2015-05-14 2:34:07(木)
「神の子キリストと出会う」 2015年5月10日(日) 復活節第6主日礼拝説教
朗読聖書:ダニエル書9章20~27節、ヨハネによる福音書1章35~51節
「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(ヨハネ福音書1章49節)。
洗礼者ヨハネが、イエス様が自分の方に来られるのを見て、イエス様の本質を言い当てました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。その翌日、またヨハネは二人の弟子たちと一緒にいました。そして歩いておられるイエス様を見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言いました。イスラエルの荒れ野で人々に、自分の罪を悔い改めるように説教し、悔い改めの洗礼(バプテスマ)を施していたヨハネには、弟子たちがいました。ヨハネが「見よ、神の小羊だ」と言ったとき、ヨハネは二人の弟子たちと一緒にいました。そして二人の弟子たちはイエス様に従ったのです。ヨハネの弟子であることをやめて、イエス様の弟子になったのです。ヨハネは喜んで見送りました。彼らを自分の弟子のままにしておこうとは考えませんでした。イエス様の方がよりよい師匠なのですから、自分の弟子たちがイエス様の弟子になることをヨハネは喜んだのです。ヨハネは心の広い人でした。
(38節)「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。」「何を求めているのか」という問いは、深い問いです。私たちは、何を求めて生きているのでしょうか。イエス様に何を求めて生きているのでしょうか。日本人の年初めの願いは「家内安全、商売繁盛」かもしれません。「家内安全、商売繁盛」は人間の正直な願いですが、イエス様は私たちにこの願いを第一にもってほしいと思っておられるでしょうか。おそらく違うのではないでしょうか。私たちが本当に願い求めるべきことは何でしょうか。それは、「イエス様によりよく従うことができますように」、「神様と隣人をもっと愛することができますように」ということではないでしょうか。
旧約聖書に登場するソロモン王(ダビデ王の子)は、神様に「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたとき、次のように願いました。「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」神様は、ソロモンのこの願いをお喜びになり、言われました。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。」
そして、私たちが最も必要としていることは、罪の赦しです。神様は私たちに十戒という最も基本的な戒めを与えて下さいました。しかし私たちは、十戒の一つをさえ100%守ることができないのです。毎日十戒を守りきれないで生活しているのです。そのような私たちに最も必要なことは、罪の赦しです。神様によって罪を赦していただくことが、どうしても必要です。次のような祈りを聞いたことがあります。「主よ、与えて下さい。日毎のパンと罪の赦しを。」私たちに最も必要なことが、日毎のパンと罪の赦しであることが分かるのです。ですから私たちは、「主の祈り」でもこの2つを神様に求めます。「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ。」神様に罪を赦していただかなければ、私たちは天国に入ることができません。ですから、「我らの罪をも赦したまえ」の祈りはとても大切なのですね。私たちは毎日、比較的小さな罪(神様は「小さな罪ではない」とおっしゃるかもしれませんが)を犯していますから、毎日こう祈ることが必要です。しかし私たちは、切実に「我らの罪をも赦したまえ」と祈る気持ちになかなかならないのではないかと思います。それだけ自分の罪に気づくことに鈍いからです。 イエス様の「何を求めているのか」の御言葉から、私たちが本当に求めるべきものは何か、考えてみました。
イエス様に「何を求めているのか」と問われて、ヨハネの弟子たちは、「ラビ―『先生』という意味―どこに泊まっておられるのですか」と質問で答えました。イエス様は、「来なさい。そうすれば分かる」とお答えになりました。イエス様のもとに行けば、イエス様が何者かが分かる、イエス様の本質が分かるということと思います。イエス様の本質は神の子であり、世の罪を取り除く神の小羊であることです。そして彼らはイエス様について行き、どこにイエス様が泊まっておられるかを見ました。そしてその日は、イエス様のもとに泊まって、イエス様と共に過ごしたのです。そしてイエス様の本質を悟ることができたのです。38節と39節に、「泊まる」という言葉が3回出て参ります。「泊まる」はヨハネによる福音書で重要な言葉です。原語のギリシア語で、「メノー」という言葉です。「メノー」を「とどまる」と訳すこともできます。
この「メノー」は、ヨハネによる福音書15章に繰り返し出て参ります。そこでは「つながる」と訳されています。私たちにとって、イエス様にとどまり、イエス様につながることがどんなに大切かが分かります。イエス様がこうおっしゃっています。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」今の箇所に「つながる」(メノー)が8回も出て参ります。イエス様とつながっていることが、どんなに重要か分かります。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」イエス様につながっていれば、イエス様というぶどうの木から愛という養分を十分にいただくので、私たちぶどうの枝も、少しずつ愛を与える生き方をすることができるということです。先ほどの二人の弟子たちもイエス様のところに泊まり、イエス様の愛を豊かに受けました。そしてイエス様こそ神の子・救い主(メシア)であると悟ることができたのです。
40節で二人の弟子たちのうちの一人の名が示されます。「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。」アンデレはイエス様のもとに一晩泊まってイエス様の本質を深く悟り、喜びと興奮に満たされたでしょう。イエス様との出会いを兄弟シモンに、勇んで語るのです。(41節)「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシア―「油を注がれた者」という意味―に出会ったと言った。』」油とは、神様の聖なる香油です。旧約の時代、王・祭司・預言者という神様に奉仕する人々は、聖なる香油を注ぎかけられて職に任じられました。メシア・救い主は、その聖なる油を誰よりも多く注がれた方です。聖なる油は聖霊のシンボルです。メシアはヘブライ語であり、これをギリシア語に翻訳するとクリストスになります。クリストスが英語でクライストになり、日本語でキリストになりました。まさにイエス・キリストは、真の聖なる油である聖霊を、誰よりも濃厚に完璧に注がれている方です。
本日の旧約聖書・ダニエル書9章25節に、そのメシア「油を注がれた者」がイスラエルに現れることを予告する御言葉があります。アンデレもシモンも、この御言葉をよく知っていたでしょう。これは神様が天使ガブリエル(後にマリアに受胎を告知する天使ガブリエル)を通して、ダニエルという忠実な信仰者に語られた預言です。メシア「油を注がれた者」イエス様のことを預言しているのではないでしょうか。
「これを知り、目覚めよ。
エルサレム復興と再建についての/ 御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで/ 七週あり、また、六十二週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。/ その六十二週のあと油注がれた者は
不当に断たれ(イエス様の十字架の犠牲の死を指すのではないでしょうか)
都と聖所(神殿でしょう)は/ 次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり/ 終わりまで戦いが続き/ 荒廃は避けられない。
彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/ 半週でいけにえと献げ物を廃止する。
憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。
そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」 マタイによる福音書24章を読みながら解釈するなら、「都と聖所は/ 次に来る指導者の民によって荒らされる」は、ローマ軍の攻撃によってエルサレムの町と神殿 が破壊された紀元70年の出来事を指すと言えるでしょう。「七週」や「六十二週」が具体的 にどれほどの長さの時間を意味するのか興味が湧きますが、いろいろ説はあるでしょうが、私 には分かりません。とにかくこのダニエル書9章25節で、「油注がれた方」(メシア)の到 来が予告されていること、26節に「油注がれた者は/ 不当に断たれ」とあり、イエス様の 十字架の死が暗示(予告?)されていると思われることが大切と思います。
ヨハネによる福音書に戻り42節。「そして(アンデレは)、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ―「岩」という意味―と呼ぶことにする』と言われた。」こうしてアンデレとシモンはイエス様の弟子になりました。シモンには特に大きな使命が与えられました。まずケファ(岩)という名前が与えられました。ケファはヘブライ語・アラム語です。岩をギリシア語ではペトロと言います。それゆえ私たちは彼をシモン・ペトロと呼んでいます。シモンはイエス様が十字架におつきになるとき、イエス様を見捨てて逃げたのです。しかしイエス様はその罪を完全に赦して下さいました。シモンは立ち直り、初期の教会の岩のような存在になりました。イエス様は、マタイによる福音書16章18節でシモンに、「あなたはペトロ(岩)、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」とおっしゃっています。
次の日、イエス様はさらに二人の人を弟子になさいます。(43~44節)「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい』と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、べトサイダの出身であった。」フィリポは、イエス様が救い主であることをすぐに悟り、イエス様の弟子になる決断をしたようです。フィリポはナタナエルに出会い、確信を込めて語ったのです。(45節)「フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』」「預言者たちも書いている」とは、たとえばイザヤ書53章です。「見るべき面影はなく/ 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。/ 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/ 多くの痛みを負い、病を知っている」と、十字架のイエス様が預言されています。ナタナエルはすぐには信じません。「ナザレから何かよいものが出るだろうか。」ガリラヤのナザレは、イエス様がお育ちになった土地です。ただ、ナザレは旧約聖書の中に一回も登場しません。それで軽く見られていた町だったようです。人々が関心を持たず、もしかすると馬鹿にし、無視していた町だったかもしれません。しかし神様は、むしろいと小さきものを愛し、私たちが無視し軽んじているものに、進んで目を留め、心にかけて下さる方です。ですから私たちはよく注意して、何をも軽んじないように気をつける必要があります。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」これはナタナエルの色めがね・偏見です。ナザレから最高の方が出られます。救い主イエス様が出られるのです。
ナタナエルは、「来て、見なさい」というフィリポに素直について行きます。そして偏見から解放されます。イエス様は、ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、ナタナエルをほめて言われました。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」私たちもイエス様に「この人には偽りがない」と言っていただければ、最高の幸せです。そのような生き方をしたいものです。ナタナエルは、初めて会うのに、イエス様が自分のことをよく知っておられるのを感じて、驚いて尋ねます。「どうしてわたしを知っておられるのですか。」するとイエス様は、踏み込んで言われます。「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た。」イスラエルのいちじくの木は、非常な大木になるそうです。イエス様の時代、いちじくの木陰で、律法(モーセの十戒などの神の御言葉)の教師たちが弟子を教えたそうです。ナタナエルも、いちじくの木陰で、熱心に律法を学んだと思われます。イエス様はそれを知っていると語られたのです。イエス様は前から、最初の最初から(ナタナエルが生まれる前から)ナタナエルのことを全てご存じなのです。イエス様は、私たち一人一人のことをも、最初の最初から全てご存じです。私たち自身以上に、私たちのことをご存じです。神様は(イエス様は)私たち自身が知らない私たちの髪の毛の本数までも、正確にご存じです。
私は、詩編139編1~4節を思い起こします。
「主よ、あなたはわたしを究め/ わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り/ 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け/ わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/ 主よ、あなたはすべてを知っておられる。」
ナタナエルは、イエス様が自分のすべてを知っておられることに感嘆して、告白します。「ラビ(先生)、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(50節)「イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』」 「もっと偉大なこと」とは、イエス様が私たち皆の罪を背負って十字架で死んで下さる偉大な贖いと、三日目の復活ではないかと思います。
(51節)「さらに言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子(イエス様)の上を昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」 これは創世記28章のエピソードに基づいて語られています。イスラエルの先祖の一人ヤコブの若い日の出来事です。ヤコブは兄エサウをだましたためにエサウの怒りを買い、故郷カナンから逃げ出すことになります。逃亡中のヤコブは、ある場所で夜に夢を見ました。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていたのです。その時、神様ご自身がヤコブの傍らに立って語られたのです。眠りから覚めたヤコブは、「ここは何と畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」イエス様は、「天が開け、神の天使たちが人の子(イエス様)の上を昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われます。これは、イエス・キリストこそ真の「天の門」だということです。イエス様はヨハネによる福音書10章で、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」と言われます。この真の天の門であるイエス様をしっかりと信じて、感謝をもって歩みたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。
「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(ヨハネ福音書1章49節)。
洗礼者ヨハネが、イエス様が自分の方に来られるのを見て、イエス様の本質を言い当てました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。その翌日、またヨハネは二人の弟子たちと一緒にいました。そして歩いておられるイエス様を見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言いました。イスラエルの荒れ野で人々に、自分の罪を悔い改めるように説教し、悔い改めの洗礼(バプテスマ)を施していたヨハネには、弟子たちがいました。ヨハネが「見よ、神の小羊だ」と言ったとき、ヨハネは二人の弟子たちと一緒にいました。そして二人の弟子たちはイエス様に従ったのです。ヨハネの弟子であることをやめて、イエス様の弟子になったのです。ヨハネは喜んで見送りました。彼らを自分の弟子のままにしておこうとは考えませんでした。イエス様の方がよりよい師匠なのですから、自分の弟子たちがイエス様の弟子になることをヨハネは喜んだのです。ヨハネは心の広い人でした。
(38節)「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。」「何を求めているのか」という問いは、深い問いです。私たちは、何を求めて生きているのでしょうか。イエス様に何を求めて生きているのでしょうか。日本人の年初めの願いは「家内安全、商売繁盛」かもしれません。「家内安全、商売繁盛」は人間の正直な願いですが、イエス様は私たちにこの願いを第一にもってほしいと思っておられるでしょうか。おそらく違うのではないでしょうか。私たちが本当に願い求めるべきことは何でしょうか。それは、「イエス様によりよく従うことができますように」、「神様と隣人をもっと愛することができますように」ということではないでしょうか。
旧約聖書に登場するソロモン王(ダビデ王の子)は、神様に「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたとき、次のように願いました。「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」神様は、ソロモンのこの願いをお喜びになり、言われました。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。」
そして、私たちが最も必要としていることは、罪の赦しです。神様は私たちに十戒という最も基本的な戒めを与えて下さいました。しかし私たちは、十戒の一つをさえ100%守ることができないのです。毎日十戒を守りきれないで生活しているのです。そのような私たちに最も必要なことは、罪の赦しです。神様によって罪を赦していただくことが、どうしても必要です。次のような祈りを聞いたことがあります。「主よ、与えて下さい。日毎のパンと罪の赦しを。」私たちに最も必要なことが、日毎のパンと罪の赦しであることが分かるのです。ですから私たちは、「主の祈り」でもこの2つを神様に求めます。「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。」「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ。」神様に罪を赦していただかなければ、私たちは天国に入ることができません。ですから、「我らの罪をも赦したまえ」の祈りはとても大切なのですね。私たちは毎日、比較的小さな罪(神様は「小さな罪ではない」とおっしゃるかもしれませんが)を犯していますから、毎日こう祈ることが必要です。しかし私たちは、切実に「我らの罪をも赦したまえ」と祈る気持ちになかなかならないのではないかと思います。それだけ自分の罪に気づくことに鈍いからです。 イエス様の「何を求めているのか」の御言葉から、私たちが本当に求めるべきものは何か、考えてみました。
