日本キリスト教団 東久留米教会

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2016-06-22 20:33:45(水)
「必要な糧を毎日与えてください」主の祈り⑤ 2016年6月12日(日) 聖霊降臨節第5主日礼拝説教
朗読聖書:箴言30章7~9節、ルカ福音書11章1~13節。
「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」(ルカ福音書11章3節)。

 「主の祈り」は、父なる神への呼びかけに始まり、6つの祈りが祈られます。前半の3つの祈りは神様に関する祈り、後半の3つの祈りは私たち人間に関する祈りです。本日は後半の3つの祈りの最初の祈りを取り上げます。私たちが礼拝で祈る「主の祈り」の言葉では、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」です。礼拝で祈る「主の祈り」の原型は、先ほど朗読していただいたルカ福音書11章と、マタイ福音書6章に記されています。ルカ福音書の11章3節では、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」となっています。マタイ福音書6章11節では、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」です。

 私たち人間を含むすべての生き物に、食べ物を与えて下さる方は神様です。私たちの食べ物となる植物も動物も、自然界の中で生まれます。私たちは自然界の恩恵をたくさん受けていますが、その自然界を造り、今も支えておられるのは生ける真の神様です。私たち人間も労働しなければなりませんが、食べ物を根本的に与えて下さるのは、聖書の神様です。神様は創世記1章で言われました。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」この段階では、人も動物も草食でした。ノアの洪水の後、神様はノアと息子たちを祝福して言われました。「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」こうしてノアの洪水の後、人に肉食が許されるようになりました。

 神様が人間とすべての生き物に食べ物と与えて下さっていることは、詩編にもはっきり書かれています。たとえば、詩編104編14節にはこうあります。「(神は)家畜のためには牧草を茂らせ/ 地から糧を引き出そうと働く人間のために/ さまざまな草木を生えさせられる。」 25節以下には、こうあります。「~海も大きく豊かで/ その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。/ 舟がそこを生き交い/ お造りになったレビヤタン(大きな生物?)もそこに戯れる。/ 彼らは
すべて、あなた(神)に望みをおき/ ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。/ あなたがお与えになるものを彼らは集め/ 御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。」

 「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。」「必要な」と訳された言葉は、原語のギリシア語で「エピウーシオス」という言葉で、めったに使われない珍しい言葉であるそうです。新約聖書では、マタイ福音書とルカ福音書の、この祈りの中だけ(つまり2回だけ)しか出て来ない言葉だそうです。用例が非常に少ないために、意味がはっきり決めにくいそうです。意味はいくつかの可能性があり、辞書には「日毎の」あるいは、「どうしても必要な」、あるいは「明日の」の3つの訳語が出ています。私たちが礼拝で祈る「主の祈り」では、「日用の糧を」と祈っています。そこでは「日毎の」という意味に受け取っているのですね。新共同訳聖書のルカ福音書とマタイ福音書では、「必要な糧を」と訳しており、「(どうしても)必要な」 の意味に受け取っているのですね。現実には、どちらに訳しても大きな違いはないとも言えます。「日毎の糧」は、「必要な糧」に違いないのですから。因みに「糧」と訳された言葉は、よく「パン」と訳される言葉です。「我らの日用のパンを、今日も与えたまえ」と訳してもよいのですね。パンと訳した方が、親しみやすいと思います。

 今から17,8年前に、西東京教区の中高生キャンプで、「主の祈り」の1つ1つの祈りを取り上げて話し合ったことがあります。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」をテーマに話し合うと、いくつか意見が出ました。「糧は、家族や友達、自分にとって大切なもの全てのことじゃないか」と言った男子がいました。私は「まさにその通り!」と思いました。私たちが生きていくために必要なすべてを、この「糧」という言葉は指すと思うのです。

 神様は、私たちに毎日の食事を与えて下さいます。英語で「グレイス(恵み)を言う say grace」と言うと、「食前の感謝の祈りをする」の意味だそうです。昨年天に召されたAさんが、10年ほど前にある病院に入院しておられた時、病室でいつもの通り、食前のお祈りをなさったそうです。見ていた女性の看護師さんが「えっ?」と感じられ、何をしたのかと質問なさったそうです。松下さんが、お祈りをなさったこと、日曜日には教会に行っていることを話され、「教会では、信じる事、生きる事、祈る事を学ぶのです」と語られたそうです。暫く後にその看護師さんに出会ったときに、向こうから、「信じる事、生きる事、祈る事ですよね」と言われたそうです。病室での食前の静かなお祈りがインパクトを与え、結果的に神様を証しすること、伝道になったのですね。

