)」、正義を期待していたのに、貧しい人や弱い立場の人がいじめられ、苦しめられる不正義が行われている。それを見て神様は、深い嘆きを述べられます。神様の愛と恵みを受けた民であるだけに、神様の期待も大きかったというべきです。
同じ神様の愛が私どもの教会、全ての教会に注がれています。新約聖書のコリントの信徒への手紙(一)3章9節にこう書かれています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」この教会も、どの教会も、「神の畑、神の建物」です。神様に愛され、神様を愛する礼拝が献げられ、そこが拠点となって、神様の御言葉が地域に広がってゆくことを神様から期待されています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」私たちも真の神様を愛して、ご一緒に礼拝を献げ、(ささやかな力しかないかもしれませんが)神様のために力を合わせて働く道を歩みたいと祈ります。アーメン(「真実に、確かに」)。
「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」(ルカによる福音書20章13節)
イエス様は日曜日に、ろばに乗ってエルサレムの都に入られました。そしておそらく月曜日に神殿を激しく清められました。イエス様はこの週の金曜日に十字架につけられます。その十字架の三日前の火曜日にエルサレムの信仰の指導者たちと論争を重ねられました。先週の礼拝で読んだ「権威についての問答」が第一の論争です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶことがあります。今日の「ぶどう園と農夫のたとえ」は民衆に語られたものであり、「たとえ」ですから問答とは言えないかもしれませんが、しかしエルサレムの信仰の指導者である律法学者たちや祭司長たちを強く意識して語られた話です。
(9~10節)「イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。『ある人がぶどう園を作り、これ農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕(しもべ)を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。』」 「ある人」とは父なる神様です。ぶどう園は、神様の民が住んでいたイスラエルとも言えますし、私たちが住むこの世界全体とも言えます。この宇宙も地球もみな神様のものです。私たちはこの地球を、そして私たち一人一人の命を、神様に貸していただいています。神様がこの地球を、そして私たち一人一人の命を、私たちを全面的に信頼して貸して下さっています。貸して下さっているのですから、いずれ必ずお返しする時も来ます。神様にお借りした地球をどのように愛して大事にしたか、神様にお借りしたこの命を神様の御心に従ってどのように用いたか、それを神様にご報告するときが来ます。
「ある人」は直接には父なる神様ですが、イエス様だと考えても大きな間違いはないでしょう。「ある人」は「長い旅に出た」と書かれています。イエス様は長い旅に出られ、今は天にいらっしゃるのですが、いずれ必ず帰って来られます。ですから私たちは、だらけることなく、今日一日を、そして目の前の一時間、一分を、神様に精一杯お仕えして生きるのです。その積み重ねが人生となり、一生となるのですから、時間を無駄にすることなく神様にお仕えしてゆきたいものです。イエス様はもしかすると、今から一分後に帰って来られるかもしれませんので、そうなっても恥ずかしくないように、いつもイエス様を思っていたいのです。イエス・キリストがもう一度おいでになるとき、世界の歴史は終わり、神の国が完成されます。そして私たち一人一人への最後の審判もあります。その時、神様が信頼を込めて私たちに与えて下さったこの命、貸して下さったこの命をどのように用いたのか、ご報告するのです。神様に喜ばれるように神様を愛し、隣人を愛するように用いたか、あるいは反対に神様に逆らい、隣人を傷つけるような生き方をしてしまったか、ごまかしなく報告することになります。私は残念ながら立派な報告をする自信がありませんので、今からでも少しでもよい報告ができるように心がけたいのです。
「たとえ」に戻りますが、ぶどう園の収穫の時になりました。ぶどう園の主人である父なる神様は、農夫たちに収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところに送りました。神様は旧約聖書の時代から、何人もの僕・預言者たちを人々の元に送られました。たとえば神様は預言者エレミヤを通して、ご自分の民イスラエルの人々に次のように語られました。(エレミヤ書35章14節以下)「お前たちは、わたしが繰り返し語り続けて来たのに聞き従おうとしなかった。わたしは、お前たちにわたしの僕である預言者を、繰り返し遣わして命じた。『おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな。そうすれば、わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる』、と。しかし、お前たちは耳を傾けず、わたしに聞こうとしなかった。」 このようにイスラエルの人々は、神様が送られた僕・預言者の悔い改めを求めるメッセージに耳をふさぎました。耳をふさぐことで、神様からの愛のメッセージを拒否してしまいました。
このことが今日のたとえでは、「農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した」と表現されています。神様の僕を袋だたきにするとは、実にひどい話です。(11節)「そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。」僕は怪我をさせられて追い返されました。私たち人間の恐るべき罪、暴力的な姿です。目を覆いたくなるような罪です。(12節)「更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。」ふつうこれほどひどい目に遭えば、どんな穏やかな主人でも怒ります。直ちに警察に訴えるか、非道な農夫たちのところに怒鳴り込んでも不思議ではありません。ところがこの主人は実に忍耐強いのです。神様は非常に忍耐強い方で、なかなかお裁きになりません。非道な農夫たちへの信頼をまだお捨てにならないのです。神様は、今も忍耐をもって私たちを見守っていて下さいますし、私たちが罪を犯している場合には、早く悔い改めるようにと、忍耐強く待ち続けていて下さいます。神様はこの世界の全ての罪と悪をもっと早くお裁きになることもおできになったのです。私たちの罪をもっと早くお裁きになってもよかったのです。ですが神様は忍耐強い愛の方ですので、なかなか裁かないで私たちの悔い改めを待っていて下さいます。そして裁きの日を延期して来られました。
この忍耐強さこそ、神様の愛です。神様が忍耐して裁きを延期して下さっている今のうちに、神様を信じることが必要です。新約聖書・ローマの信徒への手紙2章3~4節の御言葉を思い出しました。「あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」もちろん神様の豊かな慈愛と寛容と忍耐を軽んじてはならず、私たちは早く自分の罪を神様の前で悔い改めることが必要です。
忍耐強い神様は、最後の手段を実行に移されます。(13節)「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」神様のこの決断を知って私たちは驚き、こう言いたくなります。「神様、そこまでなさることはありませんよ。あの農夫たちをこれ以上信用なさることはありません。あの農夫たちは、あなたの深いお気持ちが分かるような人たちではありません。愛する息子さんを送るなんて無謀過ぎます。危険過ぎます。ぜひおやめになって下さい。」それでも神様は愛する息子をお送りになったのです。驚くべきことであって、私たちにはできないことではないでしょうか。結果が見えてしまうからです。しかし神様は愛する独り子を、人間の罪と悪が渦巻いているこの危険な世界に、あえてお送り下さいました。もちろんそれがイエス・キリストです。主イエス・キリストは、ベツレヘムの馬小屋で、完全に無防備な赤ん坊としてお生まれになりました。そしてひたすら無防備に神様と隣人を愛して生き、ついにはあのゴルゴタの丘で十字架につけらなさいました。イエス様は、私たちのために十字架で痛く深く傷ついて下さいました。
14~15節には、神様の深い愛を全く無視する農夫たちの罪深い会話と行動が記されています。「農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。」 おぞましい話です。農夫たちは主人を完全に侮っていました。主人の信頼に応えようという気持ちを微塵も持っていませんでした。そして何の畏れ気もなく、主人の息子をぶどう園の外にほうり出して命を奪ってしまいました。甚だしい恩知らずです。しかし私・私たちも神様に対して、また人に対して恩知らずかもしれないのです。この農夫たちほどひどくはないと思いたいですが、しかし私も神様の恵みに十分に感謝せず、人からいただいた親切にも十分に感謝せず、生きて来たと思えるのです。
イエス様はこのたとえ話しながら、ご自分がこの主人の「愛する息子」であること、三日後に十字架で殺されることを十分に知っていらっしゃいます。そしてその後の父なる神様の反応をこう語られます。(15節後半~16節)「『さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるに違いない。』」神様は長い間忍耐して下さいますが、永遠に忍耐して下さるのではありません。ですから私たち罪人は皆、どこかで自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じる決断をすることが必要です。主人がこの農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるということは、この約40年後にエルサレムがローマ軍によって破壊されたことを指すのかもしれません。「ぶどう園をほかの人たちに与える。」「ほかの人たち」は私たちとも言えます。神様のことははじめ、イスラエルの民に知らされました。しかしイスラエルの民は、しばしば神様を拒み、神の子イエス様を十字架につけて殺してしまいました。その結果、神様の尊い御言葉は、私たち異邦人、イスラエルの民ではない外国人である私たちに、知らされました。これは恵みであり、また私たちに責任が与えられたとも言えます。それは周りの方々に真の神様をお知らせし、神の子イエス・キリストを言葉と行いをもってお知らせするという責任です。
このたとえ話を聞いた民衆は心を痛めて、「そんなことがあってはなりません」と言いました。主人の愛する息子が殺されるなんてそのような非道があってはいけないと言ったのです。私たちもそう思います。しかしイエス様はこの民衆をじっと見つめて、こうおっしゃいました。(17節の途中から)「『それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石が誰かの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」イエス様は詩編118編22節を引用してこう言われました。ご自分こそ「家を建てる者の捨てた石」だと言われるのです。「わたしはイスラエルの人々に軽んじられ、憎まれ、嘲られて、もうすぐ捨てられて殺される。」これは人間の深い罪です。
