日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2015-02-18 18:18:14(水)
「はるかに優れた栄光」 2015年2月15日(日) 降誕節第8主日礼拝説教
朗読聖書:出エジプト記24章1~11節、コリント(二)6章6~18節
    「永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです」
              (コリントの信徒への手紙(二)3章11節)。

 本日の出エジプト記24章は、神様とイスラエルの民との間で契約が締結される重要な箇所です。旧約聖書の旧約は「古い契約」の意味ですが、その「古い契約」が今日の箇所で締結されるのです。私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活による「新しい契約」に生かされているのですが、それでも「古い契約」のことを知っておくことは大切です。「古い契約」の中心はもちろん十戒です。神様は、イスラエルの民をエジプトでの苦難の奴隷生活から助け出して下さいました。神様の偉大な愛を示して下さったのです。この神様の愛に感謝するイスラエルの民は、応答として十戒を守って生きることで、神様への愛を示すことが、神様から求められたのです。十戒は出エジプト記では20章に記されています。その後、20章22節から23章19節までの長い部分に、「契約の書」という小見出しが記されています。そこにはイスラエルの民が神様の民として、神様に従って生きる生き方が詳しく教えられています。そして23章20節以下には、特に偶像崇拝をしてはならないことが強調されています。イスラエルの民が約束の地に入る時、そこでは現地の神々が礼拝されているのです。それは偽の神、はっきり言えば悪魔です。約束の地に入った時に、そこの神々を礼拝してはいけない。真の神様だけを純粋に礼拝するように。そう神様が念を押しておられます。

 その上で24章に入るのです。(1節)「主はモーセに言われた。『あなたは、アロン、ナダブ、アビフ、およびイスラエルの七十人の長老と一緒に主のもとに登りなさい。あなたたちは遠く離れて、ひれ伏さねばならない。』」アロンはモーセの兄で祭司です。ナボフとアビフはアロンの息子たちで、二人とも祭司になったようです。神様はモーセとアロンと二人の息子と七十人の長老を、シナイ山にお呼びになりました。但し、頂上に招かれたのはモーセ一人で、ほかの人々は中腹辺りまで登ることが許されたのではないかと思います。「あなたたちは遠く離れてひれ伏さねばならない」と書かれています。(2節)「しかし、モーセだけは主に近づくことができる。その他の者は近づいてはならない。民は彼と共に登ることはできない」と書いてあります。父なる神様に最も近づくことができる方はイエス様です。本来、罪ある者は、聖なる神様に近づくことができません。本来、罪人(つみびと)である私たちが、聖なる神様を直接見ることはできません。神様を見ると死ぬのが聖書の世界です。にもかかわらず、罪人である私たちが、聖なる神様に近づいて礼拝することができるのは、ひとえにイエス様が十字架にかかって、私たちの全ての罪を償って下さったお陰です。

 (3節)「モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かると、民は皆、声を一つにして答え、『わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います』と言った。」これは民の誓約・約束と言えます。「十戒をすべて行います。十戒の次に記されている「契約の書」の言葉もすべて行います」と神様に約束したことになります。この時は本気だったでしょう。しかし残念ながら、イスラエルの民はモーセが四十日四十夜シナイ山に登っていた間に、早くも金の子牛を造り、偶像崇拝の罪に落ち込んでしまうのです。神様との約束を忘れやすいことは、私たちの罪でもあるかもしれません。民はここでは、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」とはっきり声に出して約束したのです。この神様と契約を結ぶことにはっきり同意したのです。

 (4節)「モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。」ユダヤ人は、モーセ五書と呼ばれる創世記・出エジプト記・レビ記・申命記を全部モーセが書いたと信じたと聞きます。それでモーセ五書と呼ばれるのでしょう。私にはモーセがモーセ五書を全部書いたかどうかは分かりませんが、少なくともモーセが神様の言葉を一生懸命書き記していたことは、4節の「モーセは主の言葉をすべて書き記し」の言葉から分かります。そしてモーセはシナイ山のふもとに祭壇を築きました。祭壇は、聖なる神様を礼拝する場です。この祭壇が、神様とイスラエルの民が契約を締結する場となります。(5節)「彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。」献げ物をすることは礼拝行為です。

 6~8節は、契約締結を語る中心部分です。「モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書(「契約の書」との小見出しが付けられている出エジプト記20章22節~23章19節(ないし33節)を指すと伝統的に受けとめられています)を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、『わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります』と言うと(民は改めて約束したのですね)、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれる契約の血である。』」

 いけにえの動物の血が出て参ります。モーセは血を祭壇と民に振りかけ、血によって祭壇と民を清めたのです。血は命です。殺した動物の血によって祭壇と人を清めるのが旧約聖書の世界です。これが日本人には分かりにくいのです。日本人は「気持悪い」と感じるでしょう。これは日本人がクリスチャンになるために、よく聖書を学んで乗り越える必要がある点です。本当は神様の前に罪を犯した私たち(十戒を破る罪を犯した私たち)が裁かれる必要があるのですが、身代わりに動物に裁きを受けてもらって、血を流して死んでもらうのです。この場面のことが新約聖書のヘブライ人への手紙9章18節に、次のように書かれています。強調点は、罪の償いのためには血が流されることが必要だ、という点です。「だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、『これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である』と言ったからです。また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」「血を流すことなしに罪の赦しはありえない。」何と厳粛な言葉でしょう。これが真理なのです。

 旧約の時代は、神殿で毎日いけにえの動物が屠られ(殺され)、イスラエルの人々の罪の贖い(償い)のために献げられていたと聞きます。血なまぐさい話ですが、それだけ罪の赦しを受けることに真剣だったのです。しかし本当は動物の血では、全く不十分なのです。全人類の罪が赦されるためには、全く罪がない神の子イエス・キリストが十字架にかかって尊い血潮を流すしか、道がないのです。それでイエス様が十字架に架けられて死んで下さいました。「血を流すことなしには罪の赦しはありえない。」さらに言えば、神の子が十字架で血を流すことなりには罪の赦しはありえないのです。はっきり言えば、イエス・キリストを救い主と信じ告白する以外には、天国に確実に入れていただく道がないのです。こう申しますと、ほかの宗教の方々に嫌がられるでしょうが、しかし確かにそうなのです。

