日本キリスト教団 東久留米教会

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2015-06-15 16:18:16(月)
「命綱を二度、譲った男性」 6月の聖書メッセージ(1) 牧師・石田真一郎
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
(イエス・キリストの言葉。新約聖書・ヨハネによる福音書15章13節)

 私が中学3年生だった1982年1月13日に、次のような出来事があり、感銘を受けました。アメリカの首都・ワシントンDCで、雪の中で離陸した航空機が、すぐにポトマック川に墜落したのです。本来なす義務がある雪対策を怠る大きなミスがあったようです。

 乗務員・乗客79名のうち74名が亡くなったそうです。救助のヘリコプターが現場に到着すると、中年の男性の生存者が厳寒の川に浮かんでいました。救助隊員が上から浮き輪がついた命綱を投げ落としました。男性はすぐに浮き輪をつかみましたが、近くで若い女性が浮き沈みしているのを見ると、泳いで行って、その女性に浮き輪を渡しました。

 その女性が救出され、ヘリコプターが現場に戻り、再度この男性に浮き輪がついた命綱を落としました。すると男性は、近く浮かんでいたもう一人の女性に手渡しました。この女性は乗務員中ただ一人の生存者となったスチュワーデスでした。彼女が救出され、ヘリコプターが三度目に川に着たときには、男性の姿は見えませんでした。力尽きて沈んだのです。男性は、46歳の銀行査察官アーランド・ウィリアムス氏でした。当時の日本の新聞も、「勇者は沈みぬ 命綱、二度女性に譲る 力尽き凍える川底に」の見出しで大きく伝えました。

 「世の中には、すばらしい人がいる!」私も胸を揺さぶられました。この男性がクリスチャンであったかどうかは分かりません。しかし、私たちすべての人間の、すべての罪を身代わりに背負って十字架で死に、三日目に復活なさったイエス・キリストの愛を思わせる、愛の生き方をなさったことは確かです。イエス様は言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」「友のために自分の命を捨てること。これ以上に大きな愛はない。」私たちは自分が一番かわいい者ではありますが、少しでもイエス様に倣う生き方をしたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-06-10 1:56:32(水)
「ぶどう酒に変わった水」 2015年6月7日(日) 聖霊降臨節第3主日礼拝説教
朗読聖書:詩編126編1~6節、ヨハネ福音書2章1~12節
「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした」(ヨハネ福音書2章9節)。

 小見出しは「カナでの婚礼」です。有名なエピソードです。この2章の前の1章を見ますと、「その翌日」という言い方が3回出て参ります。「その翌日」、「その翌日」、「その翌日」と三回繰り返されて、2章1節の「三日目に」に到達します。ここまでに少なくとも5名がイエス様の弟子になっています。それはアンデレ、名前不明の一人、シモン・ペトロ、フィリポ、ナタナエルの5名です。私たちが「三日目」で連想することは、イエス様の復活が三日目だったという事実です。「三日目」の言葉は、イエス様の十字架の死からの復活の喜びを暗示しています。(1節)「三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。」カナはガリラヤの町の名ですね。婚礼はもちろん結婚式です。結婚式は、最高の祝福のシンボル、神の国の喜びのシンボルです。イエス様の母がそこにいました。ヨハネによる福音書はその名を記しませんが、もちろんマリアです。イエス様がこの時30歳だったとすると、マリアは45歳くらいでしょう。(2節)「イエス様も、その弟子たちも婚礼に招かれた。」少なくとも5名がイエス様の弟子になっていました。

 (3節)「ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、『ぶどう酒がなくなりました』と言った。」婚礼・結婚式・披露宴でぶどう酒がなくなれば、どこの国、いつの時代でも困ります。しかしこの出来事は、私たち人間が必ず直面する様々な悩み・困難・問題・行き詰まりを象徴しているのだと思います。どなたの人生も100%順調というわけには参りません。悲しいこと、辛いことが起きて参ります。あるいは人生にむなしさを感じる方、真の喜び、深い生きがいを感じないという方もあるでしょう。旧約聖書のコヘレトの言葉(以前は「伝道の書」)1章には、次の有名な言葉があります。「コヘレトは言う。/ なんというむなしさ/ なんというむなしさ、すべてはむなしい。」コヘレトという人はダビデ王の子で、エルサレムの王と書いてあります。コへレトはむなしさに苦しんでいたようです。コヘレトの言葉2章で、コヘレトはこうつぶやきます。「『快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。』見よ、それすらも空しかった。」コヘレトは、どうすれば空しくない真の喜びが得られるか、あらゆることを試みます。
2章3節以下。
「何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、
 愚行に身を任せてみようと心に定めた。
 大規模にことを起こし/ 多くの屋敷を構え、畑にぶどうを植えさせた。
 庭園や果樹園を数々造らせ/ さまざまの果樹を植えさせた。~ 
 金銀を蓄え/ 国々の王甲侯が秘蔵する宝を手に入れた。     
 男女の歌い手をそろえ/ 人の子らの喜びとする多くの側女を置いた。~
 目に望ましく映るものは何ひとつ拒まず手に入れ
 どのような快楽をも余さず試みた。~
 しかし、わたしは顧みた。/ この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
 見よ、どれもむなしく/ 風を追うようなことであった。」
 このようなむなしさを感じ、生きる真の喜び、生き甲斐を感じることができない方もおられるのではないでしょうか。ぶどう酒がなくなったことは、このようなことの象徴と思うのです。

 ヨハネによる福音書に戻ります。イエス様は一見、母マリアに冷淡なお答えをなさいます。(4節)「イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』」「婦人よ」と言う呼び方は、おそらくイエス様やマリアの感覚では、私たち日本人が感じるほどよそよそしい呼びかけではないのだと思われます。イエス様は十字架の上でも、愛する弟子ヨハネのことをマリアに告げるときに、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」とおっしゃっています。しかし、「どんなかかわりがあるのです」には、確かにマリアを突き放す感じがありますね。我が子にこのように言われれば、かなり寂しく感じるでしょう。これは直訳では、「わたしとあなたとの何があるか」です。フランシスコ会訳聖書では、こう訳しているそうです。「婦人よ、このことについて、わたしとあなたとは考えが違います。わたしの時はまだ来ていません。」前田護郎さんという個人の訳では、「母上、何のご用ですか。またわたしの時は来ていません」です。