 神様が直接与えて下さった食物として、私たちが思い出すのは、旧約聖書・出エジプト記16章のマナではないでしょうか。エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒れ野の旅へと導かれました。食べ物や飲み物がほとんどない荒れ野で、目に見えるものでなく、目に見えない神様に頼って生きる訓練を受けたのです。荒れ野の厳しさの中で、民は指導者モーセとアロンに不平を言います。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。神様がモーセに言われました。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からのパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」

 「毎日必要な分だけ集める。」これは「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」の祈りの精神と一致します。今日養って下さった神様が、明日も必ず養って下さると信頼して、委ねるのです。私たちの心配する心との戦いになりますね。モーセは民に、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言いましたが、彼らはモーセに聴き従わず、何人かは一部を翌朝まで残しておきました。神様を信頼しない罪です。残したマナには、虫が付いて臭くなりました。モーセはその不信仰の罪に怒りました。そこで人々は不信仰の罪を悔い改めて、朝ごとに必要な分だけ集めるようになりました。私たちは、先々の分まで確保し過ぎているかもしれません。ため込んでいることが、貪欲の罪に当たらないか、反省する必要があるかもしれません。私たちは、「必要な糧を毎日与えてください」と切実に祈れないかもしれません。先々のご飯、お金を確保しているので、「日用の糧を今日も与えたまえ」と切実に祈ることができないかもしれません。

 イスラエルの民にとって、七日目(土曜日)は安息日・礼拝の日なので、野にマナを探しに行くことは許されませんでした。現実に神様は七日目にマナを降らせて下さいませんでした。しかし安息日に安心して礼拝に専念できるために、神様は前日・六日目(金曜日)に、あらかじめ二日分のマナを与えて下さいました。安息日に安心して礼拝に専念できるためです。

 私たちは時々、明日のこと、先々のことが心配になります。半年先、2年先、3年先、食べていけるだろうか、どうなるだろうと心配になり、思い煩います。そんな時、神様を信頼できない気持ちになっています。しかし、そのときこそ、意識的に神への祈りに逃げ込むことが必要と思います。祈らないでいると、私たちの信仰は消えてゆきます。神様に祈って落ち着きを取り戻し、今日なすべきことをなす、今日なすべき神様へのご奉仕をしっかり果たす。それが肝要ではないでしょうか。

 どうしてもマタイによる福音書6章25節以下の、イエス様の御言葉を読みたくなります。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか(できません)。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」 人間は鳥よりも花よりも、はるかに価値のある被造物(神に造られたもの)です。何せ、神に似せて造られているからです。鳥にも花にも愛情を注いで下さる神様は、人間にはもっと愛情を注いで下さいます。先日、北海道で6日ぶりに保護された小学校一年生か二年生の男の子がいました。自衛隊の人も「助かったのは偶然が重なったからとしか考えられない」と言ったそうですが、まさに神様が守って下さったと私は直感しましたし、皆様もそうでしょう。多くの人々が祈ったに違いありません。神様は、男の子を保護して下さいました。「まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。」まさに信仰の薄い私たちへの、イエス様の励ましのお言葉です。

 そしてイエス様は力強くおっしゃいます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(パンなど)はみな加えて与えられる。」「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」礼拝を第一にするように、ということと信じます。礼拝を第一にすると、すべてが正しい秩序の下に置かれます。必要なパン、衣服、住む所も必要な分、与えられるはずです。日曜日は、週の一番目の日です。最初の日(のできれば午前)を礼拝で始める。これが私ども信仰者の生き方です。これは決断的生き方です。礼拝を出来る限り優先する。そうすれば、神様が必要な糧を一日一日、結果的に毎日与えて下さる。礼拝を第一にすることで、思い煩いの少ない人生になってゆくのではないかと思うのです。

 イエス様は結論的に言われます。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」明日は、神様の領域です。明日は、神様の御手の中にあります。明日のことまで思い悩むことは、神様を信頼しないことです。今日なすべきことを、祈りつつ行い、明日は明日で、祈りつつ課題に取り組めばよいのです。「必要な糧を毎日与えて下さい。」糧は神の助けです。神様は、今日必要な助けを、今日与えて下さいます。明日必要な助けは、明日与えて下さいます。そう信頼して、祈りに逃げ込んで思い煩いを乗り越えたいのです。

