日本キリスト教団 東久留米教会

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2015-01-12 21:17:35(月)
「わたしの霊を御手にゆだねます」 2015年1月11日(日) 降誕節第3主日礼拝説教
朗読聖書:詩編31編2~25節、ルカによる福音書23章44~56節
 「『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』」(ルカによる福音書23章46節)
 
 礼拝でこの直前の箇所を読んだのは、昨年の11月9日(日)ですから、2ヶ月前です。ゴルゴタの丘に三本の十字架が立っています。イエス様の十字架が真ん中です。イエス様は十字架の上で、あの有名な祈りを献げられました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」その後、十字架につけられていた犯罪人の一人がイエス様に話しかけました。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」するとイエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と約束されたのです。

 そして昼の十二時頃になりました。全地が暗くなり、それが三時まで続いたのです。この暗闇はアモス書8章9~10節の実現かもしれません。
「その日(神様の審判の日)が来ると、と主なる神は言われる。
 わたしは真昼に太陽を沈ませ/ 白昼に大地を闇とする。
 わたしはお前たち(イスラエルの民)の祭りを悲しみに
 喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え
 どの腰にも粗布をまとわせ/ どの頭の髪の毛もそり落とさせ
 独り子を亡くしたような悲しみを与え/ その最期を苦悩に満ちた日とする。」
新約聖書においては、独り子を亡くす方は、父なる神様ご自身です。全地が暗くなる現象によって、神様ご自身の深い悲しみが表されているのかもしれません。暗闇は三時まで続きました。

 (45節)「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」神殿の垂れ幕の向こう側には、最も聖なる空間・至聖所がありました。そこには聖なる神様の霊が充満しています。至聖所には年に一回、大祭司だけが、自分自身とイスラエルの民の罪の贖いのためのいけにえの雄牛と雄山羊の血を携えて、入ることができました。大祭司以外の人は決して入ることが許されなかったのです。もし入れば、聖なる神様に打たれて死にます。至聖所の手前の垂れ幕は、出エジプト記36章によると、青・紫・緋色の毛糸、及び亜麻のより糸で作られており、それにケルビムという人間の顔を持ち、翼を持った天的な動物のデザインが施されていました。その垂れ幕が真ん中から裂けたのです。これは重要な出来事で、神の子イエス様ご自身が十字架で清い血を流して、いけにえとなって死んで下さることで、もはや雄牛や雄山羊という動物の犠牲を献げる必要がなくなり、旧約の時代が終わったことを意味しています。イエス様を自分の救い主と告白する人は、イエス様の十字架の清い血のお陰で、大司祭でなくても、父なる神様に恐れなく近づくことができるようになったのです。これは大きな恵みです。

 ヘブライ人への手紙10章19節を読まないわけにはゆきません。「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所(至聖所を指すのでしょう)に入れると確信しています。」そして22節の御言葉も私たちを励まします。「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」もはや、聖なる神様と私たちの間を隔てていた垂れ幕は、真ん中から真っ二つに裂けたのです。隔てがなくなりました。神殿は役割を終えました。役割を終えた神殿では、その後も祭司がいけにえを献げ続けたでしょうが、それはもう無意味なことでした。私たちは神殿ではなく、主イエス様をこそ仰ぎ見ることが必要です。神殿は約40年後にローマ軍によって破壊され、本当になくなりました。

 ルカによる福音書に戻り、46節。「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」イエス様の「十字架上の7つの言葉」がありますが、有名なのはマタイによる福音書の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)です。マルコによる福音書では少し言葉が違って、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」ですが意味は同じです。イエス様のこの有名な叫びをルカによる福音書は記していません。マタイとマルコでは、イエス様がその後再び大声で叫び、息を引き取られたと書かれていますので、息を引き取る直前の大声が、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」だったのではないかと、私は考えています。

 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」これは、イエス様の地上での最後の祈りです。イエス様は全ての人々を愛し、愛と正しいことだけを行って約33年間生きて来られました。ごく小さな罪さえ一つも犯したことはありません。父なる神様の御旨に文字通り100%従って来られたのです。心にやましさは一点もないのです。それなのに十字架につけられ、侮辱の限りを受けて殺される。これ以上の不合理、不条理はありません。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)と必死に叫んで訴えるのが当然なのです。イエス様もそう叫ばれましたが、父なる神様から何の答えもありませんでした。それでもイエス様は父なる神様を信頼する気持ちを貫かれました。それで、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と信頼の祈りを献げて、息を引き取られたのです。
 
 イエス様は信頼を貫かれ、最終的に悪が勝利することは決してないと信じて死なれました。神様の愛と正義が、最後の最後の最後には、必ず悪と悪魔に勝利するのです。今は悪が勝利しているように見えても、父なる神様が最後の最後には必ず悪を打ち破って下さることを確信して、死なれました。どうしてもペトロの手紙(一)2章19節以下を、読まないではいられません。「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。」イエス様は最も不当な苦しみに耐えられ、父なる神様が必ず悪を悪として裁き、正しい者を立ち上がらせて下さると信頼して、お任せなさったのです。その信頼は応えられ、イエス様は三日目に父なる神様によって復活の勝利を与えられたのです。時間がかかることも多いですが、父なる神様におゆだねして決して間違いはないのです。

 本日の旧約聖書は詩編31編です。作者はダビデ王です。若いときのダビデは、サウル王に憎まれ命を狙われ、逃亡生活を送りました。そのときのことを歌っているのではないかと感じます。2~5節で、神様に必死に助けを求めています。
「主よ、御もとに身を寄せます。
 とこしえに恥に落とすことなく/ 恵みの御業によってわたしを助けてください。
 あなたの耳をわたしに傾け
 急いでわたしを救い出してください。/ 砦の岩、城塞となってお救いください。
 あなたはわたしの大岩、わたしの砦/ 御名にふさわしく、わたしを守り導き
 隠された網に落ちたわたしを引き出してください。/ あなたはわたしの砦。」
そして6節でイエス様と同じ祈りを献げています。7節まで読みます。
「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。/わたしを贖ってください。
 わたしは空しい偶像に頼る者を憎み/ 主に、信頼します。」
神様がその信頼に応えて下さいました。その喜びが8~9節です。
「慈しみをいただいて、わたしは喜び躍ります。
 あなたはわたしの苦しみを御覧になり
 わたしの魂の悩みを知ってくださいました。
 わたしを敵の手に渡すことなく
 わたしの足を/ 広い所に立たせてくださいました。」

 ルカによる福音書に戻ります。イエス様は、ただの一度も罪を犯されませんでした。完全に無実です。それなのに死刑にされました。世界の歴史の中でこれ以上の不条理・不正義はありません。

 私は先日、「きけわだつみのこえ」という本を少し読みました(日本戦没学生記念会編『新版 きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記』岩波書店、2013年)。その中の木村久夫さんという方の手記を少しご紹介します。「1946年5月23日、シンガポールのチャンギ―刑務所にて戦犯刑死。陸軍上等兵。二十八歳」と書かれています。B級かC級戦犯として死刑にされた方のようですが、手記を読むと無実のように思われます。現地で行われたB級・C級戦犯裁判では、いい加減な裁判で無実で死刑になった人もあると聞いていますが、この木村久夫さんのケースもそうかもしれません。「私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろう(444ページ)。~私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である(445ページ)。私は生きるべく、私の身の潔白を証明すべくあらゆる手段を尽した。私の上級者たる将校連より法廷において真実の陳述をなすことを厳禁せられ、それがため、命令者たつ上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された。これは明らかに不合理である(453ページ)。」これを読む限りでは、上級将校の罪をかぶって木村さんが死刑になった印象を受けます。