 「わたしの時」とは、イエス様が最大の使命を果たされる時です。私たちの全ての罪を背負って十字架を担がれ、十字架に架けられて、死なれる時です。そして三日目に墓を破って復活される時です。そして弟子たちに姿を現して「聖霊を受けなさい」とおっしゃる時です。他の福音書と使徒言行録では、イエス様の十字架の死から三日目に復活が起こり、十字架の死から52日メシアに聖霊が降ります。しかしヨハネによる福音書ではその期間が凝縮され、イエス様の十字架の死の三日目に復活が起こることは同じですが、復活の日の夕方には早くも弟子たちに聖霊が与えられます。イエス様の時、それは十字架の死の時・復活の時・弟子たちに聖霊を与える時、と見ることができます。これは神様の愛と力が決定的に現される時、神様の栄光が現される時です。その時はまだ先だとイエス様はおっしゃいます。

 イエス様はマリアの子ですが、それ以上に父なる神様の独り子です。イエス様は、独り子としての使命を果たすことを最優先に生きておられるのです。マリアはイエス様が神様の独り子であることをよく知っていたと思います。そのマリアが「ぶどう酒がなくなりました」と言ったことは、イエス様に何とかしてほしい、神の子としての力を発揮して、ぶどう酒を造り出してほしいという意味でしょう。イエス様は神様の独り子として生きることを優先され、確かに一度はマリアの願いを遮ったのです。

 マリアはイエス様の言葉を受けとめつつも、完全には期待を捨てないのです。(5節)「しかし、母は召し使いたちに、『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。」言葉の上では拒否していても、「わが子イエスは、きっと何とかしてくれる」という信頼がマリアにあったのではないでしょうか。実際イエス様は、拒否の言葉とは裏腹に、結局水をぶどう酒に変えて下さったのです! イエス様は神の子としての正論をおっしゃり、確かに一旦 マリアの願いを退けました。ですが、ある神父様は、第三者に分からない部分でイエス様とマリアには、言葉に出ない「心のかよい」があったのだろうと書いておられます(堀田雄康著『聖書 楽読楽語』、聖母の騎士社、1990年、95ページ)。この方はマリアに「ぶどう酒がなくなりました」と言われたときのイエス様のお心は、次のようだったのではないかと推測しておられます。「そんなこと言われても困ります。父である神さまからいただいた使命には、それは予定外のこと、時期尚早ですよ。でも、しょうがないなあ」(同書、96ページ)。「ほかならぬお母様の願い、むげに退けるわけにもいかない」という感じでしょうか。

 「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と、神の子としての正論をおっしゃりながらも、イエス様の「声の調子は柔らかく、顔は当惑を表しながらも微笑みを含んでおり、また、ひょっとしたら、目にはいたずらっぽさがのぞいていたかもしれません」と、この方は推測しておられます(同書、96ページ)。少々踏み込み過ぎかもしれませんが、魅力的な解釈です。イエス様の声の調子がきつかったのであればマリアもすっかり諦めてしまい、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言わなかったのではないでしょうか。しかし言ったのは、イエス様の顔の表情や声の調子から、「きっとイエスは何とかしてくれる」と直感したからこそ、マリアは、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いたちに言ったのではないでしょうか。「イエスがきっと言いつけてくれる」との期待を抱きながら。イエス様と母マリアは、深い信頼と絆で結ばれていたのです。

 果たしてイエス様は、少し折れて予定を変更し、軌道修正して下さいました。結果的にはマリアの願いを聞き届けて下さったのです! 祈りとはこのようなものでもあると思うのです。神様には神様のお考えとご計画がおありですが、それは細かい部分まで変更が絶対に不可能というものではないはずです。私たちの一生懸命の祈りを聞いて、神様は場合によってはお考えや予定を少々変更し、修正して下さるはずなのです。そうでなければ、祈りにあまり意味はないことになります。確かに私たちの願い通りにばかりなるわけではありません。しかし神様は機械ではありません。生きたハートを持つ方です。私たちとの心の交流を喜んで下さる方です。私たちはその神様に一生懸命祈ります。私たちの心のこもった祈りを無視することは、神様にとっても心の痛むことであるはずです。マリアの願いは、婚礼の主人と客を困らせないこと、いわば人助けでした。であるのでイエス様がマリアの願いを聞き入れて下さった面もあるのでしょう。私たちが、真心をこめて祈るならば、神様はお考えを少々変更して、祈りを聴き上げて下さることが確かにあります。そう信頼して、神様への祈りを絶やさないで歩みたいのです。

 イエス様は、マリアが召し使いたちに言った言葉を聴いておられたのでしょう。召し使いたちに言いつけられます。(6~7節)「そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。」1メトレテスは、約39リットルです。約40リットルと考えると、80~120リットル入りの水がめが6つあったことになります。風呂がまが6つあったという感じです。水は重いですから、水がめ6つの縁まで満 たすことは、それなりの労働です。6に意味があるという人もいます。聖書では7は完全を表します。6はその1つ手前です。未完成を意味するのかもしれません。「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」が6つあったのです。ユダヤ人の信仰だけでは(旧約聖書の信仰だけでは)救いの道が完成しない、未完成である。そこに神の子イエス・キリストが来て下さり、十字架と復活によって、救いの道を完成して下さる。ということを「ユダヤ人が清めに用いる6つの水がめ」は示しているのかもしれません。

 そして、召し使いたちが6つの水がめの縁まで水を満たしたことは、彼らがイエス様のお言葉に忠実に従ったことを意味します。しかし人間の努力だけでも足りないのです。イエス様が働いて下さり、祝福して下さる時に初めて、真の喜びがもたらされます。旧約聖書・箴言10章22節の御言葉、「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない」を思い出します。イエス様の祝福によって、水はぶどう酒に変えられました。イエス様は、愛を込めて結婚式を祝福して下さったのです。

