日本キリスト教団 東久留米教会

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2016-04-27 20:48:51(水)
「恵みは、なおいっそう満ちあふれた」(ローマ書⑬) 2016年4月24日(日) 復活節第5主日礼拝説教
朗読聖書:創世記3章1~13節、ローマの信徒への手紙5章12~21節。
「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです」
(ローマの信徒への手紙5章16節)。

 「アダムとキリスト」という小見出しが、掲げられています。最初の人間であり、最初の罪人であるアダムと、すべての人間の罪を十字架で肩代わりされたイエス・キリストが対比されています。今私は、アダムを「最初の罪人」と呼びましたが、厳密には、アダムの前に蛇(悪魔)の誘惑に屈したエバを「最初に罪を犯した人」と呼ぶべきです。しかし、この手紙を書いたイエス様の弟子・使徒パウロは、アダムを事実上「最初の罪人」と見ているようです。アダムが人間第一号、私たち人間の代表・シンボル的存在なので、事実上の「罪人第一号」として、クローズアップされているのでしょう。旧約聖書の創世記では、アダムという言葉は、固有名詞(エバの夫アダム)であると共に、「人」という意味の普通名詞としても、用いられています。たとえば、創世記1章26節に、神様が人間をお造りになることを決断なさる重要な御言葉あります。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」この「人」は原語のヘブライ語で「アダム」です。2章7節には、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」とあります。ここの「人」が「アダム」という言葉であることは、新共同訳聖書が親切に表示しています。2章18節に、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とありますが、この「人」も原語は「アダム」です。このように「アダム」はエバの夫の名前であると同時に、「人」の意味でもあり、全ての人間の代表の意味をも持ちます。その意味で、私たち一人一人も皆「アダム」です。

 (本日の初めの12節)「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」創世記は教えます。まずエバが神様の戒めに背いて罪を犯し、続いてアダムもエバに引きずられて、神様の戒めに背いて罪を犯したことを。その結果、神様はアダムにおっしゃいました。「塵に過ぎないお前は塵に返る。」そして神様は、アダムを祝福に満ちた楽園エデンの園から追放されました。エバも一緒に追放されたはずです。この時から、人は皆死ぬ者となりました。神様がアダムにもエバにも、私たちにも命を与えて下さいました。神様に背いて罪を犯すことは、命の源である神様から離れることです。神様から離れることは、命から離れることなので、死ぬ結果になります。人間の死は、単なる自然現象ではないのです。神様の戒めに背いて罪を犯すから、死ぬのです。このローマの信徒への手紙6章23節に、「罪の支払う報酬は死である」と書かれています。私たちの罪が、私たちの死の原因です。ですから、人間最大の問題である死の問題を解決するためには、私たちの罪の問題を解決するほか、道がありません。イエス・キリストは、私たちの罪の問題・死の問題を解決するために、救い主として十字架に架かって下さったのです。

 (13節)「律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。」ここでやや突然、律法が登場します。この13節は、律法の意義を語ります。律法の代表は、モーセの十戒です。律法(十戒)が与えられたのは、モーセの時代です。アダム・人類はその前から存在したのですから、律法が与えられる前から、人間の罪は存在していました。律法は、神様が与えて下さった基準、「何が罪であるか」を教える基準です。律法という神様の基準が示されて初めて、罪が罪としてはっきり分かることになります。これが律法の持つ意義です。

 (14節)「しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。」 「アダムの違反と同じような罪を犯さなかった人」がいたとしても、別の罪を犯したでしょうから、やはり罪の結果としての死を免れた人はいませんでした。唯一の例外は、エノクという人です。「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5:24)と書かれています。エノクはたった一人の例外であり、彼以外の人は一人残らず死を経験しました。残念ながら、人は皆、死の支配下にあります。この支配を打ち破る方は、宇宙広しといえども、イエス・キリストしかおられないのです。「実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。」「来るべき方」とは、イエス・キリストです。第一のアダムは、罪と死に支配された人間の代表です。第二のアダムがイエス・キリストです。イエス・キリストは、天地創造をなさった三位一体の神であると同時に、神に似せて造られた人間でもあります。私たちと違って、罪を一度も犯さない人間です。罪が全くないのに不当に十字架で殺され、三日目に復活なさって、死を完全に乗り越えた人間、私たちの真の希望の星です。このイエス・キリストこそ「来るべき方」です。

 パウロは、ここまで主に罪と死のことを語りました。しかし15節からは、罪と死の力を上回る「キリストの恵み」を語ります。「しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。」「恵みの賜物」は、原語のギリシア語で「カリスマ」です。「カリスマ」というと超自然的な能力・特別な能力をもつ人とのイメージがあるかもしれませんが、ここでは「恵み」とほとんと同じ意味です。「恵みの賜物(カリスマ)は罪とは比較になりません。」キリストの恵みの力は、罪と死の力よりはるかに強いというのです。「一人の罪(アダムの罪)によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵み(カリス)と一人の人イエス・キリストの恵み(カリス)の賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。」第一のアダムは罪と死の源となってしまいました。しかし第二のアダム・イエス・キリストは、罪と死を乗り越える永遠の命の源となられたのです。「なおさら」の言葉が重要と思います。死の力は全ての人を支配するほど強い。そうであればこそ、キリストの恵みの力は「なおさら」強い、死の力を完全に上回って強い、とパウロは断言します。力強い福音です。

 16節もキリストの恵みの強さを強調します。「この賜物は、罪を犯した一人(アダム)によってもたらされたようなものではありません。」次は、驚くべき深い恵みの言葉です。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵み(カリスマ)が働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」私はこれまでしばしば礼拝において、16節の2つ目の文を「大きな恵みの御言葉」として引用して参りました。今、改めて、16節の2つ目の文は「究極の恵みの御言葉」だと感じます。1つ目の文は、こうです。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下され」る。「裁きの場合」は「律法の場合」です。律法の1つの役目は、「何が罪であるかを指摘すること」です。律法は私たちに、「このような行いと、あのような行いが罪だよ、神様がそれらをお裁きになるよ」と指摘します。1つでも罪を犯せば、私たちは罪人です。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下される」とは、そのようなことです。しかし、キリストの十字架と復活による恵みが働くときには、何と「いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」のです。イエス様の十字架の死は、人類のすべての罪の責任を身代わりに背負っての死でした。イエス様の十字架の死は、人類の全部の罪を赦す力を持っています。

 17、18、19節は、15節と同じことを、表現を変えながら、繰り返し述べていると言えます。(17節)「一人(アダム)の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵み(カリス)と義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」ここにも「なおさら」の言葉が出て来ます。罪と死の強い支配よりも、さらに強力な「キリストの恵み」を表すのが、「なおさら」の言葉です。キリストによって罪を赦され、義と認められた者は、イエス・キリストを通して生き、キリストを通して罪と死に勝利する、罪と死を支配する、ということです。このことを、宗教改革者マルティン・ルターは、有名な著書『キリスト者の自由』の初めで、次のように表現しました。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」(ルター著・石原謙訳『キリスト者の自由 聖書への序言』岩波文庫、1993年、13ページ)。従属しないということは、キリストによって罪と死に負けずに打ち勝ち、罪と死を支配する点が一番大事です。

 (18節)「そこで、一人(アダム)の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人(イエス・キリスト)の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。」「一人の正しい行為」とは、神の子イエス様が父なる神様の御心に従順に従って、十字架に架かった正しい行為です。」確かにそれですべての人の罪が背負われたのですが、その罪の赦しを明確に自分のものするためには、自分の罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主と信じ・告白することが必要です。19節も、少し表現を変えて、同様のことを述べます。(20節の前半)「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでした。」神様がモーセに律法(その代表が十戒)を与えられたことにより、何が罪であるかが、ごまかしようなくはっきりするようになりました。「罪が増し加わった」とは、そのようなことです。