イエス様に「何を求めているのか」と問われて、ヨハネの弟子たちは、「ラビ―『先生』という意味―どこに泊まっておられるのですか」と質問で答えました。イエス様は、「来なさい。そうすれば分かる」とお答えになりました。イエス様のもとに行けば、イエス様が何者かが分かる、イエス様の本質が分かるということと思います。イエス様の本質は神の子であり、世の罪を取り除く神の小羊であることです。そして彼らはイエス様について行き、どこにイエス様が泊まっておられるかを見ました。そしてその日は、イエス様のもとに泊まって、イエス様と共に過ごしたのです。そしてイエス様の本質を悟ることができたのです。38節と39節に、「泊まる」という言葉が3回出て参ります。「泊まる」はヨハネによる福音書で重要な言葉です。原語のギリシア語で、「メノー」という言葉です。「メノー」を「とどまる」と訳すこともできます。
この「メノー」は、ヨハネによる福音書15章に繰り返し出て参ります。そこでは「つながる」と訳されています。私たちにとって、イエス様にとどまり、イエス様につながることがどんなに大切かが分かります。イエス様がこうおっしゃっています。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」今の箇所に「つながる」(メノー)が8回も出て参ります。イエス様とつながっていることが、どんなに重要か分かります。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」イエス様につながっていれば、イエス様というぶどうの木から愛という養分を十分にいただくので、私たちぶどうの枝も、少しずつ愛を与える生き方をすることができるということです。先ほどの二人の弟子たちもイエス様のところに泊まり、イエス様の愛を豊かに受けました。そしてイエス様こそ神の子・救い主(メシア)であると悟ることができたのです。
40節で二人の弟子たちのうちの一人の名が示されます。「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。」アンデレはイエス様のもとに一晩泊まってイエス様の本質を深く悟り、喜びと興奮に満たされたでしょう。イエス様との出会いを兄弟シモンに、勇んで語るのです。(41節)「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシア―「油を注がれた者」という意味―に出会ったと言った。』」油とは、神様の聖なる香油です。旧約の時代、王・祭司・預言者という神様に奉仕する人々は、聖なる香油を注ぎかけられて職に任じられました。メシア・救い主は、その聖なる油を誰よりも多く注がれた方です。聖なる油は聖霊のシンボルです。メシアはヘブライ語であり、これをギリシア語に翻訳するとクリストスになります。クリストスが英語でクライストになり、日本語でキリストになりました。まさにイエス・キリストは、真の聖なる油である聖霊を、誰よりも濃厚に完璧に注がれている方です。
本日の旧約聖書・ダニエル書9章25節に、そのメシア「油を注がれた者」がイスラエルに現れることを予告する御言葉があります。アンデレもシモンも、この御言葉をよく知っていたでしょう。これは神様が天使ガブリエル(後にマリアに受胎を告知する天使ガブリエル)を通して、ダニエルという忠実な信仰者に語られた預言です。メシア「油を注がれた者」イエス様のことを預言しているのではないでしょうか。
「これを知り、目覚めよ。
エルサレム復興と再建についての/ 御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで/ 七週あり、また、六十二週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。/ その六十二週のあと油注がれた者は
不当に断たれ(イエス様の十字架の犠牲の死を指すのではないでしょうか)
都と聖所(神殿でしょう)は/ 次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり/ 終わりまで戦いが続き/ 荒廃は避けられない。
彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/ 半週でいけにえと献げ物を廃止する。
憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。
そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」 マタイによる福音書24章を読みながら解釈するなら、「都と聖所は/ 次に来る指導者の民によって荒らされる」は、ローマ軍の攻撃によってエルサレムの町と神殿 が破壊された紀元70年の出来事を指すと言えるでしょう。「七週」や「六十二週」が具体的 にどれほどの長さの時間を意味するのか興味が湧きますが、いろいろ説はあるでしょうが、私 には分かりません。とにかくこのダニエル書9章25節で、「油注がれた方」(メシア)の到 来が予告されていること、26節に「油注がれた者は/ 不当に断たれ」とあり、イエス様の 十字架の死が暗示(予告?)されていると思われることが大切と思います。
ヨハネによる福音書に戻り42節。「そして(アンデレは)、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ―「岩」という意味―と呼ぶことにする』と言われた。」こうしてアンデレとシモンはイエス様の弟子になりました。シモンには特に大きな使命が与えられました。まずケファ(岩)という名前が与えられました。ケファはヘブライ語・アラム語です。岩をギリシア語ではペトロと言います。それゆえ私たちは彼をシモン・ペトロと呼んでいます。シモンはイエス様が十字架におつきになるとき、イエス様を見捨てて逃げたのです。しかしイエス様はその罪を完全に赦して下さいました。シモンは立ち直り、初期の教会の岩のような存在になりました。イエス様は、マタイによる福音書16章18節でシモンに、「あなたはペトロ(岩)、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」とおっしゃっています。
次の日、イエス様はさらに二人の人を弟子になさいます。(43~44節)「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい』と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、べトサイダの出身であった。」フィリポは、イエス様が救い主であることをすぐに悟り、イエス様の弟子になる決断をしたようです。フィリポはナタナエルに出会い、確信を込めて語ったのです。(45節)「フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』」「預言者たちも書いている」とは、たとえばイザヤ書53章です。「見るべき面影はなく/ 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。/ 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/ 多くの痛みを負い、病を知っている」と、十字架のイエス様が預言されています。ナタナエルはすぐには信じません。「ナザレから何かよいものが出るだろうか。」ガリラヤのナザレは、イエス様がお育ちになった土地です。ただ、ナザレは旧約聖書の中に一回も登場しません。それで軽く見られていた町だったようです。人々が関心を持たず、もしかすると馬鹿にし、無視していた町だったかもしれません。しかし神様は、むしろいと小さきものを愛し、私たちが無視し軽んじているものに、進んで目を留め、心にかけて下さる方です。ですから私たちはよく注意して、何をも軽んじないように気をつける必要があります。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」これはナタナエルの色めがね・偏見です。ナザレから最高の方が出られます。救い主イエス様が出られるのです。
ナタナエルは、「来て、見なさい」というフィリポに素直について行きます。そして偏見から解放されます。イエス様は、ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、ナタナエルをほめて言われました。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」私たちもイエス様に「この人には偽りがない」と言っていただければ、最高の幸せです。そのような生き方をしたいものです。ナタナエルは、初めて会うのに、イエス様が自分のことをよく知っておられるのを感じて、驚いて尋ねます。「どうしてわたしを知っておられるのですか。」するとイエス様は、踏み込んで言われます。「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た。」イスラエルのいちじくの木は、非常な大木になるそうです。イエス様の時代、いちじくの木陰で、律法(モーセの十戒などの神の御言葉)の教師たちが弟子を教えたそうです。ナタナエルも、いちじくの木陰で、熱心に律法を学んだと思われます。イエス様はそれを知っていると語られたのです。イエス様は前から、最初の最初から(ナタナエルが生まれる前から)ナタナエルのことを全てご存じなのです。イエス様は、私たち一人一人のことをも、最初の最初から全てご存じです。私たち自身以上に、私たちのことをご存じです。神様は(イエス様は)私たち自身が知らない私たちの髪の毛の本数までも、正確にご存じです。
私は、詩編139編1~4節を思い起こします。
「主よ、あなたはわたしを究め/ わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り/ 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け/ わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに/ 主よ、あなたはすべてを知っておられる。」
ナタナエルは、イエス様が自分のすべてを知っておられることに感嘆して、告白します。「ラビ(先生)、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(50節)「イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』」 「もっと偉大なこと」とは、イエス様が私たち皆の罪を背負って十字架で死んで下さる偉大な贖いと、三日目の復活ではないかと思います。
(51節)「さらに言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子(イエス様)の上を昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」 これは創世記28章のエピソードに基づいて語られています。イスラエルの先祖の一人ヤコブの若い日の出来事です。ヤコブは兄エサウをだましたためにエサウの怒りを買い、故郷カナンから逃げ出すことになります。逃亡中のヤコブは、ある場所で夜に夢を見ました。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていたのです。その時、神様ご自身がヤコブの傍らに立って語られたのです。眠りから覚めたヤコブは、「ここは何と畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」イエス様は、「天が開け、神の天使たちが人の子(イエス様)の上を昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われます。これは、イエス・キリストこそ真の「天の門」だということです。イエス様はヨハネによる福音書10章で、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」と言われます。この真の天の門であるイエス様をしっかりと信じて、感謝をもって歩みたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。
2015-05-04 23:58:39(月)
「世の罪を取り除く神の小羊」 2015年5月3日(日) 復活節第5主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書40章1~8節、ヨハネによる福音書1章19~34節
「『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(ヨハネ福音書1章29節)。
イスラエルの荒れ野に、洗礼者ヨハネが現れました。そして人々に、神様の前に自分の罪を悔い改めなさいとメッセージを語り、悔い改めの洗礼を施し始めたのです。イエス様も身を低くして、ヨハネから洗礼をお受けになったのです。ヨハネの働きはイスラエル全土の人々の注目を集めました。ある人々は、このヨハネこそ、イスラエル民族が約千年も待ち望んでいたメシア・救い主ではなかろうかと話し合ったのです。ヨハネがメシアかどうかを確かめるために、ユダヤ人たちは祭司やレビ人をヨハネのもとに派遣しました。ヨハネによる福音書は、「ユダヤ人」という言葉をよく用います。その場合の「ユダヤ人」という言葉は、直接ユダヤ民族の一人一人を指すのではなく、世の中の罪の象徴、神様に逆らう勢力のシンボルの意味で用いられています。このことをよく気をつける必要があります。そうしないと、私たちが「ユダヤ人は皆悪人だ」と誤解してしまう恐れがあります。
1章19節の冒頭。「さて、ヨハネの証しはこうである。」証しとは証言です。日本人が日常生活であまり使わない言葉です。法廷用語です。証言は嘘偽りであってはならず、真実でなければなりません。モーセの十戒の第九の戒めは「隣人に関して偽証してはならない」です。偽りの証言をしてはならないのです。証言は真実でなければなりません。ヨハネは清く正しい人物です。ですからその証言はもちろん真実であり、100%信用できます。そのヨハネが、自分が誰であるかを尋ねられ、証ししている・証言しているのがこの場面です。(19~20節)「さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、『あなたはどなたですか』と質問させたとき、彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表した。」ここを直訳すると、「彼は告白して否定せず、『わたしはキリストではない』と告白した」となり、「告白」という言葉が二度用いられています。告白という言葉は、キリスト教会にとって重要です。私たちは毎週の礼拝で使徒信条により信仰告白を致します。信仰告白は公にすることが大切です。本日の礼拝では、「日本基督教団信仰告白」により信仰告白を致します。教会は信仰告白に命を賭ける「神の家族」です。毎週日曜日ごとに、命を賭けて真の神様を礼拝する「神の家族」が教会です。
ヨハネは真剣に告白して言いました。「わたしはメシアではない。」そこで質問が続きます。(21節)「彼らがまた、『では何ですか。あなたはエリヤですか。』」エリヤは旧約聖書の偉大な預言者で、イスラエルの偶像崇拝の罪と戦った人です。エリヤについて、旧約の最後の書マラキ書3章23節に、こう書かれています。「見よ、わたし(神様)は/ 大いなる恐るべき主の日(神様が世を裁く日)が来る前に/ 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」そこでイスラエルの人々は、預言者エリヤがメシア的な存在として再来すると信じていました。しかしヨハネは「違う」と答えます。但しほかの福音書では、ヨハネは再来のエリヤであると書かれているので、ヨハネのこの答えは理解に苦しむところです。イスラエルの人々が再来のエリヤをメシア的な存在と信じていたので、ヨハネは、自分は再来のエリヤだが、メシア的な存在ではない、と言いたかったのかもしれません。ヨハネはメシアではありませんから。
人々がさらに、「あなたはあの預言者なのですか」と尋ねるとヨハネは、「そうではない」と答えました。「あの預言者」については、出エジプトのリーダー・モーセが、イスラエルの民に申命記18章15節で、こう述べています。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」「わたしのような預言者」、「モーセのような預言者」、それはイエス・キリストです。ヨハネは、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねられて、「そうではない」と否定しました。
(22~23節)「そこで、彼らは言った。『それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。』ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。』」ヨハネは言うのです。「わたしは声である。荒れ野で叫ぶ声である。メシアではない。わたしは神のメッセージを伝える声である。」
「主の道をまっすぐにせよ。」これは本日の旧約聖書・イザヤ書40章3節の引用です。そこにはこうあります。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/ わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」ヨハネは、神の子イエス様がイスラエルにおいでになるための、道備えをするために生まれたのです。イスラエルの人々が自分の罪を悔い改め、真の救い主を受け入れるにふさわしい民になるように導く。そして真の救い主がおいでになるとき働きやすいように、人々が神様に素直に従う気持ちになるように、人々の心を耕しておく。神様はこの使命をヨハネに与えられました。ヨハネは人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説教したのです。
それより約1500年後、1517年のドイツでも、同じ主旨の声が文章に書かれて広がったのです。それを書いて貼り出したのはマルティン・ルターです。ルターは95ヶ条の信仰上の主張を城の教会の門に貼り出しました。その第一条はこうです。「われわれの主であり、師であるイエス・キリストは『悔い改めよ』などと言われたことによって、信徒の全生涯が悔い改めであることを求められたのである。」これは真理の声です。この声によって宗教改革が始まりました。ルターの声も洗礼者ヨハネの声と同じく、「荒れ野で叫ぶ者の声」となったのです。私たち罪人は、残念ながら毎日罪を犯していますから、毎日悔い改めることが必要です。
遣わされた祭司やレビ人たちはファリサイ派に属していました。(25節)「彼らはヨハネに尋ねて、『あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼(バプテスマ)を授けるのですか』と言うと、ヨハネは答えた。『わたしは水で洗礼(バプテスマ)を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。』」 履物のひもを解くことは、当時の奴隷の仕事でした。ヨハネによる福音書13章に、イエス様が弟子たちの足を洗われる場面があり、足を洗うことも当時の奴隷の仕事でした。ヨハネは、偉大な謙遜に生きるイエス様を深く深く尊敬し、自分はイエス様の奴隷にならせていただく値打ちもない者だ、と告白したのです。
「謙遜とは、自分を無理にへりくだらせることではない」という文章を読んだことがあります。自分のありのままの姿(特にありのままの心の姿)をごまかさないで直視すれば、誰しもイエス様に比べて自分がいかに罪深いか、よく分かるのです。私がいかにずるくて愛がなく、自分勝手であるか、イエス様と比べてみれば、よく分かります。無理にへりくだらなくても、ありのままの自分をごまかさないで直視すれば、自分の罪深さが分かるので、「私は罪人です」と告白しないわけにはゆかないのです。ヨハネは清く生きる人でしたが、それでもイエス様に比べれば、自分に罪があり、愛もずっと少ない者であることを痛感していたでしょう。それで、「わたしはその履物のひもを解く資格もない」と自分の小ささを告白したのです。これはヨハネの本心です。
聖書に登場する人々は、神様の愛と清さを知るに従って、次第に謙遜な人に変えられてゆくようです。たとえば、若いときずる賢かったヤコブは、神様の恵みによって多くの家族と財産をもって故郷カナンの地に帰るとき、こう祈りました。「わたしは、あなた(神様)が僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。」旧約の民数記は、出エジプトのリーダー・モーセについて、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」と書いています。ダビデは、大きな罪を犯して神様に厳しく懲らしめられたとき、次のような告白に導かれました。「あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。/ あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/ 御目に悪事と見られることをしました。/ あなたの言われることは正しく/ あなたの裁きに誤りはありません」(詩編51編5~6節)。
