日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2017-12-07 15:20:12(木)
映画『母 小林多喜二の母の物語』を見て  伝道メッセージ
「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか、知らないのです。」(イエス・キリスト。新約聖書・ルカによる福音書23章34節)。

私は最近、山田火砂子監督の映画『母―小林多喜二の母の物語』を、東久留米駅近くの成美教育文化会館で見ました。原作は、クリスチャン作家・三浦綾子さんの小説『母』(角川文庫)です。

 小林多喜二(1903~1933)は共産主義者・作家で、クリスチャンではありません。築地警察で拷問の末、殺されたとされます。貧しい人々の味方をしたのに殺される悲劇の人生でした。三浦綾子さんはそこに、貧しい人々を愛して生きたのに、十字架につけられたイエス・キリストとの共通性を見られます(イエス様は、死の三日目に復活されましたが)。そして、愛する息子の不条理の死の悲しみに耐えた多喜二の母セキさんと、イエス様の母マリアを重ねておられます。

 多喜二の姉チマ(セキさんの娘)はキリスト教会に通っていたようです。チマに導かれて、セキさんも教会に行ったようです。セキさんはその教会の近藤治義牧師を深く信頼し、自分の葬儀を教会で行ってほしいと頼んだそうです。その通りになりました(洗礼は受けなかったようです)。三浦綾子さんは、小説『母』でセキさんに次のように語らせています。
 
「(イエスさまは)両手両足に五寸釘を打ちこまれて、どんなに痛かったべな。…だども、たまげたことにイエスさまは、誰をも呪わんかったのね。『神さま、この人たちをゆるしてあげて下さい。この人たちは、何をしているか、わからんのですから』と言って、槍で胸を突かれて、亡くなられたのね。…わだしはね、多喜二が警察から戻って来た日の姿が、本当に何とも言えん思いで思い出された。…神さまは、自分のたった一人の子供でさえ、十字架にかけられた。神さまだって、どんなに辛かったべな。だけど、人間を救う道は、こうした道しか神さまにはなかったのね」(三浦綾子『母』角川文庫、2017年、207~208ページ)。

 イエス様の十字架上の言葉は、私たちの胸を打ちます。皆様も教会においでになり、愛の主イエス様を深く知って下さい。アーメン(「真実に」)。

2017-12-07 15:16:57(木)
『トムじいやの小屋』を読んで  伝道メッセージ
「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか、知らないのです。」(イエス・キリスト。新約聖書・ルカによる福音書23章34節)。

 小学生のときに読んで感動した『トムじいやの小屋』(高杉一郎訳、学研を、この8月に読みました。大人こそ読むべき、心を打つ名作です。作者のストウ夫人は、19世紀のアメリカの牧師の娘です。白人の主人の都合で売られる黒人奴隷のつらさが描かれます。夫婦や親子が引き裂かれます。

 黒人奴隷のトムは、熱心なクリスチャンで、主人のために一生懸命働きます。弱い者の味方でもあります。トムは最後に、非常に残酷な主人に売られ、激しい虐待を受けます。しかしトムは敵を愛し、暴力で反撃しません。トムは、聖書のイエス様の十字架の場面を読んでくれるように、仲間に頼みます。イエス様が祈られます。「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか、知らないのです。」

 主人の手下になってトムに激しい暴力をふるった二人の黒人に、無抵抗のトムが言います。「ゆるしてやるよ。」二人は深く後悔して、声をあげて泣きます。トムは天に召されます。トムを買い戻しに来た、最初の主人の息子がそれを見届けて、トムの墓の前で祈ります。「神様、今日という日からぼくは、この国の奴隷制度をなくすために全力を尽くします。」

 この作品は、アメリカで奴隷制度をなくす世論を作る大きな力となったそうです。まさに「ペンは剣よりも強し」(聖書の言葉ではありませんが)です。人々の正義感を、奮い立たせたのです。日本も、国籍などによる差別のない国をめざしたいものです。

 そのためにも、ぜひ神の子イエス・キリストを知って下さい。イエス様は、私たち全員の罪を身代わりに背負って、十字架で死なれ、三日目に復活されました。イエス様をご自分の救い主と信じる人は、すべての罪のゆるしと永遠の命を受けます。ぜひ皆様もイエス様を救い主と信じて、永遠の命をお受け下さい。詳しく知りたい方は、東久留米教会においで下さい。

2017-12-07 15:14:14(木)
「敵を愛しなさい」 伝道メッセージ
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(イエス・キリストの言葉。 新約聖書・マタイによる福音書5章44節)。

 8月は、日本にとって平和への祈りを新たにする大切な月です。私の両親は太平洋戦争の頃、子どもでした。私は親から、空襲を受け防空壕に逃げた話などを聞きながら育ちました。その頃の子どもたちは、「鬼畜米英」、「米英撃滅」と教えられていたそうです。ところがイエス・キリストは、「敵を愛しなさい」と正反対の教えを説かれます。イエス様の多くのよき言葉の中でも、最高の言葉と思います。難しいことですが、これを全員が実践すれば、身の周りも世界も、たちまち平和になります。