 出エジプト記24章8節のモーセの言葉。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれる契約の血である。」この「結ぶ」という言葉は、ヘブライ語を直訳すると「切る」です。日本語では「契約を結ぶ」と言いますが、ヘブライ語では「契約を切る」と言うそうです。聖書の世界では契約を結ぶことは命がけのことです。創世記15章に、神様とアブラム(後のアブラハム)が契約を結ぶ場面がありますね。アブラハムは神様の指示に従って、三歳の雌牛と三歳の雌山羊と三歳の雄羊と山鳩と鳩の雛を持って来て、鳥以外を真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせに置きました。日が沈んだ後で、煙を吐く炉と燃える松明(実は神様)が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎました。これによって神様とアブラムの間の契約が成立したのです。

 なぜ「契約を切る」という言い方をするか。もし契約を破ったら、破った側がこの動物のように切り裂かれても構わないと互いに了解し合って約束を交わしたのだそうです。この神様とアブラムの契約の場合は、本来なら神様とアブラムの両者が裂かれた動物の間を共に通るはずですが、神様だけが通られました。この場合については、神様がお一人で全責任を負う覚悟を示されたものと理解されます。「契約を切る」という言い方は、イスラエルの民が契約を結ぶことを命がけの真剣なことを考えていたことを明らかにします。ですから8節も直訳すると、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと切られる契約の血である」となります。契約を結ぶ、契約を切ることは、まさに血を流す覚悟の上に行われることです。

 (9~11節)「モーセはアロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老と一緒に登って行った。彼らがイスラエルの神を見ると、その御足の下にはサファイアの敷石のようなものがあり、それはまさに大空のように澄んでいた。神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。」 サファイアは美しい紺色です。聖なる神を見ると死ぬのが本来です。神様を見て飲食する場面は、旧約聖書でこの一箇所だけだそうです。契約を結んだ後に双方が食事をする習慣がありました。ここでは神様とイスラエルの民の代表者との間で会食が行われています。祝福の場面なので、神様の特別の計らいで、代表者たちは神様に撃たれずに済んだのでしょう。こうして神様とイスラエルの民との契約は無事締結されたのです。

 この契約は、神様がイスラエルの民をエジプトから解放して下さった愛と、荒れ野での生活を支えて下さる愛に感謝して、民が十戒を守るという契約です。しかし神様は約束を100%実行されますが、民は契約を破るのです。出エジプト記32章で民は「金の子牛」を造り、偶像崇拝の罪に陥ります。民の歴史は神様を裏切る歴史になり、神様が何人も預言者を送って、民に立ち帰り・悔い改めを求めたにもかかわらず、民が応じなかったために、とうとうバビロン捕囚という審判を下されてしまいます。そして神様は、十戒を中心とする契約に代わる新しい契約を用意して下さるのです。それがイエス・キリストの十字架の死と復活による新しい契約ですが、それがエレミヤ書31章31節以下で予告されます。これは旧約の中の新約とも呼ばれる大切な箇所です。

 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」

 こうして予告された新しい契約は、イエス様が十字架で尊い血潮を流して死なれ、復活されることで実現したのです。イエス様は最後の晩餐のときに弟子たちに、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」とおっしゃいました。この契約は、何と神様の側が全責任を負って下さる契約です。私たちが契約を破る罪を犯せば、私たちが体を裂かれ、血を流して死ぬのが本当です。それなのに私たちが負うべき責任を神様の側が、神様の最愛の独り子イエス様が全面的に負って十字架で肉体を裂いて死んで下さったのです。私たち罪人(つみびと)にとって、どんなに涙を流して感謝しても感謝しても足りないありがたい契約です。

 本日の新約聖書・コリントの信徒への手紙(二)3章6節以下も、この「新しい契約」を語ります。(6節)「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えて下さいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」文字とは二枚の石の板に刻まれた十戒の文字であり、古い契約のことです。「文字は殺す」とは、十戒は違反する人に裁きを宣告するということです。十戒は善いもので、そこに神様の聖なる意志が示されています。しかし私たち罪人(つみびと)が全力投球で努力しても、残念ながら十戒を万全に行うことができません。古い契約だけですと、私たちはしょっちゅう違反してしまうので、絶望するしかありません。しかし「霊は生か」すのです。この場合の「霊」は、新しい契約、イエス様の十字架と復活による福音を指します。イエス様の福音には私たち罪人(つみびと)を生かす愛の力があります。イエス様が私たちの全部の罪を背負って下さったので、自分の罪を悔い改めてイエス様を救い主と信じ告白する人は、すべての罪を赦されて、喜んで愛に生きるよう励まされるのです。十戒を中心とする「古い契約」にも意義と栄光があるけれども、「新しい契約」ははるかに優れた栄光に輝いているとパウロが、感激をこめて語ります。

 (7~8節)「ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える(十戒だけだと私たちは裁きを受けるほかないので、この言い方になる)務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。」モーセが神様と語り合った後、神様の栄光を受けてモーセの顔が一時的に輝いていたと出エジプト記34章にありますね。しかしそれは「つかのまの栄光」です。霊、つまりキリストの福音という新しい契約に仕える務めは、さらに大きな栄光に満ちているとパウロは、感激して語ります。パウロはこの光栄な務めのために働いており、私たちクリスチャンも同じです。

 (10節)「そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。」「古い契約」にも栄光があるが、「新しい契約」は「はるかに優れた栄光」に輝いている。(11節)「なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。」「新しい契約」は決して古くならない「永続するもの」なのです。イエス様の十字架の死と復活による福音は、全世界の一人一人を救うための、神様の「最後の切り札」だからです。私たちはこの福音を今改めて心から信じ、この福音を周りの方々にもお勧めする光栄ある務めに励んで参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-02-10 0:12:45(火)
「わたしたちの心は燃えていた」 2015年2月8日(日) 降誕節第7主日礼拝説教
朗読聖書:創世記3章13~15節、ルカ福音書24章13~35節
   「~聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」
                         (ルカ福音書24章32節)

 イエス様が十字架で死なれました。金曜日のことです。アリマタヤという町出身のヨセフが、イエス様を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めました。翌日は安息日(礼拝の日・どんな仕事もしてはいけない日)でしたので、弟子たちも婦人たちも墓に来ませんでした。安息日が明け、日曜日の早朝まだ暗いうちに、婦人たちが香料を持って墓に駆けつけました。しかし驚いたことにイエス様の遺体がありませんでした。さらに驚くべきことに天使たちが現れ、「あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」と力強く宣言しました。婦人たちは信じたようですが、婦人たちからこのことを知らされた弟子たちは、たわ言と受け取り信じませんでした。しかしどう受けとめてよいのか、悩んだことは確かと思います。

