日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2015-06-23 1:01:52(火)
「神の光を放つ」 2015年6月21日(日) 聖霊降臨節第5主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記34章1~9節と29~35節、コリント(一)4章1~6節。
 「なんと、彼の顔の肌は光を放っていた」(出エジプト記34章30節)。

 おさらいから入りますと、神様は、出エジプト記20章でイスラエルの民に聖なる十戒をお与えになったのです。しかしモーセがシナイ山に上って十戒を受け取っている間に、イスラエルの民は早速堕落してしまいました。金の子牛の偶像を作ってそれを拝み、性的にも乱れたのです。山から降りて来たモーセはそれを見て、激しく憤りました。モーセの怒りは聖なる怒りです。私たちは先週の礼拝で、イエス・キリストがエルサレムの神殿で、鞭を振るってまで神殿を清めた出来事を読みました。あのイエス様の怒りも聖なる怒りでした。モーセも民の堕落を見て、イエス様の怒りにも似た聖なる怒りに満たされたのです。そして神様から受け取ったばかりの、十戒が彫り刻まれた二枚の石の板を投げつけ、山のふもとで砕いたのです。その二枚の板には、表にも裏にも文字が書かれていました。その板は、神ご自身が作られ、筆跡も神ご自身の筆跡でした。モーセは、その二枚の板を砕いたのです。

 十戒の第一の戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。第二の戒めは、「あなたはいかなる像も造ってはならない」です。民は早速、この2つの大切な戒めを破ってしまいました。そこで神様ご自身の聖なる怒りも燃え上がりました。神様はイスラエルの民と私たちを深く愛しておられます。偶像崇拝はその神様を裏切る行為、神様の心を深く傷つける行為です。神様は強く憤られたのですが、その強い憤りは逆に、神様がイスラエルの民をいかに深く愛しておられるかを証明しています。神様が民を愛しておられず無関心ならば、憤られることもないのです。

 神様は、それでもイスラエルの民に、約束の地・カナンの地・乳と蜜の流れる土地に上りなさいと言われました。同時に「わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である」と言われました。しかし神様が共に上って下さらないのであれば、約束の地に行く意味がありません。そこでモーセが必死に執り成しました。神様はモーセの執り成しを聴いて下さり、「わたしが自ら同行する」とおっしゃって下さいました。

 そして本日の34章に入ります。神様は聖なる憤りを静めて下さり、もう一度十戒の石の板を与えるとおっしゃって下さいます。(1~3節)「主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉(十戒)を、その板に記そう。明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。』」モーセは言われた通りに行動しました。即ち、前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、シナイ山に登ったのです。聖書の人々は、しばしば朝早く起きて、神様の意志に従いました。早朝・朝は神様の恵みが新しく与えられる時です。イエス様の復活も早朝だったのです。モーセはその後、神様と共に四十日四十夜シナイ山にとどまり、パンも食べず水も飲まず、十の戒めから成る契約の言葉を二枚の石の板に書き記したのです。

 (5節)「主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。」「名は体(たい)を表す」と言います。「名は本質を表す」ということです。「主の御名を宣言された」ことは、主なる神の体(たい)・本質を宣言されたことです。(6~7節)「主は彼の前を通り過ぎて宣言された。『主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべきものを罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。』」 神様はイスラエルの偶像崇拝を激しく憤られましたが、基本的には「憐れみ深く恵みに富む方、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた方」です。旧約聖書の中で、神様が人の罪に対して怒られることがしばしばあるので、「怒りの神」、「裁く神」という印象を持つ方もおられます。しかしよく読んでみると、神様はモーセたちの執り成しによって裁きをおやめになったり、民による罪の悔い改めを待って、なかなか裁かれないことも少なくありません。そこである方は、「怒りの神」、「裁きの神」よりもむしろ「忍耐の神」ではないかと書いておられます。その通りだと思います。神様は、「憐れみ深く恵みに富み、忍耐強い神」なのです。この憐れみ深く恵みに富み、すぐに裁かない忍耐強い神の姿は、ルカによる福音書の「放蕩息子のたとえ」に明瞭に示されています。旧約聖書の神と新約聖書の神は、もちろん同じ神様です。
 
 (7節)「幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」神様のこの本質は、既に十戒の第二の戒めに記されています。実は第二の戒め全体は、長いのです。「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」私は「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と書いてあることに、恐れを覚えます。この言い方には、神様の厳しさが現れています。ですが強調点は後半にあると言えます。「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」「幾千代」ですから、ここに神様の大きな愛が示されています。宗教改革者ジャン・カルヴァンが書いたジュネーブ教会信仰問答の、問158とその答に次のように書かれています。

問「何ゆえここでは、千代といい、威嚇(厳しさ=石田註)の場合には、ただ三四代としか言われないのですか。」

答「神の本性が峻厳よりむしろ、慈愛をもって柔和に振舞われることを表すためであって、これは神が善をほどこすに速かで、怒るのに緩やかであると証ししておられる通りであります」(外山八郎訳『ジュネーブ教会信仰問答』新教出版社、1997年、62ページ)。
 
 神様が私たちの罪を全て裁かれるのであれば、私たちはとうの昔に滅びていたはずです。神様は確かに罪を裁くことがありますが、しかし神様は非常に忍耐強い方で、私たちの罪への裁きを留保し、何度も何度も赦して来られたのです。私たちがそれに気づいていないということが、大いにあり得るのですね。「罪と背きと過ちを赦す」神様です。マタイ福音書18章でペトロがイエス様に、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と質問したとき、イエス様は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」とお答えになりました。その前提は、ペトロも私たちも、神様に多くの罪を赦していただいて生きているのが現実だということでしょう。

