日本キリスト教団 東久留米教会

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2014-02-10 23:59:01(月)
「神様のぶどう園」 2014年2月9日(日) 降誕節第7主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書5章1~7節、ルカによる福音書20章9~19節

「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」(ルカによる福音書20章13節)

 イエス様は日曜日に、ろばに乗ってエルサレムの都に入られました。そしておそらく月曜日に神殿を激しく清められました。イエス様はこの週の金曜日に十字架につけられます。その十字架の三日前の火曜日にエルサレムの信仰の指導者たちと論争を重ねられました。先週の礼拝で読んだ「権威についての問答」が第一の論争です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶことがあります。今日の「ぶどう園と農夫のたとえ」は民衆に語られたものであり、「たとえ」ですから問答とは言えないかもしれませんが、しかしエルサレムの信仰の指導者である律法学者たちや祭司長たちを強く意識して語られた話です。

 (9~10節)「イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。『ある人がぶどう園を作り、これ農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕(しもべ)を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。』」 「ある人」とは父なる神様です。ぶどう園は、神様の民が住んでいたイスラエルとも言えますし、私たちが住むこの世界全体とも言えます。この宇宙も地球もみな神様のものです。私たちはこの地球を、そして私たち一人一人の命を、神様に貸していただいています。神様がこの地球を、そして私たち一人一人の命を、私たちを全面的に信頼して貸して下さっています。貸して下さっているのですから、いずれ必ずお返しする時も来ます。神様にお借りした地球をどのように愛して大事にしたか、神様にお借りしたこの命を神様の御心に従ってどのように用いたか、それを神様にご報告するときが来ます。

 「ある人」は直接には父なる神様ですが、イエス様だと考えても大きな間違いはないでしょう。「ある人」は「長い旅に出た」と書かれています。イエス様は長い旅に出られ、今は天にいらっしゃるのですが、いずれ必ず帰って来られます。ですから私たちは、だらけることなく、今日一日を、そして目の前の一時間、一分を、神様に精一杯お仕えして生きるのです。その積み重ねが人生となり、一生となるのですから、時間を無駄にすることなく神様にお仕えしてゆきたいものです。イエス様はもしかすると、今から一分後に帰って来られるかもしれませんので、そうなっても恥ずかしくないように、いつもイエス様を思っていたいのです。イエス・キリストがもう一度おいでになるとき、世界の歴史は終わり、神の国が完成されます。そして私たち一人一人への最後の審判もあります。その時、神様が信頼を込めて私たちに与えて下さったこの命、貸して下さったこの命をどのように用いたのか、ご報告するのです。神様に喜ばれるように神様を愛し、隣人を愛するように用いたか、あるいは反対に神様に逆らい、隣人を傷つけるような生き方をしてしまったか、ごまかしなく報告することになります。私は残念ながら立派な報告をする自信がありませんので、今からでも少しでもよい報告ができるように心がけたいのです。

 「たとえ」に戻りますが、ぶどう園の収穫の時になりました。ぶどう園の主人である父なる神様は、農夫たちに収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところに送りました。神様は旧約聖書の時代から、何人もの僕・預言者たちを人々の元に送られました。たとえば神様は預言者エレミヤを通して、ご自分の民イスラエルの人々に次のように語られました。(エレミヤ書35章14節以下)「お前たちは、わたしが繰り返し語り続けて来たのに聞き従おうとしなかった。わたしは、お前たちにわたしの僕である預言者を、繰り返し遣わして命じた。『おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな。そうすれば、わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる』、と。しかし、お前たちは耳を傾けず、わたしに聞こうとしなかった。」 このようにイスラエルの人々は、神様が送られた僕・預言者の悔い改めを求めるメッセージに耳をふさぎました。耳をふさぐことで、神様からの愛のメッセージを拒否してしまいました。

 このことが今日のたとえでは、「農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した」と表現されています。神様の僕を袋だたきにするとは、実にひどい話です。(11節)「そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。」僕は怪我をさせられて追い返されました。私たち人間の恐るべき罪、暴力的な姿です。目を覆いたくなるような罪です。(12節)「更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。」ふつうこれほどひどい目に遭えば、どんな穏やかな主人でも怒ります。直ちに警察に訴えるか、非道な農夫たちのところに怒鳴り込んでも不思議ではありません。ところがこの主人は実に忍耐強いのです。神様は非常に忍耐強い方で、なかなかお裁きになりません。非道な農夫たちへの信頼をまだお捨てにならないのです。神様は、今も忍耐をもって私たちを見守っていて下さいますし、私たちが罪を犯している場合には、早く悔い改めるようにと、忍耐強く待ち続けていて下さいます。神様はこの世界の全ての罪と悪をもっと早くお裁きになることもおできになったのです。私たちの罪をもっと早くお裁きになってもよかったのです。ですが神様は忍耐強い愛の方ですので、なかなか裁かないで私たちの悔い改めを待っていて下さいます。そして裁きの日を延期して来られました。

 この忍耐強さこそ、神様の愛です。神様が忍耐して裁きを延期して下さっている今のうちに、神様を信じることが必要です。新約聖書・ローマの信徒への手紙2章3~4節の御言葉を思い出しました。「あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」もちろん神様の豊かな慈愛と寛容と忍耐を軽んじてはならず、私たちは早く自分の罪を神様の前で悔い改めることが必要です。

 忍耐強い神様は、最後の手段を実行に移されます。(13節)「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」神様のこの決断を知って私たちは驚き、こう言いたくなります。「神様、そこまでなさることはありませんよ。あの農夫たちをこれ以上信用なさることはありません。あの農夫たちは、あなたの深いお気持ちが分かるような人たちではありません。愛する息子さんを送るなんて無謀過ぎます。危険過ぎます。ぜひおやめになって下さい。」それでも神様は愛する息子をお送りになったのです。驚くべきことであって、私たちにはできないことではないでしょうか。結果が見えてしまうからです。しかし神様は愛する独り子を、人間の罪と悪が渦巻いているこの危険な世界に、あえてお送り下さいました。もちろんそれがイエス・キリストです。主イエス・キリストは、ベツレヘムの馬小屋で、完全に無防備な赤ん坊としてお生まれになりました。そしてひたすら無防備に神様と隣人を愛して生き、ついにはあのゴルゴタの丘で十字架につけらなさいました。イエス様は、私たちのために十字架で痛く深く傷ついて下さいました。

 14~15節には、神様の深い愛を全く無視する農夫たちの罪深い会話と行動が記されています。「農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。」 おぞましい話です。農夫たちは主人を完全に侮っていました。主人の信頼に応えようという気持ちを微塵も持っていませんでした。そして何の畏れ気もなく、主人の息子をぶどう園の外にほうり出して命を奪ってしまいました。甚だしい恩知らずです。しかし私・私たちも神様に対して、また人に対して恩知らずかもしれないのです。この農夫たちほどひどくはないと思いたいですが、しかし私も神様の恵みに十分に感謝せず、人からいただいた親切にも十分に感謝せず、生きて来たと思えるのです。

 イエス様はこのたとえ話しながら、ご自分がこの主人の「愛する息子」であること、三日後に十字架で殺されることを十分に知っていらっしゃいます。そしてその後の父なる神様の反応をこう語られます。(15節後半~16節)「『さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるに違いない。』」神様は長い間忍耐して下さいますが、永遠に忍耐して下さるのではありません。ですから私たち罪人は皆、どこかで自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じる決断をすることが必要です。主人がこの農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるということは、この約40年後にエルサレムがローマ軍によって破壊されたことを指すのかもしれません。「ぶどう園をほかの人たちに与える。」「ほかの人たち」は私たちとも言えます。神様のことははじめ、イスラエルの民に知らされました。しかしイスラエルの民は、しばしば神様を拒み、神の子イエス様を十字架につけて殺してしまいました。その結果、神様の尊い御言葉は、私たち異邦人、イスラエルの民ではない外国人である私たちに、知らされました。これは恵みであり、また私たちに責任が与えられたとも言えます。それは周りの方々に真の神様をお知らせし、神の子イエス・キリストを言葉と行いをもってお知らせするという責任です。

 このたとえ話を聞いた民衆は心を痛めて、「そんなことがあってはなりません」と言いました。主人の愛する息子が殺されるなんてそのような非道があってはいけないと言ったのです。私たちもそう思います。しかしイエス様はこの民衆をじっと見つめて、こうおっしゃいました。(17節の途中から)「『それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石が誰かの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」イエス様は詩編118編22節を引用してこう言われました。ご自分こそ「家を建てる者の捨てた石」だと言われるのです。「わたしはイスラエルの人々に軽んじられ、憎まれ、嘲られて、もうすぐ捨てられて殺される。」これは人間の深い罪です。