 それは辛いことです。律法が入って来たことで、私たちがいろいろな罪を犯している罪人(つみびと)であることが、はっきりしたのですから。しかし、それは実は恵みです。自分が罪人(つみびと)であることがはっきりすれば、私たちは否応なく、私たちを救って下さる救い主はいないかと、探し求めるようになるからです。この意味で、律法は養育係だと、パウロはガラテヤの信徒への手紙3章24節で述べます。「こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです」と述べています。私たちがキリストの元に行けば、救われます。ですから、律法によって私たちが罪人(つみびと)であることが明らかになることは、実は豊かな恵みです。キリストによる救い、「いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」救いを受けるからです。「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでした。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」とは、そのようなことです。

 これは、「罪をどんどん犯せば、恵みがなおいっそう満ちあふれる。だからどんどん罪を犯しましょう」という意味では、決してありません。このような誤解を絶対にしないように、注意することが必要です。パウロは、このような誤解が生まれる危険を感じとって、(本日の箇所の次の)7章1~2節で、「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない」と、強い口調で注意を促しています。キリストの恵みによって救われた人は、聖霊に助けられて、できるだけ罪を避ける生き方に向かうことがふさわしいのです。なぜならこの恵みは、簡単にもたらされたものではないからです。尊い神の子イエス・キリストが、十字架の上で私たちの全ての罪を背負って、身代わりに死んで下さった! 最も尊い神の子キリストの死によって与えられた恵みであることを、忘れることはできません。ここを忘れると、この恵みを「安価な恵み」にする間違いを犯してしまいます。ナチスに抵抗したボンヘッファーというドイツの牧師は、キリストの恵みは「高価な恵み」だと言いました。キリストの恵みは「安価な恵み」ではない、「安価な恵みは、教会の宿敵である」と、強い言い方で注意を促しました。それはパウロの「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない」の言葉と、よく一致します。

 (21節)「こうして、罪が死によって支配していたように、恵み(カリス)も義(キリストの義)によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」罪と死の支配を、キリストが打ち破って下さいました。キリストの勝利、神の恵みの勝利です。東久留米教会の墓地の周囲には、いろいろな教会のお墓があります。その1つの墓石に「神の恵みの勝利」という文字が大きく刻まれているのを発見しました。キリストの福音による罪と死への勝利を宣言する文字と感じ、印象に残りました。ここでパウロは、「恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導く」と、感激をもって書いたと思うのです(正確にはパウロが「語った」と言うべきでしょう。この手紙の最後を読むと、パウロが語り、テルティオという人が筆記したことが分かりますから)。いずれにしても、パウロがキリストによる勝利を宣言している、凱歌をあげている(勝利の歌を歌っている)のが、この21節です。尊い神の子が十字架で死んで下さったことで、私たちに永遠の命という、最も高価な恵みが与えられました。本日は聖餐式を行いませんが、聖餐式を行うときは、その最も高価な恵み(カリス)のパンとぶどう汁を、最高の感謝をもっていただくのです。

 本日の御言葉は、やや理屈っぽいかもしれません。ヨハネによる福音書8章の、「姦通の女」の場面と併せて読むと、分かりやすいと思います。律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女性を連れて来て、真ん中に立たせ、イエス様の前で告発します。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」姦通は、確かに死刑に値する罪です。モーセの十戒の第七の戒めに「姦淫してはならない」とある通りです。モーセは律法を代表する人です。「裁きの場合(律法)の場合は、一つの罪でも有罪の判決が下され」ます。この女性は有罪です。しかしイエス様は、この閉塞状況を打開する救い主です。イエス様は暫くして言われます。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」すると、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエス様と女性が残されました。

 イエス様は宣言されます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」これは、「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決がくだされ」た瞬間です。しかし、これは「安価な恵み」ではないのです。この女性の罪を赦す代わりに、イエス様はこの女性のためにも十字架で死なれます。ご自分が身代わりに十字架で死ぬ覚悟なしに、「わたしもあなたを罪に定めない」の宣言はできません。これは「最も高価な恵み」です。ですからイエス様は女性に釘を刺して言われます。「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」罪を悔い改めて、生きて行きなさい、ということです。私たちも、イエス様の十字架のお陰で罪が赦されたことを感謝し、毎日悔い改めながら、生きて参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。


2016-04-19 20:45:00(火)
「ダビデとヨナタンとサウル」ダビデ王③ 2016年4月17日(日) 復活節第4主日礼拝説教
朗読聖書:サムエル記(上)18章1~23節、ローマの信徒への手紙12章9~21節。
「ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」(サムエル記(上)18章1節)。
 
 この前の17章で、少年ダビデが巨人ゴリアトを倒したのです。「少よく大を制す。」少年ダビデは、羊飼いの石投げ紐で小石1つを飛ばして、巨人ゴリアトの額という急所を撃ち、ゴリアトを殺しました。ダビデが神様に従う少年だったので、神様がダビデに味方され、神様の力でダビデは勝ったのです。ダビデが神様に逆らっている時は、神様はダビデに勝利を与えて下さいません。ですからダビデは、思い上がってはいけないのです。思い上がれば失敗します。ダビデはこの勝利に先立ち、16章で、イスラエルの信仰の指導者サムエルから、聖なる油を注がれて聖別され、サウルの次の王として、任職されていました。神様がダビデを愛し、ダビデを次の王としてお選びになったのです。しかし現実には、サウルがイスラエルの初代の王の座にありました。ダビデはエッサイという男性の8人の息子の末っ子で、父の羊を飼う仕事をしていました。その仕事に全力で取り組んでいました。ダビデは、ゴリアトを倒した時点では、まだ父の羊を飼う若者に過ぎませんでした。ゴリアトを倒したダビデに、サウル王が尋ねます。「少年よ、お前は誰の息子か。」ダビデは答えます。「王様の僕、ベツレヘムのエッサイの息子です。」実際には、これがサウルとダビデの初対面ではありません。既に16章で、「主から来る悪霊」がサウルをさいなんだ時に、ダビデがサウルの傍らで琴を奏でて、サウルの心に平安をもたらしていました。

 そして本日の18章です。(1節)「ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。」ここに、旧約の中の麗しいエピソード・ダビデとヨナタンの純粋な友情が始まります。「魂」は、原語のヘブライ語で「ネフェシュ」です。「命」と訳すこともできます。「ネフェシュ」は、旧約の重要な言葉の1つです。「ヨナタンの魂がダビデの魂に結びついた」とありますが、「ヨナタンの命がダビデの命に結びついた」とも言えます。ヨナタンのこの愛は、ほとんど新約(のギリシア語)の「アガペー」の愛です。アガペーは最高の愛、イエス・キリストの愛で、敵をも愛することのできる愛です。「ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。」 私たちは、イエス様が次のように言われたことを知っています。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者(つまり旧約聖書)は、この二つの掟に基づいている。」ヨナタンは、この通りに生き、自分自身を愛するように、隣人ダビデを愛したのです。

 (2節)「サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。」
サウルもこの時点では、ダビデに好意を抱いていたと思われます。何しろ巨人ゴリアトを倒して、イスラエルの大ピンチを救ったのがダビデなのです。ゴリアトとの戦いの前の16章21節にこう書かれています。「ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた(神から来る悪霊がサウルを襲うたびに、ダビデが竪琴を奏でて、サウルの心に平安をもたらした)。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた」と。「王はダビデが大層気に入り」を、ある訳では「サウルはダビデを非常に愛し」(旧約聖書翻訳委員会訳『旧約聖書Ⅴ サムエル記』岩波書店、2005年)と訳しています。実際「気に入り」のヘブライ語は「アーハブ」(「愛する」)です。サウルも最初はダビデを愛していたからこそ、ダビデを召し抱えたのでしょう。「愛する」(「アーハブ」)は、サムエル記においてよく使われる重要な言葉だということです。この18章を見ても、1節にヨナタンがダビデを「愛した」とあり、16節に「イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛した」とあり、20節に「サウルの娘ミカルはダビデを愛していた」とあります。神様がまず、ダビデを愛して、周りの人々がダビデを愛するように導かれたのでしょう。ダビデという名前は、「愛される者」の意味だそうです。