しかし果たしてイスラエルの人々だけの罪なのかとも思わされます。私たちの罪でもあると思います。私たちも、命を与えて下さった神様、そしてその独り子イエス様を無視していたことも、軽んじていたこともあります。神様もイエス様も目に見えないことを幸いに、神様を重んじることをせず、イエス様を軽んじていたこともあるのではないかと思わされます。ローマの信徒への手紙1章21節に、「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」とありますが、私たちにも神様を神様としてあがめず感謝もしないという日々があったかもしれません。神様ほど、イエス様ほど、人々から踏みつけにされた方もおられないかもしれません。十字架の死はそのことを示しています。
しかし、神様による大逆転が起こりました。人々が「こんなものは要らない」と言って捨てたイエス様を、父なる神様は復活させなさいました。父なる神様は、イエス様の十字架の死を、私たちすべての人間の罪を背負わせる犠牲の死としてお用いになったのです。そして十字架で死んで復活されたイエス様を、私たちの永遠の命の基、教会の親石・教会の要石としてお立てになりました。私たちが「こんなものは要らない」と言って嘲って捨てたイエス様を、父なる神様は唯一の救い主としてお立てになったのです。私たちは父なる神様のこのなさりようを知って、自分の罪を深く悔い改め、畏れを覚えねばなりません。そして私たちは、どなたをも軽んじてはならないということをも学ばされます。イエス様を軽んじて捨てた過ちを繰り返すことになるからです。マタイによる福音書18章10節でイエス・キリストは言われました。「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちはいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」その一人の中にイエス様が住んでおられるかもしれないのです。ですから私たちはどなたをも軽んじてはいけないのです。イエス様を捨てた罪の繰り返しになるからです。
先ほどの詩編118編22節は、新約聖書・使徒言行録4章11節にも引用されています。(使徒言行録4章11~12節)「『この方(イエス様)こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」 イエス・キリストお一人が、私たちの真の救い主です。ですから私たちは愛する日本の人たちすべてにイエス様を信じていただきたいし、愛する世界のすべての人たちにイエス様を信じいただきたいのです。そのために私たちは日々祈り、自分にできる伝道と奉仕をさせていただきます。
ルカによる福音書20章に戻ります。(18節)「『その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」この石はイエス・キリストです。復活されたイエス様は誰よりも強い方であることを、こう表現しているのでしょう。復活されたイエス様は、永遠に滅びない強い方です。(19節)「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。」彼らは、自分たちこそあの農夫であると気づきました。気づいて素直に反省すればよいのですが、しかし気づいても悔い改めることなく、むしろイエス様への敵意を増しました。実に悲しいことです。
本日の旧約聖書であるイザヤ書5章をも見ます。今日のイエス様のたとえとよく通じる御言葉です。1節の「わたし」は預言者イザヤです。そして「わたしの愛する者」とはイザヤの友である農夫です。その農夫は実は神様ご自身です。
(1~2節)
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/ そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ ぶどう畑を持っていた。
よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/ 良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
イザヤの友である農夫は、土を一生懸命耕し、見張りの塔をも建て、この土地の世話をして良いぶどうが実るのを待ちました。このぶどうは、神様の民イスラエルです。この御言葉は、神様の嘆きの御言葉となってゆきます。
(3~4節)
「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。」
神様はイスラエルの民を愛して、エジプトから脱出させて下さいました。そのイスラエルの民が、自分たちを愛して下さる神様を忘れ、無視するようになり、あろうことか偶像の神・偽物の神(その正体は実は悪魔ですが)を拝むように堕落してしまったのです。真の神様を愛して礼拝するより、自分の欲望を満たすことを優先するように堕落しました。神様の悲しみは深くて大きいのです。5~6節に、神様の嘆きと怒りが記されています。
「さあ、お前たちに告げよう/ わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ/ 石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず/ 耕されることもなく/ 茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」
7節では、愛するイスラエルの民にかけた期待を大きく裏切られた神様の深い悲しみが、語呂合わせによって印象的に語られます。
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/ 見よ、流血(ミスパハ)
正義(ツェダカ)を待っておられたのに/ 見よ、叫喚(ツェアカ)」
この「裁き」という言葉は、「正義」とほとんど同じ意味です。神様はイスラエルにおいて正義(ミシュパト)が行われることを待っておられたのに、「見よ流血(ミスパハ)」、無実の人が殺されるなどひどいことが行われている。正義(ツェダカ)を待っておられたのに、「見よ、叫喚(ツェアカ)」、正義を期待していたのに、貧しい人や弱い立場の人がいじめられ、苦しめられる不正義が行われている。それを見て神様は、深い嘆きを述べられます。神様の愛と恵みを受けた民であるだけに、神様の期待も大きかったというべきです。
同じ神様の愛が私どもの教会、全ての教会に注がれています。新約聖書のコリントの信徒への手紙(一)3章9節にこう書かれています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」この教会も、どの教会も、「神の畑、神の建物」です。神様に愛され、神様を愛する礼拝が献げられ、そこが拠点となって、神様の御言葉が地域に広がってゆくことを神様から期待されています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」私たちも真の神様を愛して、ご一緒に礼拝を献げ、(ささやかな力しかないかもしれませんが)神様のために力を合わせて働く道を歩みたいと祈ります。アーメン(「真実に、確かに」)。
2014-02-04 1:45:42(火)
「イエス様の権威」 2014年2月2日(日) 降誕節第6主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書40章1~11節、ルカによる福音書20章1~8節
「『ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』」(ルカによる福音書20章4節)
(1~2節)「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。』」 「ある日」は火曜日と考えられます。イエス様は3日後の金曜日に十字架につけられます。その5日前の日曜日に、イエス様はろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。これを記念して教会では、イエス様の十字架の死の5日前の日曜日(イエス様の復活の日の7日前の日曜日)を、「棕櫚の主日」と呼びます。英語では「パームサンデー」です。イエス様がエルサレムに入られるとき、群衆が棕櫚の枝を持って歓迎したからです。その歓迎の日曜日の翌々日の火曜日が今日の場面だと考えられています。イエス様はこの火曜日に、エルサレムの宗教指導者たちと問答(論争)を繰り広げられます。この論争が最初の問答(論争)です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶこともあるそうです。
イエス様は、エルサレムの神殿を愛しておられます。そこはイエス様にとって、「父の家」、「父なる神様の家」だからです。イエス様はこの神殿で、愛と正義が行われることを願っておられます。ところが神殿の中は腐敗しておりました。ある人々は、聖なる礼拝の場である神殿を、金儲けの場、騒々しい市場に変えてしまいました。聖なる神殿が、人間の罪と欲望が幅をきかせる場とされてしまいました。エルサレムに入られたイエス様は、聖なる怒りを発揮され、神殿で商売をしていた人々を追い出し始め、こうおっしゃいました。「(聖書に)こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」この出来事は「宮清め」と呼ばれます。イエス様は、律法学者でもなく長老でもありません。牧師や神父という公の職名をお持ちでもありません。この世の肩書を何もお持ちでない、33才くらいの青年です。しかしイエス様は神の子です。父なる神様の御心に100%従って行動しておられます。ですからイエス様のお言葉、なさることは全て正しいのです。
そのイエス様に、エルサレムの宗教指導者たちが近づいて来て、怒って詰問します。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。」「何の肩書もない若者であるあなたが、大切な神殿で人々を追い出すという乱暴狼藉を働いたことは許せない。一体誰の許可を得てあのようなことを行ったのか」というのです。彼らはイエス様に対して強い憎しみと敵意を覚えています。もちろんこの憎しみと敵意は、神様に逆らう憎しみと敵意です。彼らは、この憎しみと敵意でイエス様を十字架に追いやるのです。神殿を清めた行いが、イエス様への憎しみと敵意を決定的に高めました。
本日の説教題は「イエス様の権威」です。小見出しは「権威についての問答」です。どちらにも権威という言葉が出ています。権威という言葉は、今はあまり使わない分かりにくい言葉になっているように思います。権威とは、「何が正しくて、何が間違っているかを決める力」ではないかと思います。私たちが属するプロテスタント教会は、16世紀ヨーロッパの宗教改革によってスタートしました。「宗教改革の三大原理」があり、①「聖書のみ」、②「信仰のみ」、③「万人祭司」です。①の「聖書のみ」は、「聖書にのみ権威がある」ということです。言い換えるとローマ教皇のようなトップ・人間の権威を置かないということです。責任者は置きますが、ローマ教皇のような存在を置きません。私たちは聖書こそ神様の言葉であると信じ、聖書にのみ権威を認めます。聖書の御言葉によって、何が正しくて何が間違っているかを判断します。そのために聖書を偏見なく学ぶことが必要です。