使徒パウロも、復活のイエス様に出会った後に謙遜な人になりました。パウロは、使徒言行録20章で、「自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」と述べています。コリントの信徒への手紙(一)15章では、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と告白しています。エフェソの信徒への手紙3章では自分のことを、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたし」と語っています。テモテへの手紙(一)1章では、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」と告白しています。これは口語訳では、「わたしは、その罪人の頭なのである」という印象的な言葉になっています。「罪人の頭。」パウロは若い時はクリスチャン迫害の先頭に立っていたので、復活のイエス様に出会い、悔い改めてすべての罪を許された後も、自分こそ罪人の頭である、世界で自分ほど深い罪を犯した者はいないと心底信じていたのです。私たちも、自分が生まれてから今まで犯して来た罪をすべてリストアップするなら、「自分こそ罪人の頭である」と感じるのではないでしょうか。
初期の教会の指導者の一人アウグスティヌスは、信仰の道は「一に謙遜、二に謙遜」と説いたと聞いたことがあります。中世のクリスチャンで、『キリストにならいて』という有名な本を書いたトマス・ア・ケンピスという人は、ひたすら信仰の道を生き、こう書いているそうです。「自分自身を正しく知り、自分を取るに足らない者と思うことを学ぶことは、最も高く、最も有益な課題である。自分自身を取るに足らない者と思い、それに対して、常に他者の長所を考えることは、大きな知恵であり、完成である」(ボンへッファー著・森野善右衛門訳『共に生きる生活』新教出版社、1991年、92ページ)。 「もしあなたが、自分はほかのすべての人よりも小さいことを深く感じないなら、あなたは聖化のわざにおいて一歩前進したと信じてはならない」(同書、94ページ)。
進んで29節「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」これはイエス様の本質を言い当てた言葉です。私たちは出エジプト直前の出来事を思い起こします。神様は予めイスラエルの民にこう指示なさっていたのです。「今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が小人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊で山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。~その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」
神様はこの通りに行われました。小羊を屠り、その血を入り口の二本の柱と鴨居に塗ったイスラエル人の家の上は、神様の裁きが通り過ぎました。小羊の血をどこにも塗っていなかったエジプト人の家には、例外なく神様の裁きが下ったのです。イスラエルの民は小羊の犠牲の血によって救われました。ヨハネはイエス様を見て言います。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。イエス様こそ真の過越の小羊です。イエス様は十字架にかかって清い血潮を流されます。イスラエル人だけでなく、世界のすべての人のすべての罪を身代わりに背負って、十字架で清い血を流し、死んで下さいました。そして三日目に復活されました。イエス様こそ、真の過越の小羊です。ヨハネはそう語っているのです。真の過越の小羊イエス様の尊い救いの血潮を、私たちは間もなく聖餐式でいただくのです。
イエス様の十字架の贖いの死・犠牲の死を予告するイザヤ書53章の7節にも、救い主を小羊と結びつける言葉があります。「苦役を課せられて、かがみ込み/ 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/ 毛を切る者の前に物を言わない羊のように/ 彼は口を開かなかった。/ 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。」 聖書の最後の書・ヨハネの黙示録にも小羊が登場する場面があります。5章6節です。「わたし(黙示録を書いたヨハネ)はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。」「屠られたような小羊」は、十字架で死なれたイエス様です。小羊が立っていたことは、イエス様が死から復活なさって立っておられることを表します。
ヨハネによる福音書に戻り、30節のヨハネの言葉。「『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」イエス様は、ヨハネよりも先におられた方。それどころか、この世界が造られる前から生きておられた方なのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」天地創造の前の初めから生きておられる神にして神の子、それがイエス・キリストです。 ヨハネはさらに言います。「この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼(バプテスマ)を授けに来た。」ヨハネはイエス様の露払い役です。イエス様はヨハネより優れた洗礼、「聖霊による洗礼」を授ける方です。キリスト教会が執り行う洗礼式も、イエス様によって託されて行う洗礼ですから、本質は「聖霊による洗礼」です。
(32~34節)「そしてヨハネは証しした。『わたしは、霊(聖霊)が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方(父なる神様)が、「霊(聖霊)が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。わたしはそれを見た。』」 それはイエス様がヨハネから洗礼をお受けになったときに起こった出来事です。「『だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。』」
イエス・キリストこそ神の子である。これが洗礼者ヨハネの信仰告白であり、私たちキリスト教会の永遠に変わらない信仰告白です。教会はこの信仰告白に命を懸ける群れです。教会はイエス様への愛に命を懸ける群れです。この信仰告白が困難になる時代があります。1934年頃、ドイツではヒットラーに率いられたナチスが、国の支配を固めつつありました。ナチスは旧約聖書以来の神の民であるユダヤ人を大勢殺害し、ドイツ人こそ最も優秀であるとする極端な愛国主義、民族主義に凝り固まり、教会をも支配下に置こうとしました。イエス・キリストに従うのではなく、ヒットラーに従う教会にならせようとしました。それに飼い馴らされてしまった教会もあったようです。しかしそれに抵抗する教会が、教派を超えて告白教会と呼ばれる共同体を作ったそうです。この人々が、1934年にバルメン宣言と呼ばれる宣言を公にし、自分たちの信仰の立場を明らかにしました。ヒットラーとナチスに服従する教会ではなく、イエス・キリストにのみひたすら服従する教会であり続けることを宣言したのです。
そのバルメン宣言の第一項は、次のような宣言です。「『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』(ヨハネ14:6)。『よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしよりも前に来た人は、みな盗人であり、強盗である。…わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ…る』(ヨハネ10:7、9)。聖書において我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。」この告白に命を懸けて生きることを明らかにしたのです。その結果、ナチスに殺され殉教する牧師も出ました。
「イエス・キリストこそ神の子である。ほかにはいない。」私たちもこの信仰告白に命を懸ける者です。イエス・キリストを愛し、「あなただけが私たちのために十字架で死なれ、復活された神の子です」と告白する礼拝を、毎日曜日に全力で献げているのです。生きる限り献げます。地上の人生が終われば、天国で永遠に同じ礼拝を献げ続けます。礼拝こそ、私たちの最高の幸せです。アーメン(「真実に、確かに」)。
「『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(ヨハネ福音書1章29節)。
イスラエルの荒れ野に、洗礼者ヨハネが現れました。そして人々に、神様の前に自分の罪を悔い改めなさいとメッセージを語り、悔い改めの洗礼を施し始めたのです。イエス様も身を低くして、ヨハネから洗礼をお受けになったのです。ヨハネの働きはイスラエル全土の人々の注目を集めました。ある人々は、このヨハネこそ、イスラエル民族が約千年も待ち望んでいたメシア・救い主ではなかろうかと話し合ったのです。ヨハネがメシアかどうかを確かめるために、ユダヤ人たちは祭司やレビ人をヨハネのもとに派遣しました。ヨハネによる福音書は、「ユダヤ人」という言葉をよく用います。その場合の「ユダヤ人」という言葉は、直接ユダヤ民族の一人一人を指すのではなく、世の中の罪の象徴、神様に逆らう勢力のシンボルの意味で用いられています。このことをよく気をつける必要があります。そうしないと、私たちが「ユダヤ人は皆悪人だ」と誤解してしまう恐れがあります。
1章19節の冒頭。「さて、ヨハネの証しはこうである。」証しとは証言です。日本人が日常生活であまり使わない言葉です。法廷用語です。証言は嘘偽りであってはならず、真実でなければなりません。モーセの十戒の第九の戒めは「隣人に関して偽証してはならない」です。偽りの証言をしてはならないのです。証言は真実でなければなりません。ヨハネは清く正しい人物です。ですからその証言はもちろん真実であり、100%信用できます。そのヨハネが、自分が誰であるかを尋ねられ、証ししている・証言しているのがこの場面です。(19~20節)「さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、『あなたはどなたですか』と質問させたとき、彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表した。」ここを直訳すると、「彼は告白して否定せず、『わたしはキリストではない』と告白した」となり、「告白」という言葉が二度用いられています。告白という言葉は、キリスト教会にとって重要です。私たちは毎週の礼拝で使徒信条により信仰告白を致します。信仰告白は公にすることが大切です。本日の礼拝では、「日本基督教団信仰告白」により信仰告白を致します。教会は信仰告白に命を賭ける「神の家族」です。毎週日曜日ごとに、命を賭けて真の神様を礼拝する「神の家族」が教会です。
ヨハネは真剣に告白して言いました。「わたしはメシアではない。」そこで質問が続きます。(21節)「彼らがまた、『では何ですか。あなたはエリヤですか。』」エリヤは旧約聖書の偉大な預言者で、イスラエルの偶像崇拝の罪と戦った人です。エリヤについて、旧約の最後の書マラキ書3章23節に、こう書かれています。「見よ、わたし(神様)は/ 大いなる恐るべき主の日(神様が世を裁く日)が来る前に/ 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」そこでイスラエルの人々は、預言者エリヤがメシア的な存在として再来すると信じていました。しかしヨハネは「違う」と答えます。但しほかの福音書では、ヨハネは再来のエリヤであると書かれているので、ヨハネのこの答えは理解に苦しむところです。イスラエルの人々が再来のエリヤをメシア的な存在と信じていたので、ヨハネは、自分は再来のエリヤだが、メシア的な存在ではない、と言いたかったのかもしれません。ヨハネはメシアではありませんから。
人々がさらに、「あなたはあの預言者なのですか」と尋ねるとヨハネは、「そうではない」と答えました。「あの預言者」については、出エジプトのリーダー・モーセが、イスラエルの民に申命記18章15節で、こう述べています。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」「わたしのような預言者」、「モーセのような預言者」、それはイエス・キリストです。ヨハネは、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねられて、「そうではない」と否定しました。
(22~23節)「そこで、彼らは言った。『それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。』ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。』」ヨハネは言うのです。「わたしは声である。荒れ野で叫ぶ声である。メシアではない。わたしは神のメッセージを伝える声である。」
「主の道をまっすぐにせよ。」これは本日の旧約聖書・イザヤ書40章3節の引用です。そこにはこうあります。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/ わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」ヨハネは、神の子イエス様がイスラエルにおいでになるための、道備えをするために生まれたのです。イスラエルの人々が自分の罪を悔い改め、真の救い主を受け入れるにふさわしい民になるように導く。そして真の救い主がおいでになるとき働きやすいように、人々が神様に素直に従う気持ちになるように、人々の心を耕しておく。神様はこの使命をヨハネに与えられました。ヨハネは人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説教したのです。
それより約1500年後、1517年のドイツでも、同じ主旨の声が文章に書かれて広がったのです。それを書いて貼り出したのはマルティン・ルターです。ルターは95ヶ条の信仰上の主張を城の教会の門に貼り出しました。その第一条はこうです。「われわれの主であり、師であるイエス・キリストは『悔い改めよ』などと言われたことによって、信徒の全生涯が悔い改めであることを求められたのである。」これは真理の声です。この声によって宗教改革が始まりました。ルターの声も洗礼者ヨハネの声と同じく、「荒れ野で叫ぶ者の声」となったのです。私たち罪人は、残念ながら毎日罪を犯していますから、毎日悔い改めることが必要です。
遣わされた祭司やレビ人たちはファリサイ派に属していました。(25節)「彼らはヨハネに尋ねて、『あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼(バプテスマ)を授けるのですか』と言うと、ヨハネは答えた。『わたしは水で洗礼(バプテスマ)を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。』」 履物のひもを解くことは、当時の奴隷の仕事でした。ヨハネによる福音書13章に、イエス様が弟子たちの足を洗われる場面があり、足を洗うことも当時の奴隷の仕事でした。ヨハネは、偉大な謙遜に生きるイエス様を深く深く尊敬し、自分はイエス様の奴隷にならせていただく値打ちもない者だ、と告白したのです。
「謙遜とは、自分を無理にへりくだらせることではない」という文章を読んだことがあります。自分のありのままの姿(特にありのままの心の姿)をごまかさないで直視すれば、誰しもイエス様に比べて自分がいかに罪深いか、よく分かるのです。私がいかにずるくて愛がなく、自分勝手であるか、イエス様と比べてみれば、よく分かります。無理にへりくだらなくても、ありのままの自分をごまかさないで直視すれば、自分の罪深さが分かるので、「私は罪人です」と告白しないわけにはゆかないのです。ヨハネは清く生きる人でしたが、それでもイエス様に比べれば、自分に罪があり、愛もずっと少ない者であることを痛感していたでしょう。それで、「わたしはその履物のひもを解く資格もない」と自分の小ささを告白したのです。これはヨハネの本心です。
聖書に登場する人々は、神様の愛と清さを知るに従って、次第に謙遜な人に変えられてゆくようです。たとえば、若いときずる賢かったヤコブは、神様の恵みによって多くの家族と財産をもって故郷カナンの地に帰るとき、こう祈りました。「わたしは、あなた(神様)が僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。」旧約の民数記は、出エジプトのリーダー・モーセについて、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」と書いています。ダビデは、大きな罪を犯して神様に厳しく懲らしめられたとき、次のような告白に導かれました。「あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。/ あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/ 御目に悪事と見られることをしました。/ あなたの言われることは正しく/ あなたの裁きに誤りはありません」(詩編51編5~6節)。
使徒パウロも、復活のイエス様に出会った後に謙遜な人になりました。パウロは、使徒言行録20章で、「自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」と述べています。コリントの信徒への手紙(一)15章では、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と告白しています。エフェソの信徒への手紙3章では自分のことを、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたし」と語っています。テモテへの手紙(一)1章では、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」と告白しています。これは口語訳では、「わたしは、その罪人の頭なのである」という印象的な言葉になっています。「罪人の頭。」パウロは若い時はクリスチャン迫害の先頭に立っていたので、復活のイエス様に出会い、悔い改めてすべての罪を許された後も、自分こそ罪人の頭である、世界で自分ほど深い罪を犯した者はいないと心底信じていたのです。私たちも、自分が生まれてから今まで犯して来た罪をすべてリストアップするなら、「自分こそ罪人の頭である」と感じるのではないでしょうか。
初期の教会の指導者の一人アウグスティヌスは、信仰の道は「一に謙遜、二に謙遜」と説いたと聞いたことがあります。中世のクリスチャンで、『キリストにならいて』という有名な本を書いたトマス・ア・ケンピスという人は、ひたすら信仰の道を生き、こう書いているそうです。「自分自身を正しく知り、自分を取るに足らない者と思うことを学ぶことは、最も高く、最も有益な課題である。自分自身を取るに足らない者と思い、それに対して、常に他者の長所を考えることは、大きな知恵であり、完成である」(ボンへッファー著・森野善右衛門訳『共に生きる生活』新教出版社、1991年、92ページ)。 「もしあなたが、自分はほかのすべての人よりも小さいことを深く感じないなら、あなたは聖化のわざにおいて一歩前進したと信じてはならない」(同書、94ページ)。
進んで29節「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」これはイエス様の本質を言い当てた言葉です。私たちは出エジプト直前の出来事を思い起こします。神様は予めイスラエルの民にこう指示なさっていたのです。「今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が小人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊で山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。~その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」