 (3~4節)「ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。」「契約」という言葉が出ていますが、新共同訳聖書巻末の用語解説を見ると、「契約」について詳しく説明しており、その中にこんな一文があります。「古代オリエント世界においては、二つの民族、もしくは、二人の人間を最も固く結び付け、円満な関係を持たせるものが契約であると考えられていた。」 ヨナタンがダビデと契約を結んだ契約は、神様の御前で結ばれた契約でした。それはダビデが20章8節でヨナタンに、言っている言葉から分かります。「あなた(ヨナタン)は主の御前で僕と契約を結んでくださった~。」神様を中心に置いて結んだ契約だったのです。神様が二人の契約の証人です。そのダビデを、サウルも初めは愛していたので、彼を戦士の長に任命しました。(5節)「ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めた。サウルは彼を戦士の長に任命した。このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣たちにも喜ばれた。」

 しかし、事態は大きく変わります。(5~9節)「皆が戻り、あのぺリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。女たちは楽を奏し、歌い交わした。『サウルは千を討ち/ ダビデは万を討った。』サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。『ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。』この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。」 ねたみの心が、サウルの精神を崩壊させてゆきます。ねたみの心は、私たちにもあるのではないでしょうか。他人の成功や幸せをねたむ心です。自分の心の中のねたみの思いを静めるために、私たちも苦労することがあるでしょう。それはなかなか大変な、自分の心の中の戦いです。サウルは、自分の心の中のねたみの思いを静めることができませんでした。サウルの未熟さを意味すると言えます。

 サウルは、ねたみの心を抑えることができず、次第に精神異常・狂気の世界に落ち込んでしまいます。(10~11節)「次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。」 サウルにとって非常に不幸なことに、(16章14節によると)サウルから既に「主の霊」=聖霊が離れ去っていたのです。それまではサウルも神様の清き霊=聖霊を受けていたのです。しかしその後、サウルは少なくとも2回、神様の指示に忠実に聴き従いませんでした。その結果、神様がサウルを王位から退けられたのです。

 ダビデが王になってゆくことが、神様の御心です。しかしサウルの心は、神様の御心を受け入れることができません。ダビデへのねたみに満たされ、ダビデに敵意と殺意を抱くのです。ダビデは、サウルの心を静めるために、傍らでいつものように竪琴(ハープ)を奏でていました。今で言う音楽療法です。しかしその効き目もなくなるほど、サウルの心は狂気に満たされていました。サウルから聖霊が離れ去り、代わって悪霊が侵入し、サウルの精神を破壊していました。恐るべきことです。

 私たちは「神から来る悪霊」という言葉に、驚きを覚えるのではないでしょうか。「神様が人に悪霊を送りなさるなどということが、あるのだろうか」と。この問いへのヒントになるかもしれない言葉が、新約聖書のテサロニケの信徒への手紙(二)2章にあります。「滅びていく人々」という言葉があり、10~11節に次のように書かれています。「彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。」 「神様が、真理を愛そうとしないで不義(罪)を喜んでいた人たちに、惑わす力を送られる」というのです。「神から来る悪霊」と「惑わす力」は似ています。神様が、神様に逆らう人に悪の霊、惑わす力を送られる。それは神様の聖なる審判です。

 ダビデとサウル。ここには神様の愛と祝福を受けた人と、神様の審判を受けた人という対比があります。(12~16節)「主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、サウルはダビデを恐れ、ダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命した。ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還した。主は彼と共におられ、彼はどの戦いにおいても勝利を収めた。サウルは、ダビデが勝利を収めるのを見て、彼を恐れた。イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛した。彼が出陣するにも帰還するにも彼らの先頭に立ったからである。」ダビデは神様に愛され、イスラエルとユダのすべての人に愛されました。しかしサウルに激しくねたまれ、18章でサウルに槍で二度殺されかかり、今後もサウルから命を狙い続けられます。サウルが死ぬまで、ダビデの人生は受難の人生になります。それでも、「主がダビデと共におられた」ので、ダビデは迫害を受け、命の危険にさらされ続けながらも、ぎりぎりのところで神様に守り続けられます。

 サウルは、何食わぬ顔をしてダビデに言います。(17節)「わたしの長女メラブを、お前の妻として与えよう。わたしの戦士となり、主の戦いを戦ってくれ。」サウルは自分でダビデに手を下すことなく、ぺリシテ人の手で殺そうと考えていたのです。このように命を狙われるダビデは、イエス・キリストに似ています。イエス・キリストも、ヘロデ王によって命を狙われたのです。イエス様はダビデの子孫として、ダビデが住んでいた町と同じ町ベツレヘムに誕生なさるのです。ダビデは預言者サムエルによって聖なる油を注がれて王に任職され、神の霊がダビデに激しく降りましたが、イエス様こそ父なる神様から聖霊を注がれる真のメシア(油を注がれた者)です。ダビデはイエス・キリストを指し示す存在であり、イエス・キリストは、ダビデ以上の方です。ダビデが受けた神の霊は、キリストの霊でもあります。ダビデの内に、キリストが住んでおられたのです。そしてダビデの生き方を導きます。

 そしてサウル王とヘロデ王も、よく似ています。二人ともイスラエルの王でしたが、自分の地位を脅かしそうな者に、非常なねたみと猜疑心と殺意を抱いていました。二人とも精神を深く病んだと言えます。サウルはダビデを殺すことができませんでしたが、ヘロデ王は自分の王位を奪おうとしているのではないかと疑って、身内を何人か殺したそうです。

 権力者は、どうしても権力にしがみつきたくなります。日本では、源頼朝が似ています。頼朝は、弟の義経が平家との戦いで連戦連勝して人気が出ると、ねたみと猜疑心を抱いたようです。義経を奥州・平泉に追い詰めて殺してしまいます。イエス様が、ユダヤの指導者たちによって十字架の死に追いやられたのも、ねたみのためだと、マルコによる福音書(15章10節)は記しています。ねたみと猜疑心に満ちたサウルとヘロデ王は、暗い顔をしていたでしょう。神の清き愛の霊である聖霊を受けず、心が悪霊に満たされていたからです。以前、ソ連という超大国がありました。今はなくなってしまいました。こんな言葉を読んだことがあります。「ソ連の指導者は皆、暗い顔をしている。ソ連の指導者たちは無神論者だ。神を信じないから、真の希望を持つことができず、だから暗い顔をしている。」私が中学生の頃、ソ連のトップはブレジネフ書記長という人でした。確かに、あまりよい人相には見えませんでした。ソ連の指導者たちは権力闘争も行っていたでしょう。ねたみ、嫉妬が渦巻いていたはずです。悪霊が満ちていたに違いありません。そしてソ連も崩壊しました。