 本日の旧約聖書は、箴言30章7~9節です。これは祈りの言葉です。「二つのことをあなた(神様)に願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。」私たちは、なかなかこのような祈りを思いつきません。「貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養ってください。」金持ちになると、自分の信仰が危機に瀕するというのです。お金で何でも解決できると思うようになり、神様に祈りもせず、聖書も読まず、礼拝もしなくなり、「主など何者か」と言う傲慢に陥り、信仰を失う恐れがあります。「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈らなくなる恐れがあります。逆に貧し過ぎると、信仰者なのに苦しさの余り盗みを働き、神様の顔に泥を塗る恐れがあります。

 ある程度貧しくないと、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と切実に本気で祈れません。イエス様は、「貧しい人々は、幸いである」と言われました。しかし貧しすぎると、人のパンを盗む恐れがありますから、貧しすぎるのはよくないのでしょう。箴言28章21節に、「だれでも一片のパンのために罪を犯しうる」とあり、ビクトル・ユゴーの名作『ああ、無情』の主人公ジャン・バルジャンを思い起こします。姉とその七人の子どもたちを養わなければならないのに、家にひと切れのパンもなくなったために、ジャン・バルジャンはパン屋から一本のパンを盗み、結果的に19年間も刑務所に入れられた、そこから始まる物語です。「ちいろば先生」として知られる(今は天国の)榎本保郎先生は、ある時、教会からいただく謝儀を全額献金なさったそうです。「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と本気で祈ることができるほどに貧しくなりたい、と願われたからです。すべてを献げると、日々の小さな恵み一つ一つが感謝になり、生活の中で「感謝」の言葉が増えたということです。私は、その深い信仰を尊敬せずにはおれません。

 イエス様が弟子たちに、「わたしたちに必要な糧を、毎日与えてください」と祈るように言われた時、神様がぜいたくな食事を与えて下さると約束されたのではないでしょう。神様が、ぜいたくではないが健康を維持するには十分なパンを、私たちに与えて下さいます。イエス様はガリラヤで、五千人ほどの男を「五つのパンと二匹の魚」で満腹させて下さいました(ルカ福音書9:10~)が、その食事も質素な食事だったはずです。イエス様より少し前に活動した洗礼者ヨハネは、いなごと野蜜を食べ物としていました。旧約聖書に登場する預言者エリヤは、神が送って下さった数羽のからすが朝と夕べに運んで来るパンと肉によって養われました。簡素な食事だったと思います。

 そのエリヤが、サレプタという所に行き、あるやもめに声をかけ、水とパンを持って来てほしいと頼むと、やもめが言いました。「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、甕の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」エリヤは言います。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、甕の油はなくならない。」やもめはエリヤの言うとおりにしました。彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、甕の油もなくなりませんでした。こうして神様は、エリヤとやもめと息子に、必要な糧を毎日与えて下さいました。それも簡素の食事だったと思います。

 そして、ある説教者は言います。「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と本当に祈るのであれば、「ただ自分一人が食足りて満足して過ごすことができるでしょうか。地上に一人の飢えた者がいるということに目を注ぎ涙を流す、こういう気持ちで祈り、そのために全力を尽くすのでなければ、本当の祈りと言えないのではないでしょうか。すべての人のために愛の手をさしのべる心」が必要だと(『大村勇説教集 輝く明けの明星』日本基督教団阿佐ヶ谷教会、1991年、346~347ページ)。

 宗教改革者マルティン・ルターは、『大教理問答』で、「日用のパンを求める祈りには、パン(小麦)を生産する農家、これを各家庭に届ける流通機関、そしてこれにかかわるすべての人々のための祈りを含む」と書いているそうです(前掲書、347ページ)。農家の生産、その後の流通が円滑に運ぶためには、世界が平和であることが必要だ、とも言っているそうです(前掲書、347ページ)。となると、「日用のパンを、今日も与えたまえ」の祈りは、「世界の(今は飢えている人々も含めて)すべての人に、必要な糧を毎日与えたまえ」と祈り、行動もする信仰へと、私たちを導きます。日本の中の、そして世界の中の経済格差をなくすために努力する信仰へと、私たちを導きます。 