神様はこの通りに行われました。小羊を屠り、その血を入り口の二本の柱と鴨居に塗ったイスラエル人の家の上は、神様の裁きが通り過ぎました。小羊の血をどこにも塗っていなかったエジプト人の家には、例外なく神様の裁きが下ったのです。イスラエルの民は小羊の犠牲の血によって救われました。ヨハネはイエス様を見て言います。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。イエス様こそ真の過越の小羊です。イエス様は十字架にかかって清い血潮を流されます。イスラエル人だけでなく、世界のすべての人のすべての罪を身代わりに背負って、十字架で清い血を流し、死んで下さいました。そして三日目に復活されました。イエス様こそ、真の過越の小羊です。ヨハネはそう語っているのです。真の過越の小羊イエス様の尊い救いの血潮を、私たちは間もなく聖餐式でいただくのです。
イエス様の十字架の贖いの死・犠牲の死を予告するイザヤ書53章の7節にも、救い主を小羊と結びつける言葉があります。「苦役を課せられて、かがみ込み/ 彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/ 毛を切る者の前に物を言わない羊のように/ 彼は口を開かなかった。/ 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。」 聖書の最後の書・ヨハネの黙示録にも小羊が登場する場面があります。5章6節です。「わたし(黙示録を書いたヨハネ)はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。」「屠られたような小羊」は、十字架で死なれたイエス様です。小羊が立っていたことは、イエス様が死から復活なさって立っておられることを表します。
ヨハネによる福音書に戻り、30節のヨハネの言葉。「『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」イエス様は、ヨハネよりも先におられた方。それどころか、この世界が造られる前から生きておられた方なのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」天地創造の前の初めから生きておられる神にして神の子、それがイエス・キリストです。 ヨハネはさらに言います。「この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼(バプテスマ)を授けに来た。」ヨハネはイエス様の露払い役です。イエス様はヨハネより優れた洗礼、「聖霊による洗礼」を授ける方です。キリスト教会が執り行う洗礼式も、イエス様によって託されて行う洗礼ですから、本質は「聖霊による洗礼」です。
(32~34節)「そしてヨハネは証しした。『わたしは、霊(聖霊)が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方(父なる神様)が、「霊(聖霊)が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。わたしはそれを見た。』」 それはイエス様がヨハネから洗礼をお受けになったときに起こった出来事です。「『だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。』」
イエス・キリストこそ神の子である。これが洗礼者ヨハネの信仰告白であり、私たちキリスト教会の永遠に変わらない信仰告白です。教会はこの信仰告白に命を懸ける群れです。教会はイエス様への愛に命を懸ける群れです。この信仰告白が困難になる時代があります。1934年頃、ドイツではヒットラーに率いられたナチスが、国の支配を固めつつありました。ナチスは旧約聖書以来の神の民であるユダヤ人を大勢殺害し、ドイツ人こそ最も優秀であるとする極端な愛国主義、民族主義に凝り固まり、教会をも支配下に置こうとしました。イエス・キリストに従うのではなく、ヒットラーに従う教会にならせようとしました。それに飼い馴らされてしまった教会もあったようです。しかしそれに抵抗する教会が、教派を超えて告白教会と呼ばれる共同体を作ったそうです。この人々が、1934年にバルメン宣言と呼ばれる宣言を公にし、自分たちの信仰の立場を明らかにしました。ヒットラーとナチスに服従する教会ではなく、イエス・キリストにのみひたすら服従する教会であり続けることを宣言したのです。
そのバルメン宣言の第一項は、次のような宣言です。「『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』(ヨハネ14:6)。『よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしよりも前に来た人は、みな盗人であり、強盗である。…わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ…る』(ヨハネ10:7、9)。聖書において我々に証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。」この告白に命を懸けて生きることを明らかにしたのです。その結果、ナチスに殺され殉教する牧師も出ました。
「イエス・キリストこそ神の子である。ほかにはいない。」私たちもこの信仰告白に命を懸ける者です。イエス・キリストを愛し、「あなただけが私たちのために十字架で死なれ、復活された神の子です」と告白する礼拝を、毎日曜日に全力で献げているのです。生きる限り献げます。地上の人生が終われば、天国で永遠に同じ礼拝を献げ続けます。礼拝こそ、私たちの最高の幸せです。アーメン(「真実に、確かに」)。
2015-04-29 20:11:51(水)
「滅びることのない神の栄光」 2015年4月26日(日) 復活節第4主日礼拝説教
朗読聖書:詩編19編2~7節、ローマの信徒への手紙1章18~32節
「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマ書1章20節)。
「人類の罪」の小見出しが掲げられています。人類と書いてありますが、基本的に旧約聖書の神の民イスラエル人でない人々、異邦人を指しています。異邦人の偶像崇拝の罪を告発していると読むことができます。(18節)「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」 イスラエルの民も偶像崇拝の罪を犯しました。先週の礼拝で読んだ出エジプト記32章がまさにイスラエルの民の露骨な偶像崇拝の罪を語っていました。モーセがシナイ山からなかなか下りて来ないことを理由に、モーセの兄アロンがイスラエルの民の要求に屈して、のみで型を作り、若い雄牛の金の鋳像を作ったのです。イスラエルの民は偶像を作り、それを礼拝し、性的にも堕落したのです」と書かれています。十戒の第一の戒めと第二の戒めを破ったのです。それに対して、神様の激しい怒りが示されました。
異邦人も盛んに偶像崇拝の罪を犯して参りました。偽物の神を礼拝することが偶像崇拝です。それは真の神様への侮辱です。たとえば日本には馬頭観音という像があります。この近くの飯能にもあるようです。馬を拝むのです。きっと馬が生活を非常に助ける存在だったのでしょう。しかし馬は神様ではありません。インドでは牛を聖なる動物として拝むと聞きます。古代エジプトでは、犬が神として崇められたと聞きます。人間は目に見えるものを拝みたくなるようです。それを悪いとも思わないのです。私たちは聖書を読んで初めて、偶像崇拝の罪を知るのではないでしょうか。私はそうでした。
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」神様は燃える愛で真剣にイスラエルの民を愛され、私たちを愛しておられます。燃える愛で真剣に愛しておられるのです。ですから私たちが神様を裏切って、偶像を礼拝することは、神様にとって非常な悲しみです。真剣に愛しておられるので、罪に対して真剣に怒られます。神様の怒りは完全に正当な怒り、聖なる怒りです。私たち人間の怒りには罪・わがままが含まれていますから、完全に正しい怒りではありません。不純な部分があるのです。しかし神様の怒りは、完全に正しい怒り、正義の怒り、聖なる怒りです。詩編90編12節の御言葉を思い出します。「あなた(神様)を畏れ敬うにつれて/ あなたの憤りをも知ることでしょう。」私たちの罪に対する、神様の憤り・怒りです。
(18~20節)「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼ら(異邦人)にも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼ら(異邦人)には弁解の余地がありません。」神様が天地創造をなさったときから、目に見えない神様の聖なるご性質は、被造物(神様に造られたもの)・自然界に現れている、そうパウロは書きます。神様がお造りになった自然界・宇宙のすばらしさを見れば、それによって神様の聖なるご性質と永遠の力を知ることができる、というのです。
長崎で被爆されたクリスチャン医師に永井隆という方がおられました。私は最近、テーィンエージャー向けに書かれた永井先生を紹介する本を読みました。医師として尿石という腎臓や膀胱にできる石の研究のしている時の、弟子の学生と永井先生の会話が書かれています。尿石を顕微鏡で見ると、美しい結晶が観察されたのです。
弟子「尿石の第四十号のラウエ斑点はきれいですね、先生。」
永井先生「きれいだね。単結晶のかなり大きいのができているんだ。」
弟子「あんな美しい結晶配列を見ると、何か神秘的な感じに打たれます。尿石といったら、何の役にも立たない石です。その石の中にさえ、あんな整然とした結晶配列がある。実に宇宙というものは、隅から隅まで、こまやかな秩序がゆきわたっているものだなあ!」(片山はるひ『永井 隆 原爆の荒野から世界に「平和を」』日本キリスト教団出版局、2015年、52ページ)。
永井先生は、「科学の道を究めれば究めるほど」、「この世界が偶然にできたものではないこと、このすばらしい秩序をつくった創造主である神がおられることへの確信を深めて」(同書、同ページ)ゆかれたのです。まさに、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」です。「従って、彼ら(異邦人)には弁解の余地がありません。」 パウロは言うのです。「異邦人も、自分たちは真の神を知らないから偶像崇拝などの罪を犯しても自分たちの責任ではない、という弁解はできない。この自然界が、神様の聖なるご性質をはっきり示しているのだから」と。
使徒言行録14章を見ると、パウロが真の神様を知らない小アジアのリストラという町の人々に、このように説教しています。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてそこにあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」神様はこのような形で、異邦人にも、真の神様の存在を示して来られたのです。
ローマの信徒への手紙に戻り、21節「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」 神様を知りながら、当然神様に献げるべき礼拝と感謝を怠り、罪深い思いに沈み込んだ、という意味でしょう。(22~23節)「自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」「知恵があると吹聴しながら愚かになる。」原発もそうかもしれませんね。豊かな生活を産み出しましたが、その一方で発生する核廃棄物を処理する方法が、はっきり決まらないままに運転して来ました。人間の欲望を満たすことばかり続ければ、地球が破綻することが見えています。ここで本当に賢くなってエネルギー消費を減らし、謙虚な生き方に転換しなければなりません。聖書の御言葉(偶像ではない、真の神様の御言葉)に従い続けることで、私どもは、神様の御心に従う賢い生き方へと導かれます。本日の説教題を「滅びることのない神の栄光」と致しました。この神様のみを礼拝し、この神様に聴き従い続けたいのです。それ以外のものを拝むことは、偽物を拝むことです。偽物は、私たちを間違った方向に導き、滅びへと導きます。
真の神様を礼拝し、その御言葉に聴き従い続ける生き方は、マタイによる福音書7章のイエス様の御言葉を借りれば、「狭い門から入る」生き方です。しかしイエス様は言われます。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命(永遠の命)に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」偽物の神々の方が一見魅力的かもしれないのです。しかしそれに惑わされないで、真の神様のみを礼拝し、その御言葉に聴き従い続けたいのです。本日のローマの信徒への手紙の前半でパウロは、異邦人の偶像崇拝の罪を、以上のように告発しています。
(24~25節)「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られたものを拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です。アーメン。」 神様は、異邦人を不潔なことをするにまかせられた。これが最も厳しい裁きです。間違ったことをしても注意しないで、罪を犯すままに任せる。自由放任する。それは見放したことです。「注意されるうちが花」なのです。間違ったことをしても注意してもらえない、叱ってもらえない。これは見放されたことを意味し、最も厳しい裁きです。「自由にしなさい。好きにしなさい」と放り捨てられたことです。神様はイスラエルの民には、神様の聖なるご意志を示す十戒を与えられました。ですからイスラエルの民は幸せなのです。十戒を守らない場合には、裁かれました。イスラエルの民は、歴史の中で、十戒などの律法によって神様に鍛えられたのです。裁きをも含めて神様の愛だったとさえ言えます。異邦人に不幸な点があるとすれば、十戒を与えられなかったことではないでしょうか。神様の聖なるご意志を教えられていない。偶像崇拝が罪であることすら知らない。真理について無知である。これは不幸です。
私たち人間は、束縛を嫌い、自由を好みます。しかし自由を正しく使うことは難しいのです。自由を与えられても罪を犯さず、自分から進んで神様の意志に従って正しく生きることが望ましいことです。しかし私たちは自由を与えられると、義務や責任を忘れ、身勝手になり、楽で安易な道を選び、罪に落ち込んでしまいやすいのです。自由を与えられても、義務や責任を果たし、自分の意志で神様の御心に進んで従う人になることが、成熟したクリスチャンへの道です。しかし異邦人は、聖なる十戒・律法を与えられていなかった自由の中で、勝手気ままに生きて、罪へと堕落したとパウロは告発します。その根源こそ、真の神様を礼拝しない偶像崇拝の罪であると言っているようです。「もし神がおられなければ、どんな悪いことをしてもOKだ」という意味の言葉を聞いたことがあります。しかし、現実には神様がおられるゆえに、罪は罪となります。私どもは、神様を畏れ敬う時に、初めて自由を正しく用い、罪に堕落しない生き方をすることができます。
(26~27節)「それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました(放任された)。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。」ここで同性愛が問題にされています。最近は性的少数者を差別してはいけないという論が強いですね。同性婚を認めるアメリカの州もあります。日本では同性婚が法的に認められていませんが、同性のカップルを夫婦に準ずる扱いにする条例を定めた自治体はあります。確かに同性愛者だからと言って就職差別などがあってはいけないと思います。同性愛的な傾向に生まれついたこともその人の責任ではないと思います。ですが同性愛の行為を行うことはいかがなものでしょうか。実際に具体的なケースに接した場合は、よく祈って丁寧に話し合うことが必要でしょう。私がお世話になった牧師の一人は、「人間の問題で一番難しいのは性の問題だ」とおっしゃっていましたから、よく学び、丁寧に応対することが必要です。心の性と体の性が一致しない性同一性障害に苦しむ方もおられるようです。その苦しみから解放されるために医療を受けることもあってよいでしょう。昨日の新聞によると、日本のいわゆる性的少数者の割合は最近の調査で7.6%だということです。性をめぐる現代の状況は複雑ですから、丁寧に考える必要があります。
同性愛は、パウロの時代のローマの社会では日常的に見られたそうです。旧約聖書レビ記18章22節には、男性に対して、「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」と書かれています。使徒言行録を読むと、イスラエル以外の土地にあるユダヤ人の会堂に、「神をあがめる人々」も集っていたことが分かります。それは異邦人です。異邦人の中には、ローマ帝国の人々が性的に堕落していることに、うんざりしている人々がいました。彼らは、清い律法を持っているユダヤ人たちを尊敬したのです。ユダヤ人には、イエス様を拒否したという問題がありますが、十戒を持っていたことは強みでした。異邦人の中には、そのようなユダヤ人に憧れ、ユダヤ人の会堂で神様を礼拝する人々もいたのです。パウロはその人々にも、救い主イエス・キリストを宣べ伝えました。
旧約聖書の創世記には、ソドムの町が罪深かったために神様に裁かれて滅びたことが書かれています。ソドムの町に、神様の御使い二人がたどり着き、ロトという人の家に泊まったとき、ソドムの男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめき立てました。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」二人の御使いは戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくしました。こうして男たちを撃退したのです。このように罪深かったソドムの町は、神様によって翌朝、滅ぼされました。
ローマの信徒への手紙は、そのような男女の性的な罪も、根源をたどれば偶像崇拝に行き着くと述べているようです。(28節)「彼らは神を認めようとしなかった(偶像崇拝と言えます)ので、神は彼らを無価値な思い(罪深い思い)に渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。」偶像崇拝こそ、あらゆる罪の根源だということです。次の29~31節は、「悪徳表」と呼ばれます。私たち人間の罪のリストです。残念ながら私にも非常に身に覚えがあります。「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。」
(32節)「彼ら(異邦人)は、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけでなく、他人の同じ行為をも是認しています。」真の神様を敬う異邦人も一部にいたにせよ、このような罪を犯し続けているのが、異邦人の現実でした。ここに異邦世界の罪深さがあますところなく明らかにされています。これらの多くの罪の根源は、真の神を認めず、畏れ敬わず崇めないこと、偶像崇拝の罪にあるとパウロは示します。偶像崇拝を捨て、真の神様に立ち帰ることが求められます。罪を悔い改めて立ち帰る私たちを、真の神様は、(ルカによる福音書15章の)あの放蕩息子を愛する父の愛で、大喜びで迎えて下さいます。
使徒言行録17章を見ると、使徒パウロはギリシアのアテネに行ったとき、町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました。そしてアテネの人々に説教しました。「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代(真の神を知らない時代)を大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるように(偶像崇拝を捨てて、真の神様に立ち帰るように)と、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方(イエス・キリスト)によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