ちなみに②の「信仰のみ」は、私たちが自分の善い行いによって天国に入ることはできず、ただイエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができるということです。なぜかと言いますと、私たちの行いは、それが善い行いであっても、必ずそこに罪が混じっているからです。罪が少しでも混じった行いでは、私たちが天国に入ることはできないのです。天国は聖なる場でもあるからです。私たちは、イエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができます。これも聖書の御言葉によって、そう信じることができるのです。
③の「万人祭司」は、プロテスタントではカトリックほど明確に聖職者と信徒の区別を設けないということです。牧師と信徒の区別は一応ありますが、その差は決定的に大きな差ではありません。牧師や伝道師でなくても、祈ることも伝道もできますし、またそうすることが神様から求められていると信じます。クリスチャンは皆祈り、皆伝道します。これが万人祭司です。当たり前ですが、神様の前に私たちは皆平等、一人の罪人です。
イエス様は神の子であられ、旧約聖書をよく学ばれ、旧約聖書の御言葉を私たちの誰よりよくご存じであられ、そこに記された神様の御言葉に従って行動されます。ですから、イエス様の言葉と行いはすべて正しく、イエス様には権威があるのです。イエス様は権力をもっておられませんが、権威を持っておられます。私たちも権力を求めると堕落します。私たちは決して権力を求めることなく、神様の権威ある御言葉に従って生きてゆきます。イエス様は、「その権威を与えたのは誰か」と詰問されましたが、イエス様に神殿を清める権威をお与えになった方は、父なる神様ご自身です。
イエス様はこの質問に、ストレートにお答えになりませんでした。問いをもってお答えになります。(3節の途中~4節)「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」 「洗礼者ヨハネが授けた洗礼(バプテスマ)は、真の神様がよしとされた洗礼だったか、それともヨハネが勝手に授けた洗礼だったか」、という問いです。もっとはっきり言うと、「洗礼者ヨハネは、真の神様から遣わされて活動したのか、それとも神様から遣われていないのに勝手に活動しただけなのか、どちらか」、という問いです。もちろんヨハネは真の神様から遣わされた、真の預言者です。ヨハネの説教と洗礼を素直に受け入れることは、真の神様に従うことだったのです。ヨハネの洗礼は天からのものであり、真の神様の権威によってなされた洗礼だったのです。エルサレムの宗教指導者たちにもそれは分かっていたはずです。ですが彼らは、ヨハネが耳に痛いことを語るのでヨハネを嫌い、ヨハネを拒否しました。彼らは「ヨハネの洗礼(バプテスマ)は天からのものです」と素直に答えればよいのに、それをせず、「どこからか分からない」と言い逃れをしました。
彼らは、真の神様に従う純真な意志を捨てており、自分たちの特権と地位を守ることにしか関心がなかったのです。男性がこのようになりやすいのです。私もこうならないようによく気をつけたいのです。彼らは相談しました。仲間うちだけで罪深い本音を出す相談、人に聞かれては都合の悪い相談です。(5節)「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。」その通りです。イエス様に完全に一本負けして、すごすごと引き下がるほかなくなります。そうすればよいのですが、彼らの罪深いメンツがそれを拒否するのです。(6節)「『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」 「人からのものだ」と言えば、それは偽りであり、白を無理に黒とするに等しいことですから、民衆の怒りを買います。それは嫌なのです。どちらに答えても自分たちに都合が悪くなるので、彼らはずるく逃げます。「分からない」と答えるのです。本当は分かっているのに、です。
それにしても、たった1つの質問で彼らを窮地に追い込むとは、イエス様の聡明さに驚くばかりです。イエス様は神様の真理に立って語り、行動しておられるので、強いのです。彼らは偽りに従って行動しているので、イエス様に歯が立ちません。真理ほど強いものはありません。イエス様は、彼らを相手になさいません。それで、こうお答えになります。(8節)「それなら、何の権威でこのようなことするのか、私も言うまい。」私たちは、イエス様が真の神様の権威で神殿を清められたことを知っています。
ここで「ヨハネの洗礼」と、「イエス様の名による洗礼」を比べてみましょう。マルコによる福音書1章4~8節に、次のように書かれています。「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼(バプテスマ)を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。わたしは水であなたたちに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。』」
ヨハネの洗礼は、水による洗礼であり、「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」でした。もちろんそれも神様の意志による洗礼です。イエス様はヨハネから洗礼をお受けになり、その時イエス様に聖霊が注がれました。そしてヨハネは、「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と語り、その方が聖霊で洗礼をお授けになると予告しました。その方は、もちろんイエス様です。ヨハネはイエス様を指し示す存在であり、イエス様がお授けになる洗礼こそ、完全な洗礼です。その洗礼は、キリスト教会が神様に許されて執り行う「父・子・聖霊なる三位一体の神様のお名前による洗礼」でしょう。通常、洗礼式を執り行うのは人間の牧師ですが、実際に洗礼をお授けになる方はイエス様です。この洗礼は、イエス様の十字架の死と復活によって支えられた洗礼です。イエス様はゴルゴタの丘の十字架で死なれ、私たちの全ての罪を背負いきって下さいました。私たちがこれまでに犯した罪も、今後心ならずも犯してしまう罪も、本当に全部背負いきって下さったのです。そして三日目に復活されました。このイエス様の十字架の死と復活に支えられてはじめて、教会は洗礼式を執り行うことができます。私たちが自分の罪を悔い改めて、この洗礼受けると、私たちのすべての罪は赦され、私たちは神の子とされ、永遠の命をいただきます。イエス様が十字架でわたしたちのために犠牲となって死んで下さったお陰で、このようなすばらしい洗礼が可能となりました。
イエス様の十字架の死による罪の赦しがどんなにすばらしいか、先月の礼拝の招詞の後半で知ることができます。ローマの信徒への手紙5章16節の後半です。
「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」 「裁きの場合」を言い換えると、「旧約の場合」、「律法の場合」となります。律法の代表はモーセの十戒です。十戒の一つ一つの戒めを学ぶとき、私たちはどの戒めをも、完全に守ることができない自分に気づきます。十戒・律法は神様の御心に適う善きものですが、私たちの罪を指摘する働きを致します。十戒・律法は、私たちに罪の自覚を与え、自分が神様の前に罪人であることを教えます。ですから十戒・律法だけでは、救いになりません。
ですがここに福音・グッドニュースがもたらされました。イエス・キリストがその私たちの全ての罪を担いきって十字架で死んで下さり、復活されたという福音・グッドニュースです。自分の罪を悔い改め、このイエス様を自分の救い主と信じ告白する人には、それまでにどんなに大きな罪があったとしても全部の罪の赦しが与えられるのです! それが「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」の意味です。「父・子・聖霊なる三位一体の神様」のお名前によって洗礼を受けるとき、この赦しがその人のものとなります。洗礼を受ける時、イエス様が天から「あなたの罪は全て赦された」と宣言して下さいます。イエス様の肉声は聞こえませんが、イエス様が父なる神様の権威によって、「あなたの罪の赦しは確実だ」と宣言して下さるのです。
先週の火曜日に、西東京教区伝道部の主催による「府中刑務所見学会」に参加致しました。東久留米教会より5名、全体で43名が参加し、学びました。刑務所に入る前に、伝道部委員長である牧師が聖書を朗読され、お祈りされました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたし(イエス様)が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコによる福音書2章17節)。(ルカによる福音書では「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」)。 考えてみれば、刑務所にはイエス・キリストによる罪の赦しを最も必要としている方々がおられます(万一冤罪の方がおられればそれは別です)。もちろん、私たちは皆、罪人(つみびと)ですから、私たちは皆、イエス・キリストによる罪の赦しを必要としています。イエス様による罪の赦しを必要としない人は一人もいません。
20世紀の代表的なプロテスタント神学者に、カール・バルトというスイスの牧師がおります。晩年は、日曜日は教会の礼拝に出席してほかの牧師の説教を聴き、自らはほとんど刑務所だけで説教したそうです。刑務所にこそ、イエス様による罪の赦しの福音を最も切実に必要とする人々がいる、との思いからでしょう。「イエス様はあなたたちのためにも十字架で死んで下さった。罪を悔い改めて、イエス様を信じれば、あなたたちの罪も確実に赦され、天国が保証される」との思いを込めて説教したのではないでしょうか。凶悪な犯罪を犯した死刑囚であっても、罪を深く悔い改めてイエス様を信じるならば、天国に入れていただけるのです。
イエス様は十字架の死の間際まで、福音を宣べ伝えられたのです。イエス様の十字架の隣りには、同じく十字架に架けられた死刑囚が二人いました。そのうちの一人はイエス様に食ってかかりましたが、もう一人は自分の罪を認め、深く悔いてこう言いました。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。~イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい」(ルカによる福音書23章41~42節)。するとイエス様は、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(同23章43節)と約束して下さいました。
府中刑務所は、日本最大規模の刑務所で、現在2540名が収容されているとのことです。男性のみです。一周約1.8キロで、高さ約4メートルの塀で囲まれています。脱走はまず不可能という印象です。その日は晴れでしたので、太陽だけは塀の中にも平等に、さんさんと注がれていました。健康に大きな問題がない受刑者は午前4時間、午後4時間、刑務所内の工場などで作業をなさいます。私たちはその様子を見させていただきました。私語は禁止のようで、皆さん黙々と作業に集中しておられます。もちろん私たちが話しかけることはできません。一ヶ月働くと3000円から1万円の収入になるそうです。一日30分間は運動の時間があります。野外の運動場・体育館があります。工場内は暖かい感じでしたが、居室(一人部屋や八人部屋がある)は冷暖房なしでした。これはちょっと辛いですね。夏はうちわのみ、冬は厚着かふとんを多めにかぶることでしのぐようです。トイレは各居室内にあります。作業時間やお風呂の時間や許可された時間以外は、居室から出ることができません。ドアには外にのみノブがあり、内側にはノブがないそうで、外から鍵をかけ、内側からは開けることができないドアとのことです。食事は三食提供され(一日2300カロリー)、三割麦の入ったご飯だそうです。お風呂は週2回15分ずつ、夏は週3回だそうです。非常に規則正しい毎日の生活です。