 そしてイエス様はペトロに、「仲間を赦さない家来のたとえ」の話をなさったのですね。主君に1万タラントン借金していた家来がいたのですが、主君は彼を憐れに思って彼を赦し、借金を帳消しにして下さいました。1タラントンは6000日分の賃金ですから、1万タラントンは6000万日分の賃金です。一日の賃金を5千円として計算すると、1万タラントンは3000億円になります。私たちがこの家来だと考えるなら、私たちは神様に3000億円の借金を帳消しにしていただいた、無限大の罪を帳消しに赦していただいて生きていることになります。

 イエス様の十字架は、私たちの全ての罪を背負う十字架です。あのイエス様の十字架の死のお陰で私たちの無限大の罪は帳消しに赦されて、私たちが今生きることを許されています。それなのに私たちはそれを当たり前に思い、十分に感謝していないかもしれません。1万タラントンの借金を帳消しにしていただいた家来は、自分に100デナリオン借金している仲間を赦そうとしませんでした。100デナリオンは100日分の賃金ですから、先ほどと同じ計算をすると50万円です。自分は3000億円の借金を主君に帳消しにしていただいた家来が、自分に50万円(60万分の1の金額)借金している仲間を赦さなかった。滑稽であり、大きな矛盾ですが、神様からご覧になれば私も似たことをしながら生きて来たと思うのです。

 イエス様は、弟子のヤコブとヨハネの兄弟に「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問われました。「飲もうとしている杯」とはもちろん十字架のことです。イエス様は最後の一滴までこの苦難の杯を飲み干されました。十字架の苦しみを極限まで味わい尽くし、私たちのどんな小さな罪までも一つ残らず背負って下さったのです。中世のアンセルムスというクリスチャン(神学者)は、「あなたは、罪がどんなに重いかを考えたことがないのだ」と言ったそうです(清瀬みぎわ教会ホームページ・和田道雄牧師のメッセージより引用)。私たちは、神様から見た私たちの罪がどんなに重いか十分に考えていない、イエス様の十字架がどれほど大切か、まだまだ考え足りないかもしれないのです。私たちの罪がただイエス様の十字架のお陰で帳消しにされたことのありがたみを、感じることが少ないかもしれません(私だけかもしれませんが)。「罪と背きと過ちを赦す神。」私たちの罪を赦すことは、神様にとっても決して楽なことではないと思うのです。楽どころか、最も愛する独り子イエス様を、あまり感謝しない私の身代わりとして、十字架で苦しめて死に至らせる。その神様の覚悟と犠牲の痛みなしに、私たちの罪が赦されることはありませんでした。

 さて、出エジプト記34章の終りの方、「モーセの顔の光」の小見出しの所に進みます。(29~30節)「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。」神様がモーセと顔と顔とを合わせて語られました。本来、私たち罪人(つみびと)は聖なる神様にうかつに近づくことができない、神を見ると死ぬのが旧約聖書の世界です。しかしモーセは罪人であったけれども例外だったようです。神様は、人がその友と語るように、顔と顔とを合わせて親しくモーセに語られました。神様はまばゆい光の放っておられるでしょう。その聖なる光の一部がモーセの顔にとどまったのです。神様のもとから宿営に帰ると、暫くの後、モーセの顔の光は消えました。モーセは、光が消える様子をイスラエルの人々に見られることを好みませんでした。それで彼は神様のもとから退出すると、顔に覆いをかけました。しかし神様のもとに行って語るときは、覆いを外して、栄光に輝く聖なる神様の御顔に直面しました。すると、また神様の御顔の光が一部、モーセの顔にとどまったようです。(34~35節)「モーセは、主の御前に行って主と語るときはいつでも、出て来るまで覆いをはずしていた。彼は出て来ると、命じられたことをイスラエルの人々に語った。イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。モーセは、再び御前に行って主と語るまで顔に覆いをかけた。」

 若干脇道に逸れるかもしれませんが、ローマ・サンピエトロ・イン・ヴィンリコ聖堂の入り口にミケランジェロ作のモーセ像があるそうです。このモーセ像には頭に二本の角が生えているそうです。確かに写真で見ると二本の角が見えます。ほかにもそのようなモーセの絵があるようです。一般的にはこれは誤解に基づいてこのような彫像や絵が作られたのだと言われます。29節、30節、35節にモーセの顔が「光を放って」と書かれています。この「光を放つ」は原語のヘブライ語で「カーラン」という言葉だそうです。「カーラン」に2つの意味があり、1つ目の意味が「光線、一点から出る線、放つ、放射」です。2つ目の意味が「角(つの)、かど」です。モーセの顔については1つ目の意味に訳すのが正しいと思われますが、昔カトリック教会が用いていたラテン語訳聖書(ウルガタと呼ぶ)が、恐らく誤って「角」と訳したそうです。ミケランジェロが用いていた聖書がそのラテン語訳、もしくはその影響を受けた翻訳だったようで、それでミケランジェロがモーセ像を彫ったときに、頭に二本の角をつけたと言われています。ミケランジェロは1475年に生まれ、1564に天に召されたイタリア人芸術家です。ほかにもドレという人の銅版画(モーセが十戒の板を持っている姿を描く)では、モーセの頭から二列の光が天に向かって放射されています。光ですが直線状で、角のようにも見えなくもありません。もしかするとドレは、「カーラン」の2つの意味「光線」と「角」の両方に当てはまるように意識してこの銅版画を作ったのではないかと、私は想像致します。しかし「角」とする解釈ではなく、やはり「光、光線」の意味を採用する翻訳が正しいのでしょう。「モーセの顔の肌は光を放っていた。」この御言葉を巡って、以上のエピソードがあることをお話した次第です。