 (13~14節)「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから60スタディオン(1スタディオンが約185メートルですから、約11キロ)離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」この不可解なことが非常に気にかかり、何とかして納得したかったので、熱心に話し合わずにはいられなかったのです。エマオという村は二人の弟子たちが復活のイエス様と相(あい)対する場所となりました。日本キリスト教団の東北教区被災者支援センターにはエマオという名がつけられていますが、復活のイエス様との出会いの場になってほしいという祈りをこめてエマオと名付けられたのでしょう。神様が、二人の弟子たちを復活のイエス様と相(あい)対するエマオへと導いておられます。話し合い、論じ合っていると、何とイエス様ご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められたのです。私たちがそれと気づかないときも、イエス様は私たちと共に歩んでいて下さいます。しかし、二人の目は遮られていて、イエス様だと分からなかったのです。

 エマオはどこにあったのでしょうか。いくつかの説があります。有力とされる2つの説は、現在の「エル・クベイベ」あるいは「アムワース」とする説です。新共同訳聖書巻末の地図6にエマオの場所が示されていますが、エルサレムから20キロ以上あり、おそらく「アムワース」説に立ってこの地点としているようです。どちらにしてもエマオは、弟子たちが出発したエルサレムから見て北西に位置したようです。ですから弟子たちは西に向かって歩いていたのです。弟子たちの目が遮られていたのは、神様によって遮られていたのかもしれません。物理的には、夕方に近づくに従って西日が射したので、西日に遮られてイエス様のお姿が見えにくかったということもあり得ます。弟子たちは日が沈む方角に向かって歩き進んでいたのです。日が沈んで暗くなる方向に進んでいました。イエス様が死なれた今、弟子たちの心も暗くなり、意気消沈していました。二人は暗い顔をしていたのです。

 イエス様が「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」おっしゃると、二人は暗い顔をして立ち止まりました。こうしてイエス様との対話が始まります。二人が疑問をぶつけ、イエス様が二人を真理へと導いてゆかれる対話です。弟子の一人はクレオパという名前です。「エル・クベイベ」には、この人に因んで、「クレオパ教会」という教会があるそうです。二人は堰を切ったように疑問を語り出します。(19節の途中から)「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに。わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。」弟子たちはイエス様をイスラエルのメシア(救い主)と信じ、期待していました。但しそれは、ローマ帝国と戦ってイスラエルを植民地状態から解放するために戦う政治的なメシアでした。十字架にかかって私たち全員の罪の身代わりに死ぬメシアだとは露思っていなかったのです。

 実際は、イエス様が十字架で死なれることによって、父なる神様のご計画は前進していたのです。弟子たちにはそれが見えず、イエス様の思いがけない死によって絶望の淵に落とされていました。「しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。」もしかすると弟子たちは、心のどこかで淡い期待を捨てていなかったのです。何か目に見える劇的な逆転が起こるのではなかろうか、と。しかし十字架から三日目の今になっても、目に見える劇的なことは何も起こらず、とうとう最後の望みも消え失せようとしている。ここに弟子たちの絶望がありました。「いよいよ本当にもうだめだ。」 しかしただ一つ、よく分からないが気になることが起こりました。墓が空っぽだったという出来事です。(22節)「ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたというのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」弟子たちにとって大きな謎です。「一体どういうことなのか分からない。何とかして分かりたい!」これが彼らの気持ちです。

 さあ、ここからイエス様の導きがスタートします。(25~26節)「そこでイエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』」「はずだった」という言葉は、新約聖書のギリシア語で「デイ」という、小さいけれども重要な言葉です。先週の箇所(ルカ24章7節)にも出て参りました。「必然、神様の必然」と表します。メシアが、このような苦しみを受けた後に栄光に入ること、それが父なる神様による必然、父なる神様の御旨であるということです。弟子たちはイエス様が十字架で死なれたのですっかり意気消沈していますが、「救い主が十字架で苦難を味わって死ぬことは、思いがけないことではなく神様の必然だ。」そうイエス様である旅人が真理をお教えになったのです。この真理は、特にイザヤ書53章にはっきりと予告されています。
「見るべき面影はなく/ 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、/ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し/ わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病
 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたち思っていた
 神の手にかかり、打たれたから/ 彼は苦しんでいるのだ、と。」
苦難を通ってから、復活の栄光に入ることが、メシアに用意された道だったのです。

 (27節)「そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。」ユダヤ教では、旧約聖書を「トーラー」(律法・モーセ五書)、「ネイビーム」(預言者)、「ケトゥビーム」(諸書)の3つに区分するそうです。「トーラー」(律法・モーセ五書)は「創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記」の五冊です。「ネイビーム」(預言者)は「前の預言者」と「後の預言者」に分けられます。「前の預言者」は、「ヨシュア記・士師記・サムエル記(上下)・列王記(上下)」の四冊です。「後の預言者」は、「イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書・12小預言書」の四冊です。「諸書」(詩編・ヨブ記・箴言など)もありますが、「モーセ」はモーセ五書であり、「モーセとすべての預言者」という言い方で、旧約聖書の主要な部分を指しています。イエス様は旧約聖書のあちらこちらにご自分(イエス様)のことが書かれているとお教えになったのです。旧約聖書にイエス様は直接登場なさいませんが、旧約聖書のいろいろな箇所にイエス様が暗示されているのです。イザヤ書53章はもちろんその代表的な箇所です。

 本日の旧約聖書・創世記3章もイエス様を暗示する箇所の1つです。エバとアダムが蛇(悪魔)の誘惑に負けて、善悪の知識の木の実を食べてしまった後の場面です。(13~15節)
「主なる神は女に向かって言われた。
 『何ということをしたのか。』
 女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました。』
 主なる神は、蛇に向かって言われた。
 『このようなことをしたお前は
 あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
 呪われるものとなった。
 お前は生涯這いまわり、塵を食らう。
 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に 
 わたしは敵意を置く。
 彼はお前の頭を砕き 
 お前は彼のかかとを砕く。』」