40名くらい入るキリスト教式の礼拝堂があり、ここで教誨師の牧師の話を聴くことができます。それ以外に仏教の部屋、神道の部屋があるそうです。受刑者の約4分の1が60才以上、最高齢は88才とのことです。約6分の1の420名が外国人で、多い順に中国人、イラン人、メキシコ人、台湾人とのことです。56ヶ国の外国人がおり、言語数は47とのことです。日本人の受刑者の罪は、窃盗、覚醒剤等の薬物乱用が多いそうです。暴力団関係者も多いそうです。外国人受刑者の罪は、覚醒剤密輸などが多いそうです。刑期が終われば社会復帰するので、刑務所にいる間に薬物を絶つ指導、暴力団から抜ける指導などを行うそうです。高齢や障碍のある受刑者が多くなっており、出所しても仕事も住む所もない場合があり、そのままではホームレスになる恐れがあるので、再犯防止のためにも、行く先を探す、場合によっては福祉施設に橋渡しするなどのことも刑務所の職員がなさるようです。 受刑者の方々が罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることができるように。私たちも自分の罪を悔い改めて、新しい気持ちでイエス・キリストを信じることができるように祈りましょう。
本日の旧約聖書はイザヤ書40章です。
「呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(3節)。
これは紀元前6世紀の言葉です。バビロンで捕囚となっていたイスラエルの民が、ようやく故郷に帰ることができるようになったのです。喜ばしいメッセージです。神様ご自身が先頭に立って、民を導かれるので、荒れ野に道を備えよというのです。
新約聖書では、洗礼者ヨハネの声こそ、「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声は、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫びます。ヨハネの使命は、イスラエルの人々を罪の悔い改めに導き、人々の心を救い主イエス・キリストに迎えるにふさわしい素直な心に耕すことです。
わたしたちも今、新しい気持ちでイエス・キリストを心の中に迎え入れましょう。わたしたちの身代わりに十字架にかかって下さり、復活されたイエス様に、ひたすら感謝して参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。
「『ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』」(ルカによる福音書20章4節)
(1~2節)「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。』」 「ある日」は火曜日と考えられます。イエス様は3日後の金曜日に十字架につけられます。その5日前の日曜日に、イエス様はろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。これを記念して教会では、イエス様の十字架の死の5日前の日曜日(イエス様の復活の日の7日前の日曜日)を、「棕櫚の主日」と呼びます。英語では「パームサンデー」です。イエス様がエルサレムに入られるとき、群衆が棕櫚の枝を持って歓迎したからです。その歓迎の日曜日の翌々日の火曜日が今日の場面だと考えられています。イエス様はこの火曜日に、エルサレムの宗教指導者たちと問答(論争)を繰り広げられます。この論争が最初の問答(論争)です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶこともあるそうです。
イエス様は、エルサレムの神殿を愛しておられます。そこはイエス様にとって、「父の家」、「父なる神様の家」だからです。イエス様はこの神殿で、愛と正義が行われることを願っておられます。ところが神殿の中は腐敗しておりました。ある人々は、聖なる礼拝の場である神殿を、金儲けの場、騒々しい市場に変えてしまいました。聖なる神殿が、人間の罪と欲望が幅をきかせる場とされてしまいました。エルサレムに入られたイエス様は、聖なる怒りを発揮され、神殿で商売をしていた人々を追い出し始め、こうおっしゃいました。「(聖書に)こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」この出来事は「宮清め」と呼ばれます。イエス様は、律法学者でもなく長老でもありません。牧師や神父という公の職名をお持ちでもありません。この世の肩書を何もお持ちでない、33才くらいの青年です。しかしイエス様は神の子です。父なる神様の御心に100%従って行動しておられます。ですからイエス様のお言葉、なさることは全て正しいのです。
そのイエス様に、エルサレムの宗教指導者たちが近づいて来て、怒って詰問します。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。」「何の肩書もない若者であるあなたが、大切な神殿で人々を追い出すという乱暴狼藉を働いたことは許せない。一体誰の許可を得てあのようなことを行ったのか」というのです。彼らはイエス様に対して強い憎しみと敵意を覚えています。もちろんこの憎しみと敵意は、神様に逆らう憎しみと敵意です。彼らは、この憎しみと敵意でイエス様を十字架に追いやるのです。神殿を清めた行いが、イエス様への憎しみと敵意を決定的に高めました。
本日の説教題は「イエス様の権威」です。小見出しは「権威についての問答」です。どちらにも権威という言葉が出ています。権威という言葉は、今はあまり使わない分かりにくい言葉になっているように思います。権威とは、「何が正しくて、何が間違っているかを決める力」ではないかと思います。私たちが属するプロテスタント教会は、16世紀ヨーロッパの宗教改革によってスタートしました。「宗教改革の三大原理」があり、①「聖書のみ」、②「信仰のみ」、③「万人祭司」です。①の「聖書のみ」は、「聖書にのみ権威がある」ということです。言い換えるとローマ教皇のようなトップ・人間の権威を置かないということです。責任者は置きますが、ローマ教皇のような存在を置きません。私たちは聖書こそ神様の言葉であると信じ、聖書にのみ権威を認めます。聖書の御言葉によって、何が正しくて何が間違っているかを判断します。そのために聖書を偏見なく学ぶことが必要です。
ちなみに②の「信仰のみ」は、私たちが自分の善い行いによって天国に入ることはできず、ただイエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができるということです。なぜかと言いますと、私たちの行いは、それが善い行いであっても、必ずそこに罪が混じっているからです。罪が少しでも混じった行いでは、私たちが天国に入ることはできないのです。天国は聖なる場でもあるからです。私たちは、イエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができます。これも聖書の御言葉によって、そう信じることができるのです。
③の「万人祭司」は、プロテスタントではカトリックほど明確に聖職者と信徒の区別を設けないということです。牧師と信徒の区別は一応ありますが、その差は決定的に大きな差ではありません。牧師や伝道師でなくても、祈ることも伝道もできますし、またそうすることが神様から求められていると信じます。クリスチャンは皆祈り、皆伝道します。これが万人祭司です。当たり前ですが、神様の前に私たちは皆平等、一人の罪人です。
イエス様は神の子であられ、旧約聖書をよく学ばれ、旧約聖書の御言葉を私たちの誰よりよくご存じであられ、そこに記された神様の御言葉に従って行動されます。ですから、イエス様の言葉と行いはすべて正しく、イエス様には権威があるのです。イエス様は権力をもっておられませんが、権威を持っておられます。私たちも権力を求めると堕落します。私たちは決して権力を求めることなく、神様の権威ある御言葉に従って生きてゆきます。イエス様は、「その権威を与えたのは誰か」と詰問されましたが、イエス様に神殿を清める権威をお与えになった方は、父なる神様ご自身です。
イエス様はこの質問に、ストレートにお答えになりませんでした。問いをもってお答えになります。(3節の途中~4節)「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」 「洗礼者ヨハネが授けた洗礼(バプテスマ)は、真の神様がよしとされた洗礼だったか、それともヨハネが勝手に授けた洗礼だったか」、という問いです。もっとはっきり言うと、「洗礼者ヨハネは、真の神様から遣わされて活動したのか、それとも神様から遣われていないのに勝手に活動しただけなのか、どちらか」、という問いです。もちろんヨハネは真の神様から遣わされた、真の預言者です。ヨハネの説教と洗礼を素直に受け入れることは、真の神様に従うことだったのです。ヨハネの洗礼は天からのものであり、真の神様の権威によってなされた洗礼だったのです。エルサレムの宗教指導者たちにもそれは分かっていたはずです。ですが彼らは、ヨハネが耳に痛いことを語るのでヨハネを嫌い、ヨハネを拒否しました。彼らは「ヨハネの洗礼(バプテスマ)は天からのものです」と素直に答えればよいのに、それをせず、「どこからか分からない」と言い逃れをしました。
彼らは、真の神様に従う純真な意志を捨てており、自分たちの特権と地位を守ることにしか関心がなかったのです。男性がこのようになりやすいのです。私もこうならないようによく気をつけたいのです。彼らは相談しました。仲間うちだけで罪深い本音を出す相談、人に聞かれては都合の悪い相談です。(5節)「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。」その通りです。イエス様に完全に一本負けして、すごすごと引き下がるほかなくなります。そうすればよいのですが、彼らの罪深いメンツがそれを拒否するのです。(6節)「『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」 「人からのものだ」と言えば、それは偽りであり、白を無理に黒とするに等しいことですから、民衆の怒りを買います。それは嫌なのです。どちらに答えても自分たちに都合が悪くなるので、彼らはずるく逃げます。「分からない」と答えるのです。本当は分かっているのに、です。
それにしても、たった1つの質問で彼らを窮地に追い込むとは、イエス様の聡明さに驚くばかりです。イエス様は神様の真理に立って語り、行動しておられるので、強いのです。彼らは偽りに従って行動しているので、イエス様に歯が立ちません。真理ほど強いものはありません。イエス様は、彼らを相手になさいません。それで、こうお答えになります。(8節)「それなら、何の権威でこのようなことするのか、私も言うまい。」私たちは、イエス様が真の神様の権威で神殿を清められたことを知っています。
ここで「ヨハネの洗礼」と、「イエス様の名による洗礼」を比べてみましょう。マルコによる福音書1章4~8節に、次のように書かれています。「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼(バプテスマ)を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。わたしは水であなたたちに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。』」