 (8節)「イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。」召し使いたちはイエス様のお言葉に従いました。世話役のところへ運んで行く途中で、水はぶどう酒に変わったのです。イエス様が神の子としての愛の力を発揮して下さり、水はぶどう酒に変わりました。ぶどう酒はここで神の国の祝福のシンボルです。神様の清い愛の霊・聖霊のシンボルとも言えます。(9節前半)「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。」驚いたことにそれは極上のぶどう酒でした! 天国の味がしたことでしょう。私たちは本日、聖餐にあずかりますが、聖餐のぶどう汁もまた天国の味わいがします。天国の最高の祝福を前もって少し味わうことが許されるのです。それが聖餐のぶどう汁です。パンもそうです。(9節の後半~10節)「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。『だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。』」 このぶどう酒はどこから来たのでしょうか? それはイエス・キリストから来た、神様から来たのです。

 (11節)「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」しるしは奇跡ですが、大切な点は、そのしるしを行われたイエス様が神の子であられることを、私たちが信じることです。イエス様はこの最初のしるしを、母マリアの願いに応える形で行われました。イエス様が、「父母を敬え」というモーセの十戒の第五の戒めを実行なさったも言えます。 
 
 本日の旧約聖書は、詩編126編です。(5~6節)
「涙と共に種を蒔く人は/ 喜びの歌と共に刈り入れる。
 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
 束ねた穂を背負い/ 喜びの歌をうたいながら帰って来る。」

 人生には悲しみも涙もあります。空しさを味わうこともあるでしょう。イエス様も十字架という最大の苦難を体験されました。その三日後に復活なさったのです。その復活のイエス様が、聖霊として世の終わりまでいつも共にいて下さいます。それが私たちの慰め・喜びです。そし天国に入れていただく時には、完全な愛と祝福で満たされます。礼拝で天国の祝福を少しずつ前もって、味あわせていただきます。

 私は教会に通い初めた1987年に、茨城県の教会で(日本基督教団の議長をなさった)飯清(いい・きよし)牧師のお説教を伺いました。その時の聖書が、本日のヨハネによる福音書2章1節以下、イエス様が水をぶどう酒にお変えになった場面でした。その説教に感動したことを覚えています。その7~8年後に、同じ教会で再び飯清先生のお説教を伺いました。先生はそのとき、「今、私の体は厳しい病気によって手の施しようがない状態です」という意味のことをおっしゃりつつ、明るい声でユーモアさえあるお説教をなさいました。私はそのお姿と信仰に、とても心を打たれたのです。その後、暫くして天に召されました。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」(ヘブライ人への手紙13章7節)の御言葉を思います。イエス様が水をぶどう酒に変えて下さった場面を読むと、この思い出がよみがえります。

 水をぶどう酒に変えて下さったイエス様が、私たちと共におられる。このことに勇気を与えられ、この一週間へと踏み出したいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-06-03 0:49:04(水)
「大胆に神の御言葉を語る」 2015年5月31日(日) 聖霊降臨節第2主日礼拝説教
朗読聖書:詩編2編1~12節、使徒言行録4章23~36節
「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」
                            (使徒言行録4章29節)。

 先週のペンテコステ礼拝で、私たちは使徒言行録2章の聖霊が降る場面を読みました。その日、何と三千人ほどが洗礼を受けてクリスチャンになったようです。次の3章で、ある出来事が起こります。イエス様の弟子のペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時間に神殿に上りました。そこに生まれながらに足の不自由な男が運ばれて来ました。その人は40歳を過ぎていました。平均寿命が仮に55歳くらいだったとすると、若いとは言えない年齢です。ペトロが彼に言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして右手を取って彼を立ち上がらせました。すると彼はたちまち、足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだし、神様を賛美したのです。驚いた民衆が、ペトロとヨハネの所へ一斉に集まって来ました。ペトロは、イエス・キリストの復活を力強く説教しました。それを見て苛立ったのが、神殿にいた祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々です。サドカイ派は、復活ということはあり得ないと日頃から信じていたので、特に苛立ったのだと思います。彼らはペトロとヨハネを捕らえて翌日まで牢に入れました。

 次の日、エルサレムのそうそうたる偉い人たちが集結して、ペトロとヨハネに圧力をかけます。集まったのは、最高法院の議員、長老、律法学者たち、大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロという大祭司一族です。ペトロとヨハネは聖霊に満たされて恐れず、「イエス・キリスト以外のだれによっても救いは得られない」と述べます。議員や他の者たちは、決してイエス・キリストの名によって話したり、教えてはならないと命令しました。しかしペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えました。議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放しました。そして本日の4章23節以下に入るのです。ここの小見出しは、「信者たちの祈り」です。

 (23節)「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。」一時的にせよ牢に入れられ、イエス・キリストの名によって語るなと脅しを受けたと報告したのです。仲間とは何人くらいだったのか。4章4節には、男の数が五千人ほどになったと書かれていますが、まだ彼らが揺るがない仲間だったかどうかは分かりません。最初祈っていたのは120人ほどですから、揺るがない仲間は120名から少し増えたくらいだったかもしれません。エルサレムで力を持つ人々に脅されたのですから、怖いと思った人もいたでしょう。彼らは今こそと神様に助けを求めて祈ったのです。(24節)「これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。『主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。』」この神様が、地球と宇宙全体の造り主であることを認めて、共に祈り始めたのです。

 そして、本日の旧約聖書・詩編の第二編を引いて祈ります。25節の前半「あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。」詩編第二編はダビデの作品なのでしょう。しかし真の作者は聖霊なる神様です。ダビデが聖霊に感じて作った詩編が第二編です。これは聖霊なる神様による預言なのです。25節後半と26節「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。」「諸国の民」は、異邦人と同じことです。メシアとは、ヘブライ語で「油を注がれた方」の意味であり、救い主キリストを指します。この場合の油は、人を聖なる者として分かつ時に注ぐ聖なる香油です。この詩編第二編の預言通りになったと、人々は聖霊に導かれて祈ります。

 詩編第二編がどのように実現したのか。(27~28節)「事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。そして、実現するようにと御手によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。」 26節の「地上の王たち」は複数ですが、現実にはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスがイエス様を尋問しました。同じく26節にあった「指導者たち」も複数ですが、現実にはローマから派遣されていた総督ポンティオ・ピラトがイエス様を十字架につける誤った決定を下しました。異邦人は(ピラトも異邦人ですが)、イエス様を十字架につけたローマの兵士たちでしょう。そして神の民であるイスラエルの民も、イエス様を十字架に追いやりました。それは大祭司、祭司長たち、律法学者たち、群衆です。