本日の旧約聖書は、詩編19編です。「天は神の栄光を物語り/ 大空は御手の業を示す。」宇宙・自然界は神様の作品だということです。「話すことも、語ることもなく/ 声は聞こえなくても/ その響きは全地に/ その言葉は世界の果てに向かう。」宇宙も自然界も無言です。しかし信仰の目で見れば、すばらしい自然界が、それを創造なさった神がもっとすばらしいことを世界中の人々に物語っています。無言の雄弁で語っているのです。パウロが、「神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマ1:20)と述べる通りです。力強い自然界のシンボルとして太陽が採りあげられ、太陽が軌道を力強く運行する様子が語られます。「太陽は、花婿が天蓋から出るように/ 勇士が喜び勇んで道を走るように/ 天の果てを出で立ち/ 天の果てを目指して行く。」昔の教会はこの御言葉から天動説を信じたかもしれませんが、もちろん今はどの教会も地動説を信じます。この御言葉は、太陽の力強い運行を語り、それを支える神様の力強さを語ります。 このすばらしい天地を創造なさった神様を讃美する、アッシジのフランチェスコ作詞の讃美歌21・223番をご一緒に讃美致しましょう。 アーメン(「真実に、確かに」)。
「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマ書1章20節)。
「人類の罪」の小見出しが掲げられています。人類と書いてありますが、基本的に旧約聖書の神の民イスラエル人でない人々、異邦人を指しています。異邦人の偶像崇拝の罪を告発していると読むことができます。(18節)「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」 イスラエルの民も偶像崇拝の罪を犯しました。先週の礼拝で読んだ出エジプト記32章がまさにイスラエルの民の露骨な偶像崇拝の罪を語っていました。モーセがシナイ山からなかなか下りて来ないことを理由に、モーセの兄アロンがイスラエルの民の要求に屈して、のみで型を作り、若い雄牛の金の鋳像を作ったのです。イスラエルの民は偶像を作り、それを礼拝し、性的にも堕落したのです」と書かれています。十戒の第一の戒めと第二の戒めを破ったのです。それに対して、神様の激しい怒りが示されました。
異邦人も盛んに偶像崇拝の罪を犯して参りました。偽物の神を礼拝することが偶像崇拝です。それは真の神様への侮辱です。たとえば日本には馬頭観音という像があります。この近くの飯能にもあるようです。馬を拝むのです。きっと馬が生活を非常に助ける存在だったのでしょう。しかし馬は神様ではありません。インドでは牛を聖なる動物として拝むと聞きます。古代エジプトでは、犬が神として崇められたと聞きます。人間は目に見えるものを拝みたくなるようです。それを悪いとも思わないのです。私たちは聖書を読んで初めて、偶像崇拝の罪を知るのではないでしょうか。私はそうでした。
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。」神様は燃える愛で真剣にイスラエルの民を愛され、私たちを愛しておられます。燃える愛で真剣に愛しておられるのです。ですから私たちが神様を裏切って、偶像を礼拝することは、神様にとって非常な悲しみです。真剣に愛しておられるので、罪に対して真剣に怒られます。神様の怒りは完全に正当な怒り、聖なる怒りです。私たち人間の怒りには罪・わがままが含まれていますから、完全に正しい怒りではありません。不純な部分があるのです。しかし神様の怒りは、完全に正しい怒り、正義の怒り、聖なる怒りです。詩編90編12節の御言葉を思い出します。「あなた(神様)を畏れ敬うにつれて/ あなたの憤りをも知ることでしょう。」私たちの罪に対する、神様の憤り・怒りです。
(18~20節)「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼ら(異邦人)にも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼ら(異邦人)には弁解の余地がありません。」神様が天地創造をなさったときから、目に見えない神様の聖なるご性質は、被造物(神様に造られたもの)・自然界に現れている、そうパウロは書きます。神様がお造りになった自然界・宇宙のすばらしさを見れば、それによって神様の聖なるご性質と永遠の力を知ることができる、というのです。
長崎で被爆されたクリスチャン医師に永井隆という方がおられました。私は最近、テーィンエージャー向けに書かれた永井先生を紹介する本を読みました。医師として尿石という腎臓や膀胱にできる石の研究のしている時の、弟子の学生と永井先生の会話が書かれています。尿石を顕微鏡で見ると、美しい結晶が観察されたのです。
弟子「尿石の第四十号のラウエ斑点はきれいですね、先生。」
永井先生「きれいだね。単結晶のかなり大きいのができているんだ。」
弟子「あんな美しい結晶配列を見ると、何か神秘的な感じに打たれます。尿石といったら、何の役にも立たない石です。その石の中にさえ、あんな整然とした結晶配列がある。実に宇宙というものは、隅から隅まで、こまやかな秩序がゆきわたっているものだなあ!」(片山はるひ『永井 隆 原爆の荒野から世界に「平和を」』日本キリスト教団出版局、2015年、52ページ)。
永井先生は、「科学の道を究めれば究めるほど」、「この世界が偶然にできたものではないこと、このすばらしい秩序をつくった創造主である神がおられることへの確信を深めて」(同書、同ページ)ゆかれたのです。まさに、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」です。「従って、彼ら(異邦人)には弁解の余地がありません。」 パウロは言うのです。「異邦人も、自分たちは真の神を知らないから偶像崇拝などの罪を犯しても自分たちの責任ではない、という弁解はできない。この自然界が、神様の聖なるご性質をはっきり示しているのだから」と。
使徒言行録14章を見ると、パウロが真の神様を知らない小アジアのリストラという町の人々に、このように説教しています。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてそこにあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」神様はこのような形で、異邦人にも、真の神様の存在を示して来られたのです。
ローマの信徒への手紙に戻り、21節「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえってむなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」 神様を知りながら、当然神様に献げるべき礼拝と感謝を怠り、罪深い思いに沈み込んだ、という意味でしょう。(22~23節)「自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」「知恵があると吹聴しながら愚かになる。」原発もそうかもしれませんね。豊かな生活を産み出しましたが、その一方で発生する核廃棄物を処理する方法が、はっきり決まらないままに運転して来ました。人間の欲望を満たすことばかり続ければ、地球が破綻することが見えています。ここで本当に賢くなってエネルギー消費を減らし、謙虚な生き方に転換しなければなりません。聖書の御言葉(偶像ではない、真の神様の御言葉)に従い続けることで、私どもは、神様の御心に従う賢い生き方へと導かれます。本日の説教題を「滅びることのない神の栄光」と致しました。この神様のみを礼拝し、この神様に聴き従い続けたいのです。それ以外のものを拝むことは、偽物を拝むことです。偽物は、私たちを間違った方向に導き、滅びへと導きます。
真の神様を礼拝し、その御言葉に聴き従い続ける生き方は、マタイによる福音書7章のイエス様の御言葉を借りれば、「狭い門から入る」生き方です。しかしイエス様は言われます。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命(永遠の命)に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」偽物の神々の方が一見魅力的かもしれないのです。しかしそれに惑わされないで、真の神様のみを礼拝し、その御言葉に聴き従い続けたいのです。本日のローマの信徒への手紙の前半でパウロは、異邦人の偶像崇拝の罪を、以上のように告発しています。
(24~25節)「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られたものを拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です。アーメン。」 神様は、異邦人を不潔なことをするにまかせられた。これが最も厳しい裁きです。間違ったことをしても注意しないで、罪を犯すままに任せる。自由放任する。それは見放したことです。「注意されるうちが花」なのです。間違ったことをしても注意してもらえない、叱ってもらえない。これは見放されたことを意味し、最も厳しい裁きです。「自由にしなさい。好きにしなさい」と放り捨てられたことです。神様はイスラエルの民には、神様の聖なるご意志を示す十戒を与えられました。ですからイスラエルの民は幸せなのです。十戒を守らない場合には、裁かれました。イスラエルの民は、歴史の中で、十戒などの律法によって神様に鍛えられたのです。裁きをも含めて神様の愛だったとさえ言えます。異邦人に不幸な点があるとすれば、十戒を与えられなかったことではないでしょうか。神様の聖なるご意志を教えられていない。偶像崇拝が罪であることすら知らない。真理について無知である。これは不幸です。
私たち人間は、束縛を嫌い、自由を好みます。しかし自由を正しく使うことは難しいのです。自由を与えられても罪を犯さず、自分から進んで神様の意志に従って正しく生きることが望ましいことです。しかし私たちは自由を与えられると、義務や責任を忘れ、身勝手になり、楽で安易な道を選び、罪に落ち込んでしまいやすいのです。自由を与えられても、義務や責任を果たし、自分の意志で神様の御心に進んで従う人になることが、成熟したクリスチャンへの道です。しかし異邦人は、聖なる十戒・律法を与えられていなかった自由の中で、勝手気ままに生きて、罪へと堕落したとパウロは告発します。その根源こそ、真の神様を礼拝しない偶像崇拝の罪であると言っているようです。「もし神がおられなければ、どんな悪いことをしてもOKだ」という意味の言葉を聞いたことがあります。しかし、現実には神様がおられるゆえに、罪は罪となります。私どもは、神様を畏れ敬う時に、初めて自由を正しく用い、罪に堕落しない生き方をすることができます。
(26~27節)「それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました(放任された)。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。」ここで同性愛が問題にされています。最近は性的少数者を差別してはいけないという論が強いですね。同性婚を認めるアメリカの州もあります。日本では同性婚が法的に認められていませんが、同性のカップルを夫婦に準ずる扱いにする条例を定めた自治体はあります。確かに同性愛者だからと言って就職差別などがあってはいけないと思います。同性愛的な傾向に生まれついたこともその人の責任ではないと思います。ですが同性愛の行為を行うことはいかがなものでしょうか。実際に具体的なケースに接した場合は、よく祈って丁寧に話し合うことが必要でしょう。私がお世話になった牧師の一人は、「人間の問題で一番難しいのは性の問題だ」とおっしゃっていましたから、よく学び、丁寧に応対することが必要です。心の性と体の性が一致しない性同一性障害に苦しむ方もおられるようです。その苦しみから解放されるために医療を受けることもあってよいでしょう。昨日の新聞によると、日本のいわゆる性的少数者の割合は最近の調査で7.6%だということです。性をめぐる現代の状況は複雑ですから、丁寧に考える必要があります。
同性愛は、パウロの時代のローマの社会では日常的に見られたそうです。旧約聖書レビ記18章22節には、男性に対して、「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」と書かれています。使徒言行録を読むと、イスラエル以外の土地にあるユダヤ人の会堂に、「神をあがめる人々」も集っていたことが分かります。それは異邦人です。異邦人の中には、ローマ帝国の人々が性的に堕落していることに、うんざりしている人々がいました。彼らは、清い律法を持っているユダヤ人たちを尊敬したのです。ユダヤ人には、イエス様を拒否したという問題がありますが、十戒を持っていたことは強みでした。異邦人の中には、そのようなユダヤ人に憧れ、ユダヤ人の会堂で神様を礼拝する人々もいたのです。パウロはその人々にも、救い主イエス・キリストを宣べ伝えました。
旧約聖書の創世記には、ソドムの町が罪深かったために神様に裁かれて滅びたことが書かれています。ソドムの町に、神様の御使い二人がたどり着き、ロトという人の家に泊まったとき、ソドムの男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめき立てました。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」二人の御使いは戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくしました。こうして男たちを撃退したのです。このように罪深かったソドムの町は、神様によって翌朝、滅ぼされました。
ローマの信徒への手紙は、そのような男女の性的な罪も、根源をたどれば偶像崇拝に行き着くと述べているようです。(28節)「彼らは神を認めようとしなかった(偶像崇拝と言えます)ので、神は彼らを無価値な思い(罪深い思い)に渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。」偶像崇拝こそ、あらゆる罪の根源だということです。次の29~31節は、「悪徳表」と呼ばれます。私たち人間の罪のリストです。残念ながら私にも非常に身に覚えがあります。「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。」
(32節)「彼ら(異邦人)は、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけでなく、他人の同じ行為をも是認しています。」真の神様を敬う異邦人も一部にいたにせよ、このような罪を犯し続けているのが、異邦人の現実でした。ここに異邦世界の罪深さがあますところなく明らかにされています。これらの多くの罪の根源は、真の神を認めず、畏れ敬わず崇めないこと、偶像崇拝の罪にあるとパウロは示します。偶像崇拝を捨て、真の神様に立ち帰ることが求められます。罪を悔い改めて立ち帰る私たちを、真の神様は、(ルカによる福音書15章の)あの放蕩息子を愛する父の愛で、大喜びで迎えて下さいます。
使徒言行録17章を見ると、使徒パウロはギリシアのアテネに行ったとき、町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました。そしてアテネの人々に説教しました。「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代(真の神を知らない時代)を大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるように(偶像崇拝を捨てて、真の神様に立ち帰るように)と、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方(イエス・キリスト)によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
本日の旧約聖書は、詩編19編です。「天は神の栄光を物語り/ 大空は御手の業を示す。」宇宙・自然界は神様の作品だということです。「話すことも、語ることもなく/ 声は聞こえなくても/ その響きは全地に/ その言葉は世界の果てに向かう。」宇宙も自然界も無言です。しかし信仰の目で見れば、すばらしい自然界が、それを創造なさった神がもっとすばらしいことを世界中の人々に物語っています。無言の雄弁で語っているのです。パウロが、「神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマ1:20)と述べる通りです。力強い自然界のシンボルとして太陽が採りあげられ、太陽が軌道を力強く運行する様子が語られます。「太陽は、花婿が天蓋から出るように/ 勇士が喜び勇んで道を走るように/ 天の果てを出で立ち/ 天の果てを目指して行く。」昔の教会はこの御言葉から天動説を信じたかもしれませんが、もちろん今はどの教会も地動説を信じます。この御言葉は、太陽の力強い運行を語り、それを支える神様の力強さを語ります。 このすばらしい天地を創造なさった神様を讃美する、アッシジのフランチェスコ作詞の讃美歌21・223番をご一緒に讃美致しましょう。 アーメン(「真実に、確かに」)。
2015-04-21 19:12:40(火)
「金の子牛の偶像」 2015年4月19日(日) 復活節第3主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記32章1~29節、コリント(一)10章1~13節
「宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た」(出エジプト記32章19節)。
イスラエルの民はエジプトを脱出し、神様から十戒を授けられました。その十戒に基づいて出エジプト記24章で、神様と契約を締結したのです。そしてモーセは、従者ヨシュアと共にシナイ山に登ります。神様が、十戒を記した石の板を授けると言われたからです。モーセが山に登ると、雲が山を覆いました。雲は六日間、山を覆いました。神様は、七日目に雲の中からモーセに呼びかけられました。雲は、山の下からは燃える火のように見えました。モーセはシナイ山に登り、雲の中にいました。モーセは四十日四十夜、山にいたのです。神様はモーセに、イスラエルの民が荒れ野の旅において神様を礼拝する、聖なる幕屋を建設する指示を出されました。主としてそれらに関する、神様の詳しい指示が出エジプト記25章から31節に記されています。31章の最後に、「主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった」と書かれています。神様がモーセに、十戒が記された二枚の板を渡されたのです。
そして32章に入ります。モーセが四十日四十夜山から下りて来ないので、山の麓にいるイスラエルの民の信仰の心は、早くも揺らぎます。忍耐力が足りないのです。民はモーセの兄アロンに、目に見える神を造ってほしいと要求します。(1~4節)「モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、『さあ、我々に先立って進み神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言うと、アロンは彼らに言った。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。』民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄の鋳像を造った。すると彼らは、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ』と言った。」
十戒の第一の戒めと第二の戒めを、早速、露骨に破る行動に出るのです。第一の戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。偶像崇拝の禁止です。第二の戒めには、「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である」と書かれています。この二つの戒めを、早速破り始めるのです。モーセの兄アロンは、「そのような大きな罪を犯すのはやめなさい」と人々にストップをかけるべきなのに、神様に逆らう行動に、能動的に参加するのです。アロンは自ら若い雄牛の鋳像(偶像)を造り、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言しました。若い雄牛は、古代の中近東で神として礼拝されていました。若い雄牛は繁殖力と繁栄のシンボルです。欲望のシンボルです。イスラエルの民も、悪魔の誘惑に負け、エジプトでの奴隷状態から救い出して下さった真の神様を礼拝し、十戒を守るよりも、自分のたちの欲望を叶えてくれる偽りの神・偽物の神・偶像を拝む罪に、あっと言う間に転落したのです。偶像の正体は悪霊・悪魔です。彼らは悪魔に魂を売り渡したのです。(6節)「彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。」 モーセが不在の約四十日間に、規律が乱れてしまりのない集団になり、偶像崇拝の罪を犯し、性道徳も乱れたのです。