 ほかの国にも権力闘争はあるでしょう。私たちも、心の中がねたみでいっぱいにならないように、気をつける必要があります。ねたみは、恐ろしい罪につながります。私たちは、ねたみの心を持っている自分にしばしば気づきます。しかし、ねたみの心に支配されて行動しないように、気をつけたいと願います。それは結局、自分を不幸にするのではないでしょうか。サウルも、神様がダビデと共におられることを素直に受け入れて、自分が退き、ダビデを次の王として立ててゆけば、もう少し幸せな後半生を過ごすことができたかもしれません。サウルは、ぺリシテ人との戦いの中で、息子ヨナタンと共に戦死することになります。ダビデをめぐって、ヨナタンとサウルは、全く違う対応をしました。親子なのに、正反対の対応をしました。私たちはヨナタンになりたいか、サウルになりたいか。もちろんヨナタンのようになりたいのです。

 本日の新約聖書は、ローマの信徒への手紙12章9節以下。(9~10節)「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」これこそ、ヨナタンがダビデに対してとった態度です。ヨナタンは聖霊に満たされていたのだと思います。(13節)「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように努めなさい。」ダビデは、本日の18章23節で、「わたしは貧しく、身分も低い者です」と告白しています。ヨナタンはダビデの貧しさを自分のものとしてダビデを助け、着ていた上着を脱いで与え、自分の装束、弓、帯に至るまで与えました。

 私は、自分がヨナタンのような隣人愛に生きることができていないことを、恥ずかしく思います。今、熊本と大分の方々が大きな地震で苦しんでおられます。私たちは、ヨナタンに少しでもあやかる気持ちで、この事態に対応させていただきたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2016-04-14 2:58:08(木)
「御国が来ますように」主の祈り③ 2016年4月10日(日) 復活節第3主日礼拝説教
朗読聖書:ダニエル書2章44~45節、マタイによる福音書6章5~15節。
「御国が来ますように」(マタイによる福音書6章10節)。

 私たちは先ほど、「主の祈り」を祈りました。前半の3つの祈りは、「神様に関する祈り」です。「天にまします我らの父よ/ 願わくは、御名をあがめさせたまえ。/ 御国を来らせたまえ。/ 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。」本日は2つ目の祈り、「御国を来らせたまえ」を取り上げます。新共同訳聖書のマタイ福音書では、「御国が来ますように」となっています。 

 御国は、もちろん「神の国」です。「神の国」は言い換えると、「神の支配」です。神様ご自身が王となって、愛と正義と平和のよき支配をして下さる国が神の国です。神様がこの世界を創造されました。その最初の状態(エデンの園状態)は、まさに愛と正義と平和が満ち満ちている状況でした。神の国そのものだったのです。しかしエバが蛇(正体は悪魔)の誘惑に負けて、神様に背いて罪を犯し、エバの誘いに乗ってアダムも神様に背いて罪を犯し、罪と悪が入り込みました。こうしてこの世界が堕落し、神の国と言えない状態になってしまいました。しかし神様は、神の国を回復させるご計画を開始され、進めて下さっています。

 神様は、手始めにアブラハムという男を選び出され、アブラハムに約束されます。
「わたしはあなたを大いなる国民にし/ あなたを祝福し、あなたの名を高める。
 祝福の源となるように。/ ~地上の氏族はすべて/ あなたによって祝福に入る。」
こうして神様は、罪と悪がはびこるこの世界に、祝福を回復させる計画を開始なさいました。アブラハムが属する民は、後にイスラエルと呼ばれるようになります。「イスラエル」という名前の意味は、いくつかの説がありますが、私は、「神が支配する」という意味だと聞いたことがあります。実際にはイスラエルの民は、神様に逆らうことが少なくなかったので、完全な神の国になれませんでした。しかし地上における神の国の第一歩ではあったのです。

 そのイスラエルに、父なる神様は主イエス・キリストを誕生させられました。イエス様は30才くらいの時に、イスラエルの北方ガリラヤで、伝道・宣教活動を開始されました。「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って、です。神の子イエス・キリストが地上に来られたことで、神の国は確かに来たのです。但し神の国は未だ完成していません。今は神の国が完成に向かう途上の時代です。

 イエス様が誕生された時代、イスラエルの人々は、もっと現実的な神の国を待ち望んでいました。イスラエルは、ローマ帝国の植民地として抑えつけられていましたから、彼らが待望していたメシア(救い主)は強力な政治的・軍事的リーダーでした。イスラエル国が独立を回復して強くなり、繁栄する。そのような神の国を待ち望んでいたようです。実際イスラエルの人々は、イエス様の十字架と復活の後、ローマとの戦争に立ち上がりました。第一次ユダヤ戦争です。しかしローマ軍に敗れて首都エルサレムが破壊されてしまいます。それでも、もう一度ローマと戦争を行います。第二次ユダヤ戦争です。またも敗れ、以後1948年にイスラエル共和国が独立宣言をするまで、イスラエル人(ユダヤ人)は国土を持たない民として生きて行きました。それはともかく、イエス様はイスラエル人の対ローマ武力闘争に参加することは全くありませんでした。イエス様がなさったことは、各福音書が書き記しているように、神の言葉を宣べ伝え、病人を癒やし、十字架に架かることでした。それこそが、真の神の国をもたらす道だと確信しておられ、迷うことはありませんでした。

 その頃、洗礼者ヨハネが牢に入れられていました。ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの罪悪を告発したために、不当に牢に入れられたのです。ヨハネは牢の中で、イエス様のなさったことを聞き、自分の弟子たちを送って尋ねさせたのです。「来るべき方(メシア)は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエス様はお答えになったのです。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」イエス様は、世の底辺に赴いて下さったと思うのです。今でも心身にいわゆる障碍のある方にとって、生きることはしんどいのではないでしょうか。2000年前のイエス様の時代は、もっとそうだったと思います。イエス様はその方々に愛のまなざしを注ぎ、奉仕されました。イエス様の愛の奇跡によって、目の見えない人が見え、足の不自由な人が歩き、重い皮膚が癒やされ、耳の聞こえない人は聞こえるようになり、何と死者が生き返り(例:ヨハネ福音書11章のラザロ)、貧しい人は福音を告げ知らされました。「神様が愛しておられるよ」というメッセージを告げ知らされたのでしょう。

 イエス様の説教と奉仕によって、神様の愛の国が来たのです。イエス様は、「人の子(ご自分)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とおっしゃいました。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である(旧約聖書全体の教えだ)」とはっきり言われ、その通りに生きられました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」こう教えられた神の子イエス様がおいでになり働かれたことで、神の国はイスラエルに確かに来たのです。

 そしてイエス様は、ルカによる福音書17章で、ファリサイ派の人々が、「神の国はいつ来るか」と尋ねたときに、こう言われました。「神の国は見える形では来ない。『ここにある』、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」神の国は、私たちの心の中にあるとも言えますし、イエス・キリストを信じる人々の群れが、不完全ながら神の国だとも言えます。ご一緒に神様を礼拝している、今のこの状態が、既に神の国です。神の国(天国)は、神様をひたすら讃美し礼拝している所だからです。

 ナチス・ドイツが、ポーランドに作った悪名高い収容所が、アウシュヴィッツ強制収容所です。100万単位のユダヤ人が、ここで殺されたと聞きます。何も悪いことをしていないのにここに収容された一人に、コルベ神父(ポーランド人)がおられました。コルベ神父は、日本の長崎に来て宣教活動を6年間なさったので、日本に縁のある方です。有名な話ですが、一人の脱走者が出たので、その代わりに別の10人が無造作に選ばれて、罰を受けることになりました。実にひどい話です。10人を一つの地下室に閉じ込め、食べ物も水も全く与えず、死ぬまで放置するという悪魔の考えとしか思えない刑罰です。皆その刑を受ける前に、既に強制労働でかなり衰弱しています。1941年の夏です。不幸にも10人に選ばれた中に、フランシースコ・ガイオニチェックさんという40歳くらいの男性がいました。この男性が、「自分には妻も子どもたちもいる。死にたくない」と号泣したのを見て、コルベ神父は、「自分は神父なので妻も子もないから」と、身代わりを申し出ました。イエス様に近い、愛の生き方です。