 こんな実話を読みました。戦前の神戸や横浜でキリストを伝えたコヴェル宣教師というアメリカ人がおられました。戦争中は夫妻でフィリピンのルソン島におられ、無実なのにスパイ容疑をかけられ日本軍に殺害されたのです。日本人として本当に辛い出来事です。お二人は最後まで、心を合わせて祈っていたそうです。アメリカのユタ州にいた20才ほどのお嬢さんは、それを聞いて、怒りと悲しみでいっぱいになりました。でも両親は最後にどう祈ったのか、考えました。イエス様は十字架につけられたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」と、敵をゆるす祈りをされました。両親も最後にそう祈ったに違いない。彼女は、憎しみを返すのでなく、両親の志を継いで日本人に奉仕しようと思い立ちます。何と彼女の住む町に、日本兵が収容されている捕虜病院があり、彼女は懸命に奉仕します。「何か不自由があったら、私に言って下さい。私は何でもかなえたいと思っています。」戦争が終わり、捕虜たちが日本に送還されるまでほぼ毎日、半年続いたそうです。彼女が奉仕した捕虜たちは、直接ご両親の命を奪った人たちではありませんが、でも彼女は憎しみを超えて、本当に敵を愛したのだと思います。何と立派な人かと感嘆します(中田整一編・解説『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』講談社文庫、2010年より)。

 私は、平和憲法は神様から日本へのプレゼントと信じています。日本は、敵の撃滅をめざす国から、平和を愛する国に生まれ変わりました。
この道を迷わず進みたいと、切に祈ります。(アーメン(「真実に」)。

2017-12-07 15:09:42(木)
「少年よ、大志を抱け、とは?」 伝道メッセージ
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
(旧約聖書・伝道の書3章11節(口語訳))

 私は今年の5月初旬に、札幌に行く恵みを与えられました。冬は雪で大変でしょうが、5月の札幌は東京より肌寒いものの、空がどこまでも青く、美しい季節でした。人々の心も、東京よりオープンでした。

 有名な時計台の近くに、明治に建てられた北海道庁旧本庁舎があります。すてきな赤れんがの建物です。この辺りに明治時代に、札幌農学校がありました(今の北大)。ここでクラーク博士という教頭が8ヶ月間教え、第1期生たちをクリスチャンになるように導きました。内村鑑三は2期生で、札幌で直接クラーク博士の教えを受けることはできませんでした。クラーク博士が馬に乗って、惜しまれながら去る大きな絵が、赤れんが庁舎の2階にあります。東久留米市学園町に住まれた田中忠雄画伯の作品でしたので、特に親しみを覚えました。

 この時、クラーク博士が語った英語も記されています。「少年よ、大志を抱け」と訳されて有名になった「Boys, be ambitious(ボーイズ ビー アンビシャス)」と、続きです。立身出世の勧めと誤解した人もありますが、私が訳すとこうです。「少年たちよ、志をもて。お金のためでも、自己中心的な出世のためでもなく、束の間の名誉のためでもない。人として当然なすべき全てを果たすために、志をもて。」 私は、「世のため、人のために尽くしなさい」というメッセージだと受けとめます。

 神様が札幌にクラーク博士を送られたことは、まさに「時にかなって美しい」ことでした。同じ旧約聖書の「伝道の書」12章1節に、「あなたの若い日に、あなたの造り主(神)を覚えよ」という美しい言葉があります。クラーク博士は、日本の若者たちに造り主を知らせました。その神様を人格的に知るために、ぜひ教会においで下さい。聖書をお読み下さい。アーメン(「真実に」)。

2017-12-07 15:04:25(木)
「小さなことに、大きな愛をこめて」 伝道メッセージ
「(イエスは)たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手拭ぬぐいでふき始められた」(新約聖書・ヨハネによる福音書13章5節)。

 神の子イエス・キリストの誕生を祝う日がクリスマスです。イエス様が誕生されたのは、私たち全人類の全部の罪を、身代りに脊負って十字架で死に、三日目に復活なさるためでした。十字架に架かる前日の木曜日には、弟子たちの汚い足を、洗われました。罪とは、私たち皆がもつ自己中心の思い、「自分さえよければよい」という思い、エゴイズムです。「自分の仲間や家族さえよければよい」、「自分の国さえよければよい」という考えも罪です。イエス様は、私たちの心の中の汚い罪をも洗って下さる方です。

 渡辺和子さんというカトリック教会の修道女が、2017年末に89歳で天国に帰られました(1936年の「二・二六事件」で、お父様の命を奪われた経験をおもちです)。私はこの方は日本の宝と思うので、真に残念です。渡辺さんの読みやすいベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬社、2012年、952円+税)は、東久留米の書店でも「お薦めの本」として、レジに置かれていました。心に残る言葉が記されています。「私たちには偉大なことはできません。しかし、小さなことに大きな愛をこめることはできるのです」(マザー・テレサの言葉)。「苦しいから、もうちょっと生きてみよう」という言葉も大切です。

 続編の『面倒だから、しよう』(幻冬社、2013年、952円+税)には、「神は決して、あなたの力に余る試練を与えない。試練には、それに耐える力と、逃れる道を備えてくださる」(新約聖書・コリントの信徒への手紙(一)10章13節)とあります。「この世に“雑用”という名の用はない。用を雑にした時に生まれる」という、ドキッとさせられる言葉もあります。「単調な仕事でも愛を込めて行うことが大切。でないと私たちはロボットになってしまう」という貴重な教えです。今、人口知能がもてはやされますが、人口知能に人格はありません。知性が最高でも、心がなければ無意味です。

 2冊を読み返し、渡辺さんの教えを少しでも実践する2017年を送りたいと、祈ります。皆様も、ぜひお読み下さい。アーメン(「真実に」)。