 しかし果たしてイスラエルの人々だけの罪なのかとも思わされます。私たちの罪でもあると思います。私たちも、命を与えて下さった神様、そしてその独り子イエス様を無視していたことも、軽んじていたこともあります。神様もイエス様も目に見えないことを幸いに、神様を重んじることをせず、イエス様を軽んじていたこともあるのではないかと思わされます。ローマの信徒への手紙1章21節に、「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」とありますが、私たちにも神様を神様としてあがめず感謝もしないという日々があったかもしれません。神様ほど、イエス様ほど、人々から踏みつけにされた方もおられないかもしれません。十字架の死はそのことを示しています。

 しかし、神様による大逆転が起こりました。人々が「こんなものは要らない」と言って捨てたイエス様を、父なる神様は復活させなさいました。父なる神様は、イエス様の十字架の死を、私たちすべての人間の罪を背負わせる犠牲の死としてお用いになったのです。そして十字架で死んで復活されたイエス様を、私たちの永遠の命の基、教会の親石・教会の要石としてお立てになりました。私たちが「こんなものは要らない」と言って嘲って捨てたイエス様を、父なる神様は唯一の救い主としてお立てになったのです。私たちは父なる神様のこのなさりようを知って、自分の罪を深く悔い改め、畏れを覚えねばなりません。そして私たちは、どなたをも軽んじてはならないということをも学ばされます。イエス様を軽んじて捨てた過ちを繰り返すことになるからです。マタイによる福音書18章10節でイエス・キリストは言われました。「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちはいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」その一人の中にイエス様が住んでおられるかもしれないのです。ですから私たちはどなたをも軽んじてはいけないのです。イエス様を捨てた罪の繰り返しになるからです。

 先ほどの詩編118編22節は、新約聖書・使徒言行録4章11節にも引用されています。(使徒言行録4章11~12節)「『この方(イエス様)こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」 イエス・キリストお一人が、私たちの真の救い主です。ですから私たちは愛する日本の人たちすべてにイエス様を信じていただきたいし、愛する世界のすべての人たちにイエス様を信じいただきたいのです。そのために私たちは日々祈り、自分にできる伝道と奉仕をさせていただきます。

 ルカによる福音書20章に戻ります。(18節)「『その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。』」この石はイエス・キリストです。復活されたイエス様は誰よりも強い方であることを、こう表現しているのでしょう。復活されたイエス様は、永遠に滅びない強い方です。(19節)「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。」彼らは、自分たちこそあの農夫であると気づきました。気づいて素直に反省すればよいのですが、しかし気づいても悔い改めることなく、むしろイエス様への敵意を増しました。実に悲しいことです。

 本日の旧約聖書であるイザヤ書5章をも見ます。今日のイエス様のたとえとよく通じる御言葉です。1節の「わたし」は預言者イザヤです。そして「わたしの愛する者」とはイザヤの友である農夫です。その農夫は実は神様ご自身です。
(1~2節)
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/ そのぶどう畑の愛の歌を。
 わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ ぶどう畑を持っていた。
 よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
 その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/ 良いぶどうが実るのを待った。
 しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
イザヤの友である農夫は、土を一生懸命耕し、見張りの塔をも建て、この土地の世話をして良いぶどうが実るのを待ちました。このぶどうは、神様の民イスラエルです。この御言葉は、神様の嘆きの御言葉となってゆきます。
(3~4節)
「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
 わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
 わたしがぶどう畑のためになすべきことで 
何か、しなかったことがまだあるというのか。
 わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
 なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。」
 
 神様はイスラエルの民を愛して、エジプトから脱出させて下さいました。そのイスラエルの民が、自分たちを愛して下さる神様を忘れ、無視するようになり、あろうことか偶像の神・偽物の神(その正体は実は悪魔ですが)を拝むように堕落してしまったのです。真の神様を愛して礼拝するより、自分の欲望を満たすことを優先するように堕落しました。神様の悲しみは深くて大きいのです。5~6節に、神様の嘆きと怒りが記されています。
「さあ、お前たちに告げよう/ わたしがこのぶどう畑をどうするか。
 囲いを取り払い、焼かれるにまかせ/ 石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
 わたしはこれを見捨てる。
 枝は刈り込まれず/ 耕されることもなく/ 茨やおどろが生い茂るであろう。
 雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」

 7節では、愛するイスラエルの民にかけた期待を大きく裏切られた神様の深い悲しみが、語呂合わせによって印象的に語られます。
「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
 主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
 主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに/ 見よ、流血(ミスパハ)
 正義(ツェダカ)を待っておられたのに/ 見よ、叫喚(ツェアカ)」

 この「裁き」という言葉は、「正義」とほとんど同じ意味です。神様はイスラエルにおいて正義(ミシュパト)が行われることを待っておられたのに、「見よ流血(ミスパハ)」、無実の人が殺されるなどひどいことが行われている。正義(ツェダカ)を待っておられたのに、「見よ、叫喚(ツェアカ)」、正義を期待していたのに、貧しい人や弱い立場の人がいじめられ、苦しめられる不正義が行われている。それを見て神様は、深い嘆きを述べられます。神様の愛と恵みを受けた民であるだけに、神様の期待も大きかったというべきです。

 同じ神様の愛が私どもの教会、全ての教会に注がれています。新約聖書のコリントの信徒への手紙(一)3章9節にこう書かれています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」この教会も、どの教会も、「神の畑、神の建物」です。神様に愛され、神様を愛する礼拝が献げられ、そこが拠点となって、神様の御言葉が地域に広がってゆくことを神様から期待されています。「私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」私たちも真の神様を愛して、ご一緒に礼拝を献げ、(ささやかな力しかないかもしれませんが)神様のために力を合わせて働く道を歩みたいと祈ります。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-02-04 1:45:42(火)
「イエス様の権威」 2014年2月2日(日) 降誕節第6主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書40章1~11節、ルカによる福音書20章1~8節

「『ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』」(ルカによる福音書20章4節)

 (1~2節)「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。『我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。』」 「ある日」は火曜日と考えられます。イエス様は3日後の金曜日に十字架につけられます。その5日前の日曜日に、イエス様はろばに乗ってエルサレムにお入りになりました。これを記念して教会では、イエス様の十字架の死の5日前の日曜日(イエス様の復活の日の7日前の日曜日)を、「棕櫚の主日」と呼びます。英語では「パームサンデー」です。イエス様がエルサレムに入られるとき、群衆が棕櫚の枝を持って歓迎したからです。その歓迎の日曜日の翌々日の火曜日が今日の場面だと考えられています。イエス様はこの火曜日に、エルサレムの宗教指導者たちと問答(論争)を繰り広げられます。この論争が最初の問答(論争)です。この火曜日を「問答の火曜日」と呼ぶこともあるそうです。

 イエス様は、エルサレムの神殿を愛しておられます。そこはイエス様にとって、「父の家」、「父なる神様の家」だからです。イエス様はこの神殿で、愛と正義が行われることを願っておられます。ところが神殿の中は腐敗しておりました。ある人々は、聖なる礼拝の場である神殿を、金儲けの場、騒々しい市場に変えてしまいました。聖なる神殿が、人間の罪と欲望が幅をきかせる場とされてしまいました。エルサレムに入られたイエス様は、聖なる怒りを発揮され、神殿で商売をしていた人々を追い出し始め、こうおっしゃいました。「(聖書に)こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」この出来事は「宮清め」と呼ばれます。イエス様は、律法学者でもなく長老でもありません。牧師や神父という公の職名をお持ちでもありません。この世の肩書を何もお持ちでない、33才くらいの青年です。しかしイエス様は神の子です。父なる神様の御心に100%従って行動しておられます。ですからイエス様のお言葉、なさることは全て正しいのです。

 そのイエス様に、エルサレムの宗教指導者たちが近づいて来て、怒って詰問します。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのは誰か。」「何の肩書もない若者であるあなたが、大切な神殿で人々を追い出すという乱暴狼藉を働いたことは許せない。一体誰の許可を得てあのようなことを行ったのか」というのです。彼らはイエス様に対して強い憎しみと敵意を覚えています。もちろんこの憎しみと敵意は、神様に逆らう憎しみと敵意です。彼らは、この憎しみと敵意でイエス様を十字架に追いやるのです。神殿を清めた行いが、イエス様への憎しみと敵意を決定的に高めました。

 本日の説教題は「イエス様の権威」です。小見出しは「権威についての問答」です。どちらにも権威という言葉が出ています。権威という言葉は、今はあまり使わない分かりにくい言葉になっているように思います。権威とは、「何が正しくて、何が間違っているかを決める力」ではないかと思います。私たちが属するプロテスタント教会は、16世紀ヨーロッパの宗教改革によってスタートしました。「宗教改革の三大原理」があり、①「聖書のみ」、②「信仰のみ」、③「万人祭司」です。①の「聖書のみ」は、「聖書にのみ権威がある」ということです。言い換えるとローマ教皇のようなトップ・人間の権威を置かないということです。責任者は置きますが、ローマ教皇のような存在を置きません。私たちは聖書こそ神様の言葉であると信じ、聖書にのみ権威を認めます。聖書の御言葉によって、何が正しくて何が間違っているかを判断します。そのために聖書を偏見なく学ぶことが必要です。