 私たちは、質素に、分け合って食べる(生きる)喜びを回復したいものです。先ほど歌った讃美歌21の425番4節に、「飢え、渇き、病と、浪費の世に」というギクッとさせられる歌詞がありました。私は浪費の罪を犯していないか、深く反省させられます。箴言15章17節に、次のすばらしい御言葉があります。「肥えた牛を食べて憎み合うよりは/ 青菜の食事で愛し合う方がよい。」私は、この御言葉が好きです。この御言葉の通りに生きるように、心がけたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2016-06-09 11:20:13(木)
伝道メッセージ 「ヘレン・ケラー」 石田真一郎
「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(新約聖書・コリントの信徒への手紙(一)13章13節。) 

 「愛」は原語のギリシア語でアガペーです。イエス・キリストの愛、無償で与える愛です。4月に、熊本を中心に大きな地震があり、ボランティアの方々が愛を実践しておられるのに、頭が下がります。地震の一刻も早い終息を、心よりお祈り致します。

 ヘレン・ケラー(1880~1968、アメリカ人)に母親のような(以上の?)愛を注いだアン・サリバン先生を思います。ヘレンは1才のときに、目と耳が利かなくなり、聴いて話すこともできなくなります。ヘレンが6才の時、家庭教師のサリバン先生(20才)が来ます。50年間にわたるコンビの誕生です。サリバン先生も目が悪く、手術によってよくなる経験をしていました。ヘレンにまず、手の平に書く指文字を教えます。

 ヘレンが9才のとき、話す訓練を始めます。発音を覚えるために、先生の唇、舌、喉の内外をさわって形と動きを覚え、自分の口で正確に真似する訓練を繰り返します。すぐには話せません。一語ずつ何回も練習して、次第に話せるようになります。受験勉強も、大学の勉強も二人三脚です。

 ヘレンは、指文字で語りました。「私は~自分のことだけを考えていました。でも~先生は、私のために、すべてをささげてくださっています。私は今、やっと、人を愛することのすばらしさがわかりました。~先生をお手本にして、生きていこうと決心したのです」(砂田弘『ヘレン・ケラー』ポプラ社、2013年、101ページ)。ヘレンは、体の不自由な方たちが、少しでも生きやすい社会にするために働き、黒人差別と戦争に反対し、日本にも3回来て、体の不自由な方々を励ましました。サリバン先生の愛が実を結んだのです。私は、かつて女性新聞記者で、来日したヘレンに会ったという方に出会ったことがあります。その方は、夫の介護をしておられました。その姿にも深い愛を感じました。アーメン(「真実に、確かに」)。

2016-06-09 11:14:44(木)
伝道メッセージ 「コルベ神父」 石田真一郎
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
(イエス・キリスト。新約聖書・ヨハネ福音書15章13節)。

 イエス・キリストに従った人に、ポーランド人のコルベ神父がおられます。1894年生まれのコルベ神父は清貧に生き、36歳の時より6年間、日本の長崎で伝道なさいました。ポーランドに戻り、1941年に、悪名高いナチスのアウシュヴィッツ強制収容所に入れられます。もちろん、何も悪いことをしておられません。

 一人の脱走者が出たため、真に不当にも10人が、最後まで食物・水なしの刑に処せられることになりました。「妻や子どもたちがいるから、死にたくない」と号泣したガイオ二チェック氏を見て、神父は身代わりを申し出ます。コルベ神父は部屋で9人の心を支え続けました。神父を中心に、小声で讃美歌を歌い、祈り続けました。部屋の外から様子を見た囚人には、部屋がおごそかな教会のようにも思えたそうです。

 コルベ神父は9人の絶望を和らげ、天国に導く使命を果たされました。まさに「アウシュヴィッツのキリスト」です。神父を含む4名が14日後も生きていたので、注射されました。神父は1941年8月14日に、47年間の崇高な人生を終え、天国に入りました。ある方は、コルベ神父の生き方により「狂気の世界に愛がうち勝った」、「コルベ神父は、みずからの生命をかけて、人類の巨大な悪に挑戦したのです。絶望とのたたかいに、勝利したのです」と書いておられます(早乙女勝元著『アウシュヴィッツのコルベ神父 優しさと強さと』小学館、1983年、154ページ)。