(7~8節)「主はモーセに仰せになった。『直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」と叫んでいる。』」 十戒に書いてあったように、神様は熱情の神様です。イスラエルの民と私たちを熱情的に愛しておられるのです。神様とイスラエルの民の間柄は、夫と妻の間柄にたとえられます。神様と教会の間柄も、夫と妻の間柄にたとえられます。偶像崇拝の罪は、夫に愛されている妻イスラエルが、ほかの男性とつながる姦淫にたとえられます。偶像崇拝は、真の神様を裏切る行為であり、真の神様を深く傷つける行為です。民に裏切られた神様は深い悲しみを覚えられ、熱情が燃え上がったのです。(9~10節)「わたしはこの民を見て来たが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」
モーセが必死に執り成します。(11~12節)「モーセは主なる神をなだめて言った。『主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、「あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した」と言わせてよいでしょうか。どうか燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。』」モーセは、イスラエルの民のために必死・決死のとりなしをしたのです。神様の燃える怒りの前に立ちはだかる、命懸けの行動です。モーセが神様に焼き尽くされる恐れもあるのです。詩編106編23節にこうあります。「主は彼らを滅ぼすと言われたが/ 主に選ばれた人モーセは/ 破れを担って御前に立ち/ 彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」 エゼキエル書22章30節に、「石垣の破れ口に立つ者」という言葉があります。古代の中近東の町は城壁で囲まれ、守られていました。戦争で敵が攻撃して来るときは、城壁に穴を開けようとします。穴が開き城壁の一角が破られると、そこから敵兵が突入して来ます。それを防ぐため、どこかに穴が開けられそうになると、守る側は内側から必死に補強し、穴を開けられまいとします。開けられた場合は、そこに立ちはだかって敵を防いで戦います。これが破れ口に立つことで、敵と直面する非常に危険な行動です。当然死を覚悟することになります。モーセがイスラエルの民のためにとりなしをしたことは、これとよく似ています。「主に選ばれた人モーセは/ 破れを担って(神様の)御前に立ち/ 彼ら(イスラエルの民)を滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」モーセは下手をすると自分が神様に撃たれる危険を犯して、愛するイスラエルの民のために決死でとりなしをしたのです。幸い、神様はモーセを信頼しておられましたから、モーセのとりなしを聞き入れて、民に災いを下すことを思い直して下さいました。
モーセ以上に決死の愛をもって、私たちの罪をとりなして下さった方は、主イエス・キリストです。ここでモーセは死なずに済みましたが、イエス様は私たちの罪に対する父なる神様の聖なる怒りを、全部引き受けて下さいました。私たちの罪に対する父なる神様の燃える正しい怒りを、全部まともに受けて、死んで下さったのです。そのあまりの辛さに、神の子イエス様でさえ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばざるを得ないほどでした。私たちキリスト者も、ほかの方々のためにとりなしの祈りを献げます。P.T.フォーサイスというイギリスの牧師が書いた『祈りの精神』という本には、「とりなしの祈りの効果は絶大である」と書かれています。私たちも改めて、とりなしの祈りに励みたいのです。
15~16節には、十戒が記された二枚の石の板のことが書かれています。「モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。」神様御自身の指で、十戒の文字が刻まれていたのです。しかし、結果的にこの二枚の板は、すぐに砕かれてしまいます。モーセが民の偶像崇拝への堕落を見て、激しく憤ったからです。(17~20節)「ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、『宿営で戦いの声がします』と言うと、モーセは言った。『これは勝利の叫び声でも/ 敗戦の叫び声でもない。/ わたしが聞くのは歌を歌う声だ。』宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。官能的な踊りだったのでしょう。モーセは激しく怒って(義憤です)、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。」モーセは、激しい憤りのあまり、金の子牛を粉々に砕きました。偶像崇拝に対する神様の憤りの強さを代弁する行動に出たのです。モーセは、怒り心頭に発しました。怒髪天を衝くという表現がぴったり来ます。
モーセがアロンに厳しく言います。「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか。」「こんな大きな罪」という言葉から、偶像崇拝がすべての罪の根源とも言うべき深刻な罪であることが分かります。
コロサイの信徒への手紙3章5節には、「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と書いてあります。私たちのエゴ、欲望を満たすことを第一とする生き方、自分の利益を第一として隣人を顧みない貪欲・強欲な生き方、それが偶像崇拝であると、悔い改めさせられます。
アロンが苦しい言い訳・弁解をします。(22~24節)「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」 まるで自然にできたかのように言っていますが、事実は違います。アロンがのみで型を作って、若い雄牛の鋳像を造ったのです。
あるベテランの牧師が、今日の場面のことを「厳粛な場面」とおっしゃいました。25~29節がまさに非常に厳粛な場面です。「モーセはこの民が勝手なふるまいをしたこと、アロンが彼らに勝手なふるまいをさせて、敵対する者の嘲りの種となったことを見ると、宿営の入り口に立ち、『だれでも主につく者は、わたしのもとに集まれ』と言った。レビの子ら(神様に奉仕する人々)が全員彼のもとに集まると、彼らに、『イスラエルの神、主がこう言われる。「おのおの、剣を帯び、宿営を入り口から入り口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ」』と命じた。その日、民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。モーセは言った。『おのおの自分の子や兄弟に逆らったから、今日、あなたたちは主の祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福を受ける。』」
かなり衝撃的な場面です。偶像崇拝と乱痴気騒ぎをしている人々を、たとえそれが兄弟・友・子・隣人であっても殺せという神様の意志が示されているからです。ここではそれが神様に喜ばれること、神様に祝福されることなのです。モーセの十戒の第六の戒めに「殺してはならない」と書かれています。ですから通常は殺人は罪です。しかしここでは、民の偶像崇拝と性的な堕落の罪が甚しかったために、神様は彼らを厳しく裁くことを求められたのです。この民は壮年男子だけで60万人いました。女性・子どもを含めると240万人くらいいたのではないでしょうか。そのうち約3000人が裁かれて死にました。約800人に一人が死んだのです。死んだのはきっと罪が特に重い人たちだったのではないでしょうか。800人に一人は、比率的には少ないと感じます。800人中799人は裁かれて死ななかったのであれば、この出来事は、神様の厳しさだけでなく憐れみ深さをも示しているのではないでしょうか。しかし堕落の罪が特に甚しかった3000人は確かに死にました。神様はこうして、イスラエルの民から悪を取り除き、神の民である彼らを清められたのです。
神様が悪を激しく清められることがあるのです。思い出すべきは、イエス様が神殿の激しく清められた場面です(ヨハネ福音書2章)。宮清めと呼ばれます。イエス様は、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になりました。人々が神様よりもお金を愛している様子をご覧になり、怒り心頭に発し、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」イエス様は、多くの貪欲の罪が入り込んでいた神殿から罪を取り除き、神殿を清められました。同じように、神様はイスラエルの民から偶像崇拝の罪と性の乱れの罪を取り除いて、民を清められたのです。
私はまた、マタイによる福音書10章のイエス様の御言葉を思い出します。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのである。~こうして自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしより息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」びっくりさせられる言葉です。イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである」とおっしゃったではないか。十戒には「父母を敬え」と書いてあるではないか。私たちはそう言いたくなります。
もちろん基本的にイエス様は平和の主ですし、「父母を敬う」ことが神様に喜ばれることです。と同時に、はっきりした罪は放置せず、思いきって取り除かなくてはなりません。その姿勢をイエス様は、「平和ではなく剣をもたらすために来た」とおっしゃり、モーセは罪を犯した人々を剣で殺せ、と命じました。モーセは、それが兄弟(肉親)・友・隣人であっても殺して、イスラエルから偶像崇拝と性的堕落の罪を取り除くように命じたのです。神様はもちろん私たちに、「父母を敬う」ことを求められます。但し、真の神様を信じる信仰に入る決断は、しっかりと行う必要があります。父母を最大限敬いつつも、もし「イエス様を信じることはやめなさい」と言われれば、そこは妥協できない部分です。肉親の情よりも、真理を優先しなければならないことがあります。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」とはそのようなことです。
ニューヨークのウォール街に、「チャージング・ブル」という雄牛の銅像があるそうです。株価の上昇をさせる願望がこの雄牛の銅像に込められているそうです。製作者は、1987年の株式大暴落の日「ブラックマンデー」を受けてこれを造り、
1989年12月15日に、何とニューヨークの人々へのクリスマスプレゼントとして設置されたそうです。ニューヨークの観光スポットとして、毎日数千人が訪れるそうです。私は驚きのあまり、開いた口がふさがりません。これは出エジプト記32章の「金の子牛事件」の再現であり、クリスマスプレゼントどころか、イエス様と父なる神様への冒瀆としか思えません。「ウォール街の強欲資本主義」という言葉を聞いたこともあります。このような醜悪な銅像が早く撤去されるよう祈ります。
さて、本日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙(一)10章1節以下です。小見出しは「偶像への礼拝に対する警告」です。使徒パウロは、エジプトを脱出したイスラエルの民の失敗を繰り返してはならないと、私たちに語ります。パウロは、5~7節でこう述べます。「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。『民は座って飲み食いし、立って踊り狂った』と書いてあります。」 「偶像を礼拝してはいけない」と強調しています。真の神様以外のものを拝んではいけない。自分の欲望やお金を神として拝んではいけないのです。偶像礼拝をして性的に堕落した人々は、裁かれて死んだのです。この厳粛な事実を、まともに受け取ることが必要です。
(11節)「これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。」私たちは「時の終わり」に直面しているのです。イエス様がもう一度来られるときに、この世界の歴史は終わります。それは何百年か先のことかもしれませんが、今日かもしれないのです。(12節)「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」自分は信仰によって立っているから大丈夫だと思っている人も油断しないで、自分の信仰をチェックしてみなさいということです。そして14節でだめ押しのように、「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい」と述べられます。偶像礼拝は、神様への裏切り・神様を深く傷つける行為であり、それを続けるならば私たちが堕落し、神様の裁きを受けることもある重い罪です。偶像の正体は悪魔です。偶像礼拝は悪魔礼拝です。偶像崇拝を避け、ご一緒に真の神様のみを礼拝し続ける歩みを、生きる限り、続けましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
「宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た」(出エジプト記32章19節)。
イスラエルの民はエジプトを脱出し、神様から十戒を授けられました。その十戒に基づいて出エジプト記24章で、神様と契約を締結したのです。そしてモーセは、従者ヨシュアと共にシナイ山に登ります。神様が、十戒を記した石の板を授けると言われたからです。モーセが山に登ると、雲が山を覆いました。雲は六日間、山を覆いました。神様は、七日目に雲の中からモーセに呼びかけられました。雲は、山の下からは燃える火のように見えました。モーセはシナイ山に登り、雲の中にいました。モーセは四十日四十夜、山にいたのです。神様はモーセに、イスラエルの民が荒れ野の旅において神様を礼拝する、聖なる幕屋を建設する指示を出されました。主としてそれらに関する、神様の詳しい指示が出エジプト記25章から31節に記されています。31章の最後に、「主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった」と書かれています。神様がモーセに、十戒が記された二枚の板を渡されたのです。
そして32章に入ります。モーセが四十日四十夜山から下りて来ないので、山の麓にいるイスラエルの民の信仰の心は、早くも揺らぎます。忍耐力が足りないのです。民はモーセの兄アロンに、目に見える神を造ってほしいと要求します。(1~4節)「モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、『さあ、我々に先立って進み神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言うと、アロンは彼らに言った。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。』民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄の鋳像を造った。すると彼らは、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ』と言った。」
十戒の第一の戒めと第二の戒めを、早速、露骨に破る行動に出るのです。第一の戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。偶像崇拝の禁止です。第二の戒めには、「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である」と書かれています。この二つの戒めを、早速破り始めるのです。モーセの兄アロンは、「そのような大きな罪を犯すのはやめなさい」と人々にストップをかけるべきなのに、神様に逆らう行動に、能動的に参加するのです。アロンは自ら若い雄牛の鋳像(偶像)を造り、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言しました。若い雄牛は、古代の中近東で神として礼拝されていました。若い雄牛は繁殖力と繁栄のシンボルです。欲望のシンボルです。イスラエルの民も、悪魔の誘惑に負け、エジプトでの奴隷状態から救い出して下さった真の神様を礼拝し、十戒を守るよりも、自分のたちの欲望を叶えてくれる偽りの神・偽物の神・偶像を拝む罪に、あっと言う間に転落したのです。偶像の正体は悪霊・悪魔です。彼らは悪魔に魂を売り渡したのです。(6節)「彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。」 モーセが不在の約四十日間に、規律が乱れてしまりのない集団になり、偶像崇拝の罪を犯し、性道徳も乱れたのです。
(7~8節)「主はモーセに仰せになった。『直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ」と叫んでいる。』」 十戒に書いてあったように、神様は熱情の神様です。イスラエルの民と私たちを熱情的に愛しておられるのです。神様とイスラエルの民の間柄は、夫と妻の間柄にたとえられます。神様と教会の間柄も、夫と妻の間柄にたとえられます。偶像崇拝の罪は、夫に愛されている妻イスラエルが、ほかの男性とつながる姦淫にたとえられます。偶像崇拝は、真の神様を裏切る行為であり、真の神様を深く傷つける行為です。民に裏切られた神様は深い悲しみを覚えられ、熱情が燃え上がったのです。(9~10節)「わたしはこの民を見て来たが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」
モーセが必死に執り成します。(11~12節)「モーセは主なる神をなだめて言った。『主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、「あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した」と言わせてよいでしょうか。どうか燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。』」モーセは、イスラエルの民のために必死・決死のとりなしをしたのです。神様の燃える怒りの前に立ちはだかる、命懸けの行動です。モーセが神様に焼き尽くされる恐れもあるのです。詩編106編23節にこうあります。「主は彼らを滅ぼすと言われたが/ 主に選ばれた人モーセは/ 破れを担って御前に立ち/ 彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」 エゼキエル書22章30節に、「石垣の破れ口に立つ者」という言葉があります。古代の中近東の町は城壁で囲まれ、守られていました。戦争で敵が攻撃して来るときは、城壁に穴を開けようとします。穴が開き城壁の一角が破られると、そこから敵兵が突入して来ます。それを防ぐため、どこかに穴が開けられそうになると、守る側は内側から必死に補強し、穴を開けられまいとします。開けられた場合は、そこに立ちはだかって敵を防いで戦います。これが破れ口に立つことで、敵と直面する非常に危険な行動です。当然死を覚悟することになります。モーセがイスラエルの民のためにとりなしをしたことは、これとよく似ています。「主に選ばれた人モーセは/ 破れを担って(神様の)御前に立ち/ 彼ら(イスラエルの民)を滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。」モーセは下手をすると自分が神様に撃たれる危険を犯して、愛するイスラエルの民のために決死でとりなしをしたのです。幸い、神様はモーセを信頼しておられましたから、モーセのとりなしを聞き入れて、民に災いを下すことを思い直して下さいました。