 ちなみに②の「信仰のみ」は、私たちが自分の善い行いによって天国に入ることはできず、ただイエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができるということです。なぜかと言いますと、私たちの行いは、それが善い行いであっても、必ずそこに罪が混じっているからです。罪が少しでも混じった行いでは、私たちが天国に入ることはできないのです。天国は聖なる場でもあるからです。私たちは、イエス・キリストを救い主と信じ告白する信仰によってのみ、天国に入れていただくことができます。これも聖書の御言葉によって、そう信じることができるのです。

 ③の「万人祭司」は、プロテスタントではカトリックほど明確に聖職者と信徒の区別を設けないということです。牧師と信徒の区別は一応ありますが、その差は決定的に大きな差ではありません。牧師や伝道師でなくても、祈ることも伝道もできますし、またそうすることが神様から求められていると信じます。クリスチャンは皆祈り、皆伝道します。これが万人祭司です。当たり前ですが、神様の前に私たちは皆平等、一人の罪人です。

 イエス様は神の子であられ、旧約聖書をよく学ばれ、旧約聖書の御言葉を私たちの誰よりよくご存じであられ、そこに記された神様の御言葉に従って行動されます。ですから、イエス様の言葉と行いはすべて正しく、イエス様には権威があるのです。イエス様は権力をもっておられませんが、権威を持っておられます。私たちも権力を求めると堕落します。私たちは決して権力を求めることなく、神様の権威ある御言葉に従って生きてゆきます。イエス様は、「その権威を与えたのは誰か」と詰問されましたが、イエス様に神殿を清める権威をお与えになった方は、父なる神様ご自身です。

 イエス様はこの質問に、ストレートにお答えになりませんでした。問いをもってお答えになります。(3節の途中~4節)「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼(バプテスマ)は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」 「洗礼者ヨハネが授けた洗礼(バプテスマ)は、真の神様がよしとされた洗礼だったか、それともヨハネが勝手に授けた洗礼だったか」、という問いです。もっとはっきり言うと、「洗礼者ヨハネは、真の神様から遣わされて活動したのか、それとも神様から遣われていないのに勝手に活動しただけなのか、どちらか」、という問いです。もちろんヨハネは真の神様から遣わされた、真の預言者です。ヨハネの説教と洗礼を素直に受け入れることは、真の神様に従うことだったのです。ヨハネの洗礼は天からのものであり、真の神様の権威によってなされた洗礼だったのです。エルサレムの宗教指導者たちにもそれは分かっていたはずです。ですが彼らは、ヨハネが耳に痛いことを語るのでヨハネを嫌い、ヨハネを拒否しました。彼らは「ヨハネの洗礼(バプテスマ)は天からのものです」と素直に答えればよいのに、それをせず、「どこからか分からない」と言い逃れをしました。

 彼らは、真の神様に従う純真な意志を捨てており、自分たちの特権と地位を守ることにしか関心がなかったのです。男性がこのようになりやすいのです。私もこうならないようによく気をつけたいのです。彼らは相談しました。仲間うちだけで罪深い本音を出す相談、人に聞かれては都合の悪い相談です。(5節)「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。」その通りです。イエス様に完全に一本負けして、すごすごと引き下がるほかなくなります。そうすればよいのですが、彼らの罪深いメンツがそれを拒否するのです。(6節)「『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」 「人からのものだ」と言えば、それは偽りであり、白を無理に黒とするに等しいことですから、民衆の怒りを買います。それは嫌なのです。どちらに答えても自分たちに都合が悪くなるので、彼らはずるく逃げます。「分からない」と答えるのです。本当は分かっているのに、です。

 それにしても、たった1つの質問で彼らを窮地に追い込むとは、イエス様の聡明さに驚くばかりです。イエス様は神様の真理に立って語り、行動しておられるので、強いのです。彼らは偽りに従って行動しているので、イエス様に歯が立ちません。真理ほど強いものはありません。イエス様は、彼らを相手になさいません。それで、こうお答えになります。(8節)「それなら、何の権威でこのようなことするのか、私も言うまい。」私たちは、イエス様が真の神様の権威で神殿を清められたことを知っています。

 ここで「ヨハネの洗礼」と、「イエス様の名による洗礼」を比べてみましょう。マルコによる福音書1章4~8節に、次のように書かれています。「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼(バプテスマ)を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。わたしは水であなたたちに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は聖霊で洗礼(バプテスマ)をお授けになる。』」 

 ヨハネの洗礼は、水による洗礼であり、「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」でした。もちろんそれも神様の意志による洗礼です。イエス様はヨハネから洗礼をお受けになり、その時イエス様に聖霊が注がれました。そしてヨハネは、「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と語り、その方が聖霊で洗礼をお授けになると予告しました。その方は、もちろんイエス様です。ヨハネはイエス様を指し示す存在であり、イエス様がお授けになる洗礼こそ、完全な洗礼です。その洗礼は、キリスト教会が神様に許されて執り行う「父・子・聖霊なる三位一体の神様のお名前による洗礼」でしょう。通常、洗礼式を執り行うのは人間の牧師ですが、実際に洗礼をお授けになる方はイエス様です。この洗礼は、イエス様の十字架の死と復活によって支えられた洗礼です。イエス様はゴルゴタの丘の十字架で死なれ、私たちの全ての罪を背負いきって下さいました。私たちがこれまでに犯した罪も、今後心ならずも犯してしまう罪も、本当に全部背負いきって下さったのです。そして三日目に復活されました。このイエス様の十字架の死と復活に支えられてはじめて、教会は洗礼式を執り行うことができます。私たちが自分の罪を悔い改めて、この洗礼受けると、私たちのすべての罪は赦され、私たちは神の子とされ、永遠の命をいただきます。イエス様が十字架でわたしたちのために犠牲となって死んで下さったお陰で、このようなすばらしい洗礼が可能となりました。

 イエス様の十字架の死による罪の赦しがどんなにすばらしいか、先月の礼拝の招詞の後半で知ることができます。ローマの信徒への手紙5章16節の後半です。
「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」 「裁きの場合」を言い換えると、「旧約の場合」、「律法の場合」となります。律法の代表はモーセの十戒です。十戒の一つ一つの戒めを学ぶとき、私たちはどの戒めをも、完全に守ることができない自分に気づきます。十戒・律法は神様の御心に適う善きものですが、私たちの罪を指摘する働きを致します。十戒・律法は、私たちに罪の自覚を与え、自分が神様の前に罪人であることを教えます。ですから十戒・律法だけでは、救いになりません。

 ですがここに福音・グッドニュースがもたらされました。イエス・キリストがその私たちの全ての罪を担いきって十字架で死んで下さり、復活されたという福音・グッドニュースです。自分の罪を悔い改め、このイエス様を自分の救い主と信じ告白する人には、それまでにどんなに大きな罪があったとしても全部の罪の赦しが与えられるのです! それが「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」の意味です。「父・子・聖霊なる三位一体の神様」のお名前によって洗礼を受けるとき、この赦しがその人のものとなります。洗礼を受ける時、イエス様が天から「あなたの罪は全て赦された」と宣言して下さいます。イエス様の肉声は聞こえませんが、イエス様が父なる神様の権威によって、「あなたの罪の赦しは確実だ」と宣言して下さるのです。

 先週の火曜日に、西東京教区伝道部の主催による「府中刑務所見学会」に参加致しました。東久留米教会より5名、全体で43名が参加し、学びました。刑務所に入る前に、伝道部委員長である牧師が聖書を朗読され、お祈りされました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたし(イエス様)が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコによる福音書2章17節)。(ルカによる福音書では「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」)。 考えてみれば、刑務所にはイエス・キリストによる罪の赦しを最も必要としている方々がおられます(万一冤罪の方がおられればそれは別です)。もちろん、私たちは皆、罪人(つみびと)ですから、私たちは皆、イエス・キリストによる罪の赦しを必要としています。イエス様による罪の赦しを必要としない人は一人もいません。

 20世紀の代表的なプロテスタント神学者に、カール・バルトというスイスの牧師がおります。晩年は、日曜日は教会の礼拝に出席してほかの牧師の説教を聴き、自らはほとんど刑務所だけで説教したそうです。刑務所にこそ、イエス様による罪の赦しの福音を最も切実に必要とする人々がいる、との思いからでしょう。「イエス様はあなたたちのためにも十字架で死んで下さった。罪を悔い改めて、イエス様を信じれば、あなたたちの罪も確実に赦され、天国が保証される」との思いを込めて説教したのではないでしょうか。凶悪な犯罪を犯した死刑囚であっても、罪を深く悔い改めてイエス様を信じるならば、天国に入れていただけるのです。