ヨハネの洗礼は、水による洗礼であり、「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」でした。もちろんそれも神様の意志による洗礼です。イエス様はヨハネから洗礼をお受けになり、その時イエス様に聖霊が注がれました。そしてヨハネは、「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と語り、その方が聖霊で洗礼をお授けになると予告しました。その方は、もちろんイエス様です。ヨハネはイエス様を指し示す存在であり、イエス様がお授けになる洗礼こそ、完全な洗礼です。その洗礼は、キリスト教会が神様に許されて執り行う「父・子・聖霊なる三位一体の神様のお名前による洗礼」でしょう。通常、洗礼式を執り行うのは人間の牧師ですが、実際に洗礼をお授けになる方はイエス様です。この洗礼は、イエス様の十字架の死と復活によって支えられた洗礼です。イエス様はゴルゴタの丘の十字架で死なれ、私たちの全ての罪を背負いきって下さいました。私たちがこれまでに犯した罪も、今後心ならずも犯してしまう罪も、本当に全部背負いきって下さったのです。そして三日目に復活されました。このイエス様の十字架の死と復活に支えられてはじめて、教会は洗礼式を執り行うことができます。私たちが自分の罪を悔い改めて、この洗礼受けると、私たちのすべての罪は赦され、私たちは神の子とされ、永遠の命をいただきます。イエス様が十字架でわたしたちのために犠牲となって死んで下さったお陰で、このようなすばらしい洗礼が可能となりました。
イエス様の十字架の死による罪の赦しがどんなにすばらしいか、先月の礼拝の招詞の後半で知ることができます。ローマの信徒への手紙5章16節の後半です。
「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」 「裁きの場合」を言い換えると、「旧約の場合」、「律法の場合」となります。律法の代表はモーセの十戒です。十戒の一つ一つの戒めを学ぶとき、私たちはどの戒めをも、完全に守ることができない自分に気づきます。十戒・律法は神様の御心に適う善きものですが、私たちの罪を指摘する働きを致します。十戒・律法は、私たちに罪の自覚を与え、自分が神様の前に罪人であることを教えます。ですから十戒・律法だけでは、救いになりません。
ですがここに福音・グッドニュースがもたらされました。イエス・キリストがその私たちの全ての罪を担いきって十字架で死んで下さり、復活されたという福音・グッドニュースです。自分の罪を悔い改め、このイエス様を自分の救い主と信じ告白する人には、それまでにどんなに大きな罪があったとしても全部の罪の赦しが与えられるのです! それが「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」の意味です。「父・子・聖霊なる三位一体の神様」のお名前によって洗礼を受けるとき、この赦しがその人のものとなります。洗礼を受ける時、イエス様が天から「あなたの罪は全て赦された」と宣言して下さいます。イエス様の肉声は聞こえませんが、イエス様が父なる神様の権威によって、「あなたの罪の赦しは確実だ」と宣言して下さるのです。
先週の火曜日に、西東京教区伝道部の主催による「府中刑務所見学会」に参加致しました。東久留米教会より5名、全体で43名が参加し、学びました。刑務所に入る前に、伝道部委員長である牧師が聖書を朗読され、お祈りされました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたし(イエス様)が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコによる福音書2章17節)。(ルカによる福音書では「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」)。 考えてみれば、刑務所にはイエス・キリストによる罪の赦しを最も必要としている方々がおられます(万一冤罪の方がおられればそれは別です)。もちろん、私たちは皆、罪人(つみびと)ですから、私たちは皆、イエス・キリストによる罪の赦しを必要としています。イエス様による罪の赦しを必要としない人は一人もいません。
20世紀の代表的なプロテスタント神学者に、カール・バルトというスイスの牧師がおります。晩年は、日曜日は教会の礼拝に出席してほかの牧師の説教を聴き、自らはほとんど刑務所だけで説教したそうです。刑務所にこそ、イエス様による罪の赦しの福音を最も切実に必要とする人々がいる、との思いからでしょう。「イエス様はあなたたちのためにも十字架で死んで下さった。罪を悔い改めて、イエス様を信じれば、あなたたちの罪も確実に赦され、天国が保証される」との思いを込めて説教したのではないでしょうか。凶悪な犯罪を犯した死刑囚であっても、罪を深く悔い改めてイエス様を信じるならば、天国に入れていただけるのです。
イエス様は十字架の死の間際まで、福音を宣べ伝えられたのです。イエス様の十字架の隣りには、同じく十字架に架けられた死刑囚が二人いました。そのうちの一人はイエス様に食ってかかりましたが、もう一人は自分の罪を認め、深く悔いてこう言いました。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。~イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい」(ルカによる福音書23章41~42節)。するとイエス様は、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(同23章43節)と約束して下さいました。
府中刑務所は、日本最大規模の刑務所で、現在2540名が収容されているとのことです。男性のみです。一周約1.8キロで、高さ約4メートルの塀で囲まれています。脱走はまず不可能という印象です。その日は晴れでしたので、太陽だけは塀の中にも平等に、さんさんと注がれていました。健康に大きな問題がない受刑者は午前4時間、午後4時間、刑務所内の工場などで作業をなさいます。私たちはその様子を見させていただきました。私語は禁止のようで、皆さん黙々と作業に集中しておられます。もちろん私たちが話しかけることはできません。一ヶ月働くと3000円から1万円の収入になるそうです。一日30分間は運動の時間があります。野外の運動場・体育館があります。工場内は暖かい感じでしたが、居室(一人部屋や八人部屋がある)は冷暖房なしでした。これはちょっと辛いですね。夏はうちわのみ、冬は厚着かふとんを多めにかぶることでしのぐようです。トイレは各居室内にあります。作業時間やお風呂の時間や許可された時間以外は、居室から出ることができません。ドアには外にのみノブがあり、内側にはノブがないそうで、外から鍵をかけ、内側からは開けることができないドアとのことです。食事は三食提供され(一日2300カロリー)、三割麦の入ったご飯だそうです。お風呂は週2回15分ずつ、夏は週3回だそうです。非常に規則正しい毎日の生活です。
40名くらい入るキリスト教式の礼拝堂があり、ここで教誨師の牧師の話を聴くことができます。それ以外に仏教の部屋、神道の部屋があるそうです。受刑者の約4分の1が60才以上、最高齢は88才とのことです。約6分の1の420名が外国人で、多い順に中国人、イラン人、メキシコ人、台湾人とのことです。56ヶ国の外国人がおり、言語数は47とのことです。日本人の受刑者の罪は、窃盗、覚醒剤等の薬物乱用が多いそうです。暴力団関係者も多いそうです。外国人受刑者の罪は、覚醒剤密輸などが多いそうです。刑期が終われば社会復帰するので、刑務所にいる間に薬物を絶つ指導、暴力団から抜ける指導などを行うそうです。高齢や障碍のある受刑者が多くなっており、出所しても仕事も住む所もない場合があり、そのままではホームレスになる恐れがあるので、再犯防止のためにも、行く先を探す、場合によっては福祉施設に橋渡しするなどのことも刑務所の職員がなさるようです。 受刑者の方々が罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることができるように。私たちも自分の罪を悔い改めて、新しい気持ちでイエス・キリストを信じることができるように祈りましょう。
本日の旧約聖書はイザヤ書40章です。
「呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(3節)。
これは紀元前6世紀の言葉です。バビロンで捕囚となっていたイスラエルの民が、ようやく故郷に帰ることができるようになったのです。喜ばしいメッセージです。神様ご自身が先頭に立って、民を導かれるので、荒れ野に道を備えよというのです。
新約聖書では、洗礼者ヨハネの声こそ、「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声は、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫びます。ヨハネの使命は、イスラエルの人々を罪の悔い改めに導き、人々の心を救い主イエス・キリストに迎えるにふさわしい素直な心に耕すことです。
わたしたちも今、新しい気持ちでイエス・キリストを心の中に迎え入れましょう。わたしたちの身代わりに十字架にかかって下さり、復活されたイエス様に、ひたすら感謝して参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。
2014-01-27 19:44:44(月)
「雲の柱、火の柱」 2014年1月26日(日) 降誕節第5主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記13章1~22節、コリントの信徒への手紙(一)5章1~8節
「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
(出エジプト記13章22節)
本日の箇所の直前の12章で、イスラエルの民はエジプトからの脱出を開始したのです。人数は壮年男子だけで60万人です。妻子を入れると200万人以上になるでしょう。まず3節。「モーセは民に言った。『あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。』」小見出しに「除酵祭」とあります。除酵祭は過越祭と並んで、神様がエジプトから脱出させて下さった恵みを記念する祭りです。イスラエルの民は、出エジプトのとき、酵母を入れないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担ぎました。酵母は新約聖書ではパン種と呼ばれ、私たちはイースト菌と呼んでいます。12章8節に、出エジプトする人々への神様からの指示がこう書かれています。「酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。」