 イエス様は、ヨハネによる福音書15章で、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のための自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」とおっしゃいましたが、まさにコルベ神父はイエス様の友、イエス様に従った人です。そしてコルベ神父は、共に死ぬことになった9名の、心を支える務めを果たされました。コルベ神父がいなかったら、9名は絶望のあまり発狂するか、先に死んだ仲間を食べることもあり得たかもしれません。けれどもそのようなことは起こりませんでした。神父を中心に、小声で祈り讃美歌を歌ったそうです。コルベ神父の、強い信仰と精神力を思います。ドイツ兵にこき使われて、地下室の様子見をさせられた一人には、その恐ろしい地下室が、「おごそかな教会のようにも見えた」そうです(早乙女勝元著『アウシュヴィッツのコルベ神父 優しさと強さと』小学館、1983年、129ページ)。コルベ神父は地下室に一部、神の国(御国)をもたらして下さったのではないでしょうか。私たちにも、それぞれの家庭や職場に、少しでも神の国をもたらす務めが、イエス・キリストから与えられています。ある聖職者の言葉ですが、こんな言葉を読みました。
「人生には一つの義務しかない それは、愛することを学ぶこと。
 人生には一つの幸福しかない それは、愛することができるように。」
私たちが、神様と人を愛するならば、そこに不完全ながら神の国が来ているのではないでしょうか。

 神の国のひな型である私たちの礼拝には、日本人も、ほかの国の人も招かれています。イエス・キリストを救い主と信じるならば、どの国と地域の人もクリスチャンとなり、神様の民の一員となります。国籍も性別も肌の色も超えて、誰でもクリスチャンとなって同じ神様を讃美し、礼拝することができます。そこには、分け隔てがありません。礼拝の聖餐式が重要です。イエス・キリストを救い主と告白して洗礼を受けるならば、国籍も性別も肌の色も超えて、皆、パンとぶどう汁を受け、一つの群れとなります。イエス・キリストは、もちろん日本人のためだけに十字架に架かられたのではありません。すべての国と地域の人々のために、十字架に架かって下さいました。私の手元に、『嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語』(O・ブルーダー著、森平太訳、新教出版社刊、1994年)という小さな本があります。事実に少し脚色して物語風に書かれた本です。舞台はドイツの小さな村です。ナチスが力を振るい、ユダヤ人を迫害しつつあった時代、コルベ神父の死より、少し前の頃と思います。その教会にグルント牧師という方が、赴任して来られました。グルント牧師は作者の創作で、ナチスによって殉教の死を遂げたパウル・シュナイダー牧師が、グルント牧師のモデルだと聞いたことがあります。

 グルント牧師が、聖餐式の前に語ります。「今日、(ドイツの)国民共同体は、キリストのしるしとは異なるしるしのもとに置かれております。今日では、国民はキリストのしるしなどもう必要でないと考えるようになっているのであります。~聖餐式によって生まれる共同体は、国民共同体よりもはるかに深いものがあります。~キリストのからだ―つまりこれは信ずる者の群れのことですが―それはいかなる国籍、いかなる民族に属する人間をもすべて包括するからであります。」ドイツ全体が、ドイツ人が一番優秀だという狭い愛国心に凝り固まっていた時のことです。グルント牧師は、狭い愛国心を乗り越えるものが、聖餐式によって生まれる共同体だと宣言したのです。勇気ある発言です。愛国心はそれなりに大事ですが、行き過ぎて自分の国だけが大切だと考えると、エゴになってしまいます。聖餐式によって生まれる共同体、イエス・キリストの共同体は、どの民族の人もキリストを信ずることで入ることのできる共同体です。

 御国(神の国)は、子どものように素直に神の国を受け入れる人の国です。イエス様は、マルコによる福音書10章で言われます。「『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」神の国は、立派な人の国というよりも自分の罪を素直に悔い改める人の国です。ルカによる福音書15章で、イエス様は言われます。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」実際には、悔い改める必要のない人は一人もいません。神様は、一人でも多くの人が罪を悔い改めて、神の国に入ることができるように今も招き続けておられます。

 本日の旧約聖書は、ダニエル書2章44~45節。鉄はマケドニア帝国、青銅はペルシャ帝国、陶土はマケドニア帝国から分裂したエジプトのプトレマイオス王朝、銀はメディア帝国、金はバビロン帝国。これら世界帝国は滅びる。「永遠に滅びない国。人手によらずに切り出された石」=神の国。石はキリストの象徴か。

『ハイデルベルク信仰問答』(吉田隆訳、新教出版社、2002年)
問123「第二の願いは、何ですか。」
答「『御国を来らせたまえ』です。すなわち、あなた(神様)がすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、わたしたちがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御言葉と聖霊によってわたしたちを治めてください。あなたの教会を保ち進展させてください、あなたに逆らい立つ悪魔の業やあらゆる力、あなたの聖なる御言葉に反して考え出されるすべての邪悪な企てを滅ぼしてください、ということです。」

 マタイ福音書25:34~。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたし(イエス・キリスト)が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」神様が御国を用意していて下さる。

 イエス様がもう一度来るとき(再臨のとき)に神の国は完成する。神の国を完成なさるのは神様、人間の手で完成することはできない。ペトロの手紙(二)3:12「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。」19~20世紀に生きたドイツの親子牧師にブルームハルト父子がいる。父ブルームハルトは、ペトロの手紙(二)3:12を特に愛した。彼のモットーは、「待ちつつ、急ぎつつ」(井上良雄著『神の国の証人ブルームハルト父子』新教出版社、1994年、198ページ)。父ブルームハルトは、イエス様がいつ再臨なさっても、すぐイエス様の元に駆けつけることができるように、いつも馬車を用意していたという逸話がある。「御国を来らせたまえ」と祈って待ちつつ、力を尽くしてイエス・キリストを宣べ伝え、愛の業を行うことが、クリスチャンの生き方。

 パウロは祈った。「マラナ・タ(主よ、来てください)」(コリントの信徒への手紙(一)16:21)。聖書の終わり直前の言葉は、「以上すべてを証しする方(イエス・キリスト)が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください」(ヨハネの黙示録22:20)。実に「御国を来らせたまえ」は終末的な祈り。『讃美歌21』81番によって、「マラナ・タ、マラナ・タ、主のみ国がきますように」と歌い、「待ちつつ、急ぎつつ」、イエス・キリストを伝えて前進したい。アーメン(「真実に、確かに」)。

2016-04-07 2:33:22(木)
「今あるは神の恵み」 2016年4月3日(日) 復活節第2主日礼拝説教
朗読聖書:ヨナ書2章1~11節、コリント(一)15章1~11節。
「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(コリント(一)15章10節)。

 この手紙は、イエス様の十字架の死と復活から約30年後に、パウロという人がギリシアの都市コリントにあったキリスト教会のメンバーたちに書き送りました。パウロは最初、クリスチャンたちを全力で迫害する人でした。その頃の彼の名前はサウロでした。サウロは、ユダヤの大祭司の許可を得てシリアの都市ダマスコに向かいます。イエス様を救い主と信じる人々を見つけ出し、男女を問わず縛り上げてエルサレムに連行するためです。サウロはそれが、神様に最もよく仕える道と確信していたのです。

 サウロがダマスコに近づいた時、突然、天からの光がサウロの周りを照らしました。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いたのです。サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人々にも声が聞こえましたが、誰の姿も見えないので、立ち尽くしていました。サウロは起き上がって目を開けましたが、何も見えませんでした。サウロは人々に手を引かれてダマスコに行きましたが、三日間目が見えず、飲食しませんでした。復活されたイエス様の直接の介入によって、サウロの人生は大きく転換します。神様がアナ二アという人をサウルのもとに遣わされ、アナ二アはサウロの上に手(両手)を置いて言いました。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