 イエス様は十字架の死の間際まで、福音を宣べ伝えられたのです。イエス様の十字架の隣りには、同じく十字架に架けられた死刑囚が二人いました。そのうちの一人はイエス様に食ってかかりましたが、もう一人は自分の罪を認め、深く悔いてこう言いました。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。~イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい」(ルカによる福音書23章41~42節)。するとイエス様は、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(同23章43節)と約束して下さいました。

 府中刑務所は、日本最大規模の刑務所で、現在2540名が収容されているとのことです。男性のみです。一周約1.8キロで、高さ約4メートルの塀で囲まれています。脱走はまず不可能という印象です。その日は晴れでしたので、太陽だけは塀の中にも平等に、さんさんと注がれていました。健康に大きな問題がない受刑者は午前4時間、午後4時間、刑務所内の工場などで作業をなさいます。私たちはその様子を見させていただきました。私語は禁止のようで、皆さん黙々と作業に集中しておられます。もちろん私たちが話しかけることはできません。一ヶ月働くと3000円から1万円の収入になるそうです。一日30分間は運動の時間があります。野外の運動場・体育館があります。工場内は暖かい感じでしたが、居室(一人部屋や八人部屋がある)は冷暖房なしでした。これはちょっと辛いですね。夏はうちわのみ、冬は厚着かふとんを多めにかぶることでしのぐようです。トイレは各居室内にあります。作業時間やお風呂の時間や許可された時間以外は、居室から出ることができません。ドアには外にのみノブがあり、内側にはノブがないそうで、外から鍵をかけ、内側からは開けることができないドアとのことです。食事は三食提供され(一日2300カロリー)、三割麦の入ったご飯だそうです。お風呂は週2回15分ずつ、夏は週3回だそうです。非常に規則正しい毎日の生活です。

 40名くらい入るキリスト教式の礼拝堂があり、ここで教誨師の牧師の話を聴くことができます。それ以外に仏教の部屋、神道の部屋があるそうです。受刑者の約4分の1が60才以上、最高齢は88才とのことです。約6分の1の420名が外国人で、多い順に中国人、イラン人、メキシコ人、台湾人とのことです。56ヶ国の外国人がおり、言語数は47とのことです。日本人の受刑者の罪は、窃盗、覚醒剤等の薬物乱用が多いそうです。暴力団関係者も多いそうです。外国人受刑者の罪は、覚醒剤密輸などが多いそうです。刑期が終われば社会復帰するので、刑務所にいる間に薬物を絶つ指導、暴力団から抜ける指導などを行うそうです。高齢や障碍のある受刑者が多くなっており、出所しても仕事も住む所もない場合があり、そのままではホームレスになる恐れがあるので、再犯防止のためにも、行く先を探す、場合によっては福祉施設に橋渡しするなどのことも刑務所の職員がなさるようです。 受刑者の方々が罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることができるように。私たちも自分の罪を悔い改めて、新しい気持ちでイエス・キリストを信じることができるように祈りましょう。 

 本日の旧約聖書はイザヤ書40章です。
「呼びかける声がある。
 主のために、荒れ野に道を備え
 わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(3節)。
これは紀元前6世紀の言葉です。バビロンで捕囚となっていたイスラエルの民が、ようやく故郷に帰ることができるようになったのです。喜ばしいメッセージです。神様ご自身が先頭に立って、民を導かれるので、荒れ野に道を備えよというのです。

 新約聖書では、洗礼者ヨハネの声こそ、「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声は、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫びます。ヨハネの使命は、イスラエルの人々を罪の悔い改めに導き、人々の心を救い主イエス・キリストに迎えるにふさわしい素直な心に耕すことです。

 わたしたちも今、新しい気持ちでイエス・キリストを心の中に迎え入れましょう。わたしたちの身代わりに十字架にかかって下さり、復活されたイエス様に、ひたすら感謝して参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-01-27 19:44:44(月)
「雲の柱、火の柱」 2014年1月26日(日) 降誕節第5主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記13章1~22節、コリントの信徒への手紙(一)5章1~8節

「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
                  (出エジプト記13章22節)

 本日の箇所の直前の12章で、イスラエルの民はエジプトからの脱出を開始したのです。人数は壮年男子だけで60万人です。妻子を入れると200万人以上になるでしょう。まず3節。「モーセは民に言った。『あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。』」小見出しに「除酵祭」とあります。除酵祭は過越祭と並んで、神様がエジプトから脱出させて下さった恵みを記念する祭りです。イスラエルの民は、出エジプトのとき、酵母を入れないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担ぎました。酵母は新約聖書ではパン種と呼ばれ、私たちはイースト菌と呼んでいます。12章8節に、出エジプトする人々への神様からの指示がこう書かれています。「酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。」

 練り粉に酵母が入っていなかったのは、急いでいたので入れる時間がなかったからです。申命記16章3節ではこのパンのことが、「酵母を入れない苦しみのパン」と書かれています。ですから酵母を入れないパンは、エジプトでの苦難のシンボルでもあるようです。1956年のアメリカ映画『十戒』では、チャールトン・ヘストンが演じるモーセが、「苦菜は、エジプトでの奴隷生活の苦しみを忘れないためだ」と言っています。将来幸せになっても、エジプトでの苦難を忘れて思い上がってはならない。そしてエジプトでの苦難から助け出して下さった神様の偉大な恵みを決して忘れてはならない。このためにイスラエルの民は、約束の地・カナンの地に入った暁には、除酵祭(酵母を除く祭り)を守ることが、神様から求められるのです。そのことが5節から7節に書かれています。「主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月(アビブの月。ユダヤの暦の1月・正月。私たちの暦の3・4月。アビフは『大麦の穂』の意味)にこの儀式を行わねばならない。七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」

 この祭りを行い続けることで、神様の偉大な恵みを思い出し信仰を強めるのです。
私たちの信仰生活の中でも、神様の恵みを感じにくいときがあります。試練の時、荒れ野の時、私たちは負けそうになるのです。ですがイスラエルの民であれば、過越祭や除酵祭を守ることで、出エジプトの恵みを与えて下さった神様の愛が事実であることを思い起こして確かめ、信仰を強めるのです。私たちであれば、毎月第一日曜日とクリスマス・イースター・ペンテコステの礼拝の中で行う聖餐式が同じ意義を持っています。イエス・キリストは間違いなく私たちのために十字架で死んで下さり、三日目に復活された。今も生きて私たちに聖霊を注いで下さる。この目に見えない恵みを、目で見えるようにするのが聖餐式です。聖餐式でパンとぶどう汁を受け続けることによって、私たちの弱りがちな信仰は強められます。神様が私たちを愛していて下さる事実を再確認することができるのです。

 西東京教区の2011年の伝道協議会で、講師の左近豊牧師が語られたメッセージを思い出します。「神がエジプトから救い出し、契約の相手として選ばれ、ヨルダン川を渡って『約束の地』に入れられたことがイスラエルを一つにしているのであり、信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威である。風化と忘却に抵抗し、沈黙を破って語り伝えることに教育の真髄を見ていたのが旧約の民である。」ポイントを繰り返しますと、「信仰を継承することは共同体の生命線であり、風化と忘却は聖書の民にとって最大の脅威。風化と忘却に抵抗することが最も大切」ということです。確かに風化と戦うことはぜひとも必要です。日本で言えば、太平洋戦争の敗戦、阪神淡路大震災や東日本大震災。これらの事実を決して風化させることなく、(辛いことですが)忘れることなく、しっかりと記憶に刻みつけ、次の世代、次の次の世代にしっかりと継承することが必要です。そうしないと過去の出来事から学ぶことができず、同じ失敗を繰り返してしまうのです。

 昨年10月の神学校日礼拝で、A神学生がお説教して下さり、「神様の民は後ろ向きに前進する」という印象的な言葉を語って下さいました。それは今申し上げたようなことだと私は解釈します。私たちは前進するのですが、ただ前だけを向いて進むだけでは危ういのです。前も見る必要がありますが、同時に後ろ・過去をしっかりと見つめていることが必要です。過去の失敗に十分学んで進むのでないと、過去の失敗を繰り返す愚かさを犯してしまいます。それでは前進したことになりません。

 西ドイツ(当時)のクリスチャン大統領であったヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」という演説をご存じの方も多いでしょう。岩波ブックレットで読むことができます。それほど長くはありません。読んでみると聖書に深く土台を置いた演説であることが分かります。この演説はドイツの敗戦からちょうど40年の日(1985年5月8日)にドイツ連邦議会で行われた演説です。その一部拾ってみます。「ドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます。戦いに苦しんだすべての民族、なかんずく(その中でも)ソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で、捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー<永井清彦訳>『新版 荒れ野の40年』岩波書店、2009年、6ページ)。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(同書、11ページ)。 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」は名言です。この演説は、ドイツの大統領としての悔い改めの演説です。真の悔い改めなしに真の希望は生まれません。真の悔い改めの先にのみ、真の希望が生まれます。神様が、私たちの真の悔い改めを喜んで下さるからです。