 木村さんはこの不条理を、受け入れる気持ちになってゆかれたようです。「私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。~全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服は言い得ないのである。彼らの眼に留った私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける(445ページ)。」 自分は何も死刑になるような悪を行っていないが、日本人が外国人に多くの苦難を与えたのは事実だから、たまたま相手の目についた日本人である自分がその責任をとらされると思えば、不合理ではあるがやむを得ない、との心境に至られたようです。「我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが、致し方ない(447ページ)。」この方がクリスチャンかどうかは分かりません。「私としては神がかくもよく私をここまで御加護して下さった事を感謝しているのである。私は自分の不運を嘆くよりも、過去における神の厚き御加護を感謝して死んで行きたいと考えている。父母よ嘆くな、私が今日まで生き得たという事が幸福だったと考えて下さい。私もそう信じて死んで行きたい(456ページ)。」

 このような不合理・不条理の死を死んで行かれた28歳の方がいらしたのですね。上級将校の罪をかぶらされたようです。木村さんは、太平洋戦争で日本人が犯した罪の一部でも償えれば、という気持ちで死刑を受け入れたのではないかと考えられます。この裁判が間違った裁判だったのであれば、神様が最後の審判のときにそのことを明らかにして下さるでしょう。木村さんが無実であれば、神様はそれをよく知っておられるのですから、神様は最後の審判の時に、木村さんの無実を明らかにし、木村さんの名誉を回復して下さると思うのです。木村さんがクリスチャンであったかどうかは分かりませんが、木村さんの死刑も、イエス様の十字架に似て、不条理の死のように思われます。「不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」との御言葉を、私は連想します。 

 旧約聖書にヨブ記という書物があります。ヨブも不条理に苦しんだ人です。旧約聖書には一応の原則があり、それは神様に従えば祝福され、神様に逆らえば裁きを受けるという原則です。ところが、それまで大いに祝福されていたヨブが、神様に変わらず従い続けているのに、次々と大きな試練に見舞われるのです。ヨブはどうしても納得できずに苦しみます。ヨブ記を読んでいて知ることは、ヨブが本当に清く正しく生きようとしていたことです。もちろん聖なる神様からご覧になればヨブも完璧ではないでしょうが、それでもヨブは私たちよりずっと清く正しく生きようとしていたのです。従ってヨブは、自分に試練が続くことが、どうしても納得できないのです。彼は嘆いて言います。「わたしの手には不法もなく/ わたしの祈りは清かったのに。」そしてヨブは意味深長な言葉を語ります(16章19~20節)。
「このような時にも、見よ/ 天にはわたしのために証人があり
 高い天には/ わたしを弁護してくださる方がある。   
 わたしのために執り成す方、わたしの友。」
これはヨブの「わたしのために執り成しをして下さる弁護者がほしい」という願いでしょうか。救い主・執り成し主・弁護者(イエス・キリスト)の存在を確信し、待望する言葉ではないでしょうか。ヨブが待ち焦がれた弁護者は、ヨブの時代よりかなり後に、ベツレヘムの馬小屋で誕生して下さいました。私たちはその方イエス・キリストを知っているのです。ヨブが知ったら、さぞ羨しがるでしょう。

 ヨブはこうも言います(19章25節)。
「わたしは知っている
 わたしを贖う方は生きておられ/ ついには塵の上に立たれるであろう。」
これも贖い主イエス・キリストがおられることを確信しているような、驚くべき言葉です。「塵の上に立たれる」という言葉は、復活を暗示しているように読めます。 不条理に悩むヨブは、贖い主の登場を待ちわびていたのです。ヨブ記は、救い主を待望する書とも言えるのです。

 その贖い主イエス・キリストは、ヨブよりずっと清い方でしたが、十字架で殺される最大の不条理を忍耐されました。ヨブよりも大きな不条理を忍耐されたのです。にもかかわらず、ヨブのように「納得できない」としつこく訴え続けるのではなく、(「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と一度叫ばれましたが、最後には)「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈られ、父なる神様を信頼してすべてをお任せになりました。「納得できない」と訴え続けたヨブも、自分より大きな不条理を忍耐なさったイエス様の前では、ひれ伏すほかありません。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」これはイエス様の深い信頼と忍耐の祈りです。悪と不条理が一時的に勝利するように見えても、最後の最後には必ず神様の愛と正義が勝利することを信じてゆだねた祈りです。 

 これより歌う讃美歌21の469番は、何回か歌いましたが、まだ十分馴染みがあるとは言えない讃美歌です。作詞はドイツの牧師ディートリッヒ・ボンヘッファーです。ナチスとヒットラーが支配するドイツの最も暗黒の時代を生きた人です。悪の権化のようなヒットラーを倒そうとしましたが捕らえられ、39歳で死刑になりました。これも不当な死、不条理の死です。しかし自分が死んでも、神様の愛と正義が最後に必ず勝利すると信じていたはずです。悪が勝利していると見える現実の中にあっても、いや本当に支配しておられるのは神様の善き力だと信頼していました。暗黒のただ中で、自分の死を予感して、なお希望を捨てずにこのような詩を書くことができた信仰の深さには驚かされます。十字架上でのイエス様の思いと深く一致します。4節と5節はこうです。
「輝かせよ、主のともし火、/ われらの闇の中に。
 望みを主の手にゆだね/ 来たるべき朝を待とう。
 善き力に、守られつつ、/ 来たるべき時を待とう。
 夜も朝も、いつも神は/ われらと共にいます。」
自分が死刑になるときも、神様は自分と共にいて下さると信頼していたのでしょう。

 不条理に悩むことは、どなたの人生にもあることでしょう。しかし最後の最後には神様が必ず最善をなして下さると信頼するのが信仰です。日々ベストを尽くして善を行い、あとは神様にゆだねる。そのような神様への信頼に生きて参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-01-06 13:00:39(火)
「主イエスの御名を広める」 2015年1月4日(日) 降誕節第2主日礼拝説教
朗読聖書:サムエル記・下7章8~17節、ローマの信徒への手紙1章1~7節
「わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。」(ローマ書1章5節)。

 元旦礼拝をお休みにしてしまいまして、真に申し訳ございません。これまでローマの信徒への手紙を部分的に取り上げたことはありますが、私が東久留米教会の礼拝でローマの信徒への手紙の連続講解説教を行ったことはないのです。そこで2015年はこの課題に取り組もうと考えます。今後は月の後半に一回行う形を考えています。その分、旧約聖書による説教が月2回から月1回に減ると思います。ご了解いただけますと、ありがたく存じます。

 (1節)「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、―」。これを書いているのはイエス様の弟子・使徒パウロです。このときのパウロは恐らく60才くらいでしょう。パウロは自分を「キリスト・イエス(イエス・キリストと言っても同じですが)の僕」と呼んでいます。「僕」は原語のギリシア語で「ドゥーロス」で、「奴隷」という意味です。パウロは、自分を「キリスト・イエスの僕・奴隷」と信じていました。それはパウロが、イエス様に倣って生きようとしていることを意味しています。イエス様ご自身が、僕・奴隷として生きられたからです。イエス様は、マルコによる福音書10章でこう言われました。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕(ドゥーロス。奴隷)になりなさい。人の子(イエス様ご自身)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」こうおっしゃり、ご自分を裏切るユダを含む弟子たちの足を洗い、遂には十字架にかかって、私たち皆の罪の責任を身代わりに担い切って下さいました。そして三日目に復活されました。このように神の子でありながら、僕・奴隷として生きることに徹せられたイエス様に倣って生きようと志すパウロは、自分を「キリスト・イエスの僕(奴隷)」と呼んだのです。