するとたちまち、サウロの目(両目)から(魚の)うろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになりました(「目からうろこが落ちる」という表現は使徒言行録9章18節から来るのですね)。それだけでなく、心の目も開いたのです。十字架につけられて復活なさったイエス様こそ、真の神の子、自分も含めたユダヤ人・イスラエル人が、千年あるいはそれ以上待ち望んでいたメシア(救い主)であることも、見えるようになったのです。サウロは身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻しました。そしてダマスコのユダヤ人たちの会堂(礼拝所)で、「この方こそ、神の子である」と、イエス・キリストを大胆に宣べ伝え始めたのです。人々が、サウロの180度の変化に、非常に驚いたのは、もちろんです。

パウロの伝道によって、コリントにも教会ができました。教会と言っても、立派な会堂があるわけではなく、イエス様を信じた人々の共同体です。おそらくクリスチャンとなった誰かの家を集会所にして、礼拝を行っていたのでしょう。コリントの教会は若く未熟で、様々なトラブルを抱えていました。一部の人々の間で、復活信仰も揺らいでいたようです。そこでパウロは、この15章で復活について、心を尽くして一生懸命に教えています。何としても復活を正しく信じて欲しいとの願いからです。イエス様の十字架による私たちの罪の赦しとイエス様の復活こそ、死の力を乗り越える福音、死なねばならない私たち人間にとって最高のよきニュースだからです。(1~3節)「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。」 
パウロは、私たちの信仰にとって最も大切な2点は、イエス・キリストの十字架の死と復活だ、と喝破します。日本語の「喝破する」には2つの意味があるそうで、2つ目の意味は「誤った説を排し、真実を説き明かすこと」であるそうなので、パウロはまさにここで福音の真理を喝破していると言えます。(3節の初め)「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」福音の最も大切な真理を、パウロも先輩クリスチャンたちから教えられて、コリントの人々に伝えたのです。「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと~。」「聖書に書いてあるとおり」を直訳すると、「聖書に従って、聖書により」です。もちろん旧約聖書の特定の箇所を指すとも考えられますが、ある解説によると、「メシア(救い主)による救いを待望する旧約聖書全体を指すと思われる」(フランシスコ会聖書研究所訳『聖書 コリント人への第一の手紙・  コリント人への第二の手紙』中央出版社、1993年、143ページ)とのことです。「なるほど、そうか」と思いつつも、あえて特定の旧約の箇所を挙げるとすると、やはり真っ先にイザヤ書53章を挙げるべきでしょう。

 「キリストが、わたしたちの罪のために死んだ」ことを語るのは、次のいくつかの節です。まず5節「彼が刺し貫かれたのは/ わたしたちの背きのためであり/ 彼が打ち砕かれたのは/ わたしたちの咎のためであった。」 次に8節「彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/ わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/ 命ある者の地から断たれたことを。」 そして11節「わたしの僕(イエス・キリスト)は、多くの人が正しい者とされるために/ 彼らの罪を自ら負った。」 さらに12節「多くの人の過ちを担い/ 背いた者のために執り成しをしたのは/ この人であった。」 明らかに、キリストが私たちの罪のために死なれたことが強調されています。

 コリントに戻り、パウロは4節で、「葬られたこと」と書きます。イエス様は、アリマタヤ出身のヨセフが用意した墓に葬られました。葬られたことは、イエス様の死が疑問の余地のない確かな事実であることを意味します。イエス様は決して、仮死状態から蘇生したのではなく、完全に死なれたのです。次にパウロは、「また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」と書いて、イエス・キリストの復活の事実を語ります。これも、特定の旧約聖書の箇所を意味するよりも、「メシアによる救いを待望する旧約聖書全体を指す」可能性もあります。しかしあえて旧約の箇所を探してみると、ホセア書6章2節ではないかという意見が昔からあります。確かにホセア書6章2節には、「二日の後、主は我々を生かし/ 三日目に、立ち上がらせてくださる」とあり、三日目の復活を暗示してようにも見えます。しかしこの部分の小見出しは、「偽りの悔い改め」で、預言者ホセアがイスラエルの民の罪を告発する内容で、パウロがこの箇所を「キリストの復活の預言」として取り上げるのは不自然ではないかと、私には思えます。

 私は、パウロの頭にあったのはヨナ書ではないかと思います。ヨナ書はユーモアの感じられる書です。預言者ヨナは、駄々っ子のようなところのある人物で、神様がヨナにアッシリア帝国の首都二ネべ(悪名高い都)に行って、罪の悔い改めを説教するように命じられた時、反対方向に向かって逃げました。しかし神様が逃げることを許さず、ヨナが乗った船は大風に遭い、ヨナは海の中に放り込まれます。神様が巨大な魚に命じて、ヨナを呑みこませ、ヨナは三日三晩を魚の腹の中で過ごします。ヨナは魚の腹の中で、神様に祈ります。自分の罪を悔い改めたのでしょう。神様がその祈りをよしとされ、神様が魚に命じてヨナを陸に吐き出させ、ヨナは悔い改めて二ネべに説教に出かけます。しばしばわがままなヨナと、罪が全然ないイエス様とでは、人格に雲泥の差があります。しかしヨナが三日三晩、魚の暗い腹の中で過ごして、生きて陸に出たことは、イエス様の十字架の死と復活を暗示する「しるし」です。

 イエス様ご自身が、そうおっしゃっています。(マタイによる福音書12章39節以下)「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子(イエス様ご自身)も三日三晩、大地の中にいることになる。~ここにヨナにまさるものがある。」イエス様は、ヨナが三日三晩、魚の腹の中にいたことが、イエス様が死んで陰府(死者の国)に降られ、三日目に復活されることを暗示する出来事だと、明確におっしゃっています。そしてご自分がヨナにまさる者であること、邪悪な二ネべの人々がヨナの説教を聴いて悔い改めたのだから、イエス様の説教を聴く人にも、素直に罪を悔い改めてほしいと、切に願っておられます。以上をまとめると、パウロはイエス・キリストは、旧約聖書が全体として記している通りに、私たちの全ての罪を背負って死なれ三日目に復活なさった、と全力で伝えているのです。

「復活した」は、原語で受け身形で、直訳では「復活させられた」です。イエス様が自分の力で復活したのではなく、父なる神様の力で復活させられたことを示します。私たちも自力で復活することはできませんが、父なる神様が私たちを復活させて下さるので、最後は安心して父なる神様に委ねてよいのです。

 (5節)「ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたことです。」イスカリオテのユダはイエス様の復活を見ていないので、十一人ではないかとも思いますが、ユダを補充するために選ばれたマティアにもきっと現れたので、十二人でよいのでしょう。(6節)「次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうち何人かは既に眠りについた(死んだ)にしろ、大部分は今なお生き残っています。」これは、ここにしか書かれていない大きな事実です。イエス様は決して幽霊ではなく、復活の体を持っておられるのですが、それは栄光の体であり、不思議な体です。疑うトマスに現れられたとき、復活のイエス様の両手には十字架の釘の穴があり、脇腹には槍で突き刺された跡がありました。ですから復活の体には以前の肉体と連続している要素があります。しかし復活の体は確かに体ですが、壁があっても全く妨げられずにどこに入ることもできる、栄光の体です。五百人以上もの兄弟たち(クリスチャンたち)に同時に現れることができる体です。