 本日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙(二)4章1~6節です。4節にこうあります。「この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。」「神の似姿であるキリストの栄光!」 イエス・キリストは三位一体の神ご自身ですから、天で栄光に輝いておられました。その方があえてベツレヘムの汚い馬小屋で生まれて下さったのです。そして十字架の死に至るまで、父なる神様のご意志に忠実に従われました。そのキリストが、栄光の姿を一瞬、垣間見せて下さった時があります。イエス様がペトロとヨハネとヤコブだけを連れて山に登られたときです。その山で祈っておられるうちに、イエス様の顔の様子が変わり、服が真っ白に輝きました。イエス様は神の子、そして神としての栄光に輝く本来のお姿を3名の弟子たちに、一瞬垣間見せて下さったのです。そしてコリント(二)4章6節にはこうあります。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光!」 イエス・キリストは神の子であり、三位一体の神ご自身ですから、モーセと顔と顔とを合わせて語られた神様は、キリストご自身です。

 初代教会の最初の殉教者にステファノがいます。ステファノはいつも神様に祈っていたのでしょう。使徒言行録はステファノを「信仰と聖霊に満ちている人」と紹介しています。ステファノを憎む者たちが、人々を扇動してステファノを捕らえ、ステファノは最高法院に引いて行かれます。偽証人が登場してステファノを訴えます。まるでイエス様の裁判の再現です。その時、ステファノの顔は天使のように見えました。きっと非常に輝いていたのです。いつも神様に祈り、神様と親しく交流していて聖なる喜びに満たされていたからでしょう。祈り続けることによって、人は次第にこのようになるのです。

 遠藤周作氏が天に召されたときのことを、ご夫人が書いておられた文章を思い出しました。天に召されるとき、周作氏のお顔が歓喜の表情になられたそうです。ご夫人は握った手を通して、周作氏の無言のメッセージ(ご自分が光の中に入り、母上らに会われたという内容)を感じ取られたと、書いておられました。周作氏は天国に入りつついらしたときに、神様からの愛と光で表情が輝いたのだと思います。

 私たちが自分で光を放つことは難しいでしょう。神様と神の子イエス・キリストを太陽にたとえるならば、クリスチャンを月にたとえることができるのではないでしょうか。月の輝きは、太陽の光を受けて反射する輝きです。モーセの顔が放った光も、神様の栄光を反射した光です。神様に祈り続け、神様と交流し続けることで、私たちもほんの少しは光を放つようにされるのではないでしょうか。神様が私たちにも光を与えて下さるように、祈って参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。 

2015-06-16 14:48:22(火)
「商売の家でなく祈りの家」 2015年6月14日(日) 聖霊降臨節第4主日礼拝説教
朗読聖書:詩編69編8~22節、ヨハネ福音書2章13~25節
「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ福音書2章16節)。

 この直前の箇所で、イエス様は、ガリラヤのカナで行われたある人の結婚式において水をぶどう酒に変えて下さり、豊かな愛と祝福を与えて下さったのです。その後、イエス様は同じガリラヤのカファルナウムに行かれました。そこにはイエス様の家があったと伝えられます。そこで母マリア、兄弟、弟子たちと幾日か滞在されました。この時までに少なくとも5人がイエス様の弟子になっていました。イエス様はカファルナウムで、ほっとする一時を過ごされたでしょう。そしてイエス様は、神様にお仕えする次の行動に移ってゆかれるのです。この場面は「宮清め」と呼ばれます。

 (13節)「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。」イエス様にとってガリラヤはどちらかというとよい場所であり、エルサレムはどちらかというと対決の場所です。イエス様は驚くほど激しい行動に出られます。(14節)「そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。」その場所は神殿の中心ではなく、「異邦人の庭」と呼ばれる場所でした。そこで牛や羊や鳩が売られ、両替をしている商人たちがいたのです。牛や羊や鳩は、遠くから神殿の礼拝に来る人々が、神様に献げるための犠牲の動物でした。ですから神殿の異邦人の庭で、最低限の売り買いは許されていたと思われます。しかしここで牛や羊や鳩を売る人々はかなり高く売って、暴利をむさぼっていたと言われます。生活のための収入を得てよしとするのではなく、必要以上にお金を得ていたのです。心をこめて神様を礼拝するよりも、お金儲けにのみ関心を持っていたのです。イエス様には、聖なる祈りの場である神殿が汚されていると見えました。イエス様は聖なる怒りを発揮されるのです。

 この時、ユダヤ人の非常に大切な祭りである過越祭が近づいていました。過越祭には、ユダヤ人だけでなく、世界各地から異邦人(外国人)が神殿での礼拝のために集まって来たそうです。異邦人が持っているお金は外国のお金です。しかし神殿で犠牲の動物を買うために使うお金は、イスラエルのお金だけです。そこで両替人が神殿に常駐していたのでしょう。ただ両替するだけでなく、多くの手数料を取っていたと思われます。彼らも最低限の商売をしていたのではなく、不当な利益を上げていたと思われます。イエス様の目には、彼らの欲張りな心と行為が、聖なる神殿を汚していることが明らかでした。イエス様は聖なる怒りを発揮され、神殿を清める行為、神殿を聖別する(聖なる場として分かつ)行為を実行なさるのです。

 昨年の8月の日曜日の午後に、この会堂の2階で映画『マリア』を10名くらいで見ましたが、イエス様の父となるヨセフが、身ごもっているマリアをろばに乗せて、ガリラヤのナザレからエルサレムを通ってベツレヘムに向かう場面がありました。「宮清め」より約30年前の場面です。エルサレムでは、様々な人々がいろいろな物を売り買いしており、ヨセフも何かを売りつけられそうになりました。そのエルサレムの様子は、聖なる信仰の町というよりは、喧騒にあふれた騒がしいビジネスの町という様子でした。ヨセフは、マリアを乗せたろばを引きながら嫌悪の表情を浮かべ、「これが聖なる都なのか?」という疑問を口にしていました。