練り粉に酵母が入っていなかったのは、急いでいたので入れる時間がなかったからです。申命記16章3節ではこのパンのことが、「酵母を入れない苦しみのパン」と書かれています。ですから酵母を入れないパンは、エジプトでの苦難のシンボルでもあるようです。1956年のアメリカ映画『十戒』では、チャールトン・ヘストンが演じるモーセが、「苦菜は、エジプトでの奴隷生活の苦しみを忘れないためだ」と言っています。将来幸せになっても、エジプトでの苦難を忘れて思い上がってはならない。そしてエジプトでの苦難から助け出して下さった神様の偉大な恵みを決して忘れてはならない。このためにイスラエルの民は、約束の地・カナンの地に入った暁には、除酵祭(酵母を除く祭り)を守ることが、神様から求められるのです。そのことが5節から7節に書かれています。「主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月(アビブの月。ユダヤの暦の1月・正月。私たちの暦の3・4月。アビフは『大麦の穂』の意味)にこの儀式を行わねばならない。七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」
この祭りを行い続けることで、神様の偉大な恵みを思い出し信仰を強めるのです。
私たちの信仰生活の中でも、神様の恵みを感じにくいときがあります。試練の時、荒れ野の時、私たちは負けそうになるのです。ですがイスラエルの民であれば、過越祭や除酵祭を守ることで、出エジプトの恵みを与えて下さった神様の愛が事実であることを思い起こして確かめ、信仰を強めるのです。私たちであれば、毎月第一日曜日とクリスマス・イースター・ペンテコステの礼拝の中で行う聖餐式が同じ意義を持っています。イエス・キリストは間違いなく私たちのために十字架で死んで下さり、三日目に復活された。今も生きて私たちに聖霊を注いで下さる。この目に見えない恵みを、目で見えるようにするのが聖餐式です。聖餐式でパンとぶどう汁を受け続けることによって、私たちの弱りがちな信仰は強められます。神様が私たちを愛していて下さる事実を再確認することができるのです。
西東京教区の2011年の伝道協議会で、講師の左近豊牧師が語られたメッセージを思い出します。「神がエジプトから救い出し、契約の相手として選ばれ、ヨルダン川を渡って『約束の地』に入れられたことがイスラエルを一つにしているのであり、信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威である。風化と忘却に抵抗し、沈黙を破って語り伝えることに教育の真髄を見ていたのが旧約の民である。」ポイントを繰り返しますと、「信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威。風化と忘却に抵抗することが最も大切」ということです。確かに風化と戦うことはぜひとも必要です。日本で言えば、太平洋戦争の敗戦、阪神淡路大震災や東日本大震災。これらの事実を決して風化させることなく、(辛いことですが)忘れることなく、しっかりと記憶に刻みつけ、次の世代、次の次の世代にしっかりと継承することが必要です。そうしないと過去の出来事から学ぶことができず、同じ失敗を繰り返してしまうのです。
昨年10月の神学校日礼拝で、A神学生がお説教して下さり、「神様の民は後ろ向きに前進する」という印象的な言葉を語って下さいました。それは今申し上げたようなことだと私は解釈します。私たちは前進するのですが、ただ前だけを向いて進むだけでは危ういのです。前も見る必要がありますが、同時に後ろ・過去をしっかりと見つめていることが必要です。過去の失敗に十分学んで進むのでないと、過去の失敗を繰り返す愚かさを犯してしまいます。それでは前進したことになりません。
西ドイツ(当時)のクリスチャン大統領であったヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」という演説をご存じの方も多いでしょう。岩波ブックレットで読むことができます。それほど長くはありません。読んでみると聖書に深く土台を置いた演説であることが分かります。この演説はドイツの敗戦からちょうど40年の日(1985年5月8日)にドイツ連邦議会で行われた演説です。その一部拾ってみます。「ドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます。戦いに苦しんだすべての民族、なかんずく(その中でも)ソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で、捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー<永井清彦訳>『新版 荒れ野の40年』岩波書店、2009年、6ページ)。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(同書、11ページ)。 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」は名言です。この演説は、ドイツの大統領としての悔い改めの演説です。真の悔い改めなしに真の希望は生まれません。真の悔い改めの先にのみ、真の希望が生まれます。神様が、私たちの真の悔い改めを喜んで下さるからです。
罪を悔い改めないで、ただ進むのでは、過去の罪を繰り返す結果に終わるのではないでしょうか。そうならないために、「後ろ向きに前進する」ことが大切だと学びたいのです。私たち個人も、教会も、日本も、世界もです。旧約聖書のイスラエルの民は、出エジプトの恵みをいつも思い起こし、そして自分たちがその後神様に逆らった罪を思い起こして、悔い改めつつ歩んだと思うのです。忘れることなく思い起こすことは、私たちにとって非常に大切です。神様に以前いただいた恵みについても、忘れないことが大切です。今が辛いときは特にそうです。過去に受けた恵みを思い出し感謝することで、もう一回神様に祈って立ち上がる力とするのです。
出エジプト記に戻ります。(7節)「酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」後のイスラエルの人々はこの御言葉に忠実に従って、過越祭・除酵祭の前に、家の中で明かりを持って部屋の隅々までチェックして、家の中からすべての酵母を本当に徹底的に取り除いたそうです。新約聖書のマタイによる福音書16章6節でイエス様は弟子たちに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」とおっしゃいました。ここでのパン種は、ファリサイ派やサドカイ派の人々の偽善的な教えを指します。
そして本日の新約聖書コリントの信徒への手紙(一)5章では、パン種は罪の意味で用いられます。これはイエス様の弟子・使徒パウロが、コリントの教会の人々に悔い改めを求める御言葉です。コリントの教会に、みだらな行い(性的な罪)を犯している人がいました。それは「異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしている」(1節)罪です。ある信徒が父親の妻(自分の母親ではない)と同棲していたのです。レビ記18章8節に、「父の妻を犯してはならない。父を辱めることだからである」とある規定に反する罪です。パウロは、そのような罪を犯している人を、悲しみをもって教会から一旦除外するように求めています。それはその人が一旦裁かれて、最終的に救われるためだと述べています。そして(6節)「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませる」と注意を促しています。ここでのパン種は罪を意味します。罪を放置すると、教会の中に蔓延する恐れがあるから、断固食い止めるようにということです。
(7節)「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」「古いパン種」=罪を、教会の中からきれいに取り除きなさいということです。私たちはイエス様を信じた後も残念ながら罪人(つみびと)ですから、罪をゼロにすることはできませんが、それでも明らかな罪はできる限り取り除きなさいということです。
(8節)「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」ここでの過越祭は教会の礼拝を指すとも言えますし、パンを食べ杯を飲むこと・つまり聖餐を意味するとも言えます。できるだけ罪を取り除き悔い改めて、神様の祝福の中で礼拝を献げ、聖餐を祝おうというメッセージです。私たちは旧約聖書の除酵祭を行いませんが、罪を除き、罪を悔い改める意味においては、除酵祭を行う民です。
出エジプト記13章に戻り、小見出し「初子について」のところを見ます。(11~13節)「主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。~あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて贖わねばならない。」出エジプトの前夜、神様はエジプト人の初子(長子)をすべてお撃ちになり、エジプト人のすべての初子が死にました。しかしイスラエルの民の初子は、それぞれの家の二本の柱と鴨居に塗った犠牲の小羊の血のゆえに、撃たれませんでした。こうして小羊の犠牲の血によって救われたイスラエルの初子は皆、神様のものとなりました。ですから神様のものとして神様に献げるのです。動物の初子の場合は殺して献げるのですが、人間の男の子の場合は殺さないで、代わりに犠牲の動物を殺して、神様に献げるのでした。これを私たちに当てはめると、私たちはイエス・キリストの十字架の血潮のお陰で罪を赦され、神様の民に加えられました。ですから私たちも「神様のもの」です。私たちは、神様の御心に背く罪を犯してしまうこともありますが、それでも罪を悔い改め、「神様のもの」、「神様のよき僕」になりきって参りたいのです。
次に「火の柱、雲の柱」の小見出しに進みます。(17節)。「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならないことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」ある本によると、ペリシテ街道に進めば、ペリシテ人との戦争が避けられなかったということです。武器など持っていないイスラエルの民にとってそれは大きすぎる試練です。そこで神様はあえて遠回りでペリシテ人との戦争よりは困難の少ない道に導かれたというのです。(18節)「神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」大きすぎる試練は避けられましたが、約束の地への道は荒れ野の道です。それは神様が、ご自分の民の信仰が純粋で強い信仰になるように、鍛練して下さる道です。もちろん神様が共にいて下さいます。私たちキリスト者もイスラエルの民と同じように、約束の地・神の国を目指さして共に行進していますが、時に荒れ野を通ります。荒れ野が少ないことを願うのが人情ですが、時として避けられないことを覚悟する必要があります。
火曜日の祈祷会で、旧約聖書の民数記を読み進めています。なぜ民数記と呼ばれるかと言いますと、イスラエルの民の人口調査の記事があるからです。ですが民数記と呼ばれるようになったのは途中からです。旧約聖書のほとんどはヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語の旧約聖書では、最初の5つの書物(モーセ五書と呼ばれます)の各書の名前については、それぞれの本文の冒頭近くにある特徴的な言葉を書名とする伝統があるそうです。民数記の場合は、ヘブライ語聖書では「ベ・ミドバル(荒れ野にて)」(ミドバル=荒れ野)の言葉が、書の名前となって来たとのことです。この「荒れ野にて」という書名は、内容を要約するにぴったりの名です。なぜならこの書は、イスラエルの民がエジプトを出て、荒れ野の旅して約束の地に向かう様子を描いているからです。荒れ野の厳しい生活の中で、イスラエルの民は神様に養われ鍛えられるのですが、不平不満を多く言って神様に厳しく叱られる場面も多いのです。彼らは、荒れ野を共に行進して約束の地を目指すのです。私たちの信仰生活も同じで、共に行進して行く中で、時に荒れ野を通ること、神様による信仰の鍛練を受けることは避けられません。