 15節は「原福音」と呼ばれるそうです。「お前の子孫」とは、「蛇の子孫」で、悪魔を指すようです。「女の子孫」はエバの子孫で、イエス様を指すと理解されます。蛇とエバ、蛇の子孫とエバの子孫の間に敵意が置かれる、つまり両者の間に戦いがあるというのです。悪魔とイエス様が戦う。「彼(イエス様)はお前(蛇・悪魔)の頭を砕き、お前(蛇・悪魔)は彼(イエス様)のかかとを砕く。」イエス様が悪魔に致命的なダメージを与えて悪魔を滅ぼす。悪魔がイエス様を十字架につけて苦しめることが「かかとを砕く」と表現されているようです。イエス様と悪魔の間に戦いがあり、イエス様も傷を負うが、イエス様が決定的な勝利を収めることがここで予告されています。イエス様が二人の弟子たちに聖書(旧約聖書)全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されたとき、イエス様がこの創世記3章13~15節をも説明なさった可能性があると思います。旧約聖書の様々な御言葉が、救い主イエス・キリストを指し示していることを教えられるのです。弟子たちはイエス様による旧約聖書の説き明かしを聴いて、心が燃えたのです。

 (28~29節)「一行は目指す村(エマオ)に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。」後で歌う「讃美歌21」の218番は、「一緒にお泊まりください」の御言葉を歌詞にしています。「主よ、ともに宿りませ。」「イエス様、私たちと共に泊まって下さい。エマオで二人の弟子たちと共に泊まるために家に入られたのと同じように。」どんなときにも、私たちが死に直面するときにも、共にいて下さい、という歌詞です。弟子たちは、この旅人に対して心を開きつつありますが、まだ復活されたイエス様だとは悟っていません。しかし遂に、決定的なことが起こります。(30~31節)「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。するとイエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」

 暗くなり、ろうそくしかないので、お互いの顔を見分けることも難しくなったでしょう。しかし食卓でのイエス様の動作を見て、弟子たちはピンと来ます。この二人は十二弟子ではないので、わずか三日前の木曜日の夜の「最後の晩餐」の場にはいなかったはずです。それでもほかの弟子から「最後の晩餐」の様子を聴いていたに違いありません。あの時イエス様は、パンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われたのです。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」今のイエス様の動作と、話に聞いた「最後の晩餐」の時の動作とそっくりに思えました。

 この弟子たちは、イエス様が数年前にガリラヤのベトサイダで、男だけで五千人の群衆を養われたときのことを思い出したでしょう。この弟子たちがその場に居合わせた可能性は十分あります。そのときも、日が傾きかけて夕方になっていました。イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせなさいました。すると男だけで約五千人(女性と子どもを含めると一万五千人から二万人いたかもしれない)が満腹したのです。その時のイエス様のお姿は、弟子たちの心にしっかりと刻まれました。エマオの、ろうそくだけがともしてある暗い食卓で、イエス様はあの時とそっくりの動作をなさったはずです。それで二人の目が開け、復活されたイエス様であることを悟り、信じることができたのです。神様が二人の目を開いて下さいました。肉眼が開かれたというより、イエス様が復活されていつも共におられることを悟る心の目が開かれたのです。

 (32節)「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」イエス様が聖書を語って下さった説教によって心が燃え、パンを裂いて渡してくださったことによってイエス様であることが分かったのです。今の教会の礼拝でも同じことを行っています。聖書による説教が語られ、聖餐式が執り行われます。礼拝の中で、聖書の説教と聖餐によってイエス様に出会います。目で見ることはできませんが、この場に確かに共におられる復活のイエス様に、聖書朗読・説教と聖餐のパンとぶどう汁によって出会います。教会の真の牧師はイエス様であり、人間の牧師はイエス様の副牧師に過ぎません。礼拝においては聖霊のお働きが必要です。聖霊に働いていただくためにはどうしても祈りが必要です。私たち全員が礼拝のために前から祈り、聖霊が豊かに注がれるように祈り、その中で説教や聖餐式(洗礼式)が行われるとき、礼拝はイエス・キリストとの深い出会い、深い交わりのときとなります。そうなるために私たちが毎日礼拝の祝福のために祈ることが大切です。どうぞ皆様も、礼拝のためにさらにお祈り下さいますようお願い致します。

 (33~35節)「そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモン(ペトロ)に現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」二人は東に向かって走ったはずです。夜中から早朝にかけて。もしかするとエルサレムに近づいた頃に太陽が少し顔を出したかもしれません。前日は太陽の沈む西の方角に歩いたのですが、今回は明るい朝日が昇る東に向かっての走りです。心の中も全く違います。昨夜は暗い心で歩きましたが、今は復活のイエス様の出会ってそのことを伝える喜びと希望と興奮に満たされています。神様が私たちの心をも、このような喜びと希望で満たしてくださるように祈ります。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-02-05 11:23:31(木)
「平和の道具として」 2月の聖書メッセージ 牧師・石田真一郎
「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」
  (イエス・キリスト。新約聖書・マタイによる福音書5章9節)

 長崎で原爆の語り部を続けた片岡ツヨさんという婦人が、昨年12月30日に93歳で亡くなられたと新聞で読みました。

 24歳のときに、爆心地の北1.4キロの地点で被爆し、13名の肉親を失われたそうです。顔の右半分に火傷の跡が残り、写真家によって撮影され、写真は海外にも紹介され、原爆の非人道性を訴える力をもちました。神様への信仰をもつ家庭に生まれましたが、原爆の辛すぎる現実に、神様への信仰に迷いが生じた時期もあったそうです。1981年に日本に来た当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の、「戦争は(神ではなく)人間がしたこと」という言葉に救いを感じたそうです。その後、「核兵器廃絶のために働くことが生き残った自分の使命。平和の道具として用いられたい」との願いから、語り部を始め、10代の若者たちに「この顔をよく見なさい」と語りかけたそうです。

 片岡さんは「平和の道具として用いられたい」という願いをアッシジのフランチェスコというクリスチャンの、有名な「平和の祈り」から、思いつかれたのでしょう。このような祈りです。
「主(神・イエス様)よ、わたしを平和の道具とさせてください。
 わたしにもたらさせてください。
 憎しみのあるところに愛を~
 争いのあるところに一致を、 
~疑いのあるところに信仰を~
 絶望のあるところに希望を、
 闇のあるところに光を~。
 主よ、わたしに求めさせてください。 
 理解されるよりも理解することを、
 愛されるよりも愛することを。」