 次の言葉を語った方があるそうです。「人生には一つの義務しかない。それは愛することを学ぶこと。 人生には一つの幸福しかない。それは、愛することができるように。」 コルベ神父は、まさに愛に生きられました。これほど立派に生きられないかもしれませんが、私たちもイエス様に少しでも従いたいと祈ります。アーメン(「真実に」)。

2016-06-09 11:02:55(木)
伝道メッセージ 「野口英世」 石田真一郎
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
(イエス・キリスト。新約聖書・ヨハネ福音書15章13節)。

 イエス・キリストを信じた人に、野口英世がいます(千円札でおなじみ)。1876年に福島県の今の猪苗代町の、非常に貧しい家に生まれました。初めの名前は清作です。赤ん坊の時、誤って囲炉裏に左手を入れて、やけどで指がくっついてしまいます。「てんぼう」といじめられますが、懸命に働く母親の姿を見て勉強に励みます。15才の時に、学校の先生や友が出してくれたお金で左手の手術を受け、成功します(が、多くの人ほど自由に動きません)。医学の力に感激し、医者を志します。志を立てることは大切です。
 
 18才の時に、イエス・キリストを救い主と信じ、教会(今の日本キリスト教団若松栄町教会)で洗礼を受けます。東京で勉強し、難関を突破して医者になり、アメリカに渡ります。伝染病の病原体を突き止め、ワクチンを作る医者です。一度帰国し、母親に孝養を尽くしました。黄熱病に苦しむ南米のエクアドルに行き、9日目に病原体を発見し、その後それを殺す薬を作りました。1928年にアフリカに行き、別種の黄熱病の病原体5種類を見つけましたが、自分が黄熱病になり51才で亡くなりました。彼は、友(人類)のために命を献げた人と思います(色々な欠点をも持つ人ですが)。

 野口英世は「あのとき、やけどをしなかったら、今の自分はなかった」と、言っていたそうです。やけど自体はマイナスですが、よき医者と出会い、多くの人を癒やす医者になる原動力になったのです。人の痛みを深く知ることもできました。野口英世の好きな言葉は「忍耐」だったそうです。新約聖書の次の言葉を思います。「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマの信徒への手紙5章3~4節)。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(同8章28節)。アーメン(「真実に」)。参考資料:仁井田義政牧師『人物による婦人聖研 聖書に触れた人々 No.7 野口英世』、浜野卓也『野口英世』ポプラ社刊。


2016-06-08 18:27:01(水)
「渇いている人を招くキリスト」 2016年6月5日(日) 聖霊降臨節第4主日礼拝説教
朗読聖書:エゼキエル書47章1~12節、ヨハネ福音書7章25~39節。
「渇いている人はだれでも、わたし(イエス・キリスト)のところに来て飲みなさい」ヨハネ福音書7章37節)。
 
 イスラエルの大きな祭りである仮庵祭が行われていた時です。私はイスラエルの大事な祭りというと、過越祭だと考えてきました。もちろん過越祭は非常に大切な祭りですが、実は仮庵祭が、人々がもっと盛り上がった祭りだったらしいと最近知りました。過越祭の時もそうですが、仮庵祭の時も大勢の人たちが首都エルサレムにつめかけたそうです。仮庵祭について、新共同訳聖書巻末の「用語解説」が23ページで、次のように教えてくれます。「仮庵祭。 ユダヤ教の三大祭りの一つ。ティシュリの月の15日から7日間(太陽暦の10月初旬ごろ)行われる。後代には8日間に延長された。イスラエルの民が荒れ野で天幕に住んだことを記念し、仮庵(仮小屋)を作って祭りの間そこに仮住まいをしたことに由来する名称。秋の果実の収穫祭でもあった。イエスの時代には、仮庵祭の期間中、毎日シロアム(エルサレム神殿の近くの場所の名)の池の水を黄金の器にくんで神殿に運び、朝夕の供え物ととともに祭壇に注ぐ行事が行われた。ヨハネによる福音書7章37、38(本日の箇所)はこの『水』に関係がある。」

 イエス様は最初、この祭りには上って行かないと言われました。しかしその後、父なる神様のご意志に従って、人目を避け隠れるようにして、エルサレムに上られたのです。それは自己宣伝のためでは全くなく、父なる神様の御心に従って、上ってゆかれたのです。そして神殿で公然と教え始められました。これはイエス様のメシア(救い主)としての公の活動です。イエス様は確かに、イスラエルの民が千年も待ち望んでいたメシア(救い主)です。イエス様が神殿で堂々と教え始められたのを見て、エルサレムには次のように言う者たちがおりました。(25~26節)「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。(最高法院の)議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。」 