(19節)「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」イスラエルの民は、430年間エジプトに住んだのです。長いですね。因みに今から430年前というと、戦国時代真っ只中の1584年です。今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛はキリシタンですが、ちょうど黒田官兵衛が生きていた頃です。自分の意によらずにエジプトに連れて行かれて苦労を重ね、その後、政治の責任者になったヨセフは、神様に支えられてこれほど先のことを見通していました。神様は、これから先の歴史をすべて見通しておられます。その歴史の中で、私たちは伝道の責任を果たしつつ生きてゆきます。
(21~22節)「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
荒れ野では試練もありましたが、神様が共におられることが目に見えました。雲の柱、火の柱によってです。神様は、出エジプト記16章からはマナという食べ物を与えて養って下さいます。神様は、クリスマスの場面では占星術の学者たちを、星によってイエス様のもとに導いて下さいますが、出エジプト記のときは雲の柱、火の柱によって導いて下さいました。私たちは、残念ながら直接雲の柱、火の柱を与えられていません。その代わり聖書の御言葉が与えられています。聖霊が与えられています。信仰告白の言葉も与えられています。そして、導きを求めて祈ることができます。私たちはこれらによって神様に導かれて参ります。詩編119編105節に次の御言葉があります。
「あなた(神様)の御言葉は、わたしの道の光/ わたしの歩みを照らす光。」
聖書の御言葉を正しく学ぶことが大切です。御言葉が私たちを、神様と隣人を愛する道、神様に喜ばれる道、正しい道に導きます。荒れ野を通ることがありますが、なお神様が私たちと共にいて下さいます。
これより歌う「讃美歌21」は、469番です。題は「善き力にわれ囲まれ」、作詞者はドイツの牧師ボンヘッファーです。ボンヘッファーは、ヒットラーという悪がドイツを支配した暗黒の時代を生きた人で、ヒットラーに抵抗したために39才で死刑にされました。ドイツが降伏するほぼ1ヶ月前の1945年4月9日、地上の人生を強制的に終えさせられました。その前の年の末にこの詩を書いたとされます。驚くほど深い信仰の言葉です。自分が現実に、暗黒の力に囲まれていたにもかかわらず、実はもっと強い神様の善き力に囲まれていると信じる歌詞です。悪の力がいかに猛威をふるい、自分も殺されたとしても、最後の最後の最後は必ず神様の愛と正義が勝利すると信頼していたのです。イエス様も十字架の上で、悪の力に囲まれておられましたが、父なる神様の愛と正義が、最後の最後の最後に必ず勝利すると確信して、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて息を引き取られたのです(ルカによる福音書23:46)。
その確信が正しいことを、父なる神様はイエス様の復活によって証明して下さいました。もちろん先程のヴァイツゼッカー氏も、ボンヘッファーの信仰と抵抗をよく知っておられたに違いありません。5節の歌詞はこうです。
「善き力に 守られつつ、/ 来るべき時を待とう。
夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
これは出エジプトの民の信仰と同じです。夜は火の柱、昼は雲の柱によって神様に
導かれた出エジプトの民の場合と同じように、
「夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
私は、列王記下6章15節以下の、預言者エリシャとその召し使いのエピソードを思い出します。 「神の人(エリシャ)の召し使いが朝早く起きて外に出て見ると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。『ああ、御主人よ、どうすればよいのですか。』するとエリシャは、『恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い』と言って、主に祈り、『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。」
悪に完全に包囲されていると肉眼に見える場合でも、実は目に見えない神様の愛と正義の善き力が、私たちを最終的・究極的に守っていて下さいます。この神様に信頼し、もう一度立ち上がって、ご一緒にイエス様に従う道を歩んで参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
(出エジプト記13章22節)
本日の箇所の直前の12章で、イスラエルの民はエジプトからの脱出を開始したのです。人数は壮年男子だけで60万人です。妻子を入れると200万人以上になるでしょう。まず3節。「モーセは民に言った。『あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。』」小見出しに「除酵祭」とあります。除酵祭は過越祭と並んで、神様がエジプトから脱出させて下さった恵みを記念する祭りです。イスラエルの民は、出エジプトのとき、酵母を入れないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担ぎました。酵母は新約聖書ではパン種と呼ばれ、私たちはイースト菌と呼んでいます。12章8節に、出エジプトする人々への神様からの指示がこう書かれています。「酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。」
練り粉に酵母が入っていなかったのは、急いでいたので入れる時間がなかったからです。申命記16章3節ではこのパンのことが、「酵母を入れない苦しみのパン」と書かれています。ですから酵母を入れないパンは、エジプトでの苦難のシンボルでもあるようです。1956年のアメリカ映画『十戒』では、チャールトン・ヘストンが演じるモーセが、「苦菜は、エジプトでの奴隷生活の苦しみを忘れないためだ」と言っています。将来幸せになっても、エジプトでの苦難を忘れて思い上がってはならない。そしてエジプトでの苦難から助け出して下さった神様の偉大な恵みを決して忘れてはならない。このためにイスラエルの民は、約束の地・カナンの地に入った暁には、除酵祭(酵母を除く祭り)を守ることが、神様から求められるのです。そのことが5節から7節に書かれています。「主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月(アビブの月。ユダヤの暦の1月・正月。私たちの暦の3・4月。アビフは『大麦の穂』の意味)にこの儀式を行わねばならない。七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」
この祭りを行い続けることで、神様の偉大な恵みを思い出し信仰を強めるのです。
私たちの信仰生活の中でも、神様の恵みを感じにくいときがあります。試練の時、荒れ野の時、私たちは負けそうになるのです。ですがイスラエルの民であれば、過越祭や除酵祭を守ることで、出エジプトの恵みを与えて下さった神様の愛が事実であることを思い起こして確かめ、信仰を強めるのです。私たちであれば、毎月第一日曜日とクリスマス・イースター・ペンテコステの礼拝の中で行う聖餐式が同じ意義を持っています。イエス・キリストは間違いなく私たちのために十字架で死んで下さり、三日目に復活された。今も生きて私たちに聖霊を注いで下さる。この目に見えない恵みを、目で見えるようにするのが聖餐式です。聖餐式でパンとぶどう汁を受け続けることによって、私たちの弱りがちな信仰は強められます。神様が私たちを愛していて下さる事実を再確認することができるのです。
西東京教区の2011年の伝道協議会で、講師の左近豊牧師が語られたメッセージを思い出します。「神がエジプトから救い出し、契約の相手として選ばれ、ヨルダン川を渡って『約束の地』に入れられたことがイスラエルを一つにしているのであり、信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威である。風化と忘却に抵抗し、沈黙を破って語り伝えることに教育の真髄を見ていたのが旧約の民である。」ポイントを繰り返しますと、「信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威。風化と忘却に抵抗することが最も大切」ということです。確かに風化と戦うことはぜひとも必要です。日本で言えば、太平洋戦争の敗戦、阪神淡路大震災や東日本大震災。これらの事実を決して風化させることなく、(辛いことですが)忘れることなく、しっかりと記憶に刻みつけ、次の世代、次の次の世代にしっかりと継承することが必要です。そうしないと過去の出来事から学ぶことができず、同じ失敗を繰り返してしまうのです。
昨年10月の神学校日礼拝で、A神学生がお説教して下さり、「神様の民は後ろ向きに前進する」という印象的な言葉を語って下さいました。それは今申し上げたようなことだと私は解釈します。私たちは前進するのですが、ただ前だけを向いて進むだけでは危ういのです。前も見る必要がありますが、同時に後ろ・過去をしっかりと見つめていることが必要です。過去の失敗に十分学んで進むのでないと、過去の失敗を繰り返す愚かさを犯してしまいます。それでは前進したことになりません。
西ドイツ(当時)のクリスチャン大統領であったヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」という演説をご存じの方も多いでしょう。岩波ブックレットで読むことができます。それほど長くはありません。読んでみると聖書に深く土台を置いた演説であることが分かります。この演説はドイツの敗戦からちょうど40年の日(1985年5月8日)にドイツ連邦議会で行われた演説です。その一部拾ってみます。「ドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます。戦いに苦しんだすべての民族、なかんずく(その中でも)ソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で、捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー<永井清彦訳>『新版 荒れ野の40年』岩波書店、2009年、6ページ)。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(同書、11ページ)。 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」は名言です。この演説は、ドイツの大統領としての悔い改めの演説です。真の悔い改めなしに真の希望は生まれません。真の悔い改めの先にのみ、真の希望が生まれます。神様が、私たちの真の悔い改めを喜んで下さるからです。