 罪を悔い改めないで、ただ進むのでは、過去の罪を繰り返す結果に終わるのではないでしょうか。そうならないために、「後ろ向きに前進する」ことが大切だと学びたいのです。私たち個人も、教会も、日本も、世界もです。旧約聖書のイスラエルの民は、出エジプトの恵みをいつも思い起こし、そして自分たちがその後神様に逆らった罪を思い起こして、悔い改めつつ歩んだと思うのです。忘れることなく思い起こすことは、私たちにとって非常に大切です。神様に以前いただいた恵みについても、忘れないことが大切です。今が辛いときは特にそうです。過去に受けた恵みを思い出し感謝することで、もう一回神様に祈って立ち上がる力とするのです。

 出エジプト記に戻ります。(7節)「酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。」後のイスラエルの人々はこの御言葉に忠実に従って、過越祭・除酵祭の前に、家の中で明かりを持って部屋の隅々までチェックして、家の中からすべての酵母を本当に徹底的に取り除いたそうです。新約聖書のマタイによる福音書16章6節でイエス様は弟子たちに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」とおっしゃいました。ここでのパン種は、ファリサイ派やサドカイ派の人々の偽善的な教えを指します。

 そして本日の新約聖書コリントの信徒への手紙(一)5章では、パン種は罪の意味で用いられます。これはイエス様の弟子・使徒パウロが、コリントの教会の人々に悔い改めを求める御言葉です。コリントの教会に、みだらな行い(性的な罪)を犯している人がいました。それは「異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしている」(1節)罪です。ある信徒が父親の妻(自分の母親ではない)と同棲していたのです。レビ記18章8節に、「父の妻を犯してはならない。父を辱めることだからである」とある規定に反する罪です。パウロは、そのような罪を犯している人を、悲しみをもって教会から一旦除外するように求めています。それはその人が一旦裁かれて、最終的に救われるためだと述べています。そして(6節)「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませる」と注意を促しています。ここでのパン種は罪を意味します。罪を放置すると、教会の中に蔓延する恐れがあるから、断固食い止めるようにということです。

 (7節)「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。」「古いパン種」=罪を、教会の中からきれいに取り除きなさいということです。私たちはイエス様を信じた後も残念ながら罪人(つみびと)ですから、罪をゼロにすることはできませんが、それでも明らかな罪はできる限り取り除きなさいということです。

 (8節)「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」ここでの過越祭は教会の礼拝を指すとも言えますし、パンを食べ杯を飲むこと・つまり聖餐を意味するとも言えます。できるだけ罪を取り除き悔い改めて、神様の祝福の中で礼拝を献げ、聖餐を祝おうというメッセージです。私たちは旧約聖書の除酵祭を行いませんが、罪を除き、罪を悔い改める意味においては、除酵祭を行う民です。

 出エジプト記13章に戻り、小見出し「初子について」のところを見ます。(11~13節)「主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。~あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて贖わねばならない。」出エジプトの前夜、神様はエジプト人の初子(長子)をすべてお撃ちになり、エジプト人のすべての初子が死にました。しかしイスラエルの民の初子は、それぞれの家の二本の柱と鴨居に塗った犠牲の小羊の血のゆえに、撃たれませんでした。こうして小羊の犠牲の血によって救われたイスラエルの初子は皆、神様のものとなりました。ですから神様のものとして神様に献げるのです。動物の初子の場合は殺して献げるのですが、人間の男の子の場合は殺さないで、代わりに犠牲の動物を殺して、神様に献げるのでした。これを私たちに当てはめると、私たちはイエス・キリストの十字架の血潮のお陰で罪を赦され、神様の民に加えられました。ですから私たちも「神様のもの」です。私たちは、神様の御心に背く罪を犯してしまうこともありますが、それでも罪を悔い改め、「神様のもの」、「神様のよき僕」になりきって参りたいのです。

 次に「火の柱、雲の柱」の小見出しに進みます。(17節)。「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならないことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」ある本によると、ペリシテ街道に進めば、ペリシテ人との戦争が避けられなかったということです。武器など持っていないイスラエルの民にとってそれは大きすぎる試練です。そこで神様はあえて遠回りでペリシテ人との戦争よりは困難の少ない道に導かれたというのです。(18節)「神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」大きすぎる試練は避けられましたが、約束の地への道は荒れ野の道です。それは神様が、ご自分の民の信仰が純粋で強い信仰になるように、鍛練して下さる道です。もちろん神様が共にいて下さいます。私たちキリスト者もイスラエルの民と同じように、約束の地・神の国を目指さして共に行進していますが、時に荒れ野を通ります。荒れ野が少ないことを願うのが人情ですが、時として避けられないことを覚悟する必要があります。

 火曜日の祈祷会で、旧約聖書の民数記を読み進めています。なぜ民数記と呼ばれるかと言いますと、イスラエルの民の人口調査の記事があるからです。ですが民数記と呼ばれるようになったのは途中からです。旧約聖書のほとんどはヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語の旧約聖書では、最初の5つの書物(モーセ五書と呼ばれます)の各書の名前については、それぞれの本文の冒頭近くにある特徴的な言葉を書名とする伝統があるそうです。民数記の場合は、ヘブライ語聖書では「ベ・ミドバル(荒れ野にて)」(ミドバル=荒れ野)の言葉が、書の名前となって来たとのことです。この「荒れ野にて」という書名は、内容を要約するにぴったりの名です。なぜならこの書は、イスラエルの民がエジプトを出て、荒れ野の旅して約束の地に向かう様子を描いているからです。荒れ野の厳しい生活の中で、イスラエルの民は神様に養われ鍛えられるのですが、不平不満を多く言って神様に厳しく叱られる場面も多いのです。彼らは、荒れ野を共に行進して約束の地を目指すのです。私たちの信仰生活も同じで、共に行進して行く中で、時に荒れ野を通ること、神様による信仰の鍛練を受けることは避けられません。

 (19節)「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」イスラエルの民は、430年間エジプトに住んだのです。長いですね。因みに今から430年前というと、戦国時代真っ只中の1584年です。今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛はキリシタンですが、ちょうど黒田官兵衛が生きていた頃です。自分の意によらずにエジプトに連れて行かれて苦労を重ね、その後、政治の責任者になったヨセフは、神様に支えられてこれほど先のことを見通していました。神様は、これから先の歴史をすべて見通しておられます。その歴史の中で、私たちは伝道の責任を果たしつつ生きてゆきます。

 (21~22節)「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」

 荒れ野では試練もありましたが、神様が共におられることが目に見えました。雲の柱、火の柱によってです。神様は、出エジプト記16章からはマナという食べ物を与えて養って下さいます。神様は、クリスマスの場面では占星術の学者たちを、星によってイエス様のもとに導いて下さいますが、出エジプト記のときは雲の柱、火の柱によって導いて下さいました。私たちは、残念ながら直接雲の柱、火の柱を与えられていません。その代わり聖書の御言葉が与えられています。聖霊が与えられています。信仰告白の言葉も与えられています。そして、導きを求めて祈ることができます。私たちはこれらによって神様に導かれて参ります。詩編119編105節に次の御言葉があります。
「あなた(神様)の御言葉は、わたしの道の光/ わたしの歩みを照らす光。」
聖書の御言葉を正しく学ぶことが大切です。御言葉が私たちを、神様と隣人を愛する道、神様に喜ばれる道、正しい道に導きます。荒れ野を通ることがありますが、なお神様が私たちと共にいて下さいます。

 これより歌う「讃美歌21」は、469番です。題は「善き力にわれ囲まれ」、作詞者はドイツの牧師ボンヘッファーです。ボンヘッファーは、ヒットラーという悪がドイツを支配した暗黒の時代を生きた人で、ヒットラーに抵抗したために39才で死刑にされました。ドイツが降伏するほぼ1ヶ月前の1945年4月9日、地上の人生を強制的に終えさせられました。その前の年の末にこの詩を書いたとされます。驚くほど深い信仰の言葉です。自分が現実に、暗黒の力に囲まれていたにもかかわらず、実はもっと強い神様の善き力に囲まれていると信じる歌詞です。悪の力がいかに猛威をふるい、自分も殺されたとしても、最後の最後の最後は必ず神様の愛と正義が勝利すると信頼していたのです。イエス様も十字架の上で、悪の力に囲まれておられましたが、父なる神様の愛と正義が、最後の最後の最後に必ず勝利すると確信して、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて息を引き取られたのです(ルカによる福音書23:46)。

 その確信が正しいことを、父なる神様はイエス様の復活によって証明して下さいました。もちろん先程のヴァイツゼッカー氏も、ボンヘッファーの信仰と抵抗をよく知っておられたに違いありません。5節の歌詞はこうです。
「善き力に 守られつつ、/ 来るべき時を待とう。
 夜も朝も、いつも神は/  われらと共にいます。」
これは出エジプトの民の信仰と同じです。夜は火の柱、昼は雲の柱によって神様に
導かれた出エジプトの民の場合と同じように、
「夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
 