 この「宮清め」は、4つの福音書すべてに描かれています。それだけ重要な出来事です。この場面はこのヨハネによる福音書では、イエス様の伝道の初期の出来事として描かれています。しかしほかの3つの福音書では、イエス様の十字架の死の少し前の出来事として描かれています。そこで、この出来事は2回起こったと考える人もいます。そうかもしれません。ただ、私はヨハネによる福音書の特徴として、出来事が起こった順序に従ってイエス様の生涯を描くことをそれほど重視していないように思います。ヨハネによる福音書は、イエス様が神の子であるというメッセージを語ることを主眼に置いており、実際の順序に従ってイエス様の生涯を記述することに、それほど重きを置いていないと感じます。従って、必ずしも「宮清め」がイエス様の伝道の初期に起こったと考えなくてもよいのではないかと思います。この「宮清め」の出来事も、イエス様が神の子であることを示す重要な意味を持つからこそ、あえて福音書の最初の方で記述されていると考えてよいのではないかと思うのです。

 (15節)「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物は、ここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」実に激しい行動です。イエス様は父なる神様と、神様を礼拝する祈りの家である神殿を愛しておられました。神殿は聖霊が満ちておられる場です。聖なる神様がそこにおられる場です。聖なる場であり、人間の金銭欲によって汚されてはならない場です。神殿もこの教会堂も、市場・マーケットではないのです。しかしそこではジャラジャラとお金が盛んに音を立てていたのかもしれません。イエス様はすべての商売を否定なさったのではないと思います。すべての経済活動を否定されれば、私たちは生きることができません。生活の糧を得るためのつつましい商売を、イエス様が否定なさるとは思えません。しかし貪欲となり、聖なる神様を礼拝するよりも、お金を一番大事にすることを、イエス様はお認めになりません。お金は神様ではないからです。神様は旧約聖書において、お金が全く役に立たない荒れ野を40年間旅したイスラエルの民に、ずっとマナという食物を与え続けて下さいました。私たちはイエス様がマタイによる福音書6章でおっしゃった、やや厳しい御言葉を思い起こします。「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方の親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない。」イエス様はやはり、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」が真理だと私たちに、教えられるのです。イエス様は、父なる神様が人々を通して与えて下さる質素な食事で生活しておられたでしょうし、何のビジネスもなさらなかったに違いありません。神殿税は納められたようですが、それは神様がそのために奇跡的に与えて下さったお金によって納められました。

 ヨハネによる福音書で、イエス様が宮清めをなさったのは何曜日か、書いてありませんので分かりません(マルコによる福音書では月曜日)。安息日ではなかったでしょう。旧約の時代、安息日は労働せずに礼拝に徹する日であり、当然、安息日に商売をすることは許されませんでした。旧約聖書のネヘミヤ記を読むと、イスラエルの民がバビロン捕囚から祖国に帰還した後のエルサレムで、必ずしも安息日が守られていなかった様子が書かれています。リーダー・ネヘミヤの次の言葉が記されています。「そのころ、ユダで、人々が安息日に酒ぶねでぶどうを踏み、穀物の束をろばに負わせて運んでいるのを、わたしは見た。また、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、その他あらゆる種類の荷物も同じようにして、安息日にエルサレムに運び入れていた。そこで、彼らが食品を売っているその日に、わたしは彼らを戒めた。ティルス人もそこに住み着き、魚をはじめあらゆる種類の商品を持ち込み、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売っていた。わたしはユダの貴族を責め、こう言った。『なんという悪事を働いているのか。安息日を汚しているではないか。~』そこで、安息日の始まる前に、エルサレムの城門の辺りが暗くなってくると、わたしはその扉を閉じるように命じ、安息日が過ぎるまでそれを開けないように言いつけた。そしてわたしの部下をその門の前に立たせ、安息日には荷物が決して運び込まれないようにした。」

 イエス様の「宮清め」は安息日の出来事ではなかったと思われるので、このネヘミヤ記が直接関係するのではないと思います。しかし安息日は神様を礼拝する聖なる日、神殿は神様を礼拝する聖なる場所。ここに共通点があります。ネヘミヤが安息日を聖なる日として守るために売り買いをさせないようにしたのと同じように、イエス様は神殿を聖なる場所として守るために、商人たちを追い出された。そこには聖なる日と場所を守るという同じ目的があったのではないでしょうか。イザヤ書58章にも、ネヘミヤ記と似たことが記されています。
「安息日に歩き回ることをやめ/ わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ
 安息日を喜びの日と呼び/ 主の聖日を尊ぶべき日と呼び
 これを尊び、旅をするのをやめ
 したいことをし続けず、取り引き(商売)を慎むなら
 そのとき、あなたは主を喜びとする。」

 旧約時代の安息日は土曜日ですが、キリスト教会の礼拝の日は日曜日です。ヨーロッパのキリスト教の長い伝統がある土地では、最近でも日曜日には店が開かない所があった(ある)と聞きます。比較的最近になって、日曜日の午後だけは店が開くようになった地域もあると聞きます(午前は閉まっているのでしょう)。日曜日を礼拝の日として守り、基本的に売り買いはしないという精神が、今も生きている土地はあるのだと思います。日曜日がかき入れ時で、デパートもスーパーも当然のように開いている日本と大違いです。やはり聖書の本来の精神は、「礼拝優先、商売は後」なのだと思います。そしてゼカリヤ書の最後には、次の御言葉があります。終わりの日、神の国が完成するときのことと思います。「その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる。」イエス様はこの御言葉を実現なさったのかとも思うのです。