 「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。」なぜ人間は神の子を十字架につけるような愚かなことを行うのか。ダビデは聖霊に導かれて、このように嘆いたのです。それは人間の罪です。27節に「聖なる僕イエス」とありますが、まさにイエス様は僕として生きて下さいました。イエス様はマルコによる福音書10章43節以下で、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とおっしゃり、十字架の死に至るまで父なる神様に従順に仕える僕として生きて下さいました。イエス様はまさに聖なる僕です。

 人々はこぞって聖なる僕イエス様に逆らい、イエス様を十字架につけて殺したのです。イエス様の十字架の死は、人間のすべての罪が出尽くすような場面です。悪魔が勝利したかのような場面です。しかしもっと高い視点から見るならば、それは父なる神様のご計画の実現です。旧約聖書のイザヤ書53章は「苦難の僕」の姿を描いていますが、「苦難の僕」はもちろん十字架につけられるイエス様です。「彼が担ったのはわたしたちの病/ 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/ わたしたちは思っていた/ 神の手にかかり、打たれたから/ 彼は苦しんでいるのだ、と。/ 彼が刺し貫かれたのは/ わたしたちの背きのためであり/ 彼が打ち砕かれたのは/ わたしたちの咎のためであった。/ 彼の受けた懲らしめによって/ わたしたちに平和が与えられ/ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。~/ わたし(神様)の僕は、多くの人が正しい者とされるために/ 彼らの罪を自ら負った。」多くの人が正しい者と認められるために、聖なる僕イエス様は、十字架にかかられたのです。父なる神様の御心に服従され、十字架を背負いきられたのです。イエス様を十字架に追い込んだヘロデ・アンティパス、ポンティオ・ピラト、ローマ軍の兵士、イスラエルの大祭司、祭司長たち、律法学者たち、群衆。彼らは確かに悪を行ったのですが、しかしもっと高い視点から見れば父なる神様のご支配の下にあったのです。

 神様が全てを支配しておられることを確信して、クリスチャンたちは心を一つにして神様に願い求めます。(29節)「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」エルサレムの権力者たちの脅しに負けないで、今こそ恐れずに、勇気をもって救い主イエス・キリストを宣べ伝えることができるようにして下さい、と祈ったのです。東久留米教会の今年度の標語聖句です。「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」クリスチャンたちがこう祈ったとき、彼らは脅されていたのです。イエス・キリストの名によって語ってはならないと脅迫されていました。怖かったと思うのです。その怖い思いをはねのけるように、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈ったのです。私たちも、十字架にかかって三日目に復活なさったイエス・キリストを、勇気をもって大胆に伝えたいのです。

 勇気をもって大胆に御言葉を語った人に、ナチスに捕らえられたパウル・シュナイダー牧師が挙げられます。キリストに従う人であったシュナイダー牧師は、ブッヘンヴァルトという場所の強制収容所に入れられます。同じ収容所に入れられていたカトリックの聖職者が、次のように記録しているそうです。「平屋造りの牢獄の前には、大きな集合場所があり、朝夕囚人たちが集められ、点呼され、さまざまないやがらせを受けねばならなかったのである。特別な祝日には牢獄のうっとうしい格子窓から、点呼の間の静けさを破って、突然シュナイダー牧師の力強い声が響き渡った。彼は預言者のように、祝日の礼拝を守ったのである。たとえば復活節に、このようなみ言葉を私たちは聞いたのであった。『かく主は語りたもう。われは復活なり、命なり!』この大胆な勇気と意志の力に心の底まで揺り動かされて、囚人の列はたたずんでいた」(辻宣道『教会生活の四季』日本基督教団出版局、1991年、62ページより、レオンハルト・シュタインヴェンダー著『強制収容所のキリスト』<日本基督教団出版局>を孫引き)。シュナイダー牧師はすぐに殴り倒されたそうです。このような暴力を受け続けて、1939年7月14日に42歳で亡くなり、天国に行かれました。彼は拷問に負けない強い意志の持ち主でした。脅しに屈しないで、思い切って大胆に御言葉を語り続けたのです。そして殉教の死を遂げました。この方の勇敢な信仰に、私たちも励まされたいのです。

 クリスチャンたちはさらに祈ります。30節「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」「神様、どうか御手を伸ばして下さい」と人々は祈りました。神様の御手には全能の御力があります。その全能の御力を発揮して下さいと祈ったのです。私たちも大胆に、粘り強くそう祈りましょう。「聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業(奇跡)が行われるようにしてください」と祈りましょう。祈りの結果が31節に記されています。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」場所が揺れ動いたことは、神様がおられるしるしです。「語りだした」は文法的には未完了形であり、「語り続けた」の意味です。教会が今に至るまでイエス・キリストの十字架と復活を語り続けている、世の終わりまで語り続けてゆく、ということです。

 旧約聖書の詩編第二編をも開いてみましょう。これは確かにイエス・キリストを予告する詩編です。2節は、本日の使徒言行録に引用されていました。文言がやや違いますが、意味は同じです。「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち/ 人々はむなしく声をあげるのか。/ なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して/ 主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。」 このような神への反抗は、神によって打ち破られます。4~6節にそのことが記されています。「天を王座とする方(神様)は笑い/ 主は彼らを嘲り/ 憤って、恐怖に落とし/ 怒って、彼らに宣言される。『聖なる山シオンで/ わたしは自ら、王を即位させた。』」これは人間の罪と悪に対する、神の勝利宣言です。かつてナチスが勝利に勝利を重ねてヨーロッパを支配しかけていたとき、カール・バルトという牧師(神学者)はナチスの滅亡を予告したそうです。神に逆らう者は必ず滅びるのです。6節の「聖なる山シオンで/ わたしは自ら、王を即位させた」は、シオン・エルサレム郊外で茨の冠を被せられて十字架で死なれ、復活された世界の真の王イエス様を指すのではないでしょうか。

 (7節)「主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。『お前はわたしの子/ 今日、わたしはお前を生んだ。』」この7節は、使徒言行録13章33節に引用されています。そこではこの7節が、イエス様の復活の約束を語っていると述べられています。すなわち使徒言行録13章30~33節に次のように書かれています。「わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子/ わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです。」