 私は、列王記下6章15節以下の、預言者エリシャとその召し使いのエピソードを思い出します。 「神の人(エリシャ)の召し使いが朝早く起きて外に出て見ると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。『ああ、御主人よ、どうすればよいのですか。』するとエリシャは、『恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い』と言って、主に祈り、『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。」

 悪に完全に包囲されていると肉眼に見える場合でも、実は目に見えない神様の愛と正義の善き力が、私たちを最終的・究極的に守っていて下さいます。この神様に信頼し、もう一度立ち上がって、ご一緒にイエス様に従う道を歩んで参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-01-20 22:39:10(月)
「神様の家は祈りの家」 2014年1月19日(日) 降誕節第4主日礼拝説教
朗読された聖書:エレミヤ書7章1~15節、ルカによる福音書19章45~48節

「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(ルカによる福音書19章章46節)

 イエス様がついにエルサレムにお入りになりました。イエス様は泣いておられました。エルサレムが神様の民イスラエルの首都でありながら、神様に背く都になっていたからです。

 小見出しは、「神殿から商人を追い出す」です。この箇所は「宮清め」と呼ばれます。エルサレムにお入りになったイエス様は、神殿に直行されます。そしてびっくりするほど激しい行動をお取りになります。「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした』」(45~46節)。神様の聖なる神殿は、清い場であって、人間の欲望が渦巻く場であってはならないのです。神殿の庭では、羊や鳩など、神様に献げる犠牲の動物が売られていました。ある本によると、人々はそれを神殿の外で買うこともできましたが、神殿にチェックする人がいて、外で買った犠牲の動物を受け付けなかったそうです。そこで人々はやむなく神殿の中の店で買ったのですが、神殿の中で買うと外の何倍もの値段がしたそうです。神殿の中で売る特権を得た商人が大きな利益、不当な利益を受けることができたらしいのです。聖なる神殿は、いつの間にか騒々しい市場・マーケットと化していました。「不正な取引が行われることもあった、祭司長たちもここから利益を得ていた」と書いている本もあります。神殿の中で多くの人々(全員ではないでしょうが)が堕落していました。

 ルカによる福音書では、このエルサレムの神殿が重要な場面に登場します。それだけ神殿を重視しているのです。誕生されて間もないイエス様は、父なる神様に献げられるために、ヨセフとマリアによって神殿に連れて行かれ、そこで神様の忠実な僕シメオンに抱かれます。そしてイエス様は12才の時、住んでおられたガリラヤのナザレから、両親に連れられてエルサレムに行かれ、神殿の境内の真ん中に座って話を聴いたり質問したりなさり、人々はイエス様の賢い受け答えに驚いていました。両親はそのとき三日間イエス様を見失っており、マリアはイエス様を叱ったのですが、イエス様はそのとき、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」とお答えになりました。イエス様にとって神殿は、愛する父なる神様の家です。イエス様は父の家を純粋に愛しておられます。ですから、聖なる家であるべき父の家が、人間の欲望が渦巻く場となってけがされていることに耐えられなかったのです。

 お金は生活に必要なものですが、人は相手を騙したり、ごまかしてでもお金を多く得たいという誘惑に負けることがあります。詐欺的なビジネスに手を染める人々もいます。既得権や特権を捨てたくない人々もいます。神殿での商売も不純な商売だったのでしょう。聖なる神殿で人間の自己中心的な欲望が幅を利かせることは許されません。イエス様は聖なる怒りを発揮され、神殿から人間の欲望を一掃されました。新約聖書のペトロの手紙(一)に、「今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか」(4章17節)と書かれています。神殿は今で言えば教会です。神殿も教会も清い必要があります。イエス様はマタイによる福音書10章34節で、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのだ」とおっしゃいました。ヨハネによる福音書2章を読むと、イエス様は神殿を清めるために、縄で鞭を作っておられます。

 イエス様はろばに乗ってエルサレムに入られたのですから、基本的には平和の方です。ですが、聖なる場所であるべき神殿が人の罪によってけがされているならば、あえて鞭をふるって神殿を清める聖なる方でもあるのです。イエス様は「地の塩」として神殿を腐敗から清める働きをなさったのです。イエス様の弟子・使徒パウロも、コリントの教会に大きな罪が発生して人々が悔い改めていなかった時、「あなたがたのところへ鞭を持って行く」(コリントの信徒への手紙(一)4章21節)こともあり得るという手紙を送り、人々に悔い改めを求めています。愛するコリント教会が清くなることを願ってのことです。旧約聖書のゼカリヤ書14章21節(ゼカリヤ書の一番最後)に次のような御言葉があります。「その日(世の終わりの日、神の国の完成の日)には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる。」イエス様の宮清めによって、このゼカリヤ書の御言葉が実現したとも言えるのです。

 イエス様は「わたしの家は、祈りの家でなければならない」とおっしゃいました。祈りの家は礼拝の家です。礼拝の家は清いことが必要です。東久留米教会のこの新会堂建築の理念は「ホーリーアンドシンプル」(聖にして簡素)です。礼拝の家は金もうけの家ではなく、ビジネスの家でもありません。「わたしの家は、祈りの家でなければならない」は旧約聖書イザヤ書56章7節の引用です。
「また、主のもとに集って来た異邦人が
 主に仕え、主の名を愛し、その僕となり安息日を守り、それを汚すことなく
 わたしの契約を固く守るなら
 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
 わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
 彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら
 わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。
 わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」(6~7節)。

 ここで神様は、異邦人(イスラエルの民以外の人)が、真の神様を愛し、神様の契約を固く守るのなら、異邦人をも神様の家の喜びの祝いに参加することを許すとおっしゃいます。私たち日本人も、真の神様を愛するならば、神様の家の礼拝に参加することを許されるのです。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」「すべての民の祈りの家」ですから、真の神様を信じるならば、どの国や地域の人も「祈りの家」に喜んで受け入れられるのです。キリスト教会はそのような所です。東久留米教会に外国の方が礼拝に来られることはあまりありません。数年前には、韓国人の女性がしばらく礼拝に来ておられた時期があり、一昨年、新会堂になってすぐの頃、中国人の女性や、アメリカ人と韓国人のご夫婦が来ておられたこともあり、日本人とアメリカ人の間に誕生された青少年たちが出席して下さったこともあります。これからも外国の方も来て下さるとよいですね。

 1991年の夏(その頃、私は茨城県の教会の信徒でした)に、お世話になっていた宣教師の方に連れられて茨城地区の諸教会の方々と一緒にアメリカの教会をいくつか巡ったことがあります。歓迎していただいて嬉しかったのですが、ある教会での交流会を終えて宿舎に帰ったときに、ある年配の男性が、「白人しか見なかった」と言われました。言われて見ればそうだったように思いました。もちろんその教会の集会に一回参加しただけで、礼拝やほかの集会には黒人の方もおられるのかもしれません。歓迎していただいたのですから、このようなことは言いにくいのですが、人種の問題はまだ課題としてあるのかもしれないと思いました。それから22年以上たっているので、今は変化しているかもしれません。この課題は、日本やほかの国にもあるでしょう。在日韓国人と日本人が共に礼拝する教会が身近に増えるとよいですね。

 イエス様は言われました。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」「強盗の巣」という言葉は、エレミヤ書7章11節の引用です。エレミヤ書7章は紀元前6世紀に、神様が預言者エレミヤに、エルサレムの神殿の門で人々に語るようにと命じられた御言葉です。この頃、神殿の礼拝は盛んに行われていたのです。しかしそれはただの習慣になっており、人々は日常生活では正義を行わず、神様に逆らう悪を行っていたのです。礼拝は形ばかりとなり、人々は生活の中で神様に従っていませんでした。それでは礼拝も意味がありません。

 (2節の途中より7節)「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間で正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。」

 人々は生活の中で悪いことをしながら、ただ習慣的に礼拝に行き、「主の神殿、主の神殿、主の神殿」とまじないのように唱えては、ご利益を願っていたのでしょう。しかし「主の神殿」という言葉を形式的に唱えればご利益があるというものではありません。生活の中で神様に大きく逆らいながら、形だけ礼拝に行っても、神様に喜ばれるはずがありません。神様に従う意志も、罪を悔い改める気持ちもないのでは礼拝になりません。人々は正義を行わず、外国人に親切にせず、孤児・寡婦といった辛い思いをしている人々に親切にせず、無実の人の血を流し、偽物の神々(その正体は悪魔)に従っていました。このようなことは今の東京や日本にもあると思います。私たちに大きなことはできませんが、東京や日本からこのようなことが減るように祈り、できることをしてゆきたいのです。