 さらにパウロは、自分が「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と言っています。皆様ご存じの通り、パウロがクリスチャンになったのは奇跡と言ってよい出来事です。パウロという名はギリシア語名で、彼は若い頃はサウロというヘブライ語名を名乗っていました。サウロはクリスチャンを憎み、迫害していました。そしてクリスチャンたちを見つけたら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するために、シリアのダマスコに向かいました。ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らしました。有名な場面です。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞きました。サウルが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町へ入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていました。サウロは目が見えなくなっていました。

 人々はサウロの手を引いてダマスコに連れて行きました。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしませんでした。神様から遣わされたアナニアという人が、ユダという人の家にいたサウロの所に来て、サウロの上に手を置いて、「主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と言いました。すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは目えるようになりました。そしてサウロは身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻したのです。そして暫くすると、あちこちのユダヤ人の会堂で、「この人こそ神の子である」とイエス様を宣べ伝え始めたのです。このような劇的な形で、サウロ・パウロはクリスチャンへと変えられました。

 ローマの信徒への手紙に戻り、2~4節「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。」神様は、救い主をダビデ王の子孫から誕生させると、旧約聖書で預言しておられます。その箇所が、本日の旧約聖書・サムエル記(下)7章です。ダビデがイスラエルの王となり、次第に国が平穏に治まるようになりました。

 神様が預言者ナタンにおっしゃいます。「わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てた頃からの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」この子孫とは、直接にはダビデの子ソロモンとその子孫たちです。しかし究極的にはメシア・救い主です。

 13節が、神様がダビデ王の子孫からメシア・救い主を誕生させるさらに決定的な預言です。「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」「この者」は直接にはソロモン、究極的には救い主イエス様です。(14節)「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。」イエス様が過ちを犯すことは全くないので、これはソロモンを対象にした言葉です。

 ローマの信徒への手紙に戻り4節に、イエス様が「死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」とあります。その通りでしょうが、イエス様は復活以前から、いえマリアから生まれる前から既に神の子と定められていたのです。5~6節にはこうあります。「わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へ導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがた(直接にはローマのクリスチャンたち。そして私たち日本人クリスチャンも含まれる)もいるのです。」パウロたちの使命は、イエス・キリストの御名を世界に広めることです。パウロは仲間のユダヤ人にもイエス・キリストを伝えましたが、彼の使命は基本的に異邦人(外国人)にイエス・キリストを宣べ伝えることでした。パウロはユダヤ人ですが、生まれはイスラエルの外、ローマ帝国キリキア州タルソスです。パウロはヘブライ語を話し、当時の地中海沿岸世界の共通語ギリシア語も話しました。ですからユダヤ人にも異邦人にも伝道することができました。パウロは7節で、まだ見ぬローマのクリスチャンたちに祝福の挨拶を送ります。「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」私たちも同じ神様に愛されています。

 イエス様の時代から1500年以上を経て、イエス様の福音が地の果てとも言うべき日本にもたらされました。かの有名なフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのは1549年8月15日です。キリシタンは増えてゆきましたが、豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令(バテレンは、ポルトガル語で神父)を出し、宣教師に国外退去を命じます。この追放令は徹底できなかったようですが、徳川家康もキリスト教迫害を継続し、三代将軍家光の時代には江戸でも集団でキリシタンが殺されました。三田の慶応大学の近く、「札の辻」という大きな交差点の所です。私は昨年11月に見学して参りました。当時も多くの人々が通る所だったので、そこで見せしめで殺されたのです。近くにささやかな「キリシタン殉教の碑」がありました。徳川家光はキリシタンを非常に憎んで、根絶やしにしようとしたそうです。

 井上筑後守というキリシタン奉行が、1646年に江戸の小日向(現・文京区小日向)の自分の屋敷に宣教師たちを幽閉し、そこで信仰を捨てるように説得することを開始したそうです。一般の牢屋に宣教師たちを入れておくと、牢内で伝道し、牢屋にいる人々が次々キリシタンになってしまうので、宣教師たちを井上筑後守の屋敷に隔離したのです。その屋敷は後に、「キリシタン屋敷」と呼ばれるようになりました。私は「札の辻」に行った同じ日の午前に「キリシタン屋敷」跡地を見に行きました。池袋から丸ノ内線に乗って2駅目の茗荷谷で降りて、徒歩約10分です。今は石碑があるだけです。ここに外国人宣教師たちと日本人キリシタンが幽閉され、拷問するなどして信仰を捨てさせることが行われたのです。日本人はひどいことをしたものです。

 そこに最後に入れられた宣教師が、イタリア人のシドッチ神父です。「最後のバテレン」と呼ばれています。日本に伝道に行けば必ず捕らえられ、場合によっては殺されることを承知で来て下さったのですから、偉いものです(以下の記述は、谷真介著『江戸のキリシタン屋敷』女子パウロ会、2007年によります)。シドッチ神父は1668年にイタリアのシチリア島に生まれ、ローマで学んで神父になりました。人格的に立派で、教養も豊かで非常に信頼されていたそうです。1703年春、イタリアを出発して日本を目指します。船で大西洋を南下し、アフリカの喜望峰をまわり、1704年にフィリピンのマニラに着きました。マニラに4年間滞在し、日本人に変装して1708年8月28日に屋久島に上陸します。そして翌日、藤兵衛という男に出会い、藤兵衛の通報によって鹿児島、長崎へ送られます。長崎奉行所での取り調べの中で、「江戸で布教したいので、江戸に送ってほしい」と述べました。長崎の牢に約1年間留め置かれ、1709年11月1日に江戸に到着し、キリシタン屋敷に収容されます。そこで新井白石の取り調べを受けるのです。

 この頃は、キリシタンはほぼいなくなったと見られており、潜入して来る宣教師もなく、嵐のような迫害は終わっていました。しかしキリスト教が禁止であることに変わりはありません。新井白石が書いた『西洋紀聞』という本にシドッチ神父との対話が多く記されているそうです。白石はシドッチからヨーロッパのことを多く学び、シドッチの教養の深さに驚き感銘を受け、その人格を、つつしみ深く誠実だと高く評価しています。そして将軍への報告書で次のような意味のことを書いているそうです。「国の王とローマ教皇の命令により、身を捨て、命をも顧ず、老母や姉兄と別れ、万里の外に使いとして6年間の困難を経てここに来たその志は、もっとも憐れむべきことです。」白石が提案した上策は、「彼を本国に送り返すこと」、中策は「囚われの身のままにすること」でした。「彼を死刑にするなどは下策」と白石は進言したそうです。江戸幕府は中策をとりました。キリシタン屋敷に幽閉したままにしたのです。

 キリシタン屋敷に長助とはるという若くない夫婦がいました。二人の親がキリシタンだったか、あるいは二人の親が犯罪を行って刑罰を受けたようです。当時は連座制だったからでしょう、子にまで罪が及び、二人は子供の頃からキリシタン屋敷で育ち、外に出ることが許されませんでした。二人は兄妹ではなく、別々の両親の子です。年頃になり、結婚しました。長助とはるの夫婦がシドッチ神父の世話役をしていました。ある日、長助とはるが役人の所に行って話をしました。夫婦そろってシドッチ神父から洗礼を受けたと告白したのです。役人は仰天しました。長助とはるはシドッチ神父からイエス様のことを聴き、シドッチ神父の人格の立派さに心を打たれ、洗礼を受け、禁制のキリシタンになったのでした。その後、長助とはるはキリシタン屋敷内の別々の牢に入れられたようです。