イエス様は必ずもう一度この世界に来られますが、その時どこに来られるのか、という疑問を私たちは持つのではないでしょうか。しかし世界中多くの場所に同時においでになることもできるはずです。五百人以上に同時に現れられたのですから、世界の全員60億人以上にも、同時に現れることがおできになるはずです。それが復活の体、栄光の体です。私たちイエス・キリストを信じる者にも、キリストは必ず同じ復活の体、栄光の体を与えて下さいます。フィリピの信徒への手紙3章20~21節に、書かれている通りです。「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」

 (7~8節)「次いで、ヤコブ(イエス様の弟ヤコブでしょう)に現れ、その後すべての使徒(バルナバも含まれるかもしれない)に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」パウロが自分を「月足らずで生まれたようなわたし」と呼ぶのは、自分がクリスチャンたちを全力で迫害していた前半生を、強く悔いているからでしょう。(8節)「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」パウロの本心でしょう。私が以前に、謙遜ということについて、こんな意味の言葉を読みました。「謙遜とは、無理にへりくだることではない。自分のありのままを偏見なく見つめれば、十分罪深いことが分かる。自分の罪深さを認めて、恥じ入るほかないのが私たちの現実だ。それを認めることが謙遜だ。無理してへりくだることが謙遜ではない。」私たちはよく教会で、「イエス様は私たちの全ての罪を背負って、私たちの身代わりに十字架に架かられた」と聴きます。それは、本当は私たちが自分の罪のために十字架に架けられるべきであった、ということです。私もそのような自分の罪深さを認めざるを得ません。

 パウロは、クリスチャンと教会を迫害することで犯した罪の大きさを知って書いています。「自分は使徒と呼ばれる値打ちのない者だ」と。パウロは同じようなことをほかの箇所でも述べます。パウロは、使徒言行録20章19節でこう述べます。「自分を全く取るに足りない者と思い~」と。エフェソの信徒への手紙3章8節では、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたし」と述べます。テモテへの手紙(一)1章15節では、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」と述べます。口語訳聖書は「わたしは、その罪人のかしらなのである」という印象的な訳です。パウロの本心です。私たちも、自分の罪を一切ごまかさないで見つめれば、同じ告白に至るはずです。イエス様と自分を比べてみればよいのです。全く罪のないイエス様と、自分を比べてみれば、自分の罪深さがよく分かります。洗礼者ヨハネも、イエス様のことを思い、こう告白しました。「わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」

 昔の信仰の指導者は、信仰の要諦は「一に謙遜、二に謙遜、三にも謙遜」(三浦綾子著『旧約聖書入門 光と愛を求めて』光文社、1988年、233ページ)と言ったそうです。ナチスに抵抗したボンへッファー(ドイツの牧師)は、「仕えることを学ぼうとする者は、先ず第一に、自分自身を取るに足りない者と思うことを学ばなければならない」と書いています(ボンへッファー著・森野善右衛門訳『共に活きる生活』新教出版社、1991年、91~92ページ)。「もし神が、その憐れみをもってわたしを取り扱って下さらなかったら、わたしは、神からのもっと厳しい罰を受けるに値する人間ではなかったか。~わたしが、自分に加えられたかくも小さな悪を、沈黙し忍耐して耐えることを学ぶことは、謙遜に至るために有益であり、よいことではなかろうか」(同書、93ページ)。

 このように罪深いパウロや私たちを、神様はお見捨てにならず、イエス・キリストを救い主と信じる信仰を与え、永遠の命の希望まで与えて下さいました。パウロは万感の思いを込めて言います。(10節)「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」神の尊い教会を迫害していた自分を神様は滅ぼさず、かえってイエス・キリストの救いを宣べ伝える伝道者として立てて下さった! パウロにとってまさに驚くべき恵み、アメイズィンググレイスだったに違いありません(本日は歌いませんが)。この「恵み」は原語で「カリス」です。パウロはこの10節で、恵み(カリス)の言葉をさらに2回用います。「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」パウロはこの10節で三回「神の恵み」と言っています。

 本日の説教題は、10節からとって「今あるは神の恵み」と致しました。いろいろなことがありますが、今こうしてご一緒に神様を礼拝させていただいています。この現実こそ、「神の恵み」と信じます。今ここで共に神様に祈り、神様をほめたたえていることは、神様の大いなる憐れみによることです。十字架に架けられても仕方のない私ども罪人が、十字架に架けられることなく、それどころかイエス様の十字架のお陰で罪赦され、イエス様の復活のお陰で永遠の命まで約束され、ここに共におります。ただ感謝です。ただ今より聖餐にあずかります。このわずかなパンとぶどう汁に、「神の恵み」・カリスが凝縮されています。全ての皆さんが洗礼を受けられ、一日も早くこの恵みをご一緒に受けるようになっていただきたいと、切に祈ります。アーメン(「真実に、確かに」)。

2016-03-30 13:45:38(水)
「死者の中から復活されたイエス様」 2016年3月27日(日)イースター礼拝説教
朗読聖書:詩編16編7~11節、マタイ福音書28章1~15節。
「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」(マタイ福音書28章7節)。

 イエス様は、十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と大声で叫ばれ、もう一度大声で叫ばれて、息を引き取られたのです。そしてアリマタヤ出身のヨセフという、最高法院の議員が、イエス様の遺体を受け取り、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓に納め、墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去ったのです。マグダラ出身のマリアと、もう一人のマリア(イエス様の母)が墓に残りました。どうしても立ち去り難かったのです。それだけイエス様を愛していました。二人は誰よりもひたむきです。ルカによる福音書によると、マグダラのマリアは、イエス様に七つの悪霊を追い出していただいて救われた女性です。でもこの二人のマリアも、暫くすると住まいに戻りました。金曜日の夕方になり、翌日の安息日になりかかって来たからです。ユダヤでは、一日は夕方から始まります。二人のマリアも、安息日(土曜日)は墓に行かず、礼拝に専念したでしょう。

 しかし安息日が終わると、日曜日の早朝に、やもたてもたまらずにイエス様の墓に向かいました。イエス様をもっと丁寧に、心をこめて埋葬するためです。(1~2節)「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」神様の介入が起こったのです。大きな地震・災害は、私たちの存在を揺るがします。地震はヨハネの黙示録にしばしば出て来ます。ですから何らかの意味で、世の終わりと関係があると思われます。ここでは、生きておられる神の介入があり、神の天使が天から降って近寄り、大きな石をわきへ転がし、石の上に座りました。超自然的な、驚くべき異常な出来事です。天使が大きな石の上に座ったことは、神様があらゆる事柄を支配しておられる事実を物語ると思うのです。

 (3~4節)「その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」天使たちの輝きはこの世の輝きではなく、天国のあまりに清らかなまばゆい輝きです。稲妻のように明るく、雪のように純白に輝いていました。その異常なほどの清さに圧倒されて、番兵たちは恐ろしさに打ち震え、気力を失い、死人のようにぐったりしました。私たち罪ある者が神様を見る、神様の使いを見るのは、このような息を呑む圧倒的な体験です。

 しかし天使は、イエス様を慕ってやまない婦人たちに、喜ばしいメッセージを告げるために、父なる神様から派遣されたのです。天使の栄光に輝く姿は、復活されたイエス様の栄光のお姿を暗示しているとも言えます。(5~6節)「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』」 神様はここで、二人の婦人にイエス様の復活の事実を教えて下さり、二人の女性をイエス様の復活の証人としてお立てになったのです。このことは大きな意味を持っています。その頃のユダヤ(イスラエル)は非常に男性中心の社会で、女性と子どもは信頼できる証人と見られていなかったそうです。一人前扱いされていなかったのです。差別されていたのですね。今でもそのようなことは多少あるでしょうが、当時はもっと露骨でした。ところが神様は、そのような人間の罪を打ち破って、イエス様の復活という最も重要な出来事の証人として、あえて二人の女性をお選びになったのです。