 (8節より10節)「しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前にたち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。」 人々は、神様との大切な契約モーセの十戒を破っていたのですね。モーセの十戒には「盗んではならない。殺してはならない。姦淫してはならない。隣人に関して偽証してはならない。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」などとあります。人々はそれを破っていました。破りながら、形だけは礼拝に行っていたのです。それでは礼拝も意味を持ちません。神様ははっきりとおっしゃいます。「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり、わたしにもそう見える、と主は言われる」(11節)。神様の目には、神殿に来る人々が欲望だらけの心を持つ強盗と同じに見えました。人々が堕落していることを、神様が深く嘆いておられます。

 かつてイスラエルでは、シロという場所に聖所・礼拝の場がありました。しかしシロはエレミヤの時代には廃墟となっていたようです。神様が廃墟となさったのです。人々が神様に逆らい、礼拝も偽りに満ちていたからです。「シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい」(12節)。神様がシロを廃墟となさった教訓に学びなさいというのです。罪を悔い改めて正義を行わないと、エルサレムの神殿も滅びるというのです。神様は心の中で、イスラエルの民のために泣いておられるのでしょう。イエス様がエルサレムのために泣かれたのと同じにです。人々が罪を悔い改めないならば、イスラエルを一旦滅ぼすほかはない。そうする前に悔い改めてほしい。

 神様は断腸の思いで、次の厳しい御言葉を語られます。「今や、お前たちがこれらのことをしたから―と主は言われる―そしてわたしが先に繰り返し語ったのに、その言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、わたしの名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、わたしはシロにしたようにする。わたしは、お前たちの兄弟である、エフライム(北イスラエル王国。既にアッシリア帝国に滅ぼされていた)の子孫をすべて投げ捨てたように、お前たちをわたしの前から投げ捨てる」(13~15節)。

 ルカによる福音書に戻ります。「毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである」(47~48節)。イエス様は貧しい民衆を愛しておられます。昔から教会があまりお金持ちになると信仰が堕落しました。そうなると神様が、教会を改革する信仰者を起こされました。

 その代表者の一人はやはりアッシジのフランチェスコです。12世紀から13世紀にかけてイタリアで生きた人です。ある日、フランチェスコはローマへの巡礼の途上で、崩れかけた小さな教会(サン・ダミアーノ教会)の前を通りかかります。その時フランチェスコは、イエス様の御声を聴いたと言います。「フランチェスコ、わたしの家を建て直しなさい。崩れかけているわたしの家を建て直しなさい。」イエス様の心を忘れた教会、神様と隣人への愛を忘れた教会、貧しい方々への愛を忘れた教会、祈りと奉仕の心を忘れた教会、お金と権力と野心にまみれてしまった教会…。フランチェスコはサン・ダミアーノ教会の修復にとりかかります。そのために商人であった父親の倉庫から布を取り出して売ってしまったそうです。フランチェスコの商売を無視した生き方に父は驚き、怒ります。しかしフランチェスコは、天の父のみを自分の父とすると宣言します。これは1206年か1207年の出来事とされています。小さな教会・サン・ダミアーノ教会を建て直す作業はシンボル的な行為で、フランチェスコの人生全体が、その時代の教会全体を建て直すために用いられたのです。

 1208年2月24日の礼拝で読まれたマタイによる福音書10章7~14節が、フランチェスコの心を熱く燃えさせたそうです。その一部を記します。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。」 この御言葉の通り、金銭を持たず、最も質素な衣を着て、与えられる食物のみを食べて、ひたすら悔い改めを説き、神の国を説教して歩きました。本当に徹底した人だと感嘆します。彼に共感する人々が集まるようになり、彼らは盛んに歌を歌い、畑仕事を手伝い、ハンセン氏病の人や浮浪者の世話をして回りました。フランチェスコは自分たちを「小さき兄弟たち」と呼ぶようになります。後には「托鉢修道会」と呼ばれるようになりました。フランチェスコは伝説化した人物かもしれませんが、イエス様に最も人格が近づいた人と言われます。その清貧に徹する生き方によって、当時の教会と社会に大きな感化を与えました。その感化は今にまで及んでいます。

 私たちの生活にある程度のお金は必要です。お金を得るために苦労して労働致しますし、その労働が尊いことを私たちは知っています。そして私たちはお金で買えないものがあることを知っています。愛、思いやり、美しい心、信仰をお金で買うことはできません。もちろん神様をお金で買うこともできません。使徒言行録8章に、何と聖霊をお金で買おうとした愚かな人が出て参ります。シモンという魔術師です。彼は使徒たちが手を置くことで霊(聖霊)が与えられるのを見、お金を持って来て、「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください」(19節)と言いました。すると、イエス様の一番弟子シモン・ペトロが叱りつけます。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。~お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている」(20~23節)。聖霊をお金で買おうとするなど、まさに神様への大きな冒瀆です。 私たちはもちろん神様をお金で買うことができませんし、罪の赦しをお金で買うこともできません。16世紀頃の教会は、免罪符(正確には贖宥状)を売っていたらしいですが、罪の赦しをお金で買うなどできるはずがありません。このような堕落に抵抗して宗教改革が始まったと思うのです。

 私は西東京教区の仕事で、東日本大震災被災地支援のためのトートバッグ等の販売を担当しています。1年少し前、西東京教区の立川夕礼拝でトートバッグ販売のアピールをするつもりで出掛けました。その晩の聖書は、「宮清め」の箇所であり、それによる説教がなされました。私は「今晩は売るのはよそう」という気持ちになりました。夕礼拝後に説教された牧師が、「石田さん、なんで今晩はバッグのアピールしないの?」と話しかけて下さいました。私がその晩の聖書のことに暗に触れると、手を打って「ああそうか!」と察して下さいました。「でもこれは被災地支援のためだから、いいんじゃない?」と言って下さいました。私もそう思いましたが、「宮清めの箇所だったし、今晩だけはやめておこう」と思いました(もちろんその後は、いろいろな集会で売っています!)。「宮清め」の場面には、このような思い出もあります。

 私たち一人一人も教会も油断すると、生き方が堕落してしまいます。日々、自分の罪を悔い改めて、ご一緒にイエス様を愛し、イエス様に従って参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-01-15 0:22:14(水)
「エルサレムのため泣くキリスト」 2014年1月12日(日) 降誕節第3主日礼拝説教
朗読された聖書:ゼカリヤ書9章9~10節、ルカによる福音書19章28~44節

「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それ
がお前に見えない。」(ルカによる福音書19章章42節)

 イエス様がいよいよエルサレムの都にお入りになります。イエス様は先頭に立って前進してゆかれます。「そして、『オリーブ畑』と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニヤに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もしだれかが、「なぜほどくのか」と尋ねたら、「主がお入り用なのです」と言いなさい』」(29節~31節)。 ベトファゲという地名は「いちじくの家」の意味です。そしてベタニヤという地名は「神により頼む貧しい人の家」の意味だそうです。イエス様は二人の弟子たちを使いに出されました。イエス様はろばに乗る意志をはっきりと示されます。

 ここを読むと、「ちいろば先生」と呼ばれた榎本保郎牧師を思い出します。私はお会いしたことはありませんが、21才の頃に榎本先生が書かれた『ちいろば』という小さな本をクリスチャンの友人に借りて読んで、かなりの感動を受けました。榎本先生の願いは、ご自分がこの個所に登場するようなろば、イエス様をお乗せする小さなろばとして生きることでした。ご自分はいと小さき者で何もできないが、イエス様に乗っていただくろばとして働きたいということです。これはすばらしい願いです。私たちもイエス様をお乗せする小さなろばになりたいものです。私たちには偉大なことを行う力はありませんが、私たちがイエス様をお乗せしてお運びするならば、イエス様が私たちを神様の御用のために用いて下さると信じます。ろばは、馬のように速くもなく力強くもなく、あまり有能でもありません。むしろだからこそ平和的ですし、見る者をほっとさせてくれます。私たちもそれぞれの家庭や職場、地域にイエス様を地道にお運びするろばでありたいのです。「主が入り用なのです」と、私たちにも言っていただけるのでしたら、大きな光栄です。イエス様は私たちにも、「あなたが入り用です」と言って下さいます。そして私たちに日々の務めを与えて下さいます。日々の務めを、イエス様にお仕えするつもりで、心をこめて果たしてゆきたいのです。

 「使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった」(32節)。イエス様は、この世界のことを何もかもご存じです。私たちの心の中も、すべてご存じです。「ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、『なぜ、子ろばをほどくのか』と言った。二人は、『主がお入り用なのです』と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた」(33~36節)。人々が服をかけて、その動物の上に人が乗るということは、乗る人が王であることを表します。その人の進む道に人々が服を敷くことも同じです。そこを歩く人が王であることを示します。