 私たちもこの2015年を、片岡さんと同じ「平和の祈り」の心で生きてゆきたいですね。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-02-05 11:12:40(木)
「三日目に復活されたキリスト」 2015年2月1日(日) 降誕節第6主日礼拝説教
朗読聖書:ヨブ記19章23~27節、ルカ福音書24章1~12節
「あの方は、ここにおられない。復活なさったのだ」(ルカ福音書24章6節)。

 主イエス様は、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と大声で叫ばれて、息を引き取られました。そしてアリマタヤ(町の名)出身のヨセフというユダヤ最高法院の議員が、総督ピラトの所に行き、イエス様の遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めました(もちろんこのヨセフは、イエス様の父ヨセフとは別人です。イエス様の父ヨセフは、既に天に召されていたと思われます)。その日は金曜日、安息日の前日でした。母マリアが、十字架から降ろされたイエス様の遺体を抱いている様子を描いた彫刻や絵をピエタと呼びます。ピエタはイタリア語で、「哀しみ」、「慈悲」の意味だそうです。バチカンの聖ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の彫刻ピエタが有名とのことです。直接御覧になった方もおられるかもしれません。私は写真で見ました。このミケランジェロのピエタのマリアさんのお顔がとても若いのだそうです。写真で見ても分かります。マリアさんがイエス様を出産したとき16歳くらいだったと仮定すると、十字架のときは50歳の手前くらいだったはずです。

 なぜミケランジェロのマリアの顔は若いのか。次のような解釈を聞いたことがあります。ミケランジェロが、天使のお告げを受けたときのマリアを思い描いていたからではないかというのです。天使がマリアに、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告げたとき、マリアは最終的にこう答えました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」これはマリアの覚悟です。ミケランジェロがこの深い信仰の言葉を語ったマリアを思いながら、ピエタを制作したので、ピエタのマリアの顔は若いのではないかという解釈です。もしかするとそうかもしれません。十字架から降ろされたイエス様を抱くマリアの姿。この時確かに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」が、実現していたと言わざるを得ません。

 そしてイエス様はアリマタヤ出身のヨセフによって、岩に掘った墓の中に納められました。私はこれまで十字架につけられているイエス様の絵画を本などで見て来ましたが、イエス様が十字架から降ろされる様子を描いた絵画、人々がイエス様の遺体を拭いている様子を描いた絵画、イエス様が墓に埋葬される様子を描いた絵画、死んで墓の中に横たわるイエス様を描いた絵画も、多くあります。そのような絵画をじっと見つめていると、イエス様が死んで葬られたことが、確かに本当のことだったがことが強く感じられます。私たちは毎週、使徒信条の中で、「主は(~)ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」と告白致しました。「死にて葬られ」とはっきり告白致しました。イエス様は仮死状態だったのではないのです。仮死状態から蘇生したのではないのです。イエス様は本当に死なれました。墓に葬られるほどに確かに死なれたのです。使徒信条の言葉は一つ一つすべて重要ですが、「死にて葬られ」も、イエス様が確かに死なれたことを語っていてとても重要です。死んで墓の中に横たわるイエス様の絵画も複数ありますが、それを見つめても、イエス様が死なれたことが現実であるとよく伝わって来ます。このことをしっかりと受けとめる時、イエス様の復活がどんなに力強い出来事であるかが、はっきりと伝わって参ります。

 今日の直前の23章55~56節を見ると、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有り様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」と書かれています。ここに女性たちのイエス様への愛が現れています。アリマタヤのヨセフもそこまではしませんでした。男の弟子たちもそこまでしませんでした。翌日が安息日(礼拝の日、土曜日、どんな仕事もしてはいけない日)だったので、婦人たちも休みました。しかし安息日が終わると、週の初めの日・日曜日のまだ暗い早朝に婦人たちは早速行動を起こします。今日の24章の1節「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」金曜日にイエス様を慌しく埋葬したので、もっと愛情を込めて丁寧に埋葬しようとしたのです。ここでも婦人たちのイエス様へのひたむきな愛が光っています。

 当時のユダヤは男性中心の社会で、女性や子供は信頼できる証言者として考えられていなかったそうです。ところが神様はそうではないのです。神様は、イエス様の復活の第一の証人として、男性ではなく女性たちをお選びになりました。当時の価値観と反対のことをなさいました。このときも今も、神様は女性に期待しておられると思われます。男性にも期待しておられるでしょうが、当時も今も女性に期待しておられると感じます。ほとんどの教会で男性より女性が多いことからもそれは察せられます。考えてみると、イエス様を十字架につける方向に進めたのは全員男性です。しかしイエス様の墓に真っ先に駆けつけたのは全員女性です。どちらが神様の御心に適ったかは明瞭です。私たちは男性であっても女性であっても、イエス様を十字架につけるのではなく、イエス様のもとに真っ先にかけつける者でありたいのです。

 墓に行って見ると、思いもかけないことが起こっていました。(2~3節)「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」大きな石がわきへ転がしてあったことも意外でしたが、イエス様の遺体がなくなっていたことが驚きです。「一体どうしたのか。誰かがお移ししたのか。あるいは誰かが盗みだしたのか?」女性たちの理解を超える出来事です。女性たちはびっくりして途方に暮れていました。私たちであっても途方に暮れ、どうしてよいか分からなくなったに違いありません。私はここで、イエス様の弟子・使徒パウロがコリントの信徒への手紙(二)4章8~9節に書いた言葉を思い出します。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」人の力が行き詰まることは確かにありますが、神様の愛の力で意外な道が開かれることがある。パウロは何度も何度も行き詰まり、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されました。もう駄目と思ったことも一度ならずあったはずです。人よりも多くの苦難を経験したのですが、その度に神様に助けられ、自分の願いの実現のためではなく、神様の御心が実現するために奉仕する、伝道の人生を生きることができたのです。