 旧約聖書の最後の書、マラキ書3章1節以下が、イエス様の「宮清め」を予告していると信じる人もいます。
「見よ、わたしは使者を送る。/ 彼はわが前に道を備える。
 あなたたちが待望している主は/ 突如、その聖所に来られる。
 あなたたちが喜びとしている契約の使者
 見よ、彼(彼はメシアを指すと言う人がいます)が来る、と万軍の主は言われる。
 だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。
 彼の現れるとき、誰が耐えうるか。
 彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
 彼は精錬する者、銀を清める者として座し
 レビの子らを清め/ 金や銀のように彼らの汚れを除く。
 彼らが主の献げ物を/ 正しく献げる者となるためである。」
こうして真の礼拝が回復されるというのです。イエス様はまさに、突如、聖所(神殿)に来られて、神殿を清められました。マラキ3章1節以下の御言葉を実現なさったと言えるのです。

 ヨハネによる福音書2章に戻り、17節「弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した。」これは本日の旧約聖書である詩編69編10節の引用です。そこには「あなたの神殿に対する熱情が/ わたしを食い尽くしているので」と書かれています。 イエス様が父なる神の神殿を愛する熱情のために、イエス様が食い尽くされる、苦難に追いやられる、十字架に追いやられることを意味します。詩編69編は、イエス様の受難・十字架の死を予告する重要な詩編ですね。22節前半に「人はわたしに苦いものを食べさせようと」とありますが、これはマタイによる福音書27章33~34節で実現しています。「(兵士たちは)ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。」 22節後半の「渇くわたしに酢を飲ませようとします」は、マタイによる福音書27章48節のイエス様の十字架の死の直前の場面で実現しています。「そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。」このように詩編69編は、イエス様の十字架の死を預言する重要な詩編です。

 さて、ユダヤ人たちはイエス様の激しい行動に怒って、イエス様に詰め寄ります。(18節)「あなたはこんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか。」 「こんなことをするからには、あなたはよほどの権限を持つ特別な者なのか。それならそのしるし・証拠を見せよ」という意味でしょうか。イエス様はお答えになります。(19節)「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」「これが私がこのことをなす資格を持つしるし・証拠だ」というのです。実はこのお答えには深い意味があります。「この神殿」は、21節にある通り、イエス様の肉体です。神殿には神様の清い霊・聖霊が住んでおられます。神の子イエス様には聖霊が満ち満ちて宿っておられます。ですからイエス・キリストこそ、真の生ける神殿です。地上の建物の神殿はいつか崩壊するのです。イエス・キリストこそ、真の神殿です。真の生ける神殿であるイエス・キリストが、地上の神殿を清められたのです。そして今や、私たちキリストを信じる者も、聖なる神殿です。キリストを信じる者にも聖霊が住んでいて下さるからです。私たちの心も体も、今や自分のものではなく、神様のものです。神様のものですから、それにふさわしく罪を避け、(できるだけ)清く保つことが必要です。

 「この神殿(イエス様の肉体)を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」これはもちろんイエス様の十字架の死と、三日目の復活を意味します。しかしユダヤ人たちにはその意味が全く分かりませんでした。イエス様の弟子たちにもこの時は分からなかったのですから、やむを得ないとも言えます。ユダヤ人たちは、こう答えます。(20節)「この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか。」エルサレムの神殿は、ヘロデ大王によって大規模に拡張されました。それで建てるのに46年もかかったのでしょう。「それを三日で建て直すなど不可能だ。イエスという男は生意気で許せない」とユダヤ人たちは憎しみを募らせたことでしょう。イエス様は復活なさったとき、弟子たちはイエス様が、「三日で建て直してみせる」と言われた御言葉を思い出しました。そして「聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」と書いてあります。ここでは神の言葉・聖書(旧約聖書)とイエス様の言葉が同列に置かれています。イエス様の言葉を神の言葉と信じたということでしょうし、イエス様を神の子と信じたということではないかと、思うのです。

 23~25節をも見ます。「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」神殿を清めるしるしのほかにも、イエス様はエルサレムでしるし(奇跡)を行われたのかもしれません。それを見て、多くの人がイエス様を神の子と信じたようです。しかしイエス様は彼らを信用されませんでした。奇跡を見て信じる信仰は、奇跡を見なければ信じなくなる、はかない信仰です。人間の心には罪深いところ、いい加減なところがあります。自分の欲望を満たして、自分に都合のよく有利に生きようとしたり、保身に走ったりします。どんな時でもイエス様を神の子と信じ、イエス様に従うとは限らないのです。イエス様はこのように、人間の心が自己中心であることを見抜いておられました。私たちは、イエス様に信用していただける弟子になりたいのです。

 イエス様の弟子・使徒パウロも、神の宮を清める熱い思いを抱いていました。パウロはギリシアのコリントでも主イエス・キリストを宣べ伝え、コリントにも教会ができました。専用の教会堂があったのではないでしょうが、イエス様を救い主と信じる群れができました。しかしコリントの教会は模範的な教会ではなく、様々な罪とトラブルを抱えていました。たとえばクリスチャンたちが一致せず、仲間割れを起こしていました。また性的に乱れた人がおり、ある人が父親の妻(自分の義理の母親でしょう)と同棲生活を送っていました。パウロはコリント教会を深く愛していたがゆえに、彼らの罪を深く悲しみ、その罪を見逃すことはできないと考えました。そこでコリントの信徒への手紙(一)4章21節でこう書いて、コリント教会の人々に悔い改めを求めています。「あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。」パウロは、コリント教会が悔い改めない場合には、鞭(文字通りの鞭ではなく、厳しい言葉)を持って行き、教会を正すつもりであったのです。辛いけれどもあえて愛の鞭を振るう覚悟をしていました。結果的には、コリント教会は悔い改めた模様です。