 もう若くなく地上で生きるのもそう長くないと思い、生きていてもキリシタン屋敷から出ることもできない、ならばイエス様を信じて天国の希望に入りたい。そう考えたのでしょう。どのような罰を受けてもよいと覚悟して洗礼を受けたのです。シドッチ神父は屋敷内の別の牢にいたようですが、昼も夜も大きな声で長助とはるを励まし続けたそうです。「死んでも、決して信仰を捨ててはいけない」と励まし続けたそうです。暫くして長助とはるは病死したそうです。その後、シドッチ神父も亡くなったのですが病死とも餓死とも言われ、はっきりしません。シドッチ神父47才でした。

 日本にイエス様の御名を広めるために行けば、必ず捕らえられ、場合によっては拷問されて殺されると知った上で、日本に来て下さったその信仰と勇気はすばらしいです。それを見て、尊敬の念を抱いた長助とはるに洗礼を授け、この夫婦を救い・天国に導いたのでした。それを見て、自分もキリシタン屋敷内で天に召されたのです。日本人の救いのために、47年の人生を献げて下さったシドッチ神父の名を、私たちも感謝をもって記憶に刻みたいものです。パウロが外国に伝道に赴いたのと同じ情熱で、はるかに遠い鎖国と禁教の日本に、命がけで来て下さいました。私たちもこのような先人の信仰の情熱を引き継いで、礼拝し祈り、救い主イエス・キリストを言葉と行いで伝えて参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-12-29 11:15:24(月)
「慰めを待ち望む」 2014年12月28日(日) 降誕節第1主日礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書40章1~11節、ルカによる福音書2章22~40節
     「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
             (ルカによる福音書2章30節)。
 
 マリアがベツレヘムの馬小屋で男の子を出産したのです。男の子は旧約聖書の掟に従って、8日目に割礼を受けました。旧約の時代のイスラエルの男子は皆、割礼を受ける義務がありました。割礼は神様との契約のしるし、神の民のしるしです。22~24節を読むと、ヨセフとマリアが旧約聖書の律法を非常に忠実に守る、若い真面目な夫婦だったことがよく分かります。今日の場面は、旧約と新約の橋渡しのような場面ですが、旧約の色彩が非常に濃いと感じます。「さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。」 清めの期間についてはレビ記12章2節以下に、このように書かれています。「妊娠して男児を出産したとき、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。八日目にはその子の包皮に割礼を施す。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な33日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。」

 「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」については、出エジプト記13章1~2節が根拠です。「主はモーセに仰せになった。『すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。』」初めて生まれた子は、神様の所有なのです。ですからヨセフとマリアは、イエス様を父なる神様に献げるために、エルサレムの神殿に連れて来たのです。そして律法では、産婦が出血の汚れから清められるために、一歳の雄羊を焼き尽くす献げ物として、祭司を通して神様に献げる決まりでした。貧しくて羊に手が届かない場合には、二羽の山鳩または二羽の家鳩でよい決まりでした。マリアとヨセフが「山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げ」るために神殿に来たと書かれているので、マリアとヨセフが貧しかったことが分かります。マリア・ヨセフ・イエス様の一家を聖家族と呼びます。

 その聖家族が神殿での務めを果たそうとするとき、旧約の時代を象徴するシメオンという男性が現れます。シメオンの年齢は分かりませんが、雰囲気からするとやはり老人でしょう。(25~26節)「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」多くの人にとって「イスラエルの慰められること」は、ローマ帝国と戦って独立を勝ち取ることでした。メシアはそのリーダーと見なされました。しかしシメオンにとってイスラエルの慰めは、もっと深い意味での救いであったに違いありません。メシアも、ローマ帝国と戦うメシアではなく、本当の意味の救いをもたらす方であったはずです。シメオンは聖霊に満たされた人です。預言者と言えます。

 聖霊を、ヨハネによる福音書14章では「真理の霊」、「弁護者」と呼んでいます。弁護者は原語のギリシア語で「パラクレートス」という言葉です。この新共同訳聖書では「パラクレートス」を「弁護者」と訳していますが、「慰め主」と訳すこともあります。「パラ」は「傍らに」、「クレートス」は「呼ばれた者」という意味です。「パラクレートス」は「傍らに呼ばれた者」です。「私たちの傍らに来て弁護、執り成しをして下さる方」という意味です。神様の前で「最後の審判」に臨む私たちを、聖霊が執り成して下さる。これは大きな慰めです。ですから聖霊は弁護者であり、慰め主です。聖霊はイエス様の霊ですから、イエス様が私たちの弁護者・慰め主です。聖霊もそうです。聖霊と慰めが深く結び付きます。聖霊は私たちに慰めを与えて下さる方です。シメオンはその聖霊に満たされた男性です。

 (27節)「シメオンが霊(聖霊)に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。」シメオンは一瞬にして、この赤ちゃんこそメシアであることを悟ります。メシアに会うことができ、自分の人生の目的が達せられた聖なる喜びに浸ります。シメオンはこの日が来ることを待ち望み、長年祈り続けたに違いありません。祈りはあきらめません。祈りこそ希望です。聖霊に導かれて祈り続け、シメオンの祈りが遂に叶えられた感激の一瞬です。シメオンの目には涙が光っていたでしょう。(28節)「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。」実に美しく慰めに満ち、荘厳なシメオンの賛美です。(29~30節)「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」シメオンは満ち足りた思いで、思い残すことなく天国に行くことができるのです。このような最期は理想的かもしれませんね。「救い主の姿を一目見ることができた。神様の約束が果たされたのをこの目で見ることができた。もう十分だ。」

 旧約の時代、あのモーセは出エジプトした民を40年間率いて来ました。ですがモーセ自身は、ただ一度の罪のために、約束の地カナンに入ることを、神様から許されませんでした。モーセは、約束の地の手前にあるピスガの山頂に登ります。神様はモーセに、約束の地の全ての土地が見渡せるようにして下さいました。モーセは約束の地を自分の目で見て、自分の苦労に十分意味があったことを確認して、120歳で死んだのです。モーセの姿とシメオンの姿が重なります。モーセは次の世代のヨシュアにバトンを渡しました。シメオンも次の世代のイエス様にバトンを渡します。

 シメオンは聖霊に満たされて賛美します。(31~33節)
「これは万民のために整えてくださった救いで、
 異邦人を照らす啓示の光、/ あなたの民イスラエルの誉れです。」
メシア・イエス様は、旧約聖書以来の神の民イスラエルの救い主であり、イスラエルの以外の人々・異邦人(外国人)の救い主でもあります。私たち日本人はもちろん異邦人です。イスラエルから見れば、日本は文字通り地の果てです。イエス様は私たち日本人の救い主でもあります。感謝です。イエス様は日本人の光であり、イスラエル人の誉れです。全世界の希望の星です。