 詩編第二編8~9節には、「求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし/ 地の果てまで、お前の領土とする。/ お前は鉄の杖で彼らを打ち/ 陶工が器を砕くように砕く」と書かれています。「わたし」は神様で、「お前」はイエス・キリストを指します。ヨハネの黙示録12章5節でイエス・キリストについて、「この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた」と書いてあるからです。「わたしは国々をお前の嗣業とし/ 地の果てまで、お前の領土とする。/ お前は鉄の杖で彼らを打ち/ 陶工が器を砕くように砕く。」この御言葉は、イエス・キリストこそ全世界を治める王であることを告げています。詩編第二編は全体として、確かにイエス・キリストを預言する詩編なのです。

 使徒言行録4章に戻り、32節以下をも見ます。「持ち者を共有する」という小見出しでまとめられています。(32~33節)「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」これを原始共産制と呼ぶことがあります。皆が聖霊に満たされていましたから、心もイエス様に似た状態にあったのでしょう。「受けるよりは与える方が幸い」という気持ち、与える愛、兄弟愛に燃えていたのです。誕生したばかりの愛の共同体・教会の理想的な状態です。今の教会もこのようになることができれば理想的ですね。世界全体がこのようになれれば、すばらしいですね。それを阻んでいるのは、私たちの自己愛、欲望、罪です。それを悔い改める必要があります。聖書の言葉ではありませんが、「奪い合えば足らぬ。分け合えば余る」という言葉があります。分け合う信仰に生きてゆきたいのです。

 (34~35節)「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売って代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」驚くべき愛です。土地や家を持っている人が皆、それを売って代金をすべて使徒たちに渡した、教会に寄付したのです。教会はそれを自分のために使ったりせず、貧しいクリスチャンたちに分配しました。申命記15章7~8節の御言葉を思い出しました。「あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。」そして10節には、「彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。」最初期のクリスチャンたちは、この通りに生きたのです。

 使徒言行録に戻り、36~37節。「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ―『慰めの子』という意味―と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」バルナバはパウロと共に神様への奉仕に生きる人です。本名はヨセフで、バルナバは「慰めの子」という意味のニックネームです。旧約聖書のノアの名は「慰め」の意味だと創世記5章に書かれています。バルナバはノアにも似た信仰の人、慰め主なる聖霊に満ちた人だったのでしょう。私どもは、初代教会のクリスチャンたちのように、折りが良くても悪くてもイエス・キリストを宣べ伝え、兄弟愛に生きる教会を作らせていただきたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-05-27 14:01:18(水)
「聖霊によって語る弟子たち」 2015年5月24日(日) ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝説教
朗読聖書:民数記11章24~30節、使徒言行録2章1~21節
「一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」
                          (使徒言行録2章4節)。
     
 イエス様は、私たちのすべての罪を背負って十字架で死なれました。そして三日目に甦らされたのです。そして40日に渡って人々の前に現れ、神の国について話されました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。あなたがたは間もなく聖霊による洗礼(バプテスマ)を授けられるからである。」聖霊が注がれるまで待ちなさいと言われたのです。そして復活の体で天に上ってゆかれたのです。その後、弟子たちは2つのことを行いました。一つ目は集まって熱心に祈ることです。これは今でも非常に大切です。教会は事あるごとに集まって祈ります。もう一つはユダの死によって欠員が生じた十二弟子・十二使徒の補充をすることです。ヨセフ(イエス様の父とは別人)とマティアという二人の候補者が立てられ、人々は祈りました。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」こう祈ってくじを引きました。するとマティアに当たったので、神様のご意志が示されたと確信し、人々はマティアを十二弟子・十二使徒に加え、態勢を整えました。こうしてなすべきことをなして祈り続け、五旬祭の朝を迎えたのです。

 五旬祭は、ユダヤ人の三大祭り(過越祭、七週祭、仮庵祭)のうちの七週祭で、小麦の収穫の初穂を神様に献げる日、いわば収穫感謝祭でした。五旬祭をギリシア語でペンテコステーと言います。ペンテコステーとは「第五十、五十番目」の意味です。(1~3節)「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」驚くべきことです。百二十人ほどの人々が一つになって祈っていたのです。そこに炎のような真っ赤な舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。神様の燃える強烈な愛の霊が下り、一人一人に分け与えられたのです。神様はこうして一人一人に異なる賜物、異なる能力を与えて下さるのです。(4節)「すると、一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」聖霊の力によっていきなり外国語で語り出したのですから、誰しも驚きます。

 (5~6節)「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」この時代、既にユダヤ人はイスラエルだけでなく、地中海沿岸の各地に広がって住んでいました。この頃の日本は弥生時代で、文字さえありませんでしたが、中近東は非常に文化が発達していました。そのほとんどがヘブライ語で書かれているユダヤ人の聖書(私たちが旧約聖書と呼ぶ書物)の形はほぼ固まりつつあり、しかもそれが既に地中海沿岸地域の共通語であるギリシア語に翻訳されていました。その地中海沿岸のいろいろな地域に住んでいたユダヤ人は、イスラエル生まれでなかったので(ヘブライ語も話すことができたでしょうが)、生まれた地域の言語を使っていました。後に使徒となるパウロも、ローマ帝国キリキア州のタルソス生まれであり、ヘブライ語とギリシア語を話すことができました。人々は非常に驚きました。聖霊を受けた人々が、聞いている人々の生まれ故郷の言葉(ヘブライ語でない言葉)で語っていたからです。この奇跡を多言奇跡と呼びます。

 (7~8節)「人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。』」「ガリラヤの人」という言い方にやや蔑み、「この人たちは皆、学のない田舎のガリラヤ人ではないか」という響きがあるように思います。マタイ福音書4章には、「異邦人のガリラヤ」という言い方が出て来ます。ユダヤ人は異邦人を低く見ていました。イエス様がお育ちになったナザレはガリラヤの中にありますが、ナザレは旧約聖書に一回も登場せず、ヨハネによる福音書1章ではナタナエルという人が「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と発言しています。イエス様の弟子の多くはガリラヤ出身でしたが、イスラエル社会で重んじられている人々でなかったことは確かでしょう。しかし神様は、あえてその人々に、尊い聖霊を注いで、奇跡的に外国語を語らせて下さったのです。