 イエス様は鞭を振るって神殿を清められました。しかしイエス様は、十字架にかかられる前に、ご自分が非常に厳しい鞭打ちを受けられました。その鞭も、私たちから神様から受けるべき鞭だったかもしれないのです。その非常に辛い鞭をイエス様が肉体に受けて下さいました。そして私たちの全ての罪を背負って身代わりに十字架におつきになりました。イエス様は鞭を振るわれましたが、ご自分がもっと多くの鞭を受けて下さったのだと思います。イエス様の愛に根ざした叱りの鞭によって私たちも清めていただき、イエス様の弟子として歩ませていただきたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-06-15 16:23:19(月)
「渡辺和子シスターのメッセージ」 6月の聖書メッセージ(2) 牧師・石田真一郎
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
(イエス・キリストの言葉。新約聖書・マタイによる福音書7章12節)

 渡辺和子さんという88才のカトリック教会の修道女(シスター)がおられます。岡山のノートルダム清心女子大学の学長を務められました。この方は日本の宝です。

 3年前に渡辺さんの『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012年)という比較的小さな本がベストセラーになりました。東久留米の書店でも「お薦め本」の第一位でした。深い知恵に満ちた一冊です。渡辺さんのお父様は政府の要職にあり、「2.26事件」で理不尽に殺されました。だからというわけではないのでしょうが、渡辺さんは修道女になり、30代半ばで慣れない地の大学の学長に任命され、強い風当たりを受け四苦八苦されたそうです。逃げ出したい気持ちのとき、ある宣教師が英語の詩を渡してくれ、その冒頭の言葉が、「置かれた場所で咲きなさい」だったそうです。咲けない時は無理に咲かないで、「根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために」(13ページ)、「与えられる物事の一つひとつを、ありがたく両手でいただき、自分にしか作れない花束にして、笑顔で、神に捧げたい」(14ページ)と書いておられます。

 続編の『面到だから、しよう』(幻冬舎、2013年)も、分かりやすく深みのある一冊です。私は次の言葉に教えられました。一つめはマザー・テレサの言葉です。「私には偉大なことはできません。私にできることは、小さなことに、大きな愛をこめることなのです」(38ページ)。もう一つは渡辺さんがアメリカの修練院で修行中に学ばれたことです。「時間の使い方は、いのちの使い方。この世に゛雑用゛という用はない。用を雑にした時に、雑用が生まれる~」(53ページ)。

 一つ一つに心を込めて生きる。雑に生きない。スピード優先になりやすい今の世にあって、大切ことを教えていただける二冊です。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-06-15 16:18:16(月)
「命綱を二度、譲った男性」 6月の聖書メッセージ(1) 牧師・石田真一郎
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
(イエス・キリストの言葉。新約聖書・ヨハネによる福音書15章13節)

 私が中学3年生だった1982年1月13日に、次のような出来事があり、感銘を受けました。アメリカの首都・ワシントンDCで、雪の中で離陸した航空機が、すぐにポトマック川に墜落したのです。本来なす義務がある雪対策を怠る大きなミスがあったようです。

 乗務員・乗客79名のうち74名が亡くなったそうです。救助のヘリコプターが現場に到着すると、中年の男性の生存者が厳寒の川に浮かんでいました。救助隊員が上から浮き輪がついた命綱を投げ落としました。男性はすぐに浮き輪をつかみましたが、近くで若い女性が浮き沈みしているのを見ると、泳いで行って、その女性に浮き輪を渡しました。

 その女性が救出され、ヘリコプターが現場に戻り、再度この男性に浮き輪がついた命綱を落としました。すると男性は、近く浮かんでいたもう一人の女性に手渡しました。この女性は乗務員中ただ一人の生存者となったスチュワーデスでした。彼女が救出され、ヘリコプターが三度目に川に着たときには、男性の姿は見えませんでした。力尽きて沈んだのです。男性は、46歳の銀行査察官アーランド・ウィリアムス氏でした。当時の日本の新聞も、「勇者は沈みぬ 命綱、二度女性に譲る 力尽き凍える川底に」の見出しで大きく伝えました。

 「世の中には、すばらしい人がいる!」私も胸を揺さぶられました。この男性がクリスチャンであったかどうかは分かりません。しかし、私たちすべての人間の、すべての罪を身代わりに背負って十字架で死に、三日目に復活なさったイエス・キリストの愛を思わせる、愛の生き方をなさったことは確かです。イエス様は言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」「友のために自分の命を捨てること。これ以上に大きな愛はない。」私たちは自分が一番かわいい者ではありますが、少しでもイエス様に倣う生き方をしたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-06-10 1:56:32(水)
「ぶどう酒に変わった水」 2015年6月7日(日) 聖霊降臨節第3主日礼拝説教
朗読聖書:詩編126編1~6節、ヨハネ福音書2章1~12節
「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした」(ヨハネ福音書2章9節)。

 小見出しは「カナでの婚礼」です。有名なエピソードです。この2章の前の1章を見ますと、「その翌日」という言い方が3回出て参ります。「その翌日」、「その翌日」、「その翌日」と三回繰り返されて、2章1節の「三日目に」に到達します。ここまでに少なくとも5名がイエス様の弟子になっています。それはアンデレ、名前不明の一人、シモン・ペトロ、フィリポ、ナタナエルの5名です。私たちが「三日目」で連想することは、イエス様の復活が三日目だったという事実です。「三日目」の言葉は、イエス様の十字架の死からの復活の喜びを暗示しています。(1節)「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。」カナはガリラヤの町の名ですね。婚礼はもちろん結婚式です。結婚式は、最高の祝福のシンボル、神の国の喜びのシンボルです。イエス様の母がそこにいました。ヨハネによる福音書はその名を記しませんが、もちろんマリアです。イエス様がこの時30歳だったとすると、マリアは45歳くらいでしょう。(2節)「イエス様も、その弟子たちも婚礼に招かれた。」少なくとも5名がイエス様の弟子になっていました。