 この人は、イエス様こそメシアではないかと考えたのです。ところが疑問がよぎり、彼はつぶやきました。(27節)「しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるか、だれも知らないはずだ。」メシアはベツレヘムに生まれると旧約聖書のミカ書に予告されています。この人もそのことを知っていたはずです。しかしイエス様が、ベツレヘムで誕生されたことは知らなかったのかもしれません。育ちの地がガリラヤであることだけ、知っていたのかもしれません。「メシアが来られるときは、どこから来られるか、だれも知らないはずだ。」メシアは、いわばヒーロー、スターです。ある日忽然と、どこから来たか不明のまま出現するからこそありがた味があり、カリスマ性を感じることができると、この人も多くの人々も考え、期待していました。

 その気持ちは、私たちにも分かります。生活のにおいがする人、日常性を感じさせる人では、ありがた味がなく、憧れることができません。それなのに、このイエスという方が、イスラエルの地方であるガリラヤの大工ヨセフとマリアの家の息子であることは、皆知っていたでしょう(マリアが聖霊によって身ごもって生まれた方が、イエス様であることは知らなかったのでしょうが)。育ちの場所が分かるようでは、日常的過ぎて、人々ががっかりしてしまうのです。しかし神の恵みは、超自然的な奇跡ばかりではないですね。むしろ私たちの一見平凡に見える日常生活の中に、神様の恵みは毎日たくさん与えられています。それは決して平凡ではないのです。毎日ご飯を食べることができる。これこそ偉大な奇跡であることに気づきたいのです。赤ん坊・鼻たれ小僧の時から知っている隣りの倅が、実は偉大なメシア(救い主)であっても、不思議ではないのです。

 ですからイエス様は、この人のつぶやきに対して声を出されました。抗議と言える声です。(28~29節)「すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。『あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。』」 「でも、だからメシアでないと考えるならば、それは間違いだよ」、ということです。「わたしをお遣わしになった方(父なる神様)は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」 これはイエス様の宣言です。「わたしこそ、父なる神様から遣わされたメシアである」という宣言です。(30節)「人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。」イエス様の宣言を聞いて腹を立てた人々が、イエス様を捕らえようとしましたが、できなかったのです。神の妨げる力が何らかの形で働いて、イエス様を守りました。父なる神様の許しなしに、どんなことも起こることはないのです。父なる神様が、私たちの罪を背負わせるためにイエス様を十字架におつけになる時のみ、人々はイエス様を捕らえることができます。父なる神様の許しなしに、どんな権力者もイエス様に指一本触れることができません。

 イエス様のメシア宣言を聞いて、受け入れる群衆が多く出てこう言いました。「メシアが来られても、この人より多くのしるしをなさるだろうか。」それを見て危機感を抱いた祭司長たちとファリサイ派の人々が、イエス様を捕らえるために下役たちを遣わしました。それに対してイエス様が言われます。(34節)「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることができない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」これを聞いた人々は、イエス様の言葉の意味が全く分かりませんでした。イエス様は、ご自分が天の父なる神のもとに帰るとおっしゃったのですが、彼らは地上のことしか考えることができなかったからです。

 次の37~39節が、非常に重要です。(37節)「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。』」仮庵祭が最高潮に達する終わりの日に、イエス様が大声で人々を招かれた、私たちを招かれたのです。旧約の時代の偉大な祭り・仮庵祭によっても与えられない「真の恵み」を与えるのがご自分であると主張され、私たちを招かれたのです。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」私たちはこの招きを聴いて、素直に真の救い主イエス様のもとに行けばよいのです。イエス様が、非常に喜んで下さいます。