 婦人たちも、予想を超える事態の前でうろたえ、途方に暮れていました。しかしそこへ、何と、輝く衣を着た二人の人がそばに現れたのです。天使たちです。神様は、天使によって人間たちの世界に介入し、神様の重要なメッセージをお伝えになることがあります。(5節)「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。』」神の国から来た天使たちは神様の聖なる栄光にまばゆく輝いていました。婦人たちは畏怖の念を覚え、地に顔を伏せたのです。天使たちは、「生きておられる方」と言いました。新約聖書のギリシア語では、「生きる」という言葉は少なくとも2つあります。一つは「(生物学的な意味で)生きる」という意味の言葉です。もう一つは「本当の意味で生きる、つまり神様と隣人を愛して生きる」という意味の言葉です。ここでの「生きておられる方」はもちろん、後者です。一つのめの言葉「ただ生物学的に生きる」では、動物が生きているのと変わりません。食べて出して、欲望を満たしながら生存するということです。しかし私たちが「神様に似た者に造られた者」として生きることは、動物のように生きることとは違い、神様と隣人を愛して生きることです。そうでないと本当に生きていることになりません。

 私たちは残念ながら罪人(つみびと)なので自己中心であり、なかなか神様と隣人を十分に愛して生きることができません。でも聖霊に助けていただいて、その方向を目指すことは必要です。イエス様は「生きておられる方だ」と天使たちは告げました。それはただ生存しているということではなく、「神様と隣人を愛する命に生きている」ということです。十字架の前もそのように生きられ、今十字架の死から復活されて、やはり「神様と隣人を愛する愛に生きておられる」と天使は告げたのです。さらに言えば、「神様と隣人を愛する命」こそ、永遠の命なのです。私たちは生まれたままの状態で聖霊を受けていなければ自己中心であり、神様と隣人を愛することが難しいので、永遠の命に生きていないのです。ですから私たちは皆、イエス様を救い主と信じて聖霊を受け、「神様と隣人を愛する永遠の命」に生き始めることが必要です。

 (6~7節)「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられた頃、お話しになったことを思い出しなさい。人の子(イエス様ご自身)は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」復活されたイエス様は、もう二度と死ぬことがありません。「することになっている」は、原語のギリシア語で「デイ」という小さい言葉、小さいけれど重要な言葉です。「デイ」は、「必然、神様の必然」と表します。イエス様が十字架で死なれ、三日目に復活なさることは神様の必然、神様のご計画、神様の御心だったということです。イエス様は、私たちの罪を背負うために、どうしても十字架で死なれる必要があったのです。イエス様はそれを深く自覚しておられました。ですから、このルカによる福音書9章22節でこう予告しておられます。「人の子(ご自身)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と。

 旧約聖書は、いくつかの箇所でイエス様の十字架の死と復活を予告(暗示)しています。イエス様の十字架を予告する最も重要な箇所はイザヤ書53章でしょう。「彼が刺し貫かれたのは/ わたしたちの背きのためであり/ 彼が打ち砕かれたのは/ 私たちの咎のためであった」という御言葉とその前後です。そして詩編118編22~23節が、イエス様の十字架と復活を暗示していることも確かなことです。「家を建てる者の退けた石が/ 隅の親石となった。/ これは主の御業/ わたしたちの目には驚くべきこと。」「家を建てる者の退けた石」は、十字架で死なれたイエス様を暗示します。その石が隅の親石となったことが、イエス様の復活を暗示します。

 そして本日の旧約聖書・ヨブ記19章25節に記された義人ヨブの言葉です。「わたしは知っている/ わたしを贖う方は生きていおられ/ ついには塵の上に立たれるであろう。」これはヨブのために弁護して下さる方、ヨブの贖い主(イエス・キリスト)が、ついには塵の上に立たれる、つまり復活なさることを期待し信じるヨブの、待望の言葉です。ヨブは救い主のおいでと復活を待ち望む人だった言えるのです。その救い主が、遂にベツレヘムの馬小屋でお生まれになり、十字架で死なれ復活なさったことを、私たちは知っているのです。

 天使たちは、墓に遺体がない理由を教えてくれました。婦人たちはこの時点では、復活なさったイエス様にお会いしていないのです。しかし天使たちに、「イエス様は復活され、生きておられる」と言われ、その言葉を信じたに違いありません。天使たちが語った直後は、「イエス様の言葉を思い出した」だけでしたが、その後すぐに、墓から帰って、十一人の弟子たち(ユダを除く)とほかの人皆に一部始終を知らせたのです。その頃には、天使たちが語ったイエス様の復活を素直に受け入れていたに違いありません。その婦人たちとは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちでした。「ヤコブの母マリア」がイエス様の母マリアと思われます。イエス様はヨハネによる福音書で弟子トマスに、「見ないのに信じる人は幸いである」と言われましたが、この婦人たちも「見ないのに信じる幸いな人」になったと思います。私たちも「見ないのに信じる幸いな人」になりたいのです。神様の御言葉を素直に信じる幸いな者でありたいのです。               

 婦人たちは、これらのことを使徒たち・イエス様の十一人の弟子たちに語りました。しかし男性の使徒たちには、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じませんでした。男性は理性が強いので、イエス様の復活をあり得ない話、ナンセンスなこととして片づけました。復活を信じることは、理性から見れば「たわ言、愚かなこと」でしょう。しかしコリントの信徒への手紙(一)1章21節には、「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」とあります。理性から見れば「たわ言」のように聞こえるイエス様の復活を、愚直に信じることこそ、神様に喜ばれることです。この時、一番弟子で熱血漢のペトロだけは、立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞきました。確かに遺体がなく、イエス様の遺体を包んだ亜麻布だけがあったので、この出来事に驚き、どう考えてよいか分からず、理解できないまま、家に帰りました。その後、復活されたイエス様に出会って復活を信じるようになります。神様は今でも、「宣教という愚かな手段によって信じる者を救おう」とお考えですので、私たちは、墓が空っぽだったのは、イエス様が復活されて今も生きておられるからだと、素直に信じる者でありたいのです。

 あるクリスチャンの文章を読んだのですが、「信仰という言葉は多くの場合、希望と言い換えることができる」と、書かれていました。その通りだと思います。イエス様の復活を信じる信仰は、イエス様が死の力より強い方であるという確かな希望を私たちに与えてくれます。私たちはどんなに健康でも、死の力にいつかは負けます。しかし父なる神様は、イエス様をその死の力に打ち勝たせて下さったのです。このことを信じる信仰は、私たちに死を超えた確かな希望を与えてくれます。イエス様を信じる信仰こそ真の希望です。ペトロの手紙(一)1章3~4節に次のようにあります。「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」祈りも希望の源です。この真の希望に全ての方に入っていただきたいのです。
 