 ヨセフとマリアは、シメオンの賛美を聞いて、意外な内容が語られると感じ驚きました。若い聖家族は新約の新しさを象徴しています。シメオンは、若い両親ヨセフとマリアを祝福します。ある人はこの祝福を読んで、「何と重い祝福であることか」と書いておられます。私も「その通りだ」と実感致します。シメオンは祝福しながら、マリアに預言を語ります。(34~35節)「シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。『御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。』」イスラエルの中でも、イエス様の宣教のメッセージを聴いて、拒む人と受け入れる人に分かれるのです。イスラエルの中で、イエス様を拒む人は神様を拒むことになり、イエス様を受け入れる人は神様を受け入れることになります。イエス様は、約33年後にエルサレムの力ある人々に憎まれて、十字架につけられます。このことがここで既に予告されています。マリアもわが子が十字架につけられるという大きな試練を体験することになります。神様は、マリアに耐える力も与えて下さるでしょう。フィリピの信徒への手紙1章29節を思い出さざるを得ません。「あなたがたには、キリストのための苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」マリアは、イエス様と喜びと苦しみを共にする母として、神様に見込まれて選ばれました。

 (36~38節)「また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、84歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」(東久留米教会初代牧師の浅野先生も84歳でいらっしゃいます。)七年間結婚生活をし、おそらく約50年を寡婦(やもめ)として生きて来ました。経済的に苦しい日々だったでしょう。しかしひたすら神様に祈り続け、清められ聖霊に満ちていたでしょう。ルカによる福音書21章に、持てる全財産であるレプトン銅貨(最小の銅貨。今の日本の50円玉あるいは10円玉に近いでしょうか)2枚を、神殿で神様に献金したやもめが登場し、イエス様が非常に感激しておられます。女預言者アンナとあのやもめは別人ですが、聖書の神様は孤児・寡婦・寄留の外国人を愛する方で、私たちにも同じ考えで生きることを求めておられます。

 神様はアンナをも深く愛され、神様にひたむきに仕える生き方を喜んでおられました。「彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた~。」物質的に恵まれなかったでしょうが、実に清らかな生活です。テモテへの手紙(一)5章5節に、「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」とありますが、アンナがまさにこの通り生きていました。私どもも年を重ねるにつれ、ますます神様に近づき、祈りを深くする日々に進みたいのです。アンナも、この赤ちゃんこそメシアであることを直感しました。そしてエルサレムが救われることを待ち望む全ての人々に、この幼子のことを知らせたのです。しかし、皆が信じたのではないようです。それどころか、信じた人はヨセフとマリア、羊飼いたちとシメオンとアンナ、そしてヘロデ王だけだったのかもしれません。神殿で多くの人々はイエス様の傍を、気にも留めず通り過ぎたのではないでしょうか。メシア誕生のニュースがエルサレムを駆け巡って評判になったとは少しも書いてないのです。聖家族はガリラヤのナザレに帰ります。エルサレムの人々はこの赤ちゃんを、すっかり忘れたように思われます。

 ですがシメオンは、幼子に出会って、大きな慰めを得ました。神様は、私たちに慰めを与えて下さる神です。本日の旧約聖書は、イザヤ書40章1節以下です。ヘンデルのメサイアの歌詞にもなっている、印象深い御言葉です。
「慰めよ、わたしの民を慰めよと/ あなたたちの神は言われる。
 エルサレムの心に語りかけ/ 彼女に呼びかけよ
 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
 罪のすべてに倍する報いを/ 主の御手から受けた、と。」
これは、紀元前6世紀後半に預言者が語った言葉です。イスラエルの民は、神様に逆らい続けた結果、バビロン捕囚という形で、神様の厳しい審判を受けました。民がようやくエルサレムに帰ることを許されたのは、半世紀後です。神様の裁きの時は終わり、神様の赦しと慰めの時が来たのです。今や、苦役の時は満ちて終わりました。民は十分な懲らしめを受けました。「罪のすべてに倍する報いを/ 主の御手から受けた。」罪の倍もの審判を受けたという意味です。ようやくその半世紀が過ぎ去り、長く待ち望んだ赦しと慰めの時が到来したのです。涙が拭われ、喜びが与えられる時です。「エルサレムの心に語りかけ」の「語りかけ」は「心に沁み入るように」語りかけるということだと、この東久留米市学園町に住んでおられた東京神学大学の旧約聖書学の先生で学長任期中に天に召された左近淑先生は語っておられます(『左近淑著作集・第三巻』教文館、1995年、331ページ)。「慰めよ」も「語りかけよ」も神様の熱愛、熱情の愛、激しくて深い愛を表す言葉です。

 目に見えない神様が先頭に立ってイスラエルの民をバビロンからエルサレムまで率いて下さいます。祖国に帰るための道ができるとイザヤ書は語ります(3~5節)。
「呼びかける声がある。/ 主のために、荒れ野に道を備え
 わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
 険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
 主の栄光がこうして現れるのを/ 肉なる者(人間)は共に見る。」
自然界が大いに変動するのです。そこに神の栄光、私たちが畏怖を覚える偉大な力が現れます。最近の日本列島では火山活動が活発になりつつあるのを感じます。ここでは自然界が変貌して、神の民が祖国に帰る道ができるヴィジョンが語られます。
「主の栄光がこうして現れるのを/ 肉なる者は共に見る。」今日のルカによる福音書でも、まさに「主の栄光」が現れました。幼子イエス様です。シメオンがその栄光の目撃者となったのです。シメオンは、聖なる喜びに満ちて神様を賛美しました。「わたしはこの目であなたの救いを見た!」 

 『ハイデルベルク信仰問答』(吉田隆訳、新教出版社、2002年)の第一の問いと答のテーマが「慰め」です。
問「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」
答「わたしがわたし自身のものではなく 体も魂も、生きるにも死ぬにも、
  わたしの真実な救い主 イエス・キリストのものであることです。
  この方は御自分の尊い血をもって わたしのすべての罪を完全に償い、
  悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
  また、天にいますわたしの父の御旨でなければ
  髪の毛一本も落ちることができないほどに わたしを守っていてくださいます。
  実に万事がわたしの救いのために働くのです。
  そしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、
  今から後この方のために生きることを心から喜び
  またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。」
これこそ、気休めではなく、キリストという確かな土台ある「真の慰め」です。

 説教者としてよく知られる加藤常昭先生が最近お書きになった文章を読みました(日本基督教団発行『教団新報』2014年12月20日号の巻頭クリスマスメッセージ)。加藤先生は今年、奥様を天に送られました。加藤常昭先生も、奥様・加藤さゆり先生も東久留米教会でお招きしたことがございます。

「私は今、58年間共に生きた妻を喪い、喪中にある。しかし、ただ悲しんではいない。今年こそ、深い悲しみのなかで、妻とともにクリスマスの祝いにひとを招き続け、この慰めを携え、ひとをたずね続けた伝道者であり得たことを幸いなことであったと改めて深く思う。今こそ、罪と死に勝ってくださった主の誕生を祝い、クリスマスおめでとう!と叫ぶ。そのことを許されている。喪中欠礼を告げる代わりに、悲しみのなかでこそ改めて知る深い恵みをほめたたえる。そこで知る慰めにひとを招きたい。そこにこそ、慰めの共同体・教会の姿があるのである。」

 悲しみと痛みの中でなお、クリスマスの深い恵みを信じる、深い信仰にこちらが慰められる文章です。私どもを愛して十字架で苦しんで死んで下さり、復活されたイエス・キリスト! 2014年もこのイエス様に、私どもの悲しみも喜びもすべて担われて来たことを感謝し、神の国が来る約束を信じ、神の国を待ち望みつつ、許される限りご一緒に前進し続けたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-12-27 12:50:00(土)
「神は我々と共におられる」 2014年12月24日(水) クリスマスイヴ礼拝説教
朗読聖書:イザヤ書7章10~17節、マタイによる福音書1章18~2章12節
 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
                     (マタイによる福音書1章23節)。