 (3節)「ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました』と言った。」婚礼・結婚式・披露宴でぶどう酒がなくなれば、どこの国、いつの時代でも困ります。しかしこの出来事は、私たち人間が必ず直面する様々な悩み・困難・問題・行き詰まりを象徴しているのだと思います。どなたの人生も100%順調というわけには参りません。悲しいこと、辛いことが起きて参ります。あるいは人生にむなしさを感じる方、真の喜び、深い生きがいを感じないという方もあるでしょう。旧約聖書のコヘレトの言葉(以前は「伝道の書」)1章には、次の有名な言葉があります。「コヘレトは言う。/ なんというむなしさ/ なんというむなしさ、すべてはむなしい。」コヘレトという人はダビデ王の子で、エルサレムの王と書いてあります。コへレトはむなしさに苦しんでいたようです。コヘレトの言葉2章で、コヘレトはこうつぶやきます。「『快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。』見よ、それすらも空しかった。」コヘレトは、どうすれば空しくない真の喜びが得られるか、あらゆることを試みます。
2章3節以下。
「何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、
 愚行に身を任せてみようと心に定めた。
 大規模にことを起こし/ 多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。
 庭園や果樹園を数々造らせ/ さまざまの果樹を植えさせた。~ 
 金銀を蓄え/ 国々の王甲侯が秘蔵する宝を手に入れた。     
 男女の歌い手をそろえ/ 人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。~
 目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ
 どのような快楽をも余さず試みた。~
 しかし、わたしは顧みた。/ この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
 見よ、どれもむなしく/ 風を追うようなことであった。」
 このようなむなしさを感じ、生きる真の喜び、生き甲斐を感じることができない方もおられるのではないでしょうか。ぶどう酒がなくなったことは、このようなことの象徴と思うのです。

 ヨハネによる福音書に戻ります。イエス様は一見、母マリアに冷淡なお答えをなさいます。(4節)「イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』」「婦人よ」と言う呼び方は、おそらくイエス様やマリアの感覚では、私たち日本人が感じるほどよそよそしい呼びかけではないのだと思われます。イエス様は十字架の上でも、愛する弟子ヨハネのことをマリアに告げるときに、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」とおっしゃっています。しかし、「どんなかかわりがあるのです」には、確かにマリアを突き放す感じがありますね。我が子にこのように言われれば、かなり寂しく感じるでしょう。これは直訳では、「わたしとあなたとの何があるか」です。フランシスコ会訳聖書では、こう訳しているそうです。「婦人よ、このことについて、わたしとあなたとは考えが違います。わたしの時はまだ来ていません。」前田護郎さんという個人の訳では、「母上、何のご用ですか。またわたしの時は来ていません」です。

 「わたしの時」とは、イエス様が最大の使命を果たされる時です。私たちの全ての罪を背負って十字架を担がれ、十字架に架けられて、死なれる時です。そして三日目に墓を破って復活される時です。そして弟子たちに姿を現して「聖霊を受けなさい」とおっしゃる時です。他の福音書と使徒言行録では、イエス様の十字架の死から三日目に復活が起こり、十字架の死から52日メシアに聖霊が降ります。しかしヨハネによる福音書ではその期間が凝縮され、イエス様の十字架の死の三日目に復活が起こることは同じですが、復活の日の夕方には早くも弟子たちに聖霊が与えられます。イエス様の時、それは十字架の死の時・復活の時・弟子たちに聖霊を与える時、と見ることができます。これは神様の愛と力が決定的に現される時、神様の栄光が現される時です。その時はまだ先だとイエス様はおっしゃいます。

 イエス様はマリアの子ですが、それ以上に父なる神様の独り子です。イエス様は、独り子としての使命を果たすことを最優先に生きておられるのです。マリアはイエス様が神様の独り子であることをよく知っていたと思います。そのマリアが「ぶどう酒がなくなりました」と言ったことは、イエス様に何とかしてほしい、神の子としての力を発揮して、ぶどう酒を造り出してほしいという意味でしょう。イエス様は神様の独り子として生きることを優先され、確かに一度はマリアの願いを遮ったのです。

 マリアはイエス様の言葉を受けとめつつも、完全には期待を捨てないのです。(5節)「しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。」言葉の上では拒否していても、「わが子イエスは、きっと何とかしてくれる」という信頼がマリアにあったのではないでしょうか。実際イエス様は、拒否の言葉とは裏腹に、結局水をぶどう酒に変えて下さったのです! イエス様は神の子としての正論をおっしゃり、確かに一旦 マリアの願いを退けました。ですが、ある神父様は、第三者に分からない部分でイエス様とマリアには、言葉に出ない「心のかよい」があったのだろうと書いておられます(堀田雄康著『聖書 楽読楽語』、聖母の騎士社、1990年、95ページ)。この方はマリアに「ぶどう酒がなくなりました」と言われたときのイエス様のお心は、次のようだったのではないかと推測しておられます。「そんなこと言われても困ります。父である神さまからいただいた使命には、それは予定外のこと、時期尚早ですよ。でも、しょうがないなあ」(同書、96ページ)。「ほかならぬお母様の願い、むげに退けるわけにもいかない」という感じでしょうか。

 「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と、神の子としての正論をおっしゃりながらも、イエス様の「声の調子は柔らかく、顔は当惑を表しながらも微笑みを含んでおり、また、ひょっとしたら、目にはいたずらっぽさがのぞいていたかもしれません」と、この方は推測しておられます(同書、96ページ)。少々踏み込み過ぎかもしれませんが、魅力的な解釈です。イエス様の声の調子がきつかったのであればマリアもすっかり諦めてしまい、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言わなかったのではないでしょうか。しかし言ったのは、イエス様の顔の表情や声の調子から、「きっとイエスは何とかしてくれる」と直感したからこそ、マリアは、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いたちに言ったのではないでしょうか。「イエスがきっと言いつけてくれる」との期待を抱きながら。イエス様と母マリアは、深い信頼と絆で結ばれていたのです。