 (9~11節)「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」ここには15の地名が登場しています。アジア、アフリカ、ヨーロッパの地名です。これほど多くの地域の言葉が語られていたのです。多くの言語による賛美の礼拝が献げられていたと言えます。

 語られていたことは、「神の偉大な業」です。神の偉大な業とは、イエス様が私たちのすべての罪を背負って十字架で死んで下さったこととイエス様の三日目の復活でしょう。特に復活は、まさに神の偉大な業です。「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」東久留米教会の今年度の標語聖句は、使徒言行録4章29節、「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」です。まさに人々は聖霊を受けて、思い切って大胆に神様の御言葉を語っておりました。私たちも聖霊を注がれて、思い切って大胆に神様の御言葉を語りたいのです。

 ここでは偉大な奇跡によって、多くの言語で神の偉大な業が語られました。これはここから世界伝道が始まることを予告しています。その後、神様の言葉である聖書は、多くの人々の忍耐強い愛の努力によって、多くの言語に翻訳されました。聖書をヘブライ語やギリシア語から日本語に翻訳することも、大変な努力です。世界には約6600の言語があるそうで、2012年末現在、聖書は2551の言語に翻訳されているそうです(部分訳を含む)。私は1993年3月に東京神学大学のアジア伝道論という授業の一環で、10名くらいの方々(宣教師と神学生たち)と一緒に台湾の諸教会を訪問する10日間の旅をしました。その時、高雄市にある台南神学院という神学校にも行きました。台湾の言語状況は複雑で、今多くの人々は北京語を話しますが、北京語が入ったのは基本的に第二次大戦後でしょうから、台湾の原住民と呼ばれる方々もおられます。この方々は原住民という呼び名に誇りをもっていると聴きました。原住民の言語は10言語ほどあると聞いた記憶があります。台南神学院で、その一つ一つの言語に聖書を翻訳する作業が行われているようでした。北京語に訳して終わりではなく、原住民の言語に聖書を翻訳する、その人々が一番親しんでいる言葉に翻訳する作業です。このような地道な努力が積み重ねられて、2551あるいはそれ以上の言語に翻訳されているのですね。ペンテコステの朝に聖霊の力で一瞬に起こった多言奇跡が、その後の多くの人々の祈りに満ちた翻訳の努力によって、本質的に同じことが継続しているのです。本日はペンテコステ礼拝ですが、あるキリスト教の高校では、アラビア語、スワヒリ語など約20の言語で聖書を朗読して、ペンテコステ礼拝を行うのだそうです。

 12~13節に、聞いた人々の反応が記されています。「人々は皆、驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた。」聖霊は神様の清き愛と喜びの霊ですから、聖霊を受けた人々は天からの清き愛と喜びに酔いしれていました。それで酔っているように見えたのです。本日の招きの言葉・ローマの信徒への手紙5章5節には、「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」とある通りです。

 ところで、聖霊によって語られていることは、聞く人も聖霊を受けないと理解できません。神の言葉を聞く人も聖霊を受けないと、神の言葉が分からないのです。それでとまどう人やあざける人が出ました。特に復活信仰は嘲りの対象になりやすいと思います。使徒言行録17章でパウロは、アテネの人々に大胆にイエス様の復活を宣べ伝えました。死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った、と書かれています。イエス様が復活なさった事実は、聖霊を受けないと信じることができません。聖書を読んでも、聖霊に助けられて読まないとよく分からないのです。ですから私たちを含め全ての人が聖霊を受けることが必要です。私たちはそのために祈ってゆきたいのです。

 さて、あざける人もいる中で、イエス様の一番弟子ペトロが、十一人の共に立ち上がって声を出し、勇敢に説教を始めたのです。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。』」旧約聖書ヨエル書のこの預言が実現して、聖霊が注がれたのだとペトロは言っています。その通りです。

 旧約の時代は、聖霊は王・祭司・預言者など特別な人に注がれる傾向がありました(絶対そうではなかったのですが)。しかしヨエル書の預言によると、終わりのときには、神の清き霊・聖霊は、すべての人に注がれるのです。息子にも娘にも、若者にも老人にも、僕(直訳では奴隷)やはしため(直訳では女奴隷)にも差別なく、です。(20~21節)「主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」「主の偉大な輝かしい日」とは、イエス様がもう一度おいでになって神の国を完成して下さる輝かしい日でしょう。その前に日食と月食、天変地異があるということでしょうか。「太陽が暗くなる」は日食でしょうか。「月は血のように赤くなる。」今年の4月9日(木)夜に皆既月食がありました。私も空を見ましたが、残念ながら曇っていて月は見えませんでした。しかし地域によっては赤い満月が見えたそうです。月が赤く見える現象があるそうなのですが、光の具合によって赤く見えるのでしょう。「月は血のように赤くなる」は月食を指すのではないかと思います。あまり気持ちのよい描写ではありません。しかし21節は希望を語ります。「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」この主は、イエス・キリストではないかと思います。主イエス・キリストの名を呼び求める者は皆、救われる。呼び求めて洗礼にまで至っていただければ、ベストです。

 本日の旧約聖書は、民数記11章24節以下です。ペンテコステを予告するような出来事が記されています。イスラエルの民がエジプトを脱出して荒れ野を旅していたときのことです。(25節)「主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊(神の霊)の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。」モーセに神様の霊が豊かに注がれていたのですが、モーセだけでイスラエルの多くの民(壮年男性だけで60万人)を率いることは困難だったので、神様はモーセに授けられていた霊の一部を取って、七十人の長老たちにも与えられたのです。彼らがモーセの務めを助けるためです。あと二人の長老エルダドとメダドにも神の霊が注がれ、二人は預言状態になりました。若い頃からモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言いましたが、モーセはヨシュアに言いました。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」ペンテコステの朝、「主の民すべて」にではありませんが、120人ほどの人々に聖霊が注がれ、彼らが神の言葉を語る預言者とされたのです。私たちも皆、主の民ですから、私たち全員が聖書を読んで、神様のことを身の周りの方々に語らせていただく預言者となることがモーセの願いであり、イエス様の願いだと思うのです。