 イエス様はまさに、首都エルサレムに入ろうとしておられます。聖書はここで、イエス様がエルサレムの真の王、イスラエルの真の王であることを示しています。ふつう、王は力強い馬に乗って威風堂々と首都エルサレムに入ります。今年はうま年ですが、馬の速さと力強さに憧れる人は多いでしょう。イエス様は確かに真の王ですが、馬に乗らず、意図的にろばに乗られます。馬は軍事用に使われます。戦争する王は馬に乗ります。しかしろばは平和的な動物、平和のシンボルです。イエス様は平和の王なのです。イエス様がろばに乗ってエルサレムにお入りになることはゼカリヤ書9章に予告されています。
「娘シオン(エルサレムのこと)よ、大いに踊れ。
 娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。/ 見よ、あなたの王が来る。
 彼は神に従い、勝利を与えられた者/ 高ぶることなく、ろばに乗ってくる
 雌ろばの子であるろばに乗って。
 わたしはエフライム(イスラエル)から戦車を/ エルサレムから軍馬を絶つ。
 戦いの弓は絶たれ /諸国の民に平和が告げられる。
 彼の支配は海から海へ/ 大河から地の果てにまで及ぶ」(9~10節)。

 当時のイスラエルはローマ帝国の支配されていました。人々は、ローマ帝国と武力で戦ってイスラエルの独立を回復してくれる軍事的な王としての救い主が来ることを期待していました。しかし、イエス様はその期待を拒むご意志を、馬ではなく、ろばにお乗りになる行動によってはっきりと示されたのです。イエス様は平和の王なのです。

 私は詩編147編10節~11節の御言葉を連想致します。
「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく/ 人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人/ 主の慈しみを待ち望む人。」
父なる神様は、有名でなくても忍耐強くひたすら神様に従う人を喜んで下さいます。

 ルカによる福音書19章に戻ります。「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた」(37節)。「神を賛美する」場面は、ルカによる福音書に多いのです。弟子たちはこの世の力を持たない、無力で貧しく素朴な人々です。だからこそ、素直に神様を喜び、神様を賛美できるのです。弟子たちは聖霊に満たされていたに違いありません。神様を賛美することは、私たち神様に造られた者にふさわしい最も謙遜な業です。神様は喜んでその賛美をお受け入れになります。
「主の名によって来られる方、王に、/ 祝福があるように。
 天には平和、/ いと高きところには平和」(38節)。
美しい賛美です。こうしてイエス様は弟子の群れの歓呼を受け、平和の王としてエルサレムにお入りになります。

 神様が賛美されることを誰も止めることはできません。神様の御心が成ることを誰も止めることができません。しかし、いと小さき弟子たちの讃美を喜ばない人々がいました。ファリサイ派の人々です。貧しい弟子たちの讃美を、「神様への冒瀆だ。けしからん」と思ったのかもしれません。私たちもこのファリサイ派の人々のようになることがあるかもしれないので、気をつけたいと思います。ファリサイ派のある人々が群衆の中からイエス様に向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言いました。しかし弟子たちの讃美をやめさせることは、神様の御心ではありません。イエス様はファリサイ派のある人々の求めを拒否しておっしゃいます。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」(40節)。もし弟子たちを力づくで沈黙させるなら、弟子たちの代わりに石が神様を賛美する、あるいはその暴挙を石が告発し抗議する、ということでしょう。

 誰もイエス・キリストが宣べ伝えられることを止めることはできません。誰も真の神様への礼拝、賛美をやめさせることはできません。誰も私たちが真の神様を礼拝する権利を奪うことはできません。なぜなら神様が、私たち人間・造られたものによる礼拝を望んでおられるからです。この世での礼拝は世の終わりまで続き、天での礼拝に合流します。私たちが願って神様を賛美し礼拝するというよりも、神様が望まれて賛美する民・礼拝する民を起こしておられるのです。私たちも、自分が希望して神様を礼拝するようになったというよりも、神様が私たちに聖霊を注ぎ、信仰を与えて、私たちを賛美・礼拝する群れとして起こして下さったのです。神様がなさっているのです。

 イエス様は、マタイによる福音書21章16節で、詩編8編を引用して、「幼子や乳飲み子の口に、あなた(父なる神様)は賛美を歌わせた」とおっしゃっています。神様は、ご自分が望むどの方にも信仰を与え、賛美の歌を歌わせなさることがおできになります。石をさえ起こして、賛美の歌を歌わせなさることがおできになります。神様への讃美・礼拝に新しく加わる方々を、神様が一人また一人と新しく起こされるように、祈りましょう。私たちが「あの人は無理だろう」と思い込んでいたとしても、神様はその方の心をお変えになることがおできになります。

 そして誰も、イエス・キリストへの信仰を世からなくすことはできません。迫害されても迫害されても、イエス・キリストへの讃美と礼拝がこの世から絶滅することはありません。イエス・キリストを信じる人を迫害するものは、最後には必ず敗北します。それは真の神様への反逆なので、神様によって倒されます。私たちはこのことを深く信じ、イエス様に喜んで従ってゆきたいのです。

 「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない』」(42節)。イエス様は神の民イスラエルの首都エルサレムを愛しておられ、エルサレムのために悲しんでおられます。エルサレムの人々が神様を愛さず、神様に逆らっていたからです。エルサレムの人々は、間もなく神の子イエス様を十字架につけて殺してしまいます。真の神の子を殺すことは、最悪の罪です。これほど大きな罪を犯して悔い改めなければ、ただで済むはずがありません。イエス様の目には、約40年後のエルサレムの滅亡がはっきり見えていました。エルサレムは、ローマ軍に攻撃されて破壊されるのです。神殿も破壊されます。それは神様の審判です。イエス様はエルサレムを愛しておられますから、エルサレムが神様に逆らっていることを深く悲しまれました。エルサレムが罪のために審判を受けて一旦滅びることを悟り、涙を流されました。イエス様はイスラエルの真の愛国者です。ですからエルサレムの人々が罪を心から悔い改めることを切望しておられたのです。

 しかしエルサレムで力を持っていた人々は強情を張り、罪を認めず、悔い改めません。それでは滅びに至るほかありません。イエス様はこのことを十分知っておられましたので、涙されました。そして言われます。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださるときをわきまえなかったからである」(43~44節)。

 日本にもかつて真の愛国者がいました。たとえば無教会派のクリスチャン内村鑑三や矢内原忠雄です。内村鑑三は「2つのJ」を愛したと言います。「2つのJ」とはジーザズとジャパン、イエス・キリストと日本です。内村鑑三の墓は多磨霊園にあるそうですが、墓には次の言葉が英語で記されているそうです。「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために。(I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God.)」

 内村鑑三はイエス様への愛と日本への愛を両立させようとしたのです。今の日本政府は愛国心を強調する教育を進めようとしていますが、危ないことです。真の愛国心は、真の神様への愛と両立する愛国心、イエス様への愛と両立する愛国心でないと、身勝手なナショナリズムに転落するだけです。内村鑑三の愛国心は、日本が間違った方向(神様の御心に逆らう方向)に向かうときには、反対を唱える愛国心でした。今こそ私たちは内村鑑三に大いに学ぶことが必要です。「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために。」

 内村鑑三は1891年(明治24年)に不敬事件を起こしました。第一高等中学校の教育勅語奉読式において、明治天皇の親筆の署名に「奉拝」(最敬礼)することが求められましたが、(少々頭を下げたようですが)最敬礼しませんでした(その頃、内村は舎監という教頭に次ぐ第三の地位にあったそうです)。モーセの十戒の第一の戒めに従ったのです。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」この戒めに従ったために職を失い、貧乏のどん底に落ちたと言います。さらに日露戦争のとき、日本が国を挙げてロシアとの戦争にのめり込んでいる中で、敢然と非戦論を唱えたことは有名です。そして非国民と非難されました。ですが内村鑑三の信仰では、非戦論を主張することこそ真の愛国だったのです。日本が神様の御心に背いたときには、これに反対を唱えることこそ、真の愛国心だと信じたのです。

 その内村鑑三の弟子の一人が矢内原忠雄という方です。この方は内村鑑三が天に召されて3年目の記念集会で「悲哀の人」という題の話をされたそうです。「混沌の中にあって事の真実を見通し、真実を語る人は実に悲哀の人であります」(「キリスト教ラジオ放送局FEBCニュース」1999年11月号、加藤常昭師「信仰の闘士・矢内原忠雄」より)。そしてイエス様のことを語り、同じくエルサレムの罪と滅びのために泣いた預言者エレミヤのことを語り、非戦論を唱えて非難された内村鑑三のことを語ったそうです。「日本の国に向かって言う言葉がある。汝らは速かに戦いを止めよ。そう言いますけれども戦いをやめません。~今日は偽りの世において、我々のかく愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失ったる日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことがお分かりになったならば、日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬って下さい」(同)。この方は、当時の日本が中国との戦争をやめて、神様の前に罪を悔い改めて、新しく生きることを切望されたのです。エルサレムの悔い改めを切望されたイエス様と同じ思いだったのです。

 私たちもまた、日々自分の罪を悔い改め、そして私たちを愛して下さるイエス様を愛して、イエス様にお従いして参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。