 先ほどの解説にはこうありました。「イエスの時代には、仮庵祭の期間中、毎日シロアムの池の水を黄金の器にくんで神殿に運び、朝夕の供え物とともに祭壇に注ぐ行事が行われた。」バークレーという聖書解説者は、大勢の人々が集まるこの行事を、さらに詳しく次のように描写してくれます。「一人の祭司が、およそ六合はいる金の水差しを取り、シロアムの池へおりて行き、それに水を満たした。人々がイザヤ書12章3節、『あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ』を詠唱している間に、それは泉の門を通って持って来られる。水は神殿まで運ばれ、神への供え物として祭壇の上に注がれる。これが行われている間ハレル、つまり詩編113編から118編が、笛の伴奏に合わせて、レビ人の聖歌隊によってうたわれる。『週に感謝せよ』(詩編118:1)の言葉に来て、再び『主よ、どうぞわれらをお救いください』(詩編118:25)と歌い、最後に結びの言葉、『主に感謝せよ』(詩編118:29)が歌われると、礼拝者たちは大声をあげ、祭壇に向かって、なつめやしを振る」(ウィリアム・バークレー著・柳生望訳『ヨハネによる福音書 上』ヨルダン社、1985年、340~341ページ)。

 シロアムの池から水を汲んで来て、神殿の祭壇に注ぐ行事が、なぜこれほど盛り上がったのか。それはイスラエルが非常に乾燥した土地なので、人々が水のありがた味を深く感じていたからのようです。誰でも、水がなければ生きることができません。日本は水が割に豊富ですが、中近東では水は非常に貴重でしょう。祭司が祭壇に水を注ぐ行事は、雨乞いの意味を持っていたとも言われます。神様がこれからも水を与えて下さるように、切に祈ったのではないでしょうか。

 仮庵祭は、イスラエルの民の苦しかった荒れ野の旅を忘れないための祭りですから、祭りの時、人々は荒れ野での神様の恵みを思い出したに違いありません。神様は食べ物がない荒れ野で、マナという食物を約40年間与え続けて下さいました。
荒れ野は砂漠ですので、民はしばしば飲み水がなくて苦しみました。たとえば、出エジプト記17章を見ると、民はレフィディムという場所に宿営しましたが、そこには飲み水がなかったので、民は指導者モーセに不平を言いました。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」民が殺気立って、モーセを石で打ち殺そうとしたので、モーセは神様に助けを求めて叫びました。神様はモーセを助けて言われました。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセがその通りに行うと、岩から水が出て、民は飲むことができたのです。後にも、メリバという場所で似た(違う部分もある)奇跡が起こり、岩から水が出て、民が水を飲むことができました。

 二度とも岩から水が出て、民は渇きを癒されたのです。岩から水を出して下さった方は、神様です。旧約聖書の詩編などでは、神様ご自身がしばしば「救いの岩」と呼ばれます。私たちを支えて下さる力強い方という意味で、神様が「岩」と呼ばれます。神様は「目に見えない霊的な岩」です。新約聖書のコリントの信徒への手紙(一)10章4節で、著者パウロが、この荒れ野での出来事を語りつつ、驚くべきことを述べます。「彼ら(イスラエルの民)が飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩(神)からでしたが、この岩こそキリストだったのです。」民に荒れ野で水を与えた神は、キリストご自身だと言うのです。これは驚くべきことですが、キリストは三位一体の神ご自身ですから、パウロの言葉は正しいのです。荒れ野で民のために岩から水を出した方は、キリストです。

 そのキリストご自身が、本日のヨハネ福音書7章37節で、大声で言われるのです。「乾いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」この渇きは、肉体の渇きではなく、心・魂の渇きです。肉体の渇きを癒すことも大切ですが、心・魂の渇きを癒すことも必要です。最近、有名プロ野球先生だった男性が、覚醒剤使用で執行猶予つき有罪判決を受けました。私と同世代の人です。現役を引退して目標を失い、心・魂の飢え渇きを満たそうとして覚醒剤に手を出したのかと、思わせられます。心・魂の飢え渇きを感じる人は多いと思うのです。絶対に覚醒剤に手を出してはなりません。イエス・キリストが与えて下さる神の愛だけが、私たちの心と魂を真に満たすことができます。

 イエス様は、この福音書の4章でサマリアの女に、言われました。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」この水は、神の愛であり、聖霊であり、永遠の命です。イエス様は、神の愛、聖霊、永遠の命を私たちに与えたいのです。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」これは、東久留米教会の前の会堂の外に掲示されていたマタイ福音書11章28節と、ほとんど同じ中身です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