モーセ以上に決死の愛をもって、私たちの罪をとりなして下さった方は、主イエス・キリストです。ここでモーセは死なずに済みましたが、イエス様は私たちの罪に対する父なる神様の聖なる怒りを、全部引き受けて下さいました。私たちの罪に対する父なる神様の燃える正しい怒りを、全部まともに受けて、死んで下さったのです。そのあまりの辛さに、神の子イエス様でさえ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばざるを得ないほどでした。私たちキリスト者も、ほかの方々のためにとりなしの祈りを献げます。P.T.フォーサイスというイギリスの牧師が書いた『祈りの精神』という本には、「とりなしの祈りの効果は絶大である」と書かれています。私たちも改めて、とりなしの祈りに励みたいのです。
15~16節には、十戒が記された二枚の石の板のことが書かれています。「モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。」神様御自身の指で、十戒の文字が刻まれていたのです。しかし、結果的にこの二枚の板は、すぐに砕かれてしまいます。モーセが民の偶像崇拝への堕落を見て、激しく憤ったからです。(17~20節)「ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、『宿営で戦いの声がします』と言うと、モーセは言った。『これは勝利の叫び声でも/ 敗戦の叫び声でもない。/ わたしが聞くのは歌を歌う声だ。』宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。官能的な踊りだったのでしょう。モーセは激しく怒って(義憤です)、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。」モーセは、激しい憤りのあまり、金の子牛を粉々に砕きました。偶像崇拝に対する神様の憤りの強さを代弁する行動に出たのです。モーセは、怒り心頭に発しました。怒髪天を衝くという表現がぴったり来ます。
モーセがアロンに厳しく言います。「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか。」「こんな大きな罪」という言葉から、偶像崇拝がすべての罪の根源とも言うべき深刻な罪であることが分かります。
コロサイの信徒への手紙3章5節には、「貪欲は偶像礼拝にほかならない」と書いてあります。私たちのエゴ、欲望を満たすことを第一とする生き方、自分の利益を第一として隣人を顧みない貪欲・強欲な生き方、それが偶像崇拝であると、悔い改めさせられます。
アロンが苦しい言い訳・弁解をします。(22~24節)「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」 まるで自然にできたかのように言っていますが、事実は違います。アロンがのみで型を作って、若い雄牛の鋳像を造ったのです。
あるベテランの牧師が、今日の場面のことを「厳粛な場面」とおっしゃいました。25~29節がまさに非常に厳粛な場面です。「モーセはこの民が勝手なふるまいをしたこと、アロンが彼らに勝手なふるまいをさせて、敵対する者の嘲りの種となったことを見ると、宿営の入り口に立ち、『だれでも主につく者は、わたしのもとに集まれ』と言った。レビの子ら(神様に奉仕する人々)が全員彼のもとに集まると、彼らに、『イスラエルの神、主がこう言われる。「おのおの、剣を帯び、宿営を入り口から入り口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ」』と命じた。その日、民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。モーセは言った。『おのおの自分の子や兄弟に逆らったから、今日、あなたたちは主の祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福を受ける。』」
かなり衝撃的な場面です。偶像崇拝と乱痴気騒ぎをしている人々を、たとえそれが兄弟・友・子・隣人であっても殺せという神様の意志が示されているからです。ここではそれが神様に喜ばれること、神様に祝福されることなのです。モーセの十戒の第六の戒めに「殺してはならない」と書かれています。ですから通常は殺人は罪です。しかしここでは、民の偶像崇拝と性的な堕落の罪が甚しかったために、神様は彼らを厳しく裁くことを求められたのです。この民は壮年男子だけで60万人いました。女性・子どもを含めると240万人くらいいたのではないでしょうか。そのうち約3000人が裁かれて死にました。約800人に一人が死んだのです。死んだのはきっと罪が特に重い人たちだったのではないでしょうか。800人に一人は、比率的には少ないと感じます。800人中799人は裁かれて死ななかったのであれば、この出来事は、神様の厳しさだけでなく憐れみ深さをも示しているのではないでしょうか。しかし堕落の罪が特に甚しかった3000人は確かに死にました。神様はこうして、イスラエルの民から悪を取り除き、神の民である彼らを清められたのです。
神様が悪を激しく清められることがあるのです。思い出すべきは、イエス様が神殿の激しく清められた場面です(ヨハネ福音書2章)。宮清めと呼ばれます。イエス様は、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になりました。人々が神様よりもお金を愛している様子をご覧になり、怒り心頭に発し、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」イエス様は、多くの貪欲の罪が入り込んでいた神殿から罪を取り除き、神殿を清められました。同じように、神様はイスラエルの民から偶像崇拝の罪と性の乱れの罪を取り除いて、民を清められたのです。
私はまた、マタイによる福音書10章のイエス様の御言葉を思い出します。「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのである。~こうして自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしより息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」びっくりさせられる言葉です。イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである」とおっしゃったではないか。十戒には「父母を敬え」と書いてあるではないか。私たちはそう言いたくなります。
もちろん基本的にイエス様は平和の主ですし、「父母を敬う」ことが神様に喜ばれることです。と同時に、はっきりした罪は放置せず、思いきって取り除かなくてはなりません。その姿勢をイエス様は、「平和ではなく剣をもたらすために来た」とおっしゃり、モーセは罪を犯した人々を剣で殺せ、と命じました。モーセは、それが兄弟(肉親)・友・隣人であっても殺して、イスラエルから偶像崇拝と性的堕落の罪を取り除くように命じたのです。神様はもちろん私たちに、「父母を敬う」ことを求められます。但し、真の神様を信じる信仰に入る決断は、しっかりと行う必要があります。父母を最大限敬いつつも、もし「イエス様を信じることはやめなさい」と言われれば、そこは妥協できない部分です。肉親の情よりも、真理を優先しなければならないことがあります。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」とはそのようなことです。
ニューヨークのウォール街に、「チャージング・ブル」という雄牛の銅像があるそうです。株価の上昇をさせる願望がこの雄牛の銅像に込められているそうです。製作者は、1987年の株式大暴落の日「ブラックマンデー」を受けてこれを造り、
1989年12月15日に、何とニューヨークの人々へのクリスマスプレゼントとして設置されたそうです。ニューヨークの観光スポットとして、毎日数千人が訪れるそうです。私は驚きのあまり、開いた口がふさがりません。これは出エジプト記32章の「金の子牛事件」の再現であり、クリスマスプレゼントどころか、イエス様と父なる神様への冒瀆としか思えません。「ウォール街の強欲資本主義」という言葉を聞いたこともあります。このような醜悪な銅像が早く撤去されるよう祈ります。
さて、本日の新約聖書は、コリントの信徒への手紙(一)10章1節以下です。小見出しは「偶像への礼拝に対する警告」です。使徒パウロは、エジプトを脱出したイスラエルの民の失敗を繰り返してはならないと、私たちに語ります。パウロは、5~7節でこう述べます。「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。『民は座って飲み食いし、立って踊り狂った』と書いてあります。」 「偶像を礼拝してはいけない」と強調しています。真の神様以外のものを拝んではいけない。自分の欲望やお金を神として拝んではいけないのです。偶像礼拝をして性的に堕落した人々は、裁かれて死んだのです。この厳粛な事実を、まともに受け取ることが必要です。
(11節)「これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。」私たちは「時の終わり」に直面しているのです。イエス様がもう一度来られるときに、この世界の歴史は終わります。それは何百年か先のことかもしれませんが、今日かもしれないのです。(12節)「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」自分は信仰によって立っているから大丈夫だと思っている人も油断しないで、自分の信仰をチェックしてみなさいということです。そして14節でだめ押しのように、「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい」と述べられます。偶像礼拝は、神様への裏切り・神様を深く傷つける行為であり、それを続けるならば私たちが堕落し、神様の裁きを受けることもある重い罪です。偶像の正体は悪魔です。偶像礼拝は悪魔礼拝です。偶像崇拝を避け、ご一緒に真の神様のみを礼拝し続ける歩みを、生きる限り、続けましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
2015-04-15 23:58:28(水)
「湖畔のキリスト」 2015年4月12日(日) 復活節第2主日公同礼拝説教
朗読聖書:エゼキエル書47章1~12節、ヨハネによる福音書21章1~14節
「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』」
(ヨハネによる福音書21章6節)
(第1節)「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」ティベリアス湖はガリラヤ湖の別名です。ガリラヤ湖の西岸にティベリアスという町があったそうです。その町の名に因んで、ガリラヤ湖をティベリアス湖と呼ぶことがあったそうです。この町を建設したのは、洗礼者ヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスです。ローマ皇帝ティベリウスの名からティベリアスという町の名をつけられ、この町がガリラヤの首都となったそうです。ローマ皇帝の名から町の名がティベリアスと名付けられたので、ユダヤ人はこの名を嫌ったそうです。しかしヨハネによる福音書では、なぜかガリラヤ湖と書かず、ティベリアス湖と書いています。今はこの点には深入りしません。復活されたイエス様が、そのティベリアス湖・ガリラヤ湖でご自分を弟子たちに現されたのです。
その時、七人の弟子たちが一緒にいました。(2節)「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)、それにほかの二人の弟子が一緒にいた。」「ほかの二人の弟子」の名前は分かりません。熱血型のペトロがリーダーシップを取ります。(3節)「シモン・ペトロが、『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは、『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」イエス様はペトロに、ルカによる福音書5章で、「あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。そしてペトロとヤコブとヨハネが、魚をとる漁師をやめて、イエス様に従って行ったのです。それはイエス様が宣教活動を開始された、イエス様が30歳くらいのときのことです。本日の出来事は、イエス様が十字架で死なれて復活された後のことですから、イエス様がペトロに「あなたは人間をとる漁師になる」と言われた約3年後のことと推定できます。
本日の3節でペトロが「わたしは漁に行く」と言ったのは、魚をとる漁のことですが、それはペトロに代表される教会の伝道活動、人々にイエス・キリストを宣べ伝える活動の象徴であると考えることができます。ペトロをはじめとする7人の弟子たちは、舟に乗り込みました。ご存じの通り、聖書では舟はしばしば神の民のシンボル、教会のシンボルです。ペトロにリードされ、六人の弟子たちも着いてゆき、七人で伝道に精一杯働いたことを意味します。「しかし、その夜は何もとれなかった。」 夜は漁に適した時間帯だと言います。日本の漁師も早朝に海に出るでしょう。しかもペトロとヤコブとヨハネは、3年前までこの湖で毎日のように漁をしていたのですから、経験豊富な漁師でした。しかし、その夜は一匹の魚もとれなかったのです。こうなると夜は、試練の時の象徴としての夜となります。
人生の中に、そのような時はあるものでしょう。イエス様も、十字架の試練を体験しておられます。十字架に架けられ、暗闇の中で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と大声で叫ぶ、非常に辛い経験をされたのです。聖書のほかの人々も、夜のような試練を体験しています。ルツ記を読むと、ナオミという婦人が登場致します。ナオミという名前は「快い」という意味です。その時代に、イスラエルを飢饉が襲ったので、ナオミと夫エリメレクは、二人の息子マフロン・キルヨンと共に、ユダヤのベツレヘムから、外国のモアブの野に移り住んだのです。ナオミがモアブで10年ほど暮らすうちに、夫エリメレクが死に、二人の息子たちはモアブの女性と結婚しましたが、二人の息子たちも死んだのです。ナオミは、神様がユダヤの地に食べ物をお与えになったと聞き、ユダヤに帰ることにします。二人の息子の妻のうちルツだけはどうしてもナオミと共に行くと言いましたので、ナオミはルツと共にベツレヘムに帰ったのです。すると町中の人々が二人のことでどよめき、女たちが「ナオミさんではありませんか」と懐かしがって声をかけました。
するとナオミは答えたのです。「どうかナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
出て行くときは、満たされていたわたしを/ 主はうつろにして帰らせたのです。
なぜ快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。/ 主がわたしを悩ませ
全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
ルツが一緒だったことが、神様の恵みであったと思いますが、その時のナオミはまだそのことに気づかなかったかもしれません。帰って来た場所はベツレヘムで、将来イエス様が誕生する地です。そしてルツはダビデ王の曾祖母となります。ダビデ王はナオミの血を引いていませんが、ナオミの最良の嫁ルツがダビデ王の曾祖母となる恵みをナオミは受けました。ですからナオミから神様の恵みが完全に失われたのではないのですが、しかしベツレヘムに帰ったときのナオミは、辛い辛い試練の中にいました。夜のような体験をしていたのです。イエス様の弟子たちも、精一杯努力したけれども、何の成果も上がらない、信仰の夜、伝道の夜を経験したのです。私たちも似たことを経験するのです。
それを打開して下さるのは、復活のイエス・キリストです。(4節)「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。」夜明け、早朝、朝は、神様の創造の力が新しく与えられる時です。イエス様が復活されたのも夜明け、早朝です。詩編46編6節の御言葉が思い出されます。「夜明けとともに、神は助けをお与えになる。」「夜明けとともに、神は助けをお与えになる。」そして先週の礼拝で読んだ哀歌3章22~23節も、私たちを勇気づける、朝にふさわしい御言葉です。
「主の慈しみは決して絶えない。/ 主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。/ あなた(神様)の真実はそれほど深い。」
旧約聖書のイスラエルの民が、ファラオの軍隊によって葦の海の前に追い詰められたとき、主はよもすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水が分かれる奇跡が起こりました。「朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された」と書かれています。まさに夜明け、早朝は、神様の助けが与えられるときなのです。
「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。」「立つ」姿は復活を象徴しています。イエス様が墓から立ち上がられたことが、復活であるからです。「だが、弟子たちには、それがイエスだとは分からなかった。」やや距離があったからかもしれません。舟の弟子たちと、岸のイエス様の間の距離は200ペキス(約90メートル)でした。朝もやがかかっていたかもしれません。
(5節)「イエスが、『子たちよ、何か食べる物があるか』と言われると、彼らは、『ありません』と答えた。」弟子たちの答えは正直です。「ありません。」私たち人間は、神様の助けなしには一秒も生きられない存在です。自力で生きていると思っていても、「自力」と思っているその力も、神様に与えられている力です。私たち人間は神様に100%依存して生きており、神様の助けがなくなれば困り果て、完全に行き詰まる者です。困り切った弟子たちの耳に、イエス様の権威ある御言葉が響き渡ります。(6節)「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」それまでも舟の右側に網を打ったことでしょう。でも何もとれなかったのです。しかし同じ舟の右側に網を打つにしても、今回はイエス様の愛の助けがあるのです。復活のイエス様の祝福、神の祝福が注がれ、驚くほど多くの魚(153匹もの大きな魚)が一度に網にかかり、網を引き上げることができないほどの豊漁となったのです。驚くべきことです。
旧約聖書・箴言10章22節を思い出します。「人間を豊かにするのは主の祝福である。/ 人間が苦労しても何も加えることはできない。」その通りです。ですが、こう言われると人間が努力することは無用なのかとの疑問が湧くでしょう。私たち人間の努力には罪・エゴも含まれていますから、私たちの努力がいつも神様が喜んで下さる方向に向かっているとは限らないでしょう。神様が喜んで下さる方向に向かって初めて、人間の努力も神様の祝福を受け、実を結ぶのだと思います。最も大切なものは、神様の祝福です。いえ、神様ご自身です。ジョン・ウェスレーというイギリスの伝道者は臨終のときに言ったそうですね。「最もよいことは、神様が私たちと共におられるということだ」と。弟子たちにとっても、私たちにとっても最高の恵みは、イエス・キリストが共にいて下さることです。弟子たちはそれを経験しました。その結果として、153匹もの大きな魚が一度に網にかかる祝福をいただいたのです。イエス様ご自身が働いて下さったこの奇跡によって、神の子イエス・キリストの栄光が現されました。
(7節)「イエスの愛しておられたあの弟子(ヨハネと言われます)がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」ペトロは行動が先走る方です。後で「しまった」と思うこともありますが、ここでの行動は正解です。裸同然では、さすがにイエス様に失礼で畏れ多いと思い、上着をまとってすぐに湖に飛び込んで、泳いで岸に向かいます。敬愛するイエス様に一刻も早くお会いしたいからです。(8節)「ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から200ペキスばかりしか離れていなかったのである。」6人の弟子たちは舟で岸に戻りました。