 クリスマスおめでとうございます。マタイによる福音書1章18節以下に、イエス・キリストの誕生の次第が書かれています。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」神様は、旧約聖書の中で、ダビデ王の子孫から救い主を誕生させると約束しておられました。ヨセフはダビデの子孫なのです。ですからヨセフが救い主イエス様の父となることは神様のお望みのことです。但し、イエス様は聖霊(神様の清い霊)によってマリアに宿ったので、イエス様はヨセフの血を引いてはいません。イエス様は聖霊によってマリアの胎内に宿りました。ですからイエス様は完全に清い方、神の子です。同時に人間の子でもあります。そのために人間の女性マリアから生まれる必要があったのです。

 マリアは14才くらいだったでしょう。マリアはヨセフと婚約していましたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになりました。ヨセフとまだ共に暮らしていない以上、普通に考えると、マリアがほかの男性と関係をもって、つまり姦淫の罪を犯して、不倫の罪を犯して、妊娠したと思われてしまいます。当時のイスラエルは倫理の非常に厳しい社会で、姦淫・不倫の罪を犯した場合は、男女とも死刑になることに決まっていました。もちろんマリアは聖霊によって身ごもったのですから、姦淫の罪を犯していません。ですがこのままお腹が大きくなれば、姦淫の罪を犯したと誤解される可能性がほぼ100%です。その意味では、神様はマリアに非常に危険な道を歩ませなさったのです。マリアの妊娠が明らかになったと書かれていますが、ごく一部の人に知られたのでしょう。ヨセフは知った一人です。

 ヨセフは神様の戒めを守って生きる正しい人、真面目な人でした。そこで考え込みます。「マリアは姦淫の罪を犯したに違いない。婚約者を裏切って姦淫の罪を犯したマリアと結婚することは正しくないのでできない。結婚はとりやめるしかない。しかしマリアが姦淫の罪を犯したことが多くの人に知られれば、マリアは死刑になる。姦淫の罪に対する当然の報いとは言え、あまりにも気の毒だ。マリアの妊娠を表に出さないで、ひそかに遠くに行ってもらおう。大変だろうが遠くで人目を避けて暮らしてもらうほかはない。」19節に、「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」と書かれているのは、このようなことと思います。ヨセフは18才くらいだったかもしれませんね。若いヨセフが悩んで精一杯考えた末の結論です。実際には遠くに行ったマリアが赤ちゃんを産んでどうやって生活してゆくのか、困難が待ち受けていると思われますが、それ以上はヨセフにもどうしようもありません。

 悩んでいるヨセフに、神様の助けが送られます。神様の天使が夢に現れるのです。天使は重要な場面に登場して、神様の意志を伝える働きを致します。天使は告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」これによってマリアが姦淫の罪を犯したのでないことがヨセフにはっきり分かりました。ヨセフは本当にほっとしたでしょう。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」イエスという名前は、「主は救い」という意味です。私たちを罪から救う救い主。私たちのすべての罪を背負って十字架にかかる救い主として、イエス様は誕生されたのです。

 (22~23節)「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」イエス・キリストは、「父・子・聖霊なる三位一体の神様」ご自身です。三位一体の神様の「子なる神」、それがイエス・キリストです。そのイエス・キリストが、人間の赤ん坊になってこの世界に生まれて下さいました。神が人となった。それがクリスマスの出来事です。インマヌエル、「神は我々と共におられる。」これは神様の決心、神様の決意です。私たち人間、私たち罪人(つみびと)と共に歩むという神様の決心、神様の決意です。

 (24節)「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」 天使に真実を教えられたヨセフに、もう迷いはありません。マリアが聖霊によって妊娠したことを信じて受け入れ、マリアを守りながら何ヶ月かを過ごし、ベツレヘムの馬小屋での出産に立ち会い、天使の指示通りにその子をイエスと名付けたのです。ヨセフは、神様のご意志にひたすら忠実に生きる人です。ヨセフとマリアは、神様から預かった尊い赤ん坊を守り育てるために、自分の人生を献げたのです。二人は、自分がしたいことをするために生きたのではなく、神様の意志の実現のために奉仕することに生き甲斐と喜びを見出しました。このヨセフとマリアに守られて、イエス様は成長したのです。イエス様も、父なる神様のご意志が実現するために祈り働かれました。イエス様の地上の人生の最後に待っているのは十字架です。イエス様は、私たちの全ての罪を背負って、十字架で死ぬために誕生されたのです。

 旧約聖書イザヤ書53章には、十字架のイエス様を予告する言葉が集中的に書かれています。
「見るべき面影はなく/ 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し/ わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病 
 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに 
 わたしたちは思っていた 
 神の手にかかり、打たれたから/ 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは/ わたしたちの背きのためであり 
 彼が打ち砕かれたのは/ わたしたちの咎のためであった。
 彼の受けた懲らしめによって/ わたしたちに平和が与えられ 
 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
 わたしたちは羊の群れ/ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
 そのわたしたちの罪をすべて/ 主は彼に負わせられた。」 

 私たちも自分の行いたいことを行うために、それぞれの勝手な方角に向かっていたかもしれないのです。もしマリアとヨセフが、自分が行いたいことを優先してそれぞれの勝手な方角に進んでしまえば、神の子イエス様を守る責任は果たされませんでした。ですがマリアとヨセフはそれぞれの方角に向かうのでなく、神様から与えられた責任を果たすために専心しました。私たち一人一人にも神様から与えられた責任があります。それを忠実に果たして参りたいのです。

 その第一は礼拝ではないでしょうか。出席できない時もあります。でも、まずは私たちの命の造り主である神様に立ち帰ることが必要です。毎週日曜日は、出来る限り礼拝に出席し、共に祈り、神様の言葉である聖書から、ご一緒に神様の御言葉を伺うことが必要です。私たちが向かう方角は、神様への礼拝への方角です。

 イエス様を一番最初に礼拝したのはマリアとヨセフでしょう。その次は羊飼いたちでしょう。おそらくその次にイエス様を礼拝した占星術の学者たちのことが、マタイによる福音書2章1節以下に記されています。(1~2節)「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」 東久留米市のお隣りの清瀬市に東星学園というカトリックの学校がありますが、先日そこの生徒さんに会う機会がありました。「東星」は、やはりこのマタイ2章の「東方の星」からとられているそうです。「イエス様を指し示した星のように、人様をイエス様に導く人になりなさい」教えられたそうです。

 新約聖書のフィリピの信徒への手紙2章14節に、このような御言葉があります。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられることのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」私たちも、神様の愛を受けて星のように輝かせていただいて、ほかの方々をイエス様に導かせていただきたいものです。そのために、まずは自分がしっかりとクリスチャンとして信仰に徹して生きたいのです。占星術の学者たちは、救い主・赤ちゃんイエス様に出会い、聖なる喜びに満たされました。そして宝の箱を開け、黄金・乳香・没薬(ミルラ)を贈り物として献げたのです。彼らはイエス様に自分の大切なもの・宝を献げたのです。