 そしてヨハネ福音書7章38~39節。「『わたしを信じる者は、聖書(旧約)に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”(聖霊)について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。」イエス・キリストを信じる人(クリスチャン)は、その人の内から生きた水が川となって流れ出る。イエス様を信じる人(クリスチャン)は、神の愛の霊である聖霊を受けます。クリスチャンからその聖霊が生きた川となって流れ出る。神の愛の霊で、周りの人々を潤すのです。そのクリスチャンの源は、もちろんイエス様です。まずイエス様の内から生きた水(聖霊)が川となって流れ出て私たちを潤し、次に私たちから生きた水(聖霊)が流れ出て、周りの人々を潤します。

 「その人の内から生きた水が川となって流れ出る。」「内」という言葉は、面白いことに原語のギリシア語で、「腹」という言葉です。「胃」という意味でもあるようです。口語訳聖書では現実に「~その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と訳しています。「その人の腹(胃)から生きた水が川となって流れ出る。」実に具体的・身体的です。聖書の民は、私たち人間の精神の働きを、具体的に肉体の部分に結びつけて考えていたそうです。たとえば旧約聖書でよく「心」と訳されるヘブライ語のレーブという言葉は、直接には「心臓」の意味です。心臓(レーブ)に心が宿る、「知・情・意」などが宿ると考えたようです。そしてここでは、キリスト者の内(内面、新改訳聖書第3版は「心の奥底」と訳している)から、腹(口語訳)・胃から聖霊が流れ出て、周りの人々を潤すと説かれます。私たちも、心と体がつながっていることはよく知っています。聖書の民は私たち以上にそうで、人の内面的な事柄を具体的な臓器に強く結びつけて考えたのです。よく言うのは、新約聖書で「憐れむ」というギリシア語の動詞に「はらわた・内臓」という言葉が含まれていることです。「憐れむ」とは、「はらわたが痛む、内臓がきりきり痛む」ほどに相手のことを強く思うことだと語られます。聖書の民は、私たち現代人が、つい頭でっかちに観念的・抽象的に考えることを、身体の部分を結びつけて極めて具体的に受けとめていたことが、大切な特徴と思います。

 本日の旧約聖書は、エゼキエル書47章です。預言者エゼキエルが見た、新しい神殿とそこから湧き上がる命の水のヴィジョンです。麗しいヴィジョン、神の国のヴィジョンです。(1節)「彼(神の使い)はわたし(エゼキエル)を神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。」神殿から、すべての生き物を生き返らせる命の水が湧き出ます。湧水です。東久留米教会のわずか60m南に南沢湧水があり、今もこんこんと水が湧き出ていることは、私たちの喜びです。1節は、祭司がシロアムの池から汲んで来た水を、祭壇に注ぐ場面に似ています。そして私たちは、今の時代には建物の神殿は必要ないことを知っています。イエス・キリストこそが、生ける神殿です。神殿には、神の霊である聖霊がおられます。生きた神殿であるイエス様にこそ、聖霊が満ち満ちておられ、イエス様は私たちに聖霊を注いで、私たちの魂の渇きを癒して下さいます。クリスチャン一人一人も、その内(腹・胃かもしれない)に聖霊が住んでおられる神殿です。

 私は、永遠の命の水を思う時、「ベン・ハー」という映画を思い出します。主人公ベン・ハーが奴隷として砂漠を歩かせられていた時、ある人が水を飲ませてくれます。その人の顔を映しません。それがイエス様です。ベン・ハーはそれがイエス様であることを、その時知ることはありません。しかし後に、十字架を担いでゴルゴタの丘に向かうイエス様と遭遇します。そして思わず「あの人を知っている!」と言います。水をくれた人だったのです。そして倒れたイエス様のところに行き、お返しに水を飲ませようとします。しかしローマ兵が水の入った器をはね飛ばし、イエス様は水を飲むことができません。その直前、二人は見つめ合い、イエス様も前のことを思い出されたようです。初めて見たとき小5だった私にとって、印象的だった場面です。水、命の水。洗礼の時も水を用います。その水は聖霊のシンボルです。

 ただ今より聖餐を受けます。聖書の民はからだを重視しました。私たちも心で祈るだけでなく、イエス様の御体であるパンと、御血潮であるぶどう汁を、口で食べ飲みます。イエス様から来る永遠の命が腹(胃)に、五臓六腑に染みわたります。全ての方々が洗礼を受けられ、パンとぶどう汁を受け、イエス様から来る永遠の命を身体で味わって下さるように、心よりお祈り致します。アーメン(「真実に、確かに」)。