 今朝、真に悲しい報道がありました。中東で人質にされていた日本人男性が殺害されたらしいという報道です。この方はクリスチャンであるようです。ご家族の上に神様の深い深い御慰めを切にお祈りするばかりです。悪と死の凶暴な力に慄然とします。その前に落胆する私たちですが、イエス様の復活の力は悪魔よりも死よりも強いのです。ここにのみ真の希望があります。イエス様は言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネによる福音書16:33)。この御言葉に勇気を与えられ、深い悲しみと落胆からもう一度立ち上がって、キリストの道をご一緒に歩みたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。


2015-01-30 20:46:03(金)
「ぜひキリストを告げ知らせたい」 2015年1月25日(日) 降誕節第5主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書61章1~4節、ローマの信徒への手紙1章8~15節
「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」(ローマの信徒への手紙1章14節)。

 1月4日(日)の礼拝で申しましたが、今年より月1回、ローマの信徒への手紙の連続講解説教を致したいと思います。今月のみ1月4日(日)と本日の2回になります。ローマの信徒への手紙の連続講解説教を行う分、旧約聖書による説教が月2回から月1回に減りますが、ご了解いただけますとありがたく存じます。

 ローマの信徒への手紙を書いたのは、イエス様の弟子・使徒パウロです。パウロは少し前の5節でこう述べます。「わたしたちはこの方(イエス・キリスト)により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。」パウロは、イスラエルの外に住んでいた同胞のユダヤ人にも救い主イエス・キリストを宣べ伝えましたが、パウロの主な使命は異邦人(ユダヤ人でない人)にイエス・キリストを宣べ伝えることでした。パウロは今、ローマにいるクリスチャンたちに宛てて、この手紙を書いています。パウロは、この手紙を書いている時点ではまだローマに行ったことがありませんでした。パウロは生涯の最後の段階でローマに行くことになります。そしてローマで殉教したと言われています。パウロがこの手紙を書いている時、ローマには既にクリスチャンたちがおり、教会がありました。立派な会堂はなかったでしょうが、クリスチャンの共同体としての教会がありました。そのローマのクリスチャンたちに、改めてイエス・キリストを宣べ伝えたい、告げ知らせたい。パウロはその熱情を込めて、ローマのクリスチャンたちにこの手紙を書き送っています。

 当時のローマは、世界の政治の中心です。「全ての道はローマに通ず」と言われた世界の中心です。パウロがこの手紙を書く約60年前、ローマ皇帝アウグストゥスが、全領土の住民に、登録をせよとの勅令を出しました。それでヨセフとマリアがガリラヤの町ナザレから小さな村ベツレヘムへ上って行き、マリアはベツレヘムの汚ない馬小屋でイエス様を産んだのです。その救い主イエス様の御名が、今度はイスラエルの地から逆流して、皇帝が住まうローマにまで届き、イエス様を救い主と信じるクリスチャンたちが起こされていたのです。さらに地の果てまで広められていったのです。地の最果てである極東の日本にまで、時間をかけて届きました。

 (8節)「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」ローマのクリスチャンたちがイエス様への純真な信仰を抱いていることがパウロに伝わっていました。パウロはこの手紙を、ギリシアの都市コリントで書いていると思われます。9~10節には、パウロがローマに行くことを切に願っている心情が吐露されています。「わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」パウロはまだローマに行ったことがないのですが、ローマの教会に知り合いが多いのです。パウロが別の場所で会った人々がその後ローマに行ったケースが多かったのでしょう。この手紙の最後の16章を見ると、パウロは大勢のクリスチャンの名前を挙げて、その人たちに「よろしく伝えてほしい」と述べています。

 「わたしの同胞(ユダヤ人)で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。~主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」パウロはこの一人一人を愛して、思い出して祈っていたのですね。これはローマ教会員の名簿のようなものです(もちろん全員のリストではないでしょうが)。私たちにとっての東久留米教会員名簿のようなものではないでしょうか。名前を見ればどなたかすぐ分かる名簿。私たちが一人一人に神の祝福を祈る名簿です。

 パウロには、ローマに愛する人々が大勢いるのですね。ですからローマに行って、その人々に改めてキリストの福音を告げ知らせ、互いに励まし合いたいと願っているのです。(11節)「あなたがたにぜひ会いたいのは、『霊』(聖霊)の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。」パウロは聖霊に満たされており、神様から豊かな霊の賜物を受けていました。パウロは異言という超自然的な言葉を誰よりも多く語ることができました。使徒言行録を見ると、パウロが病人のために祈り、手を置いていやした場面がありますから、病気を治す賜物も与えられていたようです。そしてパウロは最高の賜物、最高の道は愛(アガペー)だと言っています。神様を愛し、隣人を愛する愛。敵をも愛する愛。これこそ最高の賜物だと言っています。パウロはこのような聖霊の賜物をローマのクリスチャンたちにいくらかでも分け与えて、力になりたいと言っています。

 但しパウロは、自分が一方的に与えるとは言いません。(12節)「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」ローマのクリスチャンに与えられていて、パウロに与えられていない霊の賜物もあるでしょう。パウロが助けるだけでなく、ローマのクリスチャンたちがパウロを助けることもあるのです。パウロは上に立っているのではなく、ローマのクリスチャンたちの仲間なのです。仲間ですから互いに助け合い、励まし合います。パウロはどの教会ともそのような関係でいたいと願っていたはずです。東久留米教会の中でもそうで、一人一人に異なった賜物が与えられています。それによって助け合い、励まし合う。それが神様の教会だと教えられます。一人一人に役割があることがよいことです。もちろん私たちの最大の奉仕は祈ることです。

 パウロがコリントの信徒への手紙(一)12章で書いたことを思い出します。互いに助け合い、励まし合う共同体がキリストの教会だという意味のことが書かれています。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」特にこの最後がすばらしいですね。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」パウロも、ローマの教会の人々と、苦しみと喜びを共にしたいのです。

 (13節)「兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。」パウロはローマで伝道して、新しくクリスチャンになる人が与えられることをも祈っています。それが「何か実りを得たい」ということです。しかし何回もローマに行こうとしたけれども、果たせないで来た。それは悪魔の妨害があったからですし、神様に深いお考えがあって機が熟すまで待たされたということもあるでしょう。パウロは自分でも思いがけない形でローマに行くことになります。囚人となってローマに行くことになります。彼はまだそれを知りません。パウロが囚人としてローマに行くことが、神様のご計画だったのです。