 フランスの作家アナトール・フランス(1921年・ノーベル文学賞受賞者)が書いたこんな物語を読んだことがあります(大井征訳『聖母と軽業師』岩波書店、1934年)。一人の貧しい軽業師がいたのです。名をバルナベと言いました。バルナベは信仰が深かったので、修道院に入りました。修道院の人々は、神様からいただいたいろいろな知識と才能で聖母マリアに奉仕していました(フランスにはカトリック教会の伝統があるので、聖母マリアに奉仕するという言い方になっています。私たちはプロテスタントですので、これをイエス様・父なる神様に置き換えて受け取り、作者の主旨・メッセージを受け取ればよいでしょう)。バルナベも聖母にお仕えする熱意は人一倍でしたが、自分にはとりたてて学問も才能もないと悩みました。しかしある朝、彼は元気になり、礼拝堂に走って行って一時間以上も、ほかの人がいない礼拝堂に籠もっていました。それ以来、彼は毎日、人のいない時間に礼拝堂に行って過ごしました。もはや彼は悲しそうではありませんでした。人々はバルナベが何をしているのか不思議に思い、修道院長はバルナベがベテランの修道士二人と共に扉の隙間から中を伺いました。するとバルナベは、祭壇の前で逆立ちをし、両足を空中に浮かばせ、六個の銅の玉と十二本の小刀を使って、盛んに軽業(曲芸)を行っていたのです。

 バルナベは、自分のできる最高の軽業を精一杯、真心を込めて聖母にお献げしていたのです。二人のベテランの修道士は、「神様への冒瀆だ」と怒りました。修道院長はバルナベが純粋な心の持ち主であることを知っていましたが、この光景を見てバルナベの気が狂ったのではないかと思いました。三人はバルナベを礼拝堂から引き出そうとしたのです。そのとき、祭壇から聖母マリアが祭壇から静かに降りて来られて、バルナベの額に流れる汗をマントの裾でぬぐって下さる有様が、三人に見えたのです。修道院長は、己のしようとしたことを恥じて、舗石の上に顔を伏せて言いました。「心の貧しい人々は、幸いである、その人たちは神を見る」。ベテランの修道士二人も、「アーメン(その通り)」と地面に接吻して答えた、というお話です(修道院長の言葉は、マタイによる福音書5章のイエス様の「山上の説教」の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と、「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る」を合わせた言葉のようです)。私たちに特別な才能がなくとも、自分のできることで神様に精一杯、真心からお仕えすれば、神様が喜んで下さる。これが作者のメッセージです。

 使徒言行録10章34~35節で、イエス様の弟子ペトロがこう述べます。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」私たちも、神様を礼拝しながら、自分のできることを精一杯行うことで神様と隣人にお仕えして参りたいのです。このクリスマスを機会に、少しずつでもよいので、イエス様に従う方へ自分の生き方を変えて、イエス様に従って参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2014-12-22 12:19:11(月)
「飼い葉桶の乳飲み子」 2014年12月21日(日) クリスマス礼拝説教
朗読聖書:ゼカリヤ書9章9~10節、ルカによる福音書2章1~21節
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これが あなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書2章12節)
 
 最初の小見出しは、「イエスの誕生」です。(1~3節)「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。これはキリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」アウグストゥスの養父はジュリアス・カエサル(シーザー)です。アウグストゥスは養父カエサルのあとを継いで内乱で勝ち、地中海世界を統一して、ローマ帝国の初代皇帝となりました。アウグストゥスは軍人、政治家、権力者です。彼が皇帝であった期間は、紀元前27年から紀元14年までの41年間です。アウグストゥスは地中海世界を統一したのですから、政治的な意味で救い主であり、「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)と呼ばれる政治的な安定を実現しました。アウグストゥスという名前はラテン語で「尊厳ある者」の意です。世界史の上で興味の尽きない人物ですが、新約聖書にアウグストゥスの名が登場するのはこの1回のみです。イエス様はこのアウグストゥスが皇帝であった時に、ベツレヘムでお生まれになりました。新約聖書の主人公は権力者アウグストゥスではなく、無力な赤ちゃんとして生まれられたイエス様なのです。アウグストゥスはおそらく、イエス様に何の関心も抱かなかったことでしょう。

 皇帝アウグストゥスは、ローマ帝国の全ての住民に、自分の故郷に帰って登録せよとの勅令を出しました。彼は多くの人々を動かす権力を持っていたのです。この命令により、イエス様の父となるヨセフも旅に出発することになります。しかし、実はアウグストゥスが世界を支配しているのではありません。アウグストゥスは真の神様を信じていなかったでしょうが、アウグストゥスは知らないうちに神様のご計画に奉仕していたのです。アウグストゥスも気づかないうちに、実は神様のコントロールの下にいました。神様は旧約聖書で、イスラエルの救い主・世界の救い主をベツレヘムの町で誕生させると約束しておられました。ミカ書5章1節に、「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る」と預言されている通りです。神様は、ダビデ王の子孫から誕生させるとも約束しておられました。いよいよその時が来たのです。ヨセフは、アウグストゥスの命令によって自分の先祖ダビデの町、ベツレヘムに向かいます。(4~5節)「ヨセフもダビデの家の属し、その血筋であったので、ガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」マリアはろばに乗っていたでしょう。

 今年の8月17日(日)の礼拝後に、教会の二階で映画『マリア』を何人かの方々とご一緒に見ました。映画の後半はマリアとヨセフの、ガリラヤのナザレからベツレヘムへの旅を、丁寧に描きます。聖書には書かれていない部分を、想像をたくましくして描いています。野宿しながらの困難な旅です。ヨセフがマリアを乗せたろばを先導して砂漠や山岳を進みます。一番危険なシーンは、二人(お腹の中のイエス様を含めると三人)が水かさの多いヨルダン川を渡るシーンです。水の中から蛇が近づき、マリアがろばから落ちて水に流されます。それをヨセフの手がしっかりとつかみます。これが名場面です。砂塵の中を旅する時もあります。ヨセフはサンダルを履いていますが、両足に血がにじんで来ます。困難を乗り越えながら旅を続け、マリアとヨセフの絆が強められてゆくのです。途中エルサレムを通ります。エルサレムの神殿でヨセフは、神様に献げるための鳩を売りつけられそうになり、断わります。エルサレムの神殿はよく言えば活気があり、悪く言えば売り買い・ビジネスの喧騒に溢れています。ヨセフはそれを見て嫌悪の表情を浮かべ、「これが聖なる都なのか?」という疑問を口にします。このような旅を経てベツレヘムに着きますが、どの宿屋も満員で泊まる所がありません。ヨセフが必死に頼み込んだところ、「あそこなら空いている」と馬小屋が指し示されます。そこでマリアが産みの苦しみを経て遂にイエス様を出産する場面がクライマックスです。その後、ヘロデ王の軍隊を避けて、マリア・ヨセフ・イエス様の聖家族がエジプトに避難するところまでが描かれます。後半の旅が、映画の見せ場です。

 (6~7節)「~彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」救い主は旧約聖書の預言の通り、ベツレヘムで誕生したのです。しかし人々は(私たちは)この救い主を必ずしも歓迎しないのです。宿屋に泊まる場所がなかったことがそれを象徴しています。この方は後に、エルサレムの神殿がビジネスの場に堕落しているのを見て聖なる憤りに満ち、神殿を清める行動に出ます。そのようなことのため、エルサレムの指導者たちの反感を買い、十字架につけられ、この世から排除されるのです。救い主イエス様は私たちを愛しておられますが、しばしば耳に痛いこともおっしゃるので、受け入れられないことがあり、「招かれざる客」として扱われることがあるのです。