 さて、120人のほどの人々が聖霊を受けて、一斉に様々な言語で、神様の偉大な業を語り出したことは、神様の大きなエネルギーが注がれた、爆発的と言ってよい出来事です。1つの事が始まるときには、確かに大きなエネルギーが必要です。120人の人々が一斉に様々な言語で語り始めれば、一体この出来事の意味は何なのか、じっくり聴き取ろうとした人以外には分からなかったのは無理のないことです。そこで、聖霊に満たされたペトロが、見ている人々に分かるように、この出来事の意味を説教し始めたのでした。分かる言葉による解き明かしが必要でした。ペトロは、この出来事がヨエル書の預言の実現だと教えたのです。このペトロの説教もまた、聖霊によって導かれた預言と言えます。

 このペンテコステの出来事の意味は、使徒言行録2章を最後まで読まないと分かりません。ペトロは説教の中で、エルサレムの人々が49日前に十字架につけて殺したイエス様が復活なさったこと、その後天に昇られて父なる神の右に着かれ、そこから聖霊を注いで下さったこと、このイエス様こそイスラエルの民が長年待ち望んで来たメシア・救い主であることを真理として説教するのです。このペトロの説教は非常に重要です。コリントの信徒への手紙(一)14章4節で使徒パウロが、「預言する者は教会を造り上げます」と書いていますが、ペトロの説教はまさに、キリスト教会を造り上げる預言的説教です。ペトロの説教を聴いた人々は、大いに心を打たれ、「わたしたちはどうしたらよいのですか」とペトロに導きを求めました。ペトロは聖霊に満たされて勧めます。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」このペトロの説教を聴いた人々の多くは、へりくだって悔い改め、洗礼を受けました。そして聖霊を受けたのです。何とその日、三千人ほどがクリスチャンになりました。驚くべき神の力です。多言奇跡だけがペンテコステではありません。人が罪を認め、罪を悔い改めてイエス様を救い主と告白し、洗礼を受けたことがペンテコステの出来事、神様の偉大な業です。東久留米教会においても、世界のどの場所においても、このペンテコステ・神の偉大な業が起こるように、神様に祈り求めて参りましょう。アーメン(「真実に、確かに」)。

2015-05-20 12:03:37(水)
「神の友モーセ」 2015年5月17日(日) 復活節第7主日礼拝説教  
 朗読聖書:出エジプト33章7~23節、ヨハネによる福音書15章13~17節
「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」
                  (出エジプト記33章11節)。

 本日の33章の前の32章は、イスラエルの民が早速、金の子牛を像を作って偶像崇拝の大きな罪に堕落し、性関係も乱れた現実を語っていました。偶像崇拝は偽物の神(正体は悪魔)を拝む罪であり、私たちを愛して下さる真の神様のお心を深く傷つける行為です。ですからこの罪のためにイスラエルの民のうちおよそ3000人が、神様の審判を受けて死んだのです。33章に入ると、神様がイスラエルの民に出発を促します。(1~3節)「主はモーセに仰せになった。『さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、「あなたの子孫にそれを与える」と言った土地に上りなさい。わたしは、使い(天使)をあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。』」神様が遣わす天使がイスラエルの民と共に、約束の地・カナンの地に上ります。しかし神様ご自身は共に上らないと言われたのです。共に上ると、イスラエルの民の罪に対して聖なる怒りを発して、民を滅ぼす恐れがある。だから民を滅ぼさないために、民から離れることにするとおっしゃったのです。これは悪い知らせです。

 民はこの悪い知らせを聞いて、嘆き悲しみました。神様がこうおっしゃったからです。(5節)「あなたたちはかたくなな民である。わたしがひとときでも、あなたの間にあって上るならば、あなたを滅ぼしてしまうかもしれない。直ちに、身に着けている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう。」飾りを取り去るとは、日本風に言うと、謹慎の意を示すことでしょう。偶像崇拝の罪への悔い改めを示すのです。そうすれば神様も怒りを抑え、お考えを変えて下さるかもしれないのです。ありがたいことに神様は機械ではなくハートをお持ちの方なので、私たちが罪を本心から悔い改めれば、裁きを考え直して下さることもあります。

 神様と民のコミュニケーションのために、仲介者となっているのはモーセです。モーセが民の代表として神様の御言葉を受けるのが基本でした。民が荒れ野を旅している間、神様は臨在の幕屋と呼ばれる移動式のテントの中でモーセと出会って下さいました。(7節)「モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。」神様がモーセと出会う場として臨在の幕屋が設定されたのです。臨在の幕屋は、口語訳聖書では、会見の幕屋と訳されていました。モーセが臨在の幕屋の神様のもとに行く時、イスラエルの民は緊張感をもってモーセを見送りました。8節に「モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。」神様は、昼は雲の柱、夜は火の柱で民を導かれましたが、モーセと会見するときは、臨在の幕屋に降りて来られたのです。(9~10節)「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。」民は立って神様を礼拝しました。私は神田のニコライ堂というギリシア正教会(キリスト教の一派)の土曜日の晩祷(礼拝)に出席したことがありますが、最初から最後まで立った状態での礼拝でした。日曜日はもっと長い時間を基本的に立った状態で礼拝するそうです(疲れた方のために椅子もあります)。

 (11節)「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者であるヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。」神様はモーセを愛し、深く信頼しておられたのですね。神様とモーセは驚くほど親しく近しい関係にあったのです。民数記11章には、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」と書かれています。そして神様ご自身がモーセについて、モーセの兄アロンと姉ミリアムにこう語られます。
「あなたたちの間に預言者がいれば
 主なるわたしは幻によって自らを示し/ 夢によって彼に語る。
 わたしの僕モーセはそうではない。
 彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
 口から口へ、わたしは彼と語り合う。/ あらわに、謎によらずに。
 主の姿を彼は仰ぎ見る。」