 (14~15節)「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。」ギリシア人は文明人の代表です。「未開の人」の原語は、「バルバロス」です。「わけのわからないちんぷんかんぷんの言葉を語る人」という意味です。現代の私たちから見れば差別的な言葉です。「文明化されていない野蛮な人」ということでしょう。パウロには、文明人にもそうでない人々にも、イエス・キリストを告げ知らせる責任が、神様から与えられていました。私たちにも同じ責任が与えられています。私たちには、主に日本人にイエス・キリストを告げ知らせる責任が与えられています。

 パウロは、イエス・キリストのために人生の後半を100%献げました。パウロは、フィリピの信徒への手紙3章で、自分は「キリスト・イエスに捕らえられている」と告白しています。パウロはイエス様に捕らえられた、イエス様の僕です。僕と訳されているギリシア語は、直訳すると奴隷という意味です。パウロはイエス様の十字架の愛によって捕らえられ、イエス様の僕(奴隷)として、イエス様を告げ知らせるために自分を献げ尽くしているのです。本日の旧約聖書であるイザヤ書61章1節には、
「主はわたしに油を注ぎ/ 主なる神の霊がわたしをとらえた。
 わたしを遣わして/ 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」
と書かれています。これは直接には預言者イザヤのことでしょうし、イエス様にも当てはまることです。そしてパウロにも当てはまります。私たち一人一人にも当てはまります。私も聖霊を注がれた者、聖霊によって捕らえられた者なのです。「信仰とは、神の霊によって捕らえられた状態のこと」と言った人もいます。私たちは、神様の僕として生きるように聖霊によって捕らえられています。イエス様を伝えるように、期待されています。

 パウロは、イエス様を告げ知らせるために命を懸けました。コリントの信徒への手紙(一)9章で、「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」と言っています。あらゆる人にイエス様を告げ知らせるために、自分を低くして奉仕して来たと述べています。パウロは自分の生き方を、コリントの信徒への手紙(一)9章19節以下でこう語ります。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人(これもユダヤ人のことでしょう)に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」

 少し飛んで22節。「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべての者になりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」 パウロの責任は、あらゆるタイプの人々にイエス・キリストを知らせることです。そのためにパウロは仕える姿勢をとり、できるだけ相手に合わせて、相手がイエス様を信じることができるように心がけたと言っています。「それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」と言っています。パウロは、自分を人の上に置こうとしません。自分もキリストの福音(十字架による罪の赦しと、復活による永遠の命)の恵みを共に受ける仲間だと考えています。キリストを告げ知らせることで、神様と隣人に奉仕する決心をしているのです。

 イエス・キリストは、私たち皆のすべての罪を背負って十字架で命を捨てられ、三日目に復活なさいました。このイエス・キリストを救い主と信じ告白する人には、全ての罪の赦しと永遠の命が与えられる。これこそ私たちの確信です。この福音を出会うすべての人、特に異邦人に告げ知らせる。これがパウロに与えられた責任です。この福音のすばらしさは、ローマの信徒への手紙5章16節に的確に言い表されています。「裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」前半は、旧約の時代のことです。旧約の時代にはモーセの十戒をはじめとする神様の戒め、律法が力を持っていました。もちろん律法にも意味があります。律法は私たちに、何が正しくて何が罪であるかを教えます。ですが律法だけの世界は、赦しがはっきりしないのです。ところがイエス様の十字架の愛が示された新約の時代は、恵みが大きく示された時代です。イエス様の十字架の死によって、私たち人間の全ての罪が背負われたのです。従って今は、「恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下される」時代です。もちろん、だからと言ってどんどん罪を犯してよいわけではありません。しかし、恐れることなくすべての方にイエス様を信じていただき、洗礼を受けていただきたいのです。

 ある日本人ジャーナリストの約30年前の本だったと記憶しますが、世界のいわゆる未開の地で、「このような所には誰も来たことないだろう」と思われる地にも、キリスト教の宣教師が来ているのだ、と書いてありました。日本に最初に来た宣教師フランシスコ・ザビエルは、戦国時代まっただ中の1549年8月15日に鹿児島に上陸しました(8月15日は、日本にとって大切な日です)。ザビエルを日本伝道に駆り立てた御言葉の1つは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マタイによる福音書16:26)と、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコによる福音書16:15)だということです。使徒言行録には、使徒パウロの苦難の伝道の様子が書かれていますが、ザビエルの日本伝道もそれと似ていました。宣教師ルイス・フロイスがザビエルの伝道について、次のように記録しているそうです(尾原悟『ザビエル』清水書院、1999年、69ページより)。「たいへんな寒さと深い雪のために脚が腫れたりした。またある時には、非常に道が険しく、高い山脈を越えてゆかねばならなかったし、背中に荷物を負っていたので、途中で倒れもした。またザビエルらは、日本人の目にはいとも新奇で、かつてその地方(九州から山口)で見たこともない異様さであり、それに貧しい身なりをしていたので、路頭や広場で時々、子供たちから投石されたり罵倒されたりした。このような艱難辛苦を嘗めながらザビエルは道をたどった。」使徒言行録のパウロの苦難の伝道そっくりです。

 ザビエルに同行していたフェルナンデスという修道士がいました。二人は大内氏という大名が治める山口に、一時滞在し、内田という人の家に宿泊していました。二人は公の場で説教しました。ある時、聴いていた一人がフェルナンデスに唾を吐きかけました。しかしフェルナンデスは落ち着いて唾をぬぐい、説教を続けたそうです。これを見ていた内田という人は感銘を受け、キリストの教えを学び、ザビエルから洗礼を受けたそうです。妻や親戚も、信仰に入りました。パウロはローマに行きたいと切望し、ザビエルは日本に行きたいと切望しました。ザビエルは最初、インドに行きました。インドに行くはずだったイエズス会士が熱病で行けなくなりました。盟友イグナチオにそれを知らされたザビエルは、「私はここにおります」と答えたそうです(同書、13ページ)。預言者イザヤの神様への応答そっくりです。イザヤはこう応答したのです。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

 このようにイエス様を信じ、イエス様に従った方々のお陰で、私たちもイエス様を知ることができました。このことに感謝し、私たちも身近な方々が、イエス・キリストを信じて下さるように祈り、言葉と行いでイエス・キリストを宣べ伝えたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。