 果たしてイエス様は、少し折れて予定を変更し、軌道修正して下さいました。結果的にはマリアの願いを聞き届けて下さったのです! 祈りとはこのようなものでもあると思うのです。神様には神様のお考えとご計画がおありですが、それは細かい部分まで変更が絶対に不可能というものではないはずです。私たちの一生懸命の祈りを聞いて、神様は場合によってはお考えや予定を少々変更し、修正して下さるはずなのです。そうでなければ、祈りにあまり意味はないことになります。確かに私たちの願い通りにばかりなるわけではありません。しかし神様は機械ではありません。生きたハートを持つ方です。私たちとの心の交流を喜んで下さる方です。私たちはその神様に一生懸命祈ります。私たちの心のこもった祈りを無視することは、神様にとっても心の痛むことであるはずです。マリアの願いは、婚礼の主人と客を困らせないこと、いわば人助けでした。であるのでイエス様がマリアの願いを聞き入れて下さった面もあるのでしょう。私たちが、真心をこめて祈るならば、神様はお考えを少々変更して、祈りを聴き上げて下さることが確かにあります。そう信頼して、神様への祈りを絶やさないで歩みたいのです。

 イエス様は、マリアが召し使いたちに言った言葉を聴いておられたのでしょう。召し使いたちに言いつけられます。(6~7節)「そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。」1メトレテスは、約39リットルです。約40リットルと考えると、80~120リットル入りの水がめが6つあったことになります。風呂がまが6つあったという感じです。水は重いですから、水がめ6つの縁まで満 たすことは、それなりの労働です。6に意味があるという人もいます。聖書では7は完全を表します。6はその1つ手前です。未完成を意味するのかもしれません。「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」が6つあったのです。ユダヤ人の信仰だけでは(旧約聖書の信仰だけでは)救いの道が完成しない、未完成である。そこに神の子イエス・キリストが来て下さり、十字架と復活によって、救いの道を完成して下さる。ということを「ユダヤ人が清めに用いる6つの水がめ」は示しているのかもしれません。

 そして、召し使いたちが6つの水がめの縁まで水を満たしたことは、彼らがイエス様のお言葉に忠実に従ったことを意味します。しかし人間の努力だけでも足りないのです。イエス様が働いて下さり、祝福して下さる時に初めて、真の喜びがもたらされます。旧約聖書・箴言10章22節の御言葉、「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない」を思い出します。イエス様の祝福によって、水はぶどう酒に変えられました。イエス様は、愛を込めて結婚式を祝福して下さったのです。

 (8節)「イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。」召し使いたちはイエス様のお言葉に従いました。世話役のところへ運んで行く途中で、水はぶどう酒に変わったのです。イエス様が神の子としての愛の力を発揮して下さり、水はぶどう酒に変わりました。ぶどう酒はここで神の国の祝福のシンボルです。神様の清い愛の霊・聖霊のシンボルとも言えます。(9節前半)「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。」驚いたことにそれは極上のぶどう酒でした! 天国の味がしたことでしょう。私たちは本日、聖餐にあずかりますが、聖餐のぶどう汁もまた天国の味わいがします。天国の最高の祝福を前もって少し味わうことが許されるのです。それが聖餐のぶどう汁です。パンもそうです。(9節の後半~10節)「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』」 このぶどう酒はどこから来たのでしょうか? それはイエス・キリストから来た、神様から来たのです。

 (11節)「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」しるしは奇跡ですが、大切な点は、そのしるしを行われたイエス様が神の子であられることを、私たちが信じることです。イエス様はこの最初のしるしを、母マリアの願いに応える形で行われました。イエス様が、「父母を敬え」というモーセの十戒の第五の戒めを実行なさったも言えます。 
 
 本日の旧約聖書は、詩編126編です。(5~6節)
「涙と共に種を蒔く人は/ 喜びの歌と共に刈り入れる。
 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
 束ねた穂を背負い/ 喜びの歌をうたいながら帰って来る。」

 人生には悲しみも涙もあります。空しさを味わうこともあるでしょう。イエス様も十字架という最大の苦難を体験されました。その三日後に復活なさったのです。その復活のイエス様が、聖霊として世の終わりまでいつも共にいて下さいます。それが私たちの慰め・喜びです。そし天国に入れていただく時には、完全な愛と祝福で満たされます。礼拝で天国の祝福を少しずつ前もって、味あわせていただきます。

 私は教会に通い初めた1987年に、茨城県の教会で(日本基督教団の議長をなさった)飯清(いい・きよし)牧師のお説教を伺いました。その時の聖書が、本日のヨハネによる福音書2章1節以下、イエス様が水をぶどう酒にお変えになった場面でした。その説教に感動したことを覚えています。その7~8年後に、同じ教会で再び飯清先生のお説教を伺いました。先生はそのとき、「今、私の体は厳しい病気によって手の施しようがない状態です」という意味のことをおっしゃりつつ、明るい声でユーモアさえあるお説教をなさいました。私はそのお姿と信仰に、とても心を打たれたのです。その後、暫くして天に召されました。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」(ヘブライ人への手紙13章7節)の御言葉を思います。イエス様が水をぶどう酒に変えて下さった場面を読むと、この思い出がよみがえります。

 水をぶどう酒に変えて下さったイエス様が、私たちと共におられる。このことに勇気を与えられ、この一週間へと踏み出したいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。