 次の8節以下には、「羊飼いと天使」の小見出しが掲げられています。天使は重要な場面に登場して、神様のご意志を伝えます。これは私たちの多くが愛する場面です。(8~9節)「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」羊飼いは、貧しい生活をしていた人々であり、世の中で重んじられない人々でした。一人前の社会人と認められず、裁判の証人になる資格もないと決められ、蔑まれていたようです。神様は、救い主誕生のよきニュースを、首都エルサレムにいた裕福な人々にまず知らせることをなさいませんでした。そうではなく、深夜の労働に従事して、誰も褒めてくれるわけではない貧しく無名の羊飼いたちに、イの一番に知らせて下さったのです。神様が貧しい羊飼いたちを愛して、目を留めて下さいました。羊飼いたちにとって光栄なことです。神様は、今もそのような神様です。

 (10節)「天使は言った。『恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』」 ルカによる福音書ではしばしば「今日」という言葉が、神様の救いと結び付いて登場します。19章では、イエス様が徴税人ザアカイに言われます。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子(神の民)なのだから。人の子(イエス様)は、失われたものを捜して救うために来たのである。」22章では、死の直前に自分の罪を深く悔い改めた犯罪人に、イエス様が約束されます。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」天使は、2000年前の羊飼いたちに、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と宣言しました。私たちが今日救い主イエス・キリストのことを聞いたのなら、今日が私たちにとってイエス様を救い主と信じる救いの日です。既に信じた方にとっても、今日こそがイエス様を救い主と改めて信じる日として与えられています。新約聖書のコリントの信徒への手紙(二)5章2節の、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」という御言葉が思い出されます。そうなのです。

 メシアという言葉は、ヘブライ語で「油を注がれた者」の意味です。メシアは、ギリシア語ではクリストスです。クリストスが英語でクライストになり、日本語でキリストになりました。油は特別の聖なる油です。旧約聖書の時代に、王は、神様から遣われた人に聖なる油を注がれることで、任職されました。救い主メシアも、聖なる油に満ちた方です。神の子であり同時に人の子である方、人の子でありながら全く罪のない方、それがメシアイエス様です。真の聖なる油は、物質の油ではなく、神様の清い霊である聖霊です。イスラエルの民が、ダビデ王の時代から約1000年も待ち続けて来たメシアが、遂に誕生されたのです。メシアは首都エルサレムで華々しく誕生されたのではなく、全ての人の意表を衝いて、ベツレヘムの人気(ひとけ)の少ない馬小屋で誕生されたのです。

 (12~14節)「『あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところ(天)には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」実に美しい賛美の言葉です。天使たちは今も、天で聖なる神様を賛美しています。地上を去って天に召された方々も、今その賛美の中におられるのです。その天上の礼拝、天上の天使たちの讃美が、一瞬、この世界に降りて来たのです。羊飼いたちは一瞬、天の栄光の礼拝を垣間見たと言えます。私は、ヨハネの黙示録4章に記されている「天上の賛美礼拝」の場面を思い出すのです。「彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。』」一瞬、天が開き、羊飼いたちは天の栄光の賛美礼拝を垣間見て、酔いしれることを許されました。天使たちは去り、もとの静寂が訪れます。(15~16節)「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」羊飼いたちはよい意味で単純で、素直に感動する人々でした。私たちもそうありたいのです。

 天使は、「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子が、しるしである」と羊飼いたちに告げました。聖書で「しるし」はしばしば、奇跡を指します。神様の偉大力を証明する奇跡を「しるし」と呼びます。ところが、ここではしるしは「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子・赤ちゃん」です。そこには力強さは何もありません。ここに父なる神様の深いお考えがあります。父なる神様は、弱肉強食のこの世界の中で弱い立場にある人々の味方として、メシア・救い主を誕生させなさったのです。この無力な赤ちゃんは、約33年後に十字架につけられます。十字架上の救い主イエス様も赤ちゃんに似て無力です。いえ本当はすぐに十字架から降りる偉大な力を持っておられるのに、忍耐してその力を封印されます。そして私たちの全ての罪を背負う使命を成し遂げて下さって死なれます。そして三日目に復活なさるのです。イエス様は武力で戦うことのない救い主、柔和な救い主です。

 本日の旧約聖書は、ゼカリヤ書9章9~10節です。ここにはエルサレムの都の真の王メシアが「平和の王」として登場しています。これは平和メッセージです。イエス様はこの預言を非常に強く意識しておられ、十字架に架けられる前にエルサレムに入場されたとき、この御言葉の通りに行動されました。
「娘シオンよ、大いに踊れ。 娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
 見よ、あなたの王が来る。 彼は神に従い、勝利を与えられた者。
 高ぶることなく、ろばに乗って来る。 雌ろばの子であるろばに乗って。
 わたし(神様)はエフライム(イスラエル)から戦車を 
 エルサレムから軍馬を絶つ。
 戦いの弓は絶たれ   諸国の民に平和が告げられる。
 彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。」
イエス様は王のシンボル・軍馬には乗らず、あえて柔和なろばに乗られたのです。その5日後に十字架に架けられました。飼い葉桶の乳飲み子が救い主のしるしであるならば、平和の動物ろばに乗ることも救い主のしるし、十字架にかかることも平和の救い主のしるしです。イエス様の時代のイスラエルには、きな臭いにおいが立ち込めていました。多くの人々は、イスラエルがローマ帝国の植民地であることを嫌い、ローマ帝国と武力で戦うことを願っていました。人々はイエス様をそのリーダーに祭り上げたかったのです。しかしイエス様は、その動きに乗せられず、私たちの罪を自ら背負って十字架で死ぬ平和のメシアとして生きられたのです。

 さて、ルカによる福音書の1、2章を読むと、神様が貧しい少女マリアに目を留め、貧しい羊飼いたちに目を留めて下さっていることをつくづく感じます。マリアの賛歌でもこう歌われています。「(神様は)権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」と。そして、どうしてもコリントの信徒への手紙(一)1章18節以下を思い出すのです。最初の18節。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」十字架に架けられた方が救い主だということは、必ずしも簡単に受け入れられることではありません。十字架の死は非常に惨めな死だからです。十字架で死んだ方が救い主だと信じるためには、私たちがその方の前にひざまずく謙虚さを必要とします。そして自分が罪人(つみびと)であることを認める謙虚さをも必要とします。(21節)「~神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」神様は、十字架に架けられて惨めな死を遂げたイエス様こそ救い主だと信じる謙遜な人を救おうとお考えになったのです。

 (22~24節)「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人(その代表がギリシア人)には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」ユダヤ人はしるしを好んだのですね。ユダヤ人は、自分たちこそ神様に選ばれた民であるという強い誇りを持つ民でした。そのユダヤ人が好んだしるしとは、神様の偉大な力を証明する奇跡のことです。ユダヤ人が神様に選ばれた民であることは事実ですが、強い誇りを抱いて思い上がることは、神様の願われることではありません。神様はユダヤ人の考えと反対に、無力な乳飲み子であることこそ救い主のしるしだとおっしゃり、十字架に架かって惨めな死を遂げることこそ、救い主のしるしだとおっしゃいます。神様はこの救い主を受け入れる謙遜な心の人を救おうとお考えです。神様は、私たちが皆そのようになることをお望みです。

 (26~29節)「兄弟たち、あなたがたが召されたとき(クリスチャンになるように招かれたとき)のことを思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」マリアもヨセフも何の力も持たない人、羊飼いたちも同じです。私たちも、この世で何の力も持たない者なので、幸いです。何の力も持たないからこそ、十字架につけられた方を救い主と信じる尊い信仰を与えられたのです。

 ルカによる福音書2章20節には、「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」と書かれています。私たちも、羊飼いたちと同じ素朴な心で、神様をあがめ、賛美する日々を送り続けたいのです。天国に入れていただくその日まで。アーメン(「真実に、確かに」)。