この奇跡は、神の子イエス様の力、神様の偉大な力を示す出来事、私たちを励ます出来事です。神様は死者に命を与えることがおできになり、存在していないものを呼び出して存在させる力をお持ちです。民数記を見ると、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野の厳しい旅の中で不満を言う場面がしばしば出ています。イスラエルの民も、民に加わっていた雑多な他国人も言いました。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11:4~6)。神様は、憤りつつも、「あなたたちは肉を食べることができる」と指導者モーセにおっしゃいます。モーセは言います。「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一か月の間食べさせよう』と言われます。しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか。」モーセは「とても足りない」と言いたげです。神様はモーセに言われます。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」 神様は風を起こされ、風は非常に多くのうずらを吹き寄せました。イスラエルの民は大喜びでそれを食べましたが、その貪欲さに神様は憤りを発せられ、激しい疫病で民を打たれたのです。それはともかく、この民数記のエピソードは、主の手が短くて私たちを救えないことはない、神様に不可能はないことを教えています。
私たちがなすべきことは、イエス様のお言葉、イエス様のご意志に従うことです。今日の場面でイエス様は弟子たちに言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」すると多くの魚がとれたのです。似た場面はこの福音書にいくつかあります。2章を見ると、ガリラヤのカナという所で婚礼があったとき、イエス様はその家の召し使いたちに、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と指示されました。水がめは石でできており大きく、6つありました。召し使いたとはぶつぶつ言わず、かめの縁まで水を満たしました。するとイエス様はその水を、何とぶどう酒に変えて、婚礼に喜びをもたらして下さったのです。
11章を見ると、イエス様は死んで四日もたったラザロの洞穴の墓に行かれ、墓をふさいでいる石を見て言われました。「その石をとりのけなさい。」人々はその御言葉に従い、石をとりのけました。イエス様は天を仰いで祈られます。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」そして「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれます。すると死んでいたラザロが、手と足を布で巻かれたまま出て来たのです。ラザロが生き返ったのです。驚くべきことですが、神様には死者に命を与える力がおありなのです。イエス様が、父なる神様が働いて力を発揮して下さいました。人々がしたことは、イエス様の御言葉に従って、石をとりのけることでした。 新約聖書のテモテへの手紙(二)4章2節は私たちに、「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい」と求めています。この求めに従って、折りが良くても悪くても、聖書の言葉を宣べ伝え、唯一の救い主イエス・キリストを宣べ伝えたいのです。
本日の旧約聖書はエゼキエル書47章1節以下です。「命の水」の小見出しがついています。神の国のヴィジョンが記されています。神殿の敷居の下から清い水が湧き上がって、東の方に流れて次第に大きな川になってゆくのです。東久留米教会も南沢湧水と落合川という清流に挟まれています。(8~10節)「彼(天使でしょう)はわたしに言った。『これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいなるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海(地中海)の魚のように非常に多くなる。』」まさに命を与える神の清い水です。神様の祝福の水です。洗礼の水を思い浮かべてもよいでしょう。
ペトロたち7人の弟子たちの網は、「153匹もの大きな魚でいっぱいであった」と書かれています。エゼキエル書47章のヴィジョンがここで実現していると言ってもよいでしょう。「153匹」に何か意味があるのか、よくは分かりません。イエス様の時代に、地中海に棲息する魚が153種類だと考えられていたという説があります。そうだとすれば、すべての種類の魚が網に入ったとも言えます。伝道者が「魚をとる漁師」であることを考えれば、世界中の多くの人々がイエス・キリストの救いの網に入れられることを示すのでしょう。つまり弟子たちが世界伝道に踏み出してゆくとき、復活のイエス様が助けて下さり、試練の夜もあるけれども、伝道の実りが与えられることを示します。私たちも試練の夜を経験しますが、「船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」とのイエス様の御言葉に励まされ、もう一度立ち上がります。何度でも、です。時が良くても悪くても、私たちの言葉と行いによって、十字架と復活の真の救い主イエス・キリストを宣べ伝えましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。
「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』」
(ヨハネによる福音書21章6節)
(第1節)「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」ティベリアス湖はガリラヤ湖の別名です。ガリラヤ湖の西岸にティベリアスという町があったそうです。その町の名に因んで、ガリラヤ湖をティベリアス湖と呼ぶことがあったそうです。この町を建設したのは、洗礼者ヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスです。ローマ皇帝ティベリウスの名からティベリアスという町の名をつけられ、この町がガリラヤの首都となったそうです。ローマ皇帝の名から町の名がティベリアスと名付けられたので、ユダヤ人はこの名を嫌ったそうです。しかしヨハネによる福音書では、なぜかガリラヤ湖と書かず、ティベリアス湖と書いています。今はこの点には深入りしません。復活されたイエス様が、そのティベリアス湖・ガリラヤ湖でご自分を弟子たちに現されたのです。
その時、七人の弟子たちが一緒にいました。(2節)「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)、それにほかの二人の弟子が一緒にいた。」「ほかの二人の弟子」の名前は分かりません。熱血型のペトロがリーダーシップを取ります。(3節)「シモン・ペトロが、『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは、『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」イエス様はペトロに、ルカによる福音書5章で、「あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。そしてペトロとヤコブとヨハネが、魚をとる漁師をやめて、イエス様に従って行ったのです。それはイエス様が宣教活動を開始された、イエス様が30歳くらいのときのことです。本日の出来事は、イエス様が十字架で死なれて復活された後のことですから、イエス様がペトロに「あなたは人間をとる漁師になる」と言われた約3年後のことと推定できます。
本日の3節でペトロが「わたしは漁に行く」と言ったのは、魚をとる漁のことですが、それはペトロに代表される教会の伝道活動、人々にイエス・キリストを宣べ伝える活動の象徴であると考えることができます。ペトロをはじめとする7人の弟子たちは、舟に乗り込みました。ご存じの通り、聖書では舟はしばしば神の民のシンボル、教会のシンボルです。ペトロにリードされ、六人の弟子たちも着いてゆき、七人で伝道に精一杯働いたことを意味します。「しかし、その夜は何もとれなかった。」 夜は漁に適した時間帯だと言います。日本の漁師も早朝に海に出るでしょう。しかもペトロとヤコブとヨハネは、3年前までこの湖で毎日のように漁をしていたのですから、経験豊富な漁師でした。しかし、その夜は一匹の魚もとれなかったのです。こうなると夜は、試練の時の象徴としての夜となります。
人生の中に、そのような時はあるものでしょう。イエス様も、十字架の試練を体験しておられます。十字架に架けられ、暗闇の中で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と大声で叫ぶ、非常に辛い経験をされたのです。聖書のほかの人々も、夜のような試練を体験しています。ルツ記を読むと、ナオミという婦人が登場致します。ナオミという名前は「快い」という意味です。その時代に、イスラエルを飢饉が襲ったので、ナオミと夫エリメレクは、二人の息子マフロン・キルヨンと共に、ユダヤのベツレヘムから、外国のモアブの野に移り住んだのです。ナオミがモアブで10年ほど暮らすうちに、夫エリメレクが死に、二人の息子たちはモアブの女性と結婚しましたが、二人の息子たちも死んだのです。ナオミは、神様がユダヤの地に食べ物をお与えになったと聞き、ユダヤに帰ることにします。二人の息子の妻のうちルツだけはどうしてもナオミと共に行くと言いましたので、ナオミはルツと共にベツレヘムに帰ったのです。すると町中の人々が二人のことでどよめき、女たちが「ナオミさんではありませんか」と懐かしがって声をかけました。
するとナオミは答えたのです。「どうかナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
出て行くときは、満たされていたわたしを/ 主はうつろにして帰らせたのです。
なぜ快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。/ 主がわたしを悩ませ
全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
ルツが一緒だったことが、神様の恵みであったと思いますが、その時のナオミはまだそのことに気づかなかったかもしれません。帰って来た場所はベツレヘムで、将来イエス様が誕生する地です。そしてルツはダビデ王の曾祖母となります。ダビデ王はナオミの血を引いていませんが、ナオミの最良の嫁ルツがダビデ王の曾祖母となる恵みをナオミは受けました。ですからナオミから神様の恵みが完全に失われたのではないのですが、しかしベツレヘムに帰ったときのナオミは、辛い辛い試練の中にいました。夜のような体験をしていたのです。イエス様の弟子たちも、精一杯努力したけれども、何の成果も上がらない、信仰の夜、伝道の夜を経験したのです。私たちも似たことを経験するのです。
それを打開して下さるのは、復活のイエス・キリストです。(4節)「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。」夜明け、早朝、朝は、神様の創造の力が新しく与えられる時です。イエス様が復活されたのも夜明け、早朝です。詩編46編6節の御言葉が思い出されます。「夜明けとともに、神は助けをお与えになる。」「夜明けとともに、神は助けをお与えになる。」そして先週の礼拝で読んだ哀歌3章22~23節も、私たちを勇気づける、朝にふさわしい御言葉です。
「主の慈しみは決して絶えない。/ 主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。/ あなた(神様)の真実はそれほど深い。」
旧約聖書のイスラエルの民が、ファラオの軍隊によって葦の海の前に追い詰められたとき、主はよもすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水が分かれる奇跡が起こりました。「朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された」と書かれています。まさに夜明け、早朝は、神様の助けが与えられるときなのです。
「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。」「立つ」姿は復活を象徴しています。イエス様が墓から立ち上がられたことが、復活であるからです。「だが、弟子たちには、それがイエスだとは分からなかった。」やや距離があったからかもしれません。舟の弟子たちと、岸のイエス様の間の距離は200ペキス(約90メートル)でした。朝もやがかかっていたかもしれません。
(5節)「イエスが、『子たちよ、何か食べる物があるか』と言われると、彼らは、『ありません』と答えた。」弟子たちの答えは正直です。「ありません。」私たち人間は、神様の助けなしには一秒も生きられない存在です。自力で生きていると思っていても、「自力」と思っているその力も、神様に与えられている力です。私たち人間は神様に100%依存して生きており、神様の助けがなくなれば困り果て、完全に行き詰まる者です。困り切った弟子たちの耳に、イエス様の権威ある御言葉が響き渡ります。(6節)「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」それまでも舟の右側に網を打ったことでしょう。でも何もとれなかったのです。しかし同じ舟の右側に網を打つにしても、今回はイエス様の愛の助けがあるのです。復活のイエス様の祝福、神の祝福が注がれ、驚くほど多くの魚(153匹もの大きな魚)が一度に網にかかり、網を引き上げることができないほどの豊漁となったのです。驚くべきことです。
旧約聖書・箴言10章22節を思い出します。「人間を豊かにするのは主の祝福である。/ 人間が苦労しても何も加えることはできない。」その通りです。ですが、こう言われると人間が努力することは無用なのかとの疑問が湧くでしょう。私たち人間の努力には罪・エゴも含まれていますから、私たちの努力がいつも神様が喜んで下さる方向に向かっているとは限らないでしょう。神様が喜んで下さる方向に向かって初めて、人間の努力も神様の祝福を受け、実を結ぶのだと思います。最も大切なものは、神様の祝福です。いえ、神様ご自身です。ジョン・ウェスレーというイギリスの伝道者は臨終のときに言ったそうですね。「最もよいことは、神様が私たちと共におられるということだ」と。弟子たちにとっても、私たちにとっても最高の恵みは、イエス・キリストが共にいて下さることです。弟子たちはそれを経験しました。その結果として、153匹もの大きな魚が一度に網にかかる祝福をいただいたのです。イエス様ご自身が働いて下さったこの奇跡によって、神の子イエス・キリストの栄光が現されました。
(7節)「イエスの愛しておられたあの弟子(ヨハネと言われます)がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」ペトロは行動が先走る方です。後で「しまった」と思うこともありますが、ここでの行動は正解です。裸同然では、さすがにイエス様に失礼で畏れ多いと思い、上着をまとってすぐに湖に飛び込んで、泳いで岸に向かいます。敬愛するイエス様に一刻も早くお会いしたいからです。(8節)「ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から200ペキスばかりしか離れていなかったのである。」6人の弟子たちは舟で岸に戻りました。
この奇跡は、神の子イエス様の力、神様の偉大な力を示す出来事、私たちを励ます出来事です。神様は死者に命を与えることがおできになり、存在していないものを呼び出して存在させる力をお持ちです。民数記を見ると、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野の厳しい旅の中で不満を言う場面がしばしば出ています。イスラエルの民も、民に加わっていた雑多な他国人も言いました。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11:4~6)。神様は、憤りつつも、「あなたたちは肉を食べることができる」と指導者モーセにおっしゃいます。モーセは言います。「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一か月の間食べさせよう』と言われます。しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか。」モーセは「とても足りない」と言いたげです。神様はモーセに言われます。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」 神様は風を起こされ、風は非常に多くのうずらを吹き寄せました。イスラエルの民は大喜びでそれを食べましたが、その貪欲さに神様は憤りを発せられ、激しい疫病で民を打たれたのです。それはともかく、この民数記のエピソードは、主の手が短くて私たちを救えないことはない、神様に不可能はないことを教えています。
私たちがなすべきことは、イエス様のお言葉、イエス様のご意志に従うことです。今日の場面でイエス様は弟子たちに言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」すると多くの魚がとれたのです。似た場面はこの福音書にいくつかあります。2章を見ると、ガリラヤのカナという所で婚礼があったとき、イエス様はその家の召し使いたちに、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と指示されました。水がめは石でできており大きく、6つありました。召し使いたとはぶつぶつ言わず、かめの縁まで水を満たしました。するとイエス様はその水を、何とぶどう酒に変えて、婚礼に喜びをもたらして下さったのです。
11章を見ると、イエス様は死んで四日もたったラザロの洞穴の墓に行かれ、墓をふさいでいる石を見て言われました。「その石をとりのけなさい。」人々はその御言葉に従い、石をとりのけました。イエス様は天を仰いで祈られます。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」そして「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれます。すると死んでいたラザロが、手と足を布で巻かれたまま出て来たのです。ラザロが生き返ったのです。驚くべきことですが、神様には死者に命を与える力がおありなのです。イエス様が、父なる神様が働いて力を発揮して下さいました。人々がしたことは、イエス様の御言葉に従って、石をとりのけることでした。 新約聖書のテモテへの手紙(二)4章2節は私たちに、「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい」と求めています。この求めに従って、折りが良くても悪くても、聖書の言葉を宣べ伝え、唯一の救い主イエス・キリストを宣べ伝えたいのです。
本日の旧約聖書はエゼキエル書47章1節以下です。「命の水」の小見出しがついています。神の国のヴィジョンが記されています。神殿の敷居の下から清い水が湧き上がって、東の方に流れて次第に大きな川になってゆくのです。東久留米教会も南沢湧水と落合川という清流に挟まれています。(8~10節)「彼(天使でしょう)はわたしに言った。『これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいなるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海(地中海)の魚のように非常に多くなる。』」まさに命を与える神の清い水です。神様の祝福の水です。洗礼の水を思い浮かべてもよいでしょう。
ペトロたち7人の弟子たちの網は、「153匹もの大きな魚でいっぱいであった」と書かれています。エゼキエル書47章のヴィジョンがここで実現していると言ってもよいでしょう。「153匹」に何か意味があるのか、よくは分かりません。イエス様の時代に、地中海に棲息する魚が153種類だと考えられていたという説があります。そうだとすれば、すべての種類の魚が網に入ったとも言えます。伝道者が「魚をとる漁師」であることを考えれば、世界中の多くの人々がイエス・キリストの救いの網に入れられることを示すのでしょう。つまり弟子たちが世界伝道に踏み出してゆくとき、復活のイエス様が助けて下さり、試練の夜もあるけれども、伝道の実りが与えられることを示します。私たちも試練の夜を経験しますが、「船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」とのイエス様の御言葉に励まされ、もう一度立ち上がります。何度でも、です。時が良くても悪くても、私たちの言葉と行いによって、十字架と復活の真の救い主イエス・キリストを宣べ伝えましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。