罪を悔い改めないで、ただ進むのでは、過去の罪を繰り返す結果に終わるのではないでしょうか。そうならないために、「後ろ向きに前進する」ことが大切だと学びたいのです。私たち個人も、教会も、日本も、世界もです。旧約聖書のイスラエルの民は、出エジプトの恵みをいつも思い起こし、そして自分たちがその後神様に逆らった罪を思い起こして、悔い改めつつ歩んだと思うのです。忘れることなく思い起こすことは、私たちにとって非常に大切です。神様に以前いただいた恵みについても、忘れないことが大切です。今が辛いときは特にそうです。過去に受けた恵みを思い出し感謝することで、もう一回神様に祈って立ち上がる力とするのです。
出エジプト記に戻ります。(7節)「酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」後のイスラエルの人々はこの御言葉に忠実に従って、過越祭・除酵祭の前に、家の中で明かりを持って部屋の隅々までチェックして、家の中からすべての酵母を本当に徹底的に取り除いたそうです。新約聖書のマタイによる福音書16章6節でイエス様は弟子たちに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」とおっしゃいました。ここでのパン種は、ファリサイ派やサドカイ派の人々の偽善的な教えを指します。
そして本日の新約聖書コリントの信徒への手紙(一)5章では、パン種は罪の意味で用いられます。これはイエス様の弟子・使徒パウロが、コリントの教会の人々に悔い改めを求める御言葉です。コリントの教会に、みだらな行い(性的な罪)を犯している人がいました。それは「異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしている」(1節)罪です。ある信徒が父親の妻(自分の母親ではない)と同棲していたのです。レビ記18章8節に、「父の妻を犯してはならない。父を辱めることだからである」とある規定に反する罪です。パウロは、そのような罪を犯している人を、悲しみをもって教会から一旦除外するように求めています。それはその人が一旦裁かれて、最終的に救われるためだと述べています。そして(6節)「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませる」と注意を促しています。ここでのパン種は罪を意味します。罪を放置すると、教会の中に蔓延する恐れがあるから、断固食い止めるようにということです。
(7節)「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」「古いパン種」=罪を、教会の中からきれいに取り除きなさいということです。私たちはイエス様を信じた後も残念ながら罪人(つみびと)ですから、罪をゼロにすることはできませんが、それでも明らかな罪はできる限り取り除きなさいということです。
(8節)「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」ここでの過越祭は教会の礼拝を指すとも言えますし、パンを食べ杯を飲むこと・つまり聖餐を意味するとも言えます。できるだけ罪を取り除き悔い改めて、神様の祝福の中で礼拝を献げ、聖餐を祝おうというメッセージです。私たちは旧約聖書の除酵祭を行いませんが、罪を除き、罪を悔い改める意味においては、除酵祭を行う民です。
出エジプト記13章に戻り、小見出し「初子について」のところを見ます。(11~13節)「主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。~あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて贖わねばならない。」出エジプトの前夜、神様はエジプト人の初子(長子)をすべてお撃ちになり、エジプト人のすべての初子が死にました。しかしイスラエルの民の初子は、それぞれの家の二本の柱と鴨居に塗った犠牲の小羊の血のゆえに、撃たれませんでした。こうして小羊の犠牲の血によって救われたイスラエルの初子は皆、神様のものとなりました。ですから神様のものとして神様に献げるのです。動物の初子の場合は殺して献げるのですが、人間の男の子の場合は殺さないで、代わりに犠牲の動物を殺して、神様に献げるのでした。これを私たちに当てはめると、私たちはイエス・キリストの十字架の血潮のお陰で罪を赦され、神様の民に加えられました。ですから私たちも「神様のもの」です。私たちは、神様の御心に背く罪を犯してしまうこともありますが、それでも罪を悔い改め、「神様のもの」、「神様のよき僕」になりきって参りたいのです。
次に「火の柱、雲の柱」の小見出しに進みます。(17節)。「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならないことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」ある本によると、ペリシテ街道に進めば、ペリシテ人との戦争が避けられなかったということです。武器など持っていないイスラエルの民にとってそれは大きすぎる試練です。そこで神様はあえて遠回りでペリシテ人との戦争よりは困難の少ない道に導かれたというのです。(18節)「神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」大きすぎる試練は避けられましたが、約束の地への道は荒れ野の道です。それは神様が、ご自分の民の信仰が純粋で強い信仰になるように、鍛練して下さる道です。もちろん神様が共にいて下さいます。私たちキリスト者もイスラエルの民と同じように、約束の地・神の国を目指さして共に行進していますが、時に荒れ野を通ります。荒れ野が少ないことを願うのが人情ですが、時として避けられないことを覚悟する必要があります。
火曜日の祈祷会で、旧約聖書の民数記を読み進めています。なぜ民数記と呼ばれるかと言いますと、イスラエルの民の人口調査の記事があるからです。ですが民数記と呼ばれるようになったのは途中からです。旧約聖書のほとんどはヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語の旧約聖書では、最初の5つの書物(モーセ五書と呼ばれます)の各書の名前については、それぞれの本文の冒頭近くにある特徴的な言葉を書名とする伝統があるそうです。民数記の場合は、ヘブライ語聖書では「ベ・ミドバル(荒れ野にて)」(ミドバル=荒れ野)の言葉が、書の名前となって来たとのことです。この「荒れ野にて」という書名は、内容を要約するにぴったりの名です。なぜならこの書は、イスラエルの民がエジプトを出て、荒れ野の旅して約束の地に向かう様子を描いているからです。荒れ野の厳しい生活の中で、イスラエルの民は神様に養われ鍛えられるのですが、不平不満を多く言って神様に厳しく叱られる場面も多いのです。彼らは、荒れ野を共に行進して約束の地を目指すのです。私たちの信仰生活も同じで、共に行進して行く中で、時に荒れ野を通ること、神様による信仰の鍛練を受けることは避けられません。
(19節)「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」イスラエルの民は、430年間エジプトに住んだのです。長いですね。因みに今から430年前というと、戦国時代真っ只中の1584年です。今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛はキリシタンですが、ちょうど黒田官兵衛が生きていた頃です。自分の意によらずにエジプトに連れて行かれて苦労を重ね、その後、政治の責任者になったヨセフは、神様に支えられてこれほど先のことを見通していました。神様は、これから先の歴史をすべて見通しておられます。その歴史の中で、私たちは伝道の責任を果たしつつ生きてゆきます。
(21~22節)「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
荒れ野では試練もありましたが、神様が共におられることが目に見えました。雲の柱、火の柱によってです。神様は、出エジプト記16章からはマナという食べ物を与えて養って下さいます。神様は、クリスマスの場面では占星術の学者たちを、星によってイエス様のもとに導いて下さいますが、出エジプト記のときは雲の柱、火の柱によって導いて下さいました。私たちは、残念ながら直接雲の柱、火の柱を与えられていません。その代わり聖書の御言葉が与えられています。聖霊が与えられています。信仰告白の言葉も与えられています。そして、導きを求めて祈ることができます。私たちはこれらによって神様に導かれて参ります。詩編119編105節に次の御言葉があります。
「あなた(神様)の御言葉は、わたしの道の光/ わたしの歩みを照らす光。」
聖書の御言葉を正しく学ぶことが大切です。御言葉が私たちを、神様と隣人を愛する道、神様に喜ばれる道、正しい道に導きます。荒れ野を通ることがありますが、なお神様が私たちと共にいて下さいます。
これより歌う「讃美歌21」は、469番です。題は「善き力にわれ囲まれ」、作詞者はドイツの牧師ボンヘッファーです。ボンヘッファーは、ヒットラーという悪がドイツを支配した暗黒の時代を生きた人で、ヒットラーに抵抗したために39才で死刑にされました。ドイツが降伏するほぼ1ヶ月前の1945年4月9日、地上の人生を強制的に終えさせられました。その前の年の末にこの詩を書いたとされます。驚くほど深い信仰の言葉です。自分が現実に、暗黒の力に囲まれていたにもかかわらず、実はもっと強い神様の善き力に囲まれていると信じる歌詞です。悪の力がいかに猛威をふるい、自分も殺されたとしても、最後の最後の最後は必ず神様の愛と正義が勝利すると信頼していたのです。イエス様も十字架の上で、悪の力に囲まれておられましたが、父なる神様の愛と正義が、最後の最後の最後に必ず勝利すると確信して、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて息を引き取られたのです(ルカによる福音書23:46)。
その確信が正しいことを、父なる神様はイエス様の復活によって証明して下さいました。もちろん先程のヴァイツゼッカー氏も、ボンヘッファーの信仰と抵抗をよく知っておられたに違いありません。5節の歌詞はこうです。
「善き力に 守られつつ、/ 来るべき時を待とう。
夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
これは出エジプトの民の信仰と同じです。夜は火の柱、昼は雲の柱によって神様に
導かれた出エジプトの民の場合と同じように、
「夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
私は、列王記下6章15節以下の、預言者エリシャとその召し使いのエピソードを思い出します。 「神の人(エリシャ)の召し使いが朝早く起きて外に出て見ると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。『ああ、御主人よ、どうすればよいのですか。』するとエリシャは、『恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い』と言って、主に祈り、『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。」
悪に完全に包囲されていると肉眼に見える場合でも、実は目に見えない神様の愛と正義の善き力が、私たちを最終的・究極的に守っていて下さいます。この神様に信頼し、もう一度立ち上がって、ご一緒にイエス様に従う道を歩んで参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。