 そして、天使に言われてみれば、確かにイエス様は、四回も復活の予告をなさっていたのです。しかし聞いたときは、婦人たちも男の弟子たちも、何のことか理解できなかったのです。最初の予告はマタイによる福音書16章でなされました。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」 次は17章においてです。「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。『人の子(ご自分)は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。』弟子たちは、非常に悲しんだ。」 三回目は20章においてです。「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。』」三回目に初めて十字架の言葉が登場し、一番詳しい予告になっています。そして四回目は、26章31、32節です。「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう」と書いてある(旧約聖書のゼカリヤ書)からだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。』」

 このようにイエス様ご自身が、四回もご自分の復活を予告なさったのですが、弟子たちも、全く理解できませんでした。そしてイエス様の十字架が、あまりにも大きな悲劇だったので、イエス様が復活を予告なさったことを皆、忘れました。しかし、予告は実現し、イエス様は確かに死者たちの中から復活なさったのです。「復活なさった」の、もとの言葉は受け身形なので、「復活させられた、よみがえらされた」と訳すことができます。イエス様は自力で復活なさったのではなく、父なる神様の偉大な愛の力によって復活させられた、よみがえらされたのです。

 聖書は、イエス様が復活させられた場面を、直接描きません。空の墓を見て、イエス様の復活を信じることを、私たちに求めています。聖書はしばしば、決定的に重要な場面を直接描きません。創世記2章で、神様が女(エバ)を創造なさった場面でも、そうです。神様が男(アダム)を深い眠りに落とされました。神様は男(アダム)が眠り込むと、男(アダム)のあばら骨で女(エバ)を造り上げられました。その様子を男(アダム)は見ることを許されませんでした。イエス様が墓の中で、どのようによみがえらされたのか、私たちがそれを知る必要はないのです。それは神秘です。旧約聖書のコヘレトの言葉(以前は、伝道の書)3章11節を思い出すのが、ふさわしいと思います。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」この御言葉は、口語訳聖書の方が印象に強いですね。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠の思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」まさにイエス・キリストの復活は、その時にかなう最も美しい神の業だったと思うのです。

 天使が婦人たちに言います。(7節)「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」この出来事を、イエス様の十字架のショックに打ちしおれている男の弟子たちに伝える使命を、婦人たちは与えられました。(8~9節)「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」「おはよう」は直訳では「喜びなさい」ですが、基本的にはあいさつ言葉と思われるので、「おはよう」と訳されています。口語訳では「平安あれ」です。イエス様はきっとヘブライ語(アラム語)で「シャローム」(平安)とおっしゃったのでしょう。シャロームはユダヤ人(イエス様もユダヤ人)がよく使うあいさつ言葉です。それで口語訳では「平安あれ」と訳したのでしょう。「喜びなさい」も「おはよう」も「平安あれ」も間違った訳ではありません。イエス様は、今このときも私たちに「シャローム」と言って下さいます。

 (10節)「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」イエス様はここで、イエス様を見捨てて逃げた男の弟子たちを、「わたしの兄弟たち」と呼んで下さいました。イエス様を三度知らないと言ってしまったペトロをも、「わたしの兄弟」と呼んで下さったことになります。「あなたたちのことを恨んでいない」、兄弟として受け入れているというメッセージです。弟子たちがイエス様を見捨てて裏切って逃げたことは、弱さから来る罪です。確かに罪ですが、イエス様は、その弱さに同情して下さる方でした。ヘブライ人への手紙に「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」(3章11節)、「この大祭司(イエス・キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(4章15節)と書かれていることを、思い出します。イエス様は、私たちをも兄弟姉妹と呼んで下さいます。

 本日の旧約聖書は、詩編16編です。これはイエス・キリストの復活と予告する詩編です。ダビデの作と書いてあります。9~11節を読みます。「わたし」がイエス・キリストだと読むことができます。
「わたしの心は喜び、魂は踊ります。
 からだは安心して憩います(からだの復活を意味するようです)。
 あなた(父なる神様)はわたしの魂を陰府に渡すことなく/
 あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず/ 命の道を教えてくださいます。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い
 右の御手から永遠の喜びをいただきます。」

 新約聖書の使徒言行録2章で、ペトロが、詩編16編はイエス様の復活を予告していると言っています。「ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そしてキリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。」ここに詩編16編が(新共同訳とやや文言が違いますが)イエス様の体の復活を予告する御言葉として、ペトロによって引用されています。使徒パウロも、使徒言行録13章で、父なる神様がイエス様を死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについて、詩編16編がそれを予告しているという意味のことを語っています。「あなたは、あなたの聖なる者を 朽ち果てるままにしてはおかれない」という詩編16編の御言葉を引用しています。

 パウロは使徒言行録13章で、私たちの本日の礼拝の交読詩編・詩編2編の7節も、イエス様の復活を予告する御言葉だと述べています。「わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たして下ったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです。」
 
 イエス様は、十字架で確かに死なれ、陰府(死者の国)に行かれました。復活なさるまでの間(金曜日の夕方から日曜日の早朝までの間)、どのような状態にあられたかが、ペトロの手紙(一)3章に書かれています。「キリストは、捕らわれていた霊たち(死者たち)のところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに、従わなかった者です。」イエス様は確かに死なれ、死者の国で宣教された後に、日曜日の早朝、死を打ち破って復活なさったのです。
 
 パウル・シュナイダーという牧師をご紹介致します。1897年生まれのドイツの牧師。ナチスに抵抗。ブッヘンヴァルト強制収容所。暴力で死なされました。
「特別な祝日には牢獄のうっとうしい格子窓から、点呼の間の静けさを破って、突然シュナイダー牧師の力強い声が響き渡った。彼は預言者のように、祝日の礼拝を守ったのである。たとえば復活節に、このようなみ言葉を私たちは聞いたのであった。『かく主は語りたもう。われは復活なり、生命なり!』。この大胆な勇気と意志の力に、心の底まで揺り動かされて、囚人の列はたたずんでいた。~ヘロデの牢獄から、洗礼者ヨハネの声を聞いているかのようであった。それは荒野で叫ぶ、力強い預言者の声そのものであったのである。多くを叫ぶ余裕はなかった。すでに牢獄番の棍棒は彼をなぐり倒し、さらにげんこつが飛び、彼の弱りきった体は、部屋の隅に叩きつけられたのである。しかし血に飢えた暴力さえ、彼の強い意志と不屈の魂を倒すことはできなかった」(マルガレーテ・シュナイダー著、ハインリッヒ・フォーゲル著・後藤哲夫訳『パウル・シュナイダーの殉教』新教出版社、1974年、209~210ページ)。

 「強制収容所に七年間いて、私たちのシュナイダーから福音を聞いたという、元共産主義者で、無神論者という男がいた。彼は自由の身になって後に洗礼を受けた。その時洗礼を授けた牧師に、語っている。―あの頃シュナイダー牧師とめぐりあい、彼を通して福音を聞いたことは、収容所での七年を償うだけの価値があった―と」(同書、210~211ページ)。

 イエス様が死者の先頭を切って、復活されたのです。私たちイエス様を信じる者にも、復活の体が与えられます。今の季節は新芽が出、こぶしの花が咲き、梅は咲き終え、桜が咲きかけています。自然界では緑や花が復活し始めています。落合川の遊歩道や、すぐそこの水生公園の辺りを歩くと、新芽の息吹を感じます。かっこうも鳴いています。3~4月は命の復活を実感するとき、イースター(復活節)にふさわしい季節です。本当に感謝です。復活信仰は、私たちに死で終わりでないという希望と勇気を与えます。恐れることなく、イエス様に従いましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。