 モーセは神様と、顔と顔を合わせて、ほとんど直にお目にかかることができるというのです。これは神様による破格の扱いです。神様がモーセを愛しておられるのです。但し、本日の出エジプト記33章の終りには、これと反することも書いてありますので、モーセも神の子イエス様ほどには、父なる神様と近しくなかったと思われます。父なる神様と本当に隔たりゼロの状態で、親しく語り合うことがおできになるのはイエス様お一人です。私たちは今、イエス様を通して父なる神様に親しく祈ることができます。やがて天国に入れていただくときには、顔と顔を合わせて直に神様にお目にかかるのです。モーセは、イエス様ほどではありませんが父なる神様と真に近しく、顔と顔を合わせて語り合い、神様の友のようであったと出エジプト記は記すのです。神様がモーセと顔と顔を合わせて語り合われた結果、その後暫くモーセの顔は光を放ったのです。神様の栄光の御顔に近しく親しく接したからです。そしてイエス・キリストの御顔は本来、神様に接した後のモーセの顔よりもさらに栄光に輝いていたのです。ヘブライ人への手紙1章2節に、「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」であると書かれていることから、そう分かります。

 神様と出会ってモーセがなすことは、民のためのとりなしです。モーセは自分が神様と親しいから、ほかの人はどうでもよいとは考えません。モーセは仲間の民を愛しているのです。モーセは13節で、「この国民があなたの民であることも目にお留めください」と神様に訴えます。すると神様は、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言って下さいました。ですがこれではモーセ一人に安息が与えられるとも聞こえます。モーセはあくまでも自分だけでなく、イスラエルの民に希望が与えられることを願い求めます。(15~16節)「モーセは主に言った。『もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。』」

 モーセの真心からのとりなしの祈りが功を奏して、神様はモーセの願いを聞き入れて下さいました。神様はモーセに、「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである」と言われます。神様は、イスラエルの民と共に約束に地に上って下さるとおっしゃったのです! 民にとって本当に幸いなことです。神様が共にいて祝福してくださらないのであれば、私たちがこの世でどんな大成功を収めたとしても無意味であり、空しいのです。バベルの塔のようにいずれ滅びてしまうからです。しかし、神様が共にいて祝福して下さるのであれば、私たちのなすことがどんなに人の目に小さく見えることであったとしても、永遠の意味を持ちます。神様が祝福して下さるので、それが永遠の価値をもつのです。詩編127編を思い起こします。
「主御自身が建ててくださるのでなければ/ 家を建てる人の労苦はむなしい。
 主御自身が守ってくださるのでなければ/ 町を守る人が目覚めているのもむなしい。」
東久留米教会のこの新会堂を建てたとき、私どもはこの御言葉を心に刻みつつ建てたのです。

 本日の新約聖書は、ヨハネによる福音書15章13節以下です。ここでイエス様は直弟子たちを、そして私たちを友と呼んで下さいます。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」これは一般的にそうだということと同時に、私たちのために十字架で命を捨てて下さるイエス様ご自身の愛をも指すのでしょう。この愛は原語のギリシア語でアガペーです。14節と15節で、イエス様は直弟子たちと私たちを愛して、友と呼んで下さいます。本当に嬉しいことです。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」私たちを尊重して、対等の友人扱いして下さるのです。驚くべきこと、光栄なことです。16節も恵み深い御言葉です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」私が1988年に礼拝の中で洗礼を受けたときに、会衆の前で読んだ作文にこの言葉を引用しました。「聖書には、『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ』と書いてあります」と。

 私たちは皆、イエス様に選ばれてここにいるのです。イエス様がどのような基準で私たちを選んで下さったかは、分かりません。しかし私たちを愛して選んで下さったのです。ですからその選びの愛に応えて、私たちが思いきって洗礼を受けることが、イエス様に喜ばれることと信じます。神様はモーセに、「わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだ」と言われました。同様にイエス様は、私たち一人一人に好意を示され、私たち一人一人を名指しで選んで、任命して下さったのです。ご自分の友として。16節の後半に、「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」と書いてある通りです。

 旧約聖書にはモーセ以外にもう一人、神様の友と呼ばれる信仰者が登場します。アブラハムです。アブラハムについて、歴代誌・下20章7節に、ヨシャファトと  いう王の神様への次のような祈りが記されています。「あなたはあなたの民イスラエルの前からこの地(カナンの地)の先住民を追い払い、この地をあなたの友アブラハムの子孫にとこしえにお与えになったではありませんか。」ヨシャファト王は、アブラハムを「あなた(神様)の友」と呼んでいます。そしてイザヤ書41章8節では、神様ご自身がイスラエルのことを、「わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ」と親しく呼びかけておられます。アブラハムが神様の愛する友、信頼する友と呼ばれています。新約聖書のヤコブの手紙2章も、アブラハムがかつて、最愛の独り子イサクを神様に献げることを拒否しないで神様に従順に従おうとした信仰を称賛して、こう記します。「アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた』という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」モーセは神の友、アブラハムも神の友、そして私たちは神の子イエス様の友です。

 出エジプト記33章に戻り、18節以下も見ます。モーセがさらに踏み込んだ祈りをします。「どうか、あなたの栄光をお示しください。」神様は19節で、「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」と返答されます。最後の部分は難解ですが、神様の自由な主権を意味します。神様は自由に選ばれるので、誰も神様の自由を妨げることはできません。神様は、教会の迫害者であったパウロをさえ選んで、大伝道者としてお用いになったのです。 20節で神様はモーセに、「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできない」と言われます。「顔と顔を合わせてモーセに語られた」と矛盾する御言葉です。しかしどちらも本当です。神様の愛と神様の厳しさの両面があることを知りたいものです。聖書の原則では、私たち罪人が神様を見ることはできません。私たち罪人が聖なる神を見ると、撃たれて死ぬのです。ですから、神様が顔と顔を合わせてモーセに語られたことは、特別の扱い、破格の扱いです。私たちは今は、イエス様を通して父なる神様に大胆に近づき、祈ることができます。天国に行かれた方々は顔と顔を合わせて、直に神様にお会いして、神様の愛と慰めを一身に受けておられる。神様は23節でモーセに、「あなたはわたしの後ろを見るが、顔は見えない」と言われます。私たちは経験的に、神様の慈しみにあとから気づくことが少なくないことを知っています。その時は神様を感じない、しかしあとになってから、「やはり神様は共におられたのだ」と思われたことが、どなたもおありではないでしょうか。いつも共にいて下さる神様に信頼し、祈りつつ、今週も進んで参りたいのです。アーメン(「真